ノート:単一民族国家/過去の議論1、2006年8月3日から2008年3月19日まで
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頻繁に編集が繰り返され、文章にまとまりがなくなってきたので、再整理しました。--Htk5346 2006年8月3日 (木) 17:47 (UTC)
「移民族」という言葉はあるのでしょうか。在日コリアンは、民族の定義からいっても民族とはいえないのではないでしょうか。--二度童子 2006年8月18日 (金) 09:27 (UTC)
- 移民族は造語っぽいですね。でも、在日コリアンが民族とは言えない、というのはどうでしょう?確かに輪郭は不明瞭ですが、出自が別民族である事は確かですし、固有の集団を造ってますし(細部はともかく)、現地の主要民族からは差別されてそうですし、いかにも民族っぽいとは思いますが?--Ks 2006年8月18日 (金) 16:34 (UTC)
個人的政治信条に基づく投稿が多いため、中立的な観点&記事の正確さ、添付。--221.185.65.98 2006年9月16日 (土) 06:01 (UTC)
- ノートにて具体的議論がなされない以上、中立的な観点および正確性のテンプレートを貼るのは不適当です。--Htk5346 2006年9月16日 (土) 09:51 (UTC)
- 反対意見投稿の応酬が続いているので、もう少し様子を見た方がよろしいと思います。--Enjoy Wikipedia 2006年9月16日 (土) 10:49 (UTC)
- 確かに逆方向からのやり取りが続いているとは感じます。しかし、少なくとも私から見れば、間違った判断や知識に基づく書き直しに見えます。もちろん、私が間違っている可能性はありますが、それならばここで指摘していただきたく思います。--Ks 2006年9月16日 (土) 14:16 (UTC)
- 最近、悪意のある編集が目立ちます(左翼活動家を強調する、琉球民族に関する記述を削除する、在日朝鮮・中国人に関する記述を本来帰還すべきと強調する、など)。--Htk5346 2006年9月18日 (月) 21:11 (UTC)
- 他人の投稿を悪意だと仰り、自分の投稿への非難はスルーされる方が居られます。削除を繰り返す理由を、根拠を提示して説明願います。--220.107.22.239 2006年9月20日 (水) 06:18 (UTC)
- 最近、悪意のある編集が目立ちます(左翼活動家を強調する、琉球民族に関する記述を削除する、在日朝鮮・中国人に関する記述を本来帰還すべきと強調する、など)。--Htk5346 2006年9月18日 (月) 21:11 (UTC)
- 確かに逆方向からのやり取りが続いているとは感じます。しかし、少なくとも私から見れば、間違った判断や知識に基づく書き直しに見えます。もちろん、私が間違っている可能性はありますが、それならばここで指摘していただきたく思います。--Ks 2006年9月16日 (土) 14:16 (UTC)
- むしろ、琉球民族や在日朝鮮人を認めない理由を説明していただきたいですね。特に、後者については「可能である」として、成否どちらの判断もありうる表現にしてあるのを、「認められない」とする理由がしりたい。もちろん、認めないとする説がある事はしってます。しかし、認める説もしってますから、両説併記が当然だと思います。--Ks 2006年9月20日 (水) 13:43 (UTC)
- Ksさんへ、この件に関しましては私の間違いです、申し訳有りませんでした。Htk5346氏に、対抗する過程でのやりすぎです、今後は注意して編集したいとおもいますので、よろしくお願いします。また、誤解無きよう申し上げますが、私も両論併記派です。そして、Htk5346氏の主張によれば、私は「琉球民族」です。Htk5346氏の編集は、旧琉球領域の地勢・風俗・歴史すらまともに知らず、決め付けが多すぎ、両論併記を認めず、自説記事を元に他の記事まで影響を及ぼそうとした行動は、思想的目的のための干渉としか判断できませんでした。民族か単なる集団かは、私や私の集団が決めることであり、それすら認め無い、Htk5346氏には恐怖すら覚えます。Ksさんや他の方に、迷惑が掛からないようにしますので、重ねてお詫び申し上げます。--61.199.119.109 2006年9月22日 (金) 10:36 (UTC)
