ノート:斎藤一
このノートは2006年11月6日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
ログ - 「出自について」の議論。2006年10月22日 (日) 13:53 (UTC) から 2006年10月31日 (火) 13:43 (UTC) まで。
間者だったとする出典・「剣の流派は不明」という記述について
[編集]2004年9月6日 (月) 03:39版で追加された斉藤一が長州藩か幕府の間者だったとする説を詳しく書いてほしいです。(出典など)Omoide 2004年9月17日 (金) 12:28 (UTC)
ネット上で調べてみました。いくつかそれらしき記述はあるものの、いずれも説があるとの記載で出典について言及しているものは見つかりませんでした。引き続き情報をお待ちします。Omoide 2004年9月18日 (土) 15:06 (UTC)
お求めの情報でなくて申し訳ありませんが、剣の流派は不明とありますが、「新選組・ 斎藤一の謎」赤間倭子 新人物往来社(参考文献にあるのと同じ本だと思います)に よると、無外流です。この本のp29からp30を読むと、一刀流だと思ってしまいそうですが、p52からp57を読むと、無外流であることがわかります。不明としたのは、 これを読んだうえで、この記述では、斎藤が無外流を学んだという証拠にはならない、と判断して不明としたのでしょうか。そうであるならば、何も言うことはありません。 もう1つ。一瀬伝八とありますが、私が読んだ新選組に関する本には、一戸伝八と 書いてあり、一瀬と書いてあるものは、1冊もありませんでした。一戸が間違いで、 一瀬が正しいということが判明したのなら、これまた、何も言うことはありませんが。
どちらともとれないということが「不明」となる根拠です。一刀流でも無外流でも現在立証する公的資料は存在しません。「一瀬」も「一戸」とする文献があるのでこれも「不明」の根拠です。「一戸は誤りだ」とする確たる当時の公的史料(のちの研究家の推量ではなく)も存在しません。本文には推しえるものも多分に含まれておりますが、現在、一番信憑性のあるものを掲載してるのではないかと思います(本文のうち、私が執筆したのは山口家の部分のみで、主に公文書を引用論拠としております)。--ふんにゃらにゃ 2006年5月16日 (火) 21:43 (UTC)
- 一戸は、解読時のミス(この記述は2009年6月6日 (土) 15:38 61.124.137.49が記述したもの。以上を補足する--Suttokodokkoi 2009年6月7日 (日) 15:15 (UTC))
変名「一瀬伝八」について
[編集]斎藤一のもう一つの変名・一瀬伝八について。 原本の古文書を活字化する時に一戸伝八と解読者は行いました。この解読文をもとに、斎藤一の高田での変名は一戸伝八とされて書籍にまで今もって使用されています。全ての変名が記されている原本を直接、撮影してきて解読すると一瀬伝八が正しい。伝も傳が正確であるが、固有名詞となっているので変えずにいる。判明したことを知っている人は一瀬という苗字を単行本でも使用。「斎藤一の謎」の著者は、身動き出来ないのだから直し様がないのです。「一瀬伝八」の場合は、写真で数点紹介されている古文書の他、少ししたら活字化となる 史料にも「一瀬」でした>Omoideさん。 誤りと指摘した文が載っている最初の本は「新選組組長列伝」>Omoideさん。)。なお、私的史料のみでなく公的史料にも「一瀬」とあるのです。--TI 2006年5月16日 (火) あくまで、青森県にある名簿を会津史談会が活字化した時に生じたミス。原本を見てきて写真も商業誌に載せましたが、「一戸」は誤りで「一瀬」が正しい。31人会の会員が「会津史談」を もとに「一戸伝八」と紹介したことから生じたミス。そこから、小説などは「一戸伝八」としている。。--富岡志郎 2009年12月12日 (土)
- 人のせいにするならば、出典を明示していただけますようにお願いいたします。特に「青森県にある名簿」と、「31人会の会員が「会津史談」をもとに「一戸伝八」と紹介した」という初出文献の明示は検証可能性の観点から特に強く申し上げます。逆にこの出典の明示があれば富岡さんが主張する論に賛同する方もいると思われます。ついでにコメント依頼にもかけてみましょう。--Suttokodokkoi 2009年12月15日 (火) 04:31 (UTC)
- 恥をかくのは、貴方ですよ。故・赤間先生も「31人会」におられましたが、退会されたのは御存命でも昔の時です。貴方、--Suttokodokkoi氏は31人会の
会員。会長に尋ねるのもよし、役員で書き手の人に尋ねるのもよし。私は、その方を悪くは思っておりません。 。--富岡志郎 2009年12月17日 (金)
