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ノート:千利休

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話題

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千家十職は、昭和になってから便宜上のために名付けられたもので、昔からそういうものはなかったのでは?来 国俊 2004年2月13日 (金) 11:49 (UTC)[返信]

明治中期ごろから称されるようになったという話を聞いたことがあります。Corwin 2004年2月13日 (金) 13:19 (UTC)[返信]
家自体は古いですよね、楽さんとか中村さんとか。ただ茶碗でも楽さんだけではなく永楽さんもいるわけで

便宜上の区分と言えば便宜上ですね。「のちに……と称される茶道具にかかわる職人たち」とでもしましょうか。Aphaea 2004年8月2日 (月) 17:35 (UTC)[返信]

お稲、おりき

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宝心妙樹と宗恩の俗名が「お稲」、「おりき」となっており、さらに宝心妙樹が三好長慶の妹だとしていますが、これはおそらく、三浦綾子の『千利休とその妻たち』の設定で、実際にはわかっていないと思います。宝心妙樹の続柄も『特別展覧会四百年忌千利休展』(p316)では「三好家一統の縁者」という表現でしたから、事実無根とはいかないまでも、妹(三好元長の娘)とまでは特定されていないのではないでしょうか。--Askr会話2014年8月30日 (土) 11:10 (UTC)[返信]