利用者‐会話:Y mon
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こんにちは、Y monさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
Y monさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。 --R28Bot 2008年2月19日 (火) 09:57 (UTC) |
Image:Izumijyo 1.jpgへの出典とライセンス明記のお願い
[編集]出典とライセンスがありません |
こんにちは。Image:Izumijyo 1.jpgをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)には出典が明記されていないため、著作権の状態が明らかになっておりません。出典とライセンスが明らかでないファイルは、1週間後に削除されますので御注意ください。
このファイルがあなた自身による著作ではない、あるいはそのようなファイルをあなたが加工したものならば、ファイルの(原)著作者、ウェブサイトへのリンクなどファイルの入手先など出典、そしてこのファイルがウィキペディアの画像利用の方針に沿っているという根拠を示す必要があります。あなた自身の撮影・著作であるならばその旨を明記してくださいますようお願い致します。
加えて、その画像をどのようなライセンスでウィキペディアに提供するのかを明記してください。画像の著作権表示タグを添付するのが簡単ですので、その中から、この画像(ファイル)の著作権の状態にあてはまるタグをご利用ください。タグの意味は、画像の著作権表示タグに書いてあります。なお、「非営利のみ利用可」「利用には許可が必要」などの自由な利用ができないファイルのアップロードは認められません。どうぞよろしくお願いします。
出典とライセンスを明記する際は画像ページにアクセスし「編集」タブをクリックして記載してください。同画像を再アップロードしても記入した内容は反映されません。
重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されます。--ロボットAlexbot、Alexshによる自動操作 2008年6月1日 (日) 02:38 (UTC)
記事名について
[編集]記事名をしきりに変更されているようですが、改名についてはWikipedia:改名提案などの手順を経てからにして下さい。そうしないとWikipedia:編集合戦の原因になりかねません。 また、あなたの「現在の名称を使うべき」というのも一理ありますが日本の城一覧に記載されている全国の城の中で同一名称の城郭があるものについては城郭名 (旧国名)を使用しています。統一性も重要ですのでそこのところよろしくお願いします。 他の城郭についても「現在の名称を使うべき」という意見をお持ちなら「Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_日本史」で提案されてみてはいかがでしょうか。 --前田左衛門佐 2008年7月1日 (火) 12:03 (UTC)
コメントありがとうございます。ただし、Y monさんは管理者の意味を取り違えていませんか?管理者とは管理者の人達のことであって、記事を作成した方のことではありません。
また、水野白楓さんもノート:ウィキプロジェクト_日本史で提案されているので、城郭関連の記事名についてよく話してみて下さい。そうしないと他の城郭関連の記事名と整合性がとれなくなります。--前田左衛門佐 2008年7月7日 (月) 14:12 (UTC)
矢板市の城など
[編集]藤倉山城・寺山城・矢板城と矢板市の城や塩谷氏一族の記事を作成され、郷土史の記事化に貢献されてされていると思います。しかし、藤倉山城で指摘したように、記事に出典・根拠がないまま、「だと思われる」のように言葉を濁す記述が目立ち、ウィキペディア日本語版の考慮すべきガイドライWikipedia:言葉を濁さないに抵触し、{{未検証}}・{{独自研究}}と考えざるを得ません。記述に当たっては郷土史の資料等を基に正確・明確な記述(例えば、<『矢板市の歴史』では「‥‥‥」と考察されている。>といった記述方法。)とされるようお願いします。なお、引用に当たっては、著作権侵害・GFDL違反とならないようにお気をつけください。--WikipReview 2008年10月12日 (日) 07:18 (UTC)
