コンテンツにスキップ

ノート:日本の戦争謝罪/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

欧州諸国についての言及[編集]

記述はほとんど中国、朝鮮、韓国関係に集中しており、欧州諸国について言及がないのは、記事名にふさわしくないように思います。東南アジア諸国についても、アジア諸国と一括されているだけで個別の記述はありません。また「戦争」責任と「植民地支配」責任は必ずしも同じではないので、注意が必要です。Trek011 2005年3月16日 (水) 07:45 (UTC)[返信]

当項目では、日本政府が実際に謝罪をしたことについて書きました。日本政府は「東南アジア諸国」に対して個別に公式謝罪を表明した事はありませんし、「欧州諸国」に対しても同様です。していないものは書きようが無い。もし謝罪していない国についても述べるとすれば、そうした国々に対しても日本は謝罪しなければならないという道義的な話になるわけで、そうなれば事実の列記を超えた評論の域に入ります。私にはそこまで書く用意はありません。Hermeneus 2005年3月16日 (水) 08:52 (UTC)[返信]

外務省のサイトによると、2000年2月の日蘭首脳会談で小渕総理がコック首相に対し、 「日本がオランダ人戦争被害者を含む多くの人々に対し多大の損害と苦痛を与えたことに対し、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」 したとあります。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/netherlands/kankei.html

また同年の天皇オランダ訪問でも謝罪表明がなされたとするサイトもあります。

さらに韓国・北朝鮮は日本の交戦国ではなく、戦場にもなっていないので、戦争謝罪と植民地支配に対する謝罪は区別する必要があると思います。Trek011 2005年3月18日 (金) 01:44 (UTC)[返信]

貴方がこれをオランダ国に対する謝罪として言及するに値すると考えるなら、「誰に対して謝罪したのか」にそう書き加えればよいことでしょう。Hermeneus 2005年3月18日 (金) 03:25 (UTC)[返信]
「戦争謝罪と植民地支配に対する謝罪は区別する必要」についてですが、いずれもほぼ同時期の日本国の行為により被害を受け、それに関して謝罪されたということに変わりはありません。「被害」の内容に関して分類していけば幾らでも細かく分けることができますが、「謝罪」の項目でそのように細分化することに私は必要性を感じません。Hermeneus 2005年3月18日 (金) 03:38 (UTC)[返信]

とにかく

>日本政府は「東南アジア諸国」に対して個別に公式謝罪を表明した事はありませんし、「欧州諸国」に対しても同様です。していないものは書きようが無い

という誤った認識の下に書かれた本文は問題があるように思うので、中立性テンプレを張っておきます。本文の改訂については考えておきますが、すぐにはできません。Trek011 2005年3月18日 (金) 03:52 (UTC)[返信]

単なる事実の列記が何の「中立性」を損なっているのか全く持って意味不明です。「中立」でないというのなら、如何なる観点から如何なる目的で「中立性」を損なうような記述をしているのか、明確に解説されることを望みます。Hermeneus 2005年3月18日 (金) 04:04 (UTC)[返信]

この本文は単なる一覧表ではありません。中国、朝鮮にのみ関心を向け、欧州諸国に対する戦争謝罪から目をそむけているという点で、読者をミスリードするものです。Trek011 2005年3月18日 (金) 04:12 (UTC)[返信]

ちゃんと根拠を提示してから「欧州諸国に対する戦争謝罪から目をそむけている」なりの文句はつけてください。事実として「欧州諸国に対する戦争謝罪」などほとんど存在しません。最も寛大な被害を受けた中国、朝鮮に対し多くの謝罪が発せられたのは極自然なことです。欧州諸国に対してもアジア諸国と同じだけの謝罪がなされただろうなどと勘ぐるべき理由がありません。それは戦争賠償を見ても明白。サンフランシスコ平和条約で賠償は日本軍に占領された連合国のみに限るとされ、更に、アジア地域に植民地を持っていたことで「日本軍に占領された連合国」に該当したアメリカおよび欧州諸国は、全て賠償請求権を棄却しています。結果、欧州諸国はほとんど賠償を受け取っていません。
また、仮に欧州諸国に対する戦争謝罪の記載が足りてなかったとして、何でそれが「中立性」を損なうことになるのか? 誰がわざわざ欧州諸国に対する戦争謝罪を隠蔽しようとなどするのか? まったくもって意味不明です。足りない記述は足りない記述であり、そこに政治的意図などあるわけがありません。Hermeneus 2005年3月18日 (金) 04:45 (UTC)[返信]


>ちゃんと根拠を提示してから「欧州諸国に対する戦争謝罪から目をそむけている」なりの文句はつけてください。

このノートの始めにあなたが欧州諸国に対しても(日本が)個別に公式謝罪を表明したことなど一度もないと書いているのがその証拠です。何度同じ事を言えば理解できるのでしょう?

>事実として「欧州諸国に対する戦争謝罪」などほとんど存在しません。

根拠はリンクして提示しているのに無視ですか。

>欧州諸国に対してもアジア諸国と同じだけの謝罪がなされただろうなどと勘ぐるべき理由がありません。

欧州諸国に対してもアジア諸国と同じだけの謝罪表明をしたとは一度もいっていません。量の問題ではないのです。

>アジア地域に植民地を持っていたことで「日本軍に占領された連合国」に該当したアメリカおよび欧州諸国は、全て賠償請求権を棄却しています。結果、欧州諸国はほとんど賠償を受け取っていません。

中国も1945年の蒋介石声明により賠償請求権は放棄しています。日中国交回復時にも賠償請求はなされていません。交戦国ではない韓国・朝鮮に対する戦争賠償が存在しないのはいうまでもありません。この場合は植民地支配に対する賠償ですが、韓国政府はそれも放棄しています。

>そこに政治的意図などあるわけがありません

政治的意図があるとまでは一度も言っていません。政治的意図があるのかないのかは不明ですが、misleadingだといっているのです。

とにかく、中立性に問題があるのはますますはっきりしてきました。これ以上の水掛け論はお断りします。Trek011 2005年3月18日 (金) 05:16 (UTC)[返信]

