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ノート:孫子 (書物)

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推測に基づく記述をノートに移設_2003年12月

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著者には悪いですが、一ヶ月(12月3日)経ったら、(推論部分を)いったんノートに移動させようかと思いますがいかがでしょうか? --0null0 02:04 2003年11月29日 (UTC)

理由は、「兵は詭道(きどう)なり」の文が余りに強すぎるからであろう。

通常、「詭道」を調べると、意味は「人を偽り欺くような、正道でない方法。また、近道。」とされている。

***************************************************

しかし、この「詭道」の解釈が本当に正しいのであろうか?

本質は「正をもって合し、奇をもって勝す」であり、「戦わずして勝つ」はその結果至る境地と考えるが現実的であろうから、「兵は詭道なり」の文は少々品格に欠けるよに感じる。

そこで、「言」、「危」の意味を調べると、

言:剣と口から成り、はきはきと歯切れ良くモノを言うの意が語源。目上の者が下の者に言うの意味(下の者が上の者に言うは申す)

危:高い所の意が語源。不安定、危険な状況という意味。

また、「危言(きげん)」という言葉を引くと、危言:正しい言葉、高尚な言葉という意味。 (現代人の感覚では、大変に異質な意味が出てきた。)

ここから、「詭」とは、危険な状況で、はきはきと下の者にモノを言う事。 ⇒戦時下(極限状態)において、部下に向かってテキパキと適切な指示を与える 指揮官の姿が浮かび上がってくる。つまり、臨機応変。(偽り欺くといった意味は浮かんでこない)

つまり、詭道には本来「戦いにおける指導者の道」という意味もあるのであろう。これならば、全体から違和感のない文章になる。

この解釈が正しいとすると、どうして孫武はこんなややこしい文を書いたのであろうか?という疑問が次に生じる。

これは、孫子の意図しない後世の人の誤訳ではないか?孫子自身の記述の為に、後世の人々が「詭道とは偽り欺く方法、(迂直の計から)近道」といった意味にしてしまったのではないか?と考える。

または、意図的に孫子が仕掛けた最後の策「誠の努力の者は勝ち進み、卑怯者は策に流され溺れ自滅するがよい」ではないかとも考えられる。こちらの方がロマンがある。数千年の時を経て、なお、孫子は戦い続けていると...

*** 以上の推論は、答えがはっきりして、筆者が消すまでは消されないことを希望いたします。 ***

以上、推測部分を本文から移動しました --Sampo 01:23 2003年12月3日 (UTC)

西洋史への孫子の影響について

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本文中に「ナポレオンは孫子を愛読し、戦場では常に手放さなかった」という記述がありますが、信頼できるソースはあるのでしょうか。『ナポレオン言行録』を読むと、カエサルやハンニバルには繰り返し言及していますが、孫子については一言も言及されていません。「西洋人の思想の起源は実は東洋思想」というのは、日本ではよく聞かれる言説ですが、「日本文化の起源は某国」というのと同様、あまり信頼できる言説ではないと思います。--猪山人 2006年3月26日 (日) 16:06 (UTC)[返信]

英語版に書いてありますが、そのソースは不明です。 --61.210.220.19 2006年3月27日 (月) 11:05 (UTC)[返信]
グーグルで検索してみた限りでは、「最初に欧州で翻訳されたのが1782年で、ナポレオンに影響を与えたという伝説がある」ということのようです。なおナポレオンは戦場では神がかり的に強かったわけですが、外交は下手で、全欧州を敵にまわして滅亡しました。孫子を研究していたのならもっとまともな外交ができたと思います。--猪山人 2006年3月27日 (月) 17:51 (UTC)[返信]

150.37.251.15氏の編集に付いて

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クラウゼヴィッツ派の人へ  文句があるなら、クラウゼヴィッツか「戦争論」のページで「戦争論」の実用性・応用性をアピールしてください。私は自分で買って1度読んで、2回読む価値はないと思いました。西洋の名将・政治家に孫子の愛読者はいても、東洋の名将・政治家にクラウゼヴィッツの愛読者はいないのがいい証拠です。クラウゼヴィッツ以降、欧米世界で真に名将といえるのはロンメル将軍くらいですが、ロンメル程度の智謀の将は、中国や日本の歴史には腐るほどいます。クラウゼヴィッツなど孫子の足元にも及びません。同等視すべきではありません。

