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ノート:戦間期の写真家の一覧

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○数字は機種異存ですから、使用を控えてください。0null0 13:02 2003年10月3日 (UTC)


レーニ・リーフェンシュタールの写真家デビューは1973年(戦後)だと思いましたが……
根拠: http://www.leni-riefenstahl.de/deu/buch.html

DIE NUBA
München: Paul List Verlag 1973.

(レーニ・リーフェンシュタールの公式サイトの著作リスト、三冊目)
よろしければ、彼女が戦間期に写真家として活躍したことを示す根拠を教えていただけますか?
(作品名、作品発表時期など。これは急ぎませんので、お暇なときにゆっくりお調べください)
Opponent 22:59 2003年10月19日 (UTC)

戦後、映画の資金調達ができなくなったので写真に転向したのだという話を確かにほうぼうで聞きますね。Tomos 01:26 2003年10月20日 (UTC)

Opponent様、Tomos

主観的な記事やスタブ記事ばかり書いて、ご迷惑をおかけしている者です。
レニ・リーフェンシュタールについてご意見ありがとうございます。
ご返事がたいへん遅れ、すみません。

リーフェンシュタールの戦間期の写真作品は、まずは、次の、写真図版の多い和書で見ることができます。

1)LENI RIEFENSTAHL LIFE/プロデューサー&アート・ディレクター 石岡瑛子/求龍堂/1992年(これは、東京のBunkamuraミュージアムで開催された同名の展覧会の図録という位置づけの文献です)

ただ、その写真図版とは、オリンピア(OLYMPIAD)(と「低い大地(TIEFLAND)」)のものであり、図版についてデータが一切掲載されていないため(オリンピアだけでなく、すべての写真図版についてデータがなく、その点が、この本の致命的な欠点)、
ア)単なるスチール写真なのではないか?(「スチール写真」は写真ではない?)
イ)リーフェンシュタール自身が撮った写真ではないのではないか?(例えばオリンピアを撮ったいずれかのカメラマンの写真ではないか?)
という疑念は結果的にぬぐえません。

続いて、洋書でもよろしければ、次の3冊に、リーフェンシュタールの戦間期の作品があります。

2)The New Vision, Photography between the World Wars
Ford Motor Company Collection at the Metropolitan Museum of Art
The Metropolitan Museum of Art/Distributed by Harry N. Abrams, Inc.
Maria Morris Hambourg and Christopher Phillips
1989
ISBN: 0-87099-550-2 (MMA)
ISBN: 0-8109-1385-2 (Abrams)
3)German Photography 1870-1970
Power of a Medium
Klaus Honnef, Rolf Sachsse, Karin Thomas
DuMont または Yale University Press
1997
ISBN: 0-300-07172-8
4)Contemporary Photographers
executive editor, Martin Marix Evans ; consultant editor, Amanda Hopkinson ; advisers, Andrey Baskakov
3rd edition
New York : St. James Press
1995
ISBN: 1558621903

2)は、戦間期写真についての1つの基本書であり、私も、大きく依存しております。
これは、メトロポリタン美術館のコレクションになっている作品群ですので、リーフェンシュタールが戦間期にも写真を撮影していることは、少なくともメトロポリタン美術館においては認知されているのだと思います。該当作品(1点)のデータは、以下のとおりです。
n. 82
CALISTHENICS, OLYMPIC GAMES, BERLIN, 1936
Gelatin silver print
8 9/16 x 11 1/32 in. (21.7 x 28 cm.)

