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ノート:愛知電気鉄道電7形電車

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要検証範囲について

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冒頭の記述

「電7形の製造と同時に、同形の制御車附3形が1両製造された。」

については、本項目の別の個所で多数引用されている『日車の車輌史 図面集-戦前私鉄編 上』 p.215に、電7形が「愛電初の全鋼製車であり、(中略)。同形に附随車として、附3形サハ2020が同年に1両製作された」という注記がなされています。一方、やはり本項目の別の個所で多数引用されている『名古屋鉄道社史』p.174には、「神宮前~豊川間の直通運転に先だって半鋼製電動客車9両を新造し、翌年には全鋼製電動客車1両を新造した」という記述がありますが、附随車への言及はありません。

「電装品」節の次の記述

「集電装置は、従来のトロリーポールに代えて[34]、大型で2本の集電舟を備える菱枠パンタグラフを1基[54]、横型碍子支持で搭載する[54]。」

で、引用されている『名古屋鉄道社史』p.173には、電7形から「集電装置にパンタグラフを用いるようになった」という記述があります。一方で、『日車の車輌史 図面集-戦前私鉄編 上』の別頁(214頁)に愛知電気鉄道電6形電車(「大正13年(中略)製造」)であるという車両の図面がありますが、この車両の屋根上にパンタグラフがあるように素人目には見えるところです。

以上のことなど、本項目で採用されている出典については、出典相互間のつきあわせなどを通じた、それぞれの信頼性等の検証が必要と考えられます。--GDSTCB会話2013年10月20日 (日) 07:42 (UTC)[返信]

