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ノート:安倍家麻呂

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{{脚注の不足}}の意味

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この記事のどの部分のために、どのソースのどのページ (どのあたり)を使ったのか?ということが明確にされていないため、添付させていただきました。Takabeg 2012年2月23日 (木) 01:14 (UTC)[返信]

ノート:多治比縣守参照。また、各々のことに付いて信憑性があるかどうかについては、『続日本紀』の該当する日付の記述から確認できる筈です。--223.218.170.212 2012年2月23日 (木) 09:52 (UTC)[返信]

Wikipedia:信頼できる情報源って読んだことありますか?それと、この人物に関する独立した二次資料って無いのでしょうか?Takabeg 2012年2月23日 (木) 10:00 (UTC)[返信]

もしおつきあいいただけるのなら、様々経緯について説明しますが、端的に言って「この人物に関する独立した二次資料」がこの「人名辞典」以外に見つからなかったということです。また、この「人名辞典」の記述の仕方についてはっきり言って私の好みではないので、投稿するのは差し控えていたのですがいろいろあって投稿してみようかと思ったということです。で信憑性を疑われるということは、私には喧嘩を売られたと同義なのです。--223.218.170.212 2012年2月23日 (木) 10:17 (UTC)[返信]

:人名辞典のページとかわからないんですか?ちなみに喧嘩は売っていませんので、ご購入は不可能です。Takabeg 2012年2月23日 (木) 10:20 (UTC)[返信]

