ノート:国民の父
日本の建国の父について
[編集]明治天皇よりも大久保利通や木戸孝允、伊藤博文の方が重要人物であるし、建国の父といって差し支えないかと思うので、加えておきます。歴史を少しでも勉強したら誰が一番頑張ったかは理解できるはず。--Bletilla 2007年9月25日 (火) 10:00 (UTC)
- 出典提示はWikipedia日本語版の公式な方針でもありますし、下に出典を示す欄も設けられておりますので、「大久保利通や木戸孝允、伊藤博文は日本の建国の父である」と明確に書いた出典の書誌情報をあらかじめお示しいただけないでしょうか。明治天皇がそのままになっているのは、本記事がもともと英語版からの翻訳であり、その中にあったものがそのまま訳されているからです。その後英語版の記事は「独自研究」として削除された(en:Wikipedia:Articles for deletion/Father of the Nation)ので、下の節に出典の提示がないものはむしろ除去する方向で検討することが望ましいと思います。--Novo 2007年9月25日 (火) 13:54 (UTC)
そもそも「日本」とは何を指すのですか? 明治天皇や大久保、伊藤が建国の父なら特定されるのは大日本帝国ですね。日本国はどうなります?--219.111.117.199 2009年9月6日 (日) 04:12 (UTC)
中立性について
[編集]- 一応ひどいスタブから翻訳しましたが、中立性には難ありのような気がします。(なぜこの人物が国父なのか、とか)
- それともう一つ、記事移動の提案ですがタイトルは「国父」のほうがいいのでは。「国家の父」とは、いかにもこなれていない言葉です。--Nopira 2007年1月29日 (月) 15:53 (UTC)
- 上記の件について共にテンプレートを貼っておきました。--Bletilla 2007年1月29日 (月) 18:00 (UTC)
- もともと修正依頼タグを貼り付けた者です。すばやい修正ありがとうございます!改名と中立性について、議論を分けるために以下のノートの見栄えを修正します。--Clapon 2007年1月30日 (火) 00:46 (UTC)
- テンプレありがとうございました。--Nopira 2007年1月30日 (火) 04:29 (UTC)
改名について議論をしているところですが、結論が出ていない状態でリダイレクトや関連記事を作成されている方がいらっしゃいます。ぜひ作業前に、議論にご参加ください。--Clapon 2007年1月30日 (火) 10:47 (UTC)
政治用語ですし、完全な中立性確保は難しいと思います。本文の記述のとおり、時代の変化によって変動することもあるので、特に一覧の作成には懐疑的です(私ももめる編集をしてしまいました)。作るのなら、独裁者の一覧と同様、「異論もありうる」と注記しておいたほうがいいと思いますし、少なくともそれぞれの国の政府なり大多数の国民から異論が出ないような確実な人を、それぞれに詳しい方々に吟味してもらう必要があるでしょう。--Novo 2007年1月30日 (火) 16:39 (UTC)
改名提案
[編集]- 改名?「Father of the Nation」は「国家の父」、「建国の父」、「祖国の父」、「国父」、「民族の父」ですか?--王八蛋 2007年1月29日 (月) 18:44 (UTC)(--記載場所変更--Clapon 2007年1月30日 (火) 00:46 (UTC))
- 私は「国家の父」のまま、もしくは「建国の父」を押します。(以下、消極的理由ですが)日本語では「国家の父」「国父」という言い方はあまりしないと思います。私が一番耳慣れた言葉は「建国の父」ですが、調べてみるとそれぞれの国で呼び方が違い、中国などでは「国父」、ローマ帝国では「国家の父」と言われたと訳されています。したがって、この記事名は「国家の父」もしくは「建国の父」に留め、それ以外の「父」の呼び方について記事内で触れると百科事典として面白いのではないかと思います。--Clapon 2007年1月30日 (火) 00:46 (UTC)
- ほかの「父」といえば、「発明の父」「建学の父」などでしょうかね。--Nopira 2007年1月30日 (火) 04:29 (UTC)
- 余談ですが、父親に上記の人物一覧が(代表的な人々だけですが)載っています。--Bletilla 2007年1月30日 (火) 14:36 (UTC)
- わたしにとっては「国父」か「建国の父」が耳なじみのあることばです(wikipedia内にもこれらの言葉は数多くあります)。ただ、「国家の父」も中立的な言葉ではあるかもしれませんね。その中でも言及の多い「アメリカ建国の父」と、ローマの「祖国の父」については別途記事があって良いでしょう。あとは「中興の祖」とか。--Nopira 2007年1月30日 (火) 04:29 (UTC)
- Nopiraさんのご意見をいただいて、Wikipedia内を調べたところ「建国の父」は多くの記事がありましたね。しかし、この記事の英語版と建国の父の英語版は別記事ですので、「建国の父」ではなく当初のご提案どおりの「国父」がいいのではないかと思うようになりました。最初の発言時は、「国父」という言葉を聞きなれなかったため、そういう日本語があるのか?と思ったため「国家の父」を推したのですが、いろいろ調べるうちに自分の無学を知りまして…。(なお、建国の父、祖国の父についてはスタブ記事を作成された方がいらっしゃいましたので、この議論が終わるまで更新をとめていただくようお願いしております。)--Clapon 2007年1月30日 (火) 11:21 (UTC)
- 「建国の父」をより強く推しますが、「国父」でもかまわない、という意見です(どちらにせよリダイレクトがあればすみますし)。「国父」は漢語としては新しい語で、今確証を出せないですが、島津久光に対する同時代の称号として使われた(意味が違いますが)のを除くと、孫文を呼ぶために中国で使われた用例がもっとも早く、かつ普及していると思います(明治天皇を国父と呼んだ日本人は当時いたでしょうか?)。つまり中国語(厳密には中華民国)以外では普通名詞になりきれていないので、日本語であまりなじみがないと感じる方がいることは普通だと思います。もっとも今では日本語でも普通名詞として使われているので、「国父」を絶対に否定する理由はありません。ただ、Claponさんの挙げられた英語版を見ると、この記事の英語版の方には{{unreferenced}}タグがついていて信頼性に疑問がつけられていますし、双方の定義と内容を見ても特にページを分けて記述すべきところがあるようには思われない(後者の方が複数形で、象徴的、情動的な意味が薄いだけ)ので、英語版にあわせる必要はないと思います。--Novo 2007年1月30日 (火) 16:07 (UTC)
議論がとまってしまい、初版投稿者もブロックされてしまいましたが、いかがしましょうか。今のところ議論を整理して、勝手に投票形式にまとめますと(複数投票可として数えますが)
- 「国家の父」のまま:1票(Clapon氏)
- 「建国の父」:3票(Clapon氏、Nopira氏、Novo)
- 「国父」:2票(Clapon氏変更、Novo)
となりましょうか。Clapon氏が「国父」に変更されるのならば「建国の父」と「国父」が同数になります。私はどちらか選べといわれたら「建国の父」を取ります。
あらためて投票するか、またWikipedia:移動依頼に出して議論・投票を呼びかけるかしてみたらどうかと思うのですが、ご意見お聞かせください。--Novo 2007年2月6日 (火) 18:56 (UTC)
