ノート:夫婦別姓/過去ログ2
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2007年11月12日の 61.45.11.61氏の一連の編集について
既存の記述を理由なく削除する行為は、場合によっては荒らし行為とみなされる場合がありますのでご注意ください。 必要な削除であると思われる場合は、ノートや要約欄にその理由がわかるように記入してください。 いったん、意図不明な編集を開始する前の版に差し戻してありますので、何か編集が必要と思われるところがあれば、ノートで合意を形成するようにしてください。
なお、Wikipediaは百科事典であり、演説をする場所ではありませんので、特定の政治思想や政治団体、活動団体の一方的な中立性に欠ける主張内容をそのまま反映させるような編集はご遠慮ください。中立性を尊重していただきますようお願いいたします。--210.143.35.16 2007年11月13日 (火) 00:50 (UTC)
外国の制度について
日本語版ではフランスが「夫婦別姓が原則」となっていますが、中国語版を見ると「法国」(フランス)は「同姓的国家」に分類されています。「概要」に書かれているように、そもそも夫婦間で同じかどうかという点だけで分類すること自体、見方に偏りがあるともいえますが、それはさておき、事実関係の確認が困難な部分ですので、もう少し厳密な検証が必要と思われます。そのため、一時的に節全体を「要出典」という形にさせていただき、それぞれに出典をご提供いただければ、と思います。--210.143.35.16 2007年11月13日 (火) 01:09 (UTC)
Baumkuchen様による野球チーム名や会社名に関する比喩について
Baumkuchen様は下記の記述(A)をどうしても残したいようですが、内容の正当性や明確性、記述の必要性に疑問があります。内容に間違いがなければ貴重なお時間を費やして加筆した編集者さんに敬意を表して記述を残しておきたいところですが、検証不可能な独自研究であり、意味不明瞭で不必要なので削除するのが妥当かと思います。
- (A)たとえばプロ野球選手がチームを移籍すると「所属チーム名」が変わり、会社員が転職すると「社名」が変わるのと同様、その名称が何の名称であり、何を指すものか、ということが本質であり、他者との関係性において同一となるか異なるか、ということはそれに付随する結果である。つまり、移籍前のチームメイトとはチーム名が異なり、移籍後のチームメイトとは同じとなるが、そのチームメイトと「同じ」か「異なる」かということが問題の本質なのではない。したがって、このような名称の文化的な差異を論じる場合、他者との異動性のみを抽出して論じることにはあまり意味がないばかりか、誤導を招く危険性もある。
この部分の記述のねらい、必要性、検証可能性についてBaumkuchen様からのご意見をこのノートに書いていただけるよう、お願いします。
なお、当方が削除が適当だと考える理由を申し上げます。夫婦別姓(法律婚夫婦が持つ氏)を論じる場において、野球チーム名や会社名を氏と同列に並べるのは妥当な比喩ではありません。前にBaumkuchen様にお伝えした[1]、野球チームや会社名との違いを下記再掲します。
- 氏名は公的身分を記載する公文書(日本なら戸籍)に記載され、所属するチーム名や社名は記載されることはありません。
- 氏名を変更する場合は(家庭)裁判所の許可が必要ですが、チーム名や社名を変更するには裁判所の許可は不要です。
Baumkuchen様からの回答をお待ち申し上げます。--Sixty-one 2008年1月12日 (土) 18:01 (UTC)
追記です。今回ここに書いたのはBaumkuchen様よりSixty-Oneに対して行為を批判する目的でコメント依頼[2]が出されたことが発端にあります。--Sixty-one 2008年1月12日 (土) 18:44 (UTC)
- 特にその喩え(比喩)は載せても載せなくてもいいと思っています。それを書いたのはそれ以前のSixty-oneさんによる削除[3]が行われたためで、その削除された部分の記述を理解おできにならないものと推測し、他にも理解できない方がいるかも知れないので、よりわかりやすく書き直したものです。
- あえてそのような比喩をしなくても、削除された部分の記述が必要だということをご理解いただければ、比喩の部分は削除してもまったくかまわないと思います。--Baumkuhen 2008年1月14日 (月) 08:08 (UTC)