私はこの記事について決して詳しくないですが、記事を執筆した本人が引退状態なので、代わりにわかる範囲で答えておきます。
まず、「電7形の製造と同時に、同形の制御車附3形が1両製造された。」 への疑問は、文献を集めてウィキペディアの記事を執筆する方法へのGDSTCBさんの理解度に疑問を抱かせるものです。Xという事実に対して、Aという文献では記述されているけれど、Bという文献では記述されていないということを持って、要検証だとか両論併記だとかいうのならば、多数の参考文献をもとに記事の執筆を行うことを求めるウィキペディアは成り立たないでしょう。Bで記述されていないということを持ってではなく、BにおいてXと矛盾するYという記述があるときに初めて、さらに検証を行ったり両論併記を検討したりするものです。名古屋鉄道社史で触れられていないということを持って要検証だという考えは誤りでしょう。単に名古屋鉄道社史で省略されただけであるとどうして考えられないのでしょうか。社史は会社としての歴史をまとめる目的で編纂されているので、車両の個別の事情については、車両の専門誌への発表文献や鉄道ファンの鉄道雑誌への発表記事の方が社史より詳しいというのは普通にあることです。
次にパンタグラフについてですが、これは詳しい文献が手元にはないです。ただ、名鉄名古屋本線#豊橋線を見ればわかるとおり、1925年に愛知電気鉄道の区間は1,500Vへの昇圧をしています。1,500V電化でのポール集電は、日本では知られている限り神戸姫路電気鉄道1形電車くらいしか例がなく、愛知電気鉄道でもこの時期にパンタグラフに切り替えたはずです。実際、『鉄道ピクトリアル』816号の83ページから87ページにかけて名鉄前身事業者の鉄道車両の古い写真が多数掲載されていますが、86ページ中段のデハ1020形(電3形)は撮影時期「大正末期」と書かれていますがトロリーポール装備であり、87ページ中段のデハ1060形/1066形(電6形)では撮影時期不明ですがパンタグラフ装備になっています。愛知電気鉄道電6形電車では、前半は600V/1,500Vの複電圧車、後半は1,500Vの専用車として製造されたとありますので、1,500V専用車がトロリーポールを装備していることはありえないことを考え合わせると、電6形も少なくとも後半はパンタグラフ装備で新製されていたと考えるのが妥当だと思われます。したがって電6形の図面でパンタグラフ装備のものがあっても不思議ではありません。1926年の製造である電7形が当初からパンタグラフ装備なのは当然です。電6形が当初からパンタグラフ装備であったかどうかは調べる材料を持たないですが、名古屋鉄道社史の記述を考えると中途採用なのかもしれません。ただ、この記事における書き方としては、当時まさにトロリーポールからパンタグラフに変更されつつあったという情勢を背景にして、「従来のトロリーポールに代えて」という記述をしただけで、電7形のパンタグラフ装備が愛知電気鉄道で初めてであるかどうかは一切触れていないわけです。したがって、電6形のパンタグラフ装備の図面があるからと言って、検証されなければならないような誤りがあるわけではないと考えます。--Tam0031会話2013年10月21日 (月) 16:35 (UTC)[返信]
↑「長々書く前に、ご自分でおかしいと思わないのかな」という印象だけ。とりあえず。--GDSTCB会話) 2013年10月21日 (月) 21:11 (UTC) インデント修正 --MaximusM4会話2013年10月22日 (火) 11:18 (UTC)[返信]
  • コメント 一般論として、「資料Aには記事主題のaとbに関する内容が示されているが、cに関しては抜けがあったり不正確であったりすることにより、別途資料Bを用いて記事主題のcに関する内容の出典とする」は、Wikipediaにおける記事作成では極々普通に行われることと思います。本項についても、当該記述を行った執筆者によって「出典相互間のつきあわせなどを通じた、それぞれの信頼性等の検証」がされた上で、記述内容ごとに示すべき出典の取捨選択が行われたことにより、「内容に異なる点がある資料Aと資料Bが両方用いられる」結果となったものと推測します。
実際に内容を確認されたのでしょうからよくお分かりのことと思いますが、本項にて出典の一つとして用いられている『名古屋鉄道社史』は、こと各車両形式に関する内容は極めて簡略的なものに留まっています。附3形に関する記述が抜け落ちていることなどはその一例に過ぎません。しかしそのことをもって『-社史』の資料としての信頼性に疑問を投げかけるというのはあまりに発想の飛躍が過ぎるのではないでしょうか。既に上記にてTam0031さんが仰っていることの繰り返しになりますので詳細な言及は避けますが、『-社史』は「附3形は実在しなかった」「愛電において電7形以前にパンタグラフを搭載した車両は存在しなかった」とはしていないのですから、内容に明らかな誤りがあるわけでもありません。従って何を「検証」せよと仰るのか、私には分かりかねます。
パンタグラフに関して補足すると、電6形のうち初回落成分のデハ1061 - デハ1064については600 V/1,500 Vの複電圧仕様で、デハ1066 - デハ1074は1,500 Vの単電圧仕様で落成しています。前者の仕様については具体的に言及した資料を見つけることができませんでしたが、電6形と同時期に竣功し、なおかつデハ1061 - デハ1064と同じく複電圧仕様で落成した電気機関車デキ371号機の画像が『-社史』p.183に掲載されており、同車にはトロリーポールとパンタグラフの2種類の集電装置が搭載されていることが容易に見て取れます。さらに画像説明には「ポールとパンタを併設しており1,500 Vと600 Vの両線区に運転した(後略)」とあり、架線電圧の異なる路線区への運用対策として2種類の集電装置を搭載した旨が明言されており、同じく複電圧仕様であった電6形デハ1061 - デハ1064もまたトロリーポールとパンタグラフを併設していたであろうことは想像に難くありません。従って「電7形から集電装置にパンタグラフを用いるようになった」との『-社史』p.173の記述については、「電7形は(形式単位で見た場合)初めて集電装置としてパンタグラフのみを搭載するようになった車両形式である」と解釈することが可能であると考えます。
そしてこれは本件に限ったことではないのですが、具体的な解決策を示さずして問題点のみを指摘するという、「こうするとよいのではないか」が欠落したGDSTCBさんが多用される論法は、対応する側にとっては何をどう改善すればよいのか非常に分かり難く、対応に困ります。記事作成は共同作業であるという大原則に立って、対応する側にも配慮した形での意見提起をお願いしたいと思います。--MaximusM4会話2013年10月22日 (火) 11:18 (UTC)[返信]
