ノート:奇門遁甲

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日本の奇門遁甲について[編集]

wikipediaは百科事典であり、持論や憶測や研究結果を発表する場ではありません。
要点を簡潔にまとめ、不要な部分を削除すべきかと思います。--邪狩 2009年6月26日 (金) 05:10 (UTC)[返信]

日本の奇門遁甲に関して[編集]

諸派それぞれ考えの違いはあり、客観的叙述の難しい分野ではありますが、極力主観や他派中傷を避けるべきだと思います。その意味で該当派の書籍等をきちんと読了した方がその理解を中正かつ公平な見地から記すべきであり、門外漢が外部から批評するのは評論家ですからさも見てきたように記述するというのは問題があります。
また、気学と奇門遁甲は別の方術であり、「遁甲方術」という用語で共通化することには大いに疑問があります。奇門遁甲における「遁甲」は甲尊を逃がすという意味ですが、気学では「遁甲」は本来むしろ飛星の意味の「循行」のことであって単に九宮が飛泊する有様を指します。古文献の誤植や判読不能で「循行」が「遁行」さらに「遁甲」と、慣用的に混同されるに至ったと考えられます。したがって気学や九星術を奇門遁甲のカテゴリーに含めるには無理があるため、日本兵法との関連で余論として記されるべきかと思います。--Izumino99 2009年7月16日 (木) 03:12 (UTC)[返信]

太白陰経は唐代に成立した文書でないのですか[編集]

『太白陰経』は唐末に李筌から朝廷に献呈された総合的な兵書です。成立年代を特に疑うのであれば、その出典を御願いします。--北斗柄 2011年3月15日 (火) 07:26 (UTC)[返信]

奇門遁甲について解説した最古の文献は、中国唐代に李筌によって編纂された張良の口訣を伝える『陰符経註』や、兵書の神機制敵太白陰經(以下、『太白陰経』と呼ぶ。)に付けられた『巻九遁甲巻』であるが、いずれも写本や版本なので今後の文献学的な検証が必要である。(2010年5月30日 (日) 16:56)

このような記述だったはずですが、それを上のように断定するに到った理由をお聞きしたいものです。 きちんとした文献学的検証を経たのでしょうか。--Izumino99 2011年3月15日 (火) 08:08 (UTC)[返信]

使用されている用語から、太白陰経遁甲巻は、宋代以前の記憶を伝えていると考えています。(本文参照)
  • 月将の名に『徴明』が見えるが、これは宋の仁宗以前に使用されていたものである。
  • 時刻の呼び方においても『夜半』、『鶏鳴』といった十二時辰が採用されている。
です。ついでに言えば『煙波釣叟賦』も写本や版本しかないでしょう。--北斗柄 2011年3月21日 (月) 18:07 (UTC)[返信]

 不思議なことに、明代の『奇門遁甲全書』、清代の『奇門遁甲統宗大全』を始めとする過去の書物で、「太白陰経」を原典として引用するものが皆無なのです。引用しているものがありましたら逆に教えて頂きたい。過去の書物では一様に「煙波釣叟歌」(「煙波釣叟賦」)を原典としており、清代の公式文書の『遁甲演義』にさえ「太白陰経」は見えません。序文に相当する「遁甲演義 提要」では「(奇門)五総亀」「煙波釣叟訣」が明記されております。  したがって、百歩譲って「太白陰経」は仮に唐代に実在したとしても何らかの理由で無視されて来たか(遁甲の章のみ後代に付加された偽書であると歴史上ずっと思われ続けて来た)、事実偽書(年代が)だった可能性が依然濃厚にあります。 いずれにせよ日本人が云々しても証拠のないことであり、伝統的にはずっと「煙波釣叟歌」が最古とされております。  奇門遁甲に於いては歴史上、特定の新文献が脚光を浴びるときには必ずと言っていいほど、自派宣伝の意図が背景にあり、中国現代に至って今頃、「太白陰経」の研究書が現れたこと自体、不自然であり前記の推論と思い合わせ思い半ばを過ぎるものがあります。  中国においては奇門遁甲は「一人一派」で統一見解などなく、あるとすれば『奇門遁甲全書』、『奇門遁甲統宗大全』、『遁甲演義』等がそれであり、それに参考文献として引用されていない以上、歴史上は「太白陰経」が最古の文献である事は学者に疑われ続けて来たと申せます。  以上の理由から貴説は支持出来ません。 --Izumino99 2011年5月16日 (月) 06:58 (UTC)[返信]

基本的に根拠の薄弱な反論と評価します。自説を今後もWikipediaで主張されるのであれば、「『太白陰経』の兵学思想(The Military Thought of Taibaiyinjing)」を否定する論文をあげて下さい。--北斗柄 2011年5月16日 (月) 08:03 (UTC)[返信]

貴殿の説こそ正統性のない単に身びいきな暴論かと思います。私の反論の内容が理解出来ないのですか。 --Izumino99 2011年5月16日 (月) 12:22 (UTC)[返信]

当該論文を読みましたが、その中でも結語に「李荃の撰と伝えられる『太白陰経』」というように「伝李荃著」という扱いであり、撰者自体確証はなく、また中国で古来、「遁甲」の章は前半の合理的兵学の諸章と異なり「呪術的迷信的」で非科学的であり、成立年代が別であるとする学説が優勢・支配的であったと事実上認めています。 当該論文はそれに対する私見を展開したものであり、試論に過ぎないと評価すべきでしょう。 換言すれば、同一時期に全章成立した決定的確証をこの論文から得ることは出来ません。 その点は如何でしょうか。 --Izumino99 2011年5月16日 (月) 13:24 (UTC)[返信]

Izumino99さんの論には基本的に出典がありません。こちらは出典を明確にして論点を絞ろうとしているのですが、協力して頂けないと理解して宜しいですか?で、「『太白陰経』の兵学思想(The Military Thought of Taibaiyinjing)」を否定するだけの論ないし出典は無いということでしょうか?該当論文は大阪大学文学部の紀要であり、占術の流派争いからはフリーな立場で書かれたもので、太白陰経の遁甲巻は執筆当初から存在したと結論付けています。--北斗柄 2011年5月17日 (火) 10:38 (UTC)[返信]

内藤文穏、武田考玄の評価について[編集]

当方の編集を否定されるのであれば、それなりの根拠を示して下さい。--北斗柄 2011年3月29日 (火) 01:51 (UTC)[返信]

横から失礼します。なお、新しいコメントは下につけるようにしていくべきなので、節の順番を入れ替えました。
その上で、まず北斗柄さんへ。ウィキペディアには出典を示す責任は掲載を希望する側にというルールがあります。北斗柄さんが差し戻している編集には一切出典が記載されておらず、この点を満たしていませんから、削除している側のみが一概に悪いとはいえないように思います。信頼できる情報源といえる公刊された文献(条件を満たしていれば、ご自身の著作の類でも可能です)を具体的に示して、改善していただけないでしょうか。
Izumino99さんへ。上で述べたように北斗柄さんの加筆に不十分な点があるのは事実です。しかし、他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいというルールがあることも事実です。ノートページへの誘導にも応じずに編集を強行する姿勢は、妥当なものとは思えません。
保護をかけようかと思ったものの、いくつかの点からためらいを覚えたので、ひとまずコメントにとどめます。なおも編集合戦が続くようなら保護をかけざるを得ないことを申し添えておきます。--Sumaru 2011年3月30日 (水) 11:30 (UTC)[返信]
執筆の指針ありがとうございます。指摘された点に留意して編集をかけます。--北斗柄 2011年3月30日 (水) 13:20 (UTC)[返信]
1点だけ補足しておきますが、「出典を明記する」とは、誰が書いたどの文献を読めばそのような見解が見られるのかを具体的に示す、ということです。「~と思われる」「~と推測できる」などの記述は、自分個人の見解でないことを示すためにも、特に脚注による出典明記が望ましいと思います。関連する情報は、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成にあります。--Sumaru 2011年3月30日 (水) 14:20 (UTC)[返信]
「透派独特の立向」という表現に関してですが、立向に相当する1080盤体系は他派にもあります。 例 『簡明 実用奇門断』李崇仰編 ですから、透派独特と断定は出来ないかと思います。--Izumino99 2011年5月31日 (火) 13:27 (UTC)[返信]
該当書を中国Yahooで検索しても日本の鴨書店のページがヒットする状況ですので、該当書の書誌情報を開示して下さい。昭和40年以降のものであれば、日本から透派遁甲を逆輸入する形で出版された可能性があります。アラビア数字で1080局とあるので、近年のものと推測はできますが--北斗柄 2011年6月1日 (水) 18:11 (UTC)[返信]

