ノート:別府3億円保険金殺人事件
この記事は2010年8月21日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
この「別府3億円保険金殺人事件」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2020年8月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
2. | 2020年10月27日 | 査読依頼 |
「A」の実名記載について
[編集]この記事では、初版から一貫して犯人をイニシャルで「A」と表現しています。
上告中に被告が死亡し控訴棄却となった事件であるため、死刑判決が確定した例などとば別扱いすべきという考えがあるのかもしれませんが、ネット上に見られるこの事件に関する記事では実名が明記されているものが一般的であると思います。「別府3億円保険金殺人事件」で検索してウィキペディアのこの記事より上位に来るふたつのページはいずれも実名を明記しています。
また、この記事以外のウィキペディア日本語版の記事の記述でも実名をあげてこの事件に言及している例があります(特別攻撃隊#元特攻隊員の著名人 - Aは詐称者として言及されている)。
この際、実名による記述を行なうべきではないかと考えたのですが、何らかの過去の経緯があってこのような書き方になっているのかもしれないと思い、ノートでコメントすることにしました。もし、これまでの経緯で、イニシャルによる表記を続けるべきだという必然性があるようでしたら、ご教示いただければ幸いです。
特にコメントがなければ、2週間程度をおいてから、実名記載を行ないたいと思います。ご意見をよろしくお願いいたします。--山田晴通 2011年11月17日 (木) 13:04 (UTC)
2013年11月にあるIPユーザーによってこの事件の加害者の記述がAから実名に差し替えられています。この事件は1970年代の事件であり、加害者は逮捕直前にテレビに出演している事から削除依頼は提出しませんが、この事件の加害者の実名記載は問題ないのでしょうか?--ディークエステン(会話) 2014年1月8日 (水) 16:58 (UTC)
元被告人は、逮捕前にテレビ出演しているほか、裁判中に週刊誌で手記を発表しています。元被告人については、削除の方針で「伝統的に認められている例」として挙げられている「犯人または犯罪の被疑者・被告人・元被告人(受刑者・死刑囚など)が、自著・刊行物などで公開し、本人による公開の意思が明らかに認められる実名」に該当します。配慮が必要とすると同姓と思われる長男ですが、すでに50年近く前の事件であり、事件後に県外の祖父に引き取られていますし、それほど珍しくないありふれた姓でもあることから、加害者の実名を記載することで長男のプライバシーを侵害するとは考えにくいです。削除は不要で、実名記載も問題ないと思われますが、いかがでしょうか?--Semiprecious stone(会話) 2019年11月23日 (土) 12:22 (UTC)
- 特攻隊に焦点を当てた日高恒太朗氏の『不時着』では、第1章に当たる部分(「××××(元被告人の姓名。念のために伏字)特攻伝説」)で元被告人の事が扱われています。そこで「××××の最後の愛人」と呼ばれた女性にも取材しているのですが、彼女は元被告人の結婚を知ったのが事件報道の後であり、ずっと旧姓で呼んでいます。この旧姓も公開可能でしょうか? また、出身地では「〇〇(カタカナ2文字)兄」と呼ばれていた、との事で、地元の方がそう呼んでいます。こちらも公開して大丈夫でしょうか? --ダイドー少尉(会話) 2019年12月15日 (日) 10:12 (UTC)
- 佐木隆三氏の『一・二審死刑、残る疑問 別府三億円保険金殺人事件』(1985年、徳間書店)を購入しました。まだほとんど読めていませんが、元被告は佐木氏に刊行を迫っており、「(逮捕後も)裁判で(被告として)争っている」という実情を自ら公開している、と言えると思います。また、同書では旧姓についても書かれていましたので、こちらも公開して問題ないと思います。--ダイドー少尉(会話) 2019年12月20日 (金) 13:32 (UTC)
- Aの実名記載が問題ないとするなら旧姓を記載しない理由はないのではないでしょうか。「〇〇兄」については、これからAの実名を類推することはほとんど不可能ですから、Aの実名記載の可否にかかわらず記載して問題ないと思います。--Semiprecious stone(会話) 2019年12月21日 (土) 13:58 (UTC)
- ありがとうございます。
- 『一・二審死刑、残る疑問 別府三億円保険金殺人事件』読了しましたが、元被告が佐木氏を通じて積極的に情報公開をしていたのは明白ですので、氏名記載は問題ない、と判断しました、近日中、遅くとも今月中には本文等に反映させたいと思います。--ダイドー少尉(会話) 2020年1月2日 (木) 06:03 (UTC)
- 実名記載をいたしました。--ダイドー少尉(会話) 2020年1月26日 (日) 13:54 (UTC)
実名記載について
[編集]上告(二審)中の被告(念のため、この節では匿名)が、積極的に作家の佐木隆三氏に働きかけ、その内情を佐木氏を通じて発信されることを望んでいた[* 1]のは、以下の通り明白であり、WP:DP#B-2「犯人または犯罪の被疑者・被告人・元被告人(受刑者・死刑囚など)が、自著・刊行物などで公開し、本人による公開の意思が明らかに認められる実名」に該当する。