管理者の方へ  私の個人的意見を書くなと言われるなら、クラウゼヴィッツの戦争論の項に孫子をこきおろすような表現があったのはそれを書いた人の個人的意見ではないのですか? もともと私は、それに反発を感じて反論をここに書きこんだのです。また、自分の目で確認した事実さえも研究者による文献がなければ記述してはいけないというのであれば、Wikipediaの大半の項目は削除されるべきですし、「誰もが記述できる百科事典」という触れ込みは有名無実となってしまいます。これをどう考えられますか?

以上は150.37.251.15氏によって本文中に書かれた意見です。--Mell 2007年1月4日 (木) 14:43 (UTC)[返信]

はっきり言ってウィキペディアを誤解しているとしか思えないのですが。ウィキペディアはあなたの意見の発表の場ではありません。戦争論のほうに問題がある記述があったとしたらそちらの方を改稿すれば良いだけの話でした。私が見た限りではそんなおおげさな物でも無かったですが、一応表現を改めておきました。--Mell 2007年1月4日 (木) 14:45 (UTC)[返信]

管理者の方へ
 Wikipediaには項目によってかなりの個人的意見が書かれているものがありますが、それは放置しているのですか?
 例えば、織田信長のページなど、かなり個人的意見が混じっているように見受けましたが。
以上の署名の無いコメントは、150.37.251.24(会話履歴)氏によるものです。
管理者の方はこの際関係ありません。戦国時代や三国志の記事に問題のある記述が多数あるのは事実ですが、それとこの孫子の記事とも直接関係ありません。あなたがこの記事で書いた記述が非中立的であり、研究成果に拠らない個人的意見であることが問題視されているのです。--Mell 2007年1月4日 (木) 14:57 (UTC)[返信]
>>Mell氏
 あなたはそもそも何者ですか?
 同じような非難のメッセージをクラウゼヴィッツの戦争論のページの記述者には送られましたか?
以上の署名の無いコメントは、150.37.251.24(会話履歴)氏によるものです。
何者でもありませんよ。戦争論の方の執筆者がどうだとかも関係ありません。150.37.251.24氏はWikipedia:NPOVWikipedia:検証可能性Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をするを是非読んでください。--Mell 2007年1月4日 (木) 15:15 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── >>Mell氏  おそらくあなたはクラウゼヴィッツの愛読者の一人なのでしょうが、Wikipediaの管理者でもなく、同様の非難を戦争論の記述者にも送っていないのであれば、私があなたに非難される筋合いはないと思いますが。クラウゼヴィッツを擁護したいのであれば、その理論の有用性を戦争論のページで展開するなりしてください。研究者による文献を提示した上で。以上の署名の無いコメントは、150.37.251.24 (会話履歴)氏によるものです。

あなたはウィキペディアに付いて非常に誤解しています。管理者は単に削除やブロックの権限があるに過ぎず、記事内容に付いて責任を持つものではありません。私が挙げた文章をよく読んでもう少しウィキペディアに対する理解を深めた後で編集するようにしてください。私はあなたを非難しているわけではなく、あなたが書いた記述の妥当性を問うているのです。あなたに対して非難するニュアンスが入ったの間違いないでしょうが。Mell 2007年1月4日 (木) 15:38 (UTC)[返信]

>>Mell氏 私が書いた記述が妥当かどうかは孫子と戦争論を読めばわかることです。私が孫子の特徴について書いた記述の根拠はすでに「孫子の意義」本文中にあります。戦争論について言うなら、「武力衝突を避けて外交で目的を達すべきである」「敵のスパイを逆用せよ」などと言った記述を戦争論で見た覚えがないので、あのように評価しました。熟読したわけではありませんが。でも、クラウゼヴィッツを擁護するのは私の役目じゃありませんしね。以上の署名の無いコメントは、150.37.251.24(会話履歴)氏によるものです。