- まとめありがとうございます。すっかり遠ざかってしまっておりました。さらにこうやってまとめていただくと、私の意見は全然まとまってないですね…あちゃー。申し訳ないです。一週間経過しましたのでまずは個々の意見の再確認をし、まとまらなければ投票という流れはいかがでしょうか。私の意見ですが、一旦離れて考えてみたところやはり「建国の父」が一番自然ではないかとおもいます。積極的理由としては、建国の父とすることで取り上げる人物の精査がしやすくなるのではと考えるためです。消極的理由としては他の言葉が日本語としてこなれていないことです。「国家の父」は造語のようであること、「国父」については日本語として個人的に聞きなれないこと(違和感を感じた理由はNovoさんのご意見にあるように孫文を指す言葉として広まっているからだと気づきました)がやはり気になります。英語版とあわせたほうがよいという主張をしておりましたが、Novoさんのご意見および他所の議論を見て、特にあわせる必要はないのだと考え直しました。--Clapon 2007年2月7日 (水) 01:09 (UTC)
10日ほどたちましたが、他の方の意見がありませんね。いまのところ特に意見も割れていませんし、「建国の父」に移動でもいいように思います。もう少し待ってみますか?--Clapon 2007年2月17日 (土) 21:48 (UTC)
- 改名提案にも出してみたのですが特に反応がないので、「建国の父」に移動しましょう。--Novo 2007年2月17日 (土) 21:57 (UTC)
- 移動しましょう。--Nopira 2007年2月18日 (日) 04:20 (UTC)
- 賛成です。--Bletilla 2007年2月18日 (日) 04:37 (UTC)
- Wikipedia:移動依頼に出しました。「建国の父」です。--Nopira 2007年2月18日 (日) 09:51 (UTC)
- 賛成です。--Bletilla 2007年2月18日 (日) 04:37 (UTC)
- 移動しましょう。--Nopira 2007年2月18日 (日) 04:20 (UTC)
- ??????????????????????????????--Gan Ni Niang 2007年2月24日 (土) 22:55 (UTC)
改名提案(その2)
[編集]ちょっと待ってください。「建国の父」≠「国家の父」もしくは「国父」だと思います。 「建国の父」は、国家の成立過程で活躍した人物でなければならないので、たとえば腐敗した政府を立て直したり、政治改革を進めた人物を含むことができなくなります。たとえばフランスでは故ミッテラン元大統領について「国父」との評価をしていますが、「建国の父」には当たりません。よって、この記事の内容を「建国の父」に無審査で移動するのは問題があると考えます。--Ich57 2007年3月3日 (土) 00:54 (UTC)
- 貴重なご意見ありがとうございます。確認させていただきますが、お話の趣旨は現行の一覧にふさわしくない人が入っている、ということでしょうか。それとも「国家の父」(Father of the Nation)と「建国の父」(Founding Fathers)は分割すべきだ(双方別に定義し、記述する意味がある)というご趣旨でしょうか。前者であれば、すでに一覧を含め全体に「出典提示」の要請がありますので、定義にあわないものについては下の「出典の提示」節で削除提案とご教示をいただければと思いますし、後者であれば、「国家の父」という語が日本語に熟した術語として確立しているかどうか、あるいは他の確実な訳語があるかについて、出典をご提示いただければと存じます。よろしくお願いいたします。--Novo 2007年3月3日 (土) 01:51 (UTC) 誤字訂正--Novo 2007年3月3日 (土) 19:43 (UTC)
- ひとまずfound(=創設者)という英語を勘案する限り、もともと存在した国の発展に寄与した、というだけの人物は含められないと思うわけです。ですから分割記述というのは一案ではあるでしょう。記号的に表せば、「国家の父≒国父⊇建国の父」のような感じになるかと思います。つまり、「建国の父」は「国家の父」の一形態に過ぎず(あるいは「国家の父」であるが「建国の父」でない人もいるといえばよいでしょうか)、まったく同一のものとして記事をそのまま移動するのには問題があると考えます。
- 「国家の父」は確かにFather of the Nationの訳としてはもっとも適当ではありますが、一般化していないというならば「国父」がましなように思います。「建国の父」では概念が違いすぎるでしょう。--Ich57 2007年3月3日 (土) 03:11 (UTC)
- (上段落にインデント追加しました)了解しました。先行する議論に日本語の「国父」についての私の解釈を示していますが、ミッテランが"Père de la nation"と呼ばれ、日本語で「国父」と訳されていることを知らなかったので、確かに再検討が必要ですね。一覧をよくみると、ミッテランはないですが、確かに「建国」後の人が入っていますね。
- 私は先に「国父」でもよいと書きましたが、現時点ではまだ「建国の父」を保留しています。それは、一覧をつけておくならば、「もともと存在した国の発展に寄与したというだけの人物」を定義に含めない方がよい、含めるとただでさえ「中立的でない」記事なのにますます収拾がつかなくなるという考えによります。しかしこの点は見落としていて提起していませんし、本文にも反映されていないので、みなさまのご意見を伺ったうえで判断したいと思います。--Novo 2007年3月3日 (土) 19:43 (UTC)
- 国家の父≠建国の父であることはおっしゃるとおりです。必ずしも建国に寄与したとはいえない人物も含まれていることから、私は当初は「建国の父」という文言には消極的でしたが、「国家の父」「国父」が日本語として耳慣れない言葉であること、「建国の父」とすることで取り上げる人物を選択しやすくなるのではと考えたため「建国の父」を推すことにいたしました。もとより一覧記事ですし「国家の父」というあいまいな名称では記事の主体がぼけてしまうのではないかと懸念しています。--Clapon 2007年3月3日 (土) 20:15 (UTC)
- 確かに整理のうえで合理的になるようにタイトルを決めるというのは一案ではあるかもしれません。「国家の父」という表現は聞きなれません。なので学問的に精密であることよりも一般化しているタイトルを選択する余地はあると思います。
- ただここはあまり詳しくないのですが、「国父」と聞いて思い浮かぶのが孫文だとするならば、「建国の父」ということばでイメージするのは、自分の場合アメリカのWashingtonかJeffersonだけなのですが・・・果たして「建国の父」ということばは一般的なのでしょうか。Googleで「"国家の父"」を検索した場合(478,000件)、「"建国の父"」(56,300件)よりも多くの結果が出ますが・・・。--Ich57 2007年3月3日 (土) 22:42 (UTC)
- 私が検索したところ国家の父で検索274件、建国の父で検索56,300件となっています。とはいえ、検索結果がすべてではありませんのであくまで「建国の父」のほうが多いという程度の証拠にしかならないとは思います。検索でわかったのですが「国家の父」という言い方も実在するようですね。見たところ、ローマのアウグストゥスが多いようです。「建国の父」はアメリカの印象が強いですが、インドネシアのスカルノやミャンマーのアウン・サンなども「建国の父」と呼ばれていたと思います。確か…。--Clapon 2007年3月3日 (土) 23:48 (UTC)