出典追加のお礼と質問
[編集]はじめまして。KurmUmyと申します。私が出典の明記を貼り付けた塩谷氏の記事に、出典を追加していただきありがとうございます。Y mon様の郷土記事関係への加筆には感謝しております。ところで質問なのですが、追加された出典の中に、”「塩谷朝業」矢板市刊行物”とありますが、当方が調べたところ、『歌人塩谷朝業:初代川崎城主』(矢板市教育委員会、199-年)と、『塩谷朝業』(塩谷朝業顕彰会、1975)が見つかりました。入手までに至らなかったため、比較検討が出来ません。Y mon様のご利用したものを明記していただけたらと思います。
また岡本義保での要出典範囲タグの件でも、質問があります。「義保の没年が1641年」と『矢板市史』・『矢板のあゆみ』に記載されているのは問題ありません。しかし、「公的機関が関与した書籍に記された没年表記」=「義保の没年として正しい」、ここに問題があると思われます。「没年は1641年が正しい」と何らかの資料に記載されていたのでしょうか。無いなら、「『市史』など公的な資料には、没年は1641年と記載される」ことしか書けません。「没年は1641年が正しい」と解釈したなら、独自研究になってしまいます。「没年は1641年が公的には正しい」とする出典を追加するか、『矢板市史』・『矢板のあゆみ』にそれが指摘されることが分かるようにしていただけたらと思います。不躾なお願いですが宜しくお願いいたします。--KurmUmy 2009年4月1日 (水) 12:12 (UTC)
- 塩谷氏、乙畑城の件で再び参りました。先の『塩谷朝業』の回答が無いため、申し訳ありませんが{{要出典}}を添付いたしました。また、塩谷氏居城の問題ですが、『栃木県史』に御前原城説があるとする出典を除去されましたが、おやめ下さい。また対案側の堀江山城居城説には出典がありません。「下野風土記」は詳細な書誌情報(発行年、著者くらい書いてください)もありません。『栃木県史』の見解が間違っているとする論文があるならその出典を追記してください。また、堀江山城居城説を有力とする出典を明記してください。「**の史料がある」「**の理由でこの説が妥当」といった根拠・論拠ではなく、「塩谷氏は堀江山城を居城とした説が有力」と明記した出典を、出典を明記するに従い追加されるようにお願いします。
- また、ある説や「指摘される」「有力である」といった表現を使うなら、必ず出典を明記してください。Y mon様は栃木県北部の郷土史に明るいのは分かりますが、地方史分野は独自研究を載せる利用者も多く、出典明記が無いと独自研究なのか郷土研究結果なのか分かりません。どうぞ宜しくお願いします。--KurmUmy 2009年8月14日 (金) 10:51 (UTC)
- 出典の提示無く、{{要出典}}タグを除去しないで下さい。また、山田城にも『塩谷朝業』(矢板市刊行物)なるものを出典としていますが、書誌情報をしっかりお書き下さい!上で質問したとおり、『塩谷朝業』の題で矢板市自身が出版したものは存在しません!矢板市のHPにある有償刊行物には、生涯学習課が『歌人 塩谷朝業業』(NDLでは『歌人 塩谷朝業』、誤記か?)なるものを販売しています。これですか?お答え下さい。『塩谷朝業』の表記では『塩谷朝業』(塩谷朝業顕彰会、1975)があるので出典明記には不適当です。これ以上無視されるのなら「対話拒否」として報告せざるを得ません。両方とも非常に入手しにくい発行物です。Y mon 様が書誌情報を明記されるようにお願いいたします。--KurmUmy 2009年8月15日 (土) 13:58 (UTC)
- 伊佐野城での出典追加ありがとうございました。なおノート:伊佐野城で、塩谷氏のタグについて疑問を呈されていらっしゃったので、回答いたします。参考文献のページ表示ですが、強制ではありません。ただ、量が多い・複数の書籍を参考文献を挙げると、どこにあるのか不明になってしまうため、明示していただけるとありがたいです(個人的意見です)。ただ、塩谷氏のタグ除去に関しては、ある部分の出典がどの参考文献なのか、タグ除去の際に要約欄でも良いので、示してください。参考文献は記事自体について知るためのものであり、出典かどうかは別です。また、記述の出典を載せるのは執筆者側です。閲覧者側が入手できない場合も有ることを考慮してください(出典に基づいて記述するので執筆者側に出典明記の義務が生じます)。
