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ノート:富野由悠季

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初回放送時の視聴率について

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219.184.55.102さんが「ガンダムが打ち切られた理由は視聴率の低迷ではない」と書き込まれていましたが、初回放送時に視聴率が良くなかったというのは広く認知されていることです。キー局となった名古屋地区でも平均9.1%、関東地区で5.3%、全国平均5.6%だそうです。(因みに、視聴率は後になるにつれ、上がって行ったようです。なだらかな右肩上がりの上昇ではなく、打ち切りが決まった辺りからの急上昇。) 打ち切りになった事情は、確かにスポンサーの作ったおもちゃが期待したほど売れなかったためですが、視聴率は良かったということでもありません。後になって視聴率を引き上げた年齢層は、スタート時はあまり見ていませんでした。

そもそもあの当時、ロボットアニメはスポンサーの商品を売るためのCMみたいなもので、スポンサーは作品を見てくれる(おもちゃを買ってくれる)年齢層をうんと下に見積もっていました。(放送時間が夕方ということは、お母さんが夕飯の支度をしている時、子守りをするといったニュアンスが含まれていました。)子供相手のおもちゃは、頑丈さが第一義でした。ところが制作側がターゲットにした年齢層は、「子供は切り捨てた」と言ってはばからないくらい高かったので、スポンサーの目論みは全く外れてしまったわけです。スポンサーはやむなく撤退(打ち切り)を決めました。そして皮肉なことに、その頃から制作側がターゲットにした年齢層のファンがつき出したのです。

ですから、「不出来な商品を作るから売れなくて、せっかくの人気番組を打ち切りにした」と受け取られかねない記述はフェアではないと考え、削除させていただきました。この件に関してご意見のある方はお願いいたします。Niki 2006年7月26日 (水) 19:56 (UTC)[返信]

ガンダムは中盤から視聴率が盛り返し、次第に人気を得てそれなりに10%強の視聴率を得ていった。と近年のNHKBSの番組や氷川竜介等アニメ評論家の文献で記されているのですがどうなんでしょうか。視聴率が原因の打ち切りという分析は誤りであるというのが今日のアニメーション歴分析における通説のようですが。「不出来な商品を作るから売れなくて、せっかくの人気番組を打ち切りにした」これも私の感想ではなくて上記の打ち切り分析で何故人気番組でも打ち切られるのか云々の考察で述べられたことです。LDのブックレットや近年のガンダム分析本にも写真掲載の基、これじゃ売れないだろうとコメント付で数多く記載されるのを見ます。--219.184.55.102 2006年8月3日 (木) 01:21 (UTC)[返信]

