ノート:信用創造/過去ログ2
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2016年11月15日 (火) 03:01版
[編集]- 信頼できる情報源からの加筆を含めごっそり削除されておりますのでいったん戻しました。情報源のない執筆内容について削除されることについてはやぶさかではないと考えますが、情報源のある情報までまるごと置き換えるのは不適切です。慎重に編集頂くようお願いいたします。なお古川顕氏は「昭和41年3月に京都大学経済学部を卒業後、同年4月に三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行され、同行調査部に勤務されていましたが、研究を続けるべく京都大学大学院経済学研究科に入学され・・その後、神戸学院大学経済学部、大阪大学教養部、関西学院大学経済学部を経て、京都大学大学院経済学研究科・経済学部教授に奉職され、京都大学名誉教授の称号を授与された後、平成18年4月に甲南大学経済学部特任教授」([1]ないし[2])なられた方で、1986年に大阪大学で博士号を取得されておられ[3]専門書も多数執筆されておられる金融分野を専門とされる方です。【古川顕氏による主張を事実であるかのように記されている箇所はいったん除去】などという根拠のない主張で乱暴に削除してよいものではありません。古川顕氏の批判は研究史ないしは学説史上におけるご自身の見解の適示でありたんなるエッセイではありません。もういちどやり直してください。--大和屋敷(会話) 2016年11月15日 (火) 03:17 (UTC)
- 信頼できる情報源であることを否定していませんが、一部、帰属化されていない記述や内容に間違いもあったためいったん除去としたものです(もう修正しました)。なお、古川氏による見解は除去とし、歴史的経緯を記すのみとしました。それにしても、マンキュー『マクロ経済学』を排除する必要はない[4]と上の節で主張されているにもかかわらず、全て排除されてしまわれる編集は適切ではないと思います。--はるみエリー(会話) 2016年11月15日 (火) 08:03 (UTC)
- だいぶん良い感じに近づいてきたとおもいます。個人的には数値例より通史的説明のほうが前にあったほうがよいのではないかという印象です。ただしこの提案は「百科事典としての分かりやすさ」「読んでまず分かる」という観点での提案ですので、もうしばらく様子を見たいと考えます。--大和屋敷(会話) 2016年11月15日 (火) 08:16 (UTC)「古川顕によればこの「フィリップスによる「本源的預金」と「派生的預金」の区別は経済学的に無意味であり、そうした概念を基軸として展開された貨幣乗数(信用乗数)アプローチは、現在に至る貨幣供給理論の混乱の引き金となった」([5]PDF.P27)は彼の博士論文[6]のころから提示されてきた中核的アイデア(信用創造理論と貨幣乗数アプローチは一見対立しているように見え合成の誤謬を含むように見えるけれども(P.3)、実質的にはまったくおなじものである(P.8)。マネーサプライがどのように決まるかは通貨主義と銀行主義の対立にも根ざしている古くてしかも常に新しい問題である。この問題に決着をつけることは容易ではない。ただこれまで一貫して主張してきたように預金(マネーサプライ)は主として貸出の所産であるとの見方はどう考えても否定できない(P.46-47))に見ることができます。いずれにせよここまで言及する必要があるかどうかについては編集検討の課題だとおもいますが「まったく荒唐無稽な学説」扱いは容認できかねる次第であります。--大和屋敷(会話) 2016年11月15日 (火) 08:27 (UTC)
- 「まったく荒唐無稽な学説」であるとは考えていません。ただ、フィリップスとかケインズとかについてあれだけの言及しかない中で、そこまで現代の学者の言及を記述する必要があるかについては、バランス的にどうかなと思いました。歴史的な経緯と現代の学者による批評をわけて、帰属化して記述するなどは可能だと思いますが、それほど研究者が多いということでもない中、限られた出典だけでごく数人の日本人経済学者の批評だけを載せるのもよくないかもしれません。おっしゃるとおり、編集検討の課題だと思います。--はるみエリー(会話) 2016年11月15日 (火) 08:46 (UTC)