Baumkuchen様、お出ましいただきありがとうございます。ここの部分は蛇足だと思うのですよ。比較をする際に文化による差異があることを念頭におくべきということは、その周辺の説明で十分足りていると思います。以前私が削除した部分は余分であるだけではなく、比較すること自体にも否定的な(中立的ではない)主観が入っているのでWikipediaとしては適切ではないと考えています。また、Baumkuchen様がリライトしてくださった説明は元の趣旨とは離れており、よりわかりにくくなっています。そもそも氏と野球チームを同列に並べる時点で比喩としては適切ではありません。ご理解いただければ幸いです。--Sixty-one 2008年1月16日 (水) 04:16 (UTC)
- 中立性については現在コメント依頼で審議中ですので、その結論が出るまでは編集をお控えくださいますようお願いいたします。申し訳ありませんが削除された編集内容についてはいったん差し戻させていただきます。--Baumkuhen 2008年1月18日 (金) 01:39 (UTC)
- と思ったのですが、何度か読み直して少し考え直しました。もうちょっと説明の内容がだれにでもわかりやすいような書き方に修正しました。--Baumkuhen 2008年1月18日 (金) 01:53 (UTC)
修正後の内容について
結果的に自ら削除することにしたのですね。修正した部分、拝見しました。2点、申し上げます。
- スラブ圏:「これについて「兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのは・・・(中略)・・・ことは明らかである。」ですが、ご指摘の「分析や解釈」は現在この項目にはありません。ここにはない記述について「価値判断を含んだ説明」と批評するのは無意味ではないでしょうか。あるなら出展を示すか、またはなくてもいいと思います。
- 他者との移動性:同じ理由で「他者との異動性のみを抽出して論じることには」も不要かと思います。「他者との移動性のみ抽出して論じる」こと自体、無意味であるのは同意しますが、そのような議論はこの項目にないので蛇足ではないかと思います。シンプルに「したがって、このような名称の文化的な差異を論じる場合、注意が必要である。」で十分ではないでしょうか。
それから編集を控えるようにとのことですが、現時点の記述ではなく過去の経緯を持ち出して編集を禁じるのは行き過ぎではないでしょうか。自制を求めます。--Sixty-one 2008年1月18日 (金) 05:26 (UTC)
- 前段(スラブ圏~)について。無意味とは思いません。逆に積極的に削除すべき理由はないと考えます(あるとお考えならお教えください)。「ご指摘の『分析や解釈』は現在この項目にはありません。」とのことですが、それは理由になっていないと思います。そのような分析や解釈をする危険性を記述しているだけであって、この記事の編集者に対して注意をうながしているわけではないからです。これは記事の中の記述である、ということを踏まえて考える必要があります。
- 後段(他者との異同性~)について。こちらも同様です。「そのような記述はないから」は特に削除すべき理由とはならないと思います。
- 誤解されないよう重ねてお願いいたしますが、「Sixty-oneさんの意見を否定する」ことを目的にしているのではありません。Sixty-oneさんから、Wikipediaの方針の観点から正しい理由で指摘がなされるのであれば、かつそれが私の編集や記述よりもWikipediaの方針の観点からよりよいと考えられるのであれば、そのほうがよいと考えております。
- ですので、「Baumkuhenを説得しよう」とお考えになるのではなく、「Wikipediaの方針的によりよい記述を練ろう」とお考えいただきたいと思います。
- 最後に「現時点の記述ではなく過去の経緯を持ち出して編集を禁じる」とありますが、これはご理解の誤りです。Sixty-oneさんはご自身の「中立性」のお考えを根拠に削除すべきとの説明をされて削除されたわけですが、まさにその「Sixty-oneさんのおっしゃるところの中立性」とは果たして「Wikipediaが掲げる中立性」と一致しているのか否か、ということがコメント依頼の場にて第三者の意見を求めて検証されている途中なのです。したがって、その結論が出るまで、その「中立性」を根拠とした編集をされないほうがよいと考えたので、「お控えいただくよう」お願いをしたわけです。ご理解をお願いいたします。--Baumkuhen 2008年1月21日 (月) 02:39 (UTC)
- スラブ圏について。では、その「分析や解釈」について出展を明記することを提案いたします。現状では検証ができませんので。Wikipediaの方針にもかなうのではないでしょうか。--Sixty-one 2008年1月21日 (月) 07:30 (UTC)
- どのような説明のしかたをすればご理解しやすいのか、たいへん悩ましいところです。
- たとえば「現在の衆愚政治がやがて独裁政治に結びつく危険性」を記事内に記述する場合に、現在独裁政治に結びついていることを示す出典が必要になるわけではない、というとご理解しやすいでしょうか?
