ノート:大石寺住職一覧
項目名について
[編集]現在、「総本山大石寺歴代上人一覧」となっておりますが、他の宗派との整合性や、敬称が付いており、関係者でない他の閲覧者のために、より分かりやすい項目名として「大石寺住職一覧」に変更したいのですが、構いませんでしょうか。--Kstigarbha 2005年10月27日 (木) 13:27 (UTC)
- 辞書ですから敬称を省略することは問題ないと思います。また、全体の整合性をとって「大石寺住職一覧」と変更することは、良いことだと思います。Tetralemma 2005年10月29日 (土) 12:58 (UTC)
- 一週間が経過し、賛意も頂けましたので、変更しました。--Kstigarbha 2005年11月5日 (土) 10:07 (UTC)
凡そ辞書としての記述に似つかわしく無いと思われる「バカ・糞」等との記述がありますが、これをこのまま載せていては人として如何かとも思われます。適弁修正しても宜しいでしょうか? 何方かが修正されていた模様を確認しました。 他の宗教系項目等に於いても言える事ですが、等項目に批判的、若しくは敵対勢力に属す方達が編集に手を加える場合、極力暴言や過度の批判は避けるべきかと思います。また、項目該当勢力に属す方も極力過度な誇張的編集は避けるべきだと思います。理由は上記に記された通りかと思われるからです。
疑問点
[編集]提案 宗祖から3祖までの在位期間、出典及び参考文献を次のとおりとする。
宗祖:(空欄)
開山:1290年10月12日[1][2]-1333年[3]もしくは1332年11月[4]
3祖:1333年[3]もしくは1332年11月[4]-1333年10月
脚注
[編集]出典
- ^ (日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 544)には、「日興は〔略〕正応三年大石ケ原に草庵を結んだ。これが大石寺の濫觴である。」とある(従って、本書が典拠となり得るのは年のみ)。
- ^ (宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 183)には、「正応3年(1290)10月12日に『大石寺』を創建されました」とある(但し、漢数字は算用数字に直した)。
- ^ a b 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 544.
- ^ a b (宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 189)には、「元弘2年(正慶元年・1332)11月、日目上人は日興上人から『日興跡条々事』を授けられました。この書は〔略〕大石寺の譲り状として記され〔略〕たものです」とある(但し、漢数字は算用数字に直した)。
参考文献
[編集]- 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 編『日蓮正宗入門』阿部日顕(監修)(第2版)、大石寺、2002年10月12日。ISBN 978-4904429778。 NCID BA56841964。OCLC 675627893 。2015年5月23日閲覧。(ISBNは、改訂版のもの。)
- 日蓮宗事典刊行委員会 編『日蓮宗事典』日蓮宗宗務院、1981年10月13日。ASIN B000J7QTDQ。 NCID BA61075492。OCLC 17071163。
理由
[編集]始めに、大石寺がその第一世を宗祖としていること自体には特段の異議がないことを、表明します[注釈 1]。
ここで話題としたいのは、その在位期間です。大石寺の始まりが正応3年(1290年)であることは、日蓮宗も日蓮正宗も認めるところです[注釈 2]。それ以前に、宗祖や開山が在位した、とする表現に違和感を感じます。したがって、宗祖の在位期間は空欄に、開山のそれは少なくとも正応3年(1290年)以後とした方が望ましいと愚考しますが如何でしょうか。なお、開山は1298年に重須へ移っていますが、その後も在位し続けたとしているのは、既述の通りです。
なお、文献により異説がある場合は併記しました。表記は、本文の凡例に従ってあります。出典は、その本文に於いて表現が間接的と思えるものは、上記の通りそれも明記しました。
蛇足:そもそも出典がないこと自体が問題なのですが、苦労して書かれたであろうことを削除するのは心苦しいものがあります。願わくば出典を明記した編集を、せめて良書(富士門流各派の主張を書いた本)のご紹介を頂きたく、お願い申し上げます。
脚注
[編集]--1000dai(会話) 2015年5月24日 (日) 05:56 (UTC)
報告2015年6月23日 (火) 00:34時点における版のように、編集させて頂きました。--1000dai(会話) 2015年6月23日 (火) 00:36 (UTC)