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ノート:天災は忘れた頃にやってくる

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記事名

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内容を見たところ、寺田寅彦の言葉とされたのは「天災は忘れた頃に来る」ですよね。でも記事名は「天災は忘れた頃にやってくる」なのですね?とすると、どこかで『やって』が付加されたわけですが、それについては言及がないようです。だったら記事名は「天災は忘れた頃に来る」にした方がいいのではないでしょうか?--Keisotyo会話2018年3月10日 (土) 09:48 (UTC)[返信]

コメント 最も人口に膾炙している「天災は忘れた頃にやってくる」が記事名でいいと思います。もし寺田の実際の言葉が「天災は忘れた頃に来る」であり、それが世間には「天災は忘れた頃にやってくる」として広まってしまった……というならば記事名は本来の「天災は忘れた頃に来る」とし俗称の「天災は忘れた頃にやってくる」はリダイレクトにすべきでしょう。しかし、この場合、「天災は忘れた頃に来る」も「天災は忘れた頃にやってくる」も寺田の言葉ではない(「天災は忘れた頃に来る」は、中谷宇吉郎が「寺田の発言」と称しているに過ぎない。詳細は鈴木堯士『寺田寅彦の地球観 忘れてはならない科学者』などをご参照ください。)のですから、人口に膾炙する方でよいと思いますよ。--126.196.36.155 2018年3月10日 (土) 11:44 (UTC)[返信]
寺田寅彦が実際に何と言っていたのかということは定かでないです。中谷は1938年の新聞記事には「天災は忘れた頃に来る」と書いていますが、その記事について中谷自身が1955年に振り返った随筆では、「天災は忘れた頃来る」と書いており、「に」が抜けています。さらに、寺田門下の藤岡由夫は、寺田は「天災は忘れられた頃に来る」と言っていた、と述べています。このあたりは、参考文献で用いた初山論文[1] pp.9-10が詳しいです(記事にリンクを貼っていなかったので、先ほど貼っておきました)。さらに、寺田と交流のあった今村明恒も、寺田の言葉として、今まで上に書いた言葉とはさらに違った表現を記載していた、はず(ちょっと今、資料一式を全部置いて大阪に来ているので、すぐには検証できないですが)。いずれにせよ、どれが寺田が言った言葉なのかというのは判断がつきにくいと思われます。じゃあ記事名はどうすれば良いのかということですが、私は辞書の表記や、NDL ONLINE、Googleの検索結果などから、この表記がもっとも一般的ではなかろうかと判断しました。ただ、これに関しては異論あるでしょうし、もっと妥当な判断方法があれば、私は改名に反対しません。--アリオト会話2018年3月10日 (土) 13:41 (UTC)[返信]
オオ、主筆の方が。で、『やって』がくっついた経緯はやはり分からないのでしょうか?もしそれがあれば、それもまた良し、という気もしているのですが。--Keisotyo会話2018年3月10日 (土) 13:47 (UTC)[返信]
「やって」がいつからついたのかというのは、私が調べた範囲では分からなかったですね。--アリオト会話2018年3月10日 (土) 14:00 (UTC)[返信]
うーん、残念です。私としては、その語の断絶が気になるんですけどね。もちろん、現時点で記事名の方が良く通じるというのはよく分かるので、それが記事名に来るのはまあ分かるんです。しかし由来が分からない語であるというのが、ちょっと、なんですよ。例えば記事名は「天災は忘れた頃に来る」にして、現記事名をリダイレクトにする、とかもあるんじゃないかな。まあ、敢えてそうしないと、というものでもないのですが。ただ、せっかくそこまでの経緯がしっかり把握できているだけに、それを大事にして欲しいというか、そんな感覚です--Keisotyo会話2018年3月10日 (土) 14:09 (UTC)[返信]