- つまり、一般論的に、可能性、危険性に言及している記述内容について、その対象となる事象そのものの実在を示す出典が必要、というのは当たらないと思います。
- では、そのような「分析や解釈」をする人などこの世に存在しない、という主張をSixty-oneさんがすることは可能でしょうか?当然、不可能ですよね。ご自身がそのような「分析や解釈」を記述されていたのですから。「現在の記述にはない」とは言わないでください。特定版削除でもしない限り、履歴には永遠に残ります。それについてはGFDLに合意して編集されていますので、ご理解されているものとみなされます。--Baumkuhen 2008年1月22日 (火) 01:35 (UTC)
- 私は「兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである」という記述をした覚えはありません。詳細にてスラブ圏の項目を追加[4]したのは、ほかでもないBaumkuchen様ではないですか。何か誤解、混同をなさっているように見受けられます。繰り返しますが、「という分析、解釈は」という記述を残すのであれば(Wikipedia方針にもあるように)出展を明記することを提案します。検証性についてはご承知ですよね。 --Sixty-one 2008年1月22日 (火) 04:57 (UTC)
検証可能性について
- やはりご理解いただけなかったのでしょうか。私は「Sixty-oneさんが『兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである』という記述をした」と指摘した覚えはありません。
- その部分はたとえです(たぶんご理解されているとは思うのですが念のため)。「父の名に由来するから兄弟間で同一になる」という、「何の名前か」が原因、理由であり「ある関係間で同一になる(異なる)」というのが結果である、ということを、結果の部分だけを取り出して「この結果を強制されている」という表現をすることの危険性を理解しやすくするために例としたものです。
- まずそこまではご理解いただけていますよね?
- そして、[5]の「婚姻の成立(法律婚)に夫婦の同氏を要件とするのは、いまや日本のみとなった。」に見られるごとく、この危険を冒した実例はまさにSixty-oneさんご自身の編集が示しておられる、ということを指摘したわけです。
- さて、それを踏まえたうえで、何が「検証不可能」なのかを具体的にお示しください。スラブ語圏では父称を名乗るということでしょうか?「強制される」という主張をする人が存在するかどうか、ということでしょうか?「強制される」というのが「分析・解釈」にあたるかどうか、ということでしょうか?そのような「分析・解釈」が正しいかどうか、でしょうか?具体的に「何が」ということを的確にお示しください。「この記述が」というような曖昧な指摘では真意を汲み取ることができず、話が噛み合わないおそれがあります。よろしくお願いいたします。--Baumkuhen 2008年1月22日 (火) 06:30 (UTC)
- 一つ追加です。もしかすると、記事の記述内容そのものを誤解されている可能性も考えられると思いますので、たいへんお手数をおかけして申し訳ありませんが、もしお差し支えなければSixty-oneさんご自身の言葉で、以下の内容がどういう概念、どういう内容を示しているか、ということを説明してみていただけませんか?(これは「お願い」であり「命令」ではありません。念のため)
たとえばスラブ語圏に見られる父称(父親の名前を用いて「~の子」という意味を表す名前)や、一部の文化に見られる出身地名、氏族名、部族名といったものもある。これらは「姓」とは違うものとみなされるが、それは「何を指す名前であるか」によって区分されるからである。
また、父称は父親の名を示すものなので、父を同じくする兄弟姉妹間では同一になる。これについて「兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである」という分析、解釈は、決して誤りとはいえないまでも、「そうあるべきでない」という価値判断を含んだ説明になっていることは明らかである。
したがって、このような名称の文化的な差異を論じる場合、他者との異動性のみを抽出して論じることにはあまり意味がないばかりか、誤導を招く危険性もあり、注意が必要である。
- よろしくお願いいたします。--Baumkuhen 2008年1月22日 (火) 06:41 (UTC)
(インデントが深くなったので、いったんクリアします)
「婚姻の成立(法律婚)に夫婦の同氏を要件とするのは、いまや日本のみとなった。」の部分は、衆議院での小宮山氏の発言を引用したまでです。
検証不可能なのは、Baumkuchen様が記述した「兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである」という部分です。問題は出展が不明であることです。ここをたとえとするのであれば、比喩であることを明記すべきです。そのような「分析や解釈」が実在するかのように読めます。
何が問題でしょうか。もう一度整理してお考えください。 --Sixty-one 2008年1月22日 (火) 09:22 (UTC)
- 「『婚姻の成立(法律婚)に夫婦の同氏を要件とするのは、いまや日本のみとなった。』の部分は、衆議院での小宮山氏の発言を引用したまでです。」ということですので、やはり検証可能性について誤った理解をされているようです。
- 「いまや日本のみとなった」と、Wikipediaの記事に直接記述した場合、「日本のみとなった」ということが客観的事実である、ということを示していることになります。
