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ノート:催眠

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はたしてリンクは必要なんだろうか?  「催眠」関係のサイトに「ここが一番」といったサイトは無いわけで、どこも似たり寄ったりのような気がしてます。  でもこの項目のリンクは時たま増えてるんですけど… あまり頻繁に更新される項目でもないからドサクサ紛れの広告がでてきそうなんで、いっそリンクを全部消してしまったらどうかな…と。グーグルで検索をかければある程度のサイトはたくさん出てくるし。--以上の署名のないコメントは、203.136.63.194会話/Whois)さんが 2006年5月21日 14:51:31 (UTC) に投稿したものです(ɯhɥmによる付記)。

統合提案

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  • 1つのページ中で一緒に解説すべきにも関わらず、必要以上に細切れにされてページが作られている場合

に相当すると考え、催眠術催眠へ統合することを提案します。 催眠ではすでに「状態に導く技術 (催眠法) 」への言及もありますし、催眠術催眠のひとつの節として取り込んで問題ないと思います。--ɯhɥm 2008年9月6日 (土) 14:56 (UTC)[返信]

統合に賛成します。さらに、一般に認識されている「催眠術」と実際の「催眠」の差異について今後加筆があればなお良い記事になると思います。--ヤトゥヒン 2008年9月13日 (土) 06:21 (UTC)[返信]
提案からほぼ一週間経ち、反対がないようですので統合作業に入ります。 --ɯhɥm 2008年9月13日 (土) 12:46 (UTC)[返信]
統合作業終了しました。ヤトゥヒンさんご指摘の点には同感で、歴史等に関しても加筆が必要だと思いますので stub はそのままにしました。私も調べながらですが、すこしずつ加筆したいと思います。--ɯhɥm 2008年9月13日 (土) 13:37 (UTC)[返信]

催眠術催眠に統合する提案には異議があります。なぜなら、日本の催眠に関する学術団体である「日本催眠医学心理学会や日本臨床催眠学会」では、テレビ等で放映される「ショー催眠」や、心理学やカウンセリング、医学の専門教育を受けていないいわゆる「素人催眠家」によって行われている「催眠術」「催眠療法」を催眠術とみなしているからです。臨床心理学、カウンセリング心理学、精神医学等の基礎知識のない一般人が気軽に催眠法を扱うことは、被催眠者に対する配慮を欠く催眠誘導等により突発的な事態が生ずる恐れが高く、危険性が伴います。ちなみに、催眠医学心理学会と臨床催眠学会では、催眠を扱おうとするにあたっての倫理綱領を定めており、「催眠術ショー」は事実上禁止されています。  これらのことから、心理学・医学上で用いられる催眠を催眠術と混同させるような統合提案には反対です。。--利用者:maruchan125 2008年9月14日 (日)  

「催眠を催眠術と混同させる」かどうかは、記述しだいではないでしょうか。統合した状態の本記事のなかでも、混同させることは回避できると思います。学術的な催眠と素人催眠家による催眠との違いや、後者の危険性を啓蒙する記述があれば、より質の高い記事になりますし。私に専門知識が足りないため、統合後の整理の際、催眠と催眠術の区別をあえて防衛的に曖昧にした部分もあります。maruchan125さんがそれらの学会の見解を加筆していただければ、かなり改善されるのではないでしょうか? もうすこし統合を待ってもよかったという点は否定できないですが、すでにやってしまいましたので、(分割せず)現状の記事を改善する方向が望ましいと思います。--ɯhɥm 2008年9月14日 (日) 12:22 (UTC)[返信]
これはお願いなのですが、加筆される際は、整理のときに忘れてしまったので、
{{DEFAULTSORT:さいみん}}
も書いておいていただけるとありがたいです。
--ɯhɥm 2008年9月14日 (日) 12:49 (UTC) 告知のついでに対処しました--ɯhɥm 2008年9月15日 (月) 01:10 (UTC)[返信]
統合の件は済んでしまったので仕方ありません。
PCの調子が悪く、心理学上の、催眠と素人催眠について書いたのが消えてしまいました。なお、今月はまとまった時間が取れないため、本文に加筆修正はしません(来月少しずつやります)。このノートにのみ書きます。
学術上の催眠の明確な定義は定まっていませんが、最近は次のように分けられる傾向があります。
1.1 医師、臨床心理士(大学院生を含む)、カウンセラー(産業カウンセラー、カウンセリング学会認定カウンセラー等準公的な有資格者)、教師、看護師(大卒以上)、保健師(大卒以上)、精神保健福祉士(大卒以上)等の対人援助専門家による催眠を、「臨床催眠」と呼びます。
1.2 上記の専門家や心理学者(臨床心理学以外の心理学専攻の専門家)による催眠に関する実験を「実験催眠」と呼びます。
2.1 素人催眠家(民間療法家のうち専門教育を受けていないか専門知識を有しない者)による催眠療法を一般的に「ヒプノセラピー」と呼んでいます。(学術上は、「催眠術」と同列視する否定的見解が多くなっています。)
2.2 催眠術師による被催眠者に対する配慮を欠いた催眠を娯楽のための催眠=「催眠術」とみなして、危険視しています。--maruchan125 2008年9月14日 (日) 16:21 (UTC)