>量の問題ではないのです。
量の問題です。貴方は、この「日本の戦争謝罪」という項目の解説においてアジア諸国に対する謝罪のみ取り上げ欧州諸国について言及が無いから偏っていると批判されている。例えば、もしアジア諸国に対する謝罪と西欧諸国に対する謝罪とでほぼ同数あるのにも関わらず前者のみを取り上げていたなら、解説が偏っているという批判は妥当です。本来なら50:50でなくてはならない。しかし、現実は西欧諸国に対し発された謝罪発言は極わずか。2、3あったところでアジア諸国に対する謝罪の膨大な数とは比較になりません。その現実の比率が当項目の解説においても反映されて、西欧諸国に対する謝罪発言への言及がたまたま足りてなかったところで、中立性云々と咎めるのは不当です
また、私は西欧諸国に対する謝罪の掲載を拒否しているわけではありませんし、私の書いた現在の解説が完全であるとも言っていません。むしろ、まだ掲載するに値する謝罪発言が残っているのなら、逐次追加してくれと言っています。オランダでも何でも、貴方が私の知らない謝罪発言について詳しいのなら、それを書き加えたらよろしい。
解説が未だ十分ではないスタブ項目はWikipediaに五万とあります。政治的偏向など確認できない、単に記述量の足りないが故に「ミスリード」する可能性があると言うだけの項目に、「中立性」アラートを張るのが妥当な処置であるとは思いません。解説量が十分でないと判断するに足る証拠があるのなら、それを書き込んでその項目の解説を拡充すれば良いだけのこと。証拠が無ければ難癖です。いずれにしろ「中立性」アラートを張るだけの根拠は何ら見受けられません。Hermeneus 2005年3月18日 (金) 06:21 (UTC)[返信]

スタブ項目が五万とあるからといって、それならこれもいいじゃないかという議論は無責任です。 またスタブと中立性は問題は違います。テーマは非常に政治性の高いものだし、ミスリードによって政治的偏向が生じる可能性は十分あるのです。中立性テンプレは本文の欠陥が解消されれば、すぐにでも解除できるものなので、とりあえず本文の改訂に努めててください。削除依頼テンプレではないのです。Trek011 2005年3月18日 (金) 07:18 (UTC)[返信]

記述が量的に十分でないことを示すスタブと、記述の質的な偏向を示すNPOVアラートを混同して、後者を乱用しているのは貴方であって私ではありません。五万とあるスタブ項目全てに「ミスリード」するからというだけでNPOVアラートを貼って回る人はいません。「ミスリード」すれば何でもNPOV違反になるわけではありません。
記述が不十分であると貴方が判断したのなら、安直にアラート貼付ける前に貴方自身が加筆すれば良いことです。Wikipediaは沢山の人が参加し寄稿しあって育てていくものであり、自分で始めた項目とは言え私一人で1から10まで書き上げなければならぬ義理もありません。また、私の知識が足りずに書き漏らした事柄が2、3あろうとも、それをもって政治的に偏向しているだのと中傷される筋合いはありません。Hermeneus 2005年3月18日 (金) 08:03 (UTC)[返信]

最初に日本は欧米諸国に戦争謝罪などしていないというウソを強硬に主張するから問題ありとして中立性テンプレを張ったのです。それに自分の無知は棚上げにして、中立性テンプレを張られただけで、これほど息巻くのはやはり何か問題があるようです。ノートページの充実より、本文の充実に努めてください。テンプレの貼付に問題があると思うのなら、管理者に聞いてください。Trek011 2005年3月19日 (土) 01:34 (UTC)[返信]

まず、私は「日本は欧米諸国に対し戦争謝罪していない」とは当項目の解説で書いていません。西欧諸国に対する謝罪への言及が私の解説に欠けていたのは単に私が知らなかったからであり、もし西欧諸国に対する謝罪で特筆に値するものがあるなら書き加えてくれと当初から何度も私は言っている。また、貴方が指摘したオランダ政府に対する謝罪については、既に私自身が書き加え、「アジア諸国に与えた」の文言も「諸外国に与えた」と書き換えを済ましている。
国土を占領され戦場とされたアジア諸国に対し最も多くの謝罪が表明されたのは事実であり、それは村山談話にも「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して」とある通り。それを持って私は「アジア諸国に与えた損害について何度か謝罪」と書き、私の調べた限りにおいて主要な謝罪発言を取り上げ解説しただけのこと。その程度の書き損じをなんで「欧州諸国に対する戦争謝罪から目をそむけている」だの偏向してるだのウソ吐きだのと罵られなければならないのか? そもそも欧州諸国に対する戦争謝罪を隠蔽して誰に何の得があるというのか? 荒唐無稽な言いがかりにも程があります。
だいたい、その程度の問題点は気づいた本人が加筆修正すれば済む事であり、別に項目作成者自身が書き直さなければなぬ義務などありません。貴方が書き直し、それを私が不当にrevertするなどして編集合戦になってからNPOVアラートを貼付けたのならともかく、当項目の記述に加筆修正して育てようという建設的な努力は何ら見せずに、いきなり的外れなNPOVアラートを貼付ける仕業は不当かつ不仕付けこの上ない。人に難癖をつける前に己の偏見、偏狭さを省みるのが先決でしょう。なおNPOVアラートに関しては、上述の私自身の加筆修正によりもはや該当するとは思われないので、後で外させてもらいます。Hermeneus 2005年3月19日 (土) 02:36 (UTC)[返信]

知らなければ知らないといえばよいのに、

>日本政府は「東南アジア諸国」に対して個別に公式謝罪を表明した事はありませんし、「欧州諸国」に対しても同様です。していないものは書きようが無い。

と強硬に主張したのはこのノートの始めに残っています。隠蔽といわれてもしょうがないでしょう。日本の戦争謝罪について書くのであれば、欧米諸国に対する謝罪があるのは当然なのに、指摘されてもなお「その程度の書き損じ」と軽視しています。アジア諸国に対する日本の戦争謝罪という記事名であれば、何も言わなかったでしょうが。ともかく、本文に欧米諸国に対する謝罪が言及されたのは確認しました。あれでは不十分だと思うので、私も加筆しておきました。ただ、戦争謝罪と植民地支配に対する謝罪の区別が依然としてあいまいなのは気になります。Trek011 2005年3月19日 (土) 03:16 (UTC)[返信]

私は、私なりに調べた結果、見つからなかったから「存在しないと」と言ったのです。それを何で「隠蔽」だの嘘吐きだの偏向だの邪推され罵られなければならないのか。また、実際に(1)アジア諸国に対して発せられた謝罪発言に比べれば西欧諸国に対する謝罪発言のは微々たるものであり、(2)的にもアジア諸国に対するそれに相当するものは見受けられません。国会決議閣議決定、または外交文書の形で表された、西欧諸国または東南アジア諸国に対する個別の公式謝罪を私は一つも知りません。(3)当項目では、主要な謝罪発言を取り上げて解説・分類しているのであり、ありとあらゆる謝罪発言を列挙するのが目的ではありません。謝罪発言のリストは「日本の戦争謝罪発言一覧」という項目を別に用意してあります。当項目で現在とりあげている謝罪以外にも特筆すべきものがあるというのなら、それに関する解説を加えることは吝かではありません。実際に、その旨はこのノートの冒頭でも既に明らかにしていますし、「誰に対して謝罪したか」のセクションで貴方の指摘されたオランダ政府に対する謝罪については既に加筆しています。しかし、例えば「誰が如何なる権限において謝罪したのか」については、このオランダへの謝罪は沢山ある首脳会談や記者会見での首相発言の一つであり、国会決議として出された不戦決議などに比べれば「公式」の度合いも低く、特筆に値するとは思われません。
とりあえず、貴方の指摘された東南アジアの個々の国々対する謝罪発言は、まだ当項目でも全く言及されていませんので、それについても加筆なり情報提供を願います。Hermeneus 2005年3月19日 (土) 03:58 (UTC)[返信]