- 発言の引用であれば「小宮山氏は『いまや日本のみとなった』と述べた」という客観的事実は記述できますが、その発言の内容が事実であるかどうかの検証はできていないので、発言の内容が事実であるとする記述はできません。
- たとえば、ヒトラーは「アーリア人は他の民族に優越する」と述べましたが、Wikipediaに「アーリア人は他の民族に優越する」とは記述できません。たとえ出典(「わが闘争」あたりでしょうか?)があってもです。記述できるのは「ヒトラーは『アーリア人は他の人種に優越する』と述べた(主張した)」ということだけです。
- この違いはご理解いただけますでしょうか。これを踏まえますと、先の「『婚姻の成立(法律婚)に夫婦の同氏を要件とするのは、いまや日本のみとなった。』の部分は、衆議院での小宮山氏の発言を引用したまでです。」というのが適切ではないこともご理解いただけるかと思います。
- さて、それはそれとして。私は前回このように質問させていただきました。
「さて、それを踏まえたうえで、何が「検証不可能」なのかを具体的にお示しください。スラブ語圏では父称を名乗るということでしょうか?「強制される」という主張をする人が存在するかどうか、ということでしょうか?「強制される」というのが「分析・解釈」にあたるかどうか、ということでしょうか?そのような「分析・解釈」が正しいかどうか、でしょうか?具体的に「何が」ということを的確にお示しください。「この記述が」というような曖昧な指摘では真意を汲み取ることができず、話が噛み合わないおそれがあります。」
- それに対するSixty-oneさんのお答えは、上記のかなりくどい念押しにも関わらず、「どこそこの記述が」検証不可能、という内容だけで、私がお尋ねした「具体的に何が」には言及されていません。「兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである」という部分の「何が」検証不可能、と思われているのでしょうか?
- その部分の記述内容が事実であるかどうか、という意味でしょうか?であるなら、基礎的な文章読解の問題になってしまいますので、まさかそのようなことはないと思っているのですが。
- これは「もし『兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである』と主張するなら、それはおかしなことになる」という趣旨の文章の一部であることはご理解されていますでしょうか?(というようなお話になり、あたかも私がSixty-oneさんを馬鹿にしているかのように誤解されかねないので、前回、ご自分のお言葉で理解されているところをお書きいただくようお願いしたのですが、無視されてしまったようです)
- つまり、「兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである」が事実である、ということを記述した内容ではありませんので、これを事実であるとする出典を記入する必要はないと思います。
- また、「ここをたとえとするのであれば、比喩であることを明記すべきです。」とのことですが、「たとえば~」と明記されていますので、これも基本的な文章読解の問題になるかと思います(わかりにくい、というご指摘であれば、わかりやすくなるような記述に修正することを検討したいと思いますし、ご指摘は真摯に受け止め、今後はよりわかりやすい文章で書くよう注意したいと思います)。
- たいへん残念ながら、また、たいへん申し訳ないのですが、現時点では、やはりSixty-oneさんは「検証可能性」や「出典」、また「Wikipediaにおける記事の記述」という概念について、かなりの誤解や無理解があるようにお見受けせざるを得ません。それが私の誤解であればよいのですが、これまでの流れを読んでいる限りにおいては、そのように見ざるを得ません。
- とはいうものの、私がそのように申し上げても、私を「敵」のようにみなしておられる(ように思われる)Sixty-oneさんが率直に受け止めていただけるとは思えませんので、やはり第三者によるコメントが必要かと思います。
- ここはお互い性急な編集はせず、いったん記事内容を凍結したうえで、コメント依頼の推移を見守ることとしませんか?(これは提案であり、命令ではありません、念のため)--Baumkuhen 2008年1月24日 (木) 02:24 (UTC)
- 残念です。熱弁をふるわれていたのに、結局出展は出せないのですね。もっとも「たとえ」であるならば出展を出せないのは当然ですね。しかしたとえであるならば、Baumkuchen様の創作であり、Wikipediaでいうところの独自研究[6]に相当するでしょう。Wikipediaにふさわしくありません。
- 問題は検証できないこと(Baumkuchen様が「その部分はたとえです」と述べた部分です:2008年1月22日 (火) 06:41 (UTC)の書き込みより)、「たとえ」をもとにご自分の意見を述べておられることです。Wikipediaは独自の考えを発表する場ではありません。
- 何度指摘してもおわかりにならないようですので、取り急ぎ独自研究テンプレートを追加しておきます。
- また小宮山氏の発言については、発言があったことは事実ですし、その事実について述べています。現状の記述方法に疑義がおありなら、それをご指摘ください。--Sixty-one 2008年1月24日 (木) 04:11 (UTC)
- 予想通りではありますが、残念なことにやはり説明をご理解いただけていないようです。
- 「小宮山氏の発言については、発言があったことは事実ですし、その事実について述べています。現状の記述方法に疑義がおありなら、それをご指摘ください。」とのことですが、これまでに繰り返し詳細に説明をさせていただいているにも関わらず、このように同じことを繰り返されるのは、対話拒否とまでは言わないまでも、態度としてやや失礼なのではないかと感じざるを得ません。
