ノート:完原大君
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理由
[編集]「女真出身の証拠が見つからない」「モンゴル系ではない」として、カテゴリを削除されましたが、説明します。
李成桂(の家系)は、公的記録(『李朝実録』)では、全州李氏を自称していますが、それが事実かどうかは不明です。
- 三田村泰助『明帝国と倭寇』人物往来社〈東洋の歴史〉、1967年、153頁。「がんらい李成桂は、全羅道全州の名門の出といわれるが、疑わしく、数代まえより、北朝鮮の咸鏡道にいた。」
- 六反田豊『定陵碑文の改撰論議と桓祖庶系の排除 : 李朝初期政治史の一断面』九州大学文学部東洋史研究会〈九州大学東洋史論集 15〉、1986年12月、77頁。「「こうした伝説は、『高麗史』『太祖実録』『竜飛御天歌』等にみられるが、どこまで史実を反映したものであるかは疑問である。」
実際の一族は、女真族(あるいは混血)ともいわれています。
- 岸本美緒、宮嶋博史『明清と李朝の時代』中央公論社〈世界の歴史 (12)〉、1998年4月1日、17頁。ISBN 4124034121。「全州李氏の一族とされるが、女真族の出身とする説もある。父の李子春は、元の直轄領となっていた咸鏡道地域の双城総管府に使える武人であった。この地域は女真族が多く住んでいた。李成桂が武臣として台頭するにあたっても、その配下の女真人の力が大きく作用した。」
- 山内弘一 著、武田幸男 編『朝鮮王朝の成立と両班支配体制』山川出版社〈朝鮮史〉、2000年8月1日。ISBN 978-4634413207。「女真人の血を引くとする説もある。」
- 大原志麻『韓国映像文化における歴史イメージ』静岡大学人文社会科学部アジア研究センター〈アジア研究 9〉、2014年3月、46頁 。「朝鮮は、東アジアの外交関係の一つの特徴である事大外交をとってきたが、それは文化の先進国である中国に尊敬を表すもので、「文化水準の遅れた」蒙古、女真、日本には自尊心を打ち出した。その中でもとりわけ蒙古は一貫して、高貴な朝鮮人と対比的に野蛮そのものと描かれている。『武人時代』では、李成桂が女真族であることは影をひそめ、李義方の六世孫であることが強調されている。」
- 宮脇淳子『世界史のなかの蒙古襲来』扶桑社〈扶桑社新書〉、2021年12月22日、57頁。ISBN 4594090435。「李成桂を『満洲人の祖先につながっていくような人』と表現しました。はっきりいえば、李成桂は女真人だった可能性が高いと私は思います。…ここでは、その理由の一つだけを記しておきます。李成桂が王座を奪ったとき、国号は前の王朝の『高麗』のままで、まず王になりました。シナ文化圏の人ならば、支配者の血が別の一族に入れ替わったのですから、王朝交代とともに真っ先に国号を変えようとするはずです。しかし、李成桂がそうしなかったのは、かれがそんなことを気にしない狩猟民出身だったからではないかと私には思えるのです。明の洪武帝に国号を変えないのかといわれて、李成桂が『和寧か、朝鮮か。どちらがいいでしょうか』とお伺いをたてました。『和寧』は李成桂の故郷の別名でもあり、また、北元の根拠地カラコルムの別名でもありました。洪武帝は『朝鮮』を選びます。シナの皇帝に選んでもらった『朝鮮』を国号にしたのが李氏朝鮮なのです。自分の国の名をよその国の皇帝に決めてもらうなど、主体性がまったくない証拠です。シナの属国だと自白しているのと同じです。」
- 宮脇淳子『韓流時代劇と朝鮮史の真実』扶桑社、2013年8月8日、89頁。ISBN 459406874X。「元に征服されて以降の高麗王はほとんど母親がモンゴル人だし、民族主義とか国民国家史観とかいった観点から追求していくと、結局タマネギの皮を剥くみたいに、どこまで行っても彼らの考える朝鮮民族なるものは出てこない。早い話がいろいろな民族が混ざり合っているわけです。…しかし、彼らにはそれを認められない理由があるのです。まずひとつには、満洲が今は中国だから、北方と関係があると言えば、自分たちが中国の一部とされてしまうことを恐れている。これは『朱蒙』がつくられたきっかけを見てもわかります。でも、同じように朝鮮半島より北で生まれた朱蒙や広開土王を『おらが英雄』扱いする割には、李成桂が女真人だと言うと腹を立てるというのは、話の辻褄が合いません。客観的に見て自己矛盾も甚だしいですが、それが気にならないのが韓国人の歴史観というものです。まあ『檀君神話』のような絵空事と史実を混同している時点で、そうなるのも無理はありませんが。二つ目は、『龍の涙』も女真人をちょっと低く描いていますが、基本的に女真人は野蛮人だと思っているのです。中華思想では漢字を読める人間だけがステイタスが高く、『四書五経』を理解できる人たちが下々の人間を統治するというのが儒教の考え方だから、漢字ができない民族をバカにする。強大な清朝が興った時ですら、朝鮮は現実を見ずに最初は『あんな野蛮人の言うことなんか聞くか』とバカにしていたのです。もちろん最終的には、怒った清に力ずくで土下座さえられて臣従するわけです。」