- ただここはあまり詳しくないのですが、「国父」と聞いて思い浮かぶのが孫文だとするならば、「建国の父」ということばでイメージするのは、自分の場合アメリカのWashingtonかJeffersonだけなのですが・・・果たして「建国の父」ということばは一般的なのでしょうか。Googleで「"国家の父"」を検索した場合(478,000件)、「"建国の父"」(56,300件)よりも多くの結果が出ますが・・・。--Ich57 2007年3月3日 (土) 22:42 (UTC)
- 言語の指定の仕方によるようです。言語対象を指定しなければ国家の父のほうが多くなっていたので。試行不足でした。申し訳ありません。しかし以上で、いずれの言い方も実在することがわかりました。あとは、
- 「建国時に寄与した人」に限定の記事とするのか、もしくは
- 「国の発展に寄与した人一般」とするのかだと思います(勝手に進めてすいません)。
- たとえば、アメリカを例にすれば、前者に含まれるのはWashingtonなどだけでしょうし、後者にすればアメリカ史上の英雄、LincolnやFDRも含まれると思います。いずれがよいかは、少し決めかねます。--Ich57 2007年3月4日 (日) 00:26 (UTC)
- この記事の方向性は、わたしは「建国へ導いたり、国家崩壊の危機を救ったり、弱小国を発展させたりしたことにより、広く国民から崇敬されている人物」ではないかな、と思います。建国時の人物であれ建国後の人物であれ、あるいは建国前に死んだ人物であれ、国家をあらしめた人物であること、そして国民からの尊敬というところは重要でしょう。
- だからこそ「中立性に疑問」という異論も出ると思いますが(「彼/彼女がその国で今も尊敬されているという話は聞かない」とか、「国家が崇拝を強制させているだけだ」とか)。
- やはりタイトルは「国父」としたい気もします。--Nopira 2007年3月4日 (日) 02:23 (UTC)
私も「建国の父」にこだわるわけではありませんので、「国家の父」「国父」でも特に異論はありませんが懸念として歯止めが利かなくなるというのがあるというのは前述の通りです。そこで記事の改善案として以下の内容を提案します。
- タイトルは「国家の父」
- 建国にかかわらず、国家の発展に寄与した人物も含める
- なぜ父と呼ばれるのか簡単な説明を記載すること
理由としては、「国家の父」が日本語としてこなれていない分、「国父」「建国の父」よりも固定概念がつかず中立的な言葉であるように感じます。また、扱う人物は現在の記事と同じように建国にかかわった人物に限定する必然性はないでしょう。歯止めが利かなくなるという懸念に対しては、父と呼ばれる理由を簡単に記載することで出典不明・中立的ではない人物を排除しやすくなると考えます。このような内容ではいかがでしょうか?--Clapon 2007年3月4日 (日) 15:02 (UTC)
- 議論を蒸し返すようで悪いですが、nationの意味から考えると国民の父を提案します。国家の父よりも限定的でない分、記事の発展が見込めると思います。それ以外は上記のClaponさんに賛成します。--Caminante 2007年3月5日 (月) 00:04 (UTC)
- 国民の父は1,090,000件[1]日本語としても十分こなれていると思いますが。--Caminante 2007年3月5日 (月) 00:21 (UTC)
- 旧約聖書のアブラハムも神から「あなたを多くの国民の父となす」云々といわれたので、そのイメージがありますね。アブラハムを除くと国民の父の検索結果は[2]
- 26,200件。出てきた結果はこの項で述べようとしているような、誰かが国民の尊敬の対象となっているというような話が多いです。そうした尊敬を強制することへの批判もたくさん出てきますが。
- 国家の父にしろ国民の父にしろあまり聞きなれない印象のある言葉ですが、nationの意味から、という点では国民も妥当かもしれません。ところで「国父」は固定観念が強すぎでしょうか。孫文にだけ使ってるイメージも(個人的には)ありませんが…。--Nopira 2007年3月5日 (月) 00:56 (UTC)
- いろいろな案が出てきて、私も迷っております。Claponさん改善案は魅力的ですが、今すでにある一覧の表はいったん削除するのかを決める必要があると思います。そのままにしておいても、各人を記入した投稿者が律儀に説明を追加してくれるかどうかがわからないですよね。
- なお、ページ名の各案について、私なりにGoogle検索(日本語ページ限定)してみたのですが、
- もう少し考えさせてください。各案とも、ページ名としてはそれなりにふさわしく、一長一短を持っているという印象です。ただ「わざとなじみのない語を採用する」というClapon案は名案だと思います。--Novo 2007年3月5日 (月) 08:57 (UTC)
- 「なぜ父と呼ばれているか」については、私がわかる範囲で調べて下の#出展の明示に記載してみますので、それを見たうえで採用するかどうか考えていただいて結構です。言いだしっぺなのでやってみます。--Clapon 2007年3月5日 (月) 09:57 (UTC)
- もう少し考えさせてください。各案とも、ページ名としてはそれなりにふさわしく、一長一短を持っているという印象です。ただ「わざとなじみのない語を採用する」というClapon案は名案だと思います。--Novo 2007年3月5日 (月) 08:57 (UTC)
改名提案(その3)
[編集]いろいろ行き違いがあって、出されていた移動依頼が実行されましたが、このままでいいかどうか、緊急にご意見を伺いたいと思います。定義はページ名と矛盾しないように「発展期」をコメントアウトしましたが、これは暫定で、逆に一覧とは矛盾する定義になります。よろしくお願いします。--Novo 2007年3月13日 (火) 06:30 (UTC)
- 改名提案を出しっぱなしだった者です。もうしわけないです。国民からの尊敬、という観点なら項目名は「国民の父」でもいいと思います。--Nopira 2007年3月13日 (火) 13:49 (UTC)
- やはり議論を継続するのがよいと考えます。そのうえで再提出しましょう。私は「国民の父」をタイトルにして、残りをリダイレクトし、そのうえでその細かい違い等について本文で叙述するのがよいと考えますが、いかがでしょうか。--Ich57 2007年3月15日 (木) 00:44 (UTC)
- 私も賛成です。記事名は「国民の父」、内容はClapon改善案、個々の語について細かい違いを定義部で記述がベストと考えます。--Novo 2007年3月16日 (金) 02:32 (UTC)
- (賛成)「国民の父」は現在赤リンクなので、移動依頼に出さなくても誰でも記事を「国民の父」へ移動できる状態です。しばらく待って反対意見がなければ、私なり皆様の中の誰かが移動してしまってよいと思います。--Nopira 2007年3月17日 (土) 10:28 (UTC)
- (コメント)政権側のプロパガンダ(国民教化、忠誠要求、個人崇拝扇動……etc.)によって作られた「父」も複数います。この種の指導者称揚は権威主義的な支配と伴いやすいということもあり、「国民の」とまで言ってしまうのには語感として抵抗を感じます。金日成も包含することができる概念として書かれていると思っていたのですが、いかがでしょうか。--Iosif 2007年3月17日 (土) 16:18 (UTC)
- そうですねえ。逆に考えると、「政権側のプロパガンダ」がぜんぜんなくて、「自然」に「父」になった例というのはあるのでしょうか。私はもともとある意味では全部が「プロパガンダ」の結果だと考えているのですが、それでいいかどうか念のため確認しておいた方がいいですね。みなさまいかがでしょうか。--Novo 2007年3月17日 (土) 23:21 (UTC)