- 注)最初に「会津史談」の活字本を見つけられたのは、故・赤間先生ではありません。私自身、原本を確認して「斎藤一のすべて」に写真入りで掲載するまでは完全なる否定はできなかった。
他の謹慎者名簿が全て一瀬伝八と記されていても。しかし、原本を確認すると事典とかにも一戸と一瀬と書いて来たのがあるが誤りとわかり以降、一戸は使用していない。。--富岡志郎 2009年12月17日 (金)
- まず、文章は意味がわかるように書いてください。まず「31人会」とはどこの団体でしょうか?人を誰かと勝手に決め付ける前にまず説明責任を果たしてください。たぶん、この文章を理解できているのは富岡さんご本人のみで、誰もが理解できません。誰かにあてた、あるいは私を利用して誰かを中傷しようとする行為は辞めた方が身のためです。で、富岡さんは伊藤哲也さん本人だということを明白に主張されるのですね。だとしても、今回のコメントは私にかかわりのない、どこかの誰かさんの中傷と意味不明の文章のみですから検証可能性が実効されていませんね。--Suttokodokkoi 2009年12月18日 (金) 16:04 (UTC)
座右の銘について
[編集]人物欄で、座右の銘は「悪・即・斬」となっていますが、文章が不自然に感じます。もし架空の造語ならここには載せず、るろうに剣心のほうに載せるのが適当だと思います。いずれにせよ書き換える必要があると思いますがどうでしょうか?--以上の署名のないコメントは、焙煎(会話・投稿記録)さんが 2006年9月6日 (月) 09:05 (UTC) に投稿したものです。
マンガ「るろうに剣心」という中での斎藤一の架空の造語ですから上記のとおり、掲載することに賛成(TI@)斎藤一の項目では削除する必要性があることでしょう。--以上の署名のないコメントは、TI@(会話・投稿記録)さんが 2006年9月11日 (月) 17:36 (UTC) に投稿したものです。
削除しました。「るろうに剣心」の斎藤は完全に架空の人物で本項とはなんの関係もありません。なお「最強の剣士」であるというのも抽象的な讃辞で百科事典の記述にそぐわないので疑問あり。210.248.149.162 2006年10月4日 (水) 05:41 (UTC)
お三方と同意見です。ノートで表明されている意見を踏まえ、「史実と漫画の混同」と編集理由に明記した上で該当部分を削除しましたが、IP:121.2.11.26(会話 / 投稿記録)に「意図不明」という理由で差し戻されてしまいました。--218.218.206.192 2006年10月7日 (土) 14:42 (UTC)
あまりにもシーソーゲームになったり、どさくさにまぎれて自己の都合で改変したりと、激しいので、掲示しました。表紙へ貼ることにより、ノートへの注目が増しますので、議論したうえでまとめてください。ちなみによほど納得がいかないもの以外は、私からは修正することはせず、切り貼りで文意がおかしくなったときのみ登場します。--ふんにゃらにゃ 2006年10月8日 (日) 23:35 (UTC)
るろうに剣心の斎藤は間違いなく現実の斎藤一をモデルにしたものであり、その旨の記述を削除することは不適当かつ無意味。現にこの場で議論にあっている。他者が今後、事実を攪乱させる記述を書くことを避ける意味でも、この部位の記述は必要。--163.139.178.183 2006年10月10日 (火) 12:05 (UTC)
- 子母澤寛や司馬遼太郎ならともかく、和月伸宏では、163.139.178.183さんのような心配は無用だと考えます。また「斎藤の「士」としての観念論を端的に表した言葉として評価されている」という記述は、163.139.178.183さんの論法では正当化できません。そもそも、そのような事実がほんとうにあるのかどうか、はなはだ疑問です。やはりこの部分はすべて削除すべきです。かりに、今後「悪・即・斬」を誤って書き加える人がいたとしても、そのつど編集すればすむことです。--呆庵入道 2006年10月16日 (月) 14:16 (UTC)
「==作品==」 のような章を立ててそこに記述するのはどうでしょうか。史実との混乱は避けるべきですが、部数の多い漫画であり、記述の価値がないとは言えないと思います。--Extrahitz 2006年11月24日 (金) 15:51 (UTC)
出自について
[編集]下記の方針に沿って編集しました。ご意見・ご異議などはノートにお願いします。
- 「悪・即・斬」は、特に異論もないようなので既定方針どおり削除。
- 呼び名は、記事名と一致する「斎藤」で統一。
- 同じことを2度3度と繰り返して述べたり、関連することがらがバラバラに述べられたりしている箇所があるのを集約。
- 記述が前後で矛盾していたり、リンク先の記述と相違する部分を整理。