3)は、ドイツの写真を研究する際には欠かせない文献(だと思うの)ですが、残念ながら私は持っていません。しかも、コピーしておいたはずの図版リストが見つからないため、「リーフェンシュタールの戦間期の写真作品が掲載されている」ということが記憶に残っているだけで、どのような作品なのかについて、また作品のデータをお知らせすることができません。申し訳ありませんが、コピーが見つかった時点でお知らせしたいと思います。

4)は、750人くらいの写真家を網羅した、いわば写真家人名事典です。おそらく世界的にも最も信頼のおける写真家人名事典の1つでしょう。リーフェンシュタールも収録されていますが、その作品として、1941年の「Self-Portrait」が掲載されています(ただし、データは未掲載)。他の写真家について掲載されている写真図版を見る限り、Self-Portraitを掲載せねばならないわけではありませんので(またそうであっても)、なぜ、数あるリーフェンシュタールの写真作品の中で、わざわざ、戦前のこの作品が選ばれているのか、個人的には、よくわかりません。

さらに、インターネットのページでよろしければ、次のページに写真図版があります。

5)http://www.leni-riefenstahl.de/eng/photo/p_olym.html
6)http://www.artline.com/associations/ipa/show/show2002/nonexhibitors/fahey-klein/fahey-klein.html

5)では、どうやらオリンピアから18点の図版が引かれていますが、データがないため、上記文献1)と同様の疑念があります。

6)もオリンピア系統の作品のような気もしますが、写真のデータがあります。いつの間にかこのページがなくなってしまうおそれもありますので、念のためデータだけ引用しておきます。
Ausklang, Berlin, 1936
silver gelatin photograph, ed. of 10
50 X 40 cm

ということで、リーフェンシュタールの戦間期の写真は、存在するといえそうです。

ところで、では、なぜ、リーフェンシュタールの戦前の写真が、一般的にあまり知られていないのでしょうか。少しわき道にそれますが、大前提として、その時期の写真作品が少ないということに加えて、それ以外にも、

あ)彼女を評価しない、または批判する者にとっては、戦前の作品を取り扱うなどとんでもない、ということになる。
い)逆に彼女を評価する者にとっては、戦前の活動はなるべく触れたくない、という位置づけになる。
う)当時(戦前)の彼女自身にとっては、とにかく、映画が主であり、写真など余技に過ぎなかった。写真家として活動しているなどという意識はなかったのではないか。
え)戦後の彼女自身としては、変な批判を避けるために、戦前の自分の写真作品については、たいしたものでもないので、さわらずに置いておきたい、と考えていたのかもしれない。また、さわりたくてもさわれる状態になかったのかもしれない。

以上、憶測にすぎませんが、いずれからも、戦前の写真を大きく取り上げようという動きはおきにくそうです。

さて、以上見たように、リーファンシュタールが戦間期に写真作品を残しているとはいえそうです。しかし、そうだとしても、それは、点数が少なく、また、彼女の経歴から考えて、たいしたものではないようです。従いまして、リーフェンシュタールを私が「戦間期の写真家」としたのは、そもそも、自分の設定した選択基準からして、やはり間違いであったように思います。(註)に書きました「むしろ、戦後の活動が主であるため」という理由で50人からははずし、(註)のリストに落としたいと思います。ご迷惑おかけしました。

とすると、50人を維持するためには、代わりに誰かを追加しなければならないわけですが、女性をはずしたのだから、誰か代わりの女性を入れたいところで、
マン・レイの恋人の1人でもあったリー・ミラー (Lee Miller; 1907-1977)とするか(待望の写真集(和書)が岩波書店から出ました)、
ピカソの愛人で、「泣く女」のモデルともなったドラ・マール (Dora Maar (Henriette Dorothée Markovitch); 1907-1997)とするか、
ロッテ・ビーゼ (Lotte Beese (Charlotte Stam-Beese) (Lotte Stam-Beese); 1903-1988)か
アンネ・ビエールマン (Aenne Biermann; 1898-1933)か
イルゼ・ビング (Ilse Bing; 1899-1998)か
ジゼル・フロインド (Gisèle Freund; 1912-2000)か
モホリ=ナジ夫人であるルチア・モホリ (Lucia Moholy (née Schulz); 1894-1989)か
ソニヤ・ノスコウィヤック (Sonya Noskowiak; 1900-1975)か・・・。