「対応する側にとっては何をどう改善すればよいのか非常に分かり難く」につきましては、今回は、出典として採用されている文献にあたったところ、文献間で明らかに抵触する内容があったということです。なぜ本項目の記述でその点が無視されているのか「非常に分かり難い」ところです。「こうするとよいのではないか」云々については、どちらの資料を重視すべきなのか両論併記にすべきなのかなど「分かり難く」思うところです。--GDSTCB会話2013年10月22日 (火) 20:46 (UTC)[返信]
  • コメント GDSTCBさんが得意としていらっしゃると思われる野球分野の話に置き換えてみましょう。資料Aには「日本プロ野球界において1シーズンに最も多く本塁打を放った打者は2013年のウラディミール・バレンティン(60本・ヤクルト)で、次いで1964年の王貞治(55本・巨人)、2001年のタフィ・ローズ(同・近鉄)、2002年のアレックス・カブレラ(同・西武)の3名、3位が1963年の野村克也(52本・南海)である」とあり、資料Bには「日本プロ野球界においてシーズン最多本塁打を記録したのは2013年のウラディミール・バレンティン(60本・ヤクルト)である」とのみあったとします。たとえば、野村克也が日本プロ野球歴代3位のシーズン本塁打数を記録した打者であることの出典として資料Bを用いたのであれば「提示する出典が不適切である」との指摘は正当なものでしょう。しかしその場合は出典を資料Aに置き換えればよいだけであり、またそのような記述不備を理由に資料Bの信頼性に疑問を呈することも限りなく無意味であることがお分かりいただけるかと思います。
このことを本項における附3形の記述へ置き換えてみると、『-社史』には「附3形に関する記述が存在しない(=王貞治、アレックス・カブレラほかに関する記述が存在しない)」というのみであり、また本項にて附3形に関する記述の出典として『-社史』を用いたわけでもありませんから、問題提起そのものが成立していない、ということになります。パンタグラフに関するご指摘については後日改めて見解を申し上げますが、ひとまず附3形に関するご指摘については早急に取り下げていただいた方がよろしいかと思います。これ以上そのような主張を継続されることは、GDSTCBさんが資料検証能力のない利用者であるとの誤解をコミュニティ全体へ与えかねません。--MaximusM4会話2013年10月23日 (水) 00:55 (UTC)[返信]
とりあえず、新しく要検証範囲を指定された「新機軸である半鋼製車体やパンタグラフ集電を愛知電気鉄道の車両としては最初に取り入れ」について、「新機軸である半鋼製車体を愛知電気鉄道の車両としては最初に取り入れ」と修正することで解決を図りたく思います。それで他はすべて問題ないはずです。ところで、半鋼製車体の方にも要検証を付けているのはどういう意味でしょうか。電6が木製であるのは直前に記述があるので問題ないと思いますが、それを否定する資料がありますでしょうか。しばらく待った上で他に何かなければ、この修正を反映してすべての要検証テンプレートを除去したいと思います。--Tam0031会話2013年10月26日 (土) 13:40 (UTC)[返信]
↑の「半鋼製車体の方にも要検証を付けているのはどういう意味でしょうか」については、Tam0031さんらの長文書き込み連発で第三者の方にはわかりづらいかもしれませんが、10月20日 (日) 07:42 (UTC)の時点から私が書いているとおり。なお、Tam0031さんがここで繰り返されている挑発的な書き込みについて、現時点では改めての謝罪等求めるものではありません。--GDSTCB会話2013年10月26日 (土) 23:34 (UTC)[返信]
賛成 記述修正案は本件を提起したGDSTCBさんの仰る内容とも、各種資料の記載内容とも合致するものであり、それでよろしいのではないでしょうか。なお、電7形が愛知電気鉄道において初めて半鋼製車体を採用した旨の記述に対して付された要検証タグについては、本件提起者による10月20日 (日) 07:42 (UTC) のコメントにおいてもタグを存置すべき合理的理由は述べられていませんので同時に除去して差し支えないでしょう。--MaximusM4会話2013年10月27日 (日) 02:00 (UTC)[返信]
GDSTCBさんの2013年10月26日 (土) 23:34 (UTC)の書き込みには、電7形が半鋼製車であることの検証を要するような指摘は何もありませんよ。電7形より前に半鋼製車があるという記述がどこかにあるのなら検証が必要でしょうが、今のところそれは示されていません。また挑発的な書き込みを繰り返しているとのことですが、GDSTCBさんの要検証の使い方、文献検証のしかたがおかしいと指摘したまでで、何も挑発的ではないとの見解です。--Tam0031会話2013年10月27日 (日) 03:23 (UTC)[返信]
↑におかれては、繰り返しになるのかもかも知れませんが、今一度だけ申し上げます。書いていてご自分で恥ずかしくないのですか。第三者はこのような長文連発をなかなか読まないでしょうし、アカウントの手配も済んだということなのかも知れず、正直気乗りしなくなっていますが、場を改めることへの考えまでさせられています。--GDSTCB会話2013年10月27日 (日) 05:40 (UTC)[返信]
場を改めることは一向に構いません。また、この問題の解決に対してきちんと回答しているつもりですので、恥ずかしいなどということはまったくありません。むしろ、最初のコメントで指摘した、文献の読解とそれに基づく記事への反映の不適切さの問題について、何の回答もなされないというのはどういうつもりでしょうか。--Tam0031会話2013年10月27日 (日) 05:46 (UTC)[返信]
コメント Tam0031さんの仰る内容のどの部分が「恥ずかしい」に該当するものなのか、この議論に参加させていただいている私にも分かるようにご説明いただけないでしょうか。そして「アカウントの手配も済んだということなのかも知れず」とは、一体どのような意味合いを持ったコメントでしょう。前後の繋がりやこれまでのGDSTCBさんのコメントを読み返してみても、全く意味が分かりません。こちらについても併せて明確な説明を求めます。
また、先に指摘させていただいた附3形に関する主張は取り下げていただいたものと判断してよろしいでしょうか。こちらについては未だ何ら見解を示していただいておりませんが、このまま無視をされ続けた場合、GDSTCBさんの資料検証能力の有無以前に、議論提起者としての誠実さを欠いた態度に関して別の問題が生じてしまうことを危惧します。--MaximusM4会話2013年10月27日 (日) 07:21 (UTC)[返信]