- これ以上繰り返すべきなのかどうか自信がありませんが、上記のご発言内容のどこに問題があるのか、ご自身でおわかりにならないのであれば、Wikipediaにおける検証可能性や出典、中立性といった概念について到底ご理解いただくのは無理であると認識するほかなくなってしまいます。
- 「ある人が、『○○である』と発言した」という事実と、「○○である」という事実は異なる事実である、という単純なことにご同意いただけないのであれば、残念ながらWikipediaの編集に必要な最低限の資質を満たされていないといわざるを得なくなります。
- 話が抽象的で難しすぎるということであれば、もう少し簡単に説明いたします。たとえば浜田幸一氏は国会で「宮本顕治は人殺し」と発言しました。[7]では、これを理由として宮本顕治の項目に「人殺しである」と記述してよいことになるとお考えでしょうか?この質問にYes/Noでお答えいただければありがたく思います。
- また、Sixty-oneさんが「検証不可能」と言われていることについても、何度お願いしても「何が」という点を明らかにしていただけません。どういう主張をされているのかの説明をしていただけていないのに「あなたは何度言っても理解しない」というのは、一方的にすぎると思いますが、いかがでしょうか?
- 何度も同じことを伺うのも気が引けますが、「何が」という点を明確にしていただけませんでしょうか?でなければお答えすることがそもそも不可能です。--Baumkuhen 2008年1月25日 (金) 05:57 (UTC)
- また同じ繰り返しとなるのは困りますので、恐れ入りますが以下にお答えいただきますようSixty-oneさんにお願いいたします(命令ではありません)。
- 「以下の記述内容について( ア )であるかどうか、という点が検証不可能であるから、( ア )である、ということを示した出典の提出を求める」
- (記述内容)たとえばスラブ語圏に見られる父称(父親の名前を用いて「~の子」という意味を表す名前)や、一部の文化に見られる出身地名、氏族名、部族名といったものもある。これらは「姓」とは違うものとみなされるが、それは「何を指す名前であるか」によって区分されるからである。
- また、父称は父親の名を示すものなので、父を同じくする兄弟姉妹間では同一になる。これについて「兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである」という分析、解釈は、決して誤りとはいえないまでも、「そうあるべきでない」という価値判断を含んだ説明になっていることは明らかである。
- したがって、このような名称の文化的な差異を論じる場合、他者との異動性のみを抽出して論じることにはあまり意味がないばかりか、誤導を招く危険性もあり、注意が必要である。
- この文の(ア)にあてはまる言葉を、Sixty-oneさんのお考えに従ってお答えいただけますでしょうか?--Baumkuhen 2008年1月25日 (金) 06:12 (UTC)
お答えします。まず小宮山発言から。発言と実際の違いは理解し、同意しております。浜田幸一氏の発言と宮本顕治の項目を引き合いにだされていますが、個別の項目について意見を申し上げることは遠慮しておきます。1つ前の文で本質的なことは回答していますのでご了承ください。
また小宮山氏の発言内容は実際に照らし合わせてもほぼ事実です。実際に世界広しといえども、世界に存在を知られており法律で婚姻と名前についての規定がある国を見渡したとき、今ではほとんどの国で夫婦がともに婚前の名前を維持できる選択肢があります。日本の夫婦同氏原則に相当する規定がある国はほかにはもう見いだせません(あるならご指摘いただければ幸いです)。小宮山氏の発言はジュリストにある二宮周平氏の指摘と詳細にある国々の状況を端的に言い表しています。だからといって絶対的な事実とまでは(Wikipedia編集者なので)主張しませんが、限りなく事実である可能性が高いのでWikipediaに掲載する価値があり、それを発言の引用という形で表記していますので問題はないと考えています。
どうしてもBaumkuchen様の不満が収まらないのであれば、検証性のある文献から当該の小宮山氏発言に対する反証や批判などを引用するというのはいかがでしょうか。スラブ圏の妙なたとえでけん制するよりはいいかと思います。
一方、スラブ圏の件。前から繰り返し申し上げていますが、(ア)は「兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである」です。ついでにいえば「「そうあるべきでない」という価値判断」もです。
加えて夫婦別姓の項目は夫婦に関する名前について説明しているので、きょうだいの名前の同一性について引き合いに出すこと自体、不適切で不要な記述です。「その部分はたとえです」とのBaumkuchen様ご本人の発言にもあるように、この部分は独自研究・個人の考えに相当し、Wikipediaにはふさわしくない記述だと思います。--Sixty-one 2008年1月26日 (土) 08:41 (UTC)
- お答えいただきありがとうございました。
- まず小宮山発言の件です。
- 「発言と実際の違いは理解し、同意しております。」とのことですが、では念のため確認ですが、当初ご自身が「日本だけである」と、そのこと自体が事実であるかのように書いたことについては、Wikipediaの検証可能性の方針に反した不適切な編集であり、かつ、検証不可能という理由で削除したBaumkuhenの編集は適切であった、と認める、という理解でよろしいのですね。
- そうであれば、コメント依頼のほうであたかも私がSixty-oneさんの適切な編集に対して理不尽な言いがかりをつけたかのように表現されていることを撤回、訂正していただけませんでしょうか?