了解しました。「人名辞典」は図書館で調べたものですので、今はページは判りませんが、「安倍朝臣家麻呂」の項です。何で「朝臣」が入らなければいけないのかも好きになれなかった理由なのですが。--223.218.170.212 2012年2月23日 (木) 10:34 (UTC)[返信]
勿論間違いが無いとは言い切れませんので、「タグ」を貼るのではなく直して下さるようお願いします。--223.218.170.212 2012年2月23日 (木) 12:03 (UTC)[返信]
(横から失礼します)阿部猛『日本古代人名辞典』(東京堂出版、2009年12月),pp.37-38 に「阿倍家麻呂」名で項目がございますが、この『日本古代人名辞典』の記述と本記事とは「この時、秋田城の存廃についての(中略)後の秋田城介の起源になったとされている。」の一文を除き、語尾を変えただけで文の内容・構造、述語の選択(「昇叙」・「歴任」など)が非常に似通っております。本記事は『日本古代人名辞典』を参照して書かれたものでしょうか?--ぽん吉 2012年2月27日 (月) 10:16 (UTC)[返信]
多治比縣守についての削除依頼が出されましたので、後はそちらにお任せするとして、こちらの方は良く見ていなかったもので回答が遅れてしまいました。またぽん吉さんにおかれましては、このノートの「2012年2月23日 (木) 09:52 と、2012年2月23日 (木) 10:17」のTakabeg氏に対する回答などはご覧いただけているでしょうか、これは決して非難している訳ではありませんが、話が通じていないようなので。
(以下追加の説明です)1年半くらい前のことなのですが、あることから(説明するとさらに長くなるので)秋田城介関連(と鎮守府将軍征夷大将軍)の記事をできるだけ正しくしておこうかと思って、安倍家麻呂(と多治比縣守)の記事の立稿を考えたのですが、少なくとも「安倍家麻呂」についてのまとまった情報は、『日本古代氏族人名辞典』以外みつかりませんでした。そしてこの人名辞典の書き方が、専門的な表現を多用し、権威主義に感じられ気に入らなかったので、従って私としては信用できませんので、できるだけ正しくという目的からすると意味が無いので、投稿しなかった、ということです。
その後、事ある毎に関連する情報について調べて見て(意図したわけではありませんが、結果的に、これらの人物に関する殆ど全ての情報に当たってしまったようにも思えます)、十分な情報を得たということと、それにも増して「人名辞典」というものが何であるかが判ったような気がしましたので立稿したということです。要するに「安倍家麻呂」や「多治比縣守」程度の人物に関しては何処に書いてあることもみんな同じなのです。権威主義かと思ったのですが、いわゆる出版物は商売ですから費用対効果が大切で、執筆している人は歴史の専門家であっても文章能力が優れているとは限らない、ということに気が付いた、ということです。それで専門的な表現を多用しているのではないでしょうか。
どういうふうにして記事を作ったかというと(1年半かけて作ったものですから、そう単純では無いのですが、結果的には)、「『続日本紀』の該当する記述を抜き出し現代語に改めた」ということです。多分「人名辞典」も同じことをしているのだと思います。そして割り当ての字数に合わせ適当におる抜いているようにも見受けられます。つまり商売ですから、そんなには丁寧にはできないので、おざなりになってしまうのもやむを得ない。ということだろうと思われます。記事を作るにあたっての始まりが「人名辞典」であり、同じことをしているのですから、出典を「人名辞典」としても間違いではないと考えたのです。
その上で、「人名辞典」などの立場もわかったものですからそれに敬意を表し、また出典としていることでもあり、記事の内容を損なわない限りなるべくそれに合わせた、ということです(仰られることからして、どうもそれが余計なことだった、ということが今わかったのですが)。そういうことで、どの記述に何を使ったかということは、はっきりとは判りませんが「安倍家麻呂」については『日本古代氏族人名辞典』以外みつからなかったと記憶しており、私の行く図書館では所蔵していないことでもあり、阿部猛『日本古代人名辞典』は参照していない筈です。「昇叙」・「歴任」などの述語の選択が同じというのですが、官位が上がったのが「昇叙」であり、色々な官職に付いたことを示す語が「歴任」ですから、同じことに対して同じ述語になるのは当然です。そうでなかったら日本語として間違えているということなのですが「人名辞典」などでは往々にしてそういうて間違いがあるのです。なお、しつこくなりますが「多治比縣守」の方はいろいろな「人名辞典」に載っており、『日本古代中世人名辞典』と『国史大辞典』は全く同じ記述でした。この2点は出版社が同じ吉川弘文館ということで理解できるとしても、その他別の会社である平凡社の「人名辞典」もさして変わらないのです。つまり「人名辞典」というものは、そんな程度のものだということなのでしょう。その点ウィキペデアは違うはずだということです。
私としては投稿した理由がそのようなことですので、記事の存続にそれほど固執するわけではありません。ルールに従って適切な処置をしていただくことで何の異存もないのですが、もし宜しければ一旦削除して、『続日本紀』から該当する記述を抜き出し(電子化されていますので全文検索すれば良いので簡単なことです)、それを現代語に改め書式をそれなりに整えて、再度立稿して下されば問題は解消されるのでは無いかと考えます。昔の漢文を現代語に改めるにはそれなりのスキルが要るとは思われますが、現代語訳の続日本紀のようなものを参照すれば決して難しいことでは無いと思います。さらにこの手法は、奈良時代から平安時代初期の六国史の時代なら他の人物にも適用できるのではないでしょうか?
それから記事の注に「デジタル版 日本人名大辞典」を追加なされたようですが、立稿も加筆もしていないぽん吉さんが、それだけを追加するのは如何なものかということは申し上げておきます。そういったことからも、一旦削除し再度立稿していただくことの方が良いのではないかと思われます。私としましては、正しくなっていればそれで良いわけで、またアクセスする毎にアドレスが変わってしまう IP User ですので、投稿実績などというようなこととは無関係です。
以上、長くなりましたが --114.186.70.179 2012年3月1日 (木) 10:24 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。「阿部猛『日本古代人名辞典』は参照していない筈」とのことですね。さて、まず114.186.70.179さんは、223.218.170.212さんと同じ方、ということでよろしいですか?「投稿実績…」がどういった意味合いか分かりかねるのですが、私はアカウント取得はむしろ「説明責任を果たす」という観点からお互いにとって有益なものではないかと考えています。