- なお、「無いものを証明せよ」とのことですが、どのタグでしょうか?具体的に示していただけませんか。悪魔の証明なのですぐ訂正致します。ただ、塩谷氏のタグは居城についての論考で、堀江山城説を示した文献は現状明記されていませんよ。参考文献の「矢板のあゆみ」(まだ私は参照できていません)ですか? 一方で御前原城説をとる出典を除去されたのは何故でしょう。wikipediaの記事内で2説の妥当性に付いて記述されても、「2説を研究して堀江山城説が正しい・妥当だ」と記述した出典(書籍・論文など)が必要なのです。いかに妥当かを論じられても「出典」には成りえません。また実際に現地で個人的に調査した・地元の人に聞いたと記述できるのは、「現地調査の結果、~~である」「地元の話では…だ」と記述された書籍類が無ければ、記事には書けません。--KurmUmy 2009年8月22日 (土) 14:44 (UTC)
- 出典の提示無く、{{要出典}}タグを除去しないで下さい。また、山田城にも『塩谷朝業』(矢板市刊行物)なるものを出典としていますが、書誌情報をしっかりお書き下さい!上で質問したとおり、『塩谷朝業』の題で矢板市自身が出版したものは存在しません!矢板市のHPにある有償刊行物には、生涯学習課が『歌人 塩谷朝業業』(NDLでは『歌人 塩谷朝業』、誤記か?)なるものを販売しています。これですか?お答え下さい。『塩谷朝業』の表記では『塩谷朝業』(塩谷朝業顕彰会、1975)があるので出典明記には不適当です。これ以上無視されるのなら「対話拒否」として報告せざるを得ません。両方とも非常に入手しにくい発行物です。Y mon 様が書誌情報を明記されるようにお願いいたします。--KurmUmy 2009年8月15日 (土) 13:58 (UTC)
旧暦・新暦の表記について
[編集]はじめまして。岡本義保や宇都宮国綱など、旧暦の年月日を新暦に換算すると年が1年ずれる件ですが、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)にあるように、「元号・旧暦年月日(新暦換算後の西暦と月日)」というように修正させていただきました。
確かに大抵の資料等では、旧暦の年のみが生没年として表記されます。しかし、Wikipediaにおいては、世界規模の百科事典でありますので、他の言語圏との兼ね合いを考えて「導入部の生没年月日は新暦換算結果も尊重し、また生没年カテゴリは新暦換算後の年とする」ようになっています。例えば、徳川家康は天文11年12月26日生まれで、天文11年を単に西暦に直せば1542年となりますが、日付を新暦に直すと1543年1月31日となります。他の言語版ではそれを元に、全て新暦の方を用いて「Category:1543年生」に徳川家康が入れられています。それなのにもし日本語版だけ旧暦の年としていると、他の言語版と齟齬が生じてしまいます。こうした事態を避けるため、新暦換算が広く行われているのだと思います。
ちなみに日本国内の資料類でも、吉川弘文館の『戦国人名辞典』、講談社の『講談社 日本人名大辞典』は、Wikipediaとほぼ同じ形式の、「生没年の西暦は新暦換算後の年で表記する」ようになっています。公式とされる資料の表記も大事ですが、新暦換算の年を尊重することは先の二つの書籍と同様に、「一種の内部の方針」ですので、宜しくお願いいたします(なお、導入部の生没年に「○年生 - ○年没」と「生」「没」をつけていますがその必要はありません)。なお、その方針に異議があるのであれば、Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)辺りに議論を持ちかけてみて下さい。--松茸 2009年4月10日 (金) 12:59 (UTC)
独自研究の虞
[編集]Y mon 様、申し訳ありませんが、Wikipedia:検証可能性・Wikipedia:独自研究は載せないをお読みに成りましたでしょうか。特に発表済みの情報の合成に注意してください。以下例を書きます。ご存知でしたら申し訳ありません。
