コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia:査読依頼/愛知電気鉄道電7形電車 20121216

他の方が初版を作成された記事で、竣工時のメーカーカタログ写真を貼付する際に、記事内容に深刻な誤りや記述の不足が目立ったため、小生が全面改稿したものです。愛知電気鉄道電7形は日本における都市間高速電車の歴史において先駆をなした路線で使用された、電鉄技術の発達史的にも重要な車両の一つですが、1990年代後半まで現存していて比較的実見の機会が得やすかったにもかかわらず、鉄道ファンからはほとんど注目されないままに廃車解体となり、この車両を趣味的な観点で記録した文献資料もWeb上での記事も非常に少ない状況となっています。小生はたまたま手元に製造当時メーカーが配布していたカタログのコピーを所持していることと、それ以外にも直接・間接にこの車両について言及・記録した文献に心当たりがあったことから、現状で管見しうる、あるいは確認しうる公刊文献ほぼ全てを閲覧・確認の上で本記事の全面改稿・大幅加筆を実施しましたが、何分趣味的な観点での文献を主な典拠としたため、記事としてのバランスに不安が残ります。現状で可能な限りの加筆は行ったつもりですが、特に本形式の登場が社会に及ぼした影響、という観点で沿線各市町村史を閲覧・確認しても本形式を特定して言及している文献が今のところ見つかっておらず、この点についてどこまで加筆すれば良いものなのか、思案している最中です。このあたりを中心に、本項目について諸氏の忌憚なきご意見・ご指摘・評価をいただければ幸甚です。どうかよろしくお願い申し上げます。--HATARA KEI会話2012年12月16日 (日) 04:33 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
鉄道は専門外ですし、参考文献にアクセスできる環境もない上に、すでにGA選定を受けている記事に対して言いづらいのですが...
私が鉄道車両関連の記事を見るときいつも思うのは、マニアックに記述が過剰過ぎるなぁ、ということです。車両の記事ですから、型番や運用の変遷とか車両諸元などに関してはもちろん存分に詳細に書いていただいて構わないのですが、いつも過剰だと思うのは経緯とか背景といった部分に関してです。この部分の解説は、車両の解説に必要な範囲を超えて、むしろその鉄道の歴史の項目に書くべきで内容ではないか、と思うことが少なくありません。「記事としてのバランス」という観点から見ても、鉄道会社や路線自体の事情については、その車両に直接関連する出来事のみを簡潔に記述するに留めておくべきだと思います。
それでは以下に具体的に感じた点を書いていきます。
3.「形式」節
「なお、電7形・付3形については...」以降、後半の伊勢電気鉄道デハ121形に関する文章は、まったく無関係とは言わないものの、本形式の記事の一部としてはやはり不必要に詳細過ぎる、と感じます。せめてもっと短く(現在の半分くらい)の文にまとめた方がよいと思います。
5.「主要機器」節
後半の「その導入は本形式の主要機器を両社に求めたことと併せて、...」以降の文に出典がまったく示されていませんが、この部分こそ出典が必要であると考えます。具体的に言えば
  • 「注目・研究していたことを示している。」
  • 「デッドコピーした凸型電気機関車は日本各地の電化私鉄へ供給され、...」
  • 「デッドコピー品が第二次世界大戦後まで多数製作されている。」
  • 「このように、当時の鉄道先進国アメリカから...(中略)...重大な影響を及ぼしている。」
などの部分は出典が必要なところです。特に最後の一節は、この車両の歴史的意義としてもっとも強く主張されたい点だと思われますが、出典がない限り「独自研究」と見なされても文句は言えない内容です。
5.1.「主電動機」節
「この時代としては異例の高速電動機で」
この文の周辺を読んだだけでは、何が「異例」なのかよくわかりません。後半を読めば、「定格回転数が高く、しかも弱め界磁制御を使わずに優れた出力特性を持つ」という点が「異例」なのだろうと見当は付きますが。
「主回路の直並列切り替えや抵抗制御を行う...(中略)...弱め界磁の導入が一般的でなかった...(中略)...最高運転速度を決定する主な要因であった。」
文章が長すぎます。前半は「弱め界磁」の説明ですが、その部分はばっさり削っても文脈としては理解可能です。「弱め界磁」は内部リンクがあるのだから、説明はそちらにお任せでよいでしょう。どうしても説明を入れたいのなら、その部分は注釈に回した方がすっきりします。
6.1.2.「戦後」節
「参考として以下に名鉄に承継されたブリル27MCB系台車(日本車輌製造によるコピー品を含む)装着形式を示す」箇条書きの意義が不明です。「台車の捻出元が不詳だから、このリストを見て読者がいろいろ推測してね」という意味でしょうか。Wikipediaにはその種のサービスは不要だと思いますが。いずれにせよ、本形式とはほとんど無関係な内容で、削除すべき部分と思います。
6.2.「瀬戸線時代」節
冒頭に述べたように、この節も不必要に過剰過ぎる、と感じます。
「1965年から1966年にかけてこれら3形式は順次瀬戸線へ転属の措置がとられた。」より前の当節前半の記述は、せいぜい数行にまとめてしまってよいと思います。たしかに、名鉄瀬戸線はいろいろな意味で興味深い路線ですが、この車両の解説に関してここまで書くことは不要で、当節前半は、むしろ名鉄瀬戸線#歴史あたりに記述されるべき内容だと思います。名鉄瀬戸線#歴史でも、この時期の状況についてはあまり詳しく書かれていないようですから、この部分は名鉄瀬戸線#歴史の方に転記すればよいのではないでしょうか。
注釈
全般に出典が示されていませんね。注釈といえども出典は必要です。
注釈7,8,
このあたりのことは、鉄道記事を詳細に読むような人なら常識的に知っていることではないでしょうか。わざわざ注釈にする必要もないと思いますし、注釈にするにしてももっと簡潔に2〜3行の記述で十分だと思います。
注釈5
これも過剰な解説の一つと感じます。トリビアとしては興味深い話題ですが、本形式とは関係ないし、この注釈自体、まったく書かなくても問題のない内容でしょう。
注釈14
これも過剰過ぎる注釈です。3行目の「...事例が常態化していた。」あたりまでで十分です。
注釈26,29
これも、まったく不要とまでは言いませんが、書かなくてもいいトリビア、と感じます。
注釈34
「なお日本向けには輸入実績が無い...」以後の文は、本形式の解説にはまったく無関係かつ不要です。
注釈36〜40
「瀬戸線時代」節 で述べたように、名鉄瀬戸線#歴史の方に移すべき内容。
注釈45
同じく。まったく不要とまでは言いませんが、むしろ名鉄瀬戸線の方に書くべき内容でしょう。