- 貨幣乗数アプローチから「のみ」記述することに対する異説は古川(2014.1.20)[7](PDF-P.3)自身がマンキューに言及しており「貨幣乗数(信用乗数)アプローチに依拠する考え方についてはHubbard [1994]第17章, Mankiw [2004] 第11章, Abel and Bernanke [2005] 第17章, 館・浜田[1972] 第7章, 堀内[1980] 第6章などに説明され、現在のほとんどすべてのマクロ経済学や金融論における貨幣供給の説明は、貨幣乗数理論に立脚していると言っても過言ではない」しかし「古川[1985]第2節では貨幣乗数と信用乗数の同一性を証明して」おり、「古川[1999]第9章5節では貨幣乗数アプローチの問題点を指摘するとともに「貸出が貨幣(預金)を生む」というマクラウドやホートレーと同一の考え方を全面に出して」貸出の変化が「通常ではコールレートなど短期金融市場金利の変化に直接的な変化をもたらすことを定式化し」たとしています。--大和屋敷(会話) 2016年11月15日 (火) 08:59 (UTC)
- 報告 利用者:はるみエリー(会話 / 投稿記録 / 記録)さんはコミュニティを消耗させる利用者として無期限ブロックされました。--UGeddle(会話) 2017年9月26日 (火) 12:12 (UTC)
1ステップで限界まで貸し出す場合の数値例
[編集]はじめまして。経済は専門ではないので的外れなことになるかとは思いますが… Pokkie01さんの議論が問題を整理しようとしているのになぜか日本の制度べったりなのが気になりまして、前提を単純化してみました。
- 銀行のB/Sを 資産|負債 と表記します。純資産はないものとします。
- 銀行は制度云々ではなく自己防衛のために預金の10%の現金を保有するものとします。
- Z銀行が現金で100万円の預金を受け入れると 現金100|預金100 B社に900万貸し出すと 現金100 貸付金900|預金1000
- B社が900万をC社への支払いに使ったため900万をY銀行に送金する場合、900万の現金や当座預金はありませんが、現金90と小切手810をY銀行に送りつければとりあえずの体裁は整います。Z銀行は 現金10 貸付金900|預金100 小切手払い出し810 Y銀行は 現金90 Zの小切手810|預金900
- 預金900を獲得したY銀行ですが、現金は90しか持っておらず新規貸付を行う余裕はありません。
あとは現金の保有と日銀への準備預金とが同一視できればいいのですが…どう違うものなのでしょうか?上記Y銀行は(仕方なく)小切手を受け取って預金900(C社への負債)とバランスさせましたが、日銀は市中銀行の小切手は受け取らないとか? --240F:54:CB1C:1:958F:2A2E:634C:B0CC 2018年3月5日 (月) 14:31 (UTC)
すみません、IPアドレスが変わってしまいましたが↑と同一人物です。 古川(2014)といくつかの内部リンク先を見てきました。自分の感性で『標準的な説明』や現状の本記事に対して疑問点を挙げてみます。
- 最初の数値例は全て現金で預金・貸出を行っている前提がある…ありますよね?B銀行が小切手かなにかで900円を受け取ったら、B銀行は現金による引き出しに備えて一体何を準備するのでしょう?(すぐ手形交換所に行って現金化しないと)
- ↑を前提とするなら、A銀行がX社に900円を貸出した瞬間は本源的預金は100円に減っていると考えるのが自然なような
決済機能に信頼性と利便性が認められれば、銀行は現金で出せない額の貸付を預金の形で行うことができる。最初の数値例はそれ以前の段階での理屈としては正当か。だからといって決済機能の前提に信用創造があるということが示されたわけでもない。というのが議論のしどころでしょうか。
小生としましては、どういう鋭い対立があるのかはともかく、前提が足りなくて後半がさっぱり頭に入ってこないのが問題と感じました。注釈で『実際には、A銀行は現金1,000円を支払準備金にして、新規に9,000円までの貸付を預金の形で行うこともできる。』等として、異なる観点を提示しておくのはどうでしょうか。 --240F:54:CB1C:1:1C14:84FC:3CCA:BEF9 2018年3月10日 (土) 13:29 (UTC)
X社はいったい何をしてるのか
[編集]>A銀行がX社に900円を貸出、X社が900円をB銀行に預金する