本項の問題につきましては、多治比縣守も基本同じなのですが、過去あった著作権侵害事例と傾向が似ているように感じましたので、まずは削除依頼などでコミュニティの判断を仰ぎたいと思った次第です。「何年何月に何の位・役職についた」は事実の列記的なもので著作性が薄いと思いますが、例えば多治比縣守の「遣唐使の経歴を有し国際的な視野を持っていたとされる一方、対外強硬派的側面もあった。」との評価記述は『朝日日本歴史人物事典』には「遣唐使の経歴を有し,国際的な視野を持っていたと思われる一方,対外強硬派的側面もあった。」と書かれており、『日本古代中世人名辞典』には書かれていない内容です。著作権を侵害しないよう、ご自身の言葉で記述される必要があるのはもちろんですが、さらに脚注で出典を明記することも不可欠かと思います。
本項につきましては、多治比縣守の削除依頼へ寄せられたご意見・ご判断を参照しつつ対応を考えたいと思います。--ぽん吉 (会話) 2012年3月1日 (木) 17:51 (UTC)[返信]
予想だにしない回答がきたのでびっくりしています。しかしながらこういうことは今回が始めてではなくその都度なんだろうと思っておりました。何のことか全然わからないことでもあり、キツイ書き方もありますが、誤解を招かないことを優先したもので決してぽん吉さんを非難するつもりではない、ということ始めに強く申し上げておきます。
昨日の書き込みでの私の期待した回答は、ぽん吉さんが記事を削除した上で新規に立稿するつもりがあるかどうか、についてです。削除するとすると、何らかのアクションが必要とされることがありそうだからで、そうでないなら私はもう無関係で良いはずだからです。それが伝わるように一生懸命書いたのですが、(以前もそうだったのですが)全然違う回答が来たということです。
アカウントを取得しない理由なのですが、暇人ではあるもののそんなには暇ではなく思いついた時に書き込む程度だということと、誤解を恐れずに言うと文章能力にはいくらか自信がありますので書いたもので評価して貰えば良い、という考えからです。従って特に権利を主張するつもりはありません。ウィキペデアのルールがそうなっている、ということであればそれで結構です。なお「説明責任」ということについては、新しく立稿したり大きく加筆したりした場合はその後関連するところを見るように心がけているつもりです。ですが「説明責任」を要求されるというようなことは一度もありませんでした。また今回も、ぽん吉さんの書き込み前に、Takabeg氏に対し「もしおつきあいいただけるのなら、様々経緯について説明します」としており、実質的には「説明責任」についても問題は無いはずです。問題はそれを無視したぽん吉さんの方により多くあるように思われ、そのぽん吉さんが「説明責任」を持ち出すのは合点が行きません。
次に、「多治比縣守」の遣唐使の、著作権侵害の疑い、に関することについてですが、「記事の存続については、ルールに従って適切な処置をしていただくことで何の異存もない」と申し上げております。私は今までなるべく出典の記述を尊重しそれに合わせるよう心がけており、それが著作権侵害を疑われないためのテクニックからすると逆効果だったということについて、昨日始めて気が付いたわけですから。なお、最初にも書いた通り決して非難するつもりはないのですが、「YOSHI438|過去あった著作権侵害事例」と傾向が似ている、と仰られることについては心外です。削除にならず残っている記事を拝見させていただいたのですが、「YOSHI438|過去・・」の方と私とでは文章能力が全然違います。それが判らないとすれば、ぽん吉さんもその程度だということを御自覚ください。
私はウィキペデアのルールについては、「著作権侵害を疑われないためのテクニック」に、昨日始めて気がついた程度なのですが、ウィキペデアのルールの前に世の中の当然のきまりとか道理というものがあり、生きている以上それはある程度わきまえているつもりです。決して非難するつもりはないのですが、例えば、立稿してもいないぽん吉さんが何の説明もせず「デジタル版 日本人名大辞典」を出典として追加するのはおかしいなわけです。こういうことは今回が始めてではなく失礼ながら幼稚なのかとも思えるのですが、ところがそれに反して仰られることが立派なのです。このような場合どちらとも決めかねるので、分別をわきまえた良識ある方である可能性がある以上それなりの対応をしておくことの方が間違いないというのが私の考え方であり、今回もぽん吉さん良識ある方だとして問いかけには逐一回答させていただいております。
そういうことで私の関心はただ一点、ぽん吉さんが記事を削除した上で新規に立稿するつもりがあるかどうかについてです。もしぽん吉さんが著作権侵害の疑いがあると思うのなら、実際に問題があろうと無かろうと私は削除に同意しますので新規に立稿してください。電子版の『続日本紀』が公開されておりますので、図書館に行かなければならないかも知れませんが現代語訳の『続日本紀』を参照すれば特に難しいことでは無いはずです。勿論文書能力により、美しかったりそうでなかったりすることはあるでしょうが、少なくとも「安倍家麻呂」や「多治比縣守」程度の人物ですと、正確さということではそんなに差は出ないでしょう。
何回も申し上げますが、決してぽん吉さんを非難するつもりはありませんので、記事を削除した上で新規に立稿するつもりがあるかどうかと、あるとすれば私は何をしなければいけないのか、についての回答をお願いします。--114.186.70.179 2012年3月2日 (金) 11:25 (UTC)[返信]
返信が遅くなりましてすみません。おっしゃる内容、ちょっとよく分からない部分もあるのですが…まずは本項および多治比縣守につきまして仮に削除された場合は新規に立稿するつもりではおります。時期はいつとは明言できませんが。また削除されなくても、文章は変えた方がよいのでは?と思いますので加筆も試みます。
なお「立稿・加筆していない人が何の説明もなく出典をつけるのは幼稚」とのご指摘いただきました。日本語版wikipediaではWikipedia:出典をつけよう大会などもございまして、出典のない・不十分な記事に出典を付加する行為は基本的には歓迎されているものと理解しております。ただ今回は私のやり方にまずかった点があったのかもしれませんし、説明が不十分であったかもしれません。反省し次の機会に生かしたいと思います。--ぽん吉会話2012年3月5日 (月) 00:51 (UTC)[返信]
了解しました。それでは私のしなければならないことは何も無いということで、これで失礼します。--114.186.70.179 2012年3月5日 (月) 10:09 (UTC)[返信]