- そもそも、この概念自体、ナショナリズムありきだと思うので問題ないと考えています。政府が変われば、一夜にしてそれまで「父」と称えられていた人物が「国賊」になったり、あるいはその逆になったりするのではないでしょうか。今の体制下では(思想面で強制力を伴っていようといまいと)金日成が北朝鮮の「父」であることは事実であるのは認めざるを得ません。しかし(以下仮定上の話になりますが)現体制が崩れて、北朝鮮に新たに出来る政府がたとえば「金日成はこの地域を貧しくした張本人である」として金日成を批判すれば、その途端に「父」でなくなるというだけのことで、ある意味でどんな「父」も現在の政府と関係があるといえるのではないでしょうか。--Ich57 2007年3月18日 (日) 01:21 (UTC)
- あとから読んだので話を戻すようなことになって恐縮です。こういう意見があるというていどで聞いてもらえれば……。▼私は、Novoさんと同じく、政権側のプロパガンダの結果であるのがほとんどだと思っています(全部と言わないのは単にまったく知らない地域も挙がっているから)。で、個人的な感じ方だけで言って申し訳ないのですが、「建国の父」というアメリカ的な言い方だと政権側のプロパガンダ色が薄い印象がありますし、「国民の父」という言葉にも少し自然発生的な印象を覚えます(「民」が入っているからというだけですが)。これが「国家の父」「国父」だと違和感を感じないでおります(あ、でも、孫文やガンジーに「国家」の語は変なのかなあ……)。--Iosif 2007年3月18日 (日) 05:42 (UTC)
- 議論に参加できず申し訳ありませんでした。国家の父にはこだわりませんので、「国民の父」への移動への意見が多いようでしたら賛成です。ここまでの議論を読んで率直に言ってしまえば、すべてのケースにしっくりくる言葉はないのではないかと思えてしょうがありません。片方を立てればこちらが立たずとなるのはある程度致し方ないのではないでしょうか。なかでも多くの人に当てはまるであろう言葉を選ぶのが現実的だと思います。「諸説あるものも含む」「政権が奨励した」等の補足を文中に記載しておけばよいように思います。--Clapon 2007年3月19日 (月) 04:03 (UTC)
- 私も賛成です。記事名は「国民の父」、内容はClapon改善案、個々の語について細かい違いを定義部で記述がベストと考えます。--Novo 2007年3月16日 (金) 02:32 (UTC)
この概念が「プロパガンダ」の結果や「ナショナリズム」など主観的観念に基づくものだという点ではだいたいご異議ないようですので、あとは「国家」か「国民」かという点を煮詰めればいいかと思います。Claponさんのお話のように「すべてのケースにしっくりくる言葉はない」という理解に私も同感で、私の結論も迷ったあげくのものです。私が「国民」を選んだのは英語版のnationとの対応を考えたことによりますが、日本語では「国民」という語は中性的な、特定の立場に由来しない使い方をされているので、Iosifさんが違和感を感じられたのかなと推測しています。しかし、「国民」(nation)概念そのものについてもすでに社会学では批判的な分析がされています(はしょって言うと、「国民」という概念も「プロパガンダ」の結果として生ずる、ということです)から、この項目のページ名としては、そうしたマイナスの側面をも「国民」という語でなんとか包含できるのではないでしょうか。あとはすでに一致しているように本文でいろいろ補足を加えればバランスが取れると思います。--Novo 2007年3月19日 (月) 11:50 (UTC)
- ほぼまとまりつつあるとはいえ、まだ完全に結論が出ていない段階でBoardoccurさんにて国民の父に移動が行われました。どうも影武者系の方ではないかと気になります。--Clapon 2007年3月26日 (月) 07:08 (UTC)
- 事情を問い合わせると「日本語が分からない」としか答えないのも困ったちゃんですが、ここでの議論自体は確かにまとまりつつあると思いますので、新ページ名がこのままでいいかご意見をお知らせください。私はこのままで賛成です。定義部の記述に工夫がいるかと思います。--Novo 2007年3月28日 (水) 17:38 (UTC)
- 移動が差し戻されてますます話がこんがらがってきましたが、「国民の父」への再移動についてご異論のある方はいらっしゃらないでしょうか。もうしばらく、1週間程度様子を見ましょう。国民の父は建国の父へのリダイレクトになっていますので、依頼しなくても移動は出来ます。--Novo 2007年3月30日 (金) 05:26 (UTC)
- Novoさんその節はありがとうございました。えーっと差し戻されているようですね…。「国民の父」の移動について異論はありません。--Clapon 2007年3月30日 (金) 05:35 (UTC)
- 私も異存ありません。--Nopira 2007年3月30日 (金) 12:25 (UTC)
- なんというか、愉快犯の標的になってるんじゃないですかね。なるべく早くけりをつけたほうがよさそうですね。移動合戦は罪が重いですから。--Novo 2007年3月30日 (金) 17:44 (UTC)
- 改名提案のテンプレートを張りなおしました。張らないまま議論をしていたので移動差し戻しになったのかもしれませんね。--Novo 2007年3月31日 (土) 18:05 (UTC)
- なんというか、愉快犯の標的になってるんじゃないですかね。なるべく早くけりをつけたほうがよさそうですね。移動合戦は罪が重いですから。--Novo 2007年3月30日 (金) 17:44 (UTC)
- 移動が差し戻されてますます話がこんがらがってきましたが、「国民の父」への再移動についてご異論のある方はいらっしゃらないでしょうか。もうしばらく、1週間程度様子を見ましょう。国民の父は建国の父へのリダイレクトになっていますので、依頼しなくても移動は出来ます。--Novo 2007年3月30日 (金) 05:26 (UTC)
- 改めて。ここの議論参加者の一人として、主流案の「国民の父」を支持いたします。また多くの議論参加者もこの案を推していることを確認いたします。--Ich57 2007年3月31日 (土) 22:33 (UTC)
- Clapon様、お呼びいただきありがとうございます。「すべてのケースにしっくりくる言葉はないのではないか」という考えに立つべきでしょうから、根拠なく私見(感じ方)を述べるのは害になるかもしれません。個人的には「国父」の語に馴染みがあり、次いで「国家の父」の語がより多くのケースを包含しやすいように感じています。が、「国民の父」と「建国の父」の二者択一であれば主流案である「国民の父」を支持します。この場合、nation(または「ネーション」)の訳語として「国民」と言っていることがわかるように、どこかで英語を入れておけないかなと、まだぼんやりとですが考えています(英語版からの翻訳が元ですし、他の言語ではなく英語であってもかまわないかと)。取り急ぎ。--2007年4月1日 (日) 20:55 (UTC)署名忘れ。--Iosif 2007年4月1日 (日) 20:56 (UTC)
- Iosifさんのご意見は条件付で「国民の父」を支持されたものと判断します。項目名の英訳はもともとあったものが議論中に通りすがりの方によって消されましたが、定義部に項目名採用の理由を明示する形で復活すればよいと思います。このほか、「国父」「建国の父」「国家の父」についてもニュアンスの違いを明記する、という条件で、「国民の父」に移動したいと思います。確かこれで全員同意でしたよね?--Novo 2007年4月2日 (月) 16:48 (UTC)
- 移動し、冒頭部に加筆しました。お気づきの点があれば訂正をお願いします。--Novo 2007年4月2日 (月) 17:41 (UTC)
