ノート:博多
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ノート:博多市の議論のとおり、博多市をこの項目に統合を提案します。--222.11.250.128 2006年3月8日 (水) 07:29 (UTC)
- 「博多市」を「博多」へのリダイレクトにするのであれば、賛成します。--Shinkansen 2006年3月22日 (水) 06:14 (UTC)
- 反論ないので、統合しました(統合の結果として、博多市→博多へのリダイレクトとなりました)--58.89.146.230 2006年4月14日 (金) 15:00 (UTC)
さらに引き続いて、博多区#「博多」の名称についての部分を、博多#よくある誤用に転記し、博多区#「博多」の名称については概略的な記述として博多#よくある誤用を参照させる記述とし、博多の記事側でも所要の調整を行うことを、提案します。--58.89.146.230 2006年4月14日 (金) 15:15 (UTC)
- 反論ないので、一部転記処理しました--222.5.253.254 2006年4月21日 (金) 01:24 (UTC)
ノート:福岡市の議論を参照ください。--222.11.249.167 2006年7月12日 (水) 07:41 (UTC)
>サラリーマンが赴任したい先のナンバー1といわれる人気都市。
と言うのはソース要では。--222.5.251.135 2006年8月8日 (火) 04:42 (UTC)
- ソースを見つけましたので記載しておきました。岩中祥史氏の『博多学』の中にありました。Pontafon 2007年1月12日 (金) 15:09 (UTC)
大幅に加筆修正しました。全体の節・小節の構造の見直し。歴史の項目を加筆。誤用についての項目は複数ページを統合した名残りで重複した記述があったのをまとめたうえ加筆しました。Pontafon 2007年1月12日 (金) 15:09 (UTC)
- 何を持って誤りと呼んでいるのか疑問が残ります。例えば「福岡市を博多市と呼ぶ」のが誤用なのは明らかです。行政上正しい名称が決められているわけですから。しかし、
- 福岡市へ出張や転勤するさいに「博多へ行く」という言葉がしばしば使われ(中略)るが、これらも厳密には誤った用例である
- と、何故言えるのか。漠然と福岡市街を博多と呼ぶことは実際に通用している用法なわけですから、社会通念上の正しい名称に対する誤りとは言えません。
- 歴史的に福岡と博多が区別されていた名称ならある意味誤用といえるでしょう。しかし、その出典がありません。例えば藩政時代に福岡と博多が区別して呼ばれていたのかどうか。福岡で聞いた話なので出典にはなりませんが「福岡藩家臣たちは街全体を福岡と呼んだが藩政以前から街を形成していた庶民たちはこれを嫌って昔からの名称で博多と呼んでいた」と聞きました。福岡部と博多部というのも初耳ですし。このあたりもし文献情報が補えるものでしたら、あるといいかと思いました。--222.8.14.4 2007年3月27日 (火) 10:51 (UTC)
- まず、「誤用」という言葉はおっしゃるとおり適切じゃないかもしれません。「誤用」という言葉よりは「用例」としたほうがいいかもしれません。
- そもそも「誤用」としたのは、中世から自治都市として存在していた類型1の“博多部”をオリジナルと考え、用例の拡大解釈がなされていった、という視点から記述したからです。一元的で偏ったものの見方であるのは否めません。様々な社会通念上から「博多」という言葉を使う人たちの視座に立つべきなのでしょう。どのような表現が適切なのか一緒に考えましょう。
- ところで福岡と博多が区別されていたのは藩政時代からです。たとえば江戸時代の儒学者貝原益軒の『筑前国続風土記』では福岡と博多を別々の巻にて記述しています。また文化9年の地図にも福岡と博多の戸数が別々に記載されています。文献情報として追補したほうがよさそうですね。福岡で聞いた話というのは興味ありますがわたくしとしましては初見です。
- ちなみに、「福岡部」「博多部」という言葉は、毎年7月13日のテレビニュースならびに翌日14日の新聞に必ずといっていいほど登場する言葉です。Pontafon 2007年3月27日 (火) 14:06 (UTC)
- 指摘を受けて改訂するとともに、章節立てを再編し、本文も見直しました。Pontafon 2007年4月13日 (金) 10:17 (UTC)
「8世紀の海外の文献」云々について
[編集]>> 8世紀の海外の文献にも「覇家台」「八角島」「花旭塔」との記述があり、どれも「ハカタ」に近い音を発する。
とありますが、実際には
で、いずれも 8世紀のものとは認められません。削除しました。--Pekanpe(会話) 2012年4月28日 (土) 01:02 (UTC)