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ノート:山の音

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意味不明な関連項目

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関連項目のうち、大賀ハスクロユリ卒塔婆小町には何の関係があるのか、本文を読んでもまったく不明です。また、本作品には太平洋戦争が重要な背景になっていることは明らかですが、作品で語られる同時代のできごととはいえ、朝鮮戦争の方も何か関係があるのか?とこちらも疑問です。--Loasa会話2015年7月4日 (土) 14:24 (UTC)[返信]

Loasaさん、こんにちは。

まず「黒百合」についてですが、これは『山の音』の中でも特に秀逸な描写として、論者からよく取り上げられる場面(菊子が能面を付けながら涙を流すところ)の始めに出てくるキーポイントの花となっています。
菊子は黒百合を持って主人公・信吾のいる座敷にやって来ますが、この黒百合について3頁ほどの2人の語りがあり、信吾が黒百合の匂いを「いやな女の、生臭い匂いだな」と言います。そして菊子は信吾の示した慈童面(美少年の面。女ではない面)を付けますが、そこには川端康成の求める女性像が表われているものとして、文学的に論究される描写なので、一応「黒百合」というアイテムだけでも関連項目に入れておこうと思って書いておきました。
本当は、菊子という名前との関連を鶴田欣也谷口幸代から指摘されている謡曲の「菊慈童」(美少年)を関連項目に入れたかったのですが、Wikipediaの項目にはないので、この場面を印象づけるものとして「黒百合」としましたが、意味不明となっているなら削っても構いません。
卒塔婆小町」については、これも同じ場面の中で、慈童面を付けた菊子を見ながら、信吾がそれを買って帰った日に、慈童面に接吻しそうになったことを思い出し、「埋木なれども、心の花のまだあれば……」という謡曲『卒塔婆小町』の一節を密かにつぶやくところがあります。
これは、信吾が小野小町の老いに自身を重ね、その後に続く小町の一節、「手向けになどかならざらん」が、慈童面の菊子に向っているのを暗示させているものとして村松剛などから指摘されています。
大賀ハス」については、信吾が関心を持ったものとして、作中に2度ほど「花開く二千年前の蓮」として千葉公園の蓮について言及している場面があります。眠っていた日本古来の花が咲くということが、この小説のテーマともリンクしていると思われるので(いろいろな作品論を見ましたが、このことに触れている人もいたような気がします)、一応関連項目に入れておきました。
朝鮮戦争」については、『山の音』執筆当時の朝鮮戦争情勢との関連から、「朝の水」の章あたり以降、作中で社会批判的な言及が強まっていることが越智治雄などから指摘されています。--みしまるもも会話2015年7月5日 (日) 04:41 (UTC)[返信]
「大賀ハス」についての論文はこれでした。[1] --みしまるもも会話2015年7月5日 (日) 05:55 (UTC)[返信]
  • ご回答ありがとうございます。先日「山の音」を図書館で読んでみました。実をいうと私は長編小説が苦手でして、SF・アクション・サスペンス・推理もの等テンポの早い小説ならまだしも、いかにも日本的な私小説風の長編なんて手に取るだけで気が重くなる質でして(笑)普段なら目もくれないのですが、小説を一度も読まずあれこれ言うのもよろしくないと思ったので、思い切って読んでみました。いやあ、意外にもすらすらと、途中で眠くなったり本を放り出したくなったりすることもなく最後まで読めました。さすがは世界のカワバタです。まあ本記事で紹介されている評論家たちのような深い読み込みはとてもできませんが。
ところで個人的な感想はともかく、大賀ハスクロユリ卒塔婆小町がいずれも研究者による重要な論考ポイントとなっているならば、それらに関しても本文に加筆していただいた方がよいと思います。実際に自分で読んでみても、クロユリに関してはたしかに強い象徴的意味合いがあるように感じました(大賀ハスについては象徴的意味合いがわからなかったのですが)。塚谷裕一が「山の音」にまったく言及していないのが不思議なくらいです(『漱石の白くない白百合』にはクロユリの章もあるのですが)。ぜひともよろしくお願いします。
一方、朝鮮戦争との関連は、低空飛行する米軍機の描写部分以外には私には読み取れませんでした。たしかにGIの描写があったり、戦争体験で「心の負傷兵」となった修一やその浮気相手の戦争未亡人などは重要な存在ですが、それはむしろGHQ太平洋戦争に関することで、朝鮮戦争との直接的な関連性は見出せませんでした。こちらも朝鮮戦争との関連を論じている論考の紹介をお願いしたいと思います。--Loasa会話2015年7月15日 (水) 05:48 (UTC)[返信]


とりあえずは現在、関連項目内で簡単に補足付記してありますが、折を見て徐々に本文の中に加筆していきます。

朝鮮戦争に関しては、修一が信吾との会話の中で、「今も新しい戦争が僕らを追っかけて来ているのかもしれない」という箇所に見受けられます。また、新聞記事の挿入という形で、家出した日本漕艇協会副会長が孫に宛てた遺書の、「日本の独立の日は近くなったが、前途は暗澹たるものだ。戦争の惨禍におびえた若い学生が、平和を望むなら、ガンジイのような無抵抗主義に徹底しなければだめだ。自分の信ずる正しい道に進み、指導するには、余りに年を取り過ぎ、力が足りなくなった」という文言に盛り込まれていることが指摘されていますので、これも後日加筆していきたいと思います。--みしまるもも会話2015年7月16日 (木) 05:18 (UTC)[返信]