事件を取材した佐木氏は、『三億円のダイビング』(『問題小説』1978年9月号掲載。1979年5月徳間書店刊行の『事件百景』に収録)を執筆した。これを知った被告が、一審(1980年3月28日判決)後の同年5月7日付けで佐木氏に手紙を出した(この時点では実際に被告は読んでいない模様だが、「綿密な取材をしていないに違いない」という激しい抗議だった)。佐木氏の取材時は係争中であり、裁判記録の閲覧もできず、十分な取材ができなかった、と心残りであった(面会も拘置所側に断られている)[* 2]。
佐木氏は「事実に近づきたい」と考え、「取材のやり直しなら何度でもしたい」と被告に伝えた[* 3]。これを機に両者の交流が始まり、1980年5月から85年6月までに佐木氏が受け取った手紙及び葉書は100通を超え、送られてきた裁判記録等はスチール製ロッカー一杯になった[* 4]。この資料を元に、佐木氏は『問題小説』に1981年8月号から82年7月号まで「別府三億円保険金殺人事件」の題で連載、これに加筆・構成変更を行ったのが『一・二審死刑、残る疑問-別府三億円保険金殺人事件』(徳間書店 1985年)である[* 5]。被告自身は佐木氏を「(広義の)支援者」と考えていたようで[* 6]、無罪(「事故」は、運転者である妻の過失か自殺(心中)であり、自分は助手席にいて運転していない)と一貫して主張し[* 7]、文書を送っていた。
なお、逮捕前のインタビュー等においても「自分は助手席にいた」と強調している[* 8]。--ダイドー少尉(会話) 2020年1月3日 (金) 06:26 (UTC)
(追記)佐木氏は、『問題小説』の連載終了後に「本(『一・二審死刑、残る疑問-別府三億円保険金殺人事件』のこと。1985年7月に刊行された)として出版するので取材は続ける」と伝えていた[* 9]が、二審判決(1984年9月4日)を待ち、「江守鑑定」と「堀内鑑定」(共に二審で採用された鑑定書)を読み通すのに時間がかかったため、刊行が遅れていた[* 10]。それを「圧力がかかったのでは?」と被告は勘繰り、1984年4月19日付けで佐木氏にその旨の手紙を送っている[* 11]。情報が広く発信されることを望んでいたことが分かるエピソードである。--ダイドー少尉(会話) 2020年1月4日 (土) 04:29 (UTC)
- 上でも書きましたが、元被告人は積極的にテレビ(1974年12月4日・11日『3時のあなた』)に出演したり週刊誌などに手記(『週刊現代』第17巻14号、『サンデー毎日』第54巻15号、『週刊ポスト』第16巻17号、『アドバンス大分』第24巻12号など)を送っていますので、佐木氏の書籍から類推するまでもなく「自著・刊行物などで公開し、本人による公開の意思が明らかに認められる実名」に明白に該当します。被告人の公開の意思についてそれ以上の考察は不要でしょう。--Semiprecious stone(会話) 2020年1月4日 (土) 08:24 (UTC)
- 実名記載をいたしました。私としては、逮捕後(『3時のあなた』は逮捕前なので)の意向を確認したいと思っていました。雑誌の件は存じませんでした。ありがとうございます。--ダイドー少尉(会話) 2020年1月26日 (日) 13:54 (UTC)
- ^ 佐木隆三『一・二審死刑、残る疑問-別府三億円保険金殺人事件』徳間書店、1985年。ISBN 4-19-123115-4 169-170、270-271頁。
- ^ 『一・二審死刑、残る疑問-別府三億円保険金殺人事件』 169-170頁。
- ^ 『一・二審死刑、残る疑問-別府三億円保険金殺人事件』 171頁。
- ^ 『一・二審死刑、残る疑問-別府三億円保険金殺人事件』 300-301頁。
- ^ 『一・二審死刑、残る疑問-別府三億円保険金殺人事件』 300頁。
- ^ 『一・二審死刑、残る疑問-別府三億円保険金殺人事件』 281-282、287頁。
- ^ 『一・二審死刑、残る疑問-別府三億円保険金殺人事件』 15頁。
- ^ 日高恒太朗『不時着 特攻-「死」からの生還者たち』文春文庫 37-39頁。
- ^ 『一・二審死刑、残る疑問-別府三億円保険金殺人事件』 203頁によると、1982年12月20日の面会時。
- ^ 『一・二審死刑、残る疑問-別府三億円保険金殺人事件』 303頁。
- ^ 『一・二審死刑、残る疑問-別府三億円保険金殺人事件』 270-271頁。
「熊本」地検?
[編集]本事件は大分県で発生した事件であり、担当する検察庁・裁判所も大分地方検察庁および大分地方裁判所のはずですが、現時点の最新版[2020年7月6日 (月) 16:10]では「熊本地検」「熊本地裁」の文言が出ております。「大分~」の間違いでしょうか?主執筆者のSemiprecious stoneさんならこの記述についてご存じだと思いますので、よろしければ回答(および訂正など)をお願いいたします。--利用者:要塞騎士(会話 / 投稿記録 / 記録) 2020年7月6日 (月) 16:29 (UTC)
- すみません、大分地検/大分地裁の間違いです。(頭の中が松橋事件のままだったのかもしれません…。)修正いたしました。ご指摘ありがとうございました。--Semiprecious stone(会話) 2020年7月7日 (火) 12:59 (UTC)