- 例えば、『日本城郭大系』には、塩谷氏居城・御前原城築城に関して、二つの築城年代・築城者があります。特に治承寿永年間の堀江頼純による御前原城築城について、堀江頼純の生没年が記載された資料Aがあり、そこでは頼純が治承寿永年間に没していることを言及するのは問題ありません。しかし、その没年資料Aから頼純による築城説を否定してはなりません。信頼のおける情報源を組み合わせています。これはWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成で禁止されているのです。
また、このブログを参考にされていませんか? Wikipedia:検証可能性#情報源/ソース の「自主公表された情報源」節にあるように、個人ブログは原則的に資料として使えません。堀江山城の塩谷頼安の比定など個人的には興味深いですが、wikipediaでは排除されるべき情報になってしまいます。
(追記)なお、矢板市が刊行する『塩谷朝業』についてですが、『歌人塩谷朝業』という本が矢板市により有償販売されたものであり、矢板市教育委員会が発行してますが、根小屋城代の記述はありません。『塩谷朝業』という題名の本はありますが(『歌人塩谷朝業』が参考にした本です)、これは「塩谷朝業顕彰会」が1975年に発行した本で、矢板市の刊行物ではありません。数ヶ月前から質問しています。書誌情報(著者・編者、発行年、出版社)をお書き下さい!--KurmUmy 2009年8月28日 (金) 08:41 (UTC)
- Y mon 様、貴殿が勝手に説を取捨選択しないで下さい! 堀江山城の記事ですが、御前原城築城の築城年代には現状記事内に、1)治承寿永年間(堀江頼純による)、2)正和4年(1315年)(塩谷頼安による)、3)1120年(堀江頼純による)と3つあります(1・2は『日本城郭大系』、3は『歌人塩谷朝業』に記載)。このうち、堀江頼純の没年で御前原城は存在していないと結論付けるには、1を築城年に採用しなければなりませんが、1が定説とは全く出典がありません。また、御前原城で歴代城主を述べますが、これは勝手に2を定説とした場合のため不適当です。諸説ある状態なのに歴代城主と確定させられません。これ以上独自研究を行わないで下さい。また、「出典」と「執筆者・閲覧者が記事に付いて考えるのに役立つ資料」とは明確に異なります。「説」があると記事に書くのなら、「説」を導き出すのに必要な資料は「出典」ではありません。「説」を主張する論文類、説が存在することを示す文献こそ「出典」です。
境原城境林城のように虚偽の出典提示を行わないで下さい。これ以上出典提示なき除去を続けるなら方針熟読のブロックを求めざるを得ません。また矢板市刊行物の『歌人塩谷朝業』に無い記述において『塩谷朝業』(矢板市刊行物)とするのはおやめ下さい。--KurmUmy 2009年8月28日 (金) 10:31 (UTC)誤字訂正--KurmUmy 2009年8月28日 (金) 10:40 (UTC)- 『塩谷朝業』(矢板市刊行物)は内容から『塩谷朝業』(塩谷朝業顕彰会編・発行、1975年)と判断します。さて、上記の御前原城の問題について、ノート:御前原城で以前に私が問題を説明しておりますが、今回出典追加や何の説明無し再び御自身の版に戻されましたね。おやめ下さい。ノートで反論するなど対話してください。参考「資料」を拝見するに、貴殿の編集は独自研究的な記述が混じっていることが多いです。十分注意してください。--KurmUmy 2009年9月9日 (水) 13:23 (UTC)
- 乙畑城の編集では失礼しました。誤記の指摘ありがとうございます。しかし、境林城などの差し戻しはおやめ下さい。私の編集だから取り消すのではなく、出典があるなら要出典の代わりに脚注をつければ済むことです。また、各記事のノートで提示された問題点にお答え下さい。乙畑城以外の記事は文献の記述を基にした解釈が多く、その解釈の出典が必要です。見落としだと主張するなら、具体的にページ数を提示されればいかがでしょう。要出典を張られるような部分では無いと間違いなく証明できます。その場合はこちらのミスですので謝罪いたします。なお縄張り図の件ですが、縄張り図の解説の大意やどのような縄張りかを書くことは出来ますが、縄張りの様子と当時の城を巡る情勢を考慮して城自体および堀切など縄張りの役割を推測することはできません。専門的知識と照合すれば非常に妥当な判断・評価・解釈でも、wikipediaで最初に示された見解であれば独自研究になるためです。どのような役割かwikipedia以外で示した出典が必要なのです。「縄張り図を正確に理解する知識」が必要と発言されたので、解釈をされたのではと懼れ、一応追記しました。--KurmUmy 2009年9月11日 (金) 14:58 (UTC)
