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ノート:城ヶ島

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投稿のしかたについて

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61.24.*.*, 210.194.*.*, 202.219.*.* 各氏へお願いしたいのですが、投稿の際には必ずプレヴュー機能を使用し同じ記事への連続投稿を減らすようにして下さい。Wikipedia ではどれほど些細であっても記事が編集されるごとに履歴を保存しているので、あなた(がた?)のように細かい修正を加えるたびに投稿を繰り返された場合、編集履歴を辿ることが面倒になり、サーバー容量を不必要に浪費することとなります。詳しくはリンク先をご参照下さい。大掛かりな編集を行うに際しては、予めテキストエディタなどを用いて下書きを用意しておくことをお勧めします。

初めまして。お世話になっております。本稿は昨年末より肥大を始めましたが、書き込んだIPユーザは恐らく私1人です。連続投稿については以後控えなければなりませんね。不慣れとはいえ、反省しております。ご指摘ありがとうございました。61.24.226.192 2007年3月10日 (土) 22:55 (UTC)[返信]

また本文を編集する際、単一の改行は表示に反映されません。改行した状態で本文を表示させる場合は間に空行を挟み、そうでない場合には文中での改行を行なわないで下さい。執筆方法について、詳しくはWikipedia:ガイドブックWikipedia:編集の仕方Wikipedia:スタイルマニュアルなどに掲載されています。

ご指摘ありがとうございます。Wikiにおける改行の仕様は存じております。本文の改行状態は意図したものであり、また編集画面内での改行は編集作業に配慮したものです。また、改行禁止となるとWindowsのメモ帳などで下書きしたくても相当に不便です。Wikipedia:編集の仕方でも改行に関する記述は確認しましたが、禁止事項との確認はできませんでした(タグによる強制改行は別です)。また、Wikipedia:スタイルマニュアルも確認しましたが、ソースを表示してみると本稿同様に一文ごとに改行しておりました。このため、かような改行にしております。ただ、こまくさ殿がどこかで編集画面内での改行も禁止すべきとの合意が成されていることをご存知でしたらご教示いただけますでしょうか?参考にすべきと考えますのでよろしくお願い致します。61.24.226.192 2007年3月10日 (土) 22:55 (UTC)[返信]
ご理解頂き有難うございます。投稿内容は非常に充実しているので、よろしければ今後も加筆をお願いします。なお単独の改行ですが、少なくとも禁止されてはいません。私も少々言い過ぎてしまい申し訳ありません。ただ、単一の改行、強制改行、空行を挟む改行が混在していると他の投稿者にその意図が判り難くなり、非推奨であったと記憶しています。下書きに関しては、文字の折り返しを設定すれば極端に不便ではないと思います。--こまくさ 2007年3月14日 (水) 05:44 (UTC)[返信]
お世話になります。あれから色々調べましたが、改行には紆余曲折あったようですね。私の主張は編集の利便性のみなので、これ以上固執する理由はありません。よって、Wikipediaでのコンセンサスに同調し、当方で工夫することにします。ちなみにWikipediaの書式どおりに表示されるような都合よいエディタ、こまくさ殿はご存知ありませんか?NOBRAND 2007年3月18日 (日) 17:11 (UTC)[返信]
改行については、私も的確な回答が出来ず申し訳ありませんでした。また、残念ながら Wikipedia の編集を考慮したテキストエディタは存じません(普段はメモ帳か秀丸を使用)。下書き状態のまま実際の表示を見たい場合には、利用者ページにサブページ利用者:こまくさ/test)を作成して投稿しています。--こまくさ 2007年3月19日 (月) 16:18 (UTC)[返信]

なお、今後も Wikipedia において編集活動を継続されるのであれば、是非アカウントを取得して下さい。現状では投稿時の IPアドレスが記録されていますが、頻繁に変動する場合があり、同一人物かどうかの判定や編集内容に関する対話にも苦労します。この点については投稿者各人の自由ではありますが、どうかご協力願います。--こまくさ 2007年3月9日 (金) 05:01 (UTC)[返信]