貸出の金利が預金の金利よりも高いのなら、X社はA銀行から900円を借りて、B銀行に900円を預金することの意味が理解できないし、X社はB銀行から預金を引き出すことはできないのでしょうか? ここに記述されている信用創造の説明は高名な教授の説で通説になってるのでしょうが、小学生でもおかしいと思うような説明は問題ではないでしょうか? それとも実際に企業はX社と同じことをしてるのでしょうか?--Takehope(会話) 2019年4月7日 (日) 08:34 (UTC)
>A銀行はW社から預金1,000円を預かる(そのうち900円を貸し出すことができる)。
>A銀行がX社に900円を貸出、X社が900円をB銀行に預金する(そのうち810円を貸し出すことができる)。
>B銀行がY社に810円を貸出、Y社が810円をC銀行に預金する(そのうち729円を貸し出すことができる)。
>C銀行は729円をZ社に貸し出す。
この説明だと、W社もX社もY社も預金を引き出すことができず、X社とY社は銀行に金利を払って損するだけで、銀行にはお金があるかもしれませんが、Z社だけがお金を使えることになって、全然貨幣供給量が増えないんじゃないでしょうか? こんなバカげた説明は削除して、もっとわかりやすい説明にするか、批判や別の説明も記述するようにしたほうがいいと思います。--Takehope(会話) 2019年4月7日 (日) 10:40 (UTC)
「通説、よくある誤解」について
[編集]この説明こそ誤解を生むと思う。
>「預金」というお金を作り出している。実際には預金通帳の数字を増やすだけである。<
というのは間違い。 日銀が日銀券を発行する場合を考えれば分かるけど。 日銀は通貨発行時、発行額と同額のマイナス勘定をバランスシートの負債側に積む。 そして通常それは国債の買いオペを伴うから、買った国債をバランスシートの資産側に積んでフラットにバランスさせる。 これは銀行が貸出を行う時も同じで、マネー貸出債権と同額の負債をバランスシートに書く。 これでバランスシート的にフラットになる。 預金通帳の数字を増やすだけというのは間違い。 通貨発行額と同額の負債をというのがすっぽり抜けてる。 そしてこれは特に新しい視点ですらない。 元々中央銀行はその様に通貨を発行しているのだから。 本源的預金というのは、持っている預金資産などから貸し出すという意味ではなく、バランスシート上で通貨発行分マイナス勘定に積まれた負債と同額以上のプラス勘定を持つという仮想。 元々預金資産自体が預け入れされた債務だし、銀行にとっては(その分預け入れ金がプラス勘定に積まれてフラットになっている)。 マネー発行はマイナス勘定と同時という説明が必要。
反論があればどうぞ。 特に反論がなければ記載を変更致します。 --220.98.89.188 2019年4月20日 (土) 21:24 (UTC)
- 出典がありませんのでいったんすべて戻しました。「初学者に分かりやすいように数値例をもって教授する」という編集方針は百科事典としてのwikipediaの目的に沿うものではありません(WP:NOTTEXTBOOK)。またそこで提示されている解説が「外部の信頼できる情報源」に沿った解説であると確認できない場合は『仮にその解説が真正なものであったとしても』独自研究の公表として削除される可能性があることを踏まえて編集頂くようお願いいたします。編集は信頼できる情報源を横に置き、そこから引用するような方向性でおこなえば間違いはありません。編集者が自らの知識をもとに記事を加筆しているかぎり、独自研究(あるいは学理的に誤った)の投稿を行っている可能性が高いと考え自制すべきです。仮に自分の理解に沿わないものであったとしても、外部の信頼できる情報源から引用することがwikipediaの要請であることにも御配慮ください。上でもコメントしておりますが[8]当記事は編集がむつかしいたぐいの記事でありますので、外部の情報源の一方を確定的に記述したり、ましてやwikipedia編集者個人の理解から確定的な執筆を行うのは止したほうが良いでしょう。--大和屋敷(会話) 2019年4月20日 (土) 22:29 (UTC)なお信用創造理論の『通説』は貨幣乗数アプローチから信用創造を説明するものであり、これは古川顕(2014.1.20)[9](PDF-P.3)が解説するように「貨幣乗数(信用乗数)アプローチに依拠する考え方についてはHubbard [1994]第17章, Mankiw [2004] 第11章, Abel and Bernanke [2005] 第17章, 館・浜田[1972] 第7章, 堀内[1980] 第6章などに説明され、現在のほとんどすべてのマクロ経済学や金融論における貨幣供給の説明は、貨幣乗数理論に立脚していると言っても過言ではない」のですから、通説は通説として記述する必要があり、これをwikipedia編集者の判断で「よくある誤解」などと批判してはいけません。--大和屋敷(会話) 2019年4月20日 (土) 22:39 (UTC)