催眠研究の歴史

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イギリスの医師ジェイムズ・ブレイド(James Braid, 1975-1860)は、メスメル以後の治療を技法(言葉、パスという身振り、接触)と道具立て(バケツ、奇抜な衣装、暗い部屋、音楽、熱狂)、治癒対象(麻痺や失神を伴うヒステリー)に分類した。彼は凝視法により、被験者を催眠へ誘導した。これは被験者に一点を見つめるように指示をすることで、術者の声へ集中させ、術者の暗示を受け入れやすくする方法である。つまり、動物磁気を使わずに催眠状態が生じることを実証したのである。また、視覚障碍者にも凝視法の暗示を用いて催眠へ誘導し、これにより催眠が心理現象であることを示した[1] 彼は、暗示により神経系の眠りを引き起こすと考え、1843年に催眠(ヒプノシスまたはピプノチズム)と名付けた[2]

精神医学者のジャン=マルタン・シャルコー(J. M. Charcot, 1825-1893, フランス)は、ブレイドの研究を読んで、催眠に関心を持った。19世紀後半は、ヒステリー(英:hysteria)が医学的に最大の関心事であったためである。ヒステリーは、ラテン語のヒュステラ(husterā、子宮)から派生した言葉で、当時は女性だけがなるものと思われており、失神、麻痺、けいれん、拒食など重い症状を示すものだった。 シャルコーは、1861年からパリにあるサルペトリエール病院の院長を務めた。シャルコーは患者を見つめることでヒステリーを生じさせ、それを消した。症状の発生と消滅という医学的成果を成し遂げたのである。 サルペトリエール病院は女性の精神障害、政治犯、犯罪者、売春婦を収容する病院で、患者数4000人に医師は10人で、治癒率10%以下だった。病院という名の収容所であった。 シャルコーは病院の講堂で実演を公開したが、発表会には流行病の治療法を見るために、医者だけでなく、貴族や新聞記者、小説家たちも駆けつけた。正式の研究発表なので、シャルコーはシルクハットに燕尾服姿で現れた。会場に連れてこられた患者をシャルコーが見つめると、患者はヒステリーを起こした。現在の視点から言えば、患者は突然、みすぼらしい姿のまま病院の講堂に連れてこられて、立派な服装をした大勢の人の前に立たされ、会ったこともない病院長に見つめられたのである。患者はパニックを起こしたと考えられる[3]。シャルコーは、メスメルから技法と道具立てと治療対象を引き継いだと言える。彼の姿やしぐさは、後に吸血鬼ドラキュラや「邪眼(evil eye)」による隷属をテーマにした小説の元となった。

アンブロワーズ=オーギュスト・リエボー(Ambroise-Auguste Liébeault, 1823-1904)は、フランスのナンシー地方の開業医であった。男性も女性も、若者も高齢者も、農民にも貴族にもヒステリーなどの催眠治療を行わなければならず、数千人を治療した。そこから催眠は言語暗示だけかかり、催眠中の動作や記憶の再生は、すべて患者本人が行っていることを示した。催眠はヒステリー以外の心の病にも有効であることを示した。ナンシー学派と言われている。現代の催眠研究の基本的立場である。

1880年ごろ、ウイーンの医師ヨーゼフ・ブロイアー(Josef Breuer,1842-1925、オーストリア)は、催眠は症状の消滅だけでなく、年齢退行によって症状の原因を探ることができることを示した。

精神分析のジークムント・フロイト(Sigmund. Freud, 1856-1939、オーストリア)は、シャルコーのもとで催眠を学び、フランスのナンシーで催眠による一般人向け治療技法を学んだ。その後、ブロイアーと症状の原因を探る共同研究をした。彼は、後催眠暗示を見て無意識という概念を編み出した。年齢退行からは、退行という概念を作った。また、原因となる記憶を思い出せば、症状がなくなる現象をカタルシス浄化)と名付けた。さらに、催眠状態に誘導しても症状の原因を思い出すことが難しい例があることから抑圧という概念を生み出した。そのような患者に対しては、ナンシー学派のベルネイム, H. を参考にして、覚醒状態で患者の心に浮かんだことを自由に述べさせた。これを自由連想法と名づけた。その後、催眠を用いて記憶を開放する方法を止め、覚醒状態で分析をする精神分析を打ち立てた。