以上、加筆要求というより削除要求のような意見ばかりで申し訳ありません。しかし、モノを書くときの心得は、「何を書くか」よりも「何を書かないか」の方が重要であると言われます。執筆者様は豊富な資料をお持ちのようですから、書けることはたくさんあると思います。その上で、本車両の解説記事として「何が本質か」という観点を持って記述内容の取捨選択をしていただければ、と思います。私が指摘したのもすべて「本質でない」と感じた部分です。--Loasa会話2012年12月30日 (日) 12:14 (UTC)[返信]
Loasa様、まずは査読いただきありがとうございます。概ねご指摘に従う形で記事の修正を実施いたしました。ご指摘いただきました注釈の出典についてですが、本文の後に出典、注釈、出典となっている場合は注釈の後の出典群が注釈に(場合によっては注釈と本文の双方に)対応する出典となります(※referenceタグを入れ子にできないことに対する苦肉の策としてこのようにしてあります。他によりよい表記法があればご指摘いただけると幸甚です)。確かに注釈についての出典が不足していたことは否定できませんが、「全般に出典が示されていませんね」と評されるほど極端に少なくはなかった(このことは出典に挙げた書籍・雑誌をせめて1冊か2冊でもご覧いただけば容易にご確認いただけたかと思います)筈で、この点については反論申し上げておきたく存じます。なお、瀬戸線関連の記述は単なる名鉄瀬戸線#歴史への転記で済まず再編には非常に大きな工数を要するため、全て単純削除としています。これについては、必要だと思われるどなたかに転記なり再編なり作業していただければと思います。--HATARA KEI会話2012年12月30日 (日) 18:41 (UTC)[返信]
(追記)ところで、注釈7,8について「このあたりのことは、鉄道記事を詳細に読むような人なら常識的に知っていることではないでしょうか。」とのご意見ですが、小生の周囲にいる鉄道趣味を持つ人間に問うてみた限りでは、このあたりのことを「常識的に知っている」人間は(理系学部卒の人間を含めて)ほぼ皆無でした(まぁ、このこと自体は完全な独自研究になってしまうのですが)。Wikipediaにおける鉄道車両記事や路線記事でもこのあたりのことをマトモに書かれている記事が少ない事も併せて考えると、これらを「鉄道記事を詳細に読むような人なら常識的に知っている」ことと安易に断言して良いものなのかどうか、正直疑問に思うのですが。--HATARA KEI会話2012年12月30日 (日) 20:33 (UTC)[返信]
HATARA KEI様、修正お疲れさまです。対応ありがとうございます。大分よくなったと思いますが、もう一度読み直してみたら、まだ気になる部分がいろいろと見付かりましたので引き続きご検討のほどよろしくお願いいたします。
なお、referenceタグは入れ子にできませんが、脚注に引用を表示する方法はあります。 H:REFNESTを御覧ください。
「主電動機」節
「、弱め界磁の導入は一般的ではなかった」 弱め界磁そのものではなく、制御方式の導入なのですから、"弱め界磁制御"とすべきではないでしょうか。
「機器転用により名古屋鉄道では歯数比3.045....」文章があいまいで意味が正確につかめません。「機器転用により」がその後のどの文節にかかるのかあいまいになっています。少なくとも以下のような複数の解釈が可能な文章になってしまっていますので、修正をお願いします。
  • 歯車や何やら電動機以外の部品を他の車両から「機器転用」して、数比3.045、全界磁定格速度約52km/hの設定にした。
  • 本線用吊り掛け駆動車は、電動機を他の車両に「機器転用」したことにより、1996年までにほぼ淘汰された。
  • 何らかの制御装置を他の車両から「機器転用」することにより、弱め界磁制御機能を付加しないまま本線で運用され続けた。
「瀬戸線時代」節
うーん。大分削減されたようですが、まだまだ過剰すぎると思います。もっと簡素化できると思いますので、以下に私が考えた文例を示しておきます。参考にしていただければ幸いです。(出典は省略 注釈化すべきと考える部分は <ref group="注釈"> タグで注釈化しています。)