- 熟語として熟さない言葉や不自然な言い回しを修正。
--呆庵入道 2006年10月22日 (日) 10:19 (UTC)
るろうに剣心をソースとした書込みについて
[編集]るろうに剣心をソースとした書込みについてですが、「るろ剣」はフィクションであることですし、別の節を設けて記述したほうが良いかと思います。事実は事実として記述して、フィクションの影響を受けた記述はそのように書かないと、誤解が生じると思います。Pica 2006年11月26日 (日) 02:40 (UTC)
- たしかに、英語版、ドイツ語版、スペイン語版、ポルトガル語版、ポーランド語版…つまるところ大部分の言語版では、斎藤の記事の中にフィクションの節を設けて「るろうに剣心」の斎藤について言及していますね。それらの言語版がフィクションの節を設けているのはそれら言語の使用国で実在の斎藤よりもフィクション中の斎藤のほうが知られているためであって、人気作といっても日本語版でそうした節を特別に設けるべきなのか、という点については、はなはだ疑問ですが、結局のところそれが最善の解決策だと思います。--Morio 2006年11月26日 (日) 03:37 (UTC)
- 座右の銘等に関する記述はるろうに剣心の斎藤一の欄に書けばいいのではというのもあります。だけどPicaさんやExtrahitzさんの提案のほうが漫画と現実を混同していないというのもあるので別の節を設けて記述していくという提案を支持します。--221.74.166.16 2006年11月26日 (日) 04:05 (UTC)
- 提案理由については支持しますし、「作品」という節を設けることには賛成します。ただ、問題の記述をそちらに移すことには反対です。るろうに剣心またはるろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-の登場人物一覧へのリンクで十分でしょう。--Dojo 2006年11月26日 (日) 05:53 (UTC)
- いろいろ考えてみましたが、私は、賛成もしないけれどあえて反対もしない、という立場です。事実をまったく踏まえないフィクションのキャラクターについて実在の人物の記事で言及することは、たとえば伊達政宗の記事に『戦国BASARA』の記事へのリンクが張られているように、当然ありえることです。ただ、せっかく「作品」の節を設けても、ただ『るろうに剣心』がポツンとひとつ記載されているだけ、というのでは、あまり意味がないのではないでしょうか。
- 本件は、将来はともかく現時点では、つまるところ「“悪・即・斬”は斎藤一の「士」としての観念論を端的に表した言葉として評価されている」という悪意ある虚偽の主張を繰り返す者が排除され、その主張に基づく記述が「斎藤一」の記事から抹消されればそれですむ話です。くだんの人物は荒らしとしてすでに管理者からマークされているようですし、いままでのところ、彼の行った編集はそのつど誰かがきちんと元に戻していますから、荒らし対策としてなら、わざわざ節を設ける必要はないように思います。--呆庵入道 2006年12月2日 (土) 14:21 (UTC)
『るろうに剣心』のための節を設けるか否かについては引き続き議論するとして、とりあえず荒らしがやんで半保護解除の要件は満たしているものと考えます。解除を依頼したいと思いますがよろしいでしょうか。--呆庵入道 2006年12月24日 (日) 12:54 (UTC)
- (反対)明確な合意が何ら形成されていない状況で半保護を解除すれば、無責任な未登録ユーザーによる編集合戦(「荒らし」に非ず)が再発するのが明白。依頼が出されたとしても、そちらでも反対意見を表明する用意あり。--Dojo 2006年12月30日 (土) 16:37 (UTC)
- (コメント)反対があるのに、それを押し切ってまで半保護解除を要求するつもりはありませんのでご安心を。ただ、誰かが議長役になって議論を主導するのでない限り「明確な合意」が形成されるのは当面むずかしいでしょう。私は、現状でも問題なく随意に編集できますから、半保護がこのまま長期に及んでも痛くもかゆくもありませんので、その役割を引き受けるつもりはありません。--呆庵入道 2007年1月3日 (水) 10:35 (UTC)
鈴木正三と斎藤一の関係について
[編集]「変な疑問」とは具体的にはどのような疑問でしょうか。私にはいったいどのような疑問が生じるのか想像もつきません。できましたら詳しくご説明いただければ幸いです。記述自体になんの問題もないのであれば、あえて削除する必要もないはずです。この一文をこの記事に書き加えるべきでない積極的な理由があるのならば、きちんと論理的で説得力のある説明をお願いします。--呆庵入道 2008年2月12日 (火) 13:27 (UTC)