河野元外相は何を謝罪したのか?[編集]

「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」との見解がなぜイコール、南京大虐殺が事実との飛躍した見解になるのか説明してください。一応ツカサリョウさんのように思われる方の意見も尊重して、「現在でも存否が確認されておらず、論争中である南京大虐殺についても謝罪しているとする意見も存在する。」と本文に加えてあります。(yonsama)

日本政府は東京裁判の受諾以降、ただの一度もその東京裁判で認定されたいわゆる「南京大虐殺」を否定した事実はありません。政府の公式見解はそれが在った事を一貫して認めており、政府はその存否について論争もしていません。
河野外相の発言および公式見解としての「日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害あるいは略奪行為があった」という戦闘中の不法殺害行為こそ、南京における虐殺とされる行為である事も今更説明するまでも無くご存じの事でしょう。そして、こちらの項目は、あくまで日本政府の見解を記述する場であり、南京大虐殺に関して歴史学者でもない方々が他でどのような論を語っているかについては、記述する要の無い事をご確認ください。--Tukasa ryo 2005年5月9日 (月) 13:52 (UTC)[返信]

衆知のように日本政府は戦勝国によるリンチ裁判とさえ言われる東京裁判の判決を受け入れただけです。だからこそ現在も「南京大虐殺」は存否論争中なのです。つまり日本政府は否定も肯定もしていないと言うことです。従ってツカサリョウさんが「日本政府は南京大虐殺を事実と認め謝罪した。」と主張するのは事実を正視していないと判断せざるをえません。「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」との見解がなぜイコール、南京大虐殺が事実との飛躍した見解になるのかの納得できる説明をして頂だければ幸いです。尚、議論に無関係な誹謗中傷は除去させて頂きました。--Yonsama 2005年5月9日 (月) 14:33 (UTC)[返信]

ウィキペディアでは履歴が残るのです。他者の記述の改竄は、それだけで大問題である事もどうか覚えてください。そしてそれらルールを正しく理解できるまで充分な冷却期間を取り、謝罪という対話手順を踏まえてから、ウィキペディアにご参加くださるようお願いいたします。--Tukasa ryo 2005年5月9日 (月) 14:45 (UTC)[返信]

ツカサリョウさんの 河野外相の見解がどちらを指しているかをお考え下さい。決め付けで他者を誹謗中傷する行為と同じように、外相見解を曲解する事によって「南京大屠殺(南京大虐殺)30万を認め謝罪した。」などと言う捏造も許されるものではありません。 まずはこのサイトを参照してください。[1] --Yonsama 2005年5月9日 (月) 15:19 (UTC)[返信]

尚、当項目の議論に無関係な誹謗中傷は場が荒れる原因となりますので、ツカサリョウさんのノートに移動させて頂きます。他者への尊重と配慮をもってウィキペディアンとして恥じない対応をされますようにお願い致します。--Yonsama 2005年5月9日 (月) 16:00 (UTC)[返信]

Tukasa ryoさんはご自身の捏造について納得されたと判断してよろしいですか?--Yonsama 2005年5月10日 (火) 09:51 (UTC)[返信]

移動について[編集]

ツカサリョウさんの思い込みによる誹謗中傷記述の繰り返しは本項議論に対する荒らし行為としてわたしのノートへ移動させて頂きました。 第三者へコメント依頼されたとの事ですので彼方此方で同様の誹謗中傷記述は慎んで下さい。--Yonsama 2005年5月13日 (金) 15:57 (UTC)[返信]

履歴を見ればこのハンドルの行為は明らかだと思いますので面倒なのでTukasa氏の記述の復元はせずリンクに代えます。(場所はともかく問い合わせは当然で見出しとして不当。相手が知っているのにさらに告知も不要でしょう。)johncapistrano 2005年5月13日 (金) 19:50 (UTC)[返信]

南京大虐殺に関する記述について[編集]

「現在でも存否が確認されておらず未だに論争中である」等の余計なPOVを所々に書き加える必要はありません。この項目は南京大虐殺についての見解を述べる場所ではありません。そういう話は南京大虐殺なりの専門の項目でまとめてやってください。当項目のサブセクション「何について謝罪したのか」は、誰が何について謝ったかの事実を記すだけで十分です。また、「侵略戦争、戦争犯罪の虚構と謝罪」のサブセクションにおいて、南京大虐殺が虚構故に謝罪の必要はないとする類の論調が存在することについてはふれています。それ以上、他の場所で南京大虐殺の存否が云々といったPOVを散りばめるのは不要です。Hermeneus 2005年6月9日 (木) 12:53 (UTC)[返信]

Hermeneus の基準ではこれなども余計では?説明願います。 「まず(1)村山談話は公式の謝罪表明として認められている。しかし(2)村山談話は特に中国だけに向けて発せられたものではない。その限りにおいてこれは直接の「中国への謝罪」ではないとは言える。しかし、中国も「アジア諸国」に含まれる以上は、中国に対しても謝罪していることになり、既に中国にも謝罪したと言うこともできる。」

また、「南京大虐殺については、2000年に河野外相が政府見解として「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」と述べているが、謝罪あるいは反省、遺憾の念は表明されていない。」この記述では、「南京で発生した事件」と、「南京大屠殺(南京大虐殺)30万」の区別をしないで論じています。河野外相が「南京大虐殺」についての事実認識を避けているにもかかわらず、読者に「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たこと」が「南京大虐殺」と誤解される恐れが強いのでこのようにしてはどうでしょうか? 「2000年に河野外相が政府見解として「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」と述べているが、いわゆる「南京大虐殺」についての事実認定、謝罪あるいは反省、遺憾の念は表明されていない。--Bra 2005年6月9日 (木) 13:49 (UTC)[返信]