219.184.55.102さん、ご意見ありがとうございます。いろいろ調べてみたのですが、私の手元にあってはっきりと出典を示せるガンダムの視聴率に関するかなり詳細な情報が載っているものは、ダイヤモンド社出版の『ガンダム神話』(著者:猪俣謙次 発行1995年)だけでした。ビデオリサーチとニールセンのものが載っていて、それによれば(括弧内ニールセン)、第1話3.0 (5.9)、第2話4.2 (4.2)、第3話3.3 (3.3)、第4話5.7 (3.4)、第5話4.9 (4.5)、第6話3.2 (3.2)、第7話1.9 (記載なし)、第8話3.6 (3.5)、第9話4.4 (5.3)、第10話4.2 (2.7)、第11話4.2 (3.3)、第12話3.1 (2.7)、第13話4.9 (3.5)、第14話3.4 (5.4)、第15話3.4 (3.3)、第16話4.0 (5.0)、第17話4.7 (4.1)、第18話4.2 (4.4)、第19話4.1 (2.4)、第20話4.0 (2.7)、第21話5.3 (3.4)、第22話3.9 (4.5)、第23話4.9 (4.3)、第24話5.0 (3.8)、第25話4.1 (4.3)、第26話6.4 (5.2)、第27話9.2 (5.9)、第28話9.1 (4.8)、第29話9.9 (6.5)、第30話5.9 (5.3)、第31話6.9 (6.4)、第32話7.1 (6.1)、第33話5.1 (4.6)、第34話5.7 (3.6)、第35話7.7 (6.1)、第36話7.0 (4.9)、第37話8.2 (5.6)、第38話6.4 (5.5)、第39話7.8 (5.6)、第40話4.7 (6.1)、第41話5.5 (5.4)、第42話6.8 (5.9)、第43話7.8 (7.6)だそうです。
こうしてみると、私自身の記述「打ち切りが決まった辺りからの急上昇」でさえ、多分に主観的であったと感じられます。氷川竜介氏の著作は私もいくつか持っているのですが、ちょっとすぐに確認できる場所になく、そういう記載があったかな?という状態です。NHKBSは見られる環境になく、どのような発言があったのか、私には分かりません。確かに言えることは、多分私の方が古いデータを元に話をしているだろうということです。ですから、最近別のデータが発掘されたとかの理由で、見方が変わって来た可能性はないわけではありません。
しかしながら、『ガンダム神話』には、「ガンダム・プラモデルの商品化権を得ようとバンダイが動き始めたのはTV作品『機動戦士ガンダム』の放映が中盤にさしかかった頃であった。この当時、ロボットものキャラクターグッズの主流は、変形合体機構を売りにしたダイカスト(亜鉛合金)製玩具、通称「超合金モデル」だった。ガンダムもメインスポンサーの玩具メーカー(株)クローバーによって、そういった種類の玩具をメインアイテムにセオリー通りの展開が行われていた。」という記述があり、クローバーがことさらに劣悪な商品を作っていたわけではないことがお分かりいただけるかと思います。ただ、「ガンダムはプラモデル展開があってこそ開花するキャラクター」だと思っていたのはバンダイであり、実際その通りになったわけですが。(対象年齢の問題ですね。プラモデルは大人でも作りますから。)
また、「ターゲットとした子供たちに見離され視聴率は低迷し、番組スポンサーの期待を裏ぎりつつあった『機動戦士ガンダム』に対して、バンダイ模型がなぜこれほどまで執着するのか、創通エージェンシーは知る由もなかった。」という記述もあって、関係者から「視聴率が低い」と認識されていた様子がうかがえます。別に、名古屋テレビの作ったWebサイトGUNDAM HOMEPAGE PROJECTでは、「当初視聴率は上がらなかったものの、放送終了後からの反響はすさまじく、再放送では20%台の視聴率を記録するなど、多くの若者の心を捕らえました。」(http://www.nbn.co.jp/gundam/about/t_about.html )との記載があり、文化庁メディア芸術プラザのanimeister vol.3 富野由悠季 作品データでは「今でこそアニメ史に残る作品として名高いが、放送当時は視聴率不振にあえぎ、人気が高まったのは再放送以降。」(http://plaza.bunka.go.jp/museum/mediaarts/200410tomino/sakuhin/tv.html )との記載があります。
私個人の記憶としては、「諸君が愛してくれた『ガンダム』は打ち切りになった。なぜだ?」「高校生や大学生が超合金ロボットを買うわけにはいかんだろ?」という小咄のようなやり取りが巷では囁かれていたように思います。今時の人なら出来さえ良ければ超合金ロボットでも何でも買うのかもしれませんが当時は、「良い歳した人間が自分のために買うには恥ずかしすぎる」という認識であったように思います。おそらくどんなに出来が良くても売れなかったでしょう。
よって、「スポンサーの展開した関連商品が売れなかったから打ち切りになった」が正しい表現であろうと思います。視聴率はファンが思うほど高くはなかったし、(と言うよりは、放送されていない土地に住む人間が放送されている土地に住んでいた友達からビデオ(やカセットテープ)を送ってもらって見る(聞く)とか、視聴率に現れない潜在的な視聴者層があったのかもしれません。)視聴者は、年齢的に、おもちゃを買って支持を表明できる立場になかったということだと思います。Niki 2006年8月10日 (木) 17:49 (UTC)[返信]
発端になった記述そのものが富野記事の領域を越えていると思います。記載自体を作品記事に移転することを提案します。つまりその種の検証はガンダムの記事でやってください。LR 2006年9月5日 (火) 00:26 (UTC)[返信]
了解しました。けれど、この件に関しては219.184.55.102さんが納得してくださったのであればこれで終了かも。もし再燃するようであれば『機動戦士ガンダム』の記事の方へ誘導します。Niki 2006年9月6日 (水) 13:31 (UTC)[返信]

この記述は必要ですか?

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8月24日に202.178.83.22さんが復元された文章をコメントアウトしました。この文章は、私がWikipediaに参加するようになった頃からありました。長いこと、ずっと悩んでいたのですが、思い切って削除したのは私です。
理由は、『だから 僕は…』が出版された時期があまりに古いためです。『だから 僕は…』は1981年に発行されており、当時富野氏は30代後半だったと思います。この時期までに富野氏が主導権を握って作れた作品数は高が知れており、また、若かった氏がその時期までに深くつきあった女性がヒロインのモデルになったのは不思議ではありません。しかし、今もなお同じ女性をモデルにしているか?と問われれば、これは大いに疑問が湧きます。その後に仕事や私生活上で出会った女性はかなりの数になるでしょうし、夫人に代表されるように、その女性より長くつきあうことになった女性も多くいると思います。
当時の作品に個別に「これは誰それがモデルであった」と書かれるならともかく、最近出されたエッセイやインタビュー中で「いまだにあの人をモデルにしている」とでも発言がない限りは、「1981年に出版された『だから 僕は…』の中では、当時のヒロインの多くは若かりし頃につきあいのあった「チョキ」というニックネームの女性をモデルとしていると記載されている」と、時期を限定して書くしかないのではないでしょうか? と言うか、そのような記述が果たして本当に必要でしょうか? どうでもいいプライバシーのような気がするのですが。Niki 2006年8月25日 (金) 19:00 (UTC)[返信]