内藤・武田両氏の評価及び当項目が議論の場になった責任の所在について[編集]

北斗柄さんへ。 貴方の記述は奇門遁甲他派への不当な言いがかりを含んでいます。透派張燿文の見解を基本的に支持し広めようとしており、特定の限定されたスタンスに基づく客観性のない宣伝行為です。 少なくとも内藤氏、武田氏に対する逆の意味での宣伝行為的記述は今後控えるようにして下さい。 透派張燿文の何らかの影響を受けたのは事実としても、それぞれ一家をなし他の大勢の弟子から認められている大家であり、オリジナリティーのある理論を持っている方々に対し、透派の亜流呼ばわりは極めて失礼です。反省して下さい。 言いがかり行為に特定のどす黒い意図があるのではと疑念を抱かれないうちに撤収して下さい。 貴方の専門は「六壬」であって奇門遁甲は貴方の専門ではないでしょう。貴方の未熟な立論からそれは明らかにわかります。 以上ですが、結果的にこの項目が喧嘩の場になったのも、貴方の不当な議論のふっかけに起因し、原因は貴方の側にあります。 読者に迷惑をかけたことを反省して下さい。--以上の署名のないコメントは、Izumino99会話投稿記録)さんが 2011年11月25日 (金) 06:50‎ (UTC) に投稿したものです(Sumaruによる付記)。[返信]

私の編集箇所について何がどのような理由で言いがかりとなるのか明示して下さい。私は検証可能な範囲で編集を行ってきただけです。--北斗柄 2011年11月25日 (金) 12:48 (UTC)[返信]
付言しておくなら、ノートでの合意形成を無視した一方的な編集を行ったのはそちらであることをお忘れなく。--北斗柄 2011年11月25日 (金) 14:40 (UTC)[返信]
論争の内容にかかわるつもりはありませんが、横から少しご案内をさせていただきます。
ウィキペディアではWikipedia:独自研究は載せない#専門家の役割にあるとおり、専門知識のある方の編集だろうと、信頼できる情報源が提示されていない見解は、それが正しいか正しくないかに関わらず採用できません。詳細な書誌を尋ねられたことに対して対話拒否で応じるような姿勢は、ウィキペディアでは受け入れられない性質のものです。
また、Wikipedia:編集合戦にあるように、ノートページへの誘導に応じず、一方的に差し戻そうとし続ける行為もまた、その背景にあるご認識が正しいか正しくないかに関わらず、ウィキペディアでは受け入れられないものです。
あわせて、Wikipedia:論争の解決もどうぞ御覧ください。--Sumaru 2011年11月25日 (金) 14:51 (UTC)誤リンクを修正。失礼しました。--Sumaru 2011年11月25日 (金) 15:29 (UTC)[返信]

>>局数の体系が立向、坐山ともに透派奇門遁甲そのままである。透派独特の立向の存在や、その局数体系の採用について、内藤著の『秘伝元空占術』[8]といった比較的入手しやすい書籍やその付表等で確認することができる。

当方は遁甲時盤について問題にしています。この箇所、該当書で分かるのは月盤・日盤作成のみで、時盤については何ら言及されていません。節気三元の切り方を時盤に適用する事例が1つも示されていない以上、確認出来ません。

少なくとも、日盤、月盤の局数体系が透派そのままであることは認めるわけですね。--北斗柄 2011年11月25日 (金) 16:26 (UTC)[返信]

時盤に関し、知ったかぶりの嘘を記述した貴方の責任も認めましょうよ。

確認させてもらいます。日盤、月盤の局数体系が透派そのままであることは認めるわけですね。
で、私が時盤についてかいた「知ったかぶり」の編集箇所を明示して下さい。--北斗柄 2011年11月26日 (土) 04:02 (UTC)[返信]

月・日・時盤の区分をせず一括して扱った時点で「時盤について知ったかぶりの虚偽記載」をしたことになります。 文献を示せない以上はそうなるはずです。単なる誤りでしたらそうだと自ら認めて頂きたい。

少なくとも、月・日が透派の局数体系と同じであるなら、透派の強い影響下にあるといって間違いではないと思いますが、どうですか。--北斗柄 2011年11月26日 (土) 07:13 (UTC)[返信]

>>月・日・時盤の区分をせず一括して扱った時点で「時盤について知ったかぶりの虚偽記載」をしたことになります。 文献を示せない以上はそうなるはずです。単なる誤りでしたらそうだと自ら認めて頂きたい。 これで十分論理的な回答にはなる筈です。--Izumino99 2011年11月26日 (土) 08:03 (UTC)[返信]

上記の理由から、『秘伝元空占術』は「信頼できる情報源」には値しません。 また、同じ著者である内藤文穏著(専門書)「文穏流遁甲風水術秘談」(公刊書)中、「地の章 一.奇門遁甲の部 陰陽遁の変わり目のころ」(P130)には次の記載があります。 「一般書というものは、何も学ばぬ人にもわかるように申すものでありますので難しいことを一切避けなければならぬのであります。陰遁とか陽遁とかいっても容易ではないのであります。(中略)公表したものは全く使えなくなります。簡単化はできません。(後略)」 これが一般書である「秘伝元空占術」には現れていない内藤氏の本音です。 したがって、『秘伝元空占術』は「信頼できる情報源」には値しません。--Izumino99 2011年11月26日 (土) 08:29 (UTC)[返信]

>>透派遁甲は当初から四柱推命の喜忌による個人差を主張しており、奇門遁甲、四柱推命の両方で干関係の吉凶象意を共通化していた。武田考玄はそれを踏襲し『極意奇門遁甲玄義』によれば、天地干の関係に基づく吉凶象意である尅応について、多くを透派の干関係の解釈に負っている。もっとも一部『活盤奇門遁甲』、『奇門遁甲全書』の解釈も取り込んむことで独自性を主張している。また同じように四柱推命の外格(特別格局)では、子平の喜用の干を使用することで個人差を重視する[9]が、内格(普通格局)の命式に対しては、単純に喜用の干を使用はしないという形で透派遁甲との違いを主張しているが、透派遁甲の影響は色濃く残っている。

この箇所、透派奇門遁甲の四柱推命喜忌による個人差反映の具体的方法が記述されていない以上、武田氏の奇門遁甲が透派奇門遁甲の影響を色濃く受けているかどうかの証明にはなりません。透派奇門遁甲の該当文献を明示して下さい。

干の尅応の多くが透派によることは認めるわけですね。--北斗柄 2011年11月25日 (金) 16:26 (UTC)[返信]