以上は、それぞれ、気になる写真家ではありますが、ちょっと、リーフェンシュタールには及ばないように思います。そこで、必ずしも、50人である必然性はありませんので、49人のまま1人欠員としたいと思います。

以上、よろしくお願いいたします。203.140.123.212 05:31 2003年12月30日 (PST)



50人に限定しているのは根拠があるのでしょうか? また「戦間期」と書かれていますが、どの戦争(この場合、第二次世界大戦を差すと思いますが)かが書かれていないと、記事としては不明確ではないでしょうか? Baffclan 04:52 2003年12月7日 (UTC)

この記事とは関係ない者ですが、戦間期とは第一次世界大戦終結後から第二次世界大戦が始まるまでの時期を指す用語です。 - 2003年12月7日 (UTC)

Baffclanさん、ご意見ありがとうございます。
遅くなり申し訳ありませんが、以下のとおり、ご回答いたします。

1)50人の意味について
正直なところ、50人については、それほど明確な根拠なり理由なりがあるわけではありません。20人では少なすぎる、100人では多すぎるであろう、というような考えの末に出てきた人数です。ですから、60人でもよかったし、40人でもよかったのですが、きりがいいであろうということで50人を選びました。この数字に対するこだわりのなさは、別途、リーフェンシュタールについてのご意見に対する回答(上記)で書いております。
なお、そもそも、このような項目が必要なのか、という疑問もお持ちでしょう。先回りのようで失礼ですが、若干書かせていただきますと、この項目は、あくまでも過渡的な項目で、この項目で取り上げている写真家がほとんど青くなった(すなわち個々の写真家につき説明が記載された)暁には、「写真家一覧」へと発展的に解消され、なくなるべき項目ではないか、と思っております。ただ、当方は、1か月に1人くらいのスローペースでしか書きつづけられないと思いますので、この項目の写真家についてすべて書くことができるのは、3~4年程度先になるでしょうか。もちろん、その間に、もっと積極的に書いてくださる方が登場なされば、早く解消できるとは思いますが、いずれにしろ、3~4年などというのは、このプロジェクトに関していえば、短い時間でしょう。

2)「戦間期」という言葉について
すでにSEKIUCHIさんにご回答をいただいてしまいましたが(ありがとうございます)、そのご回答のとおり、第一次世界大戦第二次世界大戦の間を意味します。したがいまして、厳密には、1918 年から1939年までを意味します。ただ、実際には、1914年から1945年までの意味で使われる場合もあります。また、おおむね、1920年代1930年代を意味している場合も多いと思います。
ここでは、あまり厳密ではなく、1920年代から1940年代前半くらいをさすつもりで使っています。 なお、この言葉は、写真や美術の分野というよりも、むしろ、歴史一般の用語で、例えば、ウエッブ上で検索すると、かなりの数のページがヒットします。お時間ございましたら、お試しください。

以上、よろしくお願いいたします。203.140.123.212 05:49 2003年12月30日 (PST)

お返事ありがとうございます。三大○○、××百選など一般的であろう表記ではなく、50人限定であったので質問させていただきました。当時、(職業)写真家人口がどのくらいおられたのか知らないのですが、記事の中に戦間期前・後にかけて活動していた方の記載もあります。50人という表記を記事名にせず[[戦間期の写真家 (海外)]]としてはいかがでしょうか。(記事名に全角括弧が使われているので、移動は必要と考えます。)
記事の中で、50人のリストと活動時期による分類をしてはどうでしょうか。
・戦間期を中心に活躍した50人の写真家
・第1次世界大戦前から戦間期に活動した写真家
・戦間期から第2次世界大戦以降に活動した写真家
Baffclan 12:17 2003年12月31日 (UTC)

戦間期の写真家(51人から100人まで)

[編集]

