コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:境林城

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

Y_mon氏の独自研究

[編集]

Y_mon氏の筆になる、次の記述は明らかに矛盾した見解。

築城:川崎城を攻撃する陣城
城郭と歴史:築城遺構は、川崎城の出丸として、南方の防御の要のひとつとして機能している。

これもY_mon氏が執筆したCategory:矢板市Category:栃木県の城に属する独自研究記事の一つ。郷土史に光を当てるのは結構なんですが、平然と独自研究を混ぜ込むのは止めて欲しい。--WikipReview 2008年11月1日 (土) 00:36 (UTC)[返信]

記事の疑問点

[編集]

上で他の方が独自研究の疑いについて質問されていますが、先ず全く出典明記が無く、この記事全体が信頼性に乏しい状態です。確かに矢板市の「遺跡地図」には「滝原台大溝」(”溝跡?”の種類表記、時期の記載はなし)とありますが、「境林城」とする出典は明記されません。{{要出典}}の添付後に『ふるさと矢板のあゆみ』が参考資料として追加されタグが除去されましたが、この本には「境林城」(滝原台大溝)の記述は全くありません。そのため今回の編集で除去しました。境林村の堀江山城の情報はありますが。なお『矢板市史』も堀江山に関する記述はありますが、境林城の記述はありません。「境林城」の名前が出てくる出典を、本文解説の出典とあわせて求めます。--KurmUmy 2009年8月27日 (木) 09:47 (UTC)[返信]

「参考資料」が追加され{{要出典}}などのタグが除去されましたが、残念なことに『矢板市史』、「乙畑城記」(『郷土読本第2集』収録)ともに、「境林城」(滝原台大溝)に関して全く述べていません。市史の境林村ではこの城郭について触れませんし、『郷土読本第2集』の「乙畑城記」は乙畑城の攻防戦の1次史料であり、城の解説がかけるものではありません。「遺跡地図」は文字通り「遺跡の位置を示す地図」でしかありません。追加されたのが直接この城を論じている書籍ではないことから、この記事はやはり初版作成者の独自研究と判断するしかないようです。--KurmUmy 2009年9月9日 (水) 09:14 (UTC)[返信]
『郷土読本第2集』の「大沢家記」では記事に関連する可能性があったので上の発言を取り消します。--KurmUmy 2009年9月12日 (土) 00:53 (UTC)[返信]

すでに参考資料で明示されています。KurmUmyさんは、読み落としなく、正確に資料を読まれる事をお勧めします。自分の読み落としや誤解で、何度も勝手に記事を消したり、要出典を乱発したり、独自研究や憶測的記述など、感情に任せた誹謗中傷をノートに書き込む、あるいは、乙畑城の記述では、中途半端な理解で、明らかに間違った記述を書き込み、正しい見解の記述を削除されてしまうなどの荒らし行為をされていますが、自分が読み落としたり理解出来ないだけで、あるいは、自らの勝手な解釈で、そうした行為をされるのはおやめください。まずは、出典をきちんと読まれることをお勧めします。--Y_mon 2009年9月12日 (水) 18:51 (UTC)[返信]

申し訳ありませんが、本当に書いてありますか?本当にあるなら具体的なページ数をかけますよね(複数個所なら複数のページ数を書けばいい)。貴殿は題名しかない「参考資料」にあると主張するだけで、より詳しい情報を一切提示しません。では何故以前「ふるさと矢板のあゆみ」を記入して要出典を除去したのですか? 私には見つけられなかったので、詳細な頁数の提示をお願いします。少なくとも、『市史』の城郭の頁にはありませんが。宇都宮に行く機会が今は無く、申し訳ありませんがページ数の提示をお願いします。--KurmUmy 2009年9月12日 (土) 14:48 (UTC) [返信]