私の記憶が正しければ、蝦夷、熊野、熊襲、隼人は「普通『民族』とは分類せず、『部族』という呼称を用いる」と大学で習ったのですが、いかがでしょう? 220.96.4.212 2006年9月27日 (水) 04:23 (UTC)
民族国家
[編集]「単一民族国家」って「民族国家」と同義じゃないでしょうか?日本国 2006年9月27日 (水) 04:25 (UTC)
履歴を見ると、「単一民族国家」の説明が、日本批判に重点が移っています。特に、少数民族の説明は他に有るので、削除すべきでしょう。--SSST 2006年9月28日 (木) 22:42 (UTC)
- 経過を良くごらん下さい。どうも、日本はほとんど単一民族である事を強調したい向きがあって、そう言う編集が成される事が多々あったので、単一民族ではない事を説明するために、個々の少数民族について具体的説明が必要になった、そう言った流れです。特に日本批判がなされているとは思えません。ただ、「単一民族発言」に対しては批判的な文調であるのは確かです。しかし、このような発言は、国際的にも批判にさらされたはずですから、それを記述するのは単なる事実の記載に過ぎないと考えます。--Ks 2006年9月29日 (金) 14:49 (UTC)
- 初版投稿者です。自分の版を見ていただければわかると思いますが、決して日本批判に偏重した記事ではありません。Yukarin系の編集が入ったことも影響して、記事の内容が非中立的なものとなってしまったものです。また「民族国家」は「単一民族国家」と完全にイコールで結ばれないのでは?--五斗米道(評定|戦歴) 2006年10月6日 (金) 15:16 (UTC)
- 確かに、「単一民族国家」発言に批判があるのは承知していますし、書くべきだと思います。私が言いたいのは、批判の量産をしているのではと思うからで、それが少数民族の項目です。自己主張しているアイヌ・ウィルタ・ニヴフだけを載せるべきです。Ksさんもご承知の通り、琉球民族は未だ議論の段階であり、主体が不明確であるため不適当です。また、移民と言われる人々は所詮外国人であり、それぞれの問題記事が有るのに、少数民族とすることで、外国籍者を日本国籍のアイヌ民族と同じに定義しようとし、そうすることで新たな日本批判を造りだしているのではないでしょか。勿論、存在を書くのは構いませんが、保護ですから提案しか出来ません。--SSST 2006年10月7日 (土) 11:22 (UTC)
- どうでしょうね。私は、以下のように考えているわけです。1;単一民族発言、あるいはそれに類する意見がある。2;それは事実に反する。3;理由として、まずアイヌ等、確実に別民族が先住民として存在する。4;さらに、疑問や別意見はあるにせよ、沖縄近辺は別民族の可能性がある。5;また、ある視点にたてば一定の人数を擁する移民系の人々も存在する。4;これらが、日本に於ける異民族の問題である、と、こんな流れですね。ですから、3まで書いて終わりでは尻切れになる。それに、在日韓国人などを外国人と定義していますが、それは論理的に日本に帰化すれば日本人、帰化しなければ外国人とするからで、確かにこう定義すれば日本人であって外人系は存在しない。でも、これが通用するなら、大抵の国に異民族問題は存在しなくなりますよ。異文化を持って国内に世代を重ねているなら、異民族の日本人とみなすのは、たとえばマレーシアのインド人をマレー内の民族とみなすのと違いはないと思うんですよ。だから、「在日朝鮮系の人々を日本に於ける少数民族と「見なせなくはない」」は、これでも遠慮してるつもりですし、そこまでなら全く批判を受ける類いの内容ではないと思います。--Ks 2006年10月7日 (土) 14:40 (UTC)