この点につきましては少し時間を頂きたいと思います。現在の所、城ヶ島関連以外に執筆する意志は持っておりません。城ヶ島に関して詳細に執筆する「個人的な」動機は、城ヶ島が私の家系のルーツであることと(実家は城ヶ島の近くです)、近年城ヶ島の過去を知る方が少なくなっており、多くの情報が失われつつあることに危機感を感じていたためです。また、三崎は閉鎖的な土地柄ゆえ、個人を特定されることも少々気にしています(こまくさ殿は横須賀ご出身のようなのでご存知かもしれませんが)。無論、内容についてはそれなりの裏づけを取っていますし、特定の組織、商店等に影響のないように配慮しています。これだけの量に達していますので、今後は参考文献も記さなくてはと考えております。61.24.226.192 2007年3月10日 (土) 22:55 (UTC)[返信]
「個人の特定」という観点から考えると、プロバイダ情報が得られるIPアドレスを公開されるよりアカウントを使用する方がむしろ匿名性は高いような気がします。ただ、城ヶ島関連以外の記事を編集しないのであればこのノートを会話に使用でき、そこまでアカウントの必要性は高くないともいえます。--こまくさ 2007年3月14日 (水) 05:44 (UTC)[返信]
お世話になっております。確かに会話となると不便ですね。皆さんをイライラさせるのは不本意なのでログインして記述することにします。NOBRAND 2007年3月18日 (日) 17:11 (UTC)[返信]

転記・分割提案

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最近内容がかなり充実してきましたが、必ずしも「城ヶ島」という記事に記述するのが適切とは思われない記述も多いので、項目の一部転記・分割を提案します。

「城ヶ島灯台」の分割

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既に基本的な諸元や歴史について記述されているため、そろそろ単独の項目として分割すべきかと思います。

ご指摘ありがとうございます。城ヶ島灯台に限らず、各項目が肥大してきたことは認識しております。ただ、本稿がポータルサイト化することは避けたいとも考えています(これは仙台市等でも議論されていました)。膨大な写真を追加するとか、高度に専門的な情報を加えるのであれば分けるべきと考えますが、現状は市の案内看板と大差ないレベルです。現状のレベルで分割しても、多くの専門家ではない読者にとってメリットが大きいとも思えません。記事が更に増えた時点で再度議論させていただければと考えますが、如何でしょうか?61.24.226.192 2007年3月10日 (土) 22:55 (UTC)[返信]
灯台に関しては、「灯台」について調べるには単独の記事が存在する方が便利であること、ある一つの事柄についての記述が増えると記事全体の見通しが悪くなることが分割を提案した理由です。諸元などは個別の記事に任せ、こちらではおおまかな歴史と概要について述べるに留めるのが適切ではないかと思います。ただし、Wikipedia:記事の分割と統合#分割すべきでない場合に「分割後にスタブとならない」という条件が挙げられているので、まだ必要な情報が揃っていないとお考えでしたら暫く保留しようかと思います。--こまくさ 2007年3月14日 (水) 05:44 (UTC)[返信]
お世話になっております。私個人としては、現状で分割しても双方同じような内容になると思います。これ以上情報を増やすのであれば専門性が高くなりますから、その時点で分割すべきと考えます。400年を越える歴史を持つわけですから、記事はまだまだ書けると思いますし(私もまだネタを持っています)。その際、本稿においても灯台の歴史は残すべきでしょう。灯台の経緯は城ヶ島がその時代においてどのような存在であったかを示す史実なので、城ヶ島を主語とする記事として充分成り立つと考えるからです(読み物である以上、ある程度の重複は仕方ないと思います)。NOBRAND 2007年3月18日 (日) 17:11 (UTC)[返信]

