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ノート:日本の民族問題/過去ログ2

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ディエン報告への「懐疑」について(2)

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ブログがどうこうというのは落書きが出回っているから落書きさせろといっているに等しいと思います。批判と呼ぶには報告書の内容について事実と比較して検証したものである必要があるでしょう。政府が調査に関わらなかったのはそれだけマイノリティの人権に不熱心なことの現れで、ディエンの信頼性を損ねる(意図はあったかどうか知れないが)ものでないでしょう。[1]にユネスコの経歴がありますが、何か政治的に中立でないとする根拠はあるでしょうか。johncapistrano 2006年4月7日 (金) 17:14 (UTC)

報告書の中身について言い出したら、それこそ大つるし上げ大会ですよ(苦笑) ウトロを民族問題として扱ってる時点でアウトでしょう。 ちなみに私が上記(直上ではなく「公平性に問題がある記述について」で書いた部分)した返事が返ってきたのは「この報告書の内容には事実関係に明らかな誤りがある。ディエン氏の判断はともかく、その点については訂正を求めたい」という問い合わせのについての返事だそうです。クマラスワミ女史の例を引くまでも無く、件の委員会の「報告書」の内容は中立でも公平でも正しくもありません。

ただまぁ、この記事は「日本の民族問題」であって「国連人権委員会」ではありませんからね。少なくとも記事の中で「つるし上げ大会」してもしょーがないと思いますが(苦笑)

--Stranger non general person 2006年4月7日 (金) 22:02 (UTC)

民団の記事が可笑しいかたちで保護されたままなのを忘れて放置していましたが、土地の転売の問題は差し迫ってはいるが二次的な問題で民族問題でないというのはただの強弁でしょう。民団においておくのも適切かどうかわかりませんがここよりはそっちで論じるべきか知れません。報告として何の問題もないでしょう。土地が住民を無視して転売されているところに問題があるでしょう。クマラスワミ報告書に対する議論も別で論じるべきでしょう。日本政府の主張が正しい訳でもない。johncapistrano 2006年4月8日 (土) 06:31 (UTC)
摘要欄をご参照ください。ということで、お互い真逆の方向ではありますが(苦笑)合意を形成できたようですね。報告書の中身については(少なくともこの記事では)触れる事は止めておきましょう。
ということで、以下の「事実」を、以前の記述に添った形で復活させる、というのが一番穏当ではないでしょうか?
  1. ディエン氏は日本政府その他公的組織ではなく、1NGOの招待により来日しそのNGOのサポートの元に調査を行った
  2. その組織の(日本支部の)長は武者小路氏である
  3. 武者小路氏はチュチェ思想国際研究所の理事であり、「北朝鮮側が日本で最も信頼する知識人の一人」(出展:Wikipedia日本語版(笑))と評価されている人物である
ただし、あくまで状況証拠から類推されている「疑惑」であり、確定的な証拠は無い旨の記述を付け加えることには反対しません。--Stranger non general person 2006年4月8日 (土) 14:53 (UTC)
国連人権委員会は公的機関です。派遣先政府から冷遇される例は多いのかどうだか知りません。「1NGOの招待により来日し」た訳ではないでしょう。他にも数ヶ国に派遣されているようです。武者小路公秀の説明は本人の項目で十分だと思うが(アホな揶揄はブログで沢山)。johncapistrano 2006年4月8日 (土) 15:50 (UTC)
  • 国連人権委員会は公的機関かもしれません。しかし(繰り返しになりますが)中立義務を負っていないことを自ら認めています。johncapistranoさんが(やはり公的機関である)日本政府の見方が偏っていると疑っているのと同じように、私は彼らの見方が偏っていることを疑っているのです。ですから私は前回の書き込みで「お互い立場は真逆ではあるが、この点に関しては両方ともPOVだろう」と申し上げたのです。
  • 『「1NGOの招待により来日し」た訳ではない』のなら、ディエン氏が来日した経緯を(ソースつきで)示してください。私はUNハウスと外務省に直接問い合わせて「日本政府とは何も関係がない」という返事を貰った、という報告を複数目にしています。
ちなみにUNハウスが出したプレスリリース内の「日本政府により招待された」との一文は外務省が否定していますので念のため。
  • ついでにいうと、ディエン氏はこの報告の以前(2003年)にも、同じNGOの招待で来日していますね[2]
  • 繰り返しますが、「疑念」以上のモノでないことは認めます。しかし、これでは疑われる(疑いを持つ)のは当たり前です。「疑われている」という記述そのものは復活させるべきです。
--Stranger non general person 2006年4月8日 (土) 16:44 (UTC)

示されたリンク先では反差別国際運動が国際会議をコーディネートしてディエンも参加したということのようですね。調査報告自体は彼の権限で行ったことで、当事者団体の集まりである反差別国際運動がそれに協力したのは至って自然のことでしょう。「1NGOの招待により来日し」たと主張しているのはそちらですからそちらがソースを提示すべきでは? 私が探したところでは公式訪問とするもの以外見当たりませんが。johncapistrano 2006年4月8日 (土) 17:09 (UTC)