- 失礼ですが、「見なせなくはない」は個人意見になるのではないでしょうか。また、マレーのインド人もマレー国籍は持っているのでは。確かに、流れはKsさんの仰る通りだと思いますが、「移民」の最終目的は、移民先の国の国民になることだと思いますので、在日と日系ブラジル人たちにその意思があるか疑問ですし、少数民族への採るべき対応とは、政治的にも文化的にも彼らの意思を尊重し、他の国民と同等の権利を保障する事だと思いますので、他国籍者に同じ権利を認めて良いのかという問題があると思うのです。ですから、少数民族の項目は3からですので、3、少数民族がいると説明、4、アイヌ・ウィルタ・ニヴフの存在、5、琉球民族の存在有無、6、在日と出稼ぎ者の存在のみ、を書くだけに留めるのが妥当と考えます。--SSST 2006年10月9日 (月) 12:07 (UTC)
- どうでしょうね。私は、以下のように考えているわけです。1;単一民族発言、あるいはそれに類する意見がある。2;それは事実に反する。3;理由として、まずアイヌ等、確実に別民族が先住民として存在する。4;さらに、疑問や別意見はあるにせよ、沖縄近辺は別民族の可能性がある。5;また、ある視点にたてば一定の人数を擁する移民系の人々も存在する。4;これらが、日本に於ける異民族の問題である、と、こんな流れですね。ですから、3まで書いて終わりでは尻切れになる。それに、在日韓国人などを外国人と定義していますが、それは論理的に日本に帰化すれば日本人、帰化しなければ外国人とするからで、確かにこう定義すれば日本人であって外人系は存在しない。でも、これが通用するなら、大抵の国に異民族問題は存在しなくなりますよ。異文化を持って国内に世代を重ねているなら、異民族の日本人とみなすのは、たとえばマレーシアのインド人をマレー内の民族とみなすのと違いはないと思うんですよ。だから、「在日朝鮮系の人々を日本に於ける少数民族と「見なせなくはない」」は、これでも遠慮してるつもりですし、そこまでなら全く批判を受ける類いの内容ではないと思います。--Ks 2006年10月7日 (土) 14:40 (UTC)
- 確かに、「単一民族国家」発言に批判があるのは承知していますし、書くべきだと思います。私が言いたいのは、批判の量産をしているのではと思うからで、それが少数民族の項目です。自己主張しているアイヌ・ウィルタ・ニヴフだけを載せるべきです。Ksさんもご承知の通り、琉球民族は未だ議論の段階であり、主体が不明確であるため不適当です。また、移民と言われる人々は所詮外国人であり、それぞれの問題記事が有るのに、少数民族とすることで、外国籍者を日本国籍のアイヌ民族と同じに定義しようとし、そうすることで新たな日本批判を造りだしているのではないでしょか。勿論、存在を書くのは構いませんが、保護ですから提案しか出来ません。--SSST 2006年10月7日 (土) 11:22 (UTC)
- 「見なせなくはない」は、私の判断の意味に取れるかも知れませんね。しかし、普通にこの文が百科事典に書いてある場合には、「見方によっては」という意味に取るのが自然だと思いますよ。この場合、私が「その民族を認める」立場に居ますので、そうとられるのはやむをえないかも知れません。しかし、文脈から言って、様々な異民族問題、あるいはそうかもしれない問題を指摘する流れですから、当然こうなると考えています。いずれにせよ、流れその物には同意いただいておりますので、あとは細部の問題ですね。議論にお付き合いいただき、ありがとうございます。--Ks 2006年10月9日 (月) 13:57 (UTC)