1. 村山談話の謝罪としての性質を解説するものですから、至極妥当な記述であると思われます。2. これも同様、謝罪をしたかどうか、いかなる発言をしたか(しなかったか)について述べているだけですので、妥当なものであると思います。Hermeneus 2005年6月9日 (木) 14:09 (UTC)[返信]
南京大虐殺の定義に関しては、中国他に謝罪を求められている主要な戦争犯罪の一つである、というだけで十分です。この中国が持つ南京大虐殺に関する認識が正しいかどうかは別の話です。その検証は南京大虐殺の項目ですれば良いでしょう。中国が南京大虐殺に関して謝罪を求めていることについては、これに反対する意見(南京大虐殺は虚構であり謝罪は不要)についても紹介するだけで十分であると思われます。Hermeneus 2005年6月9日 (木) 14:24 (UTC)[返信]

ここは「中国が日本に求めている戦争謝罪」を編集する項目ではありません。「日本の戦争謝罪」の「何に対して謝罪をしたか」の議論ですから別の話です。

1.村山談話の謝罪としての性質を解説するものです。2.「2000年に河野外相が政府見解として「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」と述べているが、いわゆる「南京大虐殺」についての事実認定、謝罪あるいは反省、遺憾の念は表明されていない」

も河野外相見解が何について謝罪をしたかどうかの解説するものです。--Bra 2005年6月9日 (木) 14:45 (UTC)[返信]

日本政府は、サンフランシスコ講和条約を受諾しており、以降も一貫して東京裁判を否定した事はありません。河野外相が日本政府高官として公式に発言する場合の「南京で発生した事件」とは、 日本政府も認める東京裁判で認定された南京での不法殺害、日本で南京大虐殺と言われる事もある南京での事件なのは当然でしょう。さらに、日本政府が中国の主張する「南京大屠殺30万」をどう認知しているかといった説は、歴史学者等の裏付けを添えた上で「南京大虐殺論争」に記述すべき事柄だと考えます。--Tukasa ryo 2005年6月9日 (木) 14:53 (UTC)[返信]
  • サブセクション「2.3 何に対して謝罪をしたか」は、セクション「2. 謝罪は必要であるとする論点」下にあるものです。「謝罪は必要である」という前提から、「XXXについては謝罪してるが、YYYについては未だ日本政府は謝罪をしていない。だから未だ十分ではない」という類いの批判について述べることを念頭に用意した場所です。そもそも「謝罪は不要である」という観点については、セクション「1. 謝罪は不要であるとする論点」が別にあります。Hermeneus 2005年6月9日 (木) 15:03 (UTC)[返信]

話が噛み合っていないようです。彼は以前から、河野外相見解で「南京大虐殺」についての事実認定、謝罪あるいは反省、遺憾の念は表明されているとの編集を主張しているようです。わたしはHermeneus氏と同様に表明されていないという主張です。そもそも存否論争中ですから「謝罪は必要である」、「謝罪は不要である」という観点などだれも持ち出していません。--Bra 2005年6月9日 (木) 15:34 (UTC)[返信]

河野外相の発言は明らかに「謝罪」ではありませんが、日本軍が中国の一般市民に対してある種の損害を被らせたことを認めている点において、(中国側としては)全く評価に値しない発言でもないでしょう。しかし、「南京大虐殺」に関する日本政府の詳しい公式見解がそこに表されていると解釈するには簡潔で短すぎるものですから、そこまで書く必要は無いと思われます。現在の記述のように、該当部分を引用して、「しかし、それ以上の謝意・反省などは表明されなかった」と注釈しておけば十分だと思われます。Hermeneus 2005年6月9日 (木) 16:12 (UTC)[返信]

冒頭の「河野外相の発言は明らかに「謝罪」ではありません」に対して、それ以下の意見が矛盾しているようです。曖昧な表現を他者にわかるように明確な表現にしてください。--Bra 2005年6月9日 (木) 18:07 (UTC)[返信]