>「預金」というお金を作り出している。実際には預金通帳の数字を増やすだけである。というのは間違い。<
実際には銀行が借り手の預金通帳の数字を増やすだけでいいんじゃないのでしょうか?マクラウドをはじめ、少数派はそのように表現しているので、出典の記載のあるものを変更するのは少し乱暴かと。
もちろんバランスシート的には、銀行のバランスシートは資産に貸出し金額、負債に同額の預金ですけど。
通説の本源的預金というのは、
概要のところに、「A銀行はW社から預金1,000円を預かる(そのうち900円を貸し出すことができる)」とありますので、
持っている預金資産などから貸し出すという意味だと思います。
>本源的預金というのは、持っている預金資産などから貸し出すという意味ではなく、バランスシート上で通貨発行分マイナス勘定に積まれた負債と同額以上のプラス勘定を持つという仮想。<
通説というよりは少数派の考え方に近いような感じがします。
「受信が与信に先行し、銀行は借り手と貸し手との媒介者に過ぎない」「銀行の貸出しは預金者の銀行に預けている金額によって、厳格に制限されている」というのが通説の立場だと思います。 そして、与信が受信に先行し、銀行が無から通貨を創造していて、貸出し金額が制限を受けないというのが少数派の立場だと思います。 個人的には、通説の銀行というのは、消費者金融とまったく変わらないと理解しております。 通説に従えば、A銀行はW社から預金1,000円を預かり、X社に900円を貸出した場合、 A銀行が直接現金をX社に持っていくようなイメージですね。しかし、少数派の立場によると、
- A銀行の貸借対照表
資産 負債 現金 1,000円 預金 1,000円 貸出 900円 預金 900円
上のようになって、900円という預金を創造したということになるのだと思います。このバランスシートは通説の立場では認められないのかもしれません。そして、
- A銀行の貸借対照表
資産 負債 現金 1,000円 預金 1,000円 貸出 4,000円 預金 4,000円
通説としては、このようなことは絶対に認められないということだと思います。 --Takehope(会話) 2019年4月21日 (日) 14:17 (UTC)
出典で書いてあるからと言っても、書いてある意味を理解出来てないなら意味はない。
マネー発行は同時にバランスシートで同額のマイナス勘定を積むというのは説明するまでもない事だからわざわざ書いてないだけ。
マネー発行の大元の中央銀行がマネー発行する前、マネーがある訳がないので、根源的預金は仮想のものだというのは前提。
中央銀行がマネーを保有していてそのマネーを出していると思っているのであれば、それこそ基本から勉強してきてねとしか言いようがない。
金本位制の兌換紙幣時代からそれはそう。
そうでないと保有している金はどの様に調達されたのだ?。
元々紙幣の発祥は金の預け入れ証。
預け入れ証を発行する前に金を保有しているなどある訳がなく。
信用創造的マネー発行に於ける通貨って、債権と同じ意味。
預金通帳に預け入れ金として書かれてというのは債権額が記載されてという意味。
だから債権であるマネー発行と同時に同額の債務が積まれる。
日銀でも普通の銀行でもバランスシート的なものというのは同じ。
>通説の銀行というのは、消費者金融とまったく変わらないと理解<
この意味が手元資金を貸し出すという意味なら、その時点で基本の所を理解していない証拠。
基本の理解がなければ、幾ら出典で書いてあると言っても無意味。
因みに普通の銀行に自己資金がいるのは貸し倒れが起きた時の引当金の為。
Takehopeさんの下図は金利考えずに絶対に貸し倒れないならバランスシート的には別に問題はない。
というか、歴史の項目にある「表2 銀行の貸借対照表」と同じじゃん笑。
支払準備金と引当金を考慮すれば、別に問題ない。
こんなのとっくに通説。
元々信用創造とは債権と債務がバランスしていて、その債権がマネーとしてある状態に過ぎない。 だからマネー拡大と同額の負債が発生している。 但し実際は貸し倒れもあるし金利もある。 だから準備預金制度も自己資本比率規制もある。
--220.98.89.188 2019年4月21日 (日) 18:13 (UTC)
通説では、銀行は手元資金を貸し出すのではないのでしょうか?
