ノート:家永三郎
「学説の大多数も教科書検定制度は合憲とするこの判例結論を支持している。」
とあるが、通説となっているのか。具体的な名前を挙げたほうがわかりやすい。また、教育法上の観点からはどうなのかというあたりの記述が必要ではないか。
検定は合憲であるというのが判例通説と言ってよいでしょう。具体的な名前というのは憲法学者の名前のことでしょうか?故・芦辺東大教授や佐藤幸治京大名誉教授などの著書をごらんになってください。教科書検定を違憲とする学説を探すほうが難しいでしょう。
中立的な観点で書かれていない。左翼とか、権力者になりたかったとか、戦前・戦中「右」に偏りすぎたから戦後「左」に大きく偏ったとか、非難する文献しか使われていない。これらは何ら論証されていない。全面的な書き直しを求める。昭和天皇に進講したり、皇室と関係を持ったのは、戦後になってからであり、第二次世界大戦以前ではない。--kyoutarou
日垣隆や稲垣武の家永批判は客観的な事実に基づくものではない。中立的な観点が求められるウィキペディアにふさわしくない。削除を求める。--kyoutarou
思想的変遷の評価以下の記述は、家永に対する一方的非難であり、中立的な観点に反する。それを指摘したら、独自研究だとして削除するならば、ある人物に対する根拠のない記述がまかりとおってしまう。事実のみを書くべきである。--kyoutarou
「学説の大多数も教科書検定制度は合憲とするこの判例結論を支持している。」とあるが、芦辺東大教授は、家永側証人として、証言している。『憲法』(岩波書店)で、検定を違憲とした杉本判決を評価し、検定をことごとく認めた鈴木判決を批判しているので、この記述は不要である。。--kyoutarou
表現の自由を求める運動が海外において評価されたからこそ、ノーベル平和賞候補者に推薦されたのであり、出典は必要ない。--kyoutarou
- それは独自研究とみなされます。<出典は必要ない。後ノートには署名もお願いします。--目蒲東急之介 2009年6月16日 (火) 09:33 (UTC)
話題転換
[編集]細かいことですが来歴に
- 昭和21年(1945年)に文部省教科書編纂委員嘱託として歴史教科書の「くにのあゆみ」の執筆にあたった。
とあります。昭和21年は1946年です。これは、1945年が正しいのか、1946年なのかどちらなのでしょうか?詳しいかた検証よろしくお願いします。--Tkcom(会話) 2013年3月12日 (火) 13:00 (UTC)
『うれうべき教科書の問題』について
[編集]複数の書籍で、この冊子を取り上げて当時の教科書が「偏向」と非難された、という記述が見られますが、自分が知る限り、冊子の内容を直接引用して触れたものがありません。引用した書籍、ないしはこの冊子を直接出典とする記述によるフォローをお願いします。--Alexander Poskrebyshev(会話) 2016年1月28日 (木) 18:45 (UTC)
「評価」節について
[編集]本項の評価節には保守系知識人による、家永の言葉遣いに対する感情的批判に始まり、様々な非建設的な「評価」が羅列されていますが、これは中立性を損なうものであり、改善するべきだと思います。--Ryo 625(会話) 2018年12月29日 (土) 04:21 (UTC)