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ノート:国鉄170形蒸気機関車

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車歴について

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本文記述中、(私の知識不足のせいかもしれませんが)以下2点が疑問点として引っかかったので、確認したいと思います。

  1. 廃車後は170が秋田鉄道(後の国鉄花輪線の一部)に譲渡されて、「4・2」に改番。 」とありますが、実際に4・2 という鉄道車両としてはいささか奇妙な番号になったものでしょうか。
  2. これも1942年(昭和17年)6月に南越鉄道(後の福井鉄道南越線)に譲渡され 」とありますが、1942年時点では南越鉄道は既に福武電気鉄道(福井鉄道の直接の前身)に合併されていた筈ですが、実際にどちらの事業者に譲渡されたものでしょうか。

わかる方がいましたら、ご回答の程よろしくお願いします。--七之輔/e56-129 2010年9月19日 (日) 21:25 (UTC)[返信]

とりあえず、1について。
はい、本当です。これは秋田鉄道独特の付番法で、最初の4は動輪数を、中黒の後の2は機関車固有の番号を表します。ちなみに、秋田鉄道にはC形機関車も入線していますが、こちらは「6・xx」という番号になっています。--Kone 2010年9月20日 (月) 00:05 (UTC)[返信]
早速のご回答ありがとうございました。現状、秋田鉄道については単独項目がなく、またリダイレクト先である花輪線にも(当然ながら)車両の記述がなかったので、少なくともWikipedia内部で解決できませんでしたので、恥ずかしながらの質問をさせていただきました。(蒸気機関車では軽便時代の十和田鉄道のように)自重などから番号を付けたケースはありますが、動輪数から番号を付けたケースがあったとは、世の中は色々あるものだということを実感しました。--七之輔/e56-129 2010年9月20日 (月) 01:47 (UTC)[返信]

秋田鉄道と白棚鉄道

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170形(170, 171)は大正5年に廃車され同年に秋田鉄道と白棚鉄道に払い下げられ秋田鉄道に170、白棚鉄道に171を割り振ったことは『国鉄蒸気機関車小史』『形式別国鉄蒸気機関車』などに記述されています。

しかし秋田鉄道の鉄道省文書には払下げされた機関車番号は171となっています。

  • 『第十門私設鉄道及軌道三軽便鉄道 秋田鉄道巻一 鉄道省文書』
    • No.54「機関車譲受使用ノ件」大正5年6月6日(170号型171号払下)
    • No.58「機関車番号変更届」大正5年12月12日(171を4.2に変更)

一方白棚鉄道の鉄道省文書はというと大正5年以前の免許関係書類は失われています。ただ営業報告書がありそれには「本期間ニ於イテ機関車1両ヲ購入シタリ」(「第6回事業及び決算報告書」自大正5年12月1日至大正6年5月31日 白棚鉄道)とあり大正5年12月1日以降に入ったことがわかりますが番号は不明です。

鉄道公報によると170は台帳削除大正5月11月29日(達番号5-1282)、171は台帳削除大正5年5月26日(達番号5-740)とあり(高砂雍郎 /編 『鉄道公報による国鉄車両台帳』鉄道史資料保存会、1991年)。これから170白棚鉄道、171秋田鉄道のようなきがしますが、白棚鉄道買収車に171と付番されているのでなんらかの事情があったのか謎は残ります。--Tamrono157会話2015年3月12日 (木) 13:06 (UTC)[返信]