- 保護解除依頼が出ていました。しかし、これはどういう方向で合意されているのでしょうか? まず、移民の最終目的が移住先の国民になることであるという前提はおかしいと思います。それでは、世界的な「植民地の時代」での多くの移民が説明できないように思います。なので、この前提から導き出された議論もろもろに抵抗があります。また、日本の場合、帰化行政のあり方が特殊だった時期が長く「国民になる意思」だけで割り切っていいのか(イコール、そこから「同じ権利を認めて良いのか」という問題を導き出していいのか悪いのか)という問題があります(そして議論もあります)。ここで機械的に「国民になる意思」だけで割り切るのは、それが政府の立場かもしれませんが、諸観点のうちの一つです。この観点に“のみ”立ってしまうと日本に存在するカッコ付きの「民族問題」(諸外国なら普通に少数民族問題として扱われるだろう事柄)を隠蔽することにしかならないし、そもそもそんなふうに割り切れるもんなら、例えば朝鮮人を指す語として「在日」という(本来の「日本にいる」という意味でも同時に使われているような)言葉が当たり前に流通していたりしないでしょう。ちなみに、私個人は朝鮮人を外国人とみなすとも割り切れないし少数民族であるとも割り切れないので、諸議論を併記しつつスリムな方法があればなあとは思いますが、批判量産を避けんがために他国籍者は問題の射程から排除する編集方針(ですよね?誤解だったら平謝りします)には反対します。--Iosif 2006年11月26日 (日) 21:39 (UTC)--修正付加。--Iosif 2006年11月26日 (日) 22:30 (UTC)
- なお、履歴から経過を見ていて思うのですが、少数民族についての記述が増えるのは「批判」を増やしているように思えないし、決してそう見えないです。Ksさんが、単一民族国家であることを強調したがる編集への対抗上生まれたものと解説なさっていましたが、それ以前に、確立された概念があるわけではないまま日本で流通する/した「単一民族国家」という呼称にまつわる事柄(単一民族国家を強調する発言やそれに対する批判)を説明するうえで避けようがないんじゃないでしょうか。--Iosif 2006年11月26日 (日) 23:07 (UTC)
- 書き込み、有難う御座います。発言に付いてですが、「少数民族」を隠蔽する意図ではなく、他に関連する記事(日本の民族問題、少数民族、琉球民族など)があるので、ここでは「単一民族国家」に関する記事(日本を含んで、過去現在それであったか、近いか、又は標榜した国家、そしてその歴史、それぞれの政策、問題と批判など)に集中するべきかなと考えた次第です。ですが、既に発言当時から「少数民族」の文章が中心のような記事でなっておりましたので、更に加筆拡充するのは「批判の量産」だとしたわけです(恥ずかしいですが、議論も苦手で文章力も低いので、チグハグナな発言になってしまいました)。勿論、記事の流れを阻害する積りはないので、必要であれば書くべきですが、現在の記事の構成ではもっと縮小するべきと考えます。ただし、合意以上のことをするつもりはありません。--SSST 2006年11月28日 (火) 08:23 (UTC)
- なお、履歴から経過を見ていて思うのですが、少数民族についての記述が増えるのは「批判」を増やしているように思えないし、決してそう見えないです。Ksさんが、単一民族国家であることを強調したがる編集への対抗上生まれたものと解説なさっていましたが、それ以前に、確立された概念があるわけではないまま日本で流通する/した「単一民族国家」という呼称にまつわる事柄(単一民族国家を強調する発言やそれに対する批判)を説明するうえで避けようがないんじゃないでしょうか。--Iosif 2006年11月26日 (日) 23:07 (UTC)
