ノート:出口康夫

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緊縛シンポジウムの記述について[編集]

まず経緯を整理します。

  1. 2022年11月、私(Vetalapancavimsatika)が、「緊縛シンポジウム」についての記述を新設する[1]
  2. 2023年7月18日、Ttps1124さんが、要約欄で問題点を指摘しつつ記述を改訂[2]
  3. 2023年7月19日(本日)、私の方で記述を再改訂しました。Ttps1124さんのご指摘自体はありがたいのですが、改訂内容について以下の疑義があったためです。
  • 疑義1 「研究不正」「炎上」という言葉は、出典の河原2022で使われている表現です。ウィキペディアには「Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」というルールがあるので、出典中の表現を編集者の独断で否定することは避けるべきです。
  • 疑義2 「研究不正」の主体が出口氏でなく登壇者(報告者)の方だったとしても、河原2022p.72に以下の記述があります。「ここで語られた偽史は、報告者の責のみに留まるものではない」「出口氏にはこの偽史の流布についての重い責任があるはずである。
  • 疑義3 動画削除時の謝罪の主体には出口氏も含まれています。根拠:出典の朝日新聞の第四段落、および2021年12月の謝罪文の第三段落。
  • 疑義4 2021年12月の謝罪文には出口氏の署名があります。これを出典としながら「シンポジウム登壇者による謝罪文」とするのは合致していません。

以上を踏まえた上で再々改訂の必要があればしてください。--Vetalapancavimsatika会話2023年7月19日 (水) 06:47 (UTC)[返信]

ありがとうございます。
>「研究不正」「炎上」という言葉は、出典の河原2022で使われている表現です。ウィキペディアには「Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」というルールがあるので、出典中の表現を編集者の独断で否定することは避けるべきです。
河原2022は、(言わば論争の当事者による)一方的な指摘であり、学界において公的に認定されたものではありません。繰り返しになりますが、
・特に「研究不正」という語は研究者にとっては犯罪に等しい非常に重大な表現であり、このような一方的な指摘を元に記述をすべきではありません。
・そもそも、「出典への配慮が十分ではない」「先行研究の理解に誤りがある」という河原氏の指摘は、一般的に「研究不正」と表現されるようなものではなく、また発表を行った本人以外に「研究不正」の責を負わせることは学界の慣習に反しています。
・河原氏の発言のみを元にこのような表現をすることは、名誉毀損等にあたる可能性があります。
以上の理由により、研究不正等の記述は再び削除させていただきます。以下の点については、私の見落としです。
  • 疑義3 動画削除時の謝罪の主体には出口氏も含まれています。根拠:出典の朝日新聞の第四段落、および2021年12月の謝罪文の第三段落。
  • 疑義4 2021年12月の謝罪文には出口氏の署名があります。これを出典としながら「シンポジウム登壇者による謝罪文」とするのは合致していません。
--Ttps1124会話2023年7月19日 (水) 18:56 (UTC)[返信]
補足です。
「剽窃」の条件には、他者のアイデア・表現等を「自分のものとして」発表するという点が含まれています。当該の発表は、通常の学術発表等とは異なり、(非専門家による)緊縛史の「ミニ講義」という形式です。すなわち、オリジナリティの主張はほとんどなされていないとも判断できます。これを学会発表や論文投稿と同様の「剽窃」とすべきかどうかについては慎重に判断されるべきです。
参考までに、河原2022による指摘についても、以下のような留意があります。ここから見てもわかる通り、他者の仕事を「剽窃」とし、「研究不正」扱いすることについては、状況・慣習などを考慮した、非常にデリケートな判断が要求されます。さらに「ただ、このような操作が報告者本人によるものなのか、主催者である出口氏からの指示によるものなのかは不明である。 」の部分に至っては根拠のない印象操作といってもよい疑念です。
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『緊縛の文化史』が出典として示されていなかったことから、筆者は note②において、 これを剽窃という研究不正として批判している。しかし、発表者は哲学者であり、哲学分野における参考文献表示の慣習について、筆者は習熟しているとは言えない。筆者の専門である日本史学は、おそらくこの点についてかなり厳格であり、知人の研究者に確認したところ、全員がこれを剽窃と判断した。しかし、哲学ではこの程度は許される、という可 能性はあり得るだろう。そこで客観性を保つため、筆者が剽窃と判断した要素について補 足しておく。「ミニ講義」においては、参考文献の表示が一切省略されていたわけではな く、報告内で引用された写真や浮世絵、事例にはほぼすべてに出典が示されていた。画像 や写真の出典元として適切とは言えない、Twitter やウィキペディア、個人ブログからの 引用もあったが、水越ひろ『写真で覚える捕縄術 とりなわじゅつ 』からの写真引用は、きちんとページ数 まで明記されていた。このような発表資料において、『緊縛の文化史』だけが明記されて いなかったため、筆者はこれを剽窃と判断するに至った。ただ、このような操作が報告者 本人によるものなのか、主催者である出口氏からの指示によるものなのかは不明である。 --Ttps1124会話2023年7月19日 (水) 19:20 (UTC)[返信]
重ね重ねすみません。追記です。
問題の箇所について、「登壇者による発表について、研究不正の可能性があるという指摘がなされ」等、以下の点に配慮した記述であれば問題ないと思います。
1.「研究不正」が確定したものであるという印象を抱かせないこと
2.(主催者・指導者として責任の一端はあるにせよ)本人による発表についてのものではないこと
以上を踏まえまして、もし改訂が必要であればお願いします。--Ttps1124会話2023年7月19日 (水) 19:56 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。つまり「Wikipedia:検証可能性」よりも「Wikipedia:中立的な観点」「Wikipedia:存命人物の伝記」を優先させるべき、と受け取ってよろしいでしょうか。個人的には、日本倫理学会で取り上げられ、当事者が謝罪までした状況で「一方的な批判」「学界に公認されていない」とするのには首肯できませんが、現在の記事内容で妥協可能なので妥協します。「登壇者による発表について~~」とする案も良いと思いますし、現在のままでも良いと思います、この点についてはお任せします。--Vetalapancavimsatika会話) 2023年7月20日 (木) 15:42 (UTC)校正--Vetalapancavimsatika会話2023年7月20日 (木) 15:47 (UTC)[返信]
ありがとうございます。念のため補足です。
まず前提として、研究になんらかの問題があり、謝罪を行ったということと、「研究不正」という事態は別物であると考えるべきです。研究不正は以下の文科省のガイドラインにあるとおり、調査委員会等による厳格な検証により認められるものであり、認定されれば科研費応募の制限や、所属機関での処分が下るものです。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu12/houkoku/attach/1334651.htm
今回の件はこのいずれもが実行されていませんし、学会のシンポジウムで取り上げられて審議されるようなものでもありません。
また繰り返しになりますが、本人の明確な関与が証明されていない研究についての(なんらかの責任ではなく)「研究不正」が認定されることはありません。
(ちなみに、本筋ではありませんが、学会のシンポジウムの予稿を見る限りでは、研究倫理上の問題は指摘されておりますが、「研究不正」の指摘は主な論点ではありません。https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/86362/cpnl_4_054.pdf
上記を踏まえてご返答しますと、河原氏による一連の指摘は「研究不正」があったことに対する「Wikipedia:検証可能性」をも満たしていないと判断します。研究不正の認定に値する信頼できる情報源は、調査委員会による報告のみです。これは、犯罪を行ったことのソースが、最終的には裁判所の判決に拠ることと類比的かと思います。--Ttps1124会話2023年7月21日 (金) 00:36 (UTC)[返信]