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ノート:国鉄419系・715系電車

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記事名について

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とりあえず、「583系電車から近郊形電車改造された電車」ということでこういう記事名に移動しましたが、どうでしょうか?もし意見があるならば、こちらで意見を頂けますでしょうか。Sat.K 02:07 2004年4月9日 (UTC)

両系を一つの記事に書くという方針には賛成します。国鉄181系電車国鉄113系電車のような形にするという手もありますがどうでしょうか。いずれにしても、先に登場した715系の方をメインにした方がいいかな、という気はします。Kone 03:38 2004年4月9日 (UTC)
統合は妥当で問題ないと思います。記事題名はこのままでいいと思いますが、Koneさんのご指摘の通り、記事内における説明は登場の時系列を配慮した方が自然であると思います。あと、失礼ながら……本文がややロングセンテンスで晦渋かとも思われますので、一つご検討を。金沢 03:53 2004年4月9日 (UTC)
記事名についてはこれでよろしいみたいでそれなりに安堵致しております。文章については他の人にお任せ致します。当方としても余り馴染みがなく資料を広げてといってもかなり耳が痛い話なもので。Sat.K 07:09 2004年4月9日 (UTC)
あと、Koneさんの言う通り、「国鉄181系電車国鉄113系電車のような形にするという手」も考えたのですが、国鉄415系電車国鉄457系電車の様に最終的な形式名称が1つになっていないため、取りあえずというより若干致仕方ないと思っています。このような例は修学旅行用電車である国鉄155系・159系電車がありますが、よく考えると交直機能を残すか残さないかと言う違いがあるのでいかがなものかと問いかけてみました。Sat.K 07:17 2004年4月9日 (UTC)

登場の背景について

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どうも登場の背景というか経緯の一部に疑問を感じるのでこちらに問題提起しておきます。

>高コストな417系新造は困難となり先行量産的に15両が製造されたのみで増備は頓挫した。

『鉄道ピクトリアル』1978年4月号では、国鉄車両設計事務所の方が投稿した417系の解説記事の中で「仙台地区のために開発した」とはっきり書かれていますし、今後の投入予定も秋田と金沢となっており、暖地向けの運用は念頭に置いていないことがうかがえます(この場合の秋田・金沢は、都市名ではなく鉄道管理局名もしくは配置される運転所名でしょう)。そもそも耐寒耐雪構造を備えた重装備(ゆえに高コストな)車両を、地域毎の事情を考慮せずに大量増備して日本中の地方交流電化路線の標準型にする計画があったかどうかすら疑わしいような気がしていますが。いまの記述ですと「417系は高コストなので増備せずかわりに715系・419系を製作した」風に読めてしまいますが。Alt winmaerik 2008年10月2日 (木) 07:01 (UTC)[返信]

