ノート:儒教
ここは記事「儒教」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
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仮見出し
[編集]「儒教の創始者は、春秋時代の孔子である」と言う文が多少引っかかります。孔子は思想の体系化を行ったと理解していますが、実際はどうなのでしょうか?Haguii 23:39 2004年2月7日 (UTC)
単に議論をふっかけるのではなく、まず儒教の創始に関する、あなたの考えは何かをはっきりのべないと、まともな論議にもなりません。
「儒教の創始者は、春秋時代の孔子である」と良く言われるが、この説の根拠がわからない。孔子以前にも儒が有ったと思う。Haguii 02:35 2004年2月8日 (UTC)
「儒教の創始者」は孔子で良いんじゃないですか?孔子以前にも「儒教のような考え方」があってそれを孔子が整理体系化した、とか書いておけば良いと思います。らりた 03:03 2004年2月8日 (UTC)
- ありがとうございます。そうだったら、「儒教の起源についての推測説で、・・・」以降の文章を前に持ってきて「孔子が整理体系化した」と修正したほうがいいような気もします。Haguii 03:15 2004年2月8日 (UTC)
「孔子以前にも儒が有ったと思う」とHaguiiさんが思うのは勝手ですが、個人の考えを記事に混ぜないでくださいね。
孔子以前にも儒教のような考え方があったのは間違いないです。ただ起源がどこかと言うと雲をつかむような話なので特定はまず無理では・・・。日本人が迷信深くなったのは何時ごろかと聞いているようなものですから。追加 記事の中に書いている説は孔子自身も紀元前の人なんですが。らりた 06:39 2004年2月8日 (UTC)
間違いないという、その根拠・典拠は何ですか。らりたさんの思い込みならやめてください。
- 孔子が儒教を創始したという根拠・典拠が無い限り、それ以前に儒があったということは否定できません。それと発言には~~~~をつけてくださいHaguii 07:34 2004年2月8日 (UTC)
- 「インドでは釈迦以前にすでに仏教的な主要な思想は見受けられる、したがって仏教の創始者は釈迦ではない」と仏教者に言って受け容れられると思いますか?
一般に儒家、儒学者とよばれる人々が孔子を創始者とみなしている以上の理由が必要とは思われません。儒教の文脈では唐虞の治世は儒教的政治の理想ですが、孔子を差しおいて唐や虞を儒教の創始者だという儒者はいません。(Setomanko 18:23 2004年2月8日 (UTC))
- 「インドでは釈迦以前にすでに仏教的な主要な思想は見受けられる、したがって仏教の創始者は釈迦ではない」と仏教者に言って受け容れられると思いますか?
- キリスト、マホメット、釈迦の場合は、神の啓示や悟り(の自己宣言)を根拠にできるが、孔子の場合は何がそのようなことに該当するのでしょうか?Haguii 14:34 2004年2月9日 (UTC)
- 史記や春秋を読めば間違いないと思えるのですが。具体的に例を上げれば晋の文公の所で「私は父の喪を営む事も出来なかった不孝者です。君主になる資格があるとは思えません」と答えている所とか。らりた 07:36 2004年2月8日 (UTC)
史記はいつ作られたのかな?
春秋は誰が作ったのかな?
孔子以前に書かれた儒教の書籍は残っていますか?