何をもって「謝罪」と認定するかに異論があるとは当項で解説する通りです。表現に関しては、サブセクション「如何なる表現で謝罪したのか」に書いている通り。「反省」や「遺憾」ですら謝罪ではないと却下する人がいるのに、河野外相のこの発言を完全な「謝罪」と認定するのは無理があります。といって、「謝罪」的要素の全く無い、当項で言及するに値しない発言であるとも思いません。日中共同宣言の「深く反省する」や細川首相の「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」と同じです。Hermeneus 2005年6月9日 (木) 22:13 (UTC)[返信]
そもそも、日本政府は東京裁判におけるいわゆる南京事件、南京大虐殺と言われる事もある事件の存在を認めており、存否を論争などしていない事をご確認ください。
さらに、河野外相の見解は、大阪で「南京大虐殺」が無かったと主張する集会が開かれた事に対し、中国政府からのその集会を容認したのは日本政府も「南京大虐殺」が無かったという説に同意を示しているのではないか、集会が開かれた責任は日本政府にあるのではないか、といった意見があり、それに対していわゆる南京事件、日本において南京大虐殺と言われる事もある事件を、日本政府はあった事を認めているという従来の見解を、北京大使館の「1937年の日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害あるいは略奪行為があったことは否定できない事実であると考えている。今次集会を行った団体の主張はこのような政府の考えとは異なる。集会で述べられたような意見は、大多数の国民が支持するものでは到底あり得ないと思う。事実、日中両国のプレスがこの集会の開催のことを大きく報道したにも関わらず、実際にこの集会に参加した者の人数は約400名弱に過ぎなかった。」という、発表に添う形で答えたものである事もご確認ください。
その上で、「南京で虐殺とされる事実があった事は政府見解で認めており、戦争中の「多大の損害と苦痛を与えた事実」行為の一環として謝罪されている。」といった記述をさせていただきましたが、残念な事に、日本政府が南京での事件を認めていないかのような誤解を与える記述をなさりたい方により、修正されてしまった事も合わせてご確認いただければ幸いです。
もちろん、こちらの記事は「日本の謝罪」を充分だと受け取る考えと、そうでは無いという考えの両論を併記なさっている事は理解しております。私が加筆した頃に比べ、Hermeneus氏のお手により両論併記でバランスのとれた素晴らしい記事になったと思っています。ならばこそ尚更に、敢えて南京大虐殺の謝罪を別記し取り上げる事に違和感を覚えるのです。別記する事により、南京大虐殺と言われる事もある「いわゆる南京事件」について、中国との間で個別の謝罪案件として問題視されているかのような、あるいは日本政府が見解としてあった事を認めているにも関わらず、日本政府が事件の存在を疑問視しているかのような誤解を与えては、記述的に誤りとなるようにも思えます。--Tukasa ryo 2005年6月10日 (金) 03:49 (UTC)[返信]
この河野外相・谷野大使の発言は、「日本政府としては言論の自由を尊重するゆえ市民集会に干渉はできないが、政府としては南京大虐殺についてちゃんと認識していますのでご安心を」的な弁明をしてるところに出てきたものです。これは、れっきとした謝罪、被害者に対して詫びるという行為とは、少し性質が異なるように思います。同サブセクションで取り上げている他の発言は、どれも具体的な相手に対して明示的に謝意を表しているものばかりですから、(あくまで謝罪発言として捉えたならば)同列に挙げるには少し弱いでしょう。仮に日本政府が南京大虐殺に関して中国側が主張すること全て認めるような公式見解を持っていたとしても、中国政府はこの河野外相・谷野大使発言を「謝罪」と認めることはないでしょう。歴史認識Category:日本の歴史認識問題)については別項がありますので、南京大虐殺という一歴史事件に関する政府の認識についての込み入った話はそっちでやるのが宜しいかと思われます。Hermeneus 2005年6月10日 (金) 05:10 (UTC)[返信]
仰る通りだと思います。ただ、私が加筆した時点では無かった「1 謝罪は不要である、あるいは既に十分に済んでいるとする論点」の「侵略戦争、戦争犯罪の虚構と謝罪」の項目で「南京大虐殺、従軍慰安婦などの戦争犯罪は虚構であるとの認識から、謝罪はそもそも不要であると主張する人々がいる。」というご記述を加えていただいている以上、「何について謝罪したのか」の項目内で、中国への他の侵略行為とは敢えて別記した形での「南京大虐殺」についての謝罪をしたあるいはしなかったという記述が必要だとは思えないのです。--Tukasa ryo 2005年6月10日 (金) 05:34 (UTC)[返信]
(1)謝罪自体が必要であるかどうかの一般論レベルの話と、(2)実際に発せられた或る具体的な謝罪発言例が十分妥当なものであるかどうかの話は、また別でしょう。1の一般論レベルでは否応無く歴史認識の問題が深く関わってきます。戦争謝罪というのは、ある歴史事件に関してある認識(侵略、犯罪である等)があって、そこから謝罪という行為にうつるわけですから。しかし、2の具体的な謝罪発言例を問うレベルは、行為のみの妥当性の話です。
今の南京に関する外相・大使の発言の場合であれば、まず認識レベルで「南京事件は謝罪する必要のある事件である」という前提にたって、その上で、この発言が謝罪行為として不十分であると指摘しているわけです。謝罪という目的を十分に達していないと。ここでは謝罪という目的自体、「南京事件は謝罪する必要のある事件である」という認識の妥当性は問われていません。Hermeneus 2005年6月10日 (金) 06:08 (UTC)[返信]
まず河野外相の発言は、「日本の歴史認識」について中国の誤解をとくための弁明であり、「南京大虐殺」という戦争犯罪について、その謝罪を求められての発言では無かった事はご確認いただけていると思います。
現在の記述が残る形になってしまった発端は、日本政府が南京大虐殺と言われる事もある、いわゆる南京事件について、その事件を認めているにも関わらず「存否を論争中」であるという記述がなされ、それが誤りであるという証左として、私が記述した事が原因だと思います。この記述をしてしまったために、Hermeneus氏が加筆なされる上で、記述を残すべきだといった枷に感じられたなら、深くお詫びいたします。
日本政府は、認識として「南京事件は謝罪する必要のある事件である」という前提にたっており、その上での村山発言あるいはそれを引用した形での小泉首相の見解だと理解しています。現時点で、中国から日本政府に対して侵略戦争についての謝罪以外に、「いわゆる南京事件」を別個に取り上げ謝罪を求めているといった状況があるのでしょうか?あるいは、日本政府の「いわゆる南京事件」を認めているという表明に対して、不足であるといった指摘がなされているのでしょうか?こういった事例があるのならば、「南京大虐殺」について謝罪の有無を敢えて別記する必然はあるかと思います。--Tukasa ryo 2005年6月10日 (金) 07:30 (UTC)[返信]
歴史認識は総合的な判断の問題です。日本政府が戦争について如何なる認識を持っているのかを問うには、政治家の謝罪発言以外にも歴史教科書問題やら松井石根他の戦犯が合祀されている靖国神社参拝問題も考慮しなければならない。そこまで含めてこの「戦争謝罪」の項目で書いたら、記述が煩雑に長くなりすぎます。また、仮に考慮したところで、これらが歴史認識の厳密な必要条件・十分条件になってくれるわけでもありません。政治家が口で何と言おうと、扶桑社の教科書を検定で通したから駄目だとか、靖国に参拝し続けてるから駄目だとか、いくらでもケチをつけることができます。歴史認識の問題は、最終的には主観に多分に影響される代物で、Wikipediaで「これこれが日本政府の歴史認識である」と断言できる類いのものではないと思います。ですので、当項目では、歴史認識に関わる部分については詳述することは避け、謝罪の行為としての側面を解説するに留めているわけです。謝罪は、したらした、してないならしてない、という事実を記述するだけですみます。歴史認識のレベルから謝罪不要をとなえる論については、それが存在することだけを述べれば十分でしょう。Hermeneus 2005年6月10日 (金) 08:47 (UTC)[返信]

河野外相の発言は「日本の歴史認識」について中国の誤解をとくための弁明であり、「南京大虐殺」という戦争犯罪について、その謝罪を求められての発言では無かった事は、Hermeneus氏ご自身が指摘してくださいました。私が誤りを指摘するために記述した時点とは異なり、Hermeneus氏が整理してくださった現在の記述の中で、敢えて謝罪発言の一環として扱い、記述を残す必然があるようには思えないという事なのです。--Tukasa ryo 2005年6月10日 (金) 09:00 (UTC)[返信]

河野発言を「謝罪発言」として扱っているのではなくて、もともと南京大虐殺を主要な「謝罪対象の一つ」として扱っていて、それで河野発言を取り上げているわけです。もとの記述は「南京大虐殺等に関しては謝罪発言はなされていない」です。河野発言は謝罪ではありませんが、特筆に値する発言ではあると思われます。Hermeneus 2005年6月10日 (金) 09:36 (UTC)[返信]

中立的な立場で言わせていただきますと、両氏は難しく考えすぎるきらいがあります。「「これこれが日本政府の歴史認識である」と断言できる類いのものではない」と言うのはそのとおりでしょう。Tukasa ryo氏が日本政府の歴史認識として断言する場合、それとは矛盾した政府の行動には蓋をして、都合のいい部分だけにスポットを当ててしまっているわけです。また南京大虐殺論争で存否の学説に基づいた論争に参加されていたにもかかわらず「存否論争中」を否定する姿勢は矛盾しています。従って河野外相見解で謝罪の気持ちも含んだ事実認定については、あくまでも「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」であり拡大解釈はできません。いわゆる「南京大虐殺」「南京事件」についての事実認定でも謝罪でもないわけです。またわたしの主張は、曖昧な記述で読者に混乱がないようにする為、「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」について認め謝罪の気持ちを表明したこと、そしてそれは現在も論争中であるいわゆる「南京大虐殺」「南京事件」についての事実認定と謝罪の気持ちの表明をあらわしたものではない事、をある程度の解説を記述するべきだという主張です。その点でHermeneus氏の記述ではその点で不十分で、不親切だと考えます。読者の視点に立った記述も必要だということです。--Bra 2005年6月10日 (金) 09:46 (UTC)[返信]