Iosif記:横からすみません。ディエン報告についてはあまりわかりませんので私は同じことの繰り返しになってしまいます。▼相変わらず態度が定まりませんが、おはぐろ蜻蛉さんとStranger non general personさんのお話をうかがっていて(つまり、johncapistoranoさんが書き込む前の段階で)、当該記述は(載せてはいけないわけではないが)言及に値しないという思いを再確認しております。▼私の関心は、今回の場合、Wikipediaはどこまでを「批判は批判として内容を問わず掲載する」「かわりに両論併記で対応する」という原則で扱うルールになっているのか、そのルールの解釈のほうに注がれているのかなという気がしてきました。
▼コメントアウトしてある当該記述への評価のみ先に述べます。「ディエン調査の、サポーターの、その代表者の、武者小路が理事であるところの、チュチェ思想国際研究所は北朝鮮の代弁人みたいな団体だ」というような途中に二つも三つも要素が入り込んでいるような話=「イトコがアカだからきっと偏向している」「親友が朝鮮人だからきっと偏向している」というような話は、「批判」と呼べるものを構成していないと思います。中傷という言葉がおかしければ「悪口」と言えばいいでしょうか。この種の「悪口」では、反論すべき論点が提出されていませんし、「悪口」に対抗するような「両論併記」というのは無理だと思います。記事はあくまでディエン報告をめぐる話がメインであるべきだと思います。▼しかし実際問題としては、武者小路氏がらみの記述が嘘であるわけではないでしょうし、記載されようがされまいが人畜無害かもしれないとも思います。私は「ディエンの…調査の…サポーターの…理事長の…武者小路の…関係しているチュチェなんとか研究所が北朝鮮を代弁する組織? えらく関係が遠いなー」と感じました。ということは、この「批判」とやらの無理筋ぶりが記事に記されていると感じたということでもあります。私のような者も出るわけですから、根拠の強弱についての受け取り方は人それぞれと考えて読者の評価にゆだねるということでもいいのかもしれません。Wikipediaでは内容に立ち入って言及に値するかしないかを敢えて論じないでいるべきなんだということであれば、です。ただし、その場合は正確にインフォームするために「~インターネット上のサイトやブログで~」と必ず付け加えなければいけないと思いますが。
▼それよりも大事なこととして態度を決めかねるというか、Wikipediaのルール運用が私にはまだわからなくて悩んでしまうのは、内容を問わず掲載するべきなのかどうか、という点です。または、掲載の適否についてどのへんに線引きするのかという点だと言い換えてもいいです。この問題と「(ディエン)報告への賛否とでも改題して、賛同する声やその根拠についても記載する(おはぐろ蜻蛉さん)」かどうかとは、もちろん別の話です。▼それにからんでいくつか気になる点だけ挙げます。
  1. インターネット上の掲示板やブログだけをもって「事実そういう批判が存在するのだから」と取り上げていてもオーケーというのには抵抗があります。何かへの道を開くような、際限がなくなるような気がします。もちろん、前提として、私の目には「イトコのハトコがアカ」「風が吹けば桶屋が儲かる」という話に見えているというのがあるので、その段階で認識が違うのかもしれませんが。
  2. 「武者小路氏は利害関係者(の疑いが極めて強い)わけですし(Stranger non general personさん)」、とのことですが、チュチェ思想国際研究所の理事をやっているとどうして利害関係者になるんでしょうか? ここはちょっと理解できません。武者小路氏はさておきチュチェ(略)研究所が北朝鮮の代理人だとしても北朝鮮の代理人に日本の人権状況を世界に向けて告発するべくコストを払って努力するような動機があるとは思えません(機会があったら消極的に悪宣伝するかもしれませんが)。北朝鮮がどうしたとかチュチェ云々がどうしたこうしたということではなくて人権運動家や在日朝鮮人が関わっているというていどの意味なのでしたら、これは利害関係者というよりも当事者ですので、当たり前だという気がします。
  3. 「ウトロを民族問題として扱ってる時点でアウト(Stranger non general personさん)」なんでしょうか? 「ウトロ」問題はいろんな要因から生まれていますが、民族問題“でも”あると思います。
ディエン報告そのものについての議論を邪魔した感じで、すみません。気にしないでお続けいただけたらと願っています。--Iosif 2006年4月8日 (土) 21:08 (UTC)
  • 「1NGOの招待により来日した」と「公式訪問」は特に矛盾しないと思いますが?
  1. NGO「反差別国際運動」:「ディエンさん、朝鮮人に対する民族差別を糾弾する報告書を書いてください」
  2. ディエン:「わかりました。じゃあ仕事で日本に行きますんでよろしく>日本政府」
  3. 日本政府:「はぁ。まぁご自由に」
  4. NGO「反差別国際運動」:「よくいらっしゃいましたディエンさん、これが視察先とスケジュールです。いかに日本政府が非道いことをしているか、しっかり報告書に書いてくださいね」
……で、私は1.を指して「1NGOの招待により来日した」と表現し、johncapistranoさんは2.と3.を指して「公式訪問」と表現している、ただそれだけのことでしょう。
ちなみに4.(ディエン氏のスケジューリングをしたのは件のNGO)も事実であることを、UNハウスに直接問い合わせて確認した人が複数います
  • Iosifさん。武者小路公秀氏は明確に旧ソ連/北朝鮮よりの思想を持つ人物です(左の武者小路氏に関する記事を読んで「断言できない」と仰るなら、もうそこで話は終わってしまいますが(苦笑))ですから、日本が朝鮮人の民族問題についてマイナスの評価を国際社会から受けることは、彼個人の思想に関する利益に合致します。彼個人はまちがいなく利害関係当事者です。
  • 故に、彼が責任者である組織も思想的な偏りがある疑いがある
  • その組織に招かれ、その組織が作ったスケジュールに従って、その組織が見せたい場所(だけ)を見て回った人物が書いた報告書も(ディエン氏が故意にそうしたかはともかく)思想的な偏りがある疑いがある
  • しかも報告書について国連は(少なくともUNハウスは)「裁判ではないし強制力もない。従って中立義務はない」と言っている。
繰り返します。疑惑に過ぎないことは承知しています。しかしこの疑いは(Wikipediaに記事の一部として掲載するに足るほど)十分に合理的なものであると考えます。少なくとも私は。
  • ウトロ問題(これもこの記事で議論する内容ではありませんが)ですが……この問題で一体日本政府に何が出来るんですか? いや、皮肉や嫌味ではなく、本気で聞きたいんですけど……。それは確かに民族問題「でもある」のかもしれませんが、今、日本政府……というか、財産権を認める法治国家に出来ることは、すでに何一つ無いようにしか私には思えません。

--Stranger non general person 2006年4月9日 (日) 17:57 (UTC)