↑につきましては、管理者伝言板に通知しているところです[1]。内容は、私が個々で繰り返していることのさらなる繰り返し。--GDSTCB会話2013年10月27日 (日) 08:12 (UTC)[返信]

『日車の車輌史 図面集-戦前私鉄編 上』 p.215に、電7形が「愛電初の全鋼製車であり」とあることを指して、半鋼製車と矛盾があると言っていたのですか。それならそうと言ってくれないと、その文章は「電7形の製造と同時に、同形の制御車附3形が1両製造された。」に対する矛盾点としてあなたが提示した部分なのですから、半鋼製車かどうかの資料としては見ないですよ。さて、その部分は日車の車輌史が単純なミスをしたと考えてよいと思います。「全鋼製試作車のデハ3090形」とあるところに出典として提示されているのは同じ日車の車輌史のp.216なのですから、先に全鋼製の車両があるのにその後に全鋼製試作車が出るわけがありません。単に「愛電初の鋼製車両」とするところにうっかり「全」を付けただけでしょう。念のため他の資料を確認しましたが、『鉄道ピクトリアル』1971年3月号の64-65ページにおいて愛知電気鉄道の電車が順次説明されており、電6形まですべて木製と説明され、電7形で「初めて半鋼製」、デハ3090を「電7形の最後の1両を愛電は全鋼製で製造」として電7形の一部とみなし、その後のデハ3300形とデハ3600形は再び半鋼製と明記されています。電7形が全鋼製であったならわざわざ「最後の1両を全鋼製で製造」などと書かないことは自明でしょう。
なお、管理者伝言板でも長文について苦情を言っているようですが、事実の検証のためには複数の文献を突き合わせて背景事情まで考える必要があるのですから、長文になるのは当然です。それを読めないというのなら、その人は検証をするつもりがそもそもないとしか言いようがありません。これで検証は完了したと考えるので、特に有効な資料での反論が無ければ、先に挙げた提案を本文に適用して終了したいと思います。--Tam0031会話2013年10月27日 (日) 10:03 (UTC)[返信]
↑管理者伝言板にアップしたことで具合の悪いことが何かおありなのかはともかく。何度目かの繰り返しですが、私が10月20日 (日) 07:42 (UTC)で書いた「『日車の車輌史 図面集-戦前私鉄編 上』 p.215に、電7形が『愛電初の全鋼製車であり(』という注記がなされています)」ということが、問題点の根本の一つ。また、集電装置の問題で名鉄社史の記述によらないこととするのか否かという問題なども未解決で、「先に挙げた提案」はそもそも論外。--GDSTCB会話2013年10月27日 (日) 13:45 (UTC)[返信]
コメント その「根本」を含むGDSTCBさんによる問題提起の数々は的外れなもの、あるいは小修正にて対応可能な瑣末な問題に過ぎず、ましてや本項および本項作成に用いた資料の信頼性を揺るがすものなどではない、ということは再三再四ご説明申し上げたはずですが、未だご理解いただけないようで大変残念です。この期に及んではGDSTCBさんに対していつまでも『納得』しないを地でいく利用者である」という評価を下さざるを得なくなりつつあるという現実を、そろそろご自覚いただいた方がよろしいかと思います。仮に我々両名の出典の取り扱いについてどうしても納得できないのであれば、然るべき場所にて広く意見を募るという手段をご検討くださいませ。「(先にTam0031さんが提示された案にて決着を図るのは)論外」と申されましても、これ以上何を議論・検証せよと仰るのか、少なくとも私には全くもって理解しかねますゆえ。--MaximusM4会話2013年10月27日 (日) 14:19 (UTC)[返信]
GDSTCBにどのような「評価」がをなさるかは自由だが、それをここで論ずることではないでしょう。話を逸らしたがるのは要するに、これも私が既に書いているように、記事の出典として採用している資料間の抵触等を記事の中で説明できないということでしょう(私自身も困難ですし)。--GDSTCB会話2013年10月27日 (日) 20:49 (UTC)[返信]

コメント (インデント戻します) 「資料間の抵触等」とは恐らく「資料間の内容の齟齬」の意と推測いたしますが、さておき。

  • パンタグラフに関する点
    • 「社史や本項記述は電7形のパンタグラフ採用を『愛知電気鉄道初』としているわけではない。従って本文修正の必要はあったとしても、検証を要するような誤記とはいえない」(Tam0031さんによる見解
    • 「各種状況から判断して、愛知電気鉄道において初めてパンタグラフを初採用したのは電6形および電気機関車デキ370形であると推測されるが、社史における記述『(電7形より)集電装置にパンタグラフを用いるようになった』は『電7形は(形式単位で見た場合)初めて集電装置としてパンタグラフのみを搭載するようになった』の意とも解釈可能であり、明らかな誤りとは断定できない」(MaximusM4による見解
  • 車体材質に関する点
    • 「各種資料との相互確認の結果から合理的に判断して、提示資料の誤植に過ぎない」(Tam0031さんによる見解
  • 附3形に関する点
    • 「社史は『附3形は存在しない』とはしていない。単純に記載が欠落しているのみであり、そのことをもって資料間の整合性や資料そのものの信頼性を論ずるのはナンセンスである」(MaximusM4による見解

このように、GDSTCBさんによって提起された問題点はいずれも私もしくはTam0031さんによって説明が済んでいます。「記事の中で説明できない」点につきましても、記事の記述をこのように改めればよいといった対案が既に提示されているのですよ。それらに対して「恥ずかしい」「内容が明らかにお粗末」「論外」などと無責任に個人的所感を言い捨てるのではなく、何故それらの異見を受け入れられないのか、GDSTCBさんにはその根拠を明確かつ詳らかに示すべき責務があります。無論我々が否定した誤植あるいは記述欠落相当の単純な字面の相違以外の理由をもって、です。念のため。--MaximusM4会話2013年10月28日 (月) 13:08 (UTC)[返信]

今回は「誤植あるいは記述欠落相当の単純な字面の相違」と決めつける理由が不明確なこともあります。仮に明確なら、記事の中で説明すれば済むこと。なお、「誤植あるいは記述欠落相当の単純な字面の相違」が記事で扱う対象に影響することは何かという問題もあります。言葉尻をとらえることに執着する前に、Tam0031さんが示しておられる管理者伝言板の「内容のことは内容のこととして冷静に話し合ってください。」というKs aka 98さんのご指摘をここであげておきましょう。--GDSTCB会話2013年10月28日 (月) 14:36 (UTC)[返信]
コメント 我々の異見を否定する根拠は「何となく納得できない」といった類のGDSTCBさん一個人の主観によるものであり、「何処にどう不適切な点があってここをこう正さないとならない」といった具体的な見解を示すことはできない、そう解釈してよろしいですね?また、「冷静に話し合ってください」とは、GDSTCBさんに向けられた苦言であるはずですよ。--MaximusM4会話2013年10月28日 (月) 14:58 (UTC)[返信]
「『何となく納得できない』といった類」のことは、別に私は言っておらず、ここまでくると、まさに「冷静に話し合ってください」。--GDSTCB会話2013年10月28日 (月) 21:13 (UTC)[返信]