Baffclanさん、ご返事がひどく遅くなり、大変申し訳ありません。203.140.123.212であった者です。

何故か項目名がいろいろと変わっていますが、内容的には、書いておられるような方向で、進んでおり、問題も発生していないようですので、大変うれしく思います。ただ、私の方で、個々の写真家についての記事が十分に書けていない、という根本の問題は残っていますので、引き続き、積極的に書いていきたいと思います。

さて、戦間期の写真家について、このページの50人で十分とは限らず、当然この50人以外について記事が必要となる場合もあるでしょう。従いまして、今回は、ご参考までに、さらに50人を列挙したいと思います。今回も、なるべく客観的に選択したつもりですが、個人の好みが入っていないとは明言できません。なお、念のために付記いたしますが、この追加した50人については、私は記事を書くつもりは特にありません。したがいまして、「赤リンク」には、まったくしておりません(とはいっても、実際には、一部の写真家については書くかもしれません)。ただ、自分も含めて、写真家の新記事作成の参考になれば、と思った次第です。

ABC順。

  • ジェームズ・アッベ(ジェームズ・アベー、James Abbe、James Edward Abbe、James Abbé、1883-1973)
  • ロッテ・ビーゼ(Lotte Beese、Charlotte Stam-Beese、Lotte Stam-Beese、1903-1988)
  • ハンス・ベルメール(Hans Bellmer、1902-1975)
  • エンネ・ビエールマン(Aenne Biermann、1898-1933)
  • イルゼ・ビング(Ilse Bing、1899-1998)
  • アントン・ブルール(Anton Bruehl、1900-1982)
  • マーティン・シャンビ(Martin Chambi、Martin Chambi Jiminez、1891-1973)
  • ポール・シトロエン(Roelof Paul Citroen、Paul Citroën、1896-1983)
  • アンドレ・ダースト(André Durst、1907-1949)
  • ハロルド・エジャートン(Harold E. Edgerton、Harold Edgerton、Harold Eugene Edgerton、1903-1990)
  • アルフレッド・アイゼンスタット(Alfred Eisenstaedt、1898-1995)
  • ヒューゴー・エルフルス(Hugo Erfurth、1874-1948)
  • アンドレアス・ファイニンガー(Andreas Feininger、1906-1999)
  • ハンス・フィンスラー(Hans Finsler、1891-1972)
  • ジゼル・フロインド(Gisèle Freund、1912-2000)
  • ヤロミール・フンケ(Jaromír Funke、1896-1945)
  • ジョン・グートマン(John Gutmann、Johann Gutmann、1905-1998)
  • ハインツ・ハイエク=ハルケ(Heinz Hajek-Halke、1898-1983)
  • ジョルジュ・ユニェ(Georges Hugnet、1906-1974)
  • ボリス・イグナトヴィッチ(Boris Ignatovich、Boris Vsevolodovic Ignatovich、Vjesvolovich Boris Ignatovich、Boris Ignatovitch、1899-1976)
  • ラヨス・カシャーク(Lajos Kassak、Lajos Kassák 、1887-1967)
  • ジョルジュ・ケペッシュ(Gyorgy Kepes、György Kepes、1906-2001)
  • フランソワ・コラール(François Kollar、1904-1979)
  • エルジー・ランダウ(Ergy Landau、Erzsi Landau、1896-1967)
  • ラッセル・リー(Russel Lee、1903-1986)
  • アリス・レックス=ネルリンガー(Alice Lex-Nerlinger、1893-1975)
  • エリ・ロタール(Eli Lotar、1905-1969)
  • ドラ・マール(Dora Maar、Henriette Dorothée Markovitch、1907-1997)
  • フェリックス・マン(Felix H. Man、Hans Sigismund Baumann、1893-1985)
  • ハーバート・マター(Herbert Matter、1907-1984)
  • リー・ミラー(Lee Miller、1907-1977)
  • ルチア・モホリ(Lucia Moholy、Lucia Schulz、1894-1989)
  • ニコラス・マレイ(Nickolàs Muray、1892-1965)
  • ソニヤ・ノスコウィアック(Sonya Noskowiak、1900-1975)
  • ノーマン・パーキンソン(Norman Parkinson、Ronald William Parkinson Smith、1913-1990)
  • ゴードン・パークス(Gordon Parks、Gordon Roger Alexander Buchannan Parks、1912-2006)
  • ロジャー・パリー(ロジェ・パリー)(Roger Parry、1905-1977)
  • エドワード・キリー(Edward Quigley、1898-1977)
  • リングル・プラス・ピット(ringl + pit (1930-1933)、グレーテ・シュテルンGrete Stern (1904-1999) and エレン・アウアーバッハEllen Auerbach (1906-2004))
  • フランツ・ロー(Franz Roh、1890-1965)
  • ウィリー・ロニ(Willy Ronis、1910-2009)
  • ヤロスラフ・レスラー(Jaroslav Rössler、1902-1990)
  • アーサー・シーゲル(Arthur Siegel、Arthur Sidney Siegel、1913-1978)
  • エマニュエル・スージェ(Emmanuel Sougez、1889-1972)
  • アントン・スタンコウスキー(Anton Stankowski、1906-1998)
  • カレル・ティーゲ(カレル・タイゲ)(Karel Teige、1900-1951)
  • ドリス・ウルマン(Doris Ulmann、1882-1934)
  • ジェームズ・ヴァン・ダー・ジー(James Van Der Zee、James Augustus Van Der Zee、1886-1983)
  • ポール・ウォルフ(Paul Wolff、1887-1951)
  • ピエト・ズワルト(ピエト・ツワルト)(Piet Zwart、1885-1977)