Stranger non general person様:お尋ねいただいた点についてだけ、書きます(いつも長いもので…(^_^;ゞ)。▼武者小路氏について。なるほど、そういう意味でしたか。しかし、そうなると武者小路氏の「思想」についての問題ですよね。「左の武者小路氏に関する記事」というのがどの記事を指すのかわからないのですが、まあ、なんとなく想像しています(このまま関寛冶氏のようなことになっていくのでしょうか…)。しかし、それは彼の政治的な支持性向を問題にしているということではないでしょうか。この種の支持性向をもって「利害関係者」とする表現は、私にはなじみがありませんし、言い過ぎだ・キツすぎる・あんまりだ・と思います。政治信条によって「利害関係者」扱いされたら、どんな人物もそうだということになると思うからです。この場合、中立を保っていなくてはいけないのは調査委員のほうではないでしょうか。誰から何を聞き取るべきかは彼らが判断するでしょうが、その判断に何かしらの根拠があるのかもしれませんから(ないと困るわけで)、この中立性を疑うのに取材相手なり調査協力者などのみを根拠にしていいものか疑問です。こういったことは、 チュチェ云々などとは無関係に、たぶん国連人権委員会であれヒューマンライツウォッチであれ、異国で何かを調査するときには必ず問われるべきことで、結果を検証されたり、その調査能力も含めて検証・批判にさらされるべきだろうとは思います(し、現にさらされている)。いずれにしても、今回の場合、影響という点は証明しようがないという点で一致していることが確認できていると思っています。さらに進んで、私の考えは、ここで指摘されているポイントだけでは「疑惑」とするだけの合理的な理由が見当たらないというものです。▼ウトロについては、報告書の原文を読んだわけではないのですが、諸々の紹介から類推するかぎり「新たな立法をやるべきだ」というのは「こうなるまで看過してきたことの責任を明らかにしておく」もしくは「そこをなんとかしろ」のどちらかを含意しているということですよね?(違うのかな(^。^;))。指摘の現実的な有効性(指摘を受けて何ができるんだ論も含む)については議論があるのだと思うのですが、しかし、こういう「民族問題」は世界各地にあるはずで(ブルガリアのポマックの村が私有地である状態が長かったり地図上から消されてしまってから長かったり)、とりあえず論点をしぼると、やはり民族問題の一つだろうと思います。いや、それこそ、「本気で聞いていただいた」のだから、私もきちんとお答えしたいところですが(能力的に難しいですが)、そのへんは、Wikipediaの役割ではないのだろうと思います。実践(方法)については匿名空間で言いにくくもあります。▼余談になるかもしれませんが、北朝鮮寄りの人が見せたいところだけを回るのなら、ウトロという選定もよくわからんと思いませんか--Iosif 2006年4月9日 (日) 19:18 (UTC)修正付加--Iosif 2006年4月9日 (日) 19:27 (UTC)

追記:「左の記事」というのは項目武者小路公秀のことですね。すみませんでした。あそこでは北朝鮮にからんでは根拠として『黄長燁回顧録 金正日への宣戦布告』しか挙げられていないので、これ自体はとても根拠と呼べるようなものではないと思います。と書いたら「もう話は終わってしまう(Stranger non general person)」とのことですが、ちょっとお待ちください。『黄長燁回顧録』なんか、誰にも検証できない・自分に都合の良いことしか書かれていない眉唾もので何かの根拠になり得ないと思っていますが、それよりも私は「チュチェ思想国際研究所」のほうを重視しています。福島正夫のように完全に代弁人になった人から関係者と飲み友達だというレベルの人までいますので、あくまでも当項目とは関係がない(とIosifは考えている)事柄ですが、ちょっと調べてみます。--Iosif 2006年4月9日 (日) 19:57 (UTC)
いや、問題になるのはソコよりも「国連大学副学長時代には意識的にKGBのエージェントを国連大学に迎え入れた」ってトコロでしょ? そりゃもちろん北朝鮮と旧ソ連は違う国だし、KGBのエージェントが全て非合法工作員ってワケでもないだろうけど……。極端な話、スパイ呼ばわりされたって仕方ない人間では?--210.172.24.240 2006年4月10日 (月) 02:33 (UTC)
  • いや、いきなりスパイ呼ばわりはまずいでしょう(苦笑)
  • ただし「それを理由として他国の諜報機関に協力するほど思想的に偏った人物」であるとは言えると考えます。正直、これで(ディエン氏の報告そのものについてはともかく、武者小路氏について)「思想的な偏りがあるとは断定できない」とおっしゃる方とは、合意を形成できる自信がありません(^^;)
  • Iosif氏には「何事も程度問題」とお返事します。一般論としては「思想信条をもって『利害関係者』とするのは適当ではない」というご意見に概ね賛成ですが……今回の、この武者小路氏の一件についてもそう言えますか?
ただし(繰り返しですが)あくまで「疑念」である事は承知していますし、疑念にしか過ぎない旨を記事中に明記することにも反対はしません
  • で、もうひとつ。国連人権委員会は(少なくともUNハウスの発言によれば)中立義務を負っていません。そりゃまぁ、中立義務があったらクマラスワミ報告書を(たとえ最低評価の「留意」(Take Note)とはいえ(苦笑))まともに取り合うワケがないでしょうがね(^^;
  • ついでにいえば、少なくともディエン氏が視察で直接見たものは、NGO「反差別国際運動」が見せたいと思ったものだけです。上記のとおり、視察の日程を組んだのは件のNGOですから。もちろん、氏がその前後に独自に調査した可能性は否定できませんが。
  • ウトロについては「で、日本(政府)は一体どうすればいいの?」とお聞きしているのですが……。念のためもう一度書いておきますが、日本は財産の私的所有を認めている法治国家です。少なくとも今現在の状況で政府に何ができるのか、私には見当もつきません。「本気でお聞きする」と言ったのはそういうことです。
  • ちなみに今のウトロの状況は、公園にテントを架けて何年も住んでいるホームレスの人たちが「自分たちにも人権に基づき人間らしい暮らしを享受する権利がある。公園を掘り返して電気ガス上下水道を引け」と主張しているのと本質的には変わらない、と考えています。彼らが住んでいる土地は(所有者は変わりましたが)私有地ですから、もっと悪いとも言えると思いますがね(^^; 「彼らがホームレスになった経緯を無視するな」という主張に意味が無くは無いのと同程度には「これは民族問題だ」という主張に意味が無くは無い、とは考えますが。

--Stranger non general person 2006年4月10日 (月) 11:35 (UTC)