- 『塩谷朝業』(矢板市刊行物)は内容から『塩谷朝業』(塩谷朝業顕彰会編・発行、1975年)と判断します。さて、上記の御前原城の問題について、ノート:御前原城で以前に私が問題を説明しておりますが、今回出典追加や何の説明無し再び御自身の版に戻されましたね。おやめ下さい。ノートで反論するなど対話してください。参考「資料」を拝見するに、貴殿の編集は独自研究的な記述が混じっていることが多いです。十分注意してください。--KurmUmy 2009年9月9日 (水) 13:23 (UTC)
- Y mon 様、貴殿が勝手に説を取捨選択しないで下さい! 堀江山城の記事ですが、御前原城築城の築城年代には現状記事内に、1)治承寿永年間(堀江頼純による)、2)正和4年(1315年)(塩谷頼安による)、3)1120年(堀江頼純による)と3つあります(1・2は『日本城郭大系』、3は『歌人塩谷朝業』に記載)。このうち、堀江頼純の没年で御前原城は存在していないと結論付けるには、1を築城年に採用しなければなりませんが、1が定説とは全く出典がありません。また、御前原城で歴代城主を述べますが、これは勝手に2を定説とした場合のため不適当です。諸説ある状態なのに歴代城主と確定させられません。これ以上独自研究を行わないで下さい。また、「出典」と「執筆者・閲覧者が記事に付いて考えるのに役立つ資料」とは明確に異なります。「説」があると記事に書くのなら、「説」を導き出すのに必要な資料は「出典」ではありません。「説」を主張する論文類、説が存在することを示す文献こそ「出典」です。
再度書誌情報の質問
[編集]Y mon様、すれ違いの原因かもしれないので、お聞きします。「塩谷朝業」は一体何年の発行ですか?私が参照したのは1975年の塩谷朝業顕彰会編のものです。もしかしたら別の2000年代に入って発行された最新の学説が載るものですか?
また、私が参照したのは栃木県立図書館所蔵で1985年の『郷土読本 第2集』(複製)なのですが、このなかで「乙畑城記」は(一)とあり本文が途中で終わっているのです。当然解説もほとんどありません。手元にないので解説にノート:乙畑城での御指摘部分があったかまでは不明なのですが。ただY mon様が提示されたのは「乙畑城記」のみで、『郷土読本』は私が付け足した情報のため、Y monが参照されたのは「乙畑城記」の全文がしっかり記載された完全版だったのかもと思いました。ご使用の「乙畑城記」は中途で切れていないものでしょうか?—以上の署名の無いコメントは、KurmUmyが 2009年9月11日 (金) 14:58 (UTC)に投稿したものです--KurmUmy 2009年9月13日 (日) 08:13 (UTC)
テンプレートを剥がす行為について
[編集]Y mon様、何故{{告知}}を剥がすのでしょうか。 添付理由も編集を巡る質問であり、荒らしではありません。現在進行中の議題でもあり、除去の理由にはなりません。勝手に結論を出して対話を打ち切ったようにも思えてしまいます。またこのテンプレートは閲覧者への議論参加の呼びかけの面が大きいです。記事は私KurmUmyのものでも、Y mon様のものでもありませんので、第3者の議論参加を呼びかけたのですが。何か問題があったのでしょうか。--KurmUmy 2009年9月13日 (日) 08:13 (UTC)
出典追加のお願い
[編集]KurmUmyです。とりあえず編集合戦になりそうだったので矢板市城郭関係の編集は控えていましたが、タグを剥がされてしまいましたので伺いました。Y mon様、御前原城や玉生城での{{要出典}}を単に剥がさず、何の本で述べられているか説明していただけませんか? 『矢板市史』『ふるさと矢板のあゆみ』は概説を述べており、矢板市の最新の郷土研究を述べていないのではないでしょうか。最新の研究状況が書かれた資料を追加すれば澄みます。既にあるなら、提示済みと突き放さず、「参考資料」のどの本なのか除去の際に要約欄などに書いていただけませんか?