- Novoさんお疲れ様でした。以前よりぐっと中立的になったように思います。気づきがあれば加筆いたします。--Clapon 2007年4月3日 (火) 00:39 (UTC)
- Novoさん、みなさんお疲れ様でした。出典探しにまた協力します。--Nopira 2007年4月6日 (金) 15:17 (UTC)
- Clapon様、お呼びいただきありがとうございます。「すべてのケースにしっくりくる言葉はないのではないか」という考えに立つべきでしょうから、根拠なく私見(感じ方)を述べるのは害になるかもしれません。個人的には「国父」の語に馴染みがあり、次いで「国家の父」の語がより多くのケースを包含しやすいように感じています。が、「国民の父」と「建国の父」の二者択一であれば主流案である「国民の父」を支持します。この場合、nation(または「ネーション」)の訳語として「国民」と言っていることがわかるように、どこかで英語を入れておけないかなと、まだぼんやりとですが考えています(英語版からの翻訳が元ですし、他の言語ではなく英語であってもかまわないかと)。取り急ぎ。--2007年4月1日 (日) 20:55 (UTC)署名忘れ。--Iosif 2007年4月1日 (日) 20:56 (UTC)
- 事情を問い合わせると「日本語が分からない」としか答えないのも困ったちゃんですが、ここでの議論自体は確かにまとまりつつあると思いますので、新ページ名がこのままでいいかご意見をお知らせください。私はこのままで賛成です。定義部の記述に工夫がいるかと思います。--Novo 2007年3月28日 (水) 17:38 (UTC)
出典の明示
[編集]先ほど、利用者:Honkou(会話/履歴)さんが記事に関して「出典明示」のテンプレートを張りました。{{要出典}}を張った部分だけに関してか、記事全体に関してか、どの部分に対するものかは今のところわからないので、とりあえず記述全体について、出典を明示するよう、執筆者の方々にお願いします。いちいち本文に明示すると大変なので、とりあえず「一覧」については下にコピーしたものの各行の後にそれぞれご記入の上、署名をお願いします。なお本文は元々Wikipedia英文版からの翻訳であり、英文版記事にも「出典明示」が求められていること、初版投稿者は無期限ブロックを受けておりすでに編集できないことを注記します。よろしくお願いします。--Novo 2007年3月2日 (金) 03:12 (UTC)
- アフガニスタン--Novo 2007年3月3日 (土) 04:12 (UTC)
- ザーヒル・シャー - 2004年6月の緊急ロヤ・ジェルガにて、国父として象徴的な立場とすることが決定される [9]--Clapon 2007年3月5日 (月) 14:37 (UTC)
- アルバニア--Clapon 2007年3月5日 (月) 14:37 (UTC)
- スカンデルベク - オスマン帝国の侵入から国を守った英雄 [10]--Clapon 2007年3月5日 (月) 14:37 (UTC)
- アルジェリア
- アフメド・ベンベラ
- アンティグア・バーブーダ
- サー・ヴェア・バード
- アルゼンチン--Clapon 2007年3月5日 (月) 22:03 (UTC)
- ホセ・デ・サン=マルティン - 南米各国のスペインからの独立運動で活躍した。(アルゼンチンでは国民の祝日および紙幣に登場することから英雄視されていることがわかる[11][12]) --Clapon 2007年3月5日 (月) 22:03 (UTC)
- アルメニア
- 幻視者グレゴリオス
- オーストラリア
- サー・ヘンリー・パークス(Henry Parkes)
- オーストリア
- カール・レンナー
- バハマ
- サー・リンデン・ピンドリング(Lynden Pindling)
- バングラデシュ
- ムジブル・ラフマン
- バルバドス
- エロール・バロー(Errol Barrow)
- ボリビア、コロンビア、エクアドル、ペルー、ベネズエラ パナマ(未確認)--Clapon 2007年3月5日 (月) 22:03 (UTC)
- シモン・ボリバル - 南米各国をスペインからの独立に導いたため解放者と呼ばれる。[13]--Clapon 2007年3月5日 (月) 22:03 (UTC)
- ボツワナ
- サー・セレッツェ・カーマ(Seretse Khama)
- ブラジル
- ペドロ1世 (ブラジル皇帝)
- ジョゼ・ボニファシオ(José Bonifácio de Andrade e Silva)
- ミャンマー(ビルマ)
- アウン・サン - イギリスからの独立を目指し戦ったため建国の父と呼ばれる(出典なし、あえて言えば[14])--Clapon 2007年3月5日 (月) 14:37 (UTC)
- ブルンジ
- ルイ・ルワガソレ(Louis Rwagasore)
- カンボジア
- ノロドム・シハヌーク
- カナダ
- サー・ジョン・A・マクドナルド
- ジョルジュ・エティエンヌ・カルティエ(George-Étienne Cartier)
- 中央アフリカ
- バルテレミー・ボガンダ(Barthélemy Boganda)
- チリ
- ベルナルド・オイギンス
- ホセ・ミゲル・カレーラ(José Miguel Carrera)
- 中華民国--Novo 2007年3月3日 (土) 04:12 (UTC)
- 孫文
- 中華人民共和国--Novo 2007年3月3日 (土) 04:12 (UTC)
- 孫文
- 毛沢東
- コートジボワール
- フェリックス・ウフェボワニ(Félix Houphouët-Boigny)
- クロアチア
- アンテ・スタルチェヴィッチ(Ante Starčević)
- フラニョ・トゥジマン(Franjo Tuđman)
- キューバ
- カルロス・マヌエル・デ・セスペデス(Carlos Manuel de Céspedes)
- ホセ・マルティ
- フィデル・カストロ
- チェコスロヴァキア
- チェコ
- カール4世 (神聖ローマ皇帝)
- トマーシュ・マサリク
- チェコ
- ドミニカ共和国
- フアン・パブロ・ドゥアルテ(Juan Pablo Duarte)
- 東ティモール
- シャナナ・グスマン
- エジプト
- サアド・ザグルール(Saad Zaghlul)
- ガマール・アブドゥン=ナーセル
- エチオピア
- メネリク1世
- エルサルバドル
- ホセ・マティアス・デルガード(José Matías Delgado)
- フィジー
- カミセセ・マラ(Ratu Sir Kamisese Mara)
- フィンランド--Nopira 2007年3月4日 (日) 03:05 (UTC)
- カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム
- フランス
- シャルル・ド・ゴール(第五共和政)
- ナポレオン・ボナパルト(第一帝政)
- ジャンヌ・ダルク
- シャルルマーニュ(神聖ローマ帝国およびフランク王国)
- ウェルキンゲトリクス
- ガンビア
- ダウダ・ジャワラ(Dawda Jawara)
- ドイツ
- コンラート・アデナウアー(ドイツ連邦共和国)
- ウィリー・ブラント(ドイツ連邦共和国)
- カール・リーブクネヒト(ドイツ民主共和国)
- アドルフ・ヒトラー(第三帝国)
- オットー・フォン・ビスマルク(ドイツ帝国)
- オットー1世(神聖ローマ帝国)
- カール大帝(神聖ローマ帝国と東フランク王国)
- アルミニウス(Arminius)
- ガーナ
- クワメ・エンクルマ
- ギリシャ
- イオアニス・カポディストリアス
- ギニア
- セク・トゥーレ