Iosif記:▼お返事するつもりでいる論点がいくつかあります。「程度問題」についてと、「偏り」についてです。両方ともいろいろと考えることがあります。しかし、これらは後日に回します。下のセクションStranger non general personさんが「特に編集が無いようですので」「保護解除を」と書いていらしたことを受けて、つまりここはありていに言うと「急かされている」と考えて、お尋ねに対する結論のみを述べているのだご理解ください。そういう事情ですから木で鼻をくくったような感じなのもご理解ください。
Stranger non general personの表現を借りて、結論のみ。ここではStranger non general personさんも賛成されている「思想信条をもって『利害関係者』とするのは適当ではない)」という原則を適用すべきだと思います。
▼「程度問題」についてと、「偏り」認定について。これらは見解を述べるのにとても慎重でなければいけないと思っていて、ああ言うべきかこう言うべきかと考えています。もちろん仕事の合間に考えているので、トータルでは時間を費やしていないのかもしれませんが、やっぱり時間はください。実際、とても難しいことをStranger non general personさんは尋ねたと思うのですが。。。--Iosif 2006年4月15日 (土) 20:42 (UTC)

ディエン氏の報告の政治的中立性についての疑問に関する記述の復活について

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その後、特に編集が無いようですので、この点については合意が形成できたとして保護解除を依頼してよろしいでしょうか? ちなみにjohncapistranoさんについては「返事をする意味を感じられなくなった」というお返事を(別の記事のノートで)いただいております。--Stranger non general person 2006年4月14日 (金) 10:00 (UTC)

勿論反対です。UNハウスの誰があなたのお知り合いのどういう質問にどう応えたんですか? 同じ書込みの繰り返しは不要です。「UNハウスの広報係」が言ったというだけでなく論拠を示して頂くようにお願いします。また

日本政府:「はぁ。まぁご自由に」

があなたの妄想でないというならどの省庁のどの部局の誰がそう言ったのかまで提示して下さい。報告書では日本の関係部局にも調査したことになっていますが、虚偽だと主張しているということでしょうか? johncapistrano 2006年4月14日 (金) 10:12 (UTC)
Stranger non general personさん:実際には実行したわけではありませんから非難する気は毛頭ありませんが、編集強行宣言(ではないけれども)に似たことを言っておどかすのはやめてください。あわててしまうし心臓に悪いです。言うまでもありませんが、編集がないといっても4日しか経っていませんよね。
▼私はあれからいろいろ考えていましたが、本筋の賛否よりもStranger non general personさんから投げられたボール(1)「何事も程度問題」と(2)「偏り」ということ、について何かしら考えを述べなければいけないのだろうと考えて、うーんとうなっていたことでした。結論についてだけなら簡単に書けますから、お急ぎのようですので、上のセクションで簡単に結論だけ返事します。しかし、「武者小路氏について)「思想的な偏りがあるとは断定できない」とおっしゃる方とは、合意を形成できる自信がありません(^^;) 」(Stranger non general personさん)と脅しのようなことを書くからビビって「偏り」についての見解をしたためようと準備していたんですよ。チュチェなんとか研究所のことも調べていましたし。しかし、それはあとにまわしますね。夜にでも上の節に書きます。Iosif 2006年4月15日 (土) 05:55 (UTC)
先に意思表明のみ。少なくとも、合意が形成できたわけではありません。私は記述の復活にまだ反対です。ただし、一応確認しますが、この項目が保護されているのはPeaceの操り人形と言われるアカウント群との編集合戦が理由だったと思います。そういうことは関係ないのかもしれませんが、念のため。 --Iosif 2006年4月15日 (土) 05:55 (UTC)

johncapistranoさん:

 「返事をする意味を感じられなくなった」と仰られた後に書き込まれた件に関しては特に何も申し上げませんが、その発言をなされた場所では意外な人がいらっしゃっていたようですね。さて、それはそれとして、ご要望のソースです。
もちろん、一人/一書き込みだけなら「ソースは2ちゃん」と笑われるところですが
  • 複数人(少なくとも複数IPアドレスを持つPC)からの報告であること
  • 外務省・法務省その他(日本側の)公的機関からの発表と矛盾する点がないこと
の二点から、(全てを完全に信頼するわけには行かないものの)ある程度の信頼性はあるものと判断しています。あとそれから、外務省と法務省については、ディエン氏の調査に関して特に予算措置が取られていないことは私も確認しています。(まぁ、クラスター爆弾の時みたいに「一式」で処理されてる可能性も無きにしも非ずですが……(^^;))
 で、と。「報告書では日本の関係部局にも調査したことに」なっているって……それがどうしたんですか? 問い合わせを受けて(断る理由がない限り)それに答えるのはお役所のお仕事ですよ。ましてや(中立性があるかについてはともかく)国連人権委員会が公的機関であることには、私もjohncapistranoさんも争いがないところだと理解していますが、公的機関が公的機関の問い合わせに答えることに何の問題があるんですか?
 繰り返しますが、私はjohncapistranoさんと(この点に関しては、ですが)争うところはないと考えています。「来て下さい」といったのは件のNGO、「じゃあ行きます」と言ったのはディエン氏、「解りました。いらっしゃるならご自由に」と言ったのが日本政府(だって国連からは何も連絡が来てないっつーんですからね(^^;))。私とjohncapistrano氏と(繰り返しになりますが、この件に関しては)どこに争いがあるのですか?

Iosifさん:

 えと……私、そんなに難しいことお願いしてます?(^^; 「以前、KGBに協力したことがあると自分で言っていて、現在は主体思想研究所の理事をやっている人物(&その人物が日本支部の理事長をしてる組織)が思想的に偏向していると見なすか否か?」と聞いてるだけなんですが……。
 いえ、繰り返しになりますが、ディエン氏(とその報告)についてはあくまで「疑惑」であることは承知しています。もしかしたら、ディエン氏は件の人物&NGOからの影響を排除して独自の視点であの報告書を書いたのかもしれません(私自身は、とてもそうは思えませんが……(^^;))
 繰り返します。私は、武者小路氏と件のNGOが思想的に偏向している(と強く疑われている)とWikipediaのこの記事に記述することが、NPOVの観点から望ましいと考えています。Iosifさん(&他の皆さん)はどうお考えですか?--Stranger non general person2006年4月18日 (火) 01:48 (UTC)