Hermeneus氏、確かに河野外相の見解は「南京大虐殺」と言われる事もある南京での事件の存在を、日本政府は明確に認めていながらも、それを戦争犯罪行為として個別に謝罪をしているものではありません。個人的には、戦争犯罪行為の謝罪に関して若干厳密すぎるご指摘のようにも思いますが、スタンスは理解いたしました。現状の記述を残される事に同意いたします。
Bra氏、世間一般にどのような説があろうとも、あるいは政治家個人がどのような個人的主張を述べようとも、日本政府は東京裁判で認定された、南京大虐殺と言われる事もある、いわゆる南京事件の存在を認知し一貫して認めています。こちらの記事では、中立の観点から日本政府の公式な見解を事実まま記述しているのであり、日本政府の見解とは別種の、世間に存否論争があると主張する方の意見を示す必要は無いと考えます。--Tukasa ryo 2005年6月10日 (金) 13:35 (UTC)[返信]

Tukasa ryoは翻意され河野外相の見解の記述を残す事には賛同されたようです から一歩前進したことで議論がし易くなりました。前回わたしが読者の視点に立った解説が必要として、曖昧な記述で読者に混乱がないようにする為、「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」について認め謝罪の気持ちを表明したこと、そしてそれは現在も学者の間でも論争中であるいわゆる「南京大虐殺」「南京事件」についての事実認定と謝罪の気持ちの表明をあらわしたものではない事、をある程度の解説を記述するべきだという主張に対する明確な意見としては、「日本政府の見解とは別種の、世間に存否論争があると主張する方の意見を示す必要は無いと考えます」だけです。曖昧な記述によって読者に誤解を与えることの無いように解説が必要とする意見を否定されているのでしょうか?またTukasa ryo氏は河野外相の見解を政府見解 としてとらえているのか、政治家の個人的主張ととらえて記述を残す事に翻意されたのかが上の投稿では支離滅裂ですので明確に説明してください。--Bra 2005年6月10日 (金) 18:53 (UTC)[返信]

当項においての「南京大虐殺」は、日本の左翼陣営および中韓朝が謝罪を求めている主要な対象の一つである、というだけで十分でしょう。何の注意書きも必要であるとは思いません。詳しい解説や真偽論争、政府の認識問題については南京大虐殺等の項目を参照すれば良いことです。事実の列記で済む部分は事実の列記につとめ、POVが介在してくる部分はできるだけ一カ所にまとめて、両論併記するのが賢明でしょう。「南京大虐殺」という言葉が使用されているWikipediaのページ全てで真偽や政府認識の論争をおっぱじめられたら収集つかなくなります。日本の歴史認識問題は、ただでさえ複雑で紛糾絶えないやっかいな代物です。歴史教科書、靖国参拝、戦争謝罪、戦後補償、そして南京他の各戦争犯罪は、取り留めなくPOVを絡めて書いていると、すぐみんな引っ括まって収拾つかなくなってしまいます。ですから、論争点を極力部分に分けて、客観的に整理しつつ記述していくのが肝要であると私は考えます。Hermeneus 2005年6月11日 (土) 02:44 (UTC)[返信]


Hermeneus氏の基準を再度確認します。本文記述の詳しい解説「まず(1)村山談話は公式の謝罪表明として認められている。しかし(2)村山談話は特に中国だけに向けて発せられたものではない。その限りにおいてこれは直接の「中国への謝罪」ではないとは言える。しかし、中国も「アジア諸国」に含まれる以上は、中国に対しても謝罪していることになり、既に中国にも謝罪したと言うこともできる。なお、中国・韓国・北朝鮮以外のアジア諸国に対しても日本は個別には謝罪をあらわしていない。更に(3)村山談話における「お詫び」は、橋本龍太郎首相が1997年に「新たな対中外交を目指して」と題するスピーチにおいて、特に中国に向けて、繰り返している。しかしこれは閣議決定に基ずくオリジナルの談話ほど「公式」なものではない。」について「村山談話の謝罪としての性質を解説するものですから、至極妥当な記述であると思われます。」とされましたが、同様に「2000年に河野外相が政府見解として「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」と述べているが、いわゆる「南京大虐殺」(南京事件)についての事実認定、謝罪あるいは反省、遺憾の念は表明されていない」わという河野外相見解の謝罪としての性質を解説したもので本文記述として至極妥当な記述であるとせざるを得ないと思われます。河野外相見解はサブセクションの「何について謝罪したのか」で取り上げられているのですから読者に誤解の無いようにその性質の解説が尚更必要ででしょう。--Bra 2005年6月12日 (日) 17:38 (UTC)[返信]

まず、ここで問題となっている河野発言の「性質」とは、謝罪発言としての「性質」です。謝罪発言にどういう「性質」が要求されているかは、セクション「如何なる表現で謝罪したのか」他で述べているとおり。その一つは、その行為が何らかの「罪悪」であるという「事実」を認めること。これは必要最低条件です(何の罪悪とも認めてなければ謝りようがありません)。これさえ満たしていないなら、それは「南京大虐殺は5文字の熟語である」並に無意味な発言ということになり、そもそも当項目で取り上げる意味が無くなる。そして、ここで問題にされている「事実」とは、「その行為が謝罪すべき類いの罪悪であるかどうか」という「事実」だけです。犠牲者数の大小や南京の範囲、「未だに論争中」など、南京大虐殺という歴史的事件自体に関する細かい「事実」ではありません。ですから、後者の類いの事実を当項に記述するのは無用だと私は考えるわけです。
翻って、河野外相は「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」と言っています。謝罪・反省に関しては全くなされていませんので「無い」と記述して問題ないでしょう。しかし「事実認定」については「されていない」と完全否定するのは無理があります。一般市民の犠牲者が出たと彼は言っているのですから、南京大虐殺が何らかの罪悪である「事実」を示唆する発言であるのは明らかだからです。もしこれさえ否定するのなら、この発言はこの項目で取り上げる意義を完全に失うことになります。
中国などは全ての条件を満たしていなければ「謝罪」とは認めませんが、全てを満たしてない発言もそれなりに評価している人はいるし、私もそうした発言には当項で紹介する価値があると思います。例えば日中共同宣言は、「反省」という表現を使っているので中国等に十分な謝罪とは認められていませんが、日本の戦争謝罪を語るにおいてこれを無視するのは明らかにおかしい。河野発言も同様です。もし河野発言に何らの取り上げるだけの価値があるとしたら、それは「事実認定」の部分以外にありません。仮にそれが十分且つ完全な「事実認定」ではなくとも。Hermeneus 2005年6月12日 (日) 22:47 (UTC)[返信]