ですからウィキペディアは百科事典であり、孫子と戦争論の評価に付いては「執筆者が判断してはいけない」のですよ。仮にあなたの意見が正しい・妥当なものだとしてもあなたの意見である以上はウィキペディアには載せられないのです。理解してください。あと、署名をお願いします。Mell 2007年1月4日 (木) 15:57 (UTC)[返信]

>>Mell氏 事実を記しているだけです。孫子には「武力衝突を避けて外交的圧力で目的を達するのが最上である」という記述や策略を奨励する記述、スパイに関する章がありますが、それらは戦争論にはありません。したがって、クラウゼヴィッツの戦争論は戦場での武力衝突だけを検証した書物であり、それ以上のものではありません。戦争論の思考法には現実の戦争で外交や謀略を用いる上で何ら貢献する部分はありません。これが事実です。--以上の署名のないコメントは、150.37.251.24会話/Whois)さんが 2007年1月4日 (木) 16:06 (UTC) に投稿したものです。[返信]

序盤に「戦争は外交の一形態である」っていうのがあったように思うのですが。これがおそらく「戦争論」における最大の外交についての言及でしょう。さらに言えば、確かにクラウゼヴィッツを読んだ後はリデル・ハートなりダニガンなりに行くので読み返すことは少ないように思います。東洋の場合「孫子以前に兵書無く、孫子以降に兵書無し」とあるように後に続く兵家が出でなかったことは特筆すべきかもしれません。--Himetv 2007年1月4日 (木) 16:28 (UTC)[返信]
『孫臏兵法』とか『司馬法』とか色々ありますよ? 「孫子以前に〜」はその中で『孫子』が特に優れているという意味でしょう。ただその辺はどうでも良いのでして、そういうことに言及している研究者を提示してもらえればそれで済むのですが。Mell 2007年1月4日 (木) 16:34 (UTC)[返信]

>>Himetv氏  「戦争は外交の一形態である」というクラウゼヴィッツの言葉は有名らしいですが、多くの読者が抱くであろう「だからどうすればいいんだ?」という疑問に答えるものではありません。結局、彼は外交について何も書いていないのと一緒です。これはあくまで私の個人的見解ですが、孫子は「これを読んだ人は誰でも名将になれる」というものではなく、読者の自由な発想を一度許した上でそれに修正をかけていく性質のものなのではないでしょうか。つまり、「目的達成のためなら何でもやる人間がまず存在し、その次に、その人の発想を孫子によって修正していく」という手順を踏まなければならないのでしょう。ですから、自由な発想のできない頭の固い人が孫子を読んでも、どう使えばいいのかまったくわからないでしょうね。そこが東洋の「兵法」と西洋の「軍事学」の最大の違いであるように思います。個人的見解ですが。

>>Mell氏 「孫子以前に兵書無く、孫子以降に兵書無し」というのは昔から言われている慣用句のようなものでしょう。「武経七書」の第一に掲げられてもいますしね。それを研究者出せとかいうあたり、よっぽど反論の材料がないんですかね? まああなたみたいに頭の固い人には、孫子の魅力は永久に理解できないでしょう。以上の署名の無いコメントは、150.37.251.24 (会話履歴)氏によるものです。  

あ、このノートをWikipedia:コメント依頼に出しています。事後報告スイマセン。私が言った研究者は「戦争論と孫子の比較」に関することです。何度言っても理解されていないよですが、個人的見解は記述できないのです。あと署名してください。--Mell 2007年1月4日 (木) 16:55 (UTC)[返信]

>>Mell氏  何度も言ってますが、孫子と戦争論における記述の有無という事実を述べています。すでに書いたとおりです。孫子は戦場外の駆け引きやスパイの用法も頭に入れて書かれていますが、戦争論の記述から判断する限り、クラウゼヴィッツが外交や計略の用法を具体的に説いた部分はありません。これが事実です。孫子と戦争論そのものの記述を根拠に論じているのに、なぜあえて著者本人でもない研究者の論文が必要になるのか理解に苦しみます。もっと言うと、研究者の論文であっても、それは所詮「孫子と戦争論を読んだ個人の見解」です。研究者個人の主観が排除された論文である保証は何もありません。そんなこともわからないアホは吠えずに黙っていてください。--以上の署名のないコメントは、150.37.251.24会話/Whois)さんが 2007年1月4日 (木) 18:12 (UTC) に投稿したものです。[返信]