第1次、第2次世界大戦は、無感動、衝動的攻撃行動、麻痺、健忘など戦争神経症(war neurosis)の兵士を大量に生み出した。催眠療法が兵士の症状除去、記憶回復に使われ、短期的には症状除去できたと言われている。これが第二次世界大戦後の催眠研究の隆盛に影響を与えることになった。 この時期、ベルリン大学のヨハネス・ハインリヒ・シュルツ(J.H. Schultz)は、自己暗示を組織化した自律訓練法を提唱した(1932)。リラクゼーション法として現在でも使われている。 森田正馬(もりた・まさたか, 1874〜1938)も当初、催眠暗示療法を試みたが、その効果に疑問を抱き、神経症、不安障害を対象とする森田療法を創始した(1919年)。

第二次世界大戦後の日本の催眠研究

1946年、アメリカ教育使節団の一員としてスタンフォード大学心理学部長のアーネスト・ヒルガード(Ernest R. Hilgard, 1904-2001)が来日し、催眠とプログラム学習を紹介した。アメリカ教育使節団は、社会科の創設、男女共学、6・3・3制、PTAの導入など戦後教育に大きな影響を与えている。彼が紹介したプログラム学習は、漢字ドリルや計算ドリルとして教育界へ広がり、定着している。 ヒルガードの著書は、世界的に有名な心理学の教科書であり、日本でも「ヒルガードの心理学」(金剛出版)として長年出版されている[4]。催眠の導入や催眠の状態の説明、運動制御・記憶・後催眠健忘などが解説されている。彼は催眠感受性の測定を大規模に行い、533人の測定結果も掲載されている。

成瀬悟策(1924-2019、東京教育大学、九州大学)は、知覚心理学の小保内虎夫(1899—1968)指導の下で後催眠状態における心象研究を行っていた。アメリカにおける催眠研究の隆盛を受けて、催眠の技法、理論の紹介、治療へ応用を始めた[5]。成瀬が多数の研究者に催眠を教えたおかげで、催眠時における睡眠と催眠の状態・差異に関する脳波研究や催眠状態と瞑想に関するの研究、年齢退行を用いた記憶研究などが行われた。教育では、集中力を高めることで学習の促進を試みたり、児童のあがり、赤面、食べ物の好き嫌いへの対処などで催眠が使用されたりした。特別支援教育では、脳性マヒ児のリハビリテーション時の痛みを軽減するために利用された。

当初、医療の分野では、痛みや出血を抑えるために導入されたが、麻酔技術の進歩にともなって催眠の利用は廃れていった。睡眠研究では、睡眠に4段階あり、さらにREM期もあることが分かり、催眠や瞑想との関連を明確にできないままになっている。教育の分野では、催眠をかける手間が課題となり使われなくなっていった。リハビリテーションの分野では、早期発見・早期治療が進み、筋肉が萎縮する前にリハビリテーションを行うようになったため、無痛を求める必要がなくなった。


催眠は、臨床心理学や医学の一部で研究されており、援助法の一つとして取り上げている心理学の教科書もある[6]。また、教育の分野では、教師の指示が明示(明確な指示)から暗示へ変化している。指示の変化と児童・生徒の自主性との関連や教員養成における明示と暗示の教育が必要になっている。


--Muranoi, H.会話) 2020年9月19日 (土) 09:50 (UTC)--Muranoi, H.会話) 2020年9月22日 (火) 09:39 (UTC)--Muranoi, H.会話2020年10月2日 (金) 07:06 (UTC)[返信]

  1. ^ ポール・ショシャール著、吉岡修一郎、新福尚武訳『催眠と暗示』改訂新版、白水社、1970、p.57
  2. ^ ギブスンH. B., 著、林茂男訳『催眠の科学と神話』、誠信書房、1982、iii、日本の読者へのメッセージ
  3. ^ 鈴木昌「フロイト以後① 見る者・見られる者」『読書人の雑誌 本』、1,46-52.講談社、1991
  4. ^ スーザン・ノーレン・ホークセマ、バーバラ・フレデリックソン、ジェフ・ロフタス、クリステル・ルッツ著、内田一成訳 『ヒルガードの心理学』、第16版、 金剛出版、2015、isbn= 978-4772414388
  5. ^ 成瀬悟策『催眠面接法』誠信書房、1959
  6. ^ 野島一彦編著『臨床心理学への招待』、第2版、4章2節4項「催眠・自律訓練法」、ミネルヴァ書房、2020年