また、『塩谷朝業』についてです。出典は出典を明記するにあるように、「著者名、著書(論文)名、雑誌名、巻数、発行所名、叢書名、刊行年、参照ページの順で記す。」のように、他の執筆者方が再確認できる方法で明示することになっています(順番異同あり、参照ページ省略も多)。ですが、『塩谷朝業』は著書名しかありません。上記項目を追加する必要があります。著者名・著書(論文)名しかなく「出典の要件を満たさず」として除去されたケースもあるのです。Y mon様の記述内容自体は残すべきだと思っていますので、郷土研究の専門書・論文などを明記し、出典不備を解消していただきたく、再度お願いを申し上げます。--KurmUmy 2009年10月10日 (土) 04:49 (UTC)
大宮城 (駿河国)移動のお知らせ
[編集]こんにちは。Y monさんが先ほどご作成なされた記事名大宮城 (駿河国)についてですが、Wikipedia:記事名の付け方に違反しておられましたので、適切な記事名である大宮城 (駿河国)へ移動させて頂きました。今後の加筆・修正は大宮城 (駿河国)の方へお願いします。大宮城 (駿河国)の方はWikipedia:即時削除の方針によりごく短期間で削除されますのでご了承ください。では用件のみですが失礼します。--FTX 2010年3月1日 (月) 02:39 (UTC)
風見城の出典について
[編集]こちらの意見はノート:風見城に記載したとおりです。すみませんが、一旦編集の手を止めていただき、出典が有効であると主張されるようであればその根拠を、でなければ別の有効な出典を示していただけませんでしょうか。有意な議論が出来るよう期待しております。--Mercurius(会話) 2016年3月23日 (水) 12:10 (UTC)
問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為について
[編集]こんにちは、Y monさん。ウィキペディアに参加して頂きまして、どうもありがとうございます。
岡本久暢・岡本久忠・岡本久義・岡本久包:桑嶋忠質から{{単一の出典}}を除去編集されておられましたが、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすることをお読み頂くとお解りの通り、そのような行為は推奨されておりません。
理由あってテンプレートが貼付されているのですから、テンプレートが貼られたことに対して意見があるのでしたらその記事のノートページやテンプレートを貼った利用者の会話ページに質問を書き込むなどして、今後はそのような行動は慎んで頂きたく思います。どうぞご了承のほど、よろしくお願いします。--116.80.80.94 2016年4月3日 (日) 04:09 (UTC)--116.80.80.94 2016年4月3日 (日) 04:14 (UTC)
- どこが単一なのでしょうか? よく確認してからテンプレートを貼るようにして下さい。あなたがやっているのは、明らかな荒らし行為です。独断でいい加減なテンプレートを他のページでも貼られているようですが、そうした行為は、やめた方が良いかと思います。
- 寛永諸家系図伝も寛政重修諸家譜も第一級の歴史資料です。最初に貼ったテンプレートを完全否定されたからと言って、別のこじつけのテンプレートを貼る行為は完全な荒らし行為です。
塩谷氏について
[編集]塩谷氏の正式な読み方は「しほや」ですが、「しおや」と表記するのが適切です。いろいろな読み方があるのは事実ですが。
Kitsuregawa
個人の見解ではなく、公的に通説として認められているものを掲載するのがWikipediaです。下野国塩谷郡発祥の塩谷氏の読み方は、矢板市史や矢板市の公式サイトを始めとして『しおのや』です。これ以上荒らし行為をするならば、IPアドレスをWikipediaとプロバイダーの両方に通報しなければならなくなります。 --Y mon(会話) 2018年2月22日 (木) 02:59 (UTC)Y_mon
塩谷氏について編集行為を中止してください。塩谷氏への名誉を棄損する行為は慎むべきではないでしょうか?矢板市史ではなく客観的な文献や書物を参照すべきです。 --Kitsuregawa(会話) 2018年2月26日 (月) 11:11 (UTC)Kitsuregawa