150.37.251.15さんへ。一度Wikipediaの基本ルールを読んでくださるようお願いします。特に検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」の部分です。Wikipediaでは一次資料の自己解釈は推奨されず、研究者が書いたものを根拠とすることが求められ、典拠を問われた場合、加筆者はそれに対し答える必要があります。どの研究者のどの著作か、できればページ数まで教えてください。特に本文の「実用性・応用性という点で他を圧倒している。孫子こそ、真に恐るべき軍事学書であるといえよう」という部分が誰の記述に拠るものか知りたいと、私個人は思っています。
それとMellさんへの暴言はWikipediaのルールを引用するまでもなく、実社会でもマナー違反ですから、すぐに謝罪することを勧めます。でなければ、150.37.251.15さんの場合、検証可能性や署名についてのWikipediaルールを熟知されていないことも不利に働き、問題あるユーザーとしてブロック依頼出される可能性があること、指摘しておきます --Tears for Asia 2007年1月5日 (金) 02:04 (UTC)[返信]

>>Tears for Asia氏&Mell氏

↓リデルハートの書いた孫子推薦の序文だそうです。

「孫子の兵法は軍事学問題に関する最古の論文である。しかも、その洞察の広範なることとその深さは他の追随を許さないものがある。まさに、これは戦争指導に関する叡智(えいち)の精髄の名に値する。過去のあらゆる軍事学者のうちで、孫子に匹敵できるものは、ひとりクラウゼヴィッツあるのみである。ところが孫子に遅れること2000年以上の彼の著作が孫子より以上に古びたものとなり、その一部はすでに用をなさなくなってしまっているのである。実に、孫子はクラウゼヴィッツより以上に明確な視野とより以上に大きな洞察力と永遠の新鮮さを有しているのである」

満足ですかぁ? ちょっと検索かけたら「孫子の方がクラウゼヴィッツより上だ」という主張がすぐ出てきましたけど。まあ誰が何を言おうが、所詮「個人的見解」ですけどね。学者の「個人的見解」を一般人の「個人的見解」と区別してありがたがる意味がわかりませんが。学者の意見ではないでしょうが、私以外にも「孫子は武力衝突を回避して他の手段で目的を達成しようとするが、クラウゼヴィッツはすぐ武力衝突に走るという点で孫子より劣っている」と思っている人はいるようですね。さっさと自分で検索して、その後、孫子と戦争論を読みくらべて、検証してください。自分の頭で考える習慣のない人には孫子の価値は理解できないかもしれませんが。--以上の署名のないコメントは、150.37.251.24会話/Whois)さんが 2007年1月5日 (金) 04:47 (UTC) に投稿したものです。[返信]

