ノート:寮歌

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若草萌ゆる[編集]

6月25日の編集で「若草萌ゆる」が代表的な寮歌の筆頭に書かれましたが、この曲は本当に「代表的な寮歌」と言えるでしょうか? 特に反論がなければ、近日中にrevertしようと思います。 --Hachikou 2005年6月25日 (土) 16:35 (UTC)[返信]

「若草萌ゆる」、「若草もゆる」のいずれでgoogle検索し、上位100件ずつを眺めてみましたが、皇學館大學の寮歌としてヒットしたのはわずかに6件、うち4件はryuujinn.vis.ne.jpのサイト、1件は皇學館大學関係者と思われる方のサイトでした。googleのヒットが絶対条件ではありませんが、これでは代表的な寮歌といえないと思います。 --Hachikou 2005年7月9日 (土) 14:52 (UTC)[返信]

「若草萌ゆる」そのものは皇學館大學の代表寮歌ではあるのでしょうが、そもそもの「代表的な寮歌」の基準が不明瞭である以上何ともいえません。 --雪解の泉 2007年6月29日 (金) 10:41 (UTC)[返信]

各校の代表寮歌は、『日本寮歌集』 などで各校が明記している場合もあれば、『旧制高校物語』(秦郁彦)・『平成の愛唱寮歌八十曲選』(尾崎良江) などを参照するしかない場合もありますが、ほぼ特定が可能と思います。一方、寮歌全体から見た場合の 「代表的な寮歌」 については、雪解の泉さんのおっしゃる通り、明確な基準は存在しません。この 「寮歌」 記事の初版を書いたのは私ですが、初版では 「代表的な寮歌」 の節に旧制高校の代表例として取りあえず一高二高三高のみを列挙し、各校の代表寮歌を挙げました。代表寮歌の詳細は書籍を参照してほしい、というスタンスでしたが、この節を設けたことにより、各校 (の後身校) 関係者による基準不明な追記を招く結果になりました。寮歌の一覧記事を後から作成しましたので、この節はもう不要かもしれません (あちらへの誘導を図りましたが、うまく機能していません。記事が長すぎて書き込みづらい面もあるので、各学校ごとに歌一覧記事を分けた方がいいのかもしれません)。--Hasec 2007年6月30日 (土) 17:46 (UTC)[返信]

それであればこの節は削除していいと思います。雪解の泉 2007年7月18日 (水) 15:59 (UTC)[返信]

日本寮歌振興会における「正会員」・「同志校」の区別について[編集]

  • "旧制高等学校・帝国大学予科38校に三商大予科・旅順工科大学予科を加えた42校が正会員、その他の高等教育機関は同志校" とする記述がなされていますが、昭和43年(1968年)7月23日発効の 「日本寮歌振興会規約」 には 「正会員」・「同志校」 の区別は存在しません。会員については第3条で 「旧制高等学校及びこれに準ずる学校の同窓会又は有志の集り」 と定義されているのみです。役員については第6条で 「会長 一名/副会長 一名  副委員長 一名  常任委員 若干名/実行委員 各校二名  監事 三名」 (この他に評議員が置かれます) と定められており、会員校は 2名の実行委員を送り込むことが求められています。実行委員以外の役員は総会で選任され、実行委員は各校で選任されます (第7条)。
    例として、一般公開最後となった第40回(2000年)日本寮歌祭当時の日本寮歌振興会役員・実行委員名簿を見ますと、42校以外に高等商船学校・東京高等師範学校・日本医科大学予科・陸軍士官学校・京都府立医科大学予科・長崎高等商業学校などからも常任委員が選任されています。実行委員は規約条文の通り、参加校から 2名ずつ送り込まれています (出典: 「第40回日本寮歌祭」パンフレット)。これを見る限り、「42校とそれ以外」 という区別はなされていないことがわかります。仮に、「常任委員以上に選ばれている学校が正会員」 と定義を狭めたとしても、上記の通り、42校以外が含まれることになります。
    「42校とそれ以外」 の区別が見られる文献は 『日本寮歌集』 ですが (平成3年新装版巻頭、神津康雄氏による 「序」参照)、これは初版が出版された昭和41年(1966年)当時の 「日本寮歌集編集委員会」 に参加したのが 42校であったことに由来するようです(巻末 591頁参照)。従って、「同志校は日本寮歌祭に参加を表明した同窓会であるが、同じ公立大学の大阪商科大学予科を正会員とし、京都府立医科大学予科を同志校とする根拠はかなり薄いと言わざるを得ない」 どころか、「日本寮歌振興会において正会員・同志校の区別が存在するかどうかすら疑わしい」 と言わざるを得ません。--Hasec 2007年6月21日 (木) 20:07 (UTC) 一部校名修正[返信]
  • (補足) 上に書いた、「日本寮歌振興会に "正会員42校とそれ以外" という区別があるのか」 という疑問ですが、これは寮歌界 (「寮歌祭」 を主催している諸団体) に、"第二次世界大戦終戦までに存在した旧制高等学校34校 (富山は1校と数える)+学習院高等科+帝国大学予科3校 (計38校) とそれ以外" という区別が存在することを否定するものではありません。長野県松本市にある 「旧制高等学校記念館」 は、また異なった範囲の学校を旧制高校に含めています (かなり古い資料ですが、参照)。ここでは 38校に官立大学予科3校を加えています (なぜか神宮皇學館大学予科が除かれています)。
    寮歌関係の書籍で、「42校とそれ以外」 という区別が読み取れるのは 『日本寮歌集』 (1991年新装版) および 『日本寮歌大全』 (1997年) ぐらいです。--Hasec 2007年6月23日 (土) 10:15 (UTC)[返信]