預金が債権とは知りませんでした。預金通帳の預入金は銀行にとって負債ではないのでしょうか?
いずれにせよ、銀行の貸出しは借り手の預金口座に貸出し相当額の数字を入金記帳することであり、
銀行の貸出しが預金という貨幣を創造しているという見解は、少数派の見解ですが、
貨幣を負債の一種とみなす信用貨幣論を前提とした考えですし、
イングランド銀行や中野剛志などの出典を明示して記載しておりますので、
もしそれが間違いで、記載を変更する場合は、出典を明記していただければ、特に問題はないと思います。
>本源的預金というのは、持っている預金資産などから貸し出すという意味ではなく、バランスシート上で通貨発行分マイナス勘定に積まれた負債と同額以上のプラス勘定を持つという仮想。<
この見解も、概要などに書かれている通説と異なるように思いますので、出典を明記して記載していただけたらと思います。
--Takehope(会話) 2019年4月22日 (月) 16:01 (UTC)
だから書いてあっても理解出来ていなければ意味がないと言っている。
>銀行の貸出しが預金という貨幣を創造しているという見解は、少数派の見解<
ここからして根本的に理解が間違えている。
銀行貸出が預金という貨幣を生み出しているというのが通説。
一番最初に通貨を生み出すのは中央銀行だけど。
通貨は中央銀行が国債などの資産を買いオペで買った瞬間に生み出されている。
それまでは通貨はない。
貸出とは国債などの現物資産ではなくそれが債権という資産であるだけ。
中野氏なども別に通説と別の説を書いている訳ではない。
それを前提に書いてる。
だから手元資金を貸し出しているというのは「通俗的な誤解」とイングランド銀行は言っている。
通説が間違っているなどとは言ってない。
中野氏が言っていることは、マネー需要が通貨量発行量を規定するということ。
だから貸し出されたらマネーが生まれる。
貸出は同時に負債だから、どれだけ負債を負ってマネーを借りるかがマネー供給量を決めるということ。
これが内生的ということ。
外生的とはマネタリーベースを増やせば通貨量も増えるという考え方。
その考え方に拠って黒田とかはQQEやった。
それを中野氏は違うと。
マネタリーベースを増やしてもマネー需要がなければ貸出は行われずマネーストックとして通貨は供給されないと。
元々は中央銀行制度が出来るまでは、国家は金などの現物で通貨を作りそれをそのまま使っていた。 だからマネタリーベースとマネーストックという区別などなかった。 だから金採掘などで通貨そのものを増やしてた。 通貨がその様に外で生まれるから外生的。 それが元々の意味。 それが中央銀行制度が出来てマネタリーベースとマネーストックという区別が出来た。 マネタリーベースで通貨量をコントロール出来るというのが現在の外生的。 マネーストックでのマネー需要がマネー供給を決めるというのが内生的。 物凄くざっくり言うと。
中央大学経済学部、井村進哉教授(らしき人)が記事書いてるので目を通すと良いと思う。 https://www.facebook.com/notes/shinya-imura/%EF%BC%92%E5%B9%B4%E7%9B%AE%E3%82%92%E8%BF%8E%E3%81%88%E3%81%9F%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%82%B9%E2%91%A2-%EF%BC%92-%EF%BC%94%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E8%AB%96%E4%BA%89%E3%81%A8%E3%81%8A%E9%87%91%E3%81%AE%E4%BE%9B%E7%B5%A6%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92/534503453314179/ (にわかには本人確認出来ないので今の所出典には出来ないが笑。)
正直「内生的貨幣供給理論」以降をこの項目に入れているのは適当でないと思う。
そもそも信用創造の説明の範囲ではないと思う。
マネーサプライの項目の方にあれば良いと思う。
そうでないと黒田緩和QQEと中野氏の見解の通貨供給についての対比が出来ない。
ここらは専門家でも議論がある所。
というか通貨供給について通説的定説が固まっていれば、日本のデフレはとっくに解消してる笑。
でも基本的な理解すらしてない者が間違った説明を書くのはそれ以前。
現在の外生も内生も両方、通貨発行自体は手元資金に拠らないというのは同じ。
そうでないと中央銀行は通貨自体を発行出来ない。
普通銀行が信用創造で通貨供給するのも原理は同じ。
>通説では、銀行は手元資金を貸し出すのではないのでしょうか?