- 保護解除依頼が出ていました。しかし、これはどういう方向で合意されているのでしょうか? まず、移民の最終目的が移住先の国民になることであるという前提はおかしいと思います。それでは、世界的な「植民地の時代」での多くの移民が説明できないように思います。なので、この前提から導き出された議論もろもろに抵抗があります。また、日本の場合、帰化行政のあり方が特殊だった時期が長く「国民になる意思」だけで割り切っていいのか(イコール、そこから「同じ権利を認めて良いのか」という問題を導き出していいのか悪いのか)という問題があります(そして議論もあります)。ここで機械的に「国民になる意思」だけで割り切るのは、それが政府の立場かもしれませんが、諸観点のうちの一つです。この観点に“のみ”立ってしまうと日本に存在するカッコ付きの「民族問題」(諸外国なら普通に少数民族問題として扱われるだろう事柄)を隠蔽することにしかならないし、そもそもそんなふうに割り切れるもんなら、例えば朝鮮人を指す語として「在日」という(本来の「日本にいる」という意味でも同時に使われているような)言葉が当たり前に流通していたりしないでしょう。ちなみに、私個人は朝鮮人を外国人とみなすとも割り切れないし少数民族であるとも割り切れないので、諸議論を併記しつつスリムな方法があればなあとは思いますが、批判量産を避けんがために他国籍者は問題の射程から排除する編集方針(ですよね?誤解だったら平謝りします)には反対します。--Iosif 2006年11月26日 (日) 21:39 (UTC)--修正付加。--Iosif 2006年11月26日 (日) 22:30 (UTC)
中曽根氏の発言について
[編集]特に中曽根康弘は、1986年に「アメリカは多民族国家だから知的レベルが高くない、日本は単一民族国家だから高い」といった発言をしたため、国内からはアイヌ系などから強い反発を受け、アメリカからも厳しい批判を浴びた。
発言の内容が事実と異なるようです。長いですが、衆議院の記録を引用します。
○戸田菊雄君
私は、日本社会党・護憲共同を代表し、ただいま議題となりました国鉄改革法案並びに関係諸法案に対して質問を行います。
冒頭、私は、緊急に総理のアメリカ人に対する差別発言について質問をいたします。
総理は今月の二十二日、自民党の全国研修会で、アメリカなどでは黒人とかプエルトリコとかメキシカンとかが相当多くて、平均点から見ると非常にまだ低いと発言したとのことで、一国の総理がこのような人種差別を公言するとは一体全体どういうことですか。(以下略)
○内閣総理大臣(中曽根康弘君)
戸田議員にお答えいたします。
まず、私の自民党研修会の講演でございますが、私は、先行した部分で、米国はアポロ計画等で実力を十分示していると一方指摘しております。それと同時に、アメリカは多人種の複合国家で、その強みもあるけれども、教育等については必ずしも容易ではない、十分手の届かないところもある、日本は単一民族であるので比較的教育は行いやすく手も届いておる面もあるという趣旨のことを述べたのでありまして、人種的差別とか他国を批判する考えは毛頭ないのであります。(以下略)
○遠藤和良君
私は、公明党・国民会議を代表して、ただいま議題となりました国鉄改革関連八法案について、総理並びに関係各大臣に対して質問を行います。
国鉄問題に先立って、過日の自民党全国研修会での中曽根総理の発言についてお伺いをいたします。
総理は、米国には黒人やプエルトリコ人、メキシコ人がいるから日本より知識水準が低い旨を述べたことが伝えられ、既に米国内において大きな反発が起こっているのであります。この発言が真実であれば極めて重大であります。
戸田議員による「平均点から見ると非常にまだ低い」 の部分だけでも、差別的な色彩を持つ発言ではないことが分かります。また、後の遠藤議員の質問は、「伝えられ」「真実であれば」から米国経由の情報によっている可能性があります。
これについて、批判が誤解に基づいたものであると考えるのが相当なので、修正が必要です。どちらかというと、中曽根康弘に記述すべき内容だと思いますが、修正案を提示します。
- 中曽根康弘は、1986年に「アメリカは多民族国家だから教育が容易でなく、黒人、プエルトリコ、メキシカンなどの知的水準がまだ高くない、日本は単一民族国家だから教育が行き届いている」という趣旨の教育に関する発言を行った。この発言が引用・報道の過程で、多民族国家、単一民族国家の部分が強調され、差別発言であるかのように誤解され、国内からはアイヌ系などから強い反発を受け、アメリカからも厳しい批判を浴びた。