さて、流石にもういいでしょうね。他の方からも保護解除の希望が出ていますし、他のご意見も無いようです。合意が得られたとして保護解除を申請することにしましょう。--Stranger non general person 2006年5月9日 (火) 20:21 (UTC)

以下Iosif記:
▼お尋ねいただいたことについて、お待たせしたままで大変申し訳なく思っています。ずっと気になっていて、今日書こう今日書こうという状態でした(信じてください)。さすがに、しびれを切らすのも当然かと思っています。▼しかし、お待たせしている事柄はいずれも傍論ないしは横道にそれた部分です(とIosifは受け取っています)。確認のため、その部分を後述します。
▼しかし、結論については変わりありませんし、撤回と受け取れるようなことを書いた記憶がありません。武者小路氏を根拠に「ディエン報告に政治的中立性に疑いがある」とする記述をコメントアウトしておくべきだ(そして私は削除すべきと考えている)というのには変わりません。繰り返しになりますが、これは批判として成立していないと考えるからです。こういった「イトコがアカだからあいつの言うことは偏向している」という論理が記述されるべき批判として認められていいのか疑問です。ディエン報告はあくまでその報告内容(や調査精度?)を取り上げて批判されるべきだと思います。もちろん、それらについては口を挟む能力がないので、口を挟まないだろうと思います。私は、ただただ、コメントアウトした部分のような論理がまかり通っては、何か、歯止めを失うように思うのみです。
▼保護解除については判断できません。上記の点についてご理解いただいているなら(つまり、記述復活が条件でないなら)特に申し上げることはありません。この項目の保護は荒らしによるものであって、その脅威が去っているか否かがポイントになるでしょうから。しかし、同一人物と思われるアカウントがまた現れたことで、私も別項目で解除依頼を取り下げましたし、まだ脅威ではあると思っています。これがなければ解除してもいいのかもしれません。ただし、私は、「武者小路氏を根拠にディエン報告全体を評する」当該記述の復活には、まだ反対ですから、例えばここで保護原因になった多重氏が割って入って当該部分の編集を強行するなどした場合に、いろいろと対抗するだろうとお考えください。
▼さて、難しくてお答えしづらいと書いたり保留している事柄を確認します。
  1. そもそも「偏り」「偏向」とは何か、という点。誰の目から見ての「偏向」なのか、という点。
  2. 「程度問題(Stranger non general personさん)」で、「イトコがアカだからあいつの言うことは偏向している」と言うのに似た論理で責められるほどの「程度問題」とはどういうものなのかという点。
▼原則を言えば「偏り」なぞ相対的なものですし、誰もが等しく「偏向している」とみなさざるを得ない、としか言いようがなくなると思います。
▼が、しかし、これらについて答えが難しいと思ったのは、まず私が「程度問題」ということを認めないではない半端な立場だからかもしれません。原則的に言えば「武者小路がどうであろうと関係がない」としてお仕舞いだと思います。
しかし、よくよく考えてみれば、難しいと思っているのには別の理由も大きいです。実は「武者小路氏について)「思想的な偏りがあるとは断定できない」とおっしゃる方とは、合意を形成できる自信がありません(^^;) 」(Stranger non general personさん)と言われてしまっていることで、かなりビビっています。そうとうしっかり書かないといけないと緊張させられます。決してStranger non general personさんのせいにしようと思って書いているのではありません。しかし(平和系多重氏に突っかかっていると思われているかもしれませんがアレは例外で)、私は大変気の弱い人間でして、先に「Iosifとの合意形成には条件がついている」と知らされてしまうと、どう発言したものか恐れてしまいますし、その条件そのものに、どのように異議を唱えるべきか頭を悩ませました。だから、チュチェ思想国際研究所での武者小路氏の役割を知っておこうと思っていたのですが、とうてい間に合いません。これはもう、しようがないので、そのようなことをすっ飛ばして、思うことのみお返事する次第です。これら「傍論」については以上のとり、保留部分が多いことの言い訳を取り急ぎしたためているとご理解ください。--Iosif 2006年5月10日 (水) 09:01 (UTC)
▼追記:今までココで知らされた情報に関する感想だけ述べます。ココで知らされた情報だけで言うと、北朝鮮の代弁人とみなすには武者小路氏などたいしたことはないという印象です。業績ある研究者で有名になったあとチュチェ(略)に関わったO氏やF氏やS氏(いずれもたぶん故人。荒れそうなので実名を挙げませんが)を思い出すと武者小路氏なぞ「北朝鮮寄り」のうちにさえ入らない。私が北朝鮮の代弁人だと思うのは、イニシャルで挙げた彼らのことで、北朝鮮の政策転換やプロパガンダの変化に合わせて、すぐに言うことを変える。本業は立派なのに。下手したら、公式プロパガンダの変化の直前に、北朝鮮の新政策どおりに言うことを変えていたりして、事前の打ち合わせか何かの関わりがあるのではないかとさえ疑える。北朝鮮が「主体思想はマルクス主義を超え、超えたついでにマルクス主義と決別した。我々はマルクスよりもフォイエルバッハの立場に依拠している」などと言い出すと、これとまったく同じことを頑として主張し、譲らない。「金正日は長子だからではなく朝鮮人民が最優秀な指導者を民主的に選び抜いた結果、指導者になったのだ」と言い張る等々、何もかもが北朝鮮の言い分とぴったりイコールだという人々です。「あなたのような碩学が突然何を言いはじめるのか!?」「家族を人質でも取られているのか?」と思わせるほどです。Stranger non general personさんの「程度問題です」という言葉が引っかかっているのは、こういう人が実在しているのが念頭にあったからです。こういう人々をエージェント・代弁人扱いすることに(問題あるかもしれませんが個人的には)異議はありません。現に、CIAエージェント(クリッピンガーという人でした。北朝鮮についての分析官?執筆者紹介にはエージェントとありました)が学術誌に寄稿している論文でO氏やF氏の発言が「北朝鮮の公式プロパガンダ」に準ずるものとして扱われたりもしています。もちろん、それでもなお、例えばディエン氏が、こういう人に案内されたというだけで、ディエン報告が疑われるべきか否かについては議論の余地があります。ありますが、そこまでの「程度」なら、さすがに私も引いちゃうヨというのは白状します。しかし、武者小路氏については、いま出ている情報だけでは、単に彼自身の政治信条に基づいて発言し行動している範囲にとどまっているとしか思えません。これを「ソ連寄りで北朝鮮寄り」と呼ぶというのは(そもそもソ連と北朝鮮では立場も戦略も全然違うわけですし)、単に「武者小路は反日日本人だ」と言うのと変わらないのではないでしょうか? --Iosif 2006年5月10日 (水) 09:01 (UTC)
私からはこれを見るようにお願いします。johncapistrano 2006年5月10日 (水) 09:23 (UTC)