>>透派奇門遁甲の該当文献を明示して下さい。 張耀文の弟子だった貴方なら文献を示すことは可能のはずです。

私は張さんの弟子であった事などはないですがね。何を聞かれているのかよくわかりませんが、透派の干の剋応では辛-壬を淘洗珠玉と読んで吉としていますが、本来は凶です。武田考玄は吉としていますよね。--北斗柄 2011年11月26日 (土) 04:02 (UTC)[返信]

では佐藤六龍の弟子ですか?少なくとも張耀文に会ったことはあるのでしょう。だとすれば弟子も同然ではないですか。普通は会わないですよ。 弟子でないのなら本で学習しただけですか。 誰の弟子でもなくいい加減な理論を公の場で記述していいのですか? なお、邪狩氏のおっしゃる通り、wikipediaは百科事典であり、専門的な議論を反映すべきではないと私も考えます。 「日本の奇門遁甲」の部分は削除するかもしくはもっと簡潔にまとめるべきで、「亜流(どの派がどの派を真似した)」式の主観的な記述は控えるべきかと考えます。 貴方の言うような瑣末な吉凶の相違は、そもそもここで議論すべきでなく、そういう貴方の性格(細かい・女の腐ったような)がトラブルの原因です。反省して考え直して下さい。

日本の奇門遁甲の小項目は私が立てたわけでもなんでもありません。あなたの加筆の方が多かったのを私が小さくするように編集して行ったはずですが。少なくとも私は、検証可能な範囲での編集を行ってきたと自認しています。どこが検証可能でない編集なのか、明示して下さい。--北斗柄 2011年11月26日 (土) 07:13 (UTC)[返信]

>>月・日・時盤の区分をせず一括して扱った時点で「時盤について知ったかぶりの虚偽記載」をしたことになります。 文献を示せない以上はそうなるはずです。単なる誤りでしたらそうだと自ら認めて頂きたい。 前述しましたが、これで十分論理的な回答になると思います。--Izumino99 2011年11月26日 (土) 08:03 (UTC)[返信]

重複しますが上記の理由から、『秘伝元空占術』は「信頼できる情報源」には値しません。 また、同じ著者である内藤文穏著(専門書)「文穏流遁甲風水術秘談」(公刊書)中、「地の章 一.奇門遁甲の部 陰陽遁の変わり目のころ」(P130)には次の記載があります。 「一般書というものは、何も学ばぬ人にもわかるように申すものでありますので難しいことを一切避けなければならぬのであります。陰遁とか陽遁とかいっても容易ではないのであります。(中略)公表したものは全く使えなくなります。簡単化はできません。(後略)」 これが一般書である「秘伝元空占術」には現れていない内藤氏の本音です。 したがって、『秘伝元空占術』は「信頼できる情報源」には値しません。--Izumino99 2011年11月26日 (土) 08:33 (UTC)[返信]

「高根某」の名前を出すのは、そこの占い学校に出講したことがあり、給料を得ている以上、利害関係のある情実に基づく記述であり、公私混同の謗りは免れません。 『遁甲演義』を読み運用している遁甲研究者は「高根某」以外にも幾らでも存在します。したがってこれは偏頗な宣伝行為です。

私は黒門さんのところで講義など一度もしたことがない。不当な言いがかりは止めて頂きたい。--北斗柄 2011年11月25日 (金) 16:26 (UTC)[返信]

高根某は貴方にとって単なる知り合いですか?交流はあるはずですが。 金品の授受は全くないと証明できますか?

この3年くらいは黒門さんと会ったこともないですね。六壬の講義をしないかというメールはもらったけど、準備の時間が取れなくて断りましたよ。黒門さんから金品を譲られたことなど一度もないですが、私が否定しても信用しないだろうから黒門さんに聞いて下さい。ところでこういう、Wikipedia外の属性が問題になるのであれば、--北斗柄 2011年11月26日 (土) 04:02 (UTC)[返信]

自分の都合が悪くなると責任を他人に振る卑怯な癖はやめて下さい。反省しましょう。 3年前までは交流があったのであれば十分な状況証拠になります。情実がありますから歴然とした宣伝行為です。

都合が悪くなると他人に振っているのは、そちらではないですか。--北斗柄 2011年11月26日 (土) 07:13 (UTC)[返信]

自分が占術で稼いで行けないからといって、他人の業務を妨害してはならないでしょう?違いませんか?私に何かの恨みでもあるのですか?貴方が日頃自分のブログで他派を不当に攻撃しているのは、個人的な不平不満の解消のための八つ当たりではないですか。世間は貴方が高根某と「つるんで」いると見ていますよ。

管理者の方へ。 運命学を信じていないと自称するSumaru 氏ではこのページを管理する適任者とは言えないと思います。 議論を永久に治められないと私は推定します。 別の人に替えて下さる様要請します。 さもなくば方向性として「日本の奇門遁甲」の節を削除することにして頂きたいと思います。 そうでないとwikipediaは「ノート」における「場外乱闘」に平気で持ち込む狡猾な輩を黙認していると一般に解釈され、社会的信用を失います。 --Izumino99 2011年11月26日 (土) 07:45 (UTC)[返信]