序文だそうです」ではなくて、何の序文なのかを明確にして下さい。「思っている人はいるようですね」ではなく、そのような主張が検証可能な媒体で行なわれているものを具体的に示して下さい。なにより、Wikipedia:検証可能性を御読み下さい。『ここは自説を開陳する場でも啓蒙の場でもない』ということを理解して下さい。
なお、出来れば署名を付けるよう御願いします。文末に~~~~を付加すれば自動的に署名と投稿時刻が生成されますので。それと、他者が返答した後で自分の投稿をいじるのは余りやらない方が良いと思いますよ。 --NiKe 2007年1月5日 (金) 08:16 (UTC)[返信]
>>NiKe氏
また新手の登場ですか。クラウゼヴィッツ擁護派は必死ですね。「孫子」「クラウゼヴィッツ」の2つのキーワードで検索すれば、最初の10件くらいに入ってきますよ。自分で探してください。やることもやらないクレクレ君に答える気はありません。あなたの言うWikipediaの基本ルールなら読みましたよ。記述が「真実かどうか」ではなく読者が「検証可能かどうか」かが問題なんですよね。リデルハートが本当に上のようなことを主張したのかどうか、またその主張の内容が真実であるかどうか、私は保証しかねます。ただ、私の意見が独りよがりではないことを示せばそれで十分でしょう。私が上に嘘を書いたと思うなら、自分でリデルハートの著作を全部あたって検証してください。何度も言いますが、検索すればすぐに出てきます。何もしない人間がそんなにえらそうな態度をとらないでください。これは私の個人的見解ですが、たぶんあなた方は、私がどんな文献を引用しても、「それは孫子をひいきしている学者の説で、客観的な意見ではない」とか言うでしょう。どれだけ苦労して探してきても水掛け論なので、私が探すだけ時間の無駄です。これもすでに言いましたが、クラウゼヴィッツを擁護したいなら、クラウゼヴィッツや戦争論のページで勝手にやってください。クラウゼヴィッツマンセーで頭が固まっている人たちにこれ以上言うことはありません。私には、あんな理屈っぽいだけで青臭い理論を展開しているただの元軍人の説がそんなに価値のあるものとは思えませんがね。--以上の署名のないコメントは、150.37.251.24会話投稿記録)さんが 2007-01-05 09:35(UTC) に投稿したものです。
「やることもやらないクレクレ君」とおっしゃられますが、リデル・ハートをもちだしたのはあなたでしょう。彼のなんという本の序文かをかけば、それですむのです。長広舌をひけらかす余裕があるのなら、そちらをやっていただければいいのです。 --ねこぱんだ 2007年1月5日 (金) 09:48 (UTC)[返信]
>>ねこぱんだ氏
検索して出てこなかったなら、キーワードに「リデルハート」でも加えてまたやってください。後は上に書いたとおりです。以上。
>>追記
「ここまでやってあげなきゃいけないのかなぁ?」とあきれながらも調べましたよ。
フランス語版「孫子」(フランシス・ワン訳)の序文のようです。
ttp://books.yahoo.co.jp/book_detail/18483705
これ以上グダグダけちつけないでくださいね。m9(^Д^)プギャー 以上の署名の無いコメントは、150.37.251.24(会話履歴)氏によるものです。
リデル・ハートの言葉の提示をありがとうございます。このリデル・ハートの言葉はこの記事に載せる価値がありそうです。
しかし150.37.251.24氏はまだ理解されていないようですが、私は「個人的意見であるから」記述がいけないと言っている訳ではなく、「ウィキペディアンの個人的意見であるから」記述がいけないと言っているのです。
解りやすく言えば、リデル・ハートの言葉は載せることが出来ますが、ウィキペディアンの言葉は載せられません。「孫子の兵法は軍事学問題・・・」をリデル・ハートがこういったとして載せることは可ですが、あなたが書いた「・・・真に恐るべき軍事学書であるといえよう」という記述は以前不可なのです。
自分の頭を使えと盛んにおっしゃっていますが、ウィキペディアンが自分の頭を使ってはいけないのです。この言い方はたぶんに誤解を招きそうですが、要するに「独自の研究」は不可ということです。
例示しますと
AはBである。
という記述は不可ですが(その理屈が自明の場合は除きます)
「AはBである」と誰々が言った(『何々の本』)
という記述は可なのです。この違いを理解してください。そしてウィキペディアンが自分の頭を使って書いた文章では後者の書き方が不可能であるので不可ということです。--Mell 2007年1月5日 (金) 11:30 (UTC)[返信]
>>Mell氏
はいはい。
負け惜しみっぷりも無様ですねwww
>>ウィキペディアンが自分の頭を使って書いた文章では後者の書き方が不可能であるので不可
↑これに反する記述なんかWikipedeiaにはいくらでもありますが。
私が「自分の頭で考える習慣のない人には孫子の価値は理解できないかもしれませんが」と言ったのは、あなたみたいに学者の書いた文章の字面を追うだけの人が孫子を読む場合について言ったつもりですが。
それに、リデル・ハートという赤の他人の学者の説を引用して、出典も示したので、責任は果たしたはずですが。
どうして私の独りよがりの主張を展開したことになるんですかね。
「孫子の兵法は軍事学問題に関する最古の論文である。しかも、その洞察の広範なることとその深さは他の追随を許さないものがある。(中略)実に、孫子はクラウゼヴィッツより以上に明確な視野とより以上に大きな洞察力と永遠の新鮮さを有しているのである」
という言葉は赤の他人の学者の説だからOKだけど、実質的に同じ意味の
「孫子こそ真に恐るべき軍事学書であるといえよう」
という言葉は自分の言葉だから載せてはいけないというのは、あまりに杓子定規ですね。
失笑してしまいましたよ。
そうやって、一生、学者の説を自分の頭で解釈することもなく、機械のように一字一句間違えずに覚えられるように努力していればいいんじゃないですか?
本当にクラウゼヴィッツ派の人は頭が固くて使えないですね。
これ以上私の時間をとらないでくれませんかね?
負け惜しみでクラウゼヴィッツマンセーの人に粘着されても迷惑なんですけど。
ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ
--以上の署名のないコメントは、150.37.251.24会話/Whois)さんが 2007-01-05 12:53:59 (UTC) に投稿したものです。