本線系統との接続駅を持たない孤立線区で、しかも直流600V電化のままであった瀬戸線は、1960年代中盤当時、乗客数が急増していた。しかし、この時期の同線は、名古屋鉄道に統合された各私鉄由来の種々雑多な車両が運用される混沌とした状況であり、冷房付き高性能車の導入が進んでいた名古屋本線などの他線区と比較して車両や地上設備の体質改善が著しく遅れていた。

もっとも当時の瀬戸線は、18m級車の導入(本線系統で標準となっていた)や3両編成以上への増結による輸送力増強が難しい[注釈 1]、という路線固有の事情を抱えており、それが14m級車を主体とする種々雑多な車両が在籍する理由の1つとなっていた。

瀬戸線の近代化については、大曽根から地下鉄2号線(後の名古屋市営地下鉄名城線)と接続し、同線と相互乗り入れによる直通運転を実施する計画があった[出典 68]が、乗り入れ相手である名古屋市交通局との諸条件の摺り合わせが難航し、最終的にこの計画は放棄された。このため、以後は未改良のまま取り残されてしまった堀川 - 大曽根間の処遇が問題となった。

この問題は、最終的には、一部区間の地下化および高架化とそれに伴う線形改良など[注釈 2]により解決された。しかし、在来車の安全性や老朽化が問題となった1960年代中盤から近代化計画完成までには、結局10年以上もの長い時間を要することになった[出典 70]。

このような状況下において、急を要する接客サービス改善や車両の保守管理や安全性確保の点で、改良工事全体の完成を待ってから18m級車を導入することは非現実的な選択肢であった。