- はっきりと、ご自身の編集のほうが不適切であったと明示的に述べていただきたいです。
- しかし、残念ながら、どうやらSixty-oneさんにはその点にまだ未練がおありのようにお見受けします。「また小宮山氏の発言内容は実際に照らし合わせてもほぼ事実です。」と、まだご自身の編集が不適切であったとは認めたくない、という主張が感じられます。
- もし、認めないといわれるのなら、「相手がうるさいからとりあえず認めたように装うけど、自分としては認めない」というような曖昧な態度はなさらないでいただきたいと思います。認めないのなら、とことん、ご自分が正しいと思われることを、それにふさわしい場で主張していただくべきと思います。
- ちなみに、事の真偽をここで議論すべきではない(いずれにしても独自研究に陥るので)とは思いますが、念のため付け加えておくと、「実際に世界広しといえども、世界に存在を知られており法律で婚姻と名前についての規定がある国を見渡したとき、今ではほとんどの国で夫婦がともに婚前の名前を維持できる選択肢があります。」というのは、いったいどのような方法で、すべての国の法律制度を調査されたのか、それを書いていただければ何の問題もないと思います。たとえば氏名に関する各国の法律制度を一覧できるような、何らかの公的、学術的な裏づけのある資料があれば、それを示していただくことで事実として記述できるでしょう。「日本の夫婦同氏原則に相当する規定がある国はほかにはもう見いだせません(あるならご指摘いただければ幸いです)。」とのことですが、それは単に知らないだけかも知れないわけですから、事実として確定する論理にはなり得ません。「日本だけである」と言えるためには(繰り返しになりますが)、「日本以外のすべてを調査したが、他に一つもなかった」ということを示す必要があります。なお、タイの制度については、夫婦別姓が選択できるようになったわけではないようですよ。しっかりとした裏づけのある資料が手元にないので確認はできませんが。
- それから、よくSixty-oneさんは「掲載する価値がある」という表現をされていますが、そのことはWikipediaの方針において記述をすべき理由や削除すべきでない理由とはなっていないことも考慮されたほうがよいと思います。「価値がある」かどうか、編集者が個別に判断して記述を残したり削除してはいけません。
- さて本題に戻ってスラブ語圏の話です。
- 「(ア)は『兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである』です。」ということですが、ですから、そこに出典が必要な理由はありませんよね、という指摘も何度もしたはずです。
- 「『兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである』という理解、解釈、分析はおかしい」と書いてあるのであって、「『兄弟の名前の一部を同一にすることを強制されているのはスラブ語圏のみである』が事実である」と書いてあるわけではないのですから。どう説明すればご理解いただけるのでしょうか、正直、これ以上は困ってしまいますね。
- 「加えて夫婦別姓の項目は夫婦に関する名前について説明しているので、きょうだいの名前の同一性について引き合いに出すこと自体、不適切で不要な記述です。『その部分はたとえです』とのBaumkuchen様ご本人の発言にもあるように、この部分は独自研究・個人の考えに相当し、Wikipediaにはふさわしくない記述だと思います。」については、また同じことを繰り返しておられますが、もはや趣旨そのものが理解不能です。いったい何を言いたいのかがわかりません。わかるのは「削除しろ」という結論だけです。なぜそうすべきなのかの部分の論理がユニークすぎます(これも繰り返しますが、適切な理由を示されれば、削除には反対しないのですが、理由の説明が理解不能では同意できないだけです)。
- いちいち説明すべきなのかどうかわかりませんが、また、説明してご理解いただけるかどうか不安ですが、まず、この部分で述べられている全体の趣旨をきちんと理解してください(だから、ご自身の理解を説明してみてください、と何度もお願いしたのですが・・・)。この部分は、「夫婦が別姓になるか同姓になるか」というだけの観点で世界の氏名制度や慣習を分類することには誤導の危険性を伴う、ということが書かれた部分です。まずその基礎を踏まえてください。