(コメント)図書館で、記事には使われていない文献を含めて調べてきました。

  • 車体材質に関する点 製造側の日本車輌製造(株)の社史を見てきました。日本車輌製造によれば愛知電鉄において電7型が最初の半鋼製であり、デハ3090形が最初の全鋼製です。車体材質に関する点については現在の記事は正しく、『日車の車輌史 図面集-戦前私鉄編 上』 p.215の記述はTam0031さんのご推察通り単なる(全)と(半)の誤植でしょう。日本車輌製造(株)の社史の引用は長いので控えますがご希望なら引用します。
  • パンタグラフに関する点『日車の車輌史 図面集-戦前私鉄編 上』p.214 の電6型の図面はパンタグラフ付です。図面の日付は大正14年1月6日になっており、電6型の最後の車両は大正14年中に作られているので、愛知電鉄で最初にパンタグラフを載せたのは電7型ではないと思います。「従来のトロリーポールに代えて」という今の表現では「電7型が愛知電鉄で最初にパンタグラフを載せた車両であるかのような誤解」は招きかねません。要検証範囲が付けられた記述からパンタグラフについては削除した方がいいでしょう。尚、パンタグラフの製造会社の東洋電機製造や機械学会の資料でははっきりしませんでした。
  • 附3形に関する点製造側の日本車輌製造(株)の社史では愛知電鉄の電7型は半鋼製を10両、全鋼製を1両作ったとあります。半鋼製の10両の内訳については書いてありませんが、内1両が附3形であっても矛盾するものではないです。
したがって、車体材質に関する点と附3形に関する点についてはTam0031さんやMaximusM4さんの意見を支持し、パンタグラフに関する点については「従来のトロリーポールに代えて」という記述を削除し、また電7型が愛知電鉄で最初にパンタグラフを載せたと誤解されかねない記述は直し、「導入当初から全車でパンタグラフを採用した」くらいで済ませたほうがいいでしょう。--ぱたごん会話2013年10月31日 (木) 11:08 (UTC)[返信]
追記、論より証拠といいます。日本車輌製造(株)編集・発行『日本車輌80年のあゆみ 驀進』1977年発行 p.92-93をご覧下さい。社史ですのでどこの図書館にもあるものではないですが国会図書館にございます。--ぱたごん会話2013年10月31日 (木) 16:19 (UTC)[返信]
ぱたごんさんのご意見のお陰で、検証がようやく前進したところですが、次の点につき疑義等申し上げます。
  1. ぱたごんさんからご提示いただいた『日本車輌80年のあゆみ』は、自らおっしゃっているように、現在の本項目では出典として特に採用されていないようです。執筆者の側に善意にとると、この資料を採用しない理由があるのかも、と思わされます。査読依頼、GA・FA選考でも、多くの賛成票のどなたからもこの資料は挙げられていないようですし。なお、この書籍は、東京都立中央図書館大阪府立図書館などでも所蔵されているようですので、11/2からの三連休で確認に行きたいところですが…
  2. 「パンタグラフに関する点」につきましては、名鉄の社史と『日車の車輌史 図面集-戦前私鉄編 上』とを比較すると、前者のほうが資料としての価値は上であると考えざるを得ません。そこで、「1961年の『名古屋鉄道社史』では、電7形から集電装置にパンタグラフが用いられるようになったとあるが、電6形の時点でパンタグラフが採用されていた(出典)」という趣旨の両論併記にすべきと思います。他の資料提示等なければ私が書き換えようとも思います。
  3. 「車体材質に関する点」につきましては、「(全)と(半)の誤植」というのは、資料の信頼性を判断する上で避けては通れないでしょう。愛知電鉄-名古屋鉄道を離れても、全鋼製か半鋼製かということは、電7形が登場した時代では重要なことだったようです。銀座線に乗ったのでたまたま閲覧した東京地下鉄道1000形電車には、「(1927年)当時の鉄道車両はまだ台枠のみ鋼鉄製で他はすべて木造とした木造車体が一般的であり、(中略)半鋼製車体に移行しつつある時期であった。しかし本形式は半鋼製をも通り越し、(中略)全鋼製車体が採用された」と特記されています(ただし出典提示が不明確で、当該項目の信頼性に対する疑義がTam0031さんやMaximusM4さんから指摘される可能性も考えられます)。  
  4. 「附3形に関する点」は、『日本車輌80年のあゆみ』にも、半鋼製電車が電7形9両の他に1両製作されているという記述があるとの、ぱたごんさんのお話です。ここで書けることは、「電7形とともに、電動車でない半鋼製電車附3形が1両作られ、後に電装された時以降、旧電7形の車両と一体で扱われるようになった」ということにとどまると考えられます。「同形」とする出典として唯一提示されている『日車の車輌史 図面集-戦前私鉄編 上』 p.215の注記の信頼性には、上記の誤植の問題の他にも、本項目で制御車とされている附3形について「附随車」とされていることもあります。

--GDSTCB会話2013年11月1日 (金) 12:53 (UTC)[返信]