日本寮歌祭と日本寮歌振興会の区別について[編集]

  • 区別している例としてレコード盤の『日本寮歌大全集』があります。これはいわゆる42校のみの収録です。『日本寮歌祭』と『日本寮歌振興会』の構成員は異なります。
  • 第一『日本寮歌祭』発足時は、新制の学校も幅広く参加しており、決して旧制高等学校の集まりではなかったわけです。過去の歴史の中では、新制の高等学校が参加したこともありました。そして『日本寮歌祭』においては、正会員と同志校の区別はありません。
  • しかし『日本寮歌振興会』は、寮歌の出版、保存からかっては旧制高等学校復活運動まで行ってきた組織であり、かなり旧制高等学校とその類似校に特化した組織です。ここはしっかり区別したほうが良いと思います。(BI)
  • 上の#日本寮歌振興会における「正会員」・「同志校」の区別についてを書いた者ですが、「日本寮歌祭」 と 「日本寮歌振興会」 とを明確に区別すべきである、というBIさんのご意見には賛成です。「日本寮歌祭」 パンフレットでも、「日本寮歌祭運営委員」 と 「日本寮歌振興会役員」・「日本寮歌振興会実行委員」 とは区別されています。ただし、少なくとも私がパンフレットを所持している 1994年 (平成6年) 以降は、「日本寮歌祭」 の参加校と、「日本寮歌振興会」 実行委員の構成校は同じになっています (2001年以降の宴会式寮歌祭は除く)。「日本寮歌振興会」 役員に 42校以外が入っているのは前述の通りです。
  • つまり、「42校とそれ以外」 という区別は、『日本寮歌集』 の初版 (収録は42校のみ) が出版された 1966年(昭和41年)・レコード版 『日本寮歌大全集』 が制作された 1967年 (昭和42年) 当時の状況の反映であって、現在の 「日本寮歌振興会」 にはその区別がない、と考えられます (少なくとも規約上は。参加者の意識では区別がありそうですが)。現在の 「寮歌」 本文は、この 42校の区別が現存しているかのような記述のため、問題ありと考えております。
  • 『日本寮歌大全集』 CD版 (1991年 [平成3年]) の神津委員長による 「序」 では、旧制高等学校は 38校とされています。ここでは 「42校」 という括りは意識されず、収録対象は同志校を加えた 「日本寮歌祭参加58校」 となっています。「42校」 の括りが復活するのは 『日本寮歌大全』 (1997年 [平成9年]) です。--Hasec 2007年6月25日 (月) 19:10 (UTC) 一部修正--Hasec 2007年6月25日 (月) 19:20 (UTC)[返信]
  • (補足です) 「日本寮歌振興会」 の規約ですが、平成13年 (2001年) 4月1日から新しい規約に変わっていました (平成14年7月3日一部変更)。各校から 2名ずつ送り込まれていた 「実行委員」 や若干名置かれた 「常任委員」 が廃止されています。また、「委員長」 という名称は 「代表幹事」 に変わっています (出典: 2005年第45回日本寮歌祭パンフレット)。今後仮に 「日本寮歌振興会」 という記事を立てる方がおられましたら、時代によって規約が異なる点にはご留意いただきたいと思います。
    (ただし、気になっている点があります。日本寮歌祭パンフレットは図書館等に所蔵されていないようですので、果たしてWikipedia:検証可能性を満たす資料たりうるのか、ということです。日本寮歌振興会の規約は、『青春の譜 : 日本寮歌祭30年の歩み』 にも 『日本寮歌祭四十年史』 にも載せられていません。図書館等で誰でも閲覧できる資料に基づいて書き起こすなら、「42校が正会員」 という書き方になっても仕方ないかもしれません。)--Hasec 2007年6月26日 (火) 11:58 (UTC)[返信]
