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ノート:御霊 (キリスト教)

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この記事は御霊(2005年5月26日 (木) 19:48)の記事の一部を複製して作られたものです。また聖霊の項目と統合されるべきかもしれません。Stanislaus 2005年5月27日 (金) 04:40 (UTC)[返信]

聖霊と統合すべきです。御霊(みたま)は、賛美歌とか祈りやキリスト教会の信徒同志の普通の会話などで聖霊のことを指して用いる話し言葉です。御霊の曖昧さ回避で聖霊へのリンクをつけるかして整理したほうがいいと思います。記述の内容が異なるだけで、本来同じはずの記事が3つもあること自体がすでに問題です。siyajkak 2005年5月28日 (土) 13:57 (UTC)[返信]
統合の必要を認めません。ここで「御霊」についていわれている概念が原語の何にあたるかわかりませんので(ギリシア語には敬語はない。あるいは「神の霊」プネウマ・トゥー・テウー を想定するのかも知れないが詳細は不明)、こうしたあいまいな記述を無理に統合するのはやめたほうがいいかと。--Aphaia 2005年5月31日 (火) 11:36 (UTC)[返信]

ギリシャ語敬語があるかどうかは問題ではありません。現に聖霊のことを日本語で御霊と呼ぶことが慣例的にあるわけですからそれを無理に分けておくこと自体問題です。また聖書本文でも聖霊のことを指すのにπνεμα(霊)だけだったりπνεμα ’αγιον(聖霊)と呼んだりしていて、「御霊」と訳されることもあるわけです。外国語のものを訳すときに状況に応じて敬語で訳すことは普通にあることですし、言葉によってどのようにどの敬語を使うかだって考えかたが違います。統合の必要を認めないという意見はすでに論理が破錠していることに気づいてください。わたしには大体想像がついているが、どのような気持ちで前の意見を書いたのかご自分の胸のうちに問いただしていただきたい。siyajkak 2005年6月3日 (土) 18:14 (UTC)[返信]

わたしが所有している複数の翻訳では御霊という表現はつかっておりません。また日常の会話でそのような語を使うこともありません。そのような教派の方もいらっしゃるのでしょうが、現在のこの項目に聖霊に新たに加えるべき内容は認めがたいという考えは変わりません。また「新約聖書のおいては”御霊”を多く見つけることが出来る。」などという表現も意味不明です。何をいいたかったのか推察するにも材料がなさすぎます。 またなにかほのめかしていらっしゃいますが、何をいいたいかも不明です。なにかのあてこすりのようですが、意味不明です。個人攻撃に類することはお控えいただきたいと感じました。--Aphaia 2005年6月3日 (金) 18:23 (UTC)[返信]

付記:断っておきますが、リンクでの誘導をおくのに反対しているのではありません。ここに書いてあることを聖霊の項に持ち込むことは不適切だと指摘しているのです。--Aphaia 2005年6月3日 (金) 18:25 (UTC)[返信]

ほんとに読んでいらっしゃるのですか。新改訳だけでも多く散見されますが。interlinearの聖書で照合してもあることを確認していますが。でも言い争うのは「徳を建てる」ことにならないのでやめます。実はわたしのほうが、正当な書き込みを装って、あてこすりで個人攻撃をされたと感じました。つまり、聖書の訳が違っていても、賛美歌歌詞にも、聖霊のことを指して、「御霊」「みたま」と出てきますので、知らない方ならともかく、知っている方ならなぜ記事の統合の必要を認めないのか私には理解できませんでした。Aphaiaさんは、多くの言語に精通されていらっしゃるから言語ごとの敬語の用法が異なることは知っておられるはずだと思ったので、余計にほかの意図があるのかと考えてしまいました。「意味不明」とのことですが、わたしの言ってることは非常に明確です。個人攻撃ではないとはっきりおっしゃってください。言い返すと水のかけあいで際限なくなるのでやめます。siyajkak 2005年6月3日 (金) 18:44 (UTC)[返信]

--斜体部分加筆siyajkak 2005年6月4日 (土) 1:59 (UTC)


