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ノート:強制労働

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  • ウイリアム・ニンモ著『検証-シベリア抑留』
ソ連によるシベリア抑留では、終戦後、約107万人の日本人が強制労働に従事させられ、約34万人が過酷な環境で死亡した。

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月18日 (日) 09:27 (UTC)[返信]

ノートにカキコミしてすぐに除去するのは乱暴です。{{要ページ番号}}を添付してください。というわけで、差し戻しておきます。--Takabeg会話2015年10月21日 (水) 06:46 (UTC)[返信]
ノートに書き残しておけば記述を除去しても後で出典やページ番号を見つけて記載することができます。他の利用者を考慮してのことであり、乱暴ではありません。出典の揃っていない記述をすぐに除去することもルール上問題ありません。--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月21日 (水) 10:14 (UTC)[返信]
ご自身でルールを決める必要はありません。ウィキペディアにはガイドラインがありますので、Wikipedia:出典を明記する、特にWikipedia:出典を明記する#出典なき記載の扱いを読んでください。出典はあるがページ番号が抜けているだけの場合、厳密には「出典なき記載」とは言えませんが、完全な「出典なき記載」よりもマシなわけですので、ガイドラインを遵守してください。--Takabeg会話2015年10月21日 (水) 12:49 (UTC)[返信]
WP:VERIFYをお読みください。ページ番号がなければ膨大なページから出典を見つけ出さなければならず、検証不可です。wikipediaは様々なルールから成り立っています。--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月21日 (水) 12:59 (UTC)[返信]

抑留者数107万人の出典と死者数推定の幅

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ちょこっと調べてみました。「約百七万人が抑留された」とするもののうちニンモの本をソースとして提示している例が見つかりました。柏原竜一という人の「佐藤優--そのロシア人脈とインテリジェンスへの疑問」『諸君!』39巻5号 (2007年5月) pp. 74-89の83頁がそうでして、

ソ連占領下に取り残された日本人二百七十二万人の内、約百七万人が抑留され、約三十四万人の日本人が死亡したという歴史的事実があきらかになっている (ウィリアム・ニンモ『検証―シベリア抑留』による)

となっています。しかしながら、ニンモは五十万人以上と書いていますから、おかしいです。柏原さんがウィキペディアのシベリア抑留をちこっと読んで誤記してしまった可能性も排除できません。いずれにしても、ニンモをソースとして提示して「百七万人」と書くのはアウトです。実際に「百七万人」としているのは、今立鉄雄『日本しんぶん: 日本人捕虜に対するソ連の政策』(鏡浦書房、1957年、27頁)とか小松茂朗『ダモイ(帰国): シベリア残留の日本人』 (ファラオ企画、1991年3月、ISBN 4-89409-023-6、8頁)などがあります。一方、厚生労働省が把握しているものでは、モンゴル抑留者を除くシベリア抑留者の総数:約561,000人、死者:53,000人だそうですが、2009年7月24日付『朝日新聞』 (他紙にも同様の記事が掲載されています)は「旧ソ連に抑留された日本の軍人、軍属、民間人ら約七〇万人分を記録した資料が、モスクワのロシア国立軍事公文書館に保管されていることが確認された」と報道しています。ロシアは時々、名簿を発見して日本に引き渡していて、今年も、抑留死名簿新たに1万人、シベリア外2130人など、新たな死者が判明してきています。今後も出てくるかもしれませんね。当初は、「約七十万」を「約百七万」と書き間違えたのではないか、と思っていたのですが、どうやってその数字を割り出したかも書いているので、ウィキペディア的には検証可能となります。死者数を二十万で計算しています。ちなみに、ヴィクトル・カルポフは『シベリア抑留スターリンの捕虜たち: ソ連機密資料が語る全容』で死者数を九万二千人としています。どうやら「死者五十万人説まである」ようです。それらをまとめて書いたらよいですね。--Takabeg会話2015年11月3日 (火) 14:38 (UTC)[返信]