ノート:大正世代
(節題のないやりとり)
[編集]- 自分は大正世代の孫の団塊ジュニアですがそれ以降のゆとり世代の方もいますが、参考文献を記しましたので大正世代の元日本兵を尊敬する気持ちがるなら理解してください。タグはずします。210.149.120.66
- 問題点や不明点があるならノートに書いて下さい修正します。210.149.120.66
- 記事を書かれるのであれば、まずはWikipedia:検証可能性をお読み頂きたいと思います。ウィキペディアはあなたが「この世代はこう言う集団だ」と考えた内容をつらつらと書き連ねる場所ではありません。Wikipedia:独自研究は載せないにも目を通してください。{{独自研究}}については再度付与しました。--KAMUI 2010年11月23日 (火) 11:10 (UTC)
- 問題点削除しました。
- 本記事についてのお話ですので、私の会話ページではなくこちらで。
- 上でもWikipedia:検証可能性を読んで頂くようにお願いしましたが、ウィキペディアでは基本的に「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が求められます。私の会話ページに「9割がた一般常識」と書いておられますが、そもそもウィキペディアを閲覧するのは子供から老人まで出来ますし、日本語版を読むのが日本人だけとも限定されません。
- しかし、こちらのノート書いてる間に4回も会話ページにコメント入れるとは随分とせっかちな方ですね(^_^; --KAMUI 2010年11月23日 (火) 11:41 (UTC)右翼的、保守的世代観を削除しましのでいいですか。後は一般的世代論である。210.149.120.66
問題点
[編集]すでにKamuiさんがご指摘しておりますが、この記事には問題点が多くあります。
記事の問題点とは別に、IP:210.149.120.66(会話 / 投稿記録), IP:210.149.120.67(会話 / 投稿記録), IP:210.149.120.70(会話 / 投稿記録), IP:210.149.120.71(会話 / 投稿記録), 利用者:達宗(会話 / 投稿記録)氏が全て1人での編集か、数名での編集かわかりませんが、仮に同一人物である場合、すでに会話ページにもメッセージがなされており、多重アカウントのなりすましと判断され、投稿ブロックされる場合もあることも指摘しておきます。
大正世代#参考文献の部分に記述の参考にしたと思しき文献が記述されておりますが、現在ある記述が、参考文献が示された際のものなのか、その後文献とは関係なく加筆されたものなのか、不明です。ページ番号も記述して参考文献を示すことが推奨されます。また1つの文献に基づくものである場合、単なる事実ではなく影響などについては、著者の思想などにも影響する場合があるので、特定の観点に偏らない複数文献にあたる必要があります。
まず冒頭の大正世代#大正世代の出生した年から高齢化して老人となるまでの過程(死亡までの出来事)ですが、一切出典が示されておりません。この部分は、大正世代を主題とした論文などにより、こうした研究がされたものでないかぎり、独自研究であり、除去するべきものと言えます。
大正世代#大正時代生まれの節も同様です。
「その内、唯一大正生まれだけが(大正年間)大正時代から昭和に改元される以前の期間内に(大正天皇)の天皇在位中に成年に達しない事となり、」など、ほぼ全てが独自研究の疑いが強いもので、「大正生まれ」と云う曲について以外は出典が求められます。
大正世代#大正時代の影響についても出典が一切示されていません。例えば幼年期の第一次世界大戦が、大正世代に影響を与えた根拠は一切示されておりません。第一次世界大戦で、戦車・毒ガス・戦闘機が用いられたことは事実ですが、大量の戦死者がでるようになったのは、大戦末期に用いられ始めた戦車や戦闘機によるものではなく、塹壕戦によるものです。また日本軍が参戦した戦いに戦車は用いられておらず、戦闘機は用いられたかもしれませんが、大きな影響があったのか出典がありません。第一次世界大戦が、「将軍や兵士中心の戦争から武器中心の戦争となり」といった影響を日本軍に大きな影響を与えたかというと、そうでもなく、精神力を重視したことなどから、適切な説明とは言えません。関東大震災は大きな出来事ですが、それが大正世代にどう影響を与えたものか出典が示されておりません。また関東地方やその周辺以外の日本全国の大正世代の子どもに影響を与えたものなのかどうか。大正デモクラシーの影響を受けてリベラルな思想を持ったものは、大正世代だけなのでしょうか。明治生まれにも、その影響を受けたものはいるはずですし、大正世代に限ればリベラルな思想を持ったものが大半でないかぎり、「大正世代はリベラルな思想を持っていた。」などと結論づけることはできません。