なお、以上のリストについて、名前の発音の部分は、我流のものがありえますので、間違いなどにお気づきの方は、ご指摘いただければ、幸いです。よろしくお願いします。20世紀(前半)美術 2005年6月19日 (日) 05:13 (UTC)[返信]

2012年9月の削除依頼について

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削除依頼が4つから2つに減りましたので若干余裕ができ、必要最小限の修正をいたしました。さらなるご意見があれば、ご記載よろしくお願いいたします。--20世紀(前半)美術会話2012年9月21日 (金) 13:34 (UTC)[返信]

光舟さん、私の会話ページに書いていただいた内容のうち、この記事に関わる部分について、こちらで書きます。もともとは(先週末の時点では)、次のような総論的な質問を準備しており、この質問を差し上げ、若干なりともやり取りをさせていただき、光舟さんのご趣旨を正確に理解してから、各論のご質問には回答したかったのですが、「各記事のノートで話をする必要は冷たいようですが感じてません」と書いておられるところから、どうもご回答をいただくことが無理そうな感じです。

「一覧系記事は説得力のある出典を伴う厳密な定義が必要であり、その定義に則る項目を網羅するのでなければ、立項者の独自研究による定義に基づいた有用性のない一覧ないし単なる雑多な寄せ集めに堕する」と書いておられます。一般論としては十分に理解できますが、具体的には、どの程度の厳密さが必要なのでしょうか? すでにWikipediaに存在する他の一覧を例としてご説明いただきたく、よろしくお願いします。「これこれの一覧記事はこの点において『厳密』だから削除しなくてはならないような問題はない。その一覧と『戦間期の写真家の一覧』との違いはここだ(つまり、その点が改善されれば存続となる)」というご説明をいただければ、わかりやすくて幸いです。光舟さんのご回答内容により、他の個別のご質問に対してご回答したいと考えております(例えば、「厳密な定義」とは何か、どのような「出典」が必要なのか、など)。よろしくお願いいたします。