ヒロインと言えば、作品世界の中にあって大きな意味をしめます。1981年というと初代ガンダムとイデオンの直後なので、氏の経歴の中では興味深い時期だと思います。自分としては、すなおに知らない情報だったので面白く感じました。また偉大なクリエイターを知ろう試みる中で、彼なり彼女なりが他人につまびらかにする異性の話は、プライベートにまつわる問題ではありますが興味をそそられる材料でもあります。私は消す必要があるほど意味がない情報とは感じませんでしたが、いかがでしょうか?--Baku13 2006年8月27日 (日) 15:48 (UTC)[返信]
Baku13さん、ご意見ありがとうございます。私も『逆襲のシャア』の時に、スタッフの発言として、「監督からミライさんの髪型、毛先にウェーブをかけてほしいと言われてそうしたんですが、後になって差し入れを持って来てくれた奥様を見たら同じ髪型だった」というのをアニメ誌で読んだ時は面白いなと思いました。富野氏が、夫人との出会いについて、「ニュータイプみたいな出会いだった」と語っていたのと相まって、「多分富野氏は、初対面であっても相手を胡散臭そうに、あるいは頭の天辺から足先まで値踏みするような目で見ない、むしろさりげなく歩み寄って一瞬にして相手のすべてを包み込んでくれるような人にニュータイプの理想を置いたんだろうな」と感じて興味深かったことはあります。
でも、初代ガンダムやイデオンの頃のヒロインとなると、(富野作品は登場人物が多いので、誰をその作品のヒロインと認定するかで一悶着起きそうな気もしますが)向こうっ気が強くて行動的で、まかり間違っても男の補佐になんか回ってくれそうもない(その当時の)今時の女の子って感じで、特にモデルがいるとは思わなかった、と言うか、「今時流行りの女の子」のイメージをヒロインに投影したのかなと思っていました。卵が先か鶏が先かの議論になってしまいそうですが、「チョキ」という女性の個性を面白がってヒロインのモデルにしたというよりは、これからはこういう女性像もありだなと考えてヒロインに据えたんじゃないかという気がするのです。
恋人だったからヒロインのモデルにしたのか、時代にマッチしていたからヒロイン像に取り入れたのか。私は後者だったんじゃないのかなと思っているのですがいかがでしょうか?Niki 2006年8月28日 (月) 19:33 (UTC)[返信]
他の意見投稿みられませんが、出典と発言時期が明記されている自伝からの記述を消すに足る理由になっているとは私は思えません。この「チョキ」という女性に関してウィキ内では該当記述以外に触れられていませんが、富野氏の著作で他の場面でも影響を言及している人物のようです。異説があるならそれを含める形ででもコメントアウト部を復活させる方を望みます。--Baku13 2006年9月1日 (金) 18:30 (UTC)[返信]
了解しました。それでは復活させることにいたしましょう。記述としてはいかがでしょうか? 元の「ヒロインの多くは若かりし頃に一緒に仕事をした女性「チョキ(その女性のあだ名)」を性格的なモデルとしていると本人は述べている(著書『だから 僕は…』参照。ただし、初版は1981年)。」という書き方が良いですか? それとも「1981年に出版された『だから 僕は…』の中では、当時のヒロインの多くは若かりし頃につきあいのあった「チョキ」というニックネームの女性をモデルとしていると記載されている」みたいに出典の出版時期が最初に分かった方が良いですか? あるいはもっと相応しいと思える表記の仕方がありますでしょうか?Niki 2006年9月2日 (土) 13:39 (UTC)[返信]
後者の方が良いかと思います。今回たまたま通りがかったノートだったのですが、氏のヒロイン像など面白い見方を拝見させていただき大変楽しめました。ヒロイン像などを加筆していけば、今回の部分もNikiさんにとって違和感がなくなってくるかもしれません。お疲れ様でした。謝辞失礼いたしました。--Baku13 2006年9月2日 (土) 14:45 (UTC)[返信]

コメントアウトされていた部分を、後者の記述で復活しました。Baku13さん、ご協力ありがとうございました。Niki 2006年9月3日 (日) 13:02 (UTC)[返信]

本文編集時にも書き添えましたが、著書『だから 僕は…』を読む限りでは、妻の名前「亜々子」は仮名のように見受けられます。また娘に関しては他分野で一定の業績のある人としての側面がありますが、知る限り無名である妻の名前までわざわざ記す必要性はあるでしょうか?瑣末かもしれませんが…。--Anexus6 2008年3月5日 (水) 01:25 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

富野由悠季」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月2日 (月) 03:41 (UTC)[返信]