717系や413系が登場した経緯に通じるものがありますが、そもそも交流直流両用電車が直流専用電車、交流専用電車よりも高価である点を見逃すべきではないと思います。交流直流両用電車は直流専用電車に整流・変電機器を追加した構造ですから、そのあたりの事情は容易に推察できます。Alt winmaerikさんのおっしゃるとおり、仙台地区の417系をそのまま例えば九州南部に投入するとは思いませんが、115系の1000番台と2000番台のように寒地向け車両と暖地向け車両を作り分けるという思想は、417系登場時点ですでにあったわけですし、715系とほぼ同時期に登場し、コスト的には417系より安いはずの暖地用で交流専用の713系が試作車のみで頓挫したことを考えれば、交流直流両用の地方都市圏向け電車を製作する余力すら、国鉄にはなかったのは明らかです。それゆえ、機器を再用した413系・717系や機器のみならず車体まで再用した715系・419系が登場したわけです。ですから、Alt winmaerikさんの「「417系は高コストなので増備せずかわりに715系・419系を製作した」風に読めてしまいますが」という指摘についても、その記述でおそらく間違いないと思います。ともかく、当時の新車ガイドを浚って典拠を探してみます。--Kone 2008年10月2日 (木) 07:50 (UTC)[返信]
私もKoneさんとほぼ同意見です。国鉄末期における交流区間の輸送改善は次のような経過であったと記憶しています。
まず、状況として交流区間は電車化が進んでおらず、旧客列車が多く残っていました。これを改善するために、以下の順序で改善が図られました。
  • 電車化を図るため、新車(713・417系)を試験的に投入。
    • → しかし、国鉄の歳出抑制で継続投入ができず。
  • 715・419系の改造投入
    • → なかば強引な改造で、旧客列車の淘汰、短編成化・列車本数増を達成。
  • 413・717系の投入
    • → 乗降性能を改善し、ラッシュ時対応を図る。
以上の流れは国鉄413系・717系電車の登場の背景に記した通りです。いま手元に文献はないのですが、当該箇所は鉄道ジャーナルの通巻232号を参考に書いたと記憶しております。お持ちでしたら、確認をお願いします。
また、当時の交直流電車はその構造上、交流電車のデメリット(部品点数増・コスト増)のみを有し、交流車のメリット(高い粘着性能でMT比を下げられる)は持っていませんでした。「417系は高コストなので増備せずかわりに715系・419系を製作した」こと自体、当時の国鉄の財政事情を考えれば、無理からぬことと記憶しています。--ikaxer 2008年10月2日 (木) 08:14 (UTC)[返信]
登場の背景については、参考文献にも挙げられている車両史編さん会の本に、当時の国鉄の方へのインタビュー記事があります。これを参考にすれば間違いが無いと思います。自分でも後で見てみます。L25.203.l03.26 2008年10月2日 (木) 08:24 (UTC)[返信]
まず最初に登場時期について誤解を防ぐため予め断っておきますが、713系の落成は715系の登場よりも後です。121系とクモハ123-1の関係もそうですが、設計が先だったため、登場時期と番号の大小に食い違いが生じています。713系も715系も1984年2月1日国鉄ダイヤ改正に際して登場しています。
上記の本の内容を、整理して記述しますと、本来は同改正辺りに向け、熊本の川尻に車両基地を建設、200両近い713系を投入して九州地区の普通列車の電車化を進める計画だったものの、財政難から頓挫、開発が進んでいた713系については試作車としての8両に留められてしまいました。そこで、地元の九州側から「余剰の581系を近郊形に改造して転用できないか」という話が提案され、それで登場したのが715系である、とのことです。この系列の登場に当っては「地元地区の提案・要望」というのがキッカケと見て良いようです。L25.203.l03.26 2008年10月4日 (土) 02:01 (UTC)[返信]
みなさんコメントありがとうございます。どうも、意図がうまく伝わらなかったようです。と申しますか、時系列的な話は皆さんが仰るように私も認識しているので多分書き方の問題なんだと思います。
>本来であれば増備されるべき系列であったが、(中略)コストな417系新造は困難となり先行量産的に15両が製造されたのみで増備は頓挫した。この打開策として、(中略)581・583系を近郊形に改造するという奇策が提案され、実行に移されることになった。
この文脈ですと、417系増備計画が頓挫して代わりに715系・419系を製作という流れになります。言い換えれば、715系と419系が投入された線区には、もともと417系を投入する計画があったかのように読めてしまう点が問題なのではないか、という認識です。Alt winmaerik 2008年10月4日 (土) 10:03 (UTC) 私の方で検証可能なのは、将来の配置予定は秋田・金沢だけです。417系(の暖地向け版)を九州電化区間も含めて投入していく意図が国鉄にあったということが検証可能なのであれば、問題ないと考えます。(一部修正)Alt winmaerik 2008年10月4日 (土) 10:10 (UTC)[返信]
高コストってのが、安易な言い回しに見えます。
当時の国鉄は1両たりとも車両を製造できなかったというような状況ではなく、毎年何百両もの電車を製造しています。
そんな中で高コストって言われても、説得力はありません。
しかも冷房装置もナシですから。
問題は、当時は余剰車を活用するという事をあちこちでやっていました。つまり交直流機器を有し、しかも冷房装置まであってエアサスの581系が余剰車になっている中で、余剰車活用としてこれを改造せずに、417系を新製することがもったいない(=相対的なコスト高)と考えられただけではないでしょうか。