- しかしそれだけ書いたのでは理解しづらい(実際理解していただけず、Sixty-oneさんは削除された)ので、わかりやすくするために例示として「父称」で同じことをするとどうなるか、を示しています。
- つまり、父称は「父親の名前を示す」名前であるから、父親が同じ兄弟姉妹の間では同一になる、ということで、これについて異論を唱える人はいないはずです(もしその事実関係そのものを疑っている、というのであれば、「父称」でグーグル検索でもしてください)。単純な因果関係による原因と結果なわけですから。それは家族名としての姓という慣習や文化に当てはめるなら、家族を示す名前であるから、同じ家族に属する者の間では同一になる、ということに当たるわけです。
- しかし姓に関しては「夫婦で同じか異なるか」だけに着目して「夫婦同姓を強制されるのは日本だけだ」というようなことを言われる人がいるわけです。その言い方は果たして適切なのか、正しいのか?
- それを父称の例にフィードバックして当てはめてみれば、「兄弟間で名前の一部を同一にすることを強制されるのはスラブ圏だけだ」になるわけです。でもその言い方はおかしい(Sixty-oneさんもおかしいと感じられたように)。
- そうであれば、「夫婦同姓を強制されるのは日本だけだ」というような、「夫婦間で同じか異なるか」だけを切り取って強制とか、この国だけだとか、論じるのはおかしい、と言えてしまうわけです。
- ただ、おっしゃる通り、独自研究や個人の考えを記述するわけにはいきませんから、あくまで明白な事実関係についてのみ記述しており、「この文化だけだ」ということは正しくない、とか、よろしくない、というような価値判断は含まれていません(もしそこまで含むなら、記述そのものを削除するでしょう)。あくまで「誤導を招く危険性」という、論理的に明確な部分だけを記述しています。
- もしそのレベルまでも独自研究だと言われるのであれば、「そのような比較は何の問題もない」という判断も独自研究になってしまいますので、制度比較の項目全体を削除する必要があることになります。
- 中立的な編集という観点からいえば、比較に伴う危険性も記述したうえで、比較そのものも記述する、というのが妥当なところではないかと思いますが、いかがでしょうか。--Baumkuhen 2008年1月28日 (月) 02:02 (UTC)
- 一つ忘れていたので追記します。
- 小宮山発言の件ですが、仮に「日本だけ」について検証可能な出典が示されたとした場合でも、当初のように「世界広しといえども、いまや日本だけとなった」という記述はWikipedia的には問題があります。
- それはなぜだか、おわかりになりますでしょうか?「現在は日本だけである」ならば問題ないです。違いがわかりますでしょうか?--Baumkuhen 2008年1月28日 (月) 02:11 (UTC)
- まずは小宮山発言から。最初(12月27日)に私が加筆した時[8]には、根拠が足りず削除されたのはやむをえなかったと認めております(ただし後から修正を加えしばらく異議もなかったのに、コメント依頼に持ち出したことは「言いがかり」に近いと今でも感じています)。ただBaumkuchen様が削除したのは「検証不可能」という理由ではなく「独自研究」だったかと。また発言内容は事実ですし、公的・学術的な裏づけのある資料として二宮周平氏の指摘も加えてお示ししています。
- タイに関しては落ち着いてからにしようと思っておりましたが、1月10日のBaumkuchen様の編集[9]については遺憾に思っています。「しっかりとした裏づけのある資料が手元にないので確認はできませんが」とのことですが、であれば裏付けのある資料がないままに当方の記述を削除し、別のものに変えたということですか。だとしたら、その暴挙に抗議します。タイでは2005年に姓名法12条が改正になり、夫婦別姓が可能となりました。Baumkuchen様は何を根拠に現在の編集をしたのでしょうか。
- スラブ圏ですが、お察しの通りいずれにしても削除が適当であるというのが私の考えです。比較に伴う危険性、つまり文化的な差異があるので整理するのは難しいというところ(「注意が必要である」の部分)は残しても構わないと思っています。事実、「要出典」扱いにはしていません。ただしスラブ圏のたとえは根拠もないし意味もありません。たとえであったり、出典を出す必要のないものなら、Wikipediaに記載する必要もないでしょう。残すなら根拠を示すようにと私は述べているわけです。--Sixty-one 2008年1月28日 (月) 07:55 (UTC)