わたしは決して難しい主張をしているのではありません。河野外相の「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」の認定がイコール「南京大屠殺(南京大虐殺)30万人」の事実認定ではなく、あくまでも「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」という河野外相のそのままの言葉以上でも以下でもないということです。Hermeneus氏は河野発言の価値として「事実認定」の部分を重視されているわけですから尚更曖昧な記述で読者に誤解を与えない程度の解説が必要だと言っているのです。[2]を参照しますと、本文のサブセクション「何について謝罪したのか」において「南京で民間人の犠牲者が発生した事」と、「南京大虐殺(南京事件)」を混同した事実認定や、読者に誤解を与えるような記述は避けなければなりません。また項目南京大虐殺論争を読めば明らかなように、「現在でも存否が確認されておらず未だに論争中である」ことは決して余計なPOVではなく否定できない事実であって、「余計なPOV」などと考えてしまわれる事こそ途轍もないPOVだと気づかれるべきでしょう。「存否論争中」が事実である事もご確認下さい。--Bra 2005年6月13日 (月) 15:57 (UTC)[返信]

この河野外相の発言でも、一般的な歴史教科書においても、国内外のメディアにおいても、単に南京大虐殺について言及するときには「現在でも存否が確認されておらず未だに論争中である」などといちいち断り書きを付けてはいません。もし南京大虐殺が存否論争中であるという認識が一般的であるなら、一般読者はそんな断り書きが無くとも「南京大虐殺」という単語を見ただけでそこまで認識するでしょうし、一般的でないならそう認識されないだけのこと。いずれにしろ、当項には関係ないことです。Hermeneus 2005年6月13日 (月) 17:05 (UTC)[返信]

項目南京大虐殺論争確認されましたか?Hermeneus 氏は「現在でも存否が確認されておらず未だに論争中である」事は紛れも無い事実と認めますか?それとも認めませんか?南京大虐殺が存否論争中であるという事実が一般的に認知されてこなかったのは異常でしょう。それは今のあなたがたの姿勢のように存否論争中であるという事実を敢えて書かない、報道しないという左派系の人間が牛耳ってきたからですね。わたしでさえ認知したのがここ数年前です。現在の記述「南京大虐殺については、2000年に河野外相が政府見解として「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」と述べているが、謝罪あるいは反省、遺憾の念は表明されていない。」を「2000年に河野外相が政府見解として「南京入城後に、一般市民や非戦闘員を含む犠牲者が出たということについては否定できない事実」と述べているが、いわゆる「南京大虐殺」(南京事件)についての事実認定、謝罪あるいは反省、遺憾の念は表明されていない」と事実をわずかに加筆する事に対してそれほど頑なに拒否されることが不可解です。Hermeneus氏こそが途轍もないPOVである事を自覚してください。あなたが事実を敢えて記述しようとしない本当の理由は何でしょうか?--Bra 2005年6月13日 (月) 17:52 (UTC)[返信]

貴方自身が吐露されたように、「南京大虐殺の存否を巡り論争が存在する」という主張もまたPOVに起因するものです。単なる「事実」ではありません。例えば「量子力学はウソである」という奇抜な新説を唱えるアマチュア物理学者は、自説の正しさを訴えるあまり、量子力学がまだ「論争中」であると言うでしょう。何故なら、「論争」が存在すると認めることは、定説に対し同等の信憑性のある異論が存在すると認めることであり、自説の正当性に繋がるからです。この量子力学ウソ論の場合、世間一般ではそういう素人の奇論を正当な異論とは認めませんので、それ故れっきとした「論争」が存在するとも認められません。仮に量子力学ウソ論が正しくて100年後にはこっちが定説になるとしても、です。一方、互いに等しく信憑性のある異論がちゃんと存在する場合には、いちいち「論争が存在する」などと誰も強調しませんし、「論争が無いと勘違いされないか?」などと心配したりしません。そんな必要はないからです。
私は、貴方の南京大虐殺存否に関するPOVが正しかろうと誤りであろうと、関心はありません。私は、無用な論争を生む恐れのある、当項で解説する戦争謝罪とは直接関係のない問題に関するPOVを書き加える事に、反対しているだけです。「謝罪をしたかどうか」に関するPOVであれば歓迎しますし、実際、当項でも両論併記しています。Hermeneus 2005年6月13日 (月) 18:20 (UTC)[返信]

的の外れた例え話については反論する必要はないでしょう。事実を敢えて記述をしようとしない事情がある事だけは確認しました。編集するのにあなたの許可が必要でもありませんし、あなたのPOVな編集方針に従う義務もありませんが、ただ、「謝罪をしたかどうか」に関するPOVであれば歓迎するということのようですから、今後は他者の編集記述を尊重した行動を期待しておきます。--Bra 2005年6月13日 (月) 19:07 (UTC)[返信]

無関係なPOVの加筆は控えてください。南京大虐殺の存否およびその論争の存否が当項目のトピックであるところの戦争謝罪とは直接に関係ないものであることは既に示した通りです。
私がこの項目を書いた理由の一つは、中韓の人々が「日本はまだ公式に謝罪をしていない、けしからん」と文句を言い続けるのに少々辟易したからです。そういう人々に日本の戦争謝罪発言一覧を見せたり、村山談話が閣議決定に基づく「公式」の謝罪であると教えれば、たいがいは沈黙します。こうした卑近な動機は私のPOVになるでしょうが、当項目の記述においては極力中立を保つよう、客観的事実の列記・整理につとめてきたつもりですし、だからこそ説得力のあるものになっていると私は思います。
とにかく、南京大虐殺の存否論争は当項目と直接関係ありませんので、南京の項目でやってください。中立的な百科事典を編纂するという観点からも無用なPOVを避けるのは当然ですし、余計な論争に巻き込まれるのは正直迷惑です。Hermeneus 2005年6月13日 (月) 19:24 (UTC)[返信]


南京大虐殺の存否論争などここでしていませんし、する気もありません。ここでは「河野外相が何について謝罪したか?していないか?」について議論してきました。本文の「論点」で保守と革新からみた記述の表現が中立的でないこと、気持ちは同じであっても、中韓の人々に見せたくない客観的事実を隠そうとし事実を誤魔化している事、自分の拘るPOVな編集方針から他者の編集記述を尊重していないことに気づくまでもう少し対話を必要とするようです。--Bra 2005年6月13日 (月) 21:48 (UTC)[返信]

