ノート:利己主義
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エゴイストとの統合
[編集]エゴイストの記事が発展する見込みがないため、当記事へ統合を提案。--ぽえこ 2007年3月24日 (土) 00:26 (UTC)
- 統合しました。--ぽえこ 2007年3月28日 (水) 23:32 (UTC)
2010年7月6日に加えられた記述について
[編集]この編集(直前の版)について、加筆された方へ照会しています(ご参照)。Uryah 2010年8月12日 (木) 20:18 (UTC)
- コメントアウトしました。1。Uryah 2010年10月23日 (土) 07:29 (UTC)
参考情報
[編集]- 『個人主義論考 近代イデオロギーについての人類学的展望』 ルイ・デュモン著 渡辺公三・浅野房一訳 言叢社 ISBN 4-905913-46-2
- 『日本の個人主義』 小田中直樹著 ちくま新書 ISBN 4-480-06306-4
- 『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』 竹内洋著 中公新書 ISBN 4-12-101704-8
これらを読むと、
- 個人主義 … 近代欧米(発)の「お互いに個人(1、2)を尊重し合おう」という規範(1)。
- 利己主義 … 規範の希薄化と個人は尊重されるべきだという考え方の濃化が同時に進むときに広まるスタンス(1、2)。
のようです。参考情報として寄せます。
現在のWikipediaの記事:
- 利己主義(2010年4月20日 (火) 11:30 の版(上節問い合わせの編集の前の版))
- 個人主義(2010年7月27日 (火) 01:52 の版)(※)
- 集団主義(2010年7月4日 (日) 07:24 の版)
- 全体主義(2010年7月18日 (日) 12:56 の版)
Uryah 2010年8月16日 (月) 09:28 (UTC)
追加参考情報です。
Uryah 2011年6月1日 (水) 11:06 (UTC)
求む情報源
[編集]- いま日本の「時代の精神」は、集団主義と利己主義の組み合わせだと感じているのですが、参考になる情報がありましたら、お知らせください。Uryah 2010年9月13日 (月) 12:34 (UTC)、2010年10月23日 (土) 06:39 (UTC)
- 過干渉、モラルハラスメントも?自律した個人たちが、他者と接する/交わるとき さてどうするか/どう振る舞うかということではない、という。Uryah 2010年11月5日 (金) 15:06 (UTC)
- 『「日本文化論」の変容 戦後日本の文化とアイデンティティー』のp.111によれば、心理学者南博の『日本人の心理』(1953年)に、日本人の「自我は、(中略)個人の尊厳という自主的な立場からではなく、わずかに個人の利欲という利己的な立場からだけ主張されているのがふつうである」とあるそうです。Uryah 2011年1月23日 (日) 13:57 (UTC)
- 引き続き典拠になる情報源を探しています。
- 学校のクラスのいじめ問題を例えにすると、いじめはいけないという考えを持っているから自分はいじめない、いじめが起こったらそれはいけないことだと声を上げるのが個人主義、欲求不満を持っていたりうまくいかないことがあるときは他人をいじめて憂さを晴らすことにためらいを感じないのが利己主義、クラスの大勢でいじめが起こっているときは加担していじめ、いじめはいけないことだという空気がクラスの大勢を占めているときにいじめが発生したらいじめる者は悪い人間だね、と周囲とうなずき合うのが集団主義。
- 政治でいえば、もし人道という考え方があるとすると、それは人道に反するから、という理由が余所の国に現実に働きかける力になるのが個人主義、儲かるためなら誰かが苦しんでも死んでもいいというのが利己主義、政治家として(国民のために)何をするかは大事ではなく、数合わせで多数をとることがまず大事で最後まで大事というのが集団主義。
- 現実を、自分が持つ考え・信念・ポリシー・原則と照らし合わせながら自分の考えや行動を決めるのが個人主義(的要素)、自分の欲求や利益が大事なのは誰もが同じなのだが、そのためには他人はどうなってもいい、他人のことは考えない、他人の利益不利益は眼中にないのが利己主義、多数派でいることが大事で、考えやポリシーは無いか薄く、他人のそれだけではなく、自分の考えや利益を抑え潰してでも大勢に付くことをまず考える傾向が集団主義(的要素)、だと思っています。
- Uryah(会話) 2012年11月11日 (日) 02:17 (UTC)