以上につきご回答をいただけないという点はいたし方ありませんので、総論的な質問についてのご回答をお待ちすることなく、それは脇に置いておいて、以下、各論のご質問について、私の考えを書いてみます。ただ、懸念する点は、私が総論での疑問点を解消していないため、各論において回答を差し上げても、単なる「すれちがい」に終わるのではないか、ということです。

  • 質問1:厳密な定義に則った写真家の一覧記事になっていますか。
    • 回答1:結局、「厳密」性がどの程度必要なのかという問題ですが、この記事は、すでにWikipedia:削除依頼/戦間期の写真家の一覧に書きましたとおり、現時点ではWikipediaにおいて「単に、記事が作成されている戦間期の写真家の一覧となって」いますので、それほど厳密であることは必要ないと考えています。すなわち、「戦間期に活動している、戦間期に作品を残している写真家」ということで、厳密さは十分であると思っています。
  • 質問2:何の出典もなく追加されている写真家が「戦間期に活躍した」かどうかは誰が決めたのでしょう。
    • 回答2:「戦間期に活動している、戦間期に作品を残している写真家」ですから、何らかの文献に、戦間期の年数が「制作年」であると記載されている作品が掲載されていれば、その文献が出典となります。光舟さんの言葉を使って申し上げると、その写真家は、その文献(の著編者)が「戦間期に活躍した」と「決めた」、ということになります。では、その文献をいちいち記載しなくてはならないかというと、例えば、「画家の一覧」という一覧記事などでも、いちいち文献を記載しておりませんので、ここでも必要ないと考えます。
  • 質問3:ノートにもご自身でお書きのように、当初の 50 人という数は何の出典もない20世紀(前半)美術さんの完全な個人的見解であり、現在網羅されている写真家も「個人の好みが入っている」独自研究となってはいませんか。
    • 回答3:これも、回答1と同じですが、当初の「個人の好みの入った」一覧とはすでに性質がまったく異なっております(なお、あえて書かせていただくと、もともと「何の出典もない」ということはありません。様々な文献を参照しております)。Wikipediaにおいて「単に、記事が作成されている戦間期の写真家の一覧となって」いるわけですから「独自研究」になりようがありません。もし、抜けている写真家があれば、それがわかった時点で追加していただければいいだけです。なお、抜けている写真家があっても、それは一覧に追加すればいい(記事を改善すればいい)ということであって、「抜けている写真家がある」ということだけで直ちに「削除」の理由までにはならないと考えます。

以上ですが、何かあれば、コメントをよろしくお願いいたします。--20世紀(前半)美術会話2012年10月8日 (月) 03:04 (UTC)[返信]