上記『驀進 日本車輌80年のあゆみ』で、ぱたごんさんがお書きになっていることを確認しました。電7形について、
  1. 89頁に「鋼製車両の開発」という記述があり、そこに電7形の写真が掲載されている。
  2. 93頁に、ぱたごんさんお書きのとおり、愛知電鉄に半鋼製車10両納入の記述あり。
  3. 108頁~109頁に、本項目でも登場するデハ3300形の紹介に関連して、これがデハ3080(電7形)の改良である旨の記述あり。
ここで、次のとおりのことが浮かびます。
  1. いずれの記述とも、電7形が何両製作(納入)されたのかは不明確(上記デハ3300形は5両と明記されており、出典提示が不明確な同形式の項目の現在の記述とも一致する)。
  2. 半鋼製車は、愛知電鉄のものは10両と明記されているが、その10両が何かは、ぱたごんさんも仰るとおり明記されていない。
  3. 附3形と明記した記述は見当たらず。
以上のことと名鉄の社史「半鋼製電動客車9両を新造」なる記述と照合すると、「愛知電鉄に半鋼製車を10両納入したが、その中には電7形以外の車両が含まれているようだ。それは何なのか」ということが浮かびあがります。それが附3形1両であるということが別の出典で言えるとしたら、それをもとに附3形についてどこまで書けるのか、ということは、資料検証能力のある方にお任せしたいと思います(ここは特に字面どおり解して下さい)。Wikipedia:コメント依頼/GDSTCB 20131029‎で、私はここから撤退したことになっているようなので、これで…--GDSTCB会話2013年11月4日 (月) 20:53 (UTC)[返信]
枝葉末節レベルの表現に拘泥し、また資料の信頼性の高さのみを判断基準として情報を取捨選択することが、果たして本当の意味での記事の信頼性向上に繋がるのか、今一度よくお考えください。パンタグラフに関する記述に関して「導入当初から全車でパンタグラフを採用した」と改めるべきとするぱたごんさんの修正案を支持するほかは(新たな資料をご提示くださったぱたごんさんには御礼を申し上げます)、修正の必要はないとする私の見解に何ら変化はありません。なお、附3形に関する「同形」の表現は『日車の車輌史 図面集-戦前私鉄編 上』 p.215のほか『鉄道ピクトリアル』1956年11月号 p.33および1971年3月号 p.65など各所で多用されているものであることを申し添えます。また、制御車が広義の付随車(主電動機を搭載しない車両)に含まれるということは、野球でいうところの「3アウトでイニングチェンジ」程度の基礎知識の範疇です。
以上を踏まえ、資料検証能力に疑問符を付けざるを得ないばかりか記事主題である鉄道車両に関する基礎知識も欠落しているGDSTCBさんが、果たして鉄道車両記事の査読に関わるべきか否かという根本的な部分において、改めて甚大な疑念が生じています。--MaximusM4会話2013年11月1日 (金) 15:50 (UTC)[返信]
本項目で現在採用されていない資料のご提示がなされたので、国会図書館にでも行けたときに確認してみたいところです。今更ですが、私はMaximusM4さんのご主張を「本項目には検証の必要な箇所などないので要検証タグなど貼るな」ということと認識していたので、それは誤解だったようですので、その点は、このページご覧の皆様にお詫びします。「改めて甚大な疑念が生じています」につきMaximusM4さんにおかれては「冷静に話し合ってください」。パンタグラフなど「鉄道車両に関する基礎知識も欠落している」人間が見ておかしいと気づいたことなのだし、ここまでの本項目執筆者は何だったのだろう。--GDSTCB会話2013年11月2日 (土) 03:33 (UTC)[返信]
これまでの経緯から冷静かつ客観的に判断して、残念ながらGDSTCBさんは記事や資料の査読能力に著しく難を抱えた利用者であると断定せざるを得ない、ということです(その点はぱたごんさんにも指摘されていることですね)。ことに基礎知識の欠落も露呈した鉄道車両に関する査読議論にはこれ以上関わるべきではありません。仮に本件がパンタグラフに関する記述のみに特化したご指摘であったならば、ここまで踏み込んだ見解を示すには至らなかったであろうということも申し添えます。賢明なご判断をいただけることを期待いたします。--MaximusM4会話2013年11月2日 (土) 05:35 (UTC)[返信]
資料の信頼性について議論を提起したことに問題があるとのお話については了解しました。ただ、『日本車輌80年のあゆみ』が本項目で採用されていないことのご説明がないようです。「鉄道車両に関する基礎知識も欠落している」方ばかりが執筆していたわけではないでしょうし。FA選考で大挙してダビンチだの言い立てていたのは何だったのだろう。あと、FA審議の時から私は申し上げていることですが、附3形の諸元はどこまでわかっているのでしょうか、「同形」で片づけるとしたら「同形」の一言でどこまで言えるのでしょうか。閲覧者は「鉄道車両に関する基礎知識」を備えた方ばかりではないという「賢明なご判断」を期待するところです。余談として野球がたびたび引き合いに出されているが、特に日本プロ野球は「資料の信頼性の高さを判断」せずに記事を執筆していたらとんでもないことになるもので、基本的かつ重要性のある箇所に誤りのある資料を採用することには相当賢明な判断が必要となるところです。--GDSTCB会話2013年11月2日 (土) 07:00 (UTC)[返信]
その記事に関連する文献すべてが出典として取り上げられなければならないわけではありません。そもそも、関連する文献をすべて調べたと断言するのは一種の悪魔の証明であって誰にも無理でしょう。単にその文献を見つけられなかったか、見つけていても他の文献で十分カバーできる範囲だったから使わなかったかのどちらかでしょうが、それについて特に説明を要する事項であるとは思いません。それから『「同形」の一言でどこまで言えるのでしょう』とのことですが、本文の「車体」の節で電7形と附3形の構造を共通で詳細説明しているのですから、その範囲で同形ということは現行の記事で明確です。--Tam0031会話2013年11月2日 (土) 07:48 (UTC)[返信]
コメント 『日本車輌80年のあゆみ』については、本項の作成に資するであろう資料をぱたごんさんより新たにご提示いただいたことに感謝する、それ以上でもそれ以下でもありません。仰る通り、閲覧者は「鉄道車両に関する基礎知識」を備えた方ばかりではないでしょう。しかし、微に入り細に入った査読に関わろうとされる方であれば話は別です。そのような利用者が、記事や資料の査読能力に著しく難を抱え、あまつさえ「鉄道車両に関する基礎知識」すら欠落している、これでは鉄道車両記事を対象とした査読参加者として適格であるか否か、敢えて申し上げるまでもないと思います。
そろそろ、本来GDSTCBさんが全く関わりを持っていらっしゃらない分野にこれ以上無理に関わろうとせず、ご自身の本来得意とされる分野にて才能を発揮することを強くお勧めします。そして、たとえばかつてご自身が良質な記事の選考へ自薦された記事をはじめとした野球分野記事の更なる質的向上に努められることが、Wikipediaへの貢献、ひいてはWikipedia全体における記事の内容充実という観点からも得策ではないでしょうか。繰り返しとなりますが、GDSTCBさんの賢明なご判断を期待いたします。--MaximusM4会話2013年11月2日 (土) 08:06 (UTC)[返信]