Yhiroyuki 2006年10月11日 (水) 16:30 (UTC)
- 発言内容は、私が引いたものは孫引きのごく簡略化したものですから、それほど筋は違えていないにせよ、誤解を招きやすくなっているのは確かです。ですから、このように正しい発言内容に置き換える事は賛成です。ただ、「黒人、プエルトリコ、メキシカンなどの知的水準がまだ高くない」といった下りは、見方によっては差別発言と言われてもやむを得ぬものです。ですから、次のようなのはどうでしょう。
- 中曽根康弘は、1986年に「アメリカは多民族国家だから教育が容易でなく、黒人、プエルトリコ、メキシカンなどの知的水準がまだ高くない、日本は単一民族国家だから教育が行き届いている」という趣旨の教育に関する発言を行った。この発言が引用・報道の過程で、多民族国家、単一民族国家の部分が強調され、差別発言とみなされたため、国内からはアイヌ系などから強い反発を受け、アメリカからも厳しい批判を浴びた。
- ご意見を伺いたく思います。--Ks 2006年10月12日 (木) 02:36 (UTC)
- 発言内容は、私が引いたものは孫引きのごく簡略化したものですから、それほど筋は違えていないにせよ、誤解を招きやすくなっているのは確かです。ですから、このように正しい発言内容に置き換える事は賛成です。ただ、「黒人、プエルトリコ、メキシカンなどの知的水準がまだ高くない」といった下りは、見方によっては差別発言と言われてもやむを得ぬものです。ですから、次のようなのはどうでしょう。
- 査読いただいてありがとうございます。私はKsさんの文章で問題ないと思います。
- ところで、保護はいつまで続くのでしょうか。今の冒頭の定義は字義的、一面的すぎるので、政治家の発言などでよく使われる、本文中の「大多数を1つの民族が占める」という定義を冒頭に加えたいのですが。Yhiroyuki 2006年10月12日 (木) 10:00 (UTC)
一度、保護解除依頼を出したのですが、根拠不明確と判断された様で、無しの礫になりました。方法が不味かった様なので、ここで改めて合意形成を図りたいと考えます。賛同される方の、ご協力をお願いします。--SSST 2006年11月26日 (日) 07:30 (UTC)
- 上の「民族国家」の節に書いたのですが、(私の理解したかぎりでの)解除後の編集方針について異議を申し述べました。が、誤解(または早とちり)に基づく異議かもしれません。また、解除依頼者が表明している意見と、解除するか否かとは無関係だと判断されるかもしれません。こちらの節に持ち込むべきかどうか迷うため、上で書いた旨だけしたためます。--Iosif 2006年11月26日 (日) 23:15 (UTC)
鈴木宗男氏は「新党大地」結成後、単一民族国家神話に基づいた自民党時代の民族観を改め、現在ではアイヌ人の先住民権拡大を公約にしています。これは本文に追加しておくべきことだと思うのですが・・・
再度、保護解除のご意見をお願いします。反対意見が無ければ、一週間後に保護解除依頼を出します。--SSST 2007年1月7日 (日) 13:13 (UTC)
- ▼上記・鈴木氏関連の記述追加に異議はありませんが、上の節・二箇所で述べた疑問が引きつづき残っています。せめて保護にいたるまで議論した人の合意があったほうがいいと思います。私個人は「『単一民族国家』の説明が、日本批判に重点が移っています(SSSTさん)」のように認識していませんでしたし、繰り返しになりますが「特に、少数民族の説明は他に有るので、削除すべきでしょう(SSSTさん)」という編集方針に基づく保護解除であれば反対です。