矢板市史が客観的な資料でないとすれば、あなたが言う客観的な文献や書物とは、何を指すのでしょうか? 何度も言いますが、Wikipediaは、個人の見解を書く場ではありません。矢板市史を始めとして公的に認められた読み方は『しおのや』です。個人の見解でWikipediaを書き換える荒らし行為は辞めて下さい。 --Y mon(会話) 2018年2月26日 (月) 13:10 (UTC)Y_mon
『日本地名大辞典』1996年、『日本歴史地名体系第九巻 栃木県の地名』1988年では「しおや」が正式名称です。 矢板市史や矢板市の見解で記載すべきではありません。これ以上、塩谷氏への書き換え行為は止めてください。 --Kitsuregawa(会話) 2018年2月26日 (月) 15:52 (UTC)Kitsuregawa
当時の塩谷氏の呼称を証明する出典になっていません。地名の呼称と氏姓の呼称は別物です。あなたが根拠もなく荒らし行為をしている事に変わりありません。
--Y mon(会話) 2018年2月26日 (月) 15:57 (UTC)--Y mon(会話) 2018年2月26日 (月) 15:57 (UTC)
会話ページでの投稿について返信いたしました
[編集]はじめまして、Dong1jin4(会話 / 投稿記録 / 記録)と申します。Y monさんが利用者‐会話:Dong1jin4#塩谷氏の編集についてで投稿された内容について、返信とY monさんへの質問を追記しております。ご確認いただきますようお願い申し上げます。--Dong1jin4 2018年12月26日 (水) 11:17 (UTC)
2021年ウィキメディア財団選挙の候補者を紹介します
[編集]こんにちは!
2021年ウィキメディア財団選挙が8月に始まります。今年の理事会選挙は、2021年8月4日から17日まで実施されます。ウィキペディア日本語版の編集者を含むウィキメディア・コミュニティのメンバーは、3年の任期で4人の新しい理事を選出する機会があります。理事会選挙の開始に先立ち選挙運動期間が設けられており、この期間中にコミュニティが候補者と顔を合わせる機会があります。
- ウィキメディア財団における理事会の役割は何ですか?
- 候補者紹介
- 今回の選挙には20名の立候補者がいます。候補者についてはこちらをご覧ください。
理事選挙をサポートするファシリテーター チームは、選挙運動期間中にいくつかの活動を用意しています。
7月31日(土)の19:30(JST)から、日本を含むアジア・太平洋地域のユーザーが候補者と交流できるオンラインイベントが開催されます。日本語による同時通訳も提供される予定ですので、どうぞお気軽にご参加ください。
- こちらのフォームから事前に参加登録をお願いします。
- フォームのプライバシーポリシーをご確認ください。
その他の活動については、メタウィキの理事選挙ページをご覧ください。
ご質問がございましたら、ファシリテーターか選挙ボランティアまでお問い合わせください。
選挙ボランティア一同 2021年7月24日 (土) 15:03 (UTC)
このお知らせは2021年ウィキメディア財団理事会選挙ボランティアにより作成され、botにより配信されました。 •フィードバック •購読解除
まもなく終了 理事会選挙へ投票のお願い
[編集]Y monさん
こんばんは。お忙しい時間帯に恐れ入ります。
2021年ウィキメディア財団選挙は最終盤に入っております。これまでご協力いただいた皆様、ご投票いただいた皆様に心より御礼申し上げます。
もしY monさんが投票をお済ませでなければ、ぜひこちらから清き一票をお願いいたします。
ウィキペディア日本語版の運営にも深く関与する理事会の候補者の選出に際し、投票資格をお持ちの数少ないユーザーの一人であるY monさんのご意見を反映することは非常に重要だと考えています。
投票いただくに際し、まず19名の候補者からY monさんが支持する方をお選びください。 支持する候補者を選んだら、支持する順に候補者の名前を選び、投票ボタンを押すだけです。 所要時間は5分未満で、完全な匿名性が保証されます。
投票は、日本時間の9月1日(水)の朝9時に締め切られます。
ウィキメディア財団の運営にウィキペディア日本語版コミュニティの意見を反映させるために、Y monさんのご協力を重ねてお願い申し上げます。
どうぞよろしくお願いいたします。
--選挙ボランティア一同 2021年8月31日 (火) 11:18 (UTC)
このお知らせはウィキメディア財団2021年理事会選挙ボランティアにより作成され、botにより配信されました。 •フィードバック •購読解除