(インデント略)お話承りました。私が前回申し上げたのは読んでのとおり「関連する文献をすべ て調べたと断言する」という次元のことではなく、メーカーの社史も調べないでFA云々言って挙げ句の果てにダビンチの絵だかベートーベン云々言うに至っては「資料検証能力に疑問符を付けざるを得ない」かという次元のことで、「本来その分野に全く関わりを持っていない」人間以下というべきということです。--GDSTCB会話2013年11月2日 (土) 21:25 (UTC)[返信]

本件を含む鉄道車両分野に属する記事の査読議論からの撤退という、賢明なご判断をいただいたことに御礼を申し上げます。今後はGDSTCBさんが本来得意とされる分野にて力量を存分に発揮されることを期待いたします。--MaximusM4会話2013年11月3日 (日) 01:45 (UTC)[返信]

記述整理

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ある程度落ち着いたようですので、最終的な記事の記述整理を実施したいと考えます。ぱたごんさんの調査によっても、パンタグラフ以外の点では問題が無いとされたようです。パンタグラフを愛電で最初に採用と思われかねない記述を除去するという方向でよいかと思います。

  • 「愛知電気鉄道初の半鋼製車」の節にある「新機軸である半鋼製車体やパンタグラフ集電を愛知電気鉄道の車両としては最初に取り入れ」を「新機軸である半鋼製車体を愛知電気鉄道の車両としては最初に取り入れ」に修正する。
  • 「電装品」の節にある「集電装置は、従来のトロリーポールに代えて、大型で2本の集電舟を備える菱枠パンタグラフを」を「集電装置は、大型で2本の集電舟を備える菱枠パンタグラフを」に修正する。

という方向で改めたいと思います。これで前後の文章のつながりもおかしくないはずですし、「車体」の節でパンタグラフに触れているところは初めてかどうかという話ではなく、車体への取り付け方法などに触れている部分ですので、この改変で懸念点はなくなるはずです。それ以外の要検証範囲は単純に除去としたいと思います。特に異論がなければ、これで実行します。--Tam0031会話2013年11月7日 (木) 15:01 (UTC)[返信]