- ▼もちろん、SSSTさんのおっしゃっていた「『単一民族国家』に関する記事(日本を含んで、過去現在それであったか、近いか、又は標榜した国家、そしてその歴史、それぞれの政策、問題と批判など)に集中するべき」というのはおっしゃるとおりだと思います。しかし、そのような記事を作成するのが現実問題としてどこまで可能なのか……。中曽根康弘の発言についてKsさんの文案のように拡充することには賛成ですが、「単一民族」を標榜した国家・その歴史・政策等々をまとめるのは、事実上、多くの民族国家の国民形成政策を全部書くようなもので、至難ではないかと思います。少なくとも一朝一夕にできることではなく、理想形態を念頭に「少数民族に関する記述を減らすべき」とするのは、記事を拡充する材料を減らすだけの結果にならないでしょうか。過渡的には、現行のように「日本を単一民族国家とする言説がある」「しかしこれほどの少数民族が存在しており、また異民族集団の存在を少数民族と認識するケースもある」という構成で拡充していくべきだと思いますが、いかがでしょう。--Iosif 2007年1月11日 (木) 02:34 (UTC)
- こんにちは。先ずは上記で発言しました合意とは、Ks様の文案の事ですので、内容のこれ以上の削除は整理を別として考えておりませんし、Iosif様のご意見も、Ks様の文案と同じ流れと理解しておりますので、反対はいたしません。また理想形態は、何も全てを書く積りでもありません。そんな事をすれば本が出来てしまいますし、ウィキペディアは百科事典ですのでせいぜい三、四カ国を簡潔に紹介し、記事が膨大と思えばネット百科の特徴を生かし分割して、内部リンクを張れば事足りるでしょう。重複記事もその様に整理すれば、読まれる方々の負担も軽減できると思います。Iosif様に対しては、釈迦に説法の発言をお許し下さい。--SSST 2007年1月12日 (金) 11:28 (UTC)
単一民族国家観の批判者に、民主党の小沢一郎と故人ですが萱野茂、新党大地の鈴木宗男を追加しては如何でしょうか?
東北地方の人々も政治的、社会的な事件をきっかけに非日本人としての自覚が噴出すことも追加したほうが良いと思います。 サントリー佐治啓三事件の時、東北の人たちの怒り方は本当にものすごかったんですよ。
- 吉里吉里人なんかも、その流れで考えた方がいいんでしょうか?--Ks 2007年2月5日 (月) 02:21 (UTC)
- 「吉里吉里人」は一文学作品に過ぎませんが、東北出身の作家がそれを思いつき、東北の人々がそういう作品を嬉々として受け入れる背景に、東北の人々の非日本人意識を読み取ることは可能だと思います。同じ「日本人」と言う記号を用いていても、東北の人々が他の地域の人々と同じ日本人意識を共有していなかったり、共有したがらなかったりすることはしばしばあります。--210.164.1.71 2007年2月28日 (水) 07:37 (UTC)
「厳密には」は無用だと思います
[編集]「日本国を単一民族国家と呼ぶのは厳密には正しくない」と言う記述ですが、厳密だろうが大雑把だろうが単一民族国家ではありませんので「日本国を単一民族国家と呼ぶのは正しくない」で良いです。「厳密に」などと書くと「日本は単一民族国家だ」と考えても間違っていないのだろうと言う誤解を与えかねません。--210.164.1.71 2007年2月28日 (水) 07:37 (UTC)
- まあ、妥協の産物でしたね。単一民族国家でないのは間違いないにしても、それ以外の民族はごくごく少数で、消えるか同化するかしかかってるから(その上朝鮮系とかは国籍ないから日本の問題ではないそうで)、実質的には単一民族国家と意って差し支えない、という論を押し通す方面がありますので。--Ks 2007年2月28日 (水) 08:00 (UTC)
