コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:儀礼的無関心

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

情報源求む

[編集]

この儀礼的無関心というマナー、実感として、1980年代までは日本にもあったと思うのですが、情報源がありましたらお寄せください。Uryah 2011年3月18日 (金) 12:14 (UTC)[返信]

参考情報

[編集]

「見知らぬ者どうしのコミュニケーション」について言及があります。

  • 『コミュニティを問い直す―つながり・都市・日本社会の未来』 2009年出版の本
    • pp.18, 17 (9 - 27):「見知らぬ者どうしのコミュニケーション」。現在日本の「生きづらさや閉塞感の根本的な背景になっている」もの。
    • pp.30 - 33.:見知らぬ者どうしのコミュニケーションについて、「ヨーロッパなどの街と日本の街との、ある意味で根本的な違い」。「現在の日本の都市、とりわけ東京などの大都市圏において」「ヨーロッパや、あるいはヨーロッパに限らず、世界の街のかなりの部分と対比」して「非常に顕著なこと」。
    • pp.33, 34, 35 (33 - 37).:「実際、日本人は仲間といっしょにグループでいるとき、他の人々に対して実に冷たい態度をとる」。

Uryah 2011年7月24日 (日) 05:39 (UTC)、2011年8月2日 (火) 11:26 (UTC)[返信]

  • 外に対する敵対的意識」:ウチ(仲間内)には(絶対に)しない「酷いこと」ことをソトに向かってするのは平気。ソトに向かって人間としての素朴レベルの気遣いをしない人(行為)が、公共空間で閉塞感を生みだしている。閉塞感の源になっている。

Uryah会話2014年4月25日 (金) 22:51 (UTC)、2014年4月28日 (月) 01:02 (UTC)[返信]

求む情報源

[編集]

1960年代アメリカでゴッフマンが言った『儀礼的無関心』と、2000年代日本で言われるインターネット上での『儀礼的無関心』は、言葉は同じでも表現されようとするものが微妙に違うような気がするので、典拠になる情報源がありましたらお寄せください。

なぜ/どう違う気がするかというと、

ゴッフマンが言った『儀礼的無関心』は都会での関係のない者同士の間の礼儀・理に適った振る舞い方のことで、たとえば朝始業に間に合おうと急いでいる時/人と代休を取って密かな優雅感を覚えている時/人とでは事情も気持ちも違う、早く出発できた時/人と遅くなってしまった時/人とでは違う、障害(トラブル)や急な用件の知らせを受けて急いでいる時/人と本日のすべての予定をクリアている時/人とでは違う、行く先も、何をしたいのか/しなければならないのかが違う、事情も用事も異なった不特定多数の人々がたんにすれ違う場所、でも移動とか食事とか観劇とかの行為は同じくする人たちがたんに居合わせる場所が公共空間で、そこでの赤の他人同士の礼儀に適った振る舞い方(の1つ。文化や時代による)がゴッフマンが言おうとした『儀礼的無関心』。 田舎・村の域内での他人との関係(観)は仲間内かヨソモノ(ストレンジャー)で味方か潜在的な敵に分かれ、都会・都市の雑踏での他人との関係・関係観は知っている人とたんに知らない人とに分かれる、知っている人よりも知らない人のほうが圧倒的多数の状況に生活の必要上から集って居合わせ隣り合わせることになっているのだから、お互いに「我々の場所に侵入してきたヨソモノ」の関係ではないのが「都会」。仲間内の気づかいとは別に、知らない者は客(ゲスト)か敵に別れるのが村・田舎で、仲間・知っている者同士の気づかいとは別に、見ず知らずの他人同士(として)の気づかい・マナーが生まれるのが都市・都会である、そこをたたずまいとして自然にそこを切り替えることなく、田舎の観で都会へ行ったり都会の観で田舎へ行くと軋轢が生じる、という話も聞いたことがあります。

一方、インターネット上の世界は上記とは違って、インターネットは、見る人は何かを見よう・読もうとしてアクセスするのだし、開示しておく人は、セキュリティの失敗とか破られたとかでない場合は、見られよう・読まれようとする意図が皆無ということはありえない(本当に見てもらっては困るものはプライベートに置いておけばいい、PCならスタンドアロンで、PCである必要がなければ紙に鉛筆で書いて隠しておくはず)、でも、見た人が過剰に反応したりしがみつかなくても(?)いいじゃないか、というのが2000年代日本で言われている『儀礼的無関心』。

以上のように、言葉は同じでも表現されようとするものが微妙に違うような気がするので、もし、典拠になる情報源がありましたら、下記の一文の変更を提案します。

  • 現:「もともとは物理的な公共空間でのマナーについての概念であるが、Webサイト間の無断リンクの是非の論争の一環として、インターネット上でも儀礼的無関心が求められるべきではないのかということが議論されることがある」
  • 新:「以上は物理的な公共空間でのマナーについての概念について使われる『儀礼的無関心』という言葉であるが、インターネット上の概念にも、Webサイト間の無断リンクの是非の論争のなかで『儀礼的無関心』という言葉が使われる」

Uryah 2011年11月2日 (水) 21:29 (UTC)、2011年11月4日 (金) 19:53 (UTC)[返信]

ご参考

Uryah 2011年11月2日 (水) 21:29 (UTC)[返信]