他者の編集の削除を繰り返しておられる理由としては、Hermeneus の個人的、POVな編集方針以外に説明がございません。そのような個人的方針に従う義務はこのWIKでは謳われておりませんので妨害削除部分を復元しました。誰もが納得できるような正当な削除事由おありでしたら 削除する前にノートで編集者の合意を得てください。--Bra 2005年6月14日 (火) 09:27 (UTC)[返信]

語尾のPOV化[編集]

いちいち語尾をPOV化するだけの些末な連続編集は無用です。冒頭で謝罪の必要性を巡り革新&中韓朝と保守とで異なる主張が2つあることは述べており、また本体でも大セクションで「謝罪は不要である」と「謝罪は必要である」の2つに分けているのですから、いちいちどっちが言ったなどと全てに書き加える必要はありません。Hermeneus 2005年6月13日 (月) 20:49 (UTC)[返信]

編集妨害行為に対しリバートしてもまた「編集合戦で保護」が落ちですから、あなたに対して訂正編集を求めていく事にしましょう。まずは、語尾が革新&中韓朝側と保守側で表現が違っていることに気づいてください。POVってもPOVらなくてもどちらでも結構ですから同じような表現に訂正してください。--Bra 2005年6月13日 (月) 22:11 (UTC)[返信]

私は、余計なPOVや論争を持ち込まれるのは御免被る、と言っているだけです。「中韓の人々に見せたくない客観的事実を隠そうとし事実を誤魔化している」のではありません。戦争謝罪は単体できっちり議論できるものであり、当項で述べているように日本政府はこれまでに数々の「公式謝罪」を表明してきている以上、明らかに日本側に分がある議題です。それを泥沼化してる南京論争や靖国、歴史教科書など他の問題に話を広げて有耶無耶にしようとするのは、むしろ「中韓の人々」の思うつぼというものです。だいたい南京を巡る論争など30年以上前からウヨサヨの間で派手に侃侃諤諤行われてきたものであり、知らないのは漫画しか読まない無教養な中高生くらいのものです。いずれにしろWikipediaは「宣伝や擁護の場」ではありませんので、南京論争が左翼に隠蔽されたおかげで一般的に認知されてこなかっただのといった心配は関係ないことです。Hermeneus 2005年6月14日 (火) 03:42 (UTC)[返信]

語尾のPOV化などとしてリバートしたHermeneus 氏、もう一度言いますので話を横道に逸らし有耶無耶にしようとしないで確認してください。まずは、語尾が革新&中韓朝側と保守側で表現が違っていることに気づいてください。POVってもPOVらなくてもどちらでも結構ですから同じような表現に訂正してください。--Bra 2005年6月14日 (火) 05:06 (UTC)[返信]

「人々」が言っただの、「革新&中韓」や「保守側」が言っただのという曖昧な表現は、そもそも全文に渡って書き加える必要はありません。革新/保守というのは極めて大まかな分類であり、そんな単純な二元論に還元できる問題などこの世に殆ど存在しません。一般に「保守派」と分類される人々に広く支持される主張を、一般に「革新派」と見なされる人が支持していることもありますし、その逆も同様。革新/保守といった大まかな話は冒頭で一度ふれるだけで十分です。
何か新たに書き加えたいのなら、X党のY代議士が言ったとか、A大学のB教授が指摘したとか、ア新聞のイ日付けの記事で報道されたとか、そういう具体的な著名人やメディアによる、情報価値のある発言にしてください。Hermeneus 2005年6月14日 (火) 05:28 (UTC)[返信]
本来の記述では、国籍やイデオロギーによる主張の区分などしていません。もう不要であるなら、そういう曖昧な表現は冒頭以外の部分では削除することにします。Hermeneus 2005年6月14日 (火) 05:48 (UTC)[返信]

こちらが言ってもいない事と格闘されているようです。語尾、語調についてこちらで革新&中韓朝側と保守側とも同じ表現に訂正しておきます。--Bra 2005年6月14日 (火) 09:03 (UTC)[返信]

些末な語尾をいじるばかりでなく、少しは中身のある加筆を願いたいものです。保守側の著名な論客による謝罪不要論でも探してきて紹介するくらいのことはできるでしょうに。Hermeneus 2005年6月14日 (火) 09:14 (UTC)[返信]

当項目は南京大虐殺や慰安婦強制連行の真否を述べる場所ではありません[編集]

何度も無関係なPOVを書き加えるのは止めてください。南京大虐殺については南京大虐殺の項目が存在し、慰安婦強制連行については慰安婦の項目があります。これらの項目に関してはそれぞれ専門の項目でやってください。Hermeneus 2005年6月14日 (火) 09:46 (UTC)[返信]

既に何度も申しているように「何について謝罪をしたか。あるいは謝罪をしていないか」の編集をしています。POVな個人的編集方針を他者に強制しないようにお願いします。--Bra 2005年6月14日 (火) 10:28 (UTC)[返信]

Bra氏:「尚慰安婦の強制連行についての事実認定及び謝罪はしていない。」

強制連行の事実認定の話など当項目ではしていませんので、余計な記述です。

Bra氏:「いわゆる「南京大虐殺」(南京事件)についての事実認定…は表明されていない。」

これも上の「強制連行」同様に、南京大虐殺に関する「日本軍が30万人以上の市民を大量虐殺した」という「事実」を政府は認定していない、といった類いの話の上で加えられたもので、それはその後に場違いな南京大虐殺虚構論の素人サイトへリンクが貼られていることからも明らかです(このサイトの文章は、このノートでも著作権法侵害を疑われている形で引用されています)。当項目では政府が南京大虐殺の何を「事実」と認めただのという話はしていないので、慰安婦の強制連行と同じく不要です。

Bra氏がなぜ慰安婦の強制連行や南京大虐殺の事実認定否定に執着し、当項目に関係ないPOVを加筆し続けるかについては、氏自らが上で吐露するとおりです。つまり、「左派系の人間」が「報道」を牛耳って慰安婦強制連行や南京大虐殺が虚構であるとする主張の存在を隠蔽してきたから、そうした「誤解」は解かねばならない。だから慰安婦も南京大虐殺も論争中であることを強調し、これらが虚構であるとする主張の存在を広く知らしめる必要がある。これは明らかにBra氏個人の政治的喧伝行為であり、中立的な百科事典を編纂するというWikipediaの理念に明らかに反するものです。

いずれにしろ、当項目は戦争謝罪に関する項目であり、慰安婦強制連行も南京大虐殺存否の論争も、関係ありません。関係ない記述を加えるべき理由はありません。Hermeneus 2005年6月14日 (火) 10:36 (UTC)[返信]

保護しました。まずはノートで合意を形成してください。しるふぃおはなし|おもいで2005年6月14日 (火) 10:37 (UTC)[返信]