- ご丁寧な対応を有難うございます。えぇ、そう言う認識の方が多いのは存じてます。そして、そう言う決め付けこそが多数派による差別であり、事実誤認であり、みっともない独善に他ならないことも承知しています。やはり、きっぱりと日本はかつて多民族国家だったし、今も多民族国家であるし、これからもそれ以外に在り得ないと断言しておく方が良いと思うのです。多数派であることにしがみ付いて、それ以外の人々をないがしろにして恥じない態度は悪だと思います(イジメの心理そのものです)。事実に即しない思い込みは打ち消してしまうべきです。たとえば「消えるか同化するかしかかってる」と言う思い込みですが、ご存知のとおり民族は文化的な思い込みに他なりませんので、大勢の人々がある日「私は○○人だ」と思い込めば、その民族が突然急増することになります。もちろんその逆もあります。ドイツ人が市民革命後のポーランドで急増した事実や、逆にチェコスロバキア第一共和国で激減したこと私たちは学ぶべきだと思います。彼らは突然発生したり、居なくなったりしたわけではありません。彼らは民族を右から左に鞍替えしたのです。民族とはそういうものであるという理解を日本中にもっと知ってもらうべきだと思うのです。--210.164.1.70 2007年3月2日 (金) 05:36 (UTC)
- 残念ながらここは教育機関でも宣伝機関でもない、ということですよ。いろんな考えの人が、完全に納得できないまでも、まあ認められるところを探って行くのが現実的かと。--Ks 2007年3月2日 (金) 14:30 (UTC)
- そうは言っても程度問題ですし…「単一民族国家でないのは間違いないにしても、それ以外の民族はごくごく少数で、消えるか同化するかしかかってるから(その上朝鮮系とかは国籍ないから日本の問題ではないそうで)、実質的には単一民族国家と意って差し支えない」などという無茶苦茶な主張まで汲んであげる必要もなければ、この種の主張だと典拠を求めても出しようがないでしょうから、スルーしてられるのではないか……と思うのは楽観的なんでしょうか。--Iosif 2007年3月2日 (金) 18:05 (UTC)
- kっさん、ご指摘ありがとうございます。そうですよね、おっしゃるとおりwikipediaは百科事典です。ですから可能な限り事実を記述するはずです。多民族国家であるかどうかは少数派の人数で決め付けてよいものではありません。ましてアイヌ人の場合、北日本においては明らかに和人に先立つ先住民族です。住人としての正当性は和人よりもアイヌ人の側にあります。10万に満たないアイヌ人ですが1億人の和人と対当に扱うのが筋だと思います。少なくとも百科事典で日本を語る場合は正しく取り上げるものでしょう。--210.164.1.70 2007年3月4日 (日) 11:43 (UTC)
韓国における「韓国は単一民族国家」観
[編集]記事本文が保護されており追記不可のため備忘的に記載→”国連人種差別撤廃委員会(CERD)は「韓国が単一民族を強調していることが、同国に住む様々な人種の人々との理解・寛容・友好増進において障害になる可能性がある」との懸念を表明し、勧告案を発表した。この勧告案でCERDは「韓国で一般的に使う“純血”や“混血”といった単語も、韓国社会に広く浸透している人種的優越主義を表している」と懸念を示した。また、外国人労働者の子供や国際結婚により生まれた子供が雇用・結婚・住居・教育・対人関係などで差別を受けず、同等の権利を保障されるよう法制化し、さまざまな人種や民族の歴史・文化に関する情報を小中学校の教科目に取り入れるよう提案している”(抜粋・引用=朝鮮日報)[1]--306E 2007年8月20日 (月) 08:27 (UTC)
科学的研究では、韓国人、タイワン人、日本人の中で日本人が最も単一民族に近いという結果は出ているようですね。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828
出典がまるでなし
[編集]こりゃひどい。誰かさんの独論発表会の場になってる記事ですね・・。--210.231.15.253 2008年3月2日 (日) 16:38 (UTC)
- このログインしたからエラい、的な風潮は何とかならないのかね。「ノートで議論した」を繰り返して独善的な編集をしている人がいるけど、単一民族表現反対に偏重して中立には見えないなぁ。--222.149.73.123 2008年3月19日 (水) 11:50 (UTC)