「三浦市」への転記

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歴史の節を中心に「城ヶ島」に留まらない内容が目立ちます。「三浦市#歴史」のほか三浦郡三浦半島などへ適宜転記を行っていくべきでしょう。また、新規項目として三崎または三崎町 (神奈川県)を立ち上げてもいいと思います。--こまくさ 2007年3月9日 (金) 05:01 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。城ヶ島に留まらない内容とは、要塞地帯法成立、終戦、北原白秋の由来など、城ヶ島を主語としない点を指しているとお察しします。これらは読者の理解を助ける意味であえて書いたものです。城ヶ島を舞台とした出来事ことのみを技術論文の如く厳密に選別して書き連ねても理解しにくいですし、リンクの先がそれに見合う状態でなければ一層混乱するでしょう。また、クリック数が増えることも気になります。よって、城ヶ島として大きな影響を受けたことについては理解を助ける意味で書くべきと考えます。
城ヶ島灯台分割も含め、この点は利便性と厳密性のトレードオフと思いますが、こまくさ殿がポリシーとされている「判りやすさ」と相容れない考えではないと思いますが、如何でしょうか?61.24.226.192 2007年3月10日 (土) 22:55 (UTC)[返信]
要塞地帯や白秋などは城ヶ島との関わりが深いので、ここにも記述は残した上で三浦市にも加筆、とするほうがよさそうです。ただ、年表などを見ると島と直接の関係はない事例も挙げられており、また三浦市や三浦半島、三浦郡の歴史に関る内容がこのページにしか記述されていないといった状況も散見されます。私は地誌について詳しくないので、それらのページにも加筆を行なって頂ければ幸いです。三浦市#歴史三浦郡#歴史三浦半島#歴史横須賀市#歴史などでいかに棲み分けを行なうかは難しい問題ですが……--こまくさ 2007年3月14日 (水) 05:44 (UTC)[返信]
お世話になります。私が調べていて常に思うのは、城ヶ島はあらゆる面で三崎と近過ぎるということです。大昔から現在に至るまで三浦市、三崎町のサブセットと言うべき存在であり、情報の切り出しが伊豆大島等より難しいですね。現状、サブセットである城ヶ島の方が詳細化された状態にあることは私も認識しておりますが、三浦市の歴史を濃密に書くとなると大作業なので躊躇している次第です。こまくさ殿の仰る直接関係のない項とは、「1868年:三崎一帯は韮山代官江川太郎左衛門の監督下に置かれる。 」などの記述かとお察ししますが、これなどはまさに城ヶ島と言うより三浦の歴史です。ただ、幕末は城ヶ島を含めた三崎周辺の支配者が目まぐるしく変わっており、はっきり答えられる人は殆どいないと思います(この点は横須賀と異なる点でしょう)。軍事は時の領主の施策ですし、誰が何をやったのか?が判らないのは如何なものかと判断してあえて記述しました。このような点が三浦半島・三浦の歴史に書いてないのに城ヶ島で述べられているのは確かに事典としての構造的な問題で、こまくさ殿のご指摘はごもっともです。また、要塞地帯法等についても城ヶ島に対して直接行われた施策ではありませんが、城ヶ島のあり方が大きく変化した事件であることは確かなので記述しました。白秋についても住所こそ三崎でしたが、場所は城ヶ島大橋の根元であり、現在では地元においても観光施策においても白秋=城ヶ島との認識が一般的です(白秋の住んだ異人館跡は造船所や団地の並ぶ埋立地で、跡形もありません)。