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ノート:定光寺

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歴代当主の納骨堂の存否

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中野(1977)に、1936年までに尾張徳川家の歴代当主の遺骨が定光寺に移されたという記述があるのですが、定光寺のHPなどを見ても該当する説明が見当たりません。そもそも別の寺(建中寺?)に納骨されているとか、その後別の場所に移された経緯があるとか、あるのでしょうか。もし文献で見かけた方は、加筆いただければ幸いです。--宇井木辺出夫会話2016年10月20日 (木) 15:10 (UTC)[返信]

そもそも尾張徳川家の菩提寺は、臨済宗の定光寺ではなく尾張藩第二代藩主徳川光友候が建立された浄土宗の建中寺です。 尾張藩の歴代藩主は建中寺のご廟所に埋葬されましたが、名古屋市の方針により建中寺から移動することになり、定光寺境内に隣接する尾張徳川家所有地内に納骨堂を建設して納骨されています。 定光寺に隣接する尾張徳川家所有地に藩祖のご廟所と納骨堂があり、定光寺が日常的な管理をしている関係です。 --AkiraHanai会話2017年7月5日 (水) 14:15 (UTC)[返信]

尾張徳川家の菩提寺は定光寺ではなく、建中寺

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マスコミの報道で、尾張徳川家の菩提寺である定光寺... という表記やアナウンスがありますが、尾張徳川家の菩提寺は浄土宗の建中寺であり、臨済宗妙心寺派の定光寺ではありません。 戦後の名古屋市の方針により強制的に建中寺から移転させられたため、現在は第二代藩主光友公廟のみが残っていますが、尾張藩の第二代以降の歴代藩主のご廟は建中寺に作られました。 定光寺(正確には定光寺境内に隣接する尾張徳川家所有地)には藩祖義直公のご廟があるため定光寺が菩提寺と誤解されているようですが、尾張徳川家関係者は定光寺が菩提寺であることを否定されています。 --AkiraHanai会話2017年7月5日 (水) 14:57 (UTC)[返信]