「総論的」な部分についてご返事します。Babi Hijau さんと私との合作で執筆(翻訳)した一覧記事として『国宝絵画の一覧』『国宝彫刻の一覧』があります。それぞれがどのような定義に基づく記事なのか、どのような出典に基づく記事なのか、どのように『戦間期の写真家の一覧』と違っているのかはご自身でご判断ください。以降のご回答に対する私からの考えについては、20世紀(前半)美術さんからのご判断をお伺いしてからお答えするかどうかを判断します。ご判断しだいでは何もお答えしない可能性もあることを予め申し述べておきます。--光舟会話2012年10月9日 (火) 14:01 (UTC)[返信]
光舟さん、わざわざコメントありがとうございます。やはり総論の質問をあえて書き、しかもコメントをいただいてよかった。イメージしているもの(議論の土台)が全く違うことがよくわかりました。このようなことがあるから、削除依頼の前に十分に対話をすることが重要であり、必要であるということが改めてわかりました。議論の土台が違うということが明確に文字になることだけで、削除依頼から1ヶ月以上かかっているのですから。さて、Wikipediaを見てみると、Wikipedia内の一覧記事にも、明らかにいくつかの種類があることがわかります。この一覧は、上記に例示しましたとおり、画家の一覧のような索引的なものであり、光舟さんが挙げておられる一覧とは比較のしようがありません。索引的な一覧ですから、その一覧記事にそもそも網羅性はありませんし、出典もありません(Wikipediaに存在する項目を集めたものでしかないのだから)。もちろん、その一覧に掲げられている項目全体を示したり、掲載しているような出典など、なおさら存在しえません。これだけ土台が異なれば、さぞかし、私の上記回答が奇妙にお見えになったことでしょう。しかし、ご立腹なさることをおそれつつ、あえて例えるならば、そのような比較は、「トラを連れてきて、このネコはけしからん」とおっしゃっているかのようです。確かに、同じネコ科だったようだ、しかも、トラに比べればネコは間違いなく貧弱だ、しかし、その比較はおかしい、ネコはネコと比較していただきたい。もちろん、その結果、「あんたのネコは、他のネコに比べてしつけが悪い」という結論になるかもしれません。そうなった場合には、次は、しつけをしなおせるのかどうかを考える段階に入ります。いま一度、画家の一覧の観点でご覧下さい。よろしくお願いいたします。最後に、今回の一連の対話において、よく誤解されている(誤解されそうになっている)ようですので、念のため書いておきますが、私は、一覧記事一般について、積極的に賛成しているわけではなく、むしろ制限的にするべきだと考えています。またこの記事のタイプの一覧記事を今後もどんどん作っていこうなどとは全く考えておりませんし、(この点も誤解されているようですが)過去においても、今回削除依頼された記事以外にこのタイプの一覧記事に積極的に関わったことはあまりないと理解しています。--20世紀(前半)美術会話2012年10月14日 (日) 08:30 (UTC)[返信]
同レベル(あるいは同レベル以下)の問題ある他記事を引き合いに出して正当性を主張する論法に対しては、すみませんがコメントを控えさせていただけますでしょうか。
さて本題です。残念なことに私は写真のことはまったくといっていいほど存じておりません。美術に関する私の微々たる知識は極めて限られた時代、地域、分野に偏頗したものであり、写真に関する自身の知識の薄さは『アドルフォ・ファルサーリ』の翻訳で嫌というほど思い知ってます。そのうえで、一覧記事全般について「むしろ制限的にするべきだと考えて」おられる、20世紀(前半)美術 さんがこの一覧にここまで拘っておられる理由を考えました。そして、写真にお詳しい20世紀(前半)美術 さんが戦間期に写真家ないし写真史において、単独記事化するに値する何らかの大きな動向があったことを知っておられるからだという結論に、申し訳ないことに遅ればせながら思い至りました。写真に無知な私からの無茶振りで恐縮なのですが、是非ともそのあたりの解説を出典とともに本文に記述するとともに、一覧に収蔵した各写真家が写真史上重要な戦間期にどのような役割を果たしていったのかあたりをお書きいただくことは出来ませんか。とてもとても有意義な一覧記事に発展すること間違いなしです。
以下は余談ですが、少々お付き合いいただければと。20世紀(前半)美術 さんは、解説も出典もない記事リンク集系の一覧記事はカテゴリで運用するのが正しいとは思いませんか。wp において単なる記事リンク集の役割を担うのは独立記事ではなくカテゴリです。良くない例に出すことを予め伏してお詫びしておきますが、例えば削除前の『戦間期の写真家の一覧』であれば [[Category:写真家]] の下位カテゴリに [[Category:戦間期の写真家]] を作成して対象の写真家記事に貼付すると。上述したように写真史上特筆性ある時代区分の戦間期でくくられた写真家のカテゴリは、読者にとっても有益なものでしょう。で、カテゴリと完全に被る削除前の内容の『戦間期の写真家の一覧』本体は、削除してやっぱり正解だったんじゃないかなと個人的には考えてます。それではリライトされた『戦間期の写真家の一覧』を楽しみにしています。--光舟会話2012年10月18日 (木) 12:30 (UTC)[返信]