大正世代#大正世代が受けた教育ですが、まず、「平成期と同じ軍事費の増大と植民地経営のコスト増大と世界大恐慌による収入減で財政難となり」の平成期と同じは、おかしな文章です。軍事費が防衛費のことだとしても、防衛費が増大したことで財政難になったわけではありませんし、植民地経営は該当せず、リーマンショック以降の世界不況以前にも日本の財政赤字は増大しています。「帝国大学・旧制大学・旧制高校・旧制中学で戦前期に最後の大日本帝国の教育制度を受けた世代である」についていえば、出典があるように示されているが、少なくとも旧制中学については、昭和一桁世代の中にもその教育を受けたものがおり不正確な記述です。
大正世代#文化・思想について、現在の記述が全て参考文献によるものなのか、その一部のみなのかはっきりしません。どの部分が参考文献をもとにしたものか明記する必要があります。
大正世代#昭和時代の青年期について、「大正一桁生まれ(1912年(大正元年)~1920年(大正9年))生まれた大正初期生まれ・大正中期生まれ世代が」について、日本語として意味が通っていません。失業率は1932年のみ示されておりますが、ここでいう大正初期、中期が5年ごとの世代を示すものなのか、参考文献でも大正初期生まれ、中期生まれ世代として用いられているものでしょうか? 大正世代の就職難が、「この事が孫世代である団塊ジュニア世代と共通していると比較される。」について、誰が比較しているものかはっきりしません。またある研究者が比較したことを示すだけでは、不十分でしばしば比較されることがあるという出典が必要です。
大正世代#世代的特徴は、男女比以外の出典がありません。たとえば大部分の両親が明治生まれであることは事実でしょうが、そうしたことに着目したのが、参考文献によるものでなければ、執筆者による考察でしかなく、独自研究にあたります。
大正世代#戦死が多い世代の「特攻隊の遺書」や「きけわだつみの声」などで大日本帝国の若い日本兵であった大正世代の若い男性の死生観が理解できる。これは執筆者による考察のように思われます。出典を元に下場合は、死生観が見られると記述するでしょう。いずれにしろ出典が示されておりません。
大正世代#結婚と出産の部分にある分析結果の出典が示されておりませんが、独自研究あるいは書籍などからの著作権侵害にあたる可能性があるように思えます。
大正世代#青壮年期にも出典がほとんど見られません。サザエさんや、水木しげるを例として用いた文献を示す必要があります。また大正世代の記事であるのに、息子である団塊の世代に対する体罰教育に言及するのも不思議な感じを受けます。大正世代を主題とした論文や文献で、そうした記述があるのでしょうか。大正世代の子どもに団塊の世代が多い、団塊の世代では体罰教育が多かったことを合わせた情報の合成であるように思われます。そうでないならば、きちんと出典を示す必要があります。
大正世代#高齢期にある平成時代の期間内に大部分が高齢者となって死亡した。は統計を分析した独自研究なのか、文献をもとにした記述なのかわかりません。現在続いている平成時代について説明するのはおかしな印象を受けます。
大正世代#政治家ですが、「田中角栄(大正7年生まれ)が大正世代(大正時代生まれ)で初めての内閣総理大臣であり、<大正生まれ>として国民やマスコミから注目されて」は大正を連呼しておりくどい記述です。中山太郎の落選が次の節に入っていますが、記述するとしたらこの節でしょう。
昭和一桁世代の有名人に比べて、大正世代の有名人は生存率が高くて長寿者が多い。(参照は以下の大正世代の有名人一覧。大正世代の有名人は長寿者が多い事が分かる)は独自研究でしかないでしょう。群体経験で規則正しい生活をした人は長生すると言われることはありますが、定義の曖昧な有名人の生存率などというものは、Wikipediaには不適です。大正世代#大正世代の有名人は、選んだ根拠が不明で、個人のえり好みでしかないように思います。本島等が重複しています。他にもいるかもしれません。--Tiyoringo(会話) 2013年1月24日 (木) 21:41 (UTC) 事実とは異なる記述をしてしまったことを謝罪します。(訂正済)特急東海(会話) 2016年4月6日 (水) 01:13 (UTC)
村山、田口、田、松本への言及について