- 2つのお願い (1)まじめな回答にたいし茶化さないでください。(2)発言の最後には~~~~をつけてください。Haguii 08:00 2004年2月8日 (UTC)
「関連項目」を附加しました。
儒教の発生については、白川静氏の『孔子伝』第2章〜儒の源流が参考になるかと。「創始者」という表現を避けるなら、「大成者」というのはどうでしょうか。孟子も万章下篇で、「集大成」と言っていますから。two_yossy
「仁」の箇所ですが、「孔子以前には、「おもねること」という意味では使われていた。」とありますが、白川静『孔子伝』によれば、孔子以前は、「狩衣姿も凛々しい若者のたのもしさをいう語」だそうですが。Hanmu 2005年6月28日 (火) 01:23 (UTC)
- 情報を追加することにします。Hanmu 2005年7月2日 (土) 04:33 (UTC)
記事の順序
[編集]ゴチャゴチャと儒教の歴史を上部に持ってきてるのは非常に読み辛い。下部の儒教の教えについてをもっと上に持って来るなど工夫すべき。--以上の署名のないコメントは、61.7.2.217(会話/Whois)さんが 2006年5月19日 (金) 06:12 (UTC) に投稿したものです。
再構成
[編集]可読性から、節「日本」は日本の儒教へ移動しました。また、教説の箇所で日本語の文章として未完成な箇所があります。編集協力をお願いします。議論はこちらでお願いします。--西方 2011年11月7日 (月) 10:05 (UTC)
関連項目について
[編集]2011年11月11日 (金) 14:42 の180.1.8.145氏の編集についてですが、関連項目のうち、たとえば「哲学」とか「道徳」とかいったあまりに一般的なものは可読性の観点からも頁全体が無闇に長くなり、冗長になるので、適切とは思われません。最低限のものでいいのではないでしょうか?あるいは、段組にするとか、他に方法もあるかと思いますが、議論はこのノートでお願いします。--西方 2011年11月12日 (土) 01:34 (UTC)
また、儒学者一覧などは、本文のなかに節として新たに組みこんでいます。重複になりますので、無根拠な差し戻しはおやめください。--西方 2011年11月12日 (土) 01:36 (UTC)
お願い
[編集]どういう事情があるのかよくわからないのですが、非常に読みにくくなっています。たとえば敬体と常体が混ざっている、文意が明らかではない、など。
>儒教は、宋代以前の「五経」を聖典としていた時代です。宋代以降に朱子学によって国家的規模での宋明理学体系に纏め上げられてい。宋明理学の特徴は簡潔に述べるならば、「修己治人」あるいは、『大学』にある「修身、斉家、治国、平天下」であり、「経世済民」の教えである。
全く簡潔ではありませんし、何を言っているかもわかりません。「概要」がこれでは、ほかの部分も読む気になれません。「教典」の部分で一部地の文に旧字体を用いているのも意図がわかりません。
>子日く、詩に興り、礼に立ち、楽に成る。孔子曰く、禮に非ざれば視ること勿かれ、禮に非ざれば聽くこと勿かれ、 禮に非ざれば言うこと勿かれ、禮に非ざれば動くこと勿かれ。周礼は五礼て、つまり吉礼、兇礼、賓礼、軍礼、嘉礼です。吉礼によつて国家の天神、祖霊、地神を祭り、兇礼によつて国家の苦難を哀憚し、救う。賓礼によつて周玉室と他国あるいは国家間を友好親箸たらしめ、軍礼によつて国家同士を脇調させ、嘉礼によつて万民を互いに和合する。[8]五礼のうち、とくに吉礼(祭祀)、兇礼(喪葬〕、嘉礼(冠婚)などを中心として取り上げ、殷周信仰や古来の習俗。
おそらく文の一部が何らかの原因で欠落しているように思います。訂正を入れようかとも思ったのですが、東アジアに関してはさっぱりなので直しようもありません。知識のある方、できれば直していただきたく思います。--カラジチ 2012年1月2日 (月) 10:53 (UTC)
全体的に不自然な日本語が見られます
[編集]おそらく中国の儒教に詳しい方が書き込んだのしょうか? 既にノートでも指摘されていますが、明らかに日本語がおかしい部分が多々見られます。 情報自体は精緻で、詳細な分、不自然な日本語が残念です。 一応、今回は「冠服制度」という部分だけ、日本人の日本語で書き直しました。 しかし、後半の部分が意味不明で訳しきれませんでした。 「虞皇」とはなんのことなのでしょうか?日本語で検索しても出てきません。 詳しい方がいれば、代わりに再編してください。--利用者名の基準厳しすぎるわボケ(会話) 2015年11月29日 (日) 00:30 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「儒教」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月26日 (火) 05:50 (UTC)