新製単価自体は目くじら立てるほど高くは無いと思いますよ。
通勤電車とかは対象になる余剰車が無いので、そう目立ちませんし、そのまま新車が入っていますが、例えば奈良線などの電化用には当初新製105系を投入する計画でしたが、首都圏での通勤電車置き換え計画と絡ませて203系の新製という形で103系を捻出させ、105系改造という手段を用いています。
交直流や交流については581系という余剰車があったわけですから、これを活用する手は無いと言う感じですね。ちなみに413系などはあくまで更新改造ですから、ちょっとニュアンスが変わると思います。
結局、ここで言うコストは、581系改造車に対しての相対評価なんですよね。だから例えばですよ、715系が近郊用として草津線に入ったとして、113系2700番台が高コストなので~と書いたらおかしいでしょ。
そんなことで、ちょっと今の言い回しがおかしいかなって気はします。--永尾信幸 2008年10月4日 (土) 10:41 (UTC)[返信]
>Alt winmaerikさん
なるほど、論点はそこであるわけですか。そういえば、国鉄413系・717系電車の登場の背景を書いたときも、最初は417・713系については触れていなかったのを思い出しました。いつのまにか加筆されたようですが。
さて「そう読めてしまうこと」を排除する方法として、417系の記述を排除してしまうのも一つの方法ですが、当時の国鉄の車両状況を示す記述ですから、表現を変えて残しておくのが有益と思います。
そこで、地域を限定せずに大きな枠、つまりは交流電化区間の輸送に対する国鉄の施策として417系などに触れ、それとは別個に、国鉄の置かれた状況、ニーズに応えた施策として本系列に触れてはいかがでしょう。先の書き込みを繰り返すような形になりますが、
  • 地方の交流電化区間への近郊電車として、417系があったが、増備は進んでいなかった。
  • 当時の国鉄は歳出抑制に迫られていた。
  • 一方で、地方でも短編成化・高頻度化を行う計画であった。
  • そこで、余剰の寝台電車を活用し、本系列を導入。長崎を皮切りに、金沢・仙台地区に投入され、「国電形ダイヤ」(当時の表現)を実現した。
こういう流れで書けば、誤読もないと思いますが、いかがでしょうか。--ikaxer 2008年10月4日 (土) 12:49 (UTC)[返信]
先の本の文章にあったのですが、1980年の国鉄再建法の制定により、新規投資がかなり難しくなったようです。他の資料などで検証する必要があるかも知れませんが、417系が設計・投入されながら、それが拡がらなかったのは、同法の制定の影響が大きいものと思われます。L25.203.l03.26 2008年10月4日 (土) 13:05 (UTC)[返信]
国鉄再建法で、職員の削減を求め合理化を推進する他、無駄なものを省いていくという流れが作られたと思います。
交通年鑑で昭和56年度予算の説明では、車両について30年代に大量に投入した車両の取替時期に来ており「56年度も所要額を確保していく」とあります。
このように、財務的な考えとしては「必要なものは揃えなければならない」という所から入っており、揃えれない場合は代替策をとるという考えであったのではと思います。
参考までに交通年鑑の各年度版から抽出した1975年度以降の各車種別の新製両数を下記に示しておきます。
年度別新製両数表
車種 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984
EL 25 45 23 27 46 18 16 21 0 0
DL 72 38 47 8 15 8 4 0 0 0
PC 60 151 285 356 300 307 224 182 0 0
EC 783 740 925 1183 632 777 1016 848 573 566
DC 2 32 20 111 322 217 204 78 10 0
FC 2050 967 1230 1501 2000 1001 1000 0 0 0
国鉄再建法で予算縮小などの動きがあったにもかかわらず、所要数は確保するという姿勢は1982年度予算(1983年3月末まで)まで続いているのがわかると思います。
法律が成立していても「必要なものは揃える」という体質が当分続いていた事がわかるかと思いますが、ただ、それを検証するには、この新製車両で、どういった車両が置きかえられたかを比較する必要もあるでしょう。
特に旧形国電などは検査周期も短く、維持コストがかかりますので、早期に取り換えれば取り換えるほどメリットがあるのですが、101系以降の新性能車については、回生ブレーキなどが無い事によるエネルギー浪費問題はありますが、その他においては修繕費が毎年徐々に増える事以外は、新車による置き換えをせずとも経年16年程度で特別保全工事などの延命工事をすることで対応できるとし、上表のECの新製両数が減ってくる1983年度以降に大量の車両延命工事をして新車費用を抑制しています。
裏返せば、必要なものは新製し、今使っているものは延命工事でしのぐという車両調達方法をとっていたと言えます。
417系電車については、1977年度の新製で、その後のEC新製両数を見ても、この車両が高いから作れないというような低予算ではありません。
ですので、この時期の417系はikaxerさんが書かれた「417系があったが、増備は進んでいなかった」に該当します。上記両数表を見てもらうと1978年度以降、DCとPCにまとまった両数が作られているのがわかると思いますが、これが50系客車やキハ47などの一般型気動車が多数をしめていて、417系が投入予定とされていた地区はこれらの客車や気動車で代用することも可能であった点も417系にとっては不運だったかも知れません。
