ノート:国道10号
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二桁国道
[編集]本文中に「番号は二桁であるが、いわゆる一桁国道に分類される(二桁国道は国道11号から)。」とありますが、国道の縦貫軸を構成するのは1号〜12号であり、二桁番号である10号までを一桁国道に分類する、というのは中途半端なのではないでしょうか? その分類の論拠はどこにあるのでしょうか? --203.179.21.193 2007年8月10日 (金) 04:26 (UTC)
- 私は専門家ではないので「いわゆる」を付けるだけという中途半端な編集でお茶を濁してしまいましたが、確かに「一桁国道に分類される」の部分の記載は気になっていましたので、この部分の記載を修正することには賛成です。修正にあたっては、「一桁国道」、「二桁国道」という区分があるのかどうか、12号までとそれ以降とを区別する呼び方があるのかなどを、何らかの資料で調べるか、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 道路で確認した上で、国道10号の記載だけでなく、国道5号、国道7号、国道9号、国道11号にある「一桁国道」についての記載も合わせて修正した方がよいのではないかと思います。--OiOiO 2007年8月10日 (金) 14:06 (UTC)
- その後も出典が示されず、自分で調べても根拠が不明なので、一桁国道に関する記載を削除しました。「一桁国道」や、国道12号までのグループについては、今後、新たに分かったことがあれば、改めて加筆していただきたいと思います。--OiOiO 2007年11月28日 (水) 18:13 (UTC)
- 整備規格も異なります。国道10号は日本の骨格ルートを形成する重要ルートなので一桁国道規格で整備されており、4車線以上の区間も多くバイパスも随所にあります。--以上の署名のないコメントは、219.104.17.194(会話/Whois)さんが 2007-12-27 02:23:07 (UTC) に投稿したものです。
- 道路構造令には、「第○種」「第○級」というのはありますが、「一桁国道規格」というのは寡聞にして始めてきくものです。「一桁国道規格」とはどのようなものなのでしょうか?また「4車線以上の区間も多くバイパスも随所にあります」というのもとても曖昧なものです。これなら高規格の三桁番号の国道なんかも「一桁国道」となってしまいます。--58.0.205.36 2007年12月27日 (木) 10:24 (UTC)
- そもそも○桁国道というのは、俗称ではないでしょうか? 百科事典にはあまりふさわしい表現とは思いません。--DIO 2007年12月28日 (金) 20:57 (UTC)
国道10号の起点について
[編集]履歴を見ると2012年10月26日以降,起点が「老松公園前交差点(国道2号終点、国道3号起点)」から「富野口交差点=国道3号上」に変化しています。起点が老松公園前ではない根拠,あるいは,起点が富野口である根拠は何でしょうか。--NRexplorer(会話) 2012年12月27日 (木) 02:49 (UTC)
- 私が記述変更いたしました。起点が老松公園前ではない根拠を中心に述べます。説明にあたり、国土交通省道路統計年報2011を用いますので、こちらの“II. 道路の現況”をダウンロード、LZH解凍してください。
- 資料のうち“表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況.pdf”の2ページにある国道10号ですが、北九州市は重用区間が1.2kmとあります。重用区間とは、番号の小さい国道(厚木市内の国道129号と国道246号重用区間は国道246号のほうが古くから指定されていて逆転する場合もある)と重複している区間延長を指し、総延長から重用区間や未供用延長などを差し引いた数字が実延長となるわけですが、終点側から見て国道3号と重複する小倉北区の三萩野交差点から1.2kmでは門司区にすら達することができません。1ページにある国道3号の北九州市は“指定区間外”(門司区 - 小倉北区)が11.3kmということですから、2011年現在の起点は従来起点とされていた北九州市門司区老松町3番1(老松公園前交差点=国道2号終点、国道3号起点)ではないことは間違いありません。