Iosifさん:

お返事ありがとうございます。が……それはちょっと違うのではないでしょうか? Iosifさんの論法をそのまま延長すれば「彼はスターリンにくらべれば全然小物だから『思想的に偏ってる』とは断言できない」ということになるのではないでしょうか?
ここで問題になっているのは、武者小路氏個人が(Wikipedia上において注意を喚起しなければならないほど)思想的に偏っているか否か、言い換えれば偏りの程度であると認識しております。その評価基準として「誰某よりマシだから問題ない(特に表記する必要は無い)」というのはあまり意味が無いのではと考えますが、Iosifさんはどのようにお考えになられますか?
ですので、O氏・F氏・S氏という仮名には今回は言及しません。本来は実名を明かすか削除して欲しい、とお願いするところですが、今回の議論には関係ない人物ですので。
荒らしが怖いというのは仮名とする理由にはならないでしょう。ブロック依頼を含めた断固とした処置を管理人諸氏にお願いすればいいだけです
ちなみに私は(以前にも申し上げましたが)彼が自らの政治信条を理由として外国の情報機関に協力した経歴がある以上、今回も(政治信条を理由として)外国の政治キャンペーンに協力したと疑うのは(Wikipediaに掲載するに足りるほど)合理的な推測なのではないか? と申し上げています。 ですから「政治信条に基づいて発言し行動している」というIosifさんのご主張は、上記の疑惑そのもののの否定にはなっていないのではないか、と重ねて申し上げさせていただきます。

johncapistranoさん:

まずは署名の補完、ありがとうございました。三週間、ずっと忘れてたまま放置してたみたいですね(^^; 申し訳ありませんでした。
で、と。私もWikipediaの全記事に目を通しているわけではありませんので、他の記事(等)でご議論をされている場合は、せめて誘導をしていただけないでしょうか? ご提示いただいた記事は、ご紹介いただいて始めて知りました。申し訳ありませんが、そのような点についてはご配慮を頂ければと存じます。よろしくお願いいたします。
ということで、ご紹介いただいたこちらを拝見しました。なるほど、英語版Wikipediaでは『オンライン掲示板等の情報は、誰が書いたか分からないので、「信頼できる情報源」とは認めない』ので、日本語版もそれにならうべきだというわけですね。
まぁ、ノート:松代大本営跡では、書き込んだご本人がいらっしゃったワケですが……あれ? こちらの方が日付が前なのはどうしてでしょう?(苦笑)
まぁ、もちろん単純に書き込みそのものだけを論拠とするのは(私自身が『「ソースは2ちゃん」と笑われるところですが』と書いているように)とても信頼するには当たらないでしょうが、同時に書いたように
  • 複数人(少なくとも複数IPアドレスを持つPC)からの報告であること
  • 外務省・法務省その他(日本側の)公的機関からの発表と矛盾する点がないこと
の二点から、ある程度は信頼できるのでは、という私の判断と共にご提示した次第です。その点についてはjohncapistranoさんはどのようにお考えでしょう?
……いや、実は私、他の記事でjohncapistranoさんとまったく同じ主張をしたことがあるのですよ :-) (そのときのソースはブログでしたが)削除を希望する私に対して「信憑性については各個人が判断するものと考えます」というお返事が返ってきたので、私は『ソースは個人のブログであり、信頼性には疑問がある』という記述を追加することを条件に編集に合意しました。 ……さて、私はいったいどうすればいいのでしょうね? :-)
なんにしろ、他の
  • 外務省・法務省その他(日本側の)公的機関からの発表に「ディエン氏を公式に招待した」と表現したものが無い
  • 予算措置が取られた形跡が無い
については、特にjohncapistranoさんからの反論は無いようですので、今回の編集については問題は無いでしょう。

--Stranger non general person 2006年5月11日 (木) 13:36 (UTC)

Iosif記→Stranger non general personさん宛:すごく取り急ぎで手短に。「追記」部分にだけ言及いただいていますが、あれは「武者小路は偏向していると思いませんか?」という問いかけに答えたものでしかなく、本論のつもりでいるのは→「ディエンのイトコのハトコがアカだからディエンも疑わしい」というような話を「批判」として認めていいのか、単なる「中傷」ではないか(でなければ単にネット上で言われている「悪口」ではないか)というものです。ってことを確認しておきます。繰り返しになりますが、ディエン報告はあくまでその報告内容や精度を取り上げて批判されるべきだと思います。▼政治キャンペーン疑惑についてですが、疑惑というのが要するに「ディエン報告は日本の敵国の政治キャンペーンが産んだ」というものなら、「合理的推測」とは認めがたいです(その理由は、ほぼ冒頭で既に述べた“つもり”でいましたが、求められれば、また書きます。今回は取り急ぎということで)。--Iosif 2006年5月11日 (木) 14:28 (UTC)

反論に値しないと書いているんですが。外務省等の公式発表はどこにありますか? あるとすればそれのみがソースになります。「電凸」を何百集めても、信頼できるジャーナリストが対応した相手を具体的に特定した上で公表して、責任者もその内容に同意したなどの条件が整わない限りソースと認められないでしょう。johncapistrano 2006年5月11日 (木) 14:39 (UTC)

Iosifさん:

「ディエンのイトコのハトコがアカだからディエンも疑わしい」という話と今回の「疑惑」(と、呼んでおきますが)の明確に異なる点が、「ディエンのイトコのハトコ」はディエン氏の公務(少なくとも今回の報告書の作成)にほぼまったく関係ありませんが、件のNGOは今回の報告書作成に密接に関わっているのではないか、という点です。ディエン氏を招待(一説によれば調査のスケジュール作成まで)したのが「ディエン氏のイトコのハトコ」だとすれば(そして、あえてこの言葉を使うなら「ディエン氏のイトコのハトコがアカ」なら)、今の疑惑とまったく同じように疑われたでしょうね。その点に関してはIosifさんはどのようにお考えですか?

