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ノート:山本登喜子

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個人のプライバシー

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緊急性が高いと判断し、大幅削除しましたのでノートに明記します。 手順を省略したのはすべて私の責任です。

  • 山本夫人の項目があること自体にも問題はあると考えますが、歴史に残る功績は山本伯爵のほうであり、ご夫人本人は、山本伯爵のご夫人として名前が残っているに過ぎません。
  • 過去の記事は、実父の名前さえ不確なのに、その職業を水飲み百姓などとワザワザ明記しています。
  • 特に総理、海軍大将及び伯爵夫人であった夫人の生い立ちを明かに貶める記述が満載でした。
  • 参考文献に一冊挙げておられますが、興味本位で故人のプライバシーをここまで事典に載せる必要不可欠なものとは到底同意出来ません。
  • 江藤淳の小説「海は甦る」にも同様の記述はあるとはいえ、全て本人死後の記述であり、反論出来ない故人への記述にも節度ある対応が必要でしょう。

--Kumasun2 2010年5月6日 (木) 20:58 (UTC)[返信]

自らが気に入らないからといきなり丸々削除するやり方は不当。--124.155.34.107 2010年5月14日 (金) 14:26 (UTC)[返信]
やり方が不当には同意。しかし、議論無しに元に戻すのは、同じく不当になる。ウィキペディアはゴシップ雑誌ではありません、事典です。Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)をご参照して、歴史事実として事典に記述すべき内容なのか、物語を面白くするための検証不能な作家の創作部分をことさら、本文に冗長に記述する必要があるのか、議論の上訂正すべき点は訂正しましょう。--68.227.233.11 2010年5月14日 (金) 15:56 (UTC)[返信]
  • 断って置きますが、当方は丸々削除されたので一旦戻し、且つ出典を明示しただけです。
    先ず父親の名前は千早正隆氏の「海軍経営者 山本権兵衛」に敬蔵とありました。他の資料では鹿助となっていましたので、両論併記の形をとりました。次に箸屋に売られた経緯は生出寿氏の著書にありましたが、父が病気となり収入がなくなったという点は見当たりませんでした。箸屋足抜けの経緯と月給の件は出典を示した通り生出氏の著書に載っています。夜這いしたかどうかについては要出典を貼り付けたのは当方でして、手持ちの資料では確認出来ませんでした。また堀某についても確認出来ませんでしたので現状通り要出典のままでいいかと。当方が示した出典部分が生出氏の創作であるかどうかは今後の議論に委ねます。先に事実かどうか検証の上、改めて記述するかしないか議論した方がいいと思います。--124.155.34.107 2010年5月15日 (土) 13:46 (UTC)[返信]

