ノート:伊東一刀斎
伊東か伊藤か
[編集]みっち氏が過去に記事名を、伊藤一刀斎 から 伊東一刀斎に変更されたようですが、一般に定着している伊藤一刀斎を誤りとする典拠は何でしょうか?学会等で発表されている論文でも伊藤一刀斎という記載で問題になっていないと思いますが。210.159.251.176 2007年5月2日 (水) 05:27 (UTC)
- 「伊藤」が誤りだとはどこにも書いてないと思いますが…(「姓は伊藤とも」と冒頭部にありますし)。どちらが正確な表記か、というのはどうもまちまちな感じです(手元の「広辞苑 第五版」では「伊東」で、「辞林21」では「伊藤」になっています)。ですので、「伊藤」が完全に一般に定着している、とするのもやや問題があるのではないでしょうか。--松茸 2007年5月2日 (水) 05:34 (UTC)
- どちらともいえないのであれば、あえて記事名を変更する理由がわかりませんが。210.159.251.176 2007年5月2日 (水) 06:01 (UTC)
- 疑問が出されていたことに、きょう気づきました。まずはお答えが遅くなったことをお詫びします。
- 移動した理由ですが、当時はリダイレクトの作り方をよく知らなかったため、「伊藤一刀斎」の赤リンクから初稿を書き込み、そのあとで「伊東」に移動していました。初稿の本文書き出しから「伊東」としていることで、意図はおわかりいただけると思います。男谷信友でも同様のやり方をした記憶がありますが、これは推奨されない方法だったようで、いまなら、初めから「伊東」で記事を立てたことでしょう。
- 「伊東」と「伊藤」のどちらを採るかについてですが、手持ちの参考書籍『日本剣豪一〇〇選』(綿谷雪)の記述に従いました。記事本文でも「一般には伊豆国伊東の人であり、出身地から伊東姓を名乗った」という説を紹介しており、この流れに合わせてもいます。ただし、これだと後の「伊藤派一刀流」とは整合しない、という点は承知しています。「一般に定着している」という点ではどちらもそれほど差はないように思いますが、「伊藤」の方がより妥当であるという出典があるなら、こちらで合意を図られてはいかがでしょう。以上です。--みっち 2007年8月7日 (火) 07:53 (UTC)
伊藤一刀斎を伊東一刀斎と表記するのはちょっと疑問を感じます。出身地とされる伊東市には一刀斎についての伝承、伝説、事跡等は一切伝わっていませんし、もともと伊東氏というのは伊豆国にと土着した藤原氏の一族ですし、鎌倉時代には御家人として伊東・工藤氏は全国に広がっていますので、江戸時代初期の子孫の一人ということであれば伊豆国の藤原氏(伊藤氏)の末裔ということで伊藤一刀斎、伊藤景久の方が正しいでしょう。つまらぬ私見ですみません。(gon)—以上の署名の無いコメントは、60.35.172.63(会話・履歴)さんが 2009年1月21日 (水) 18:51(UTC) に投稿したものです(みっちによる附記)。
- (コメント場所を移動しましたので、ご了承ください)本項の表記は、綿谷雪『日本剣豪100選』(秋田書店)を出典としています。これによれば、「伊東一刀斎景久」とし、「一刀斎の伝記は、億説ばかりで、全く拠りどころがない。通説では、伊豆伊東の生まれだから姓を伊東とし、山に入って刺撃の術を独学自習し(以下略)」とあります。生地としては、ほかにも伊豆大島説(綿谷は「俗説」としている)や西国説、金沢説、敦賀説などもあると書かれています。このように、伝記に拠りどころがないとすれば、事績が伊東市に伝わっていない(?)ことが必ずしも伊東姓を否定する根拠にはならないのではないでしょうか。また、一刀斎の前名は前原弥五郎ともされており、藤原氏の一族としての伊東氏あるいは伊藤氏とどのような関わりがあるかも不明です。伊藤が正しいとされる理由がよくわかりません。--みっち 2009年1月23日 (金) 23:51 (UTC)
「伊東」表記が一般的であるという根拠が分かりません。日本古武道協会の溝口派一刀流や小野派一刀流のページを見ても「伊藤」表記ですし、これは小野派一刀流や北辰一刀流玄武館、無刀流の公式サイトでも同様です。「伊東」なんて表記を使っているところはありません。また司馬遼太郎なども『燃えよ剣』で「伊藤一刀斎」と表記しています。最近(というほどでもないですが、今世紀に入ってから)出た牧秀彦の『剣豪その流派と名刀』でも歴史群像編集部の『日本剣豪100人伝』でも「伊藤」表記です。さらに後者の本には「一刀斎は伊藤弥左衛門友家の子として、天文十九年(一五五〇年)伊豆大島で誕生したとされる」と記載されています。この本の主要参考文献には小野派一刀流(一六代)宗家笹森順造の『一刀流極意』がありますし、また少しだけですが小野派一刀流の組太刀や構えについても写真付きで紹介しています。根拠のない適当なことを書いているとは思えません。また、一刀斎のことが記されているという江戸時代の『耳袋』ですが、こちらも現代語訳を見るに「伊藤」表記です。また原文のほうも「伊藤」表記で、「伊東」ではありません。私自身「伊東」なんて表記は初めて見ましたし、そもそも一刀斎の伝記が「億説ばかりで、全く拠りどころがない」のだとしたら「伊豆国伊東の人であり、出身地から伊東姓を名乗った」というのも単なる「俗説」でしょう。これを「通説」とする根拠はなんですか。--143.90.227.37 2011年9月29日 (木) 04:51 (UTC)
井藤忠雄の子孫ですが、忠雄の墓には「伊藤一刀斎」と記載されていますので当時は伊藤と表記されていたようですよ。
一刀斎の剣術
[編集]2007-08-23T13:37:07の版でブレードさんにより
- 一刀斎の剣術は、一見無謀な構えを見せるが、気がつけば討ち取られ、討ち取ったと思えば、逆に討ち取られていたという。
という加筆があり、Izayohiさんに「要出典」を貼られたあと、2007-08-25T16:47:42の版でブレードさんの手により、
- 英雄かく生まれり 過去世物語 英傑編 (リバティ編集部) 2006-06-29発行
ISBN4-87688-549-4 という「出典」が追加されましたが、この本は百科事典の情報源としては不十分ではないかと危惧します。信頼できる情報源で検証できるまで、この一文はコメントアウトしておくことを提案します。--miya 2007年9月9日 (日) 16:22 (UTC)
- こんにちは、他のところの飛び火を見てお邪魔します。
- miyaさんの意見に同意で、百科事典の出典としては弱いと思います。・・・あの、それ以前に日本語として何を言いたいのかがうまく伝わっていない気がするのですが、修飾関係が理解できないのは私だけでしょうか?--すぐり 2007年9月9日 (日) 16:35 (UTC)
- 上記書籍内容がなにをもとにしたものか不明であることと、2007-08-23T13:37:07の改変部分が日本語として意味が通りにくいことから、冒頭部分を一旦、2007-08-03T15:34:19の版に戻しました。--miya 2007年9月9日 (日) 23:26 (UTC)