ノート:山本権兵衛
この記事は2007年6月9日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
権兵衛の読みは?
[編集]昭和30年代後半、私の父が高校で日本史を習っていたとき、先生から山本権兵衛はあるとき記者に「山本ごんべえ閣下」と呼ばれてぶちきれ、「わしはごんのひょうえじゃ!」と怒った、という話を聞いたそうです。
ところが私はその後どこでも、日本近代史専攻の友人からもちっともそんな話を聞かず、ものの本でも「ごんべえ」しかみたことがありませんでした。
ところが、ここには「ごんのひょうえ」とあるではありませんか!ぜひ、由来をお聞かせ願いたいものです。 --Aboshi 15:58 2004年6月14日 (UTC)拝
- もともとは「ゴンベェ」だったのを本人が「ゴンノヒョウエ」と読ませるようにしたようですが。0null0 16:25 2004年6月14日 (UTC)
- その時歴史が動いたという番組で「ごんびょうえ」というのが正しいと聞いたことがありますが、皆が「ごんべえ、ごんべえ」いっているのでごんべえでいいやということでごんべえにしたというのを聞いたことがあります。--218.230.89.18 2004年10月25日 (月) 05:53 (UTC)
- ひとまず。ここまでいえる読みは「ごんべえ」「ごんのひょうえ」「ごんびょうえ」の3つ上がったのでそれを付け足しておきます。--218.230.95.130 2004年12月5日 (日) 02:34 (UTC)
- 元々は「ごんべえ」だったのですが、いつ頃からか「ごんのひょうえ」と名乗ったというのが正解です。実際、若い時の英語の署名は「Gombey」となっています。--2005年9月2日(金)01:10(UTC)
- 首相になったとき(?)に「我輩は山本ごんのひょうえである」と宣言した。本名はごんべえだが、本人は非常に苦にしていたらしい。 --忠太 2005年12月5日 (月) 17:25 (UTC)
- 退役した海軍士官の会の会誌「有終」(昭和9年2月5日号)の中に、「……浅井将秀氏より聴取したという山本英輔大将のお話にて、一掃する事が出来た。『そもそも故大将のお名前はゴンベエであったのであるが、水交社内に鎮座まします水交神社の祭典の際、当時の水交社社長山本大臣の名前を神主が祝詞を読み上げる際にゴンベエでは語呂が悪いので、ゴンノヒョウエと読み上げたのがその起こりで、たまたまそのいずれかを大将に問わるる人もありたれど、その都度叱りつけらるるのみで答えられないから、爾来自他共にゴンノヒョウエを通称しておった。(中略)所が総理大臣たりし際、条約文に署名せねばならなかったので、若年時代より近側に侍りし浅井氏が必要に迫られ大将に伺いし所、ゴンベエが本称である事を自白されたとの事である。』」と有りますので「ごんべえ」が正しい様です。--薩摩隼人 2006年8月28日 (月) 07:08 (UTC)
- 「ごんのひょうえ」を公称とすることを希望します。確かに本称は「ごんべえ」だったかもしれません。異議はありません。しかし、山本権兵衛の功績は特に(海軍関係では)筆舌に尽くしがたいものがあるのもまた事実です。公職に就いている者として然るべき読みが必要とのご本人の判断だと推察致します。それをふまえて、権兵衛本人が「ごんのひょうえ」を望んだのだとしたら、それに応えるのもまた、「答え」の一つではないかと拝察致します。上記、若い時の英語の署名が「Gombey」だった、ゴンベエが本称である事を自白された、という「物証」が存在するのは承知の上での発言です。--Akkus 2011年3月31日 (木) 00:52 (UTC)
大幅加筆しました。
[編集]- 記事の削除は一切していませんが、特に業績は、大臣になる前、海軍大臣そして総理としての各時代ごとに明確になるように整理しました。
- 公平な批判も載せました。日本海海戦の結果を知っている現代では批判の方が間違っていたと判断出来るのですが、
当時のマスコミなどが批判していた事実を記載することによって、中立性の高い記事にしたいと考えております。--Kumasun2 2010年5月8日 (土) 19:47 (UTC)
元老
[編集]- 『元老の候補として何度も名前が挙げられたが、西園寺公望の反対により実現しなかったとも言われる。』に出典明記の注意が付いています。
私の記事ではありませんが、西園寺が他の元老の候補者を挙げられても、一切同意せずに、ついには元老制度をなくしたのは歴史的事実です。 元老重臣会議など複数の記事に同様の記載があります。各参考文献まで揚げての記事であり、本件だけに出典明記を要求する根拠は不明です。 山本権兵衛が、元老が亡くなる度に、何度も新聞などで、元老の候補に挙げられたことは江藤淳の研究などで明らかです。
①元老の候補に挙げられた②西園寺が賛成しなかったことは検証可能な事実です。したがって、
『元老の候補として何度も名前が挙げられたが、元老になることはなく、元老は西園寺公望の死亡によって消滅した。』という表記に改めました。--Kumasun2 2010年5月8日 (土) 22:39 (UTC)
質問の告知について
[編集]記事中、山本が次官であったことが何度も触れられていますが、そのような事実はあったでしょうか?山本は軍務局長の後すぐ大臣に就任しているかと思うのですが。山本が大臣就任以前の歴代次官は樺山資紀、伊藤雋吉などで、ついで斎藤実とされています(『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』)。これは海軍次官とも矛盾はないのですが、山本の記事では導入、概要そして「本省勤務から次官まで」と節が設けられています。
山本が次官に就任したとする資料があるのでしょうか?修正したいのですが、閲覧者も多い記事ですので予め質問し、確認してからのこととしました。1月ほど様子を見たいと思います。--Stingfield 2011年3月11日 (金) 16:13 (UTC)
- 出典が示されないため次官就任について記述を訂正しました。なお『日本海軍史』(9巻)、『日本陸海軍の制度・組織・人事』、『日本陸海軍人名辞典』、『海軍経営者 山本権兵衛』についても確認しましたが、いずれも山本を次官とするものはなかったことを付記します。--Stingfield 2011年4月10日 (日) 09:40 (UTC)
聖マイケル・聖ジョージ勲章の受勲日について。
[編集]イギリスの官報によれば、受勲は1907年の5月初旬です("No. 11932". The Edinburgh Gazette (英語). 10 May 1907. p. 493. 2016年1月8日閲覧。)。7日に玉璽が押され10日に官報で告示されたのだと思いますが、現在出典として付されている日本の官報の「9月21日」というのは何の日なのでしょうか?―霧木諒二(会話) 2016年1月8日 (金) 15:52 (UTC)
冒頭定義の「武士」を加える編集
[編集]直近の利用者:坂牧源太(会話 / 投稿記録 / 記録)氏の冒頭定義に武士を加える編集に付き差し戻しを提案します。冒頭定義で武士と定義することの問題点の議論についてはプロジェクト‐ノート:日本史の方をご参照いただけると幸いですが、そもそも当該編集を行ったIP:2400:4051:85A0:2F10:0:0:0:0/64(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)=利用者:坂牧源太(会話 / 投稿記録 / 記録)氏は合意形成を放棄して一方的に冒頭部に武士を加える編集を行うことで投稿ブロックが繰り返されている人物であるため、合意形成があるまで彼の編集はひとまず削除されるべきと考えます。--Tronbone77(会話) 2021年9月15日 (水) 05:03 (UTC)
- 差し戻しました。再び合意形成前に同じ編集を行わないようお願いします--Tronbone77(会話) 2021年9月16日 (木) 00:43 (UTC)