  • (さらに補足です) 「日本寮歌祭」 の過去のパンフレットですが、横浜・大倉山にある大倉精神文化研究所附属図書館の 「旧制高等学校文庫」 (閉架式) に、一部が所蔵されていることがわかりました (昭和42年 [1967年] の第7回から平成4年 [1992年] の第32回まで。途中欠番あり)。ここは無料の図書館で、誰でも閲覧が可能です。
    第7回パンフレットによれば、昭和42年時点 (『日本寮歌集』 初版発行の翌年) の 「日本寮歌振興会」 役員は、会長1名・委員長1名・常任委員16名・会計監事3名です (出身校は明記されていない)。同実行委員は、50校からの95人です (日本寮歌祭の運営委員はまた別にいます)。問題の 「42校」 以外からは、長崎高商・東亜同文書院・満州医大予科・陸士・海兵・拓殖大学・大東文化大学・秋川高校(新制) が実行委員に参加しています。実行委員名簿は、42校については北から南の地理順ですが、ほかの8校は末尾に列挙される形で、若干の区別を感じます。この時点ではまだ、「日本寮歌振興会規約」 はありません。
    「規約」 発効 (1968年7月23日) 後の第8回パンフレットでも、役員の人数は変わっていません (メンバーは一部替わっていますが)。実行委員は、「42校」 のほかに13校から参加しています (京都府立医大予科の初参加はこの回)。実行委員名簿は、第8回パンフではまだ 42校とそれ以外の区別が残っていますが、翌1969年の第9回パンフからは全校が地理順に変わっています (初参加の慈恵医大を除く)。--Hasec 2007年6月30日 (土) 18:34 (UTC)[返信]
  • 横槍です。すいません。平成3年度の『日本寮歌集』の『序』で、神津康雄氏が『同志校16校は1曲づつ』と述べておられることから、発行元の『日本寮歌振興会』においても、区分はされていたものと思われますが。(横槍)
  • 日本寮歌振興会の神津委員長は区別をされていたと思います。ただ、神津委員長は旧制高等学校を 「38校」 とされているケースが多いようです (例: 『日本寮歌祭四十年史』 の 「発刊にあたって」。『CD版 日本寮歌大全集』 の 「序」。『平成の愛唱寮歌八十曲選』 の 「序」 <ここでは、昭和42年のレコード版 『日本寮歌全集』 には 「旧制高校と三商大予科の代表寮歌四十二曲」 を収録、と述べられています。また、CD版 『日本寮歌大全集』 には 「十六校の同志校の方々にも協力」 をいただいた、とあります>。)。後から追加された 16校は 「旧制高校38校説」・「正会員42校説」 のいずれに立っても 「それ以外」 の範囲にあり、「同志校」 と呼ばれるのは自然です。誤解のないように申し上げますが、私が問題としているのは、「38校」 以外の 4校 (旅工大予科・三商大予科) の立場です。16校の 「同志校」 と この 4校に立場の違いがあるのかどうかです。
  • 神津委員長が 「38校とそれ以外」 という区別をされている他のケースを挙げておきます。
    『日本寮歌大全』 の 「序」。 ここでは、昭和42年の第7回日本寮歌祭に、「三十八の全旧制高校」 が 「同志十二校」 と共に集まった旨が述べられています。初版の 『日本寮歌集』 については、「全旧制高校と旅順工科大学予科、及び東京、神戸、大阪三商大予科四十二校の寮歌二七○曲を収録」 と述べられています。ここで神津委員長が 4校を 「旧制高校」 ではなく、むしろ 「同志校」 として扱われているのは明らかです。--Hasec 2007年6月27日 (水) 16:23 (UTC) 一部修正--Hasec 2007年6月27日 (水) 16:34 (UTC)[返信]