- ハイチ
- ジャン=ジャック・デザリーヌ(Jean-Jacques Dessalines)
- ホンジュラス
- フランシスコ・モラサン(Francisco Morazán)
- ハンガリー
- アールパード(Árpád)
- ラヨシュ・コシュート(Lajos Kossuth)
- アイスランド
- ヨゥン・シグルズソン(Jón Sigurðsson)
- インド--Novo 2007年3月3日 (土) 04:12 (UTC)
- マハトマ・ガンジー - 「非暴力・不服従」を提唱しインドを独立に導いた(出典なし・常識の範囲か)--Clapon 2007年3月5日 (月) 14:37 (UTC)
- インドネシア
- スカルノ
- イラン
- 大キュロス
- アイルランド
- マイケル・コリンズ
- イタリア--Nopira 2007年3月4日 (日) 03:05 (UTC)
- ジュゼッペ・ガリバルディ
- ジュゼッペ・マッツィーニ
- カミッロ・カヴール
- イスラエル
- テーオドール・ヘルツル
- 日本
- 明治天皇
- ケニア--Novo 2007年3月3日 (土) 04:12 (UTC)
- ジョモ・ケニヤッタ
- ラオス
- ペサラート王子(Phetsarath)
- レソト
- モショエショエ1世(Moshoeshoe I)
- マラウイ
- ヘイスティングズ・カムズ・バンダ
- マレーシア
- トゥンク・アブドゥル・ラーマン
- マルタ
- マンウェル・ディメク(Manwel Dimech)
- モーリタニア
- モクタル・ウルド・ダッダ
- モーリシャス
- サー・シウサガル・ラングラーム
- メキシコ
- ミゲル・イダルゴ
- モンゴル--Novo 2007年3月3日 (土) 04:12 (UTC)
- チンギス・ハーン
- スフバートル
- モンテネグロ
- ミロ・ジュカノヴィチ(Milo Djukanovic)
- モロッコ
- ムーレイ・イドリース1世(Moulay Idriss I)
- ナミビア
- サム・ヌジョマ
- オランダ
- ヴィレム1世 (オランダ総督)
- ナイジェリア
- ナムディ・アジギヴィ(Nnamdi Azikiwe)
- 朝鮮民主主義人民共和国--Novo 2007年3月3日 (土) 04:12 (UTC)
- 金日成
- パキスタン
- ムハンマド・アリー・ジンナー
- パレスチナ自治区
- ヤーセル・アラファート
- フィリピン
- ホセ・リサール
- ポーランド
- ユゼフ・ピウスツキ
- ポルトガル
- アフォンソ1世 (ポルトガル王)
- ロシア
- ユーリー・ドルゴルーキー
- ドミトリイ・ドンスコイ
- セントルシア
- サー・ジョン・コンプトン(John Compton)
- セントビンセントおよびグレナディーン諸島
- サー・ジェームズ・ミッチェル(James F. Mitchell)
- サウジアラビア
- アブドゥルアズィーズ・イブン=サウード
- セネガル
- レオポルド・セダール・サンゴール
- セルビア
- ステファン・ネマニャ、聖サヴァ(Saint Sava)
- シエラレオネ
- サー・ミルトン・マルガイ
- シンガポール
- リー・クアンユー
- 南アフリカ共和国
- ネルソン・マンデラ
- 大韓民国--Novo 2007年3月3日 (土) 04:12 (UTC) 下での議論に基づき署名を撤回--Novo 2007年3月30日 (金) 07:13 (UTC)
- 金九
- 旧ソビエト連邦
- ウラジーミル・レーニン
- スリランカ
- ドン・スティーブン・セーナーナーヤカ(Don Stephen Senanayake)
- スーダン
- イスマイル・アル=アズハリ(Ismail al-Azhari)
- スウェーデン
- ビルイェル・ヤール(Birger jarl)
- グスタフ1世 (スウェーデン王)
- タンザニア
- ジュリウス・ニエレレ
- テキサス共和国
- スティーブン・オースティン
- チュニジア
- ハビーブ・ブルギーバ(Habib Bourguiba)
- トルコ--Novo 2007年3月3日 (土) 04:12 (UTC)
- ケマル・アタテュルク
- トルクメニスタン
- サパルムラト・ニヤゾフ
- ウガンダ
- ミルトン・オボテ
- ウクライナ
- クィイとその兄弟(Kyi, Schek and Khoryv)
- アラブ首長国連邦
- ザーイド・ビン=スルターン・アール=ナヒヤーン
- アメリカ合衆国
- ジョージ・ワシントン
- ウルグアイ
- ホセ・ヘルバシオ・アルティガス(José Gervasio Artigas)
- ウズベキスタン
- ティムール
- バチカン
- ペトロ
- ベトナム
- ファン・ボイ・チャウ
- ホー・チ・ミン
- 西サハラ
- エル・ワリ(El Ouali Mustafa Sayed)
- ユーゴスラビア
- アレクサンダル1世 (ユーゴスラビア王)
- リベリア
- ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ(Joseph Jenkins Roberts)
- レバノン
- ビシャラ・アル・フーリー
(コメント)一応、大学の専攻分野からですと、東南アジア(インドネシア、マレーシア、シンガポール、ヴェトナム、旧ビルマ、カンボジア)、イスラーム圏(UAE、サウジアラビア、パキスタン、PLO)に関しては問題ないでしょう。これにレバノンのビシャラ・アル・フーリーを加えても問題はないはずです。あと、知見ですけど、レソトのモショエショエ1世もクリアで問題ないと思います。
(コメント)クリアした国は、フォントカラーで他と区別しやすくするため、緑色・太字にしてあります。'''<font color=green>「国名」</font>'''で編集可能です。--Tantal 2007年3月3日 (土) 03:38 (UTC)
- (コメント)出典提示を要求した方は、書誌情報を求めておられるかもしれませんので、そのときは対応をよろしくお願いいたします。私も上にならっていくつか加筆しました。韓国の金九には表にも{{要出典}}が張られていますが、Google検索するとかなり大量にヒットするので特に問題はないと思います(特定のPOVから見ればどうなるかはわかりませんが)。中華人民共和国については議論が分かれるところなので、詳しい方からの補足があればお願いします(私も断定はしません。「常識」的にこうだろうという程度です)。--Novo 2007年3月3日 (土) 04:12 (UTC)
(コメント)フィンランドに関しては問題なし。近代イタリアもこの3人組は重要。あとはメキシコとフィリピンもこれでいいのではと思いますがどうでしょう。明治天皇については悩ましいですね。(維新の元勲のほうが重要ではあろうが、彼らはあまり国民的尊敬はされてないような)--Nopira 2007年3月4日 (日) 03:05 (UTC)
- (コメント)横から本当に恐縮なのですが少し失礼いたします。韓国の金九に要出典テンプレを貼ったのは私なのですが、かなり違和感があります。金九を列するべきではないとか言うつもりでは、もちろんありません。というのも、前節(「建国の父≠国家の父」ではないかという提起)と同じ立場から言うのに近いのですが、韓国で「国父」と言うと朴正煕を想起する人が、支持・非難の両方を含めて一定数います(実感としてはかなりの数です)。これに対して「建国の父」と言うとよくわかりません。少なくとも朴正煕は候補から外れますが、とはいえ人によって返事が違うだろうと思います。もちろん金九は左右両翼から人気のある「英雄」で多くから尊敬されています。大韓民国もいちおう建前上は金九が指導した上海臨時政府に正統性の根拠をおいています。しかし、それでも、やはり、大韓民国の建国にほとんど影響していない/まったく権力とも政権とも縁がなかったことも知られているので、「国父」と呼ぶ用例がそれほどあるのか疑問なのです。Googleで検索して出てくる記事は多いですが、権威あるページがまったく見られず、何を出典にしているのかが疑問です。ほとんどが個人ページですし、どこから「国父」と言い始めて引き写されているのかわかりません。Wikipediaを典拠としているものもいくつもありました。で、英語版が一体何を根拠に金九を挙げたのか、ノートを見てもよくわからないですし……。韓国の場合、政府が誰かを特別に国父として顕彰しているわけではないので誰を選んでもPOVになるのかもしれません。--Iosif 2007年3月11日 (日) 22:00 (UTC)