預金が債権とは知りませんでした。預金通帳の預入金は銀行にとって負債ではないのでしょうか?<
こんな理解でwikipediaで説明を書こうというのが間違い。
通貨発行自体は債務。
だから発行と同時にバランスシートの負債側に発行額と同じだけ積む。
これは国が国債発行するのと同じ。
でもだから国債保有は債権である様に、マネー自体は債権。
金利などを考えなければ、銀行側はマネー発行という債務と貸出という債権を同時に生んでフラットに。
マネー貸出を受ける側は、マネーを借りた債務と、通帳に借りた金額の記帳(=債権)を得てフラットに。
別に双方とも資産負債全体での増減はない。
これはスケールが大きくても小さくても同じ。
只実際は、金利や準備預金や引当金などがあるから、それを考慮したものとなる。
それが歴史の項目にある「フィリップスの公式」。
「表2 銀行の貸借対照表」にある様なマネー運用が可能。
実際投資銀行はそうしてる。
「表2 銀行の貸借対照表」は預金があるのでは?というのは、書いてある様にそれも預金者に対する負債と共にあるので金利など抜きにすればこれもバランスシートでフラット。
バランスシート上の資産などない。
出典も何も書いてある通り。
それをキチンと理解してるかだけ。
>信用創造能力は理論上は無限であると主張した。クヌート・ヴィクセルもケインズと同様銀行の信用創造能力は無限であるとし、さらに、その能力は貨幣に対する市場の需要によって決定されるとした。また、イギリスの経済学者であるR.G.ホートレーは、「銀行貸出こそが貨幣供給の源泉」であるとした。<
とはそういう意味。
書いてあっても理解してなければ意味がない。
只理論的にはそうであっても、実際に於いてはというのはある。
貸出で預金通帳に書き込むのは幾らでも可能。
でも通帳に書かれた金額は現金として引き出せなければ意味がない。
だから引き出しに備えた準備金としてしての現金保有は必要。
それが法制度としてあるのが法定準備金。
概要での説明はその場合に於ける説明。
他に貸し倒れに備えて自己資金も必要。
それが自己資本比率規制。
そういった実際の制約により貨幣乗数の限度がある。
但し通貨自体の発行権を持つ中央銀行だけは普通の銀行と違い、準備金を考慮する必要がない。
そこだけが違う所。
一応確認したけど英語版wikipediaの方では貸出は手元資金を貸し出す訳ではないと書いてあるのだよね。 幾ら出典から引き写しても、キチンと理解してその意味を説明しないとダメということだな。 --220.98.89.188 2019年4月23日 (火) 19:12 (UTC)
私自身の説を記載してるわけでなく、私自身の理解にも関係なく、おおむね出典の通りに記載してるだけなので、批判等があるなら、いかに正しい主張であろうとも、ノートで、間違ってると指摘して反論がなければ記載を変更するというやりかたではなく、ご自由に記載を変更してもよろしいので、出典を明記して記載してほしいと言ってるだけなんです。それと、この件とは直接的には関係ないのですが、預金は銀行にとって債務でいいんでしょ。あと、ヴィクセルやケインズやホートレーの説は通説とは違うんじゃないでしょうか? それに、中野剛志さんは主流派経済学を天動説とまで言って批判してるんですよ。通説とはまったく別の、非主流派の現代貨幣理論を主張してるんですよ。--Takehope(会話) 2019年4月24日 (水) 13:49 (UTC)
私は現在wikipedeiaで出典付きで書かれている内容を説明しているだけ笑。それを出典言われても。逆に貴方の見解だと歴史の項目にあるのをごっそり削除しなくてはならなくなる。書かれている例は預金された額以上の運用してるし。だから私は差し戻された記載を変えろなどど言ってないし。「私自身の説を記載してるわけでなく、私自身の理解にも関係なく、おおむね出典の通りに記載してるだけ」って現在の記事を読めてない証左。それを削除するなら、貴方の方が出典付きで説明が必要。