いわば、城ヶ島は白秋と三崎を語る上でのアイコンと化しているため、詳細はこちらに置く方が感覚的に自然かと考えております。三浦半島・三浦市の歴史を本稿同等に詳細化し、本稿で詳細に述べる必要がなくなる方がスッキリするんですが、労力的に中々難しいですね。私も余裕があれば三浦半島、三浦市、三崎町の加筆に参加してみようと思います。個人的には無謀にも秀逸な記事を目標にしていますが、記事の棲み分けについては自治体系である八王子市あたりを参考にすべきでしょうか。本稿の現状は情報収集段階、カオス状態であり、事典としての構造的整合性等には配慮しきれていないのは確かです。Wikipediaの良いところは日々成長する点にあると考えていますので、後々分割されても良いと考えていますし、城ヶ島灯台の他、安房崎灯台や城ヶ島砲台、城ヶ島の雨のくだりはいずれ同じ議論が出るかもしれませんね。今後も加筆は続ける所存ですので、都度御提案いただければ幸甚です。長文失礼しました。NOBRAND 2007年3月18日 (日) 17:11 (UTC)[返信]
確かに自治体記事に現在の城ヶ島のような詳細な歴史を書こうとすると大変なことになりそうです。情報の整理についても、大掛かりな加筆が一段落してからという考え方もあるとは思います。棲み分け方は、現在半島の大半を占める横須賀市域というまとまりが出来たのは開国後軍都として発展する過程においてと考えられ、それ以前の半島の歴史は(局所的な事柄を浦賀などへ振り分けつつ)むしろ三浦郡に詳しく書くべきかなとも考えています。三浦半島は地理学・地質学的な記述に特化させるべきかも知れません。ひとまず城ヶ島灯台についてはリダイレクトページを作成しました。--こまくさ 2007年3月19日 (月) 16:18 (UTC)[返信]
お世話になっております。リダイレクトページ作成、お手数お掛けしました。一杯書きましたが、要は早めの切り出しには概ね賛成ということです。仙台市みたいに詰め込みすぎて分割できなくなったら本末転倒ですからね(笑)。ただ、明治以降の三浦半島を横須賀で括るという案、これは意味的に少々無理があろうかと思います。少なくとも、三崎は江戸時代から都市部の鮮魚需要を満たすことで横須賀とは別に発展していた経緯があります。これは葉山や逗子等にとっても同様でしょう。三浦半島の近代史が軍事中心なのは事実ですが、同時代の軍事以外の観点も必要でしょうし、ここは素直に「三浦半島の歴史」として捉える方が自然かと存じます。三浦郡については三浦半島の古い地制が主題ですので、各町村の市制施行で現在は葉山町のみとなりました、という帰結が最良でしょう。三浦郡にしろ、横須賀にしろ、三崎にしろ、そして城ヶ島にしろ、全て舞台は三浦半島です。親である「三浦半島の歴史」が手薄なことがこの議論の大本と言える段階だと思いますので、三浦半島を分野別に分け、「三浦半島の歴史」として切り出すことを提案します(今後の充実次第ではありますが)。これなら地質時代から近代に至るまで広く述べられますし、局所的な事象は横須賀、三崎、城ヶ島などのサブセット側で各々「狭く深く」言及すれば良いわけです(逆もまた然り)。同様に「三浦半島の地理」などもアリかと考えます。話が城ヶ島から膨らみ過ぎました。短期的には、城ヶ島の歴史については三浦半島#歴史の成長次第で順次整理予定、ということを宣言しておくというあたりがこの議論の落とし所と考えますが、如何でしょうか?何度も何度もすみません。--NOBRAND 2007年3月20日 (火) 15:54 (UTC)[返信]