建設的に議論が進むのなら口出しするつもりはありませんでしたが、誤解があるようなので申し添えておきます。私はこの議論を取り仕切るつもりはありませんし、内容に口出ししないということは、前々から申し上げてあります。
ただ、より穏当な形でお二人が議論できるようにと、方針文書などをご案内申し上げただけです。
また、編集合戦があった以上、私以外の管理者だろうと保護をかけたでしょう。そこに個人の信条は何の関係もありません。また、ノートでの合意を経ずに「「日本の奇門遁甲」の節を削除する」などということは、管理者だろうとできません。管理者はそのような強権を振るう存在ではないのです。
お二方ともWikipedia:個人攻撃はしないをよくお読みいただきますようにお願いいたします。自主公表していない個人の属性について、金品の授受がどうだとか、正体はこの人物だろうといった発言を連ねるのは、明らかにこれに抵触します。
お望みとあらば、私は今後一切、直接的な関与(コメント、保護、ブロックなど)はいたしませんが、上記のようなやり取りを続けていれば、Izumino99さんと北斗柄さんの双方とも、投稿ブロックの対象となりうることを申し添えておきます(直接的な関与はしませんが、目に余る場合、コメント依頼ブロック依頼等を出してコミュニティの判断を仰ぐくらいはするかもしれません)。--Sumaru 2011年11月26日 (土) 10:04 (UTC)[返信]
Sumaru様、コメント有難うございました。
第三者の有意義なコメントがない限り、今後当方は基本的に静観しようと思います。
ノートでの合意に達するのは難しいとは思いますが、現状、大きくは
(1)内藤氏の旋式遁甲の復元の真偽
(2)武田氏の遁甲が透派の亜流なのかどうか
の2点で対立しております。
(1)については後述、(2)は細かい術理を出して議論を継続する必要性があり、百科事典としてのwikipediaにおいてそこまで専門的な事柄を記載する必要性がそもそも存在するかという疑問もあります。
実際上、当ページは善意の第三者が閲覧しても難解で恐らく意味がわからないかと思います。特に「日本の奇門遁甲」の節はそうであろうと思われます。
ちなみに「グランド現代百科事典」(全21巻 1971年学研刊)を調べると、「奇門遁甲」「八門遁甲」の項目自体が存在しません。
それ程一般的には特殊な術であります。
(1)に関しまして、
当方の過去の研究過程で内藤氏の主催した会の資料をいくつか所持しており、それには氏の一番の本心が現わされていると一般的に評価されているものなのですが、古代の旋式を復元したことには嘘はないということ、それは既存流派たる透派を含めて現存する「断片」理論を内藤氏自身が実地検証した結果出来上がったものであるということには高度の蓋然性があることが十分に窺えます。その中に「立向・座山」の二盤ありということも含まれるわけで、旋式遁甲の名残が一部透派に残っていると解釈されます。
したがって内藤氏が透派に影響を受けたのは事実としても、「立向・座山」の二盤があるという、現代において透派独特の特徴からそれは復元でなく透派の真似であり、内藤氏の「三元奇門遁甲」はよく言っても「文穏流奇門遁甲」である、と断定するだけの証拠がございません。
ここで提示可能な公刊書の文献に至ってはもっとその証拠がございません。(例えば時盤作成時に必要な節気三元の切り方が透派と同一であることを証明する記述が、幸か不幸か付表を含めて存在しません)
したがって内藤説に関する議論は、現時点でのページの記述を裏付ける「信頼できる情報源」は存在しないと申し上げて可かと存じます。(前述の『秘伝元空占術』も含めて)
さしあたり以上説明と致します。--Izumino99 2011年11月26日 (土) 13:26 (UTC)[返信]
調査に少々時間がかかりましたが、調査結果の報告と結果に基づく私の評価です。
まず立向盤は透派独特ではないとことの例としてあげられていた『簡明 実用奇門断』李崇仰編は、天干、八門、九天星、八神全てを活盤方式で配布する方法で作盤した結果をまとめたものでした。一般的な奇門遁甲においても陰陽各九局と60干支の組み合わせで1080の作盤結果が得られます。ということで『簡明実用奇門断』立向盤が透派独特のものではないという結論にはなりません。ついでにいえば天干、八門、九天星、八神全てを活盤方式で配布しているということは、『簡明実用奇門断』は透派とは無縁の書である可能性が高いでしょう。
第二に武田考玄の奇門遁甲ですが、「極意奇門遁甲玄義」によれば、
立向坐山の2番を持つ。
それぞれの局数体系が透派のそれを同一である。
作盤方法もまた透派のそれと同一である。
また「極意奇門遁甲玄義」と透派の「奇門遁甲天書評註」にある干の剋応を比較したところ、十干と十干の100通りの組み合わせに対して、「奇門遁甲天書評註」の干の剋応に付けられた名前と同一のものを採用しているのが、65例、象意を含めて同じものは100例全てです。一方、「活盤奇門遁甲精義」干の剋応と比較すると、「奇門遁甲天書評註」と「活盤奇門遁甲精義」で一致するものは35例にとどまる。
つまり武田考玄の奇門遁甲は、ほとんどが透派奇門遁甲をそのまま採用しているわけです。また武田考玄の奇門遁甲でオリジナルっぽい、四柱推命の喜神の干を積極的に使うという方法についても、透派の「奇門遁甲造作法」で、少なくとも地干に四柱推命の喜神を採用することで、凶の組み合わせであっても凶を弱め、吉であれば吉を増すと書かれているので、武田考玄の奇門遁甲は、透派の亜種ないとしても、強い影響下にあることは間違いないと考えられます。
内藤文穏の旋式奇門遁甲というか遁甲挨法も、立向坐山の二盤を持ち、局数体系で透派の影響を強く受けていることは明らかでしょう。なお、中宮関係で例外盤をことさらにいうのも、透派の作盤方式の影響でしょう。標準的な作盤方法では、中宮を坤宮(局の陰陽で坤艮に分ける場合もありますが)に奇宮させることで、中宮と坤宮を同じ扱いをすることで、例外盤は発生しません。--124.27.36.30 2011年12月23日 (金) 09:33 (UTC)--北斗柄 2011年12月23日 (金) 14:48 (UTC)[返信]

遁甲演義と標準/平均[編集]

遁甲演義の冒頭、「遁甲源流」には一時一局説が説かれ、4320局、1080局、72局、18局の4種類の定局法が説かれています。
そして風后が1080局を制定した歴史的事実が説かれています。
遁甲演義の説を標準とするのならこれらを無視することは穏当ではありません。
作盤において六十時一換(72局)が採用されているのは、上記4種類の定局法の1例を示すものとも解釈出来、遁甲演義の記載を以て72局を標準とする根拠たり得ず、72局=標準説はこれのみで成立しないことは明らかです。
次に、北斗柄氏の言われる「標準」という概念は既存の中国文献の大多数が72局を説いているという実態に即したものと思料されますが、遁甲は表面に出た文献のみでは律し切れない各派奥義秘訣が存在するのが諸先師共通の認識であり、学問的な標準化は必ずしも当を得ているとは言えません。
奇門遁甲の原理は擬似科学であり、その点科学的アプローチは可能ではありますが原理それ自体を科学的に解明するのではなく単に表現のみ科学的に標準化するのはある意味「香具師」的と評されましょう。
むしろ72局の的中率と1080局の的中率を比較してデータ上明らかに72局の方が現実適合性が高いと言えるのであれば自信を持ってその様に主張されるのが筋であります。 1080局よりも的中率が劣るのに「標準」という表現は不適切でありむしろ平均的な説とするのが妥当と考えます。
このように研究家各氏による意見が異なるのですから特定某氏をあたかも標準的大家と誤解せしめる表現は避けるべきとの存念です。 --60.41.115.2 2013年4月7日 (日) 14:56 (UTC)[返信]

その説が説かれているのは『遁甲源流』の箇所であって、実際の作盤においてではないのを承知の上で、上記のようなことを主張されるわけですね。しかしながら遁甲演義よりも古い煙波釣叟賦や太白陰經遁甲巻では1時1局説など出てこないことも承知されていますよね。『遁甲源流』は多分に伝説であって実際は時盤では5日1局だったのではありませんか。唐代の頃から時盤は5日1局で、清代までそれが引き継がれている。標準とはこういうものを指す言葉ですよね。そして黒門さんの著作の『活盤奇門遁甲精義』においてもこの標準的な時盤が引き継がれているわけです。--北斗柄会話2013年4月7日 (日) 17:09 (UTC)[返信]

貴方は「黒門派」ですか、確信犯的にものを云われますが、証拠がないに等しいでしょう。
標準という表現はそのものの価値とは無関係だという点を再度確認して下さい。
72局盤の的中率について検証してからものを書いて頂きたい。
次に遁甲源流を冒頭に採用している以上、選者はその説を認めているわけです。
本文中にそれを否定する字句もございません。
定局法は1例として簡略化した72局を掲載しているのであり、1080局を否定する趣旨ではございません。
百歩譲ったとしても1080局を異端視させるような記述は適切ではありません。
したがって普通の遁甲書に多く出て来るという意味で72局は「平均的」と表現したことは間違いではないと言えると存じます。 --60.35.9.240 2013年4月8日 (月) 00:16 (UTC)[返信]

どこに証拠がないというのでしょうか。宋代の煙波釣叟賦でも唐代の太白陰經遁甲巻でも清代の遁甲演義でも、時盤は5日1局で、活盤奇門遁甲精義でもそれは踏襲されています。72局というのは、九宮の周囲の八宮にそれぞれ3つの節気を当てはめ、節気にそれぞれ上中下の3元があることから8×3×3で72が出てくるだけのことでしょう。古くから奇門遁甲の盤はトータルでは1080しかなく、それを整理して行っただけのことでしょう。太白陰經では明らかに1080の誤記の1800としていますが、4320なんて出てこないですし。--北斗柄会話2013年4月8日 (月) 02:54 (UTC)[返信]

