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ノート:山背大兄王

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>当時の天皇は長男による世襲制度ではなく、天皇の一族から天皇となるべく相応しい人格者が後継として選ばれている。その具体的判断基準は、年齢や天皇からの血縁の濃さ等が重視されている。これは天皇家の権力が絶対ではなく、あくまでも諸豪族を束ねる長(おさ)としての立場であり、その結果として血筋よりも実力が優先されたのである。

これは一見、用明天皇の嫡流で前皇太子である聖徳太子の子である山背大兄が世襲であれば皇位に就けたように見えるが、実は欽明天皇の長男は敏達天皇(用明の異母兄)で、その長男が押坂彦人大兄皇子、更にその嫡男が舒明天皇なのだから、世襲の観点で見ても舒明の方が有力だったと言う結論になるのだが?--163.139.28.49 2006年2月21日 (火) 02:14 (UTC)[返信]