ノート:内田秀男
トランジスタの発明について
[編集]内田氏がトランジスタをショックレーらより先に発明したが、GHQによりもみ消された旨は根拠がありません。59.146.103.119 2006年4月21日 (金) 07:23 (UTC)
- あくまで「説がある」「信憑性は低い」ということなので、これでOKなのではないでしょうか。
- それより、「工学博士」の取得先が不明で、特許大学だという噂もあるようなのですが。Kadzuwo 2006年10月23日 (月) 19:59 (UTC)
表題は内田氏の「トランジスタの発明」としていますが、厳密に言えば「増幅作用のある鉱石検波器」と解した方が宜しいのではないのでしょうか。内田氏は1948年に「無線と実験」に(鉱石で増幅ができるのか)「この種の研究が多方面で行われている」旨の内容の記事を書いております。
だいたい出典を確認しました
[編集]ウェブアーカイブから確認できるページ(以下、生命エネ研ページ)にある、「三洋電機(株)社内報」以外はだいたい確認できたと思います。以下、私が手を入れる以前にあった記述を引用し(一部タグを編集)、それの問題点を指摘しておきます。
- トランジスタの発明は、技術通史ではショックレー、バーディーン、ブラッテンによって1948年6月になされたことになっている。しかしこのトランジスタと同等の鉱石増幅器を内田秀男がトランジスタの論文発表の半年前に発見していた逸話が伝わっている。(ref: 無線と実験1954年7月号、おとなの工作読本No.11に再録)内田秀男の発見は上司の無理解によって発表の機会が失われた、もしくは米軍占領下の日本という状況下でGHQの検閲に合い未発表となった云々という。
再録された記事には、ゲルマニウムダイオードを改造する話は載っていますが、先発見に関する記述は全くありません(再録元も確認しました)。『初歩のトランジスターラジオの研究』(以下、杉本本)には、上司ともGHQともかかれておらず、'67年版に「ある人」とあるのみです。妨害された云々は、『おとなの工作読本』で新たに書かれた部分に、ほぼ憶測的に書かれているに過ぎません。
- 他にも、テレビに白い斑点が出現することから、アメリカの原子爆弾が新型爆弾であったことをいち早く発表したことでも有名。しかし、この時も旧日本陸軍により、「士気の低下につながる」として発表に制限を受けた。
杉本本、生命エネ研ページのどちらを見ても、これは戦後の核実験の際に確認したもの、とあり、広島ないし長崎で実戦使用された原爆の話でもなければ、帝国陸軍なぞその時には存在しません。全くのデタラメの話のように思えますが、それが「有名」とは、全く首を傾げます。仁科博士の逸話あたりとの混同でしょうか?
--MetaNest(会話) 2012年6月29日 (金) 22:53 (UTC)(忘れてたのであとから署名)