もういいでしょう

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とりあえず、典拠が判明したので、妥当な表現にしました。これでこの件は終わりにしましょう。 --ねこぱんだ 2007年1月5日 (金) 13:29 (UTC)[返信]

結局、150.37.251.24氏には私の言っていることを理解していただけなかったようで残念です。負け惜しみとしか聞こえないのでしょうが、今後同じような編集態度は謹んでほしいと思う次第です。せめて署名位はしてください。Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をするをぜひ読んでください。私もこれ以上は述べません。--Mell 2007年1月5日 (金) 15:59 (UTC)[返信]
IPの人が『検索せよ』と仰せなので検索して見ましたが、 http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta072.htm のページで合ってるんでしょうか? ざっと読んでみましたが、このページの記述を信用するなら現在の記事では褒め過ぎということになるような気がします。『クラウゼヴィッツは弟子たちに誤解されてきた』『根本的な思想は孫子とそれほど変わらない』と言っているだけでなく、『ヨーロッパでこれまで孫子はあまり知られていなかった』『中国では近代戦に役立たないとなおざりにされている』といったことも言っています。これらは、現在の記事とは相反しているように思えるのですが。 --NiKe 2007年1月5日 (金) 17:24 (UTC)[返信]
IP-User氏によるWikipedia:基本方針とガイドライン#基本的な方針に大きくかけ離れた発言が多かったと思います。Wikipedia:五本の柱Wikipedia:ウィキケットWikipedia:議論が白熱しても冷静にWikipedia:中立的な観点Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をするなどを冷静な精神状態の時に熟読しての参加を期待します。--Tiyoringo 2007年1月6日 (土) 11:06 (UTC)[返信]
>>NiKe氏
そのHPのリデル・ハートの主張を最初から最後までよく読んでください。
確かに途中の部分で若干クラウゼヴィッツを擁護していますが、その著作の欠陥も指摘していますし、結論部分で改めて孫子を最大限に賞賛しています。
著作としての「孫子」とクラウゼヴィッツの「戦争論」を決して同等視してはいません。
兵法書をよく知らないのに、でしゃばってきて、ここを見た人が誤解するような文章を書かないでください。--以上の署名のないコメントは、150.37.251.24会話/Whois)さんが 2007-01-10 13:44:00 (UTC) に投稿したものです。

リライトの予告_2007年1月

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僭越ながら、全面リライトしようと思います。ほぼアウトラインができたので、私のところに下書き置いています。意見がありましたらお願いします。ナポレオンについては浅野裕一さんの研究において言及してましたので復活させます。どうしても確認が必要という方はご一報ください。書名と頁数提示します。それと「孫子の意義」のところはすでにWikiquoteの方に移しました(ついでに校訂も若干しました)。今の文章をなるべく取り込もうと努力しましたが、バランス上省いた部分もあります。その点、前もってお詫びします。近日中に投下予定です。--Tears for Asia 2007年1月29日 (月) 17:15 (UTC)[返信]

非才を省みず(本文要約の顧みずは誤り)、改訂しました。見てのとおりやや偏っており、孫子の思想そのものは少なめです。自らの関心は清代の考証学者ほどでないにしても、専らテキストそのものにあるためです。不足分は諸賢に加筆お願いしたく思います。また誤っている部分や最新の研究からみると古い部分もあるでしょうから、訂正お願いします。--Tears for Asia 2007年1月31日 (水) 18:07 (UTC)[返信]