活盤奇門遁甲精義という本を金科玉条に扱う姿勢が明瞭に出ていますが、現代における遁甲書の1つに過ぎません。
貴方は明らかに高根黒門という人を信奉しており「黒門派」に過ぎないといえると存じます。
黒門派は遁甲の流派の一派であり、全てを網羅するものとは決して言えません。
次に唐代の頃から時盤は5日1局と貴方も認めていますが、それ以前は確証がないわけです。
一説には唐代に一行禅師が1080局を封印し、以後公式には72局が残ったと伝わっています。
今日まで伝わっている説であり無下に否定することは穏当ではありません。
したがって唐代以前と唐代以後で公式的な定局法が異なると思料されると明記し、遁甲書に残存する公式的な定局法は72局だが1080局その他も存在すると記載すべきです。 --121.113.198.119 2013年4月8日 (月) 05:53 (UTC)[返信]
唐代成立と云われる「太白陰経」巻九 「遁甲総序」には黄帝が風后と力牧に命じて一千八百局(一千八十局の誤記と思われる)の天乙遁甲式を作ったと書いてあり、定局法に関しては十時一易が記載され、六十時一易は記載されていません。
これをみても唐代の途中までは十時一易が公式的だったことが裏づけされます。
やはり時代を分けて記載すべきです。--121.113.198.119 2013年4月8日 (月) 06:36 (UTC)[返信]
なお宋代の煙波釣叟賦で時盤5日1局というのは誤認で、五日一元という節気三元の法(上元・中元・下元)を記載してありますがこれは1080局と72局の局数体系に共通する決まり事です。
72局盤の作成例には言及されておらず時盤5日1局を採用しているとは言えません。--118.20.56.56 2013年4月8日 (月) 13:36 (UTC)[返信]

非常に一方的な物言いですね。
>活盤奇門遁甲精義という本を金科玉条に扱う姿勢が明瞭に出ていますが
と言われますが、唐代末の太白陰經、宋代の煙波釣叟賦、四庫全書収録の遁甲演義と、活盤奇門遁甲精義を比較検討の上での記述なのが読んで判らなかったですか?72局盤の作成例と言われますが、それがどのようなものなのか解説した文書があるなら、それを示して下さい。Wikipediaでは刊行された文書によって裏付けられた編集のみが採用されることは御存じですよね。--北斗柄会話2013年4月8日 (月) 14:24 (UTC)[返信]
まさか72という数だけを頼りに、遁甲挨星が標準的な奇門遁甲なんて言わないですよね。遁甲挨星はベースとなる盤の数は72ですが例外盤といったものを数えると72ではなくなりますし、何より太白陰經や煙波釣叟、遁甲演義と矛盾していて、奇門遁甲とは言い難いものです。--北斗柄会話2013年4月8日 (月) 16:23 (UTC)[返信]

まず感情的になるのを静めましょう。
それで上記書の内容は実際に読んだら私の言うとおりです。貴方の主観的解釈です。
72局盤は即ち六十時一換で作成した盤のことです。
煙波釣叟賦には六十時一換を採用するとはどこにも記述がございません。そのことを言っています。
次に、遁甲挨星なるものに関しては今は全く話題にしていません。話題をそらすのは止して頂きたい。
あくまで上記内容に関して証拠を既に私は挙げたわけですから、貴方からの有力な反証がない限り、テキストは変更されることになるかと存じます。--118.20.58.114 2013年4月9日 (火) 08:28 (UTC)[返信]

太白陰經遁甲巻には、
陽遁、遁元、仲、孟、季。陰遁、遁元、仲、孟、季。
坎、冬至一七四、小寒二八五、大寒三九六。
艮、立春八五二、雨水九六三、驚螫一七四。
震、春分三九六、清明四一七、穀雨五二八。
巽、立夏四一七、小滿五二八、芒種六三九。
離、夏至九三六、小暑八二五、大暑七一四。
坤、立秋二五八、處暑一四七、白露九三六。
兌、秋分七一四、寒露六九三、霜隆五八二。
乾、立冬六九三、小雪五八二、大雪四七一。
の記述があってこれは遁甲演義と同じです。
煙波釣叟賦には以下のようにあります。
五日都來換一元、超神接氣為准的。
5日で元が変わるとだけ記述されていますが、その手前にある、
次將八卦論八節、一氣統三為正宗。
陰陽二遁分順逆、一氣三元人莫測。
と合わせれば、八卦八宮に9つの元があって72局となる。従って煙波釣叟賦においても5日1局と理解することは充分に可能でしょう。そうではないと主張されるのであれば、太白陰経、遁甲演義を含めてそうならないような読みくだしの提示をお願いします。--北斗柄会話2013年4月9日 (火) 16:27 (UTC)[返信]

[煙波釣叟歌]
次まさに八卦を八節に分け、一気で三を統じて正宗となす。
(訳 次に八卦で二十四節気を分け、一節に三元があるのを正しいものとします。)
陰陽二遁は順逆に分かれ、一気三元人測るなし。
(訳 陰遁陽遁はそれぞれ逆行、順行し、1つの節気の中には元が3つ(上元・中元・下元)含まれています。)
五日すべて来たりて一元に接し、節気超神を準則となす。
(訳 上中下の各一元は五日間あって、超神節気によって、節気から遠く離れないように調整されています。)
(出典:「光雲流奇門遁甲術(初級篇)」電子版)
『奇門遁甲全書』中の「煙波釣叟歌」のその部分は「煙波釣叟賦」と1字異なります。('論'と'分')
上記読み下しは『奇門遁甲玄義』煙波釣叟歌訳注の解釈と共通します。
要するに「一節気三元」という意味であり、72局を帰結するものではないということです。

太白陰経 巻九 遁甲総序 課式には
然則直符十時一易,其門十時一易也。
とあって九星・八門という符使式中心要素が十時一換であると明記してあります。
したがって少なくとも太白陰経は1080局を主として採用していたと見るべきで、当時の公式見解も1080局だったとして間違いないかと思われます。

このように時代によって変遷していますから太白陰経の正当性を前提にする限りは時代によって分けて記述するべきでしょう。 --60.41.112.233 2013年4月10日 (水) 07:42 (UTC)[返信]

>(訳 次に八卦で二十四節気を分け、一節に三元があるのを正しいものとします。)
>(訳 陰遁陽遁はそれぞれ逆行、順行し、1つの節気の中には元が3つ(上元・中元・下元)含まれています。)
>(訳 上中下の各一元は五日間あって、超神節気によって、節気から遠く離れないように調整されています。)
二十四節気に三元があるのですから72の元があることになりますよね。ここでは明示されていませんが、煙波釣叟賦では、
一千八十当時制、大公刪成七十二
とあって、72の元が72に局に対応しているというのは充分に推測可能です。また、10時の間つまり1旬間は直使や直符(大直符)は地盤旬主を定位とする八門や九天星のことですから、太白陰經、煙波釣叟、遁甲演義とも共通しています。こちらの推論に何も問題ないと思いますが、どうでしょう。--北斗柄会話2013年4月13日 (土) 16:26 (UTC)[返信]

透派の『奇門遁甲地書評註』煙波釣叟の訳解において、72局説を採用している点、中国の多数説と共通しています。
ただそれは透派が地書系・天書系を分けて扱って来たからではないでしょうか。
「奇門遁甲天書」は三国志演義の諸葛孔明の台詞に出て来ますが、それをも単なる伝説としたり、数奇門でなく法術奇門と位置付けするにもやや証拠が足りないというべきでしょう。
別途議論の必要性がありますが「日本の奇門遁甲」において透派1080局を新派扱いしている点もいかがなものでしょうか。
張氏が家学として『奇門大法』他を日本で公開したことには虚偽性は認められないと思います。
少なくとも否定する証拠はない以上、文献ベースの証拠が存在することになります。