johncapistranoさん:

議論に参加なさらないなら、別に貴方の同意などどうでもいいことです。私としては貴方が三度、ご自分の言を翻して書き込むことが無ければそれで結構です。まさか貴方は、議論に参加せずにこの記事の(少なくともこの節の)編集に参加しようとお考えになるほど厚顔な方ではありますまい。私としてはそれで十分に満足です。

--Stranger non general person 2006年5月14日 (日) 21:51 (UTC)

「電凸」をネタに編集を強行しようとする方がよっぽど「厚顔」でしょう。あなたは相手の質問には応えずに論点を逸らしているので議論が成立していません。ソースなしの書き込みをしても当然除去します。johncapistrano 2006年5月15日 (月) 08:21 (UTC)

現実に「ディエン報告への懐疑と批判」があるという事実を執拗に除去しようとしている時点で胡散臭いっていうかアチラ系の確信犯ってことだろう。者利便 2006年5月15日 (月) 18:09 (UTC)

「武者小路公秀氏はチュチェ思想を研究しているのだから、日本を悪く宣伝する事に手段を選ばないはずだ。」「ドゥドゥ・ディエン氏は武者小路氏が日本委員会の理事長を務める反差別国際運動に招かれたのだから、その中立性は疑わしい。」これらの論拠はAd hominemでしかない。極端な話、ディエン氏が政治的に偏向していると証明されたとしてもディエン報告書の内容の真偽には何ら影響が無い。報告書の英語版と報告書の英語での批評(不思議な事に日本語での批評文はみつからなかった)を読んでみたが、内容の細かい所はともかく要旨については特に問題は感じなかった。(余談だが、ディエン氏について調べてみたところ、今現在ちょうど日本を再び訪れているようだ)。--Sequitur 2006年5月15日 (月) 19:30 (UTC)

セクション「ディエン報告への懐疑と批判」はその懐疑や批判の成否の記述ではなく、単に事実の記述です。その事実を受けてSequitur氏のように解釈し「Ad hominem」と判断する読者もいれば、そうは思わない読者も存在していいわけです。むしろ「ディエン報告への懐疑と批判」が現に存在する事実を削除して伏せ、一方的な「国連人権委員会特別報告」のみを記述することこそウィキペディアの中立的観点に反した編集であると考えます。らぶりん 2006年5月16日 (火) 14:04 (UTC)
Ad hominemというLogical fallacyであるがために現在コメントアウトで述べられている論拠はディエン氏その人への「懐疑と批判」にはなるかも知れないが、ディエン報告書への「懐疑と批判」には繋がらない。この記事で語られているのは報告書その物なので、それに対する批判を載せるのなら報告書の中身にたいする物でなくてはならない。要するに事実であろうとなかろうと「記事に関係の無い記述は削除すべき」という事。--Sequitur 2006年5月16日 (火) 15:33 (UTC)

IPユーザーですが一言。

johncapistranoさん。議論とは、それがどんな内容であれどんな経緯であれ(それこそ相手が幼稚園児でも)席を蹴った方の負けです。「反論する気はない。だが編集はする」というのでは、荒らし宣言をしたも同然ではありませんか。相手が論点をずらすというのなら、自分の論点を反論ごとにまとめればいいのです。また、「Wikipediaではネットワーク掲示板の書き込みはソースにならない」という情報も、現段階では「ネットワーク掲示板に書き込まれた情報」ですよね? しかもそれは(正しいとしても)英語版の規定であって日本語版の規定ではありません。もしご自分が正しいとお考えになられているのなら、まずは日本語版の管理者の総意として日本語版も「ネットワーク掲示板の書き込みはソースにはならない」とする英語版の規定に準じる、とする判断基準を設けるよう、管理者に依頼すべきではありませんか?

ちなみに私個人としては、

  1. まったくのネットワーク上の情報だけなら、ソースとすべきではない。削除対象とすべき。
  2. 他に裏付ける(ネットワーク上以外の)ソースもあるのなら、ソースがネットワーク上のものであることを明記した上で読者に判断を委ねる

という基準が妥当だと考えています。今回の場合は二番目に該当するため、記述すること自体に問題は無いと思いますが、ソースがネットワーク上のものであり信頼性は乏しい、とも追記しておくべきであると考えます。

で、Stranger non general personさん。 掲示板では「通りすがりの逸般人」さんとしてよくお名前を拝見しますが、あまり怒らないほうがよろしいのではありませんか? それは三週間放置した挙句に「お前と話すことなど無い。だが編集はする」などという返事が返ってきては怒るのも無理はないと思いますが、計算づくで相手を袋小路に追い詰めるようなやり方はあまり好ましくないのではないでしょうか? 排除の論理で動いていては、相手に遺恨を残すだけだと思います。「相手の非に対して謝罪は要求する。それはそれとして議論には議論で返す」が大人の態度というものでしょう。johncapistranoさんが「論点をずらすな」とおっしゃられるなら、貴方は貴方で論点をもう一度整理なされてはいかがですか?

--210.172.24.240 2006年5月16日 (火) 15:11 (UTC)

「席を蹴った」と決めつけているのはそちらなんですが・・。こちらもマトモな返答やソースが提示されるのを待っていたのですが、同じ主張の繰り返しです。(ルールについては文章化が遅れているだけでこれまでも記事によるが大体運用されています。極めて常識の範囲だと思います。が、平然と「電凸」をする方にはそうではないのかもしれませんね・・。)そこまでしても載せたいということだけが伝わりました。johncapistrano 2006年5月16日 (火) 15:39 (UTC)
独自調査の禁止はウィキペディア創始者ジンボ・ウェールズの意向でありWikipedia:ウィキペディアは何でないかにもちゃんと書いてある。電凸なんてふざけた情報源が認められる可能性はゼロ。--222.12.154.47 2006年5月16日 (火) 15:53 (UTC)