そこで、種々雑多な小型老朽車の代替用車両として、本線系統で遊休状態となっていた、16m級で本形式由来のク2300形およびク2320形[注釈 3]と、車体のみ残っていた16m級のク2330形(元モ910形)[注釈 4]が選ばれた。

16m級の半鋼製車両であれば当時の瀬戸線でも問題なく運用可能[出典 71]であり、既存の木造車と比較して安全性も改善されることなどから、線形改良工事の完成後に18m級車が導入されるまでの中継ぎ役として最適だったのである。

1965年から1966年にかけてこれら3形式は順次瀬戸線へ転属の措置がとられた。その際、ク2330形は再電装され[注釈 5]、片運転台の制御電動車(Mc)であるモ900形となった。

  1. ^ 堀川 - 東大手間は、旧久屋駅付近にあった通称「サンチャインカーブ」(半径3チェイン≒60m[出典 67])をはじめ急カーブが多く、また国の特別史跡である名古屋城外堀の中に敷設されていたためにそもそも線形改良が困難であった、
  2. ^ 堀川 - 東大手間の廃止、およびその代替として地下新線の建設による名古屋市中心部の栄への単独での乗り入れ[出典 69]、そしてそれ以外の区間の一部高架化など
  3. ^ 前節で解説したように、両車は3700系・3730系への機器供出により制御車化されたものの、ペアを組むべき電動車群もことごとく機器供出対象となったことから遊休状態となっていた
  4. ^ 一旦3730系への機器供出により電装品を供出した後、制御車化の際に交換された台車まで再度3730系への供出対象とされた結果、車体のみとなって使用不能状態に陥っていた[出典 71]
  5. ^ 瀬戸線在籍の木造車であり、偶然にもク2330形と同数の7両が在籍していたモ600形を全車廃車して捻出された直流600V区間専用設計の電装品および台車が利用された
>このあたりのことを「常識的に知っている」人間は(理系学部卒の人間を含めて)ほぼ皆無でした<
そうですか。モーターの性能やらインバーター制御やらについて熱く語る電車ファンの方なら、当然知っているだろうと思っていたのですが(^^;
それならば注釈があってもいいかもしれませんね。ただ、本形式登場の背景説明としては「1500V対応の高性能な鋼製車両が必要とされた」という部分が本質だと思いますので、この注釈はなくても差し支えないものだとは思います。--Loasa会話2013年1月1日 (火) 11:26 (UTC)[返信]
Loasa様、再査読と H:REFNESTのご教示、ありがとうございます。ご指摘いただいた各節についての修正および当方の見解を以下に示します。
「主電動機」節
これにつきましてはご指摘いただいた箇所について修正を実施しました。
「瀬戸線時代」節
この節についても整理を実施しましたが、冒頭部は敢えて大半を残しました。これは、地上設備面の制約が18m級車の新製投入あるいは本線からの転用を事実上不可能とし、そのために1966年まで老朽化した木造車が残存するという悲惨な状況を呈していたこと(本文には書けませんが、当時の状況については実際に見聞し乗車もした人間が小生の身近にいてよく聞き知っています)、そしてそんな状況であったからこそ本線で「老朽化による車体載せ替え」の対象となった、つまり老朽車と見なされていた16m級半鋼製車でさえ、「近代化」や「体質改善」の原資たりえた、という瀬戸線の特殊事情の十分な説明なしには、鉄道を趣味としない一般の読者には事情が見えない(例えどんなにマニアックな記事であろうとも、いやマニアックな内容の記事だからこそ、一般の読者に対する配慮は忘れるべきではないでしょう)、と考えるためです。
それと、同じ理由になるのですがやはり注釈7,8の件は残すべきかと思います。鉄道ファンしか読まない、という訳ではありません(Loasa様はそのような視野狭窄に陥ってはおられませんでしょうか?)ので。あと、厳しい言い方になりますが、スペックマニアがスペックの内実をきちんと把握・理解しているとは限りません。小生の本職においては、むしろその種の人々の理解の浅さに悩まされることの方が遙かに多いことを申し添えておきます。--HATARA KEI会話2013年1月1日 (火) 15:43 (UTC)[返信]
【感想】 ──専門外の方による感想。
【その他】 ──表記・文体など