煙波釣叟にしても太白陰経にしても複数解釈されるわけですから、標準と断定するよりは「地書系の遁甲」と標記したほうが正直なのではないかと思います。
特に煙波釣叟に関しては昔から記述が曖昧で複数流派が生じる原因になったと言われて来ておりますし、今の時点でそれを覆す有力な反証が存在するわけではありません。
太白陰経に関しては、貴方のような解釈もありましょうが5日1局の書と断定するだけの決め手としてはまだ弱いと存じます。
遁甲演義に関しては、清代の標準的な書の1つであるとしても先述のような論点が未解決ですし、問題が存在することを明示するのが必要で、合理的に曖昧な点を葬り去るだけが能ではございません。

以上のように貴方の推論に問題がないとしても貴方の推論自体が必要な他の文献の検討を捨象した上で成り立っているのは明白であり、依然議論の余地があると存じます。 --121.113.197.51 2013年4月14日 (日) 03:13 (UTC)[返信]

>透派の『奇門遁甲地書評註』煙波釣叟の訳解において、72局説を採用している点、中国の多数説と共通しています。
72局は八卦三気三元から自然と導き出せるものなので共通していたところで、何の不思議も無いでしょう。
>「奇門遁甲天書」は三国志演義の諸葛孔明の台詞に出て来ますが、それをも単なる伝説としたり、
>数奇門でなく法術奇門と位置付けするにもやや証拠が足りないというべきでしょう。
通常、中国において『天書』と呼ばれるものは、天の機密を記した文書という意味合いで出てくるものです。『天書』と『地書』がペアで出現するのは、寡聞にして透派の『奇門遁甲天書評注』と『奇門遁甲地書評注』くらいしか知りません。他にあるのでしたら、具体的な文献を挙げて頂けますか。
>別途議論の必要性がありますが「日本の奇門遁甲」において透派1080局を新派扱いしている点もいかがなものでしょう
透派奇門遁甲は立向坐山の2盤の存在と、作盤において活盤と飛盤が混在している時点で、ニューウェイブと言って差し支えないでしょう。
>以上のように貴方の推論に問題がないとしても貴方の推論自体が
>必要な他の文献の検討を捨象した上で成り立っているのは明白であり、依然議論の余地があると存じます。
では透派の文献を除いて、その『必要な文献』を、できればどの文献のどの箇所と具体的にあげて頂けますか。以前の議論であげられた文献が、全く意味のないものであったことがあり、時間と交通費の無駄で終わったことがあったもので。--北斗柄会話2013年4月14日 (日) 05:56 (UTC)[返信]

Wikipediaの中国版に、 「奇門遁甲實際上是很多種陣術的總稱,相傳一共有四千三百二十局,到了黄帝手上的時候,他的看得明白一千零八十局,張良手上的時候只明白七十二局,後世漸漸失傳」とあり、4320局と1080局がかつて存在したが失伝したという記載をしています。
こういうものが中国の実際の捉え方、感覚であり、逆に存在しなかったことの証明を必要とされる状況ではないでしょうか。

宋代の『奇門五総亀』や現代台湾の『奇門遁甲概論』梁湘潤編著も1080局の時盤表を掲載していますが、あくまで1080局体裁で内容は72局です。
以前の議論での文献を確認に行かれたとのことでお疲れ様でしたが、『簡明 実用奇門断』李崇仰編に関しては私もK書店で立ち読みしたことがあります。
透派と比較したわけではないので異同については何とも言えません。
ただ上記2書の実例で分かることは、中国人も72局よりも1080局が本来の遁甲だと考えている節があるということです。

台湾の現代書『活解奇門遁甲』張昭編著も奇門遁甲天書は惜しくも失伝したと書いています。
天書の内容は1080局以上の局数を想起させますが、同時に『奇門天地書』が伝劉伯温撰として流布している事実を記載しています。

そして透派は『奇門天地書』の解説書として『奇門遁甲天書評註』『奇門遁甲地書評註』を公刊したわけで、これらが天書1080局の証拠になりませんでしょうか。
そもそも透派の文献を除外する理由がわかりません。
1080局を採る流派の1つの実例ではないでしょうか。
仮に偽書説を唱えるのであれば別途その証明が必要となりますが、『奇門遁甲天書評註』が偽書であると断定した文献を寡聞にして私は知りませんし、偽書であることの証明に成功した文献も存じません。それは推測なのではないでしょうか。

さらに蛇足にはなるかも知れませんが、中国では天書というと赤表紙の各流派奥義伝書のことでもあり、天書の意味解釈も複数存在するということです。--114.185.49.179 2013年4月14日 (日) 07:35 (UTC)[返信]

>Wikipediaの中国版に、「奇門遁甲實際上是很多種陣術的總稱,相傳一共有四千三百二十局,
>到了黄帝手上的時候,他的看得明白一千零八十局,張良手上的時候只明白七十二局,
>後世漸漸失傳」とあり、4320局と1080局がかつて存在したが失伝したという記載をしています。
失伝も何も、陰遁陽遁18局に60干支を組み合わせればきっちり1080局、八卦三気三元72局と60干支を組み合わせれば4320局となります。それが一番自然な解釈だと思いますがどうですか?
>宋代の『奇門五総亀』や現代台湾の『奇門遁甲概論』梁湘潤編著も1080局の時盤表を掲載していますが、あくまで1080局体裁で内容は72局です。
1080局の体裁で72局というのは、八卦三気三元で72局と理解して良いわけですね?
基本的には陰遁陽遁で18局とするか、八卦三気三元で72局とするかで実際に出来上がる盤の数は1080というわけですよね。
>台湾の現代書『活解奇門遁甲』張昭編著も奇門遁甲天書は惜しくも失伝したと書いています。
その『奇門遁甲天書』が『奇門遁甲地書』とペアになった『天書』である保証は全くありません。
>そもそも透派の文献を除外する理由がわかりません。
今議論になっているは、『標準的な奇門遁甲』についてですから、太白陰経遁甲巻、煙波釣叟賦、遁甲演義といった標準的な奇門遁甲と全く異なって、立向坐山の2盤を持ち、活盤と飛盤が混在していて、立向時盤においては10時1局という異端な局数体系を持つ透派奇門遁甲の文献が参考にならないのは当然のことではないですか。
そして『奇門遁甲天書』とペアリングされた『奇門遁甲地書』という形態を持つ奇門遁甲の書籍は透派のみが有しているわけです。
また1080にせよ4320にせよ、透派の『奇門遁甲天書』によらなくても自然に導き出すことのできる数です。
>さらに蛇足にはなるかも知れませんが、中国では天書というと赤表紙の各流派奥義伝書のことでもあり、天書の意味解釈も複数存在するということです。
で、そういった書籍に『地書』とペアになったものが存在するのですか?各流派に秘伝書が『天書』とよばれているのは、我が流派の技術こそが天の機密を書き記したものだという自負の現れではないのですか。--北斗柄会話2013年4月15日 (月) 11:20 (UTC)[返信]
ついでですが、『簡明 実用奇門断』は、陰遁陽遁18局と60干支の組み合わせの全ての作盤結果を記載しただけの書籍で、10時1局などとは無縁でしたね。--北斗柄会話2013年4月15日 (月) 13:30 (UTC)[返信]

確信犯的な物言いが改まりませんね。
少し頭を冷やしたらどうですか。
続きの議論はそれからです。
貴方が反省するまでペンディングとします。
なお、今後は私自身の方針で編集を継続します。
全ては北斗柄氏の協調性の無さが原因です。--58.93.125.97 2013年4月15日 (月) 14:31 (UTC)[返信]

太白陰経遁甲巻、煙波釣叟賦、遁甲演義の奇門遁甲が標準であることについて有効な反論ができないと理解して良いということですね。--北斗柄会話2013年4月15日 (月) 15:31 (UTC)[返信]

