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ノート:張粛 (後漢)

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三国志の登場人物に関する「Category:漢代の人物」掲載基準については、同カテゴリーを参照してください。なお、議論については以下のようにお願いいたします。

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張粛の字について

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一旦除去しましたが、君矯とされています。日本語版で出典はなかったですが、中国語版を見るに『華陽国志』が出典で、コーエーのゲーム作品でも採用されているようです。ただその華陽国志の記述ですがどうも、劉備が「君矯殺吾內主乎!」と叫んだだけのようです[1]。私は邦訳に自信がないので個人サイトを引用しますが、この「君矯」を張粛の字ではなく、「君は我が内主を矯めて殺した」[2]と訳す向きもあり、韓国語版[3](なおのこと分からないので機械翻訳を見ただけですが)にも同様の疑義があるようです。確かに他に1箇所も出てこない張粛の字がここで唐突に出てくるのは違和感が強いです。漢文の訳に堪能な方のご意見を賜われれば幸いです。--鳴海会話2024年2月15日 (木) 01:36 (UTC)[返信]

中林史朗氏訳『完訳 華陽国志』(志学社)では「君矯殺吾內主乎」を、「お前は私の内臣を偽り殺したのか」と訳しています。また翻訳とは関係ない話ですが、同書の目録では張表・張粛・張松についての言及がありますが、張粛のみ字は記していません。つまり華陽国志は"張粛の字は不明"と見なしているわけであり、やはり君矯を字と見るべきではないと思います。--鳴海会話2024年3月25日 (月) 18:19 (UTC)[返信]