中野氏が言っているのは、既に書いた様にマネタリーベースで通貨供給をコントロール出来るという外生説に対しての内生説の立場からの批判であって、信用創造についてではない。だから私は内生説以降の記載は信用創造ではなくマネーサプライの項目にあるべきものでは?と言っている。これも既に書いたけど外生も内生も信用創造についての見解の相違はない。現在wikipedeiaで書かれている内容も、それに対しての私の説明も理解出来ない者と話しても無駄。
これはTakehope氏に対してにではなく書くけど。概要にあるのがレベル1の説明だとすると、歴史にある例はレベル2の説明。レベル3になると準備金は本当に制約になるのか?となる。レベル2の債権を証券化して売り出せば現金化出来るから。リーマンショックでのサブプライムローン証券はそれ。投資銀行は実際その様に運用してるからねえ。レバレッジ掛けてるから焦げ付くとヤバイのだけど。もし信用創造の項目で更に書いて行くならそっちの方向だろうね。まあ私は面倒なのでやらんけど笑。レベル1で全てが説明されていると考える方が間違っている。あくまでもあれは本当の入門レベルの説明。信用創造のポイントはマネー発行と負債はセットであるという事だけ。
後は、歴史までの項目をもっとわかり易い様に手を入れるか。内生説以降について信用創造の項目から外して、マネーサプライの項目に移して外生説と並べてもっと詳しく書くか。もしこちらに残すなら、こちらに外生説も書かないとバランス的におかしくなるけど。管理されている方いかがですか?。
--220.98.89.188 2019年4月24日 (水) 17:19 (UTC)
内生的貨幣供給理論以下の項目を削除することには私は強く反対いたしますが、220.98.89.188さんにお考え通りに編集なさったらどうですか? 一応、反対の理由は以下です。古川顕さんの「H.D.マクラウドと信用創造論の系譜」(甲南経済学論集第54巻第541・2号 2014年1月、p.50)の中の結論部分の『「銀行は信用の製造所である」というマクラウドの私的、および「貸出しは貨幣を生む」というホートレーの主張は、内生的貨幣供給理論の典型である』です。信用を創造することと貨幣を供給することは同じだと思っています。マクラウドやウィザーズやヴィクセルやホートレーの説とフィリップスの説はまったく別物と思っておりまして、『フィリップスの見解が信用創造論の通説となり』と古川顕さんの同じ論文のP.38に書いてありますので、そのように理解しております。マクラウドやウィザーズやヴィクセルやホートレーの説はよくわかるのですが、フィリップスの説やここの概要に書いてあること、および220.98.89.188さんの説明は私にはまったく理解できないのです。そして、大和屋敷さんも引用しておられますが、古川顕さんの同じ論文の同じページに、『フィリップスによる「本源的預金」と「派生的預金」の区別は経済学的に無意味であり、そうした概念を基軸として展開された貨幣乗数(信用乗数)アプローチは、現在に至る貨幣供給論の混乱の引き金となった』とありますし、さらに『フィリップス以降に展開された一見複雑な信用創造論は’虚構’にすぎないことを強調した。貨幣乗数理論(信用乗数理論)という虚構が現在においても貨幣供給理論の主流を占めると思われるからである。フィリップスの信用創造論はマクラウドやウィザーズよりはるか後に提示されたものの、その考え方は議論をいっそう錯綜させ、間違った方向に誘導してきたように思われる』とありますので、Sat reiwaさんの編集でも良いかなと思うぐらいです。ほかにも同じような主張の方は横山昭雄さんや外山茂さんがおられるようですが、少数であることは事実のようです。いろいろな説や考えがあると思いますので、220.98.89.188さんの思うとおりに編集なさったらいかがですか?--Takehope(会話) 2019年4月25日 (木) 10:52 (UTC)