[編集]要出典範囲を付した「戦後の日本では平和主義の左翼思想家とされる大正世代の村山富市元首相・田口一男議員・田英夫議員などの日本社会党議員や松本善明などの日本共産党議員でも軍隊経験があり、戦時中は平和主義者でもなくてごく一般の大日本帝国軍人であり左翼活動もしてなかったが、戦後になって左翼思想に転向したケースが多かった。」について、趣旨を説明します。
- 「平和主義の左翼思想家」という位置づけが、特に「思想家」という表現に関して適切であるかは疑問です。むしろ、個々で言及されている3人はいずれも国会議員経験者であり、明らかに「政治家」であって、「思想家」という表現はミスリーディングです。
- この記述では「軍人であり左翼活動もしてなかった」ことをもって「平和主義者」ではなかったとする前提が置かれています。しかし、「平和主義者」の定義は明確ではなく、また、軍人であれば平和主義者であり得ないという判断は、極端に過ぎるのではないかと思います。特に、田口のような志願兵や、松本のように海軍兵学校に志願して学んだ者はともかく、学徒出陣で応召した村山や田の思想性を、応召した一事をもって断じるのは不適切です。当時の日本の状況は、良心的兵役拒否の余地がある現代の諸国における徴兵制とは全く異なります。
- 「戦時中は平和主義者でもなくてごく一般の大日本帝国軍人であり左翼活動もしてなかった」のであり、特段、右翼活動もしていなかったのであれば、「戦後になって左翼思想に転向した」という表現は奇妙です。戦時中は特段の思想性もなかった(あっても行動には表さずにいた)人物が、戦後に積極的に特定方向の思想性のある政治的活動に参画したのであれば、それは「転向」ではありません。また、特にこの時代の日本の文脈においてこの表現を用いる一般的な用法(左翼からの「転向」)からも逸脱しており、適切な用語法とはいえないと考えます。
- さらに述べるならは、「大正世代」についての記述で、大正末期の人物だけを挙げていることが、この世代を代表する例として適切であるのか、疑問を覚えます。この記事は大正世代全体についての記述であるはずであり、もし、ここに書かれている「戦後になって左翼思想に転向したケースが多かった。」が事実であるなら、大正初期、中期生まれの人物の例も積極的に例示される必要があると考えます。
以上、総じて、この記述は不適切であり、何らかの具体的典拠が示されない限り、除去される記述であると考えます。2週間ほどの間に特にご異論がなければ、記述の除去をしたいと思います。ご異論がある方は、コメントをよろしくお願いいたします。--山田晴通(会話) 2013年3月11日 (月) 01:10 (UTC)
長寿という言葉について
[編集]日本では60歳(還暦)以上になると長寿として祝われる風習があります。しかし、本記事ではそれよりも上の年代を長寿と呼んでるように見えました(平均寿命以上でしょうか?)。長寿という言葉は使いやすいですが、どのあたりの人たちを指すか、指さないかがあいまいなので、使い方には気をつけた方がいいと思います(長寿という言葉を使う場合は、単に長寿と表現するのではなく、○○歳を超える長寿などと表現した方がいいと思います。)。--125.170.242.200 2013年9月19日 (木) 18:12 (UTC)
「戦中派」という表現について
[編集]現時点での記述では、定義部の最後に、「「戦中派」ともいわれる」と記され、典拠がないまま注記として「 世代名では大正世代だが時代生まれの大正生まれや戦中に青年で成人した戦中派の呼称も定着している」と書かれています。
確かに、大正世代は、第二次世界大戦中に若手から壮年にかかる大人だった訳で、戦時中の様々な出来事に関わった世代、あるいは、多数の戦死、戦災死者を出した世代です。「大正世代」に入る人を指して「戦中派」として言及する用例があっても不思議ではないと思います。しかし、実際に、例えば新聞記事データベースで「戦中派」をキーワード検索しても、ヒットするのは、戦時中に生まれた、ないしは昭和初期に生まれて戦時中に少年期をすごした人々という意味で用いられている場合が目につきます。厳密に統計をとった訳ではありませんが、大正生まれの人物を指して「戦中派」と呼ぶ場合に匹敵する水準で、昭和生まれの人物を指して「戦中派」を用いる例は存在するようです。
いずれにせよ、典拠の明示と、誤解を生じない書き方を期待し、上記の箇所に要出典範囲を貼りました。--山田晴通(会話) 2015年9月25日 (金) 18:47 (UTC)
- 本記事はWikipedia:進行中の荒らし行為/長期/達宗#編集傾向により多くの不適切な編集がなされています。問題と見られる部分は速やかに除去してもいいと思います。--Tiyoringo(会話) 2015年9月25日 (金) 19:23 (UTC)