- 宇山卓栄『「民族」で読み解く世界史』日本実業出版社、2018年1月25日、76頁。ISBN 4534055587。「実は満州人政権だった『李氏朝鮮』…李成桂はもともと高麗の支配層の出身であるため、やはり満洲人です。彼は高麗の満州人軍閥の頭目であり、その勢力基盤は漢江以北にありました。李成桂に仕えた李之蘭は満洲人女真族の指導者で、満州人を取り込むことに成功しています。高麗の後も、満州人政権が続いたのです。…一方、満州人政権である李氏朝鮮はその逆で、漢江の北に陣取ります。」
- 宮家邦彦『哀しき半島国家 韓国の結末』PHP研究所〈PHP新書〉、2014年10月15日、160頁。ISBN 4569822266。「李氏朝鮮は1392年、元が衰退したのちに親「明」であった女真族の李成桂が建国し、コリア半島をほぼ制圧したあと、1402年に明に朝貢・冊封した。」
- 豊田隆雄『本当は怖ろしい韓国の歴史』彩図社、2016年10月17日、70頁。ISBN 978-4801301856。「倭寇の撃退に功績をあげた李成桂は1392年、高麗を倒して朝鮮を建国。漢城(現ソウル)に都をおいた。出身については、女真族だったと主張する研究者も多い。出身地が女真居住地域だったこと、李成桂がモンゴル名を持っていたこと、幕下に女真の首領を加えたことなど、数々の傍証がある。」
- 倉山満『嘘だらけの日韓近現代史』扶桑社〈扶桑社新書〉、2013年11月30日、34頁。ISBN 978-4594069520。「1392年、李成桂という謎の人物が高麗を倒し、新王朝を建国します。謎というのは、どこの誰だかよくわからないからです。韓国は当然ながら朝鮮人だと言いますし、中国人のなかには漢民族だとか、モンゴル軍閥の一人だと言う人もいます。最も信憑性が高いのは、女真人(満州人)でしょう。」
- 岡田英弘・宮脇淳子. “論証:李氏朝鮮の太祖李成桂は女直人(女真人)出身である”. 岡田英弘宮脇淳子研究室. オリジナルの2010年11月6日時点におけるアーカイブ。
「モンゴル系」を付加した理由は、李椿は「孛顔帖木児」、李子春は「吾魯思不花」などのようにモンゴル名をもっていたこと、元の千戸長を務めていたこと、元のダルガチを務めていたことなどから、一族を蒙古軍閥とみる学説があるため、モンゴル系を付加しました。
- “一歷史學家主張“李成桂是高麗系蒙古軍閥”有望引起爭論”. 朝鮮日報. (2006年9月5日). オリジナルの2010年4月30日時点におけるアーカイブ。--2001:268:C1C5:28C3:E0CF:2800:9C3F:91BE 2022年10月25日 (火) 15:16 (UTC)
- 資料のご提供ありがとうございますが、記事での記述及び脚注により、これらの内容が読み取れません。記事内で提示された「韓国歴代人物総合情報システム」によると、本貫は全州李氏で、母親は敬順王后文州朴氏だと書かれており、女真族との記述は全くありません。もし李氏朝鮮の王族が女真族との論点を追加したいなら、Wikipedia:検証可能性とWikipedia:中立的な観点に基づいて韓国側の主張を取り入れる必要もあると思います。ちなみに韓国の学界では確かに「李成桂女真族説」というものがありますが、仮説の域を出ていません(というより、「歴史歪曲」との指摘が多いようです[1])。
- 補足ですが、ここで書かれる内容の多くは李成桂の記事で取り上げられているため、ノート:李成桂とノート:太祖 (高麗王)の過去の議論を読む限り、倉山氏の本の信憑性についてはかなり疑わしいと思います。
- ご提示した資料について具体的に書くと、学術論文と文庫本みたいな書籍が混ざっています。岸本氏・宮嶋氏、山内氏、大原氏の著作と論文はいずれも「女真族の出身とする説もある」など可能性を提起したのにとどまり、断定したものではないと思います。残りの倉山氏、宮家氏、宇山氏、岡田氏、宮脇氏、豊田氏の研究はやや断定的に書いてありますが、まず本のタイトルを見ると、宮家氏の『哀しき半島国家 韓国の結末』、豊田氏の『本当は怖ろしい韓国の歴史』、倉山氏の『嘘だらけの日韓近現代史』は史学の専門書ではない気がします。彼らの主張は上述の通り、疑わしいと思います。宇山氏と岡田氏、宮脇氏の研究は相対的にまともだと思いますが、どちらも「女真族説」を支持する派で、「女真族説」を否定する内容を入れないとWikipedia:中立的な観点に違反すると思います。また、関連して李翰 (新羅)を見たら、概要節は資料の「但し書き」(統一教会系の『世界日報』の記事の「反面、李翰の中国伝来説がある」から始まった部分)だけを引用した気がして、片方の主張だけを取り上げた内容だと思います。
- なお、冒頭の三田村氏の主張については学術上に反論があるか否か分かりませんが、現在の本貫に関する個人の認識では「全州李氏」と「全州市出身の李姓の人」との区別がかなり大きくて、始祖の21世孫なら咸鏡道出身の人でも「全州李氏」の可能性があるため、矛盾していないと思います。残りの六反田氏の論文の当該部分を読むと、史料を完全に否定するのではなく、「100%正しいではないと思う」という史料批判の一環だと思います(この論文をざっと読むと、李成桂の出自自体、つまり全州李氏の出身であるかどうかに触れていない気がします)。そもそも正史に記載されている内容を「事実かどうかは不明」として採用しないと決め付けた方が一般的ではないと思います。--そらみみ(会話) 2022年10月26日 (水) 01:17 (UTC)リンク追加--そらみみ(会話) 2022年10月26日 (水) 04:03 (UTC)