いえ、私が言いたかったのは現在三浦半島の歴史分野について現在最も充実しているのは横須賀市だが、その状態は相応しくないのではないか、ということです。明治以降は各自治体の範囲ごとにまとめれば概ね問題ないでしょう。個人的には「三浦半島」は地形、「三浦郡」は地域に関する記事という捉え方なので、先のように歴史分野を三浦郡に担当させる案を出しました。ただ、その場合は「旧三浦郡域の歴史」といった感じになってしまうのが難点ではあります。その点、三浦郡を単に三浦半島地域に置かれた過去の行政単位としてのみ扱い、現在の姿でほぼ完成としてしまうのは有力と思います。--こまくさ 2007年3月20日 (火) 17:04 (UTC)[返信]

そうですね、城ヶ島の歴史と同様の厳密さで見れば、横須賀市に記された新井城落城のくだりなどは横須賀で起きた史実ではないので「違う」と言えてしまいますね(個人的には必要な記述と思いますが)。三浦半島の総括的な歴史記事がないという認識は、こまくさ殿と私の間で共通の認識だと感じていますが、この点宜しいでしょうか?「三浦半島」という言葉を地学的見地でのみ捉えるのも1つの案かと思います。ただ題意上、地学的見地で閲覧する方ばかりではないはずですから、その場合はWikipediaにおける一般的な「半島」記事の例示を調べる必要もあろうかと思います。また、三浦郡が三浦半島の歴史を包括することはやはり無理を感じるのが私の立場です。三浦郡=三浦半島地域なのは事実ですが、それ即ち三浦半島の歴史に他なりません。三浦半島あっての三浦郡であって、頂点はやはり三浦半島#歴史と考えます(本当にすいません)。三浦半島#歴史を今すぐ切り出す必要はありませんが、城ヶ島として背景を述べるにあたって親とすべき存在もやはり三浦半島#歴史かと思います(三浦市、三崎町でも良いのですが、城ヶ島と同じ議論が発生することになるはずです)。こまくさ殿の当初の御提案である三浦半島#歴史を充実させる必要性には私も同意しますが、それにあたって関連記事の棲み分けを確立する議論は城ヶ島を逸脱しますので、三浦半島全般の歴史記事をどう関連付けるかを三浦半島で議論すべきかと考えます。いずれにしましても、城ヶ島が仙台市のように長大化することは私も望みません。こまくさ殿のご指摘どおり、関連記事の充実度次第でそちらへリファーする構造に変更することにも異論はございません。--NOBRAND 2007年3月21日 (水) 16:17 (UTC)[返信]
ではやはり三浦郡は現状維持、横須賀市#歴史は市との関連が強いものを中心に再編、三浦半島#歴史を地域の歴史を総合的に記述する場として加筆、という方向性で編集しましょう。半島記事を地理学に特化させるなら現在は曖昧さ回避の三浦を育てる手もありますが……三崎町に関しては関連する内容が増えた時点で作成すればいいでしょう。あと、特に異論がなければこのノートの一部をノート:三浦半島に転記したいと思います。--こまくさ 2007年3月22日 (木) 11:37 (UTC)[返信]
お世話になります。こまくさ殿の寛大な御理解に深く感謝致します。貴殿の仰る通り、三浦半島の歴史記事の一群の整理にはまだ時間と議論が必要なことは確かですから、その線で様子を見ましょう。三浦半島にて議論の参加者が増えることを期待したいと思います。三浦半島#歴史も長大化するでしょうから、地学的見地に特化するかどうかはその時に判断しても遅くないと思います。尚、ノートの転記については全く異論ございません。恥ずかしながら手続きがよく判らないのでこまくさ殿にお任せして宜しいですか?履歴不継承とか、よく判っていないもので・・・。城ヶ島としては、この議論を前提に加筆を進めていく所存です。まだ長くなると思いますが、大幅な加筆を行った際にはノートにコメントを残しましょう(独断で独立させることは致しません)。この議論が三浦半島関連記事の将来に役立つことを切に望む次第です。こまくさ殿同様、私も故郷が好きですからね・・・--NOBRAND 2007年3月22日 (木) 16:10 (UTC)[返信]

先ほど三浦半島のノートページへ議論の一部をコピーしました。ただ、NOBRAND氏の発言を含め要約してあるので、必要があれば適宜訂正をお願いします。なお、城ヶ島灯台については利用者:こまくさ/testに現時点での分割案を提示しました。分割するかどうかは今後の加筆次第ですが。--こまくさ 2007年3月29日 (木) 10:44 (UTC)[返信]

議論の収束後、相当期間が経過しましたのでタグを削除しました。--NOBRAND 2007年7月29日 (日) 12:29 (UTC)[返信]

城ヶ島燈台の分割

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城ヶ島燈台の分割が提案されていましたので、実施しました。--ガウス 2007年7月14日 (土) 05:47 (UTC)[返信]

お疲れ様です。ただ、項目全体が削除されておりましたので、城ヶ島灯台へのリンクと言う形で復活させました。灯台記事が城ヶ島から絶たれてしまうと城ヶ島として情報量が維持できないためです。御理解ください。--NOBRAND 2007年7月14日 (土) 13:10 (UTC)[返信]

城ヶ島灯台として、独立させた方が、理解しやすいと思ったのですが、確かに、少し残しておいた方が、読む方には、親切だったかとも思います。リンクと言う形で復活させていただいてよかったと思います。ありがとうございました。--ガウス 2007年7月14日 (土) 14:08 (UTC)[返信]

御理解賜りましてありがとうございます。城ヶ島の歴史を調べる過程で、城ヶ島灯台に関する多くの情報も得ています。それは追々城ヶ島灯台の方へ追記しようかと思っております。安房崎灯台共々、今後とも宜しくお願い致します。--NOBRAND 2007年7月14日 (土) 15:29 (UTC)[返信]

「城ヶ島の雨」分割提案

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楽曲「城ヶ島の雨」を新ページに移動。理由:北原白秋の代表作の一つであり単独立項が望ましいため。ただし、現状が未出典の記述のみであるため、移動方法について意見を募集します。--Hirewean会話2019年5月1日 (水) 07:10 (UTC)[返信]