コメント

  1. 父親の名前ですが、夫の山本氏の正伝としては「伯爵山本権兵衛伝」山本伝記編集会編がありますが、これは当時の公的資料を調査の上、『鹿助』と明記されています。又、甥の山本英輔著の「山本権兵衛」(時事通信社)でも同じ表記です。私の知る限り千早氏の上記著作以外に別名はなく、千早氏の誤記または、校正忘れかと容易に推察されます。本人が同書のあとがきで『種本は殆どが「伯爵山本権兵衛伝」山本伝記編集会編だと明言していることからも明らかです。以上の理由から「鹿助」を用いるのが妥当でしょう。
  2. 『父が病気となり収入がなくなったという点は見当たりませんでした。』とのことですが、最初の執筆者では無い場合でも本文を復活させた執筆者に検証責任がありますので、検証出来ない場合はこの部分の削除並びにその他の復活された文章中で検証出来ない部分の削除をお願いします。
  3. 生出寿の「著作の資料としての信頼性」に関しますと、参考資料に上げられている著作は、独自の緻密な調査・研究の内容が見当たらず、既に発行されている各種の書籍を参考に風評や著者の独断的な内容を加えたフィクション本と言えましょう。名前を明記しない『同僚数名』、出典を明記しない『~と伝わる』、姓名不詳の『堀某という人物』という表現を含む文章は、出典として出す資料としての信頼性の根拠を、根底から崩すものです。ご存知とは思いますが、本に載っているからすべての記述が出典になるのではありません。『百科事典の記事としてふさわしい内容』であることが必要でしょう。
  4. 『箸屋に売られた経緯』及び『箸屋足抜けの経緯と月給の件』は出典を示した通り生出氏の著書に載っていますとのですが、上記3.で説明したとおり本書の該当出典部分の信頼性に疑問が生じます。小説やフィクション本以外での公式資料には全く無いところから、生出氏を含む海軍関係者の一部に伝わる、山本大将の奥様の生い立ちに関する中立性の無い悪意ある噂だと判断すべきでしょう。読者に喜んでもらう為にただの噂を書いての営業行為は著者の勝手ですが、すでに述べたように客観的資料として用いることに疑問がある内容を、百科事典の本文記事に記載することは不適切であり、どうしてもその内容を本文記事に残すだけの客観的な意義が見出せない限り、本文からの削除が妥当だと思います。--68.227.233.11 2010年5月15日 (土) 18:30 (UTC)[返信]
公式資料にないからフィクションであると断定するのは早計。もっと客観的に検証されるべきでしょう。「山本大将の奥様の生い立ちに関する中立性の無い悪意ある噂だと判断すべき」これは貴方の主観に基づいた決め付けに過ぎません。--124.155.34.107 2010年5月16日 (日) 13:49 (UTC)[返信]
もしかすると要検証を要出典と同じと考えていませんか?要出典なら出典先を明記すればそれで良いですが、要検証は、その資料を検査して本文記事に載せるに足る信頼性があるか否かを判断する必要があるのです。私の検証は上記のとおりですが、批判するなら「フィクションでない客観的な理由」「フィクションの疑いがある資料でも出典にする理由」「事典に載せるべき信頼性の高い資料と判断する理由又は、信頼性がどうであろうと本に書いてあれば何でも本文記事に載せるべきか?」を含めた、貴方の主観に基づかない、決め付けでもない、断定でもない手法で、執筆者としての異なる検証結果をお示し下さい。--68.227.233.11 2010年5月16日 (日) 15:12 (UTC)[返信]
  • 生い立ちについて米沢藤良氏の著作にも生出氏の著作と同様の記述がありました。
    この件について当方は全くのフィクションや出鱈目だとは思っていませんが、十分な裏付けがないのもまた事実ですので現時点での不記載に同意致します。--124.155.34.107 2010年5月18日 (火) 11:12 (UTC)[返信]
コメント ありがとうございます。タグを除去しました。
コメント『明治大臣の夫人』は岩崎徂堂(本名:岩崎 勝三郎)の著作で間違いありませんが、出版社は『東京大学館』では無く、『大学館』です。また、初版発行は明治36年ですが、4月では無く、3月です。初版を明治のゴシップ書の一つとして蔵書に持っております。
以下に本書を百科事典の記事の出典(信頼出来る資料)にすべきでない点を上げます。
  1. 出典も参考文献も何も上げておらず、著者のフィクションおよび独断的見解および表記が多い。
  2. 夫人の記述の順番が谷干城、伊藤博文、後藤象次郎、佐野常民と続き客観性が全く無く恣意的でり、資料性に乏しい。
  3. 全体に一人の夫人に4ページから5ページの記述であり、山県有朋の夫人でも5ページなのに、薩摩閥の大山巌、西郷従道及び山本権兵衛の各夫人にはほぼ15ページにわたる三倍もの記述をしており、他の長州閥その他の夫人に比べて、薩摩閥への作者の異常な執着が感じられる。
  4. 観てきたような表現と記述が多々あり、フィクションと断点される。例えば山本夫人の記述の71ページでは、『スルスルと~松に手をかけて、ヒラリと~忍び入った。』という表現など、ただのフィクション小説である。(講談又は物語的な語り口が多い。)
  5. ここに上げられている大臣達の公式伝記に本書は一切、参考文献としてあげられていない。
  6. 奇書・ゴシップ・フィクションの内容は百科事典のウィキペディアの本文にふさわしくない。
本書の内容を載せるならば、百科事典にふさわしくない内容がありますというテンプレートを再度貼り付ける必要があると思います。--68.227.233.11 2010年5月20日 (木) 18:14 (UTC)[返信]

平民の三女という記述は不要?

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(実名も出さないのに「平民の三女」等と言う記述は不要)として、『平民の三女として育つ』という記述を削除されております。

  1. 父親の実名は、上でも述べておりますとおり、実父の名前が以前は異なる二つの名前が記載されており、その時は手持ちの資料が書斎になかったので、正確な実名を載せませんでした。蔵書の中から数冊で検証して正確な実名が分りましたので、父親の名前と共に編集します。
  2. 現在の感覚では平民といういうと差別のようなお気持ちかも知れませんが、当時は皇族、貴族、士族及び平民という区別が存在しており、山本総理は薩摩閥の士族であり、当時の殆どの士族が、同じ士族の息女と結婚している中で、平民の息女と結婚している事実は、事典に特記する事実だとおもいます。また、平民出身だからと言って総理夫人を貶めることにはならず、六人の子供をすべて成人させ、伯爵夫人になったことは記事のとおりです。
  3. 記事の編集へのご参加ありがとうございます。--Kumasun2 2010年5月9日 (日) 17:57 (UTC)[返信]