「わたしには大体想像がついているが、どのような気持ちで前の意見を書いたのかご自分の胸のうちに問いただしていただきたい。」この部分をさしています。項目の内容との連関も不明ですし、いったいどのようなことを考えておられるのか不明です。そして新改訳に出ているということは一部教派で使われるということの証左にはなるでしょうが(私もそれは否定しません)しかし日本語のキリスト教全体の共有の知識とはいえないだろうとも考えます。お返事になれば幸いです。--Aphaia 2005年6月3日 (金) 18:55 (UTC) 賛美歌のことをおっしゃられておりますが、あなたの教派ではそうなのでしょう。わたくしが比較的なじんでいる二つの教派ではそうではありません。ですので賛成も否定もいたしかねます。お返事になれば幸いです。--Aphaia 2005年6月4日 (土) 05:29 (UTC)[返信]

賛美歌は、聖歌とか特定の教派で用いられるものではなく、少なくとも日本基督教団でも他のプロテスタント教会でもおいてある普通のものですが...「あなたの教派」と言われるのは、ちょっと理解いたしかねます。ずっときつねにつつまれているみたいで、実はかなり頭に来ているのですが、不毛な言い合いをしたくないので、結論を急ぎますがAphaiaさんのMetawikiのページのギリシャ語を読むとカトリックのように思えるのですが、カトリックでは、そうなのですかsiyajkak 2005年6月4日 (土) 7:32 (UTC) ことばをはしょりました。賛美歌はプロテスタント各会派合同のものですが、プロテスタント用語であり、カトリックや正教会、いわゆる使徒継承教会とは関係ないものです。それをもって全キリスト教を覆うような発言は正確さを欠くと考えます。カトリックかどうかとのご質問ですが、そういった質問はご自身の教派をまず名乗られてからするものではないでしょうか。わたくしについてはそれは個人的なことですので、友人にはつたえていますが、このような個別項目の内容を問題にする議論の場で書く必要を認めません。--Aphaia 2005年6月4日 (土) 07:37 (UTC)[返信]

賛美歌の件は、「少なくとも」と留保をつけて、全キリスト教を覆うようにならないように慎重に書いているのですが。それから、誤解を招く書き方だったようですが、Aphaiaさんの教派を知りたいのではなく、カトリックが「聖霊」を「御霊」と言い換えるのか否かということをお聞きしたかったのです。細かい個別項目だからこそ確認したかったのです。正教会は、「聖霊」を「御霊」と言い換えないことは知っていましたが、そのほかに「聖霊」を「御霊」と言い換えない教派があるのにカルチャーショックを感じているので。教派を名乗れとのことですので、ちなみに自分はたまたま長老派の教会へ行っていますが、長老派の教会へいっていてもカリスマ派ホーリネスメノナイトに関心があったり魅力を感じていたりするので、自分としては名乗る必要性を感じませんでした。長老派だからこのように考えるだろう、と判断されるのはいやだし、Aphaiaさんが仮にカトリックだとして、カトリックの方はこう考えると金太郎飴的にみなされるのも不愉快ではないですか。それから、未だにきつねに包まれた気持ちで納得できていないのですが、件の発言は、先走った誤解だったようなのでお詫びいたします。siyajkak 2005年6月4日 (土) 9:27 (UTC)

ありがとうございます。謝罪を受け入れます。カトリックは50万人ちかい信者さんが日本だけでいて多様な展開をみせていますので、こうこうであるとコメントすることは私にはできません。ですが知っている方は聖霊という方のほうが多いですね。「みたま」という表現をする方は記憶にありません。新共同訳で「『霊』」としているのもあるいはそれと関係あるかと思います。フランシスコ会訳でも同じ表現をするようですので。ただバルバロ訳、ラゲ訳などの古い翻訳でどうかということは知りません。--Aphaia 2005年6月4日 (土) 09:33 (UTC)[返信]

そして話を戻しますと、このページの議論をテキストに即して復元することはきわめて難しいと思います。聖書なり個別神学テクストなりに定位できない論述を聖霊論のなかに組み込むということには賛成できません。--Aphaia 2005年6月4日 (土) 09:37 (UTC)[返信]

これは、平行線な議論になりそうですね。わたしからすれば、おなじ項目があるようにしか見えないので、両論併記で整理、統合したいのですが。神学者、神父、司教、司祭、牧師のような方でないと書けないような話になりそうで。siyajkak 2005年6月4日 (土) 11:34 (UTC)[返信]
削除依頼を拝見しましたが、聖霊のところに同義語として御霊を加えればすむのではないですか。あとの議論は各種の概念が整理されずに混交していて、それを現在の聖霊の文面にまぜこむことはしないほうがいい(それだけでなく史的イエスと福音書のイエスの区別もついてないし。。)といっているのです。--Aphaia 2005年6月4日 (土) 12:11 (UTC)[返信]