その点は貴方が一人でほざいているだけで客観性がありません。
標準ではなく平均的で凡庸な遁甲です。--58.93.125.97 2013年4月15日 (月) 16:34 (UTC)[返信]

では、有効な反論をお願いします。四庫全書古今図書集成に収蔵された奇門遁甲書で、立向坐山の2盤のある奇門遁甲書とそれを記述した箇所を指摘して頂ければ充分です。--北斗柄会話2013年4月16日 (火) 01:47 (UTC)[返信]

有効な反論として、四庫全書や古今図書集成が権威あるという保障は無く、日本人の憶測です。
特に清代は漢民族国家でなく満州民族という異民族が政治中枢に座ったため、自らの権威付けのために漢民族の伝統文化を編成し公刊しました。
中国においては「この程度なら教えてあげよう」という内容を官製で公刊するのが伝統的な慣わしで、日本とは事情が異なります。
(参考文献 『奇門遁甲奥義』内藤文穏著)
また立向座山というのは単に名称の相違で、その実質は1080局と72局を併せたものですから、単独であろうが2盤あろうがなかろうが各流派の勝手であり、1080局と72局は共に貴方の主張する『遁甲演義』にも存在が記載されています。
そのように奇門遁甲の流派はいろいろ存在するのですから1つに絞ろうとする気持ちもわからなくはありませんがそれは主観的に自説を主張したいという意図の現れであり、客観性がございません。
また標準的な遁甲書としては他に『奇門遁甲全書』、『奇門遁甲統宗大全』等も存在し、これらの記述を無視することは出来ません。
ちなみに透派での72局盤の位置付けは主客の主として当方が動かない静の遁甲盤であり、明代の梅花門派の時代から72局盤は動的遁甲としてはあまり当たらなく使えないという認識があり、風水盤に準じて造作に使用するという門派としての用法があったものと思われます。
(参考文献 『中国正統 五術占い全書』張燿文・佐藤六龍共著)
--114.185.51.17 2013年4月16日 (火) 04:34 (UTC)[返信]

>中国においては「この程度なら教えてあげよう」という内容を官製で公刊するのが伝統的な慣わしで、日本とは事情が異なります。
たとえそうであっても、検証可能な記事を書くというのがWikipediaにおける決まり事です。Wikipedia:検証可能性をどうぞ。検証可能とするために、四庫全書古今図書集成を資料とするのはしごく当然のことだと思います。もっとも四庫全書所収の太白陰經には巻九、巻十がなかったりしますから、四庫全書だから信頼できるわけでもないですが、そういった場合は個々に議論すれば事足ります。
話はもどって、ここでは透派遁甲とその系統が標準の名に値するかどうかが議論となっていますから、透派の系統の文献とは異なる文献によって、透派遁甲が標準の名に値するかどうかを議論する必要があるのは当然のことですよね。そして今の所、太白陰經、煙波釣叟賦、遁甲演義のどれを見ても透派遁甲は異端としか言いようのない状況なわけです。
>また立向座山というのは単に名称の相違で、その実質は1080局と72局を併せたものですから、
>単独であろうが2盤あろうがなかろうが各流派の勝手であり、1080局と72局は共に貴方の主張する『遁甲演義』にも
>存在が記載されています。
そうは言っても、その立向坐山の名称を遁甲盤に使用しているのが当の透派しかないのでは議論にならないですよね。
>ちなみに透派での72局盤の位置付けは主客の主として当方が動かない静の遁甲盤であり、
そういった主張をしている文献を、透派系統の文献でないものから挙げて頂けないと、単に透派遁甲ではそうなっているというだけのことで、Wikipediaにおける検証可能性がみたされないわけです。--北斗柄会話2013年4月17日 (水) 03:12 (UTC)[返信]
ついでですが、そちらで標準的な奇門遁甲の書籍としてあげられた、『奇門遁甲全書』や『奇門遁甲統宗大全』には10時1局の立向盤は存在しているのですか?それならその記述を指摘して下さい。『奇門遁甲全書』は国会図書館にありますし、『奇門遁甲統宗大全』は中国の福山堂さんに全文があげてあるので確認できます。[1]--北斗柄会話2013年4月17日 (水) 05:29 (UTC)[返信]
さらにいうなら『遁甲演義』における『遁甲利客』や『遁甲利主』において、立向坐山の使い分けは一切存在せず、1つの盤の中で客に有利な要素と主に有利な要素が解説されているだけです。
72局は八卦三気三元から出てくる8×3×3=72ということですし、1080局というのは陰遁陽遁18局に60干支を組み合わせて得られる18×60=1080というそれぞれ単純な掛け算の結果であって、72局は坐山盤とか1080局なら立向盤などという記述は、太白陰経、煙波釣叟賦、遁甲演義のどこにも存在していません。多分、『奇門遁甲全書』や『奇門遁甲統宗大全』にも存在しないと思いますが、存在するなら指摘をお願いします。--北斗柄会話2013年4月19日 (金) 02:41 (UTC)[返信]

「遁甲演義」と標準、という当項目の議論の最初に戻りますが、「標準」に関する意味合いが両者で食い違っているため、いつまで議論しても合意に達することは非常に難しいと考えます。
まず奇門遁甲に関して標準を求める動き自体が中国では従来存在せず、4320局・1080局・72局・18局が「遁甲演義」の冒頭部分に列挙記載されているのみです。
次に日本の遁甲書で「標準」を最初に問題にしたのが「活盤奇門遁甲精義」高根著であり、それ以前には存在しない筈です。
したがって貴方の「標準論」は明らかに多分に「活盤奇門遁甲精義」の影響を受けていると考えられます。

>遁甲演義の冒頭、「遁甲源流」には一時一局説が説かれ、4320局、1080局、72局、18局の4種類の定局法が説かれています。
>そして風后が1080局を制定した歴史的事実が説かれています。
>遁甲演義の説を標準とするのならこれらを無視することは穏当ではありません。
>作盤において六十時一換(72局)が採用されているのは、上記4種類の定局法の1例を示すものとも解釈出来、遁甲演義の記載を以て72局を標準とする根拠たり得ず、72局=標準説はこれのみで成立しないことは明らかです。

この命題を覆す論拠・出典を今まで貴方は何も提示していないことになりませんか。
高根著「活盤奇門遁甲精義」を貴方が論拠と認めるのなら、そこで初めて同書を基に更に議論を進行させることも可能でしょう。--118.19.59.169 2013年4月23日 (火) 14:52 (UTC)[返信]

4320=72×60=8×3×3×60であり1080=18×60=(9+9)×60であるというのが素直な解釈であり、太白陰経、煙波釣叟賦、遁甲演義のどれとも矛盾しない解釈です。この解釈はWikipediaの検証可能性を充分に満たしているでしょう。そしてここには10時1局の立向盤が出てくる余地はないでしょう。
また太白陰經の唐代末から遁甲演義の清代まで同様の局数体系と作盤形態を持つ奇門遁甲を標準と呼ぶことに何の差し支えもないのではないですか。また中国では標準を求めないと主張されますが、透派系の資料抜きでそれを証明できますか?なお周時才の遁甲命理でも60時1局の局数体系と天干、八門、九天星、八神の全てを活盤で配布する方法が採用されています。まあこの資料は地下出版されたものなので、Wikipediaの検証可能性を満足するものではありませんが、透派遁甲が採用している10時1局の局数体系や活盤と飛盤の混在は、平均ですらなく異端なものであるというのは、太白陰經や煙波釣叟賦、遁甲演義等で明らかでしょう。
で、奇門遁甲統宗大全や奇門遁甲全書にも10時1局の立向盤はなかったということで宜しいですか?--北斗柄会話2013年4月23日 (火) 17:17 (UTC)[返信]