  • パンタグラフについて違うことが書いてある『名古屋鉄道社史』の該当頁周辺を、本項目全体において出典として使うのをやめれば、異議なし。採用されてない出典に違うことが書いてある云々という趣旨の話ではないてすし。電7形について相当の記述がある名古屋鉄道、日本車両の両社史に附3形が登場しないのは気になりますが、それは今後の改善点でということで。--GDSTCB会話2013年11月7日 (木) 20:55 (UTC)[返信]
  • 電6型は途中から(大正13か14年)パンタグラフを採用した。電7型は大正15年の1号車からパンタグラフを採用した。ということですね。ちなみにパンタグラフの製造会社の東洋電機製造の社史では大正12年から14年にかけて私鉄各社がいっせいにパンタグラフを採用したと書かれています。大正14年1月6日の電6型の図面でパンタグラフがあるということは愛知電鉄としては大正13年中にパンタグラフの採用を決めたのでしょう。私鉄各社が既にパンタグラフを採用済みの大正15年の電7型ではもはや「新機軸」と言えるのでしょうか?半鋼製車体の方は確かに大正15年時点では新機軸ですが。--ぱたごん会話2013年11月8日 (金) 00:40 (UTC)[返信]
  • すみませんが、ぱたごんさんのおっしゃることの意味が分かりません。パンタグラフに関して「初めて」とか「新機軸」とかの関連するところはすべて除去して、半鋼製車体だけ残す、という提案なのですが、それでパンタグラフは新機軸かどうかの検討が必要なのでしょうか。車体や電装品の説明で、単純にパンタグラフの説明をしているところは残りますが、そこでは新機軸という趣旨の説明はしていないはずです。--Tam0031会話2013年11月8日 (金) 16:04 (UTC)[返信]
  • Tam0031さんのご提案に従った修正案に賛同いたします。なお、「『名古屋鉄道社史』の該当頁周辺を、本項目全体において出典として使うのをやめ」るべき必要性は一切認めえないということを申し添えます。--MaximusM4会話2013年11月8日 (金) 15:59 (UTC)[返信]
  • 私が言い続けていることは、数十箇所で出典として採用している資料間で、本項目に記載されている事実について、対立する記述があるということです(誤植ということではなく)。出典としての資料の採用は、恣意的なことがあるのはまずいのでしょうが、車両メーカーの社史を採用していないことが特に問題ないと主張される立場に立てば(私はこの立場には賛同できませんが)、鉄道事業者の社史も採用しないという選択肢も否定できないということになってしまいます。確かに資料の採否は執筆者の判断という側面は否定できないですし。さらに、これも繰り返しになりますが、今ここでは、名鉄の社史にある記述を否定しようという議論が行われているところです。なお、ここで付け加えると、ぱたごんさんのご指摘、パンタグラフが「新機軸」ということへの疑問には説得力を感じます。--GDSTCB会話2013年11月8日 (金) 21:38 (UTC)[返信]
  • Tam0031さんによるご提案の趣旨が「パンタグラフが『新機軸』とする旨の記述を除去する」であることは明らか、ということです。趣旨を誤解されたぱたごんさんによるコメントに安易に便乗したこともさることながら、提起された修正案によって資料間の齟齬が解消されるにも関わらず、膨大な情報の中に存在する僅か1行の記載事項の齟齬のみを理由として資料そのものの信頼性に疑義を呈し続けるという行為もまた、GDSTCBさんの文章読解力や記事査読能力および資料検証能力の欠如を表し、ひいてはいつまでも納得しないを体現する行為である何よりの証と申し上げるほかありません。
GDSTCBさんにおかれましては、ご自身の記事・資料の査読能力の欠如を認められ、本件を含む鉄道車両記事における査読議論からの全面的撤退を、たとえ不承不承であろうとも一度は了承された以上、最低限ご自身の発言には責任を持っていただきたいと思います。--MaximusM4会話2013年11月9日 (土) 06:00 (UTC)[返信]
私も、Tam0031さんのお話から「パンタグラフが『新機軸』とする旨の記述を除去する」以外のことがなくなっているのを見落としたのは事実ですが、ここまでの議論の経緯を踏まえると、それを「安易に便乗」とか言うのは言い過ぎかな、と言うところです。ただ、確かに「パンタグラフが『新機軸』とする旨の記述を除去」して、その他の問題点を棚上げしてこの議論が終わりとなるならば、これ以上どうこう言う理由がないので、私がTam0031さん及びMaximusM4さんのご主張の変化を見落としたことで、ご不快を与えたならばお詫びします。--GDSTCB会話2013年11月9日 (土) 20:42 (UTC)[返信]
まず、「その他の問題点を棚上げ」ではなく、「『その他の問題点』とはGDSTCBさんの中にのみ存在するものである」ことをご理解ください。そしてGDSTCBさんによる一連の行為は、他者に対して個人的な不快感を与えたという範疇に留まるものではありません。主たる問題であるGDSTCBさんの記事・資料の査読能力の欠如については、私のみならずTam0031さんおよびぱたごんさんからも根拠を挙げて再三再四にわたって指摘されていたにも関わらず、そのように矮小化した次元で捉えるのはいかがなものでしょうか。
なお、本件に関してぱたごんさんの会話ページにて「今後の状況変化があれば自分で考えます」と仰ったようですが、本議論を含む記事査読および資料検証議論、少なくとも鉄道車両が主題の記事を対象としたそれらからは撤退するという、ご自身が一度は了承されたことに対して責任を果たしていただくことがGDSTCBさんへ示された唯一の選択肢とご理解ください。今後本議論にいかなる変化があろうとも、考える余地は存在しないでしょう。--MaximusM4会話2013年11月10日 (日) 13:15 (UTC)[返信]
私の申し上げていることは、 「パンタグラフが『新機軸』とする旨の記述を除去する」だけのお話となっていることを「安易な便乗」で見落としてご迷惑をかけたことをお詫びしますということです。そこでさらに色々付け加えられたら、いくら私にも非があると言っても、さすがにばからしくなり、ぱたごんさんが私の会話ページでおっしゃったように「しばらく手を出さないほうが良いと思」っています。---GDSTCB会話2013年11月10日 (日) 20:28 (UTC)[返信]
本件から手を引かれる旨、承りました。繰り返しとなりますが、ご自身の発言には責任を持ってください。以降は会話ページにて。--MaximusM4会話2013年11月11日 (月) 11:21 (UTC)[返信]
議論に参加された4人がすべて異論がないと認めましたので、提案通りに編集を反映しました。--Tam0031会話2013年11月12日 (火) 14:46 (UTC)[返信]
私の申し上げてきたことと一致しない点もありますが、もはやどうこう言うつもりはありません。Tam0031さんにおかれてはお疲れさまでしたと申し上げておきます。先日、MaximusM4さんが私の会話ページに長々お書きになっていることについても、済んだものとなります(我ながら蛇足ですが「対話拒否」の誹りに関わりたくないですし)。--GDSTCB会話2013年11月12日 (火) 15:06 (UTC)[返信]