ノート:山東出兵
ここは記事「山東出兵」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
話題
[編集]「第二次山東出兵」の部分について、とりあえず気がついた問題点を指摘しておきます。
>しかし、北伐軍兵士が日本人の家を略奪したため、警備をしていた日本軍と銃撃戦が起こった。
これは日本側の見解ですね。中国側では、「日本軍による中国人の射殺」をきっかけとして主張しています(蒋介石秘録)。一般の歴史書では、両論併記で、発端不明というのが大勢だと思います。
>ところが、ここで蒋介石に「日本軍が中国人を虐殺している」との出自不明の情報がもたらされ
同じく「蒋介石秘録」によれば、調査に出向いた「副官」が、「われわれの同胞二人が、日本兵に刺殺され、路上にころがっていました」と報告した、とのことです。ここには「虐殺」の文字は見えませんし、また「出所不明」とまで決め付ける根拠も不明です。
>激怒した蒋介石は日本人12名を殺害させる済南事件(5月1日)が発生した。
まるで蒋介石が「日本人12名」の殺害を命じたかのような表現ですが、そのような事実はありません。「南軍兵士の暴走」との見方が普通でしょう。現場の日本側軍人の中には、南軍兵士ではなく匪賊や暴徒の仕業ではないか、と推定している人もいました。(佐々木中佐、岡田少尉)
また、「12名殺害事件」のことを「済南事件」と定義するのであれば(一般的には「日中双方に被害者が出た日中武力衝突事件」と位置づけるのが普通だと思いますが)、「五月一日」は間違いですね。
>日本軍は市内に2千人いる日本人保護のために済南に侵攻、5月11日には済南全域を攻略した。
済南市攻撃の結果、民間人を含む数千名の死者が発生したようです。これはもはや「居留民保護の限界を逸脱した措置」(邵建国氏「済南事件の再検討」=「九州史学」第93号)と見るのが妥当ではないかと思います。
>年内中に蒋介石は北伐を完成させぬまま終了し
翌六月には蒋介石軍は北京に入城しており、蒋介石秘録によれば、「全国統一のための北伐は、東北をのこしてここに事実上の完成をみた」(第8巻P86)とのことです。「北伐を完成させぬまま終了し」とは、どのような論拠に基くものでしょうか?
以上、ちょっと気がついただけでも、この文、基本的な史実すら押さえていない、問題だらけの代物です。他の部分は私自身まだ知識が不十分ですのでコメントしませんが、残りもこのような調子であるとしたら、これはちょっと困り者ですね。
一度項目を抹消して、全面書き換えを行ってはいかがでしょうか?
Matunami 2005年8月31日 (水) 13:24 (UTC)
- ご意見がありましたので、中立議論の必要ありとみなしました。--202.248.88.177 2006年1月27日 (金) 05:27 (UTC)
日本の国家体制をファシズムと断定するくだりを削除しました。ファシズムの記事でも見られるように、日本の国家体制を「ファシズム」ではなく、単に「軍国主義」と呼ばれることが多いという観点を考慮したものです。--以上の署名のないコメントは、220.41.10.113(会話/Whois)さんが 2006年7月8日 (土) 05:06 (UTC) に投稿したものです。
※疑問
「蒋介石秘録」の評価はどのようなものなのですか?参考文献としての信憑性はどの程度あるのですか?客観的に見て蒋介石の秘録ならば国民党あるいは蒋介石に有利な事を記載すると思うのですが?--以上の署名のないコメントは、219.90.220.216(会話/Whois)さんが 2006年10月5日 (木) 12:49 (UTC) に投稿したものです。
- 一般論としては、「数多い史料のひとつ」という評価になると思います。正しい部分もあり、間違った部分もあり、です(参考までに、サンケイ新聞社から発行されている本ですね)。しかし、具体的に、どこがどのように「疑問」ですか? 私はこのテーマに関する国内の文献はほとんど抑え、史料批判を行った上で上の文を書いています。もう少し具体的に疑問点を書いていただかないと、お答えのしようがありません。ゆう(matunami) 2006年10月13日 (金) 21:56 (UTC)
「展開」項目の編集について
[編集]山東出兵の記事について、「これらの出兵は日本人と日本権益保護の目的が明白であり、規律も正しかったこと、当時の国際常識からも妥当であったこと、展開・撤収が迅速であったことからも、国際世論からも特に批判されることは無く、逆に日本を支持する論調もあった」という記述に関して、ソースが見当たらず独自研究の疑いがあるので要出典とした所、ソースを追加してくださった方がいらっしゃったので参考にした所、リンク先である山東出兵①/クリック20世紀 における著書の引用部分には「英米から歓迎された」という記述は確認できるものの、世界中から妥当であるとみなされた、かのような記述は見当たりません。また著書に書かれてあったことを全て事実として認定してよいのか疑問です。--豪烈 2009年5月31日 (日) 13:29 (UTC)
- 確かに前者についてはその通りですね。「英米から歓迎された」と書き直すべきかもしれません。
- 日本人と日本権益保護の目的が明白についても出展を求めているようですが、「日本権益保護の目的が明白」と「真の狙いは、満州・華北に革命が波及することをふせぐこと」は矛盾しません。日本の権益はそちらが大きいわけで、戦略的に見れば、山東に出兵して現地の権益を保護し、北伐を停止させて満州・華北の権益も保護できるわけです。違うでしょうか?
- 後者の中村政則については、もし信頼できないとする場合は、そのようなソースの提示義務は豪烈氏にあると思われます。--R-H 2009年5月31日 (日) 14:56 (UTC)
- 分かりやすい説明ありがとうございます。矛盾はしない、納得できました。著者の中村政則氏が信頼できないと主張しているわけではないです。ただ一応著者の主観かと思うので、「中村政則によれば」「中村政則は、~としている」等の記述を挟んだ方がよろしいかと思いまして。文体が壊れるなら入れなくてもいいですが。拙い文章ですが、「これらの出兵は日本人と日本権益の保護を目的としていて、中国民族主義の伸長を恐れる英米も無条件で歓迎した。」のような形でいいかなと思いますが、どうでしょうか?--豪烈 2009年5月31日 (日) 15:27 (UTC)
- 現状ではめぼしい出展も他になく、そのような記載でよいと思います。注意を要するのは、クリック20世紀のページは第一次山東出兵のページであることです。(第二次・第三次のページではとくに国際関係に関する記述が見つかりませんでした。)展開の節から第一次出兵の節に転記したほうがよいかもしれません。図書館で一度文献読んだほうがよさそうですねぇ・・・--R-H 2009年5月31日 (日) 15:55 (UTC)
- 了解しました--豪烈 2009年5月31日 (日) 15:59 (UTC)