- 国道10号の成り立ちを簡単に説明いたしますと、戦後の道路法(昭和27年6月10日法律第180号)に基づく一級国道の路線を指定する政令(昭和27年12月4日政令第477号)によって指定された一級国道10号は門司市が起点でありました。その後の道路法改正によって一級・二級国道を併せた一般国道の路線を指定する政令(昭和40年3月29日政令第58号)によって起点が北九州市(1963年発足)になって以来、最終改正まで起点の表記は変更なく今日に至っております。この場合、北九州市内で起点が移動したとしても表記が変わることはありません。
- さて、一級・二級国道が一般国道に移行する7年前に制定された一般国道の指定区間を指定する政令(昭和33年6月2日政令第164号)によっていわゆる国直轄区間が指定されているのですが、当時は国道3号と国道10号はいずれも“門司市堀川町1番の19”からになっておりましたので、その後の改正から推測すると、同地点が国道3号と国道10号の起点であったのでしょう。その後の改正では、一般国道の指定区間を指定する政令の一部を改正する政令(昭和48年4月12日政令第45号)によって〔同表3号の項及び10号の項中「堀川町10番の1」を「老松町3番1」に改め〕とされ、2012年現在の国道2号の終点かつ国道3号の起点になりました。よって、当時は国道10号の起点も同地点であったことは間違いありません。
- 国道3号および国道10号の指定区間の起点が2012現在のもの(北九州市小倉北区砂津2丁目321番の13)になったのは、一般国道の指定区間を指定する政令の一部を改正する政令(昭和50年3月27日政令第46号)によるもので、門司区 - 小倉北区の区間は北九州市に移管されました。1990年代までは門司区の起点から北九州高速4号線春日出入口 - 富野出入口を経由して小倉北区の富野口交差点に至る区間が国道3号の新道として指定されておりましたので、このときの改正は新道指定に関連して現在の国道3号現道が旧道として指定区間を解除された可能性も考えられます。とはいえ、独自研究の域を抜け出せませんので理由は断定できません。
- 念のために、指定区間の起点(北九州市小倉北区砂津2丁目123番の13)が富野口交差点にある理由も述べておきますと、砂津交差点から富野口交差点にかけての都市計画道路事業を北九州市が実施していること、国土交通省九州地方整備局北九州国道事務所のサイト(地図を拡大すると指定区間が砂津交差点まで伸びていません)から伺えます。最終手段としてGoogle Mapのストリートビューを用いたところ、やはり富野口交差点に国土交通省と北九州市の管理境界標が設置されていることが確認できました。現在となっては中途半端な位置に映りますね。
- なお、以前に別件でここ数年分の北九州市公報をあたったことがあるのですが、他の指定区間外路線が登場する中で国道10号は一切登場せず、指定区間外(富野口交差点より砂津交差点側)は国道3号の単独区間の可能性が高いです。いずれにしても、先ほど述べた現在進行中の都市計画道路の進捗によって砂津交差点 - 富野口交差点の道路区域変更告示が北九州市公報に掲載されますので、記載内容によって同区間が国道3号単独区間なのか、国道10号重用区間なのか判明します。少なくとも門司区が起点ではないことは以上により確実です。--みちまん(会話) 2012年12月27日 (木) 14:17 (UTC)
- (追記)こういうことは独自研究にあたり記事に反映できないので、あくまでもノートでのコメントに留めさせていただきますが、念のためGoogle Mapで距離測定したところ、三萩野交差点から富野口交差点で1.2kmでした。あくまでもご参考にどうぞ。--みちまん(会話) 2012年12月27日 (木) 14:21 (UTC)
- 資料のご提示とその見方,それと昭和20年代からの経緯を踏まえての詳しいご説明をいただきありがとうございます。疑問は氷解しました。
- 道路の情報を調べる際にどのような資料にあたるべきかという点は日頃からの疑問でしたが,今回その一端を知ることができたのもとても今後の参考になります。今回ご紹介いただいた資料をじっくり読み込んでみたいと思います。--NRexplorer(会話) 2012年12月27日 (木) 22:39 (UTC)