- (コメント)引きつづき失礼します。ユーゴスラビアはユーゴスラビア社会主義連邦共和国の「建国の父」としてチトーを挙げないと変じゃないでしょうか。--Iosif 2007年3月11日 (日) 22:00 (UTC)
- (コメント)貴重な情報ありがとうございます。私も詳しくないのにうかつに太鼓判を押してしまい失礼いたしました。私はお話の中の「左右両翼から人気のある「英雄」」というところ(「烈士」以外の職業的政治家でそういう人は少ないと思いまして)を重く見て断定してしまったのですが、もともと記事自体の定義についてのコンセンサスもないので、当然異論はあってしかるべきで、早速ご指摘をいただくことになりました。ご関心があれば上の改名提案にもご意見いただければと思います。私は個人的には、「権力と実際に縁があって、具体的に何かしたかどうか」という客観的基準はあまり重要視していなくて、大多数の国民から特別に尊敬されているかどうか(厳密に言えば国家がそういう教育をしているかどうか)、という象徴的な意味の方がこの概念の核心であり、したがって完全な中立性はもともとどの国についても望めないと考えています。現にホセ・リサールもファン・ボイ・チャウも本人は「反乱者」のまま生涯を終えていますし、言い過ぎかもしれませんが、アウン・サンもスフバートルも建国ぎりぎりで死んだのでその後の人が「建国の父」に祭り上げたのではないかと思います。まあそれはさておいても、金九は国民の大多数にとって、やはりせいぜい「烈士」の一人という以上の存在ではない、というご判断でしょうか。--Novo 2007年3月12日 (月) 01:39 (UTC)
- (コメント)いや、それが私も、よくわからないのです。すみません。疑義を呈するという書き方をしてしまいましたが、「要出典」の言葉どおりお尋ねのつもりでもあると書くべきでした。▼たしかに金九は「烈士」のなかでも格別視されているようには感じます。感じるだけで断言するだけの根拠が提示できるわけではありませんが。「金九」と言えば「先生」とつける用例が多いことなんかも格別視のあらわれだと感じています。▼Novoさんが「国父」という概念の核心として「国民から特別に尊敬されているかどうか」だけではなく「厳密に言えば国家がそういう教育をしているかどうか」を挙げていらっしゃるのはまさしく私が抱いているイメージも言い当てていました。この言葉を軸に少しおしゃべりいたします。自分は「そういう教育をしているか」という観点からも金九についてアレ?と思ったと言ってよい気がします。反乱者や独立運動家を国父と呼んで祭り上げて顕彰しているケースがいくつもがあることは私も当然だと思っていては疑問を覚えていません。しかし、金九の場合は「権力に縁がない」ばかりか(←半端な表現でしたね)、南北協商を目論んで北朝鮮に行くくらいですから大韓民国政府にとって事実上の反政府活動家だったと言っても良いと思います。そういう人を韓国政府がすすんで顕彰することってあるんだろうか?と疑問に思った次第です(ただ、「政府が誰かを特別に国父として顕彰しているわけではない」とまで書いたのには、ちょっと自信がなくなってきました。聞いたことはないですが、本当に知らないだけかもしれないし…)。▼個人的な体験でしかありませんがいくつかしたためておきます。韓国人が「国父」と呼んでいるのを自分で見かけた例は朴正煕に対するものだけでした。現に朴正煕時代末期は個人崇拝じみた教育を学校にやらせていたとアメリカ人が書いているのを見たことがあるので、それが本当ならばある世代には何らかの影響があるかもしれません。それから、むかーし韓国の独立記念館というところを見物したのを記憶にたどると、展示は金九をそれほど特別視していたようには感じませんでした。李承晩と金九はそれなりに平等に(つまりあくまで李承晩を筆頭者に)並べていたように思います。金九ファンは李承晩が大嫌いであるにもかかわらず、です。これらも今までの韓国政府がすすんで金九を国父扱いしないんじゃないかと思わせていた材料です。▼あまり参考にならずに申し訳ないです。私も確固としたことが言えないことに気づきました。疑問符がついたということだけご記憶いただければ幸いです。私の「判断」を問われた点に対する答えになっていませんが、国民間の人気の程度よりも、その人気だけで「国父」と言うのだろうか?という疑問だとご理解いただけますでしょうか。西郷隆盛は国民的人気が高いですが、「賊軍」でもあるしお札に刷られたりもしない……これのもっともっと人気のあるバージョンを思い浮かべても「国父」という言葉を当てはめるのには違和感があるとでもたとえればいいでしょうか。--Iosif 2007年3月13日 (火) 00:39 (UTC)
- (コメント)なるほどお話を伺って、私も「父」とまで言っていいのかには自信がなくなりました。「国父」と呼んだ例は、言われてみると私もネット以外では見たことがありませんし、ネット検索の結果を一般化できないとすれば、再検討の余地があります。少なくとも韓国の歴史教科書を調べてみる必要がありますね。政府の評価は1962年(つまり朴政権のはじめ)に「建国勲章大韓民国章」を安重根、安昌浩、尹奉吉らと並んで授与されているところからみると、これも「最高の烈士のひとり」という以上のものではないのでしょうね。
- 単独総選挙に反対して北朝鮮に行くなど、成立当初の政府と対立したことがマイナス評価になるかどうかは、もともとライバルだった李承晩から見れば当然にそうでしょうが、李政権崩壊以後の視点から見ればまあ人それぞれでしょう。孫文の「連ソ、容共、扶助工農」路線をその死後に蒋介石は否定しましたが、だから「国父」でないとまでは言えなかったわけで、要するに「国父」というナショナリズムに基づくこの概念は、ロジカルなアプローチがあまり通用しない、理屈より気持ちが先立つものなのだと思います。気持ちの問題ですから、同時代の評価と後世の評価、政府の評価と市井の評価、教育とその効果は、いずれも必ずしもひとつにはなりません。ここでは(ページを作ってしまった以上)その中でなるべくコンセンサスの高いものを選ぶしかないわけですが、その過程で疑問符がついたということは、もちろん尊重しなければならないと思っています。
- やはりお話を伺って感じたのは、そもそもページ名もまだ決まっていない現状では解釈が分かれて当然だということ、早く定義を確定する必要があるなということです。難しくてなかなかコメントを出せないでいますが、今の感じでは建国後の偉い人(国を発展させた人)も含むという方向にいきそうなので、朴正煕を入れるという解釈も当然成り立ちます。しかしそうなると……荒れませんかね^^; といって金九を削除するほうが無難かというと、そうともいえない気もします。{{観点}}テンプレートを張りっぱなしにしておくのが一番説明が楽なんではないかというのが、私の考えです。--Novo 2007年3月13日 (火) 06:12 (UTC)