結局、非電化路線への乗り入れが出来ない417系よりも運用効率面でメリットの高いECやPCが優先されてしまったのでしょうが、そのうち「当時の国鉄は歳出抑制に迫られていた」につながり、これはL25.203.l03.26さんが書かれた国鉄再建法によるところが大きいでしょうね。
問題は次です。
予算を減らされているにもかかわらず、電車特急の編成は削減され、食堂車は営業を中止し、グリーン車や食堂車が余剰車として電車区に並べられるようになってきました。
同じように581系も昼夜使用という過酷な運用もありますが、昼間に特急として使う場合にボックス座席である点でサービス面で問題が生じてきた上、2段寝台化が進む中で3段寝台は時代遅れであり、多客時は良いが閑散期は空ベッド数が多く、編成の縮小なども余儀なくされていくわけで、結果として使用列車の減と編成減による余剰車が大量に発生してきます。
グリーン車については113系への転用改造で古いサロ111等の置き換えに使えましたし、581系については短編成化してローカル線客車列車の電車化を行う目的で利用されました。
それが1984年2月でしたっけ?長崎線などへの投入は増発などをしておらず、また北陸本線の419系投入に関しても、若干増発したのみで、主に客車列車の電車化が主目的であったと言えます。
よって、715系・419系については、短編成・増発用途には少し早く、まだ地方ローカルの電車化用という位置づけでは無いかと思われます。
仮に九州地区での基本編成が6両編成であったなら、715系も6両で出ていたと思われます。
それの方が改造費用が少なくて済みますから。
ただ、九州地方は423系や415系が4両で、北陸地方では471系などの急行形をローカルとして3両で運用していた実績があったので、その編成両数に合わせて改造しただけで、短編成・増発についてはまだ明確なゴーサインは出ていない頃で、まずは動力近代化を進めるための電車化であったと思います。
ですので、Ikaxerさんの書かれた「一方で、地方でも短編成化・高頻度化を行う計画であった。」については、当形式の設計以降の話だと思います。
ただし金沢・仙台についての国電形ダイヤは関連してきますので、715系を長崎線に投入後、地方での短編成・高頻度化の要望が高まったので、金沢地区に419系・仙台地区に715系1000番台として投入されたって感じになるんじゃないかなぁと思います。
あくまでも581系を最初に近郊形に改造しようと言うのは、客車列車の電車化目的で、増発は考慮されていないので。
ただし、715系が出た時期と時を同じくして他の地区ではこういう国電形ダイヤに移行しているんですよね。だから混同しやすいですが、この辺は切り分ける必要があると思います。
金沢・仙台についても一部は客車列車の電車化、それ以外に日中の増発がありますので、一応国電形ダイヤを形成していると説明はつくかなと思います。
国電形ダイヤへの移行と車両調達については、深く調べていないので事実誤認があるかもしれませんが、417系が高コストで作れないから581系を改造したというのは因果関係的には薄かなと思ってます。
もし581系という余剰車が無ければ、鹿児島線や長崎線の客車列車置き換えに際し一定数の713系などを入れたでしょうし、同様に仙台地区の客車列車置き換えには417系が新製されたと思いますよ。
だから、581系という余剰車両があった事が、これらの形式が生まれた最大の理由だと思いますので。
Alt winmaerikさんの書かれた417系の九州版ですが、これは713系だと思いますので、417系の目的線区はやはり東日本の豪雪地帯が中心だと思います。
たぶん盛岡にも将来的に入れる予定だったんじゃないかなぁ。新潟については、秋田局からの車両乗り入れでまかなう形だったんでしょうね。
417系が関与するのは419系と715系1000番台と言う事になりますので、その両形式については417系の代わり的に、715系については713系の代わりにという説明の方がしっくり来るかも知れません。
ダダって書いたので、ちょっと見にくくてスイマセン。--永尾信幸 2008年10月4日 (土) 15:02 (UTC)[返信]
そうですね。715系0番台については、国電型ダイヤとは関係なさそうです。一方、419系と715-1000については、ちょうど国電型ダイヤの導入時期に合わせて改造が行われていますので、前者と後者では目的が異なるという方向付けでしょうね。--ikaxer 2008年10月4日 (土) 15:19 (UTC)[返信]
というわけで訂正版です。
  • 地方の交流電化区間への近郊電車として、417系があったが、増備は進んでいなかった。
  • 当時の国鉄は歳出抑制に迫られていた。
  • 費用を抑えて動力近代化を図るため、余剰の寝台電車を活用し715系として長崎地区に導入した。
  • その後、地方でも短編成化・高頻度化を行う計画が進む。
  • これに合わせ、金沢・仙台地区に増備が行われ、電車化とともに「国電形ダイヤ」(当時の表現)を実現した。
--ikaxer 2008年10月4日 (土) 15:48 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。715系や419系とダイヤ改正の関係はあまり詳しくないので、お任せします。当初の問題提起は、2008年10月5日現在417系の記事の冒頭にある記述「地方都市圏の交流電化区間で使用する近郊形電車の標準型とすべく登場した」とあわせてこの記事を読んだ場合に、「417系の増備・全国配備計画がコスト高を理由に頓挫→715系・419系製作」という文脈が形成されることに違和感があるというものでした。その点についてはikaxerさんの案で汲み取っていただけたと感じております。417系については引き続き417系のノートで対処します。Alt winmaerik 2008年10月6日 (月) 16:21 (UTC)[返信]

以上の議論を念頭においた上、記事を改訂致しました。--肉球電鉄 2009年10月29日 (木) 15:33 (UTC)[返信]