- Baumkuchen様の最後の投稿から1週間以上が経過しました。まずはタイの加筆修正から編集に復帰させていただきます。できるだけ現存の文章を生かす形にしています。根拠など追加で提示があればお願いします。--Sixty-one 2008年2月6日 (水) 03:21 (UTC)
各国制度の有無および動向の記述について
Baumkuchen様、もし現在の記述内容に不服があるのなら、ここに書き込んでください。--Sixty-one 2008年1月16日 (水) 04:26 (UTC)
立命館大学教授の仁平周平
各国制度の有無および動向の節に《立命館大学教授の仁平周平》とありますが、二宮周平のことでしょうか? 手元にジュリスト No.1336 2007.6.15が存在しないので検証できないので、どなたかチェックをお願いします。--iwaim 2008年1月18日 (金) 13:30 (UTC)
- 大変失礼しました。二宮周平が正しいです。ご指摘、ありがとうございます。現在、Baumkuchen様から編集を控えるようにと命じられており、(システム的に編集は可能だとは思いますが)とりあえず慎んでおこうと思います。 --Sixty-one 2008年1月19日 (土) 09:14 (UTC)
- 了解しました。私の方で修正しておきました。--iwaim 2008年1月19日 (土) 10:45 (UTC)
- 恐れ入ります。とても有り難いです。お礼申し上げます。--Sixty-one 2008年1月20日 (日) 05:32 (UTC)
- 了解しました。私の方で修正しておきました。--iwaim 2008年1月19日 (土) 10:45 (UTC)
もう少し、分量を削減すべきでは?
全体的に見て、冗長で百科事典としては説明が細かすぎる記述が多いと感じる。また、出典が不明で、独自研究による記述も多いと感じる。いずれにせよ、Wikipediaは百科事典であり、論文発表や研究成果の発表の場ではないので、記述をコンパクトにするべきだと思う。--Worldtraveler 2008年4月12日 (土) 08:20 (UTC)
独自研究タグについて
なぜ「反対論より」についてのみ独自研究タグが貼られ、「賛成論より」のほうには貼られていないのですか?--125.0.214.66 2009年9月28日 (月) 18:51 (UTC)
- 履歴を辿ってみてください。やたらと「このことに対する明確な反対論を見つけるのは難しい。」とあったのですよ。--КОЛЯ 会話 2009年9月28日 (月) 23:45 (UTC)
- ということは、現在の記述内容に対しては必要ない、ということでよろしいのでしょうか?--61.121.45.247 2009年9月29日 (火) 09:02 (UTC)
- 反対論と賛成論との間に差が見えなくなってきたのでもはや要らない、とも言えるでしょうし、いずれ出典がないわけですから依然として、反対論にはもちろん、賛成論にも貼る必要がある、とも言えるでしょう。自由に編集して構わないと思います。--КОЛЯ 会話 2009年9月29日 (火) 15:06 (UTC)
- ということは、現在の記述内容に対しては必要ない、ということでよろしいのでしょうか?--61.121.45.247 2009年9月29日 (火) 09:02 (UTC)
除去の理由と、お願い
この編集で除去を行いました。理由は以下の通りです。第一に、民間の世論調査は、いろいろな点で不明な点が多く、例えば「民法の改正が今後なされた場合における、法律婚上での夫婦別姓」についての賛否なのか、それとも「今現在、何となく〝夫婦別姓〟と呼ばれているもの」についての賛否なのかを、被調査者に対してきちんと説明されているのかどうか。それが明らかでないと全く価値のない調査です。また新聞社の調査にしても、自社の意見(社説)を持った上で行われる調査なのですから、どこかにバイアスがかかっているのではないかと疑わざるを得ません。第二に、各種団体の賛否をどんどん追加していく際には、記事執筆者の都合で零細な団体でも際限なく追加されていくおそれがあります。団体の範囲を限定する必要があります。その他、「論点」節にしても、本当は全ての記述に対して出典が必要なので、大幅に整理される必要があります。少なくとも今後記述を追加する方は必ず出典を付してください。--КОЛЯ 会話 2012年5月20日 (日) 14:51 (UTC)