- (コメント)いや、それが私も、よくわからないのです。すみません。疑義を呈するという書き方をしてしまいましたが、「要出典」の言葉どおりお尋ねのつもりでもあると書くべきでした。▼たしかに金九は「烈士」のなかでも格別視されているようには感じます。感じるだけで断言するだけの根拠が提示できるわけではありませんが。「金九」と言えば「先生」とつける用例が多いことなんかも格別視のあらわれだと感じています。▼Novoさんが「国父」という概念の核心として「国民から特別に尊敬されているかどうか」だけではなく「厳密に言えば国家がそういう教育をしているかどうか」を挙げていらっしゃるのはまさしく私が抱いているイメージも言い当てていました。この言葉を軸に少しおしゃべりいたします。自分は「そういう教育をしているか」という観点からも金九についてアレ?と思ったと言ってよい気がします。反乱者や独立運動家を国父と呼んで祭り上げて顕彰しているケースがいくつもがあることは私も当然だと思っていては疑問を覚えていません。しかし、金九の場合は「権力に縁がない」ばかりか(←半端な表現でしたね)、南北協商を目論んで北朝鮮に行くくらいですから大韓民国政府にとって事実上の反政府活動家だったと言っても良いと思います。そういう人を韓国政府がすすんで顕彰することってあるんだろうか?と疑問に思った次第です(ただ、「政府が誰かを特別に国父として顕彰しているわけではない」とまで書いたのには、ちょっと自信がなくなってきました。聞いたことはないですが、本当に知らないだけかもしれないし…)。▼個人的な体験でしかありませんがいくつかしたためておきます。韓国人が「国父」と呼んでいるのを自分で見かけた例は朴正煕に対するものだけでした。現に朴正煕時代末期は個人崇拝じみた教育を学校にやらせていたとアメリカ人が書いているのを見たことがあるので、それが本当ならばある世代には何らかの影響があるかもしれません。それから、むかーし韓国の独立記念館というところを見物したのを記憶にたどると、展示は金九をそれほど特別視していたようには感じませんでした。李承晩と金九はそれなりに平等に(つまりあくまで李承晩を筆頭者に)並べていたように思います。金九ファンは李承晩が大嫌いであるにもかかわらず、です。これらも今までの韓国政府がすすんで金九を国父扱いしないんじゃないかと思わせていた材料です。▼あまり参考にならずに申し訳ないです。私も確固としたことが言えないことに気づきました。疑問符がついたということだけご記憶いただければ幸いです。私の「判断」を問われた点に対する答えになっていませんが、国民間の人気の程度よりも、その人気だけで「国父」と言うのだろうか?という疑問だとご理解いただけますでしょうか。西郷隆盛は国民的人気が高いですが、「賊軍」でもあるしお札に刷られたりもしない……これのもっともっと人気のあるバージョンを思い浮かべても「国父」という言葉を当てはめるのには違和感があるとでもたとえればいいでしょうか。--Iosif 2007年3月13日 (火) 00:39 (UTC)
- (コメント)貴重な情報ありがとうございます。私も詳しくないのにうかつに太鼓判を押してしまい失礼いたしました。私はお話の中の「左右両翼から人気のある「英雄」」というところ(「烈士」以外の職業的政治家でそういう人は少ないと思いまして)を重く見て断定してしまったのですが、もともと記事自体の定義についてのコンセンサスもないので、当然異論はあってしかるべきで、早速ご指摘をいただくことになりました。ご関心があれば上の改名提案にもご意見いただければと思います。私は個人的には、「権力と実際に縁があって、具体的に何かしたかどうか」という客観的基準はあまり重要視していなくて、大多数の国民から特別に尊敬されているかどうか(厳密に言えば国家がそういう教育をしているかどうか)、という象徴的な意味の方がこの概念の核心であり、したがって完全な中立性はもともとどの国についても望めないと考えています。現にホセ・リサールもファン・ボイ・チャウも本人は「反乱者」のまま生涯を終えていますし、言い過ぎかもしれませんが、アウン・サンもスフバートルも建国ぎりぎりで死んだのでその後の人が「建国の父」に祭り上げたのではないかと思います。まあそれはさておいても、金九は国民の大多数にとって、やはりせいぜい「烈士」の一人という以上の存在ではない、というご判断でしょうか。--Novo 2007年3月12日 (月) 01:39 (UTC)
「国民の父」の定義は?
[編集]「国民の父」の定義が曖昧でよくわからないです。定義をまずはっきり記述するべきではないでしょうか。そしてそれに則って以後の記事を整理していかないと、趣旨が不明確になります。 つまり、ここでいう「国民の父」が、なにがしかの公的機関から授与された称号のことをいってるのか、それとも単に一般名詞的な尊称(「閣下」とか「陛下」とか「猊下」とかみたいな)のことをいってるのか、はっきりさせなければいけません。 前者であればヒトラーや明治天皇は国民の父などと言われてないと思います。たとえばドイツじゃナチスはタブー扱いだし、日本には「国父」なんて称号自体存在しない。 後者であれば、そもそもリストにするべきものではないでしょう。各個人の主観オンリーになってしまって、リストが無限に広がってしまう。日本だったら明治維新の志士・元勲たちオールスターになる可能性があります。それはただの人気投票であって、百科辞典的な記事とはいえない。 私は一般名詞的な尊称として「国民の父」などという日本語を使ったことがありませんので、称号としてのセンで記事を構成するべきだと考えます。--222.13.35.37 2007年4月30日 (月) 04:17 (UTC)
- ノートを通読していただくと分かるとおり、この記事はいろいろ因縁と経過があって今のようになっています。初版投稿者は日本語能力がない人で、急きょ英語版からの翻訳で補い、リストも英語版を元にしたものですが、英語版にも「出典の明示」が求められています。複数の項目名候補と定義案とが競合したため、議論の結果、「わざとなじみのない語を選ぶ」合意のもとに「国民の父」という項目名になりました。定義は国家の独立期から発展期まで、公式な称号から一般的な評価まで広く取り、わざと曖昧にする、ただし主観オンリーにならないように出典の明示を義務付ける、という方針になっています(ヒトラーや明治天皇にも個別に出典の提示が求められています)。
- リストの削除や範囲・定義のしぼりこみについては、個人的には共感します(そういう意見を上で述べました)が、荒らしの懸念があるので現状ではそのままにしてあります。
- いずれにしても、問題提起がありましたので、かつて議論に参加された方々を中心に改めてご見解をいただければと思います。よろしくお願いします。--Novo 2007年4月30日 (月) 05:26 (UTC)
- Novoさんのご説明のようにこの記事が成立する際の紆余曲折があり、父と呼ばれている人々が雑多に入っているのが現状です。私は、広く尊敬されている人物を一覧で見ることは面白い試みだと思います。定義をある程度絞り込んだほうがよいのでしょうがそれぞれ父と呼ばれる理由や経緯も違いますし、一覧性を保つためには定義が緩やかにならざるを得ないのではないでしょうか。私は経緯や理由などをリスト内に簡単にまとめてはどうかという提案を上でしていますが、そのようにリストに入る理由と出典が明記されていれば、定義が厳格でなくてもかまわないと考えます。--Clapon 2007年5月1日 (火) 01:22 (UTC)
元となった英語版記事の削除
[編集]長らくのご無沙汰です。英語版記事は「独自研究」などの理由で削除処分となったようです。
まだ詳しく読んでいないのでなんともいえませんが、英語版利用者の間でも上がっている人名に異論があったようです。なかには偏見のある異論もあるようですが・・・。--Nopira 2007年5月26日 (土) 01:47 (UTC)