著作権を侵害している可能性がある記述を削除・改変しました_2007年4月

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 転載元は「最強の孫子―『戦い』の真髄 」(ISBN-10: 4534033257)のP228,P231です。詳しく調べていないので、転載部分はまだ残っているかもしれません。転載した方は削除してください。--以上の署名のないコメントは、Sekiseikoumori会話投稿記録)さんが 2007-04-27 13:49:20 (UTC) に投稿したものです。

ご指摘ありがとうございます。ただウィキペディアではGFDLというライセンスを採用しているために現在の記述から削るだけでは駄目で、過去の版にまで遡って削除しなければなりません。Wikipedia:削除依頼/孫子 (書物)にて議論がなされるので意見をお願いします。
それで件の転載部分は文が一言一句同じなのでしょうか? 其のあたりの具体的な指摘をしていただけるとあり難いです。--らりた 2007年4月28日 (土) 09:21 (UTC)[返信]
>現在の記述から削るだけでは駄目で、過去の版にまで遡って削除しなければなりません 
了解しました。転載部分については、一言一句ほぼ同様の内容でした。削除するかどうかは転載元をスキャンした画像が手もとにあるので、それを見て判断して頂ければと思うんですが、ウィキメールでは画像の送信は出来ないのでしょうか?テキストのみで良いのなら、以下に記載する箇所です。
  • 戦国時代、西国の 〜 伝えられていた。(守屋淳著 最強の孫子 ― 「戦いの真髄」P228)
  • 武田家では信玄は 〜 の基盤があった。(同書 P231、P232)
--Sekiseikoumori 2007年4月28日 (土) 12:05 (UTC) / 中ほどを削りました。--スのG 2007年5月4日 (金) 06:02 (UTC)[返信]
また著作権に抵触する箇所がでてきて、なんと言えばよいのやら。該書を今日、別件の著作権事案と一緒に調べに行ったのですが、借りられており見ることができませんでした。返却されれば、当方も確認し削除依頼に報告したいと存じます。
後、義和団の乱の著作権事案の時と同様、わたしが加筆編集した箇所は特にわたしに断らずとも誰でも再投稿してもらって結構です。再投稿の意義ありと認めてもらえれればの話ですが。何せ、今他の事案にも巻き込まれており、時間的に余裕が無いというのが理由です。余裕ができた時、まだ再投稿されてなければ、孫子の「詭道」論を追加して投稿するかもしれません。--Tears for Asia 2007年4月28日 (土) 12:47 (UTC)[返信]
上記の転載箇所の中ほどを削りました。著作権侵害の再生産にならないよう、転載は場所を特定するのに必要な最小限にとどめていただきたくご留意ください。--スのG 2007年5月4日 (金) 06:02 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 『最強の孫子』、漸く借りることができました。確認したところ、「『孫子』を学んだ偉人」という章の大部分が剽窃であることを確認しました。具体的には武田信玄、吉備真備、毛利元就、ホー・チ・ミンです。より詳しく見れば更にあるかもしれません。これに伴い削除依頼では、「削除」に意見を変えようと思います。--Tears for Asia 2007年5月19日 (土) 07:44 (UTC)[返信]

11/11の加筆について

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どういう出典に基づいて書かれたか、教えてください。当方が挙げた参考文献にはない話なので、読者に誤解を与えないためにも書籍名あるいは論文名をお書きください。--Tears for Asia 2007年11月11日 (日) 06:44 (UTC)[返信]

「巧久」の例示について

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主観的になりがちなものですから、無理に例示しなくとも良いと思います。もし敢えて示すなら「長期戦の末に勝つには勝ったが、国はボロボロになってしまった例」(ベトナム戦争の共産側とか?)の方がいいでしょう。 少なくとも(例え緒戦で戦術的な優勢を重ねたとしても)最終的に敗れた、第二次世界大戦における日本軍が「『巧久』の最たる例」とは思えません。--超プロ住民 2009年5月4日 (月) 06:10 (UTC)[返信]