『奇門遁甲全書』、『奇門遁甲統宗大全』は貴方の言うような論理で挙げたのでなく、「標準」を一書に絞り込むのは危険であるという観点から従来諸先師が定評ある書として推薦して来た本を加えるべきという意味合いで挙げたものです。
貴方の絞り込みはやや狭すぎます。
次に
>日本の遁甲書で「標準」を最初に問題にしたのが「活盤奇門遁甲精義」高根著であり、それ以前には存在しない筈です。
>したがって貴方の「標準論」は明らかに多分に「活盤奇門遁甲精義」の影響を受けていると考えられます。
この点に対して未回答なのはなぜでしょうか?
さらに、
>高根著「活盤奇門遁甲精義」を貴方が論拠と認めるのなら、そこで初めて同書を基に更に議論を進行させることも可能でしょう。
仮に同書を論拠と認めないのであれば、72局を「標準」とする貴方の説は出典が存在せず、「独自研究」となる可能性があります。
また、「黒門さん」と貴方が知り合いのように呼ぶ表現をして私は貴方の説には「中立性」にも疑問があると思ったのですが、如何でしょうか?(Wikipedia:中立的な観点
「検証可能性」という点では、両者概ね同一の文献を引用し、違う結論に達しているわけですから以後は「中立性」と「独自研究」(Wikipedia:独自研究は載せない)の観点から検討されるべきでしょう。
そして貴方のまるでWikipediaのスタッフででもあるかのような物言いにしばしば辟易して来ているのですが、最終的な判断はWikipedia管理者にある点をお忘れではないでしょうね。--220.108.34.137 2013年4月24日 (水) 03:32 (UTC)[返信]

>『奇門遁甲全書』、『奇門遁甲統宗大全』は貴方の言うような論理で挙げたので
>なく、「標準」を一書に絞り込むのは危険であるという観点から従来諸先師が定評
>ある書として推薦して来た本を加えるべきという意味合いで挙げたものです。
でも結局、そこにも10時1局の立向盤は存在しなかったわけですよね。
>日本の遁甲書で「標準」を最初に問題にしたのが「活盤奇門遁甲精義」
>高根著であり、それ以前には存在しない筈です。
>したがって貴方の「標準論」は明らかに多分に「活盤奇門遁甲精義」の影響を
>受けていると考えられます。
それまで、日本には透派遁甲しか存在していなかったのですから当然のことでしょう。同じ論理で、あなたは明らかに透派遁甲の影響を受けた論を展開していることになりますよね。透派遁甲のいう10時1局の立向盤は標準的な遁甲書には存在しないにも関わらず。
>仮に同書を論拠と認めないのであれば、72局を「標準」とする貴方の説は出典が
>存在せず、「独自研究」となる可能性があります。
標準的な遁甲書にある、八卦三気三元から72局が導出されることは無視されるのでしょうか。
>また、「黒門さん」と貴方が知り合いのように呼ぶ表現をして私は貴方の説には
>「中立性」にも疑問があると思ったのですが、如何でしょうか?
>(Wikipedia:中立的な観点)
そういうのを邪推というのではないですか。Wikipedia:個人攻撃はしないをお読み下さい。この点については、一度、管理者から注意があったことがノートに残っています。
>「検証可能性」という点では、両者概ね同一の文献を引用し、違う結論に達している
>わけですから以後は「中立性」と「独自研究」(Wikipedia:独自研究は載せない)の
>観点から検討されるべきでしょう。
端的に言って、あなたの論は八卦三気三元から72局が導出されることを無視した上で展開かれていますから、正しく資料を扱っているとは言えないと思います。
なお最終的な判断はノートでの合意によるのがWikipediaの決まり事だったはずですが。--北斗柄会話2013年4月24日 (水) 04:38 (UTC)[返信]

>最終的な判断はノートでの合意によるのがWikipediaの決まり事だったはずですが。

したがって合意に達しないため、議論は打ち止めです。
非常に多くの点で貴方は私の問いに頬かむりして逃げています。
まずそれらにつき誠実で納得行く回答を得られない限り、同じ土俵で議論することは出来ません。

(1)貴方は高根黒門という方と面識がありますよね。
(2)高根黒門著『活盤奇門遁甲精義』以前に「遁甲の標準」という観点を問題にした書物が中国にも日本にも存在しない点を認めますよね。

これらは単に事実の確認で、邪推とは無縁です。
まず高優先度順として、上の2点の質問に誠実にお答え頂きたい。その上で、

(3)中国において、時代により遁甲局数が変遷したという『遁甲演義』『奇門遁甲全書』に所載の「煙波釣叟歌(賦)」の記述を認めますよね。
(4)現代中国における多数説(手抄本も含め、「本」として出たもの。口伝は除く)は72局盤としても、日本における多数説は1080局盤であることを既に認めましたね。(再確認)
(5)○派、○○盤といった特定流派の差別を目的とした1080局の別称は畢竟他派の排斥に繋がる点を認めますよね。(これも一種の個人攻撃です)

また、
(6)Wikipediaには「標準」を重視する観点よりもむしろ先述の「中立的な観点」「検証可能性」「独自研究は載せない」が判定のガイドラインになっていることを認めますよね。
(7)「当然」という表現を使われますが、ここで合意していない以上は「当然」ではありません。また、決定的な引用文献を示さない以上は何をもって「当然」と主張されるのでしょうか。つまり貴方の観点からすると今までの議論から判明する通り決定的な引用文献は『活盤奇門遁甲精義』しか存在しないわけです。この点を確認して下さい。

上記7点につき合意がなければ「ノートでの合意」はなく、該当項目の保護という現状は当面継続されることとなるかと存じます。 --220.108.32.169 2013年4月24日 (水) 08:00 (UTC)[返信]

>したがって合意に達しないため、議論は打ち止めです。
合意に至るべく議論する場として、このノートがあるのではないですか。
当方は72局が八卦三気三元から自然と導出できることを、太白陰經や煙波釣叟賦、遁甲演義等を資料として提示してきたはずですが、それに対して無視を決め込み『こちらが回答していない』と繰り返すのは議論のスタイルとして適切ではないでしょう。
私が黒門さんと面識があろうがなかろうが、私の中立性は検証可能な議論を行うことで担保されていると考えています。
この議論をあなたの望む形で決着させたければ、透派の資料を使用せずに10時1局の立向盤の存在を証明してくれればそれで充分です。今のところ、太白陰經、煙波釣叟賦、遁甲演義、奇門遁甲統宗大全、奇門遁甲全書のどれからも10時1局の立向盤は出てこないようですが、それについてどうお考えですか。
>(5)○派、○○盤といった特定流派の差別を目的とした1080局の別称は畢竟他派の
>排斥に繋がる点を認めますよね。(これも一種の個人攻撃です)
検証可能な資料によればそうなってしまうのですから仕方がないではないですか。
Wikipediaでは検証可能性の追求が重要視されていますよね。
>(6)Wikipediaには「標準」を重視する観点よりもむしろ先述の「中立的な観点」
>「検証可能性」「独自研究は載せない」が判定のガイドラインになっていることを
>認めますよね。
はぁ、認めているからこそ太白陰經、煙波釣叟賦、遁甲演義に奇門遁甲統宗大全、奇門遁甲全書を含めて検証可能な議論を行っているつもりです。そしてそちらが追加した資料も含めて議論を行っています。
こちらは奇門遁甲の項目が保護されていても、特に問題はないのですが、できれば検証可能な形、つまり透派の資料以外から10時1局の立向盤の存在を証明して頂きたいものです。--北斗柄会話2013年4月26日 (金) 05:20 (UTC)[返信]