「ディエン報告への懐疑と批判」にある事実情報を与えた場合と与えない場合の読者の「報告書」に対する評価への影響に大きな違いが生じます。「ドゥドゥ・ディエンの9日間の来日を日本側でサポートしたのは国際NGO反差別国際運動 (IMADR)」 であった。」事実、「この組織の日本委員会の理事長である武者小路公秀が『チュチェ思想国際研究所[3]』という北朝鮮に極めて近い組織の理事にも就いている」事実はふざけた情報源ではないでしょう。またその事実を受けて「武者小路の政治的信条がディエン報告に影響を及ぼしている。」とする批判もあって当然です。なずそう削除して事実を隠そうとするのか訝しい限りです。

Sequitur氏へ、「ディエン氏その人への「懐疑と批判」にはなるかも知れないが、ディエン報告書への「懐疑と批判」には繋がらない。」と言われますが、そうではありません。上記にもある事実は「ディエン報告書」の評価に影響を及ぼす事実であり、「懐疑と批判」を呈する側の人は「ああなるほどね」と合点するほどの情報なのです。また「批判を載せるのなら報告書の中身にたいする物でなくてはならない」と言われますが、報告書にある提案に至る具体的な理由や根拠が全く記述されていない中身の無いものに対論批判を記述しようがありません。「報告書にある提案」が記述されているだけですから、あなたの基準を適用したらば、ディエンが言う「アイヌ民族や朝鮮半島出身者への差別」とは何なのか、あるいは「当局者の多くが深刻さを理解していない」とする「民族主義」と「人種差別」とは何のことなのか等全く内容が記述されておらず、この「日本の民族問題」の内容説明になっていないことが分かると思います。つまり「国連人権委員会特別報告」も削除すべき、となってしまいます。--らぶりん 2006年5月16日 (火) 17:16 (UTC)(←署名がなかったので投稿履歴参照のうえ補う。--Iosif 2006年5月17日 (水) 17:40 (UTC)

どうも話が噛み合っていない。Ad hominemの概念を理解していないのでは?--Sequitur 2006年5月17日 (水) 19:34 (UTC)

210.172.24.240さん:

心配はご無用です。怒ってなどいませんよ。古代ローマのエラい人も言ってたでしょう?
「いつもの言葉を浴びせかけるがよい。余はそれを悪罵とは受け取らぬ。せいぜいのところ、頑是無い幼児がだだをこねている程度にしか思わないであろう」
あの手の人の罵倒や挑発にいちいち乗っていては、あちらの思う壺ですからね。

johncapistranoさん:

ということで、もう一度前回の私のお返事を読み返してはいただけませんか? 解りやすいよう、一番後ろに持ってきておいたんですけれどね。念のためもう一度、カット&ペーストしておきますか。
なんにしろ、他の
* 外務省・法務省その他(日本側の)公的機関からの発表に「ディエン氏を公式に招待した」と表現したものが無い
* 予算措置が取られた形跡が無い
については、特にjohncapistranoさんからの反論は無いようですので、今回の編集については問題は無いでしょう。

--Stranger non general person 2006年5月17日 (水) 12:16 (UTC)

誰も「公式に招待した」と書けとは言っていません。「私的に訪問した」とする根拠が示されていない。予算は人権委員会自体から出るのではないのか? 触れられてもいないものについて外務省の見解をあなたが創設するのは問題でしょう。明からさまに無視したことが明白になると拙いんじゃないかと思いますが、どうなんでしょうね。人権委員会の特別報告者の費用を対象国が負担する規定があるんでしょうか? johncapistrano 2006年5月17日 (水) 16:10 (UTC)
2005年11月8日にOn Agenda item 69 Elimination of racism and racial discriminationについて北岡伸一大使が国連で演説をしていますがその中の一文に:
「In this context, we are pleased that the Special Rapporteur Mr. Doudou Diène kindly accepted our government’s invitation and visited Japan last July. Our government and the many people concerned extended him their full assistance and cooperation and we will be ready to extend further cooperation as he prepares his final report to the Commission on Human Rights next year. We will give serious consideration to his report and recommendations once they are issued so that we will be able to introduce further measures to improve our society.」
とあります。外務省のページにあるその演説の日本語訳:
「そのような中で、ドゥドゥ・ディエヌ特別報告者が我が国政府の招待を受けて、昨年7月日本を訪問してくれたことを評価しています。訪問に際しては、我が国政府関係機関は、可能な限りの支援を行いましたし、特別報告者が明年の人権委員会に向けて報告書をとりまとめる過程において、更なる支援を行う用意があります。我が国は、報告書が発出された際には、日本社会の改善のための更なる措置導入のためにその特別報告者報告と勧告を慎重に検討します。」
日本政府が招待しています。「可能な限りの支援」をしておいて「日本政府とは何も関係がない」というのは明らかに変ですね。どちらが間違っているのかは述べるまでもないでしょう。--Sequitur 2006年5月17日 (水) 19:25 (UTC)

Sequiturさん:

資料のご紹介、ありがとうございます。なるほど、これは初めて拝見しました。了解です。とりあえず「日本政府はディエン氏の訪問に関与していない」の部分は主張を保留します。他の資料や関係省庁についてもう一度調べてみましょう。訪問あるいは報告書発表の後に外務省/法務省のプレスリリースが無いのはやはりおかしいと思いますが、確かに国連大使といえば関係者に含まれるでしょうからね。

johncapistranoさん:

ここで貴方に向けて「返事をする意味が感じられない」とお答えしたら、どのような書き込みがあるのが非常に興味があるのですが、まぁそれはやめておきましょう。
とりあえずは一点のみ。私はディエン氏が「私的に訪問した」と主張したことは一度もありません。国連人権委員会の公務として来日したが、招待したのはNGO「反差別国際運動」であり、日本政府はその来日に関与していない、と主張していたはずです。私の主張のうち、日本政府の関与に関しては直上のSequiturさんへのお返事で保留しましたが、それまで私の主張は変化していないはずです。その点に関しては訂正をお願いします。

--Stranger non general person 2006年5月18日 (木) 01:34 (UTC)

あなたへの質問には応えずに要求だけされるんですね。表現上は仰る通りですが、IMADRは当事者団体組織ですよね、それには同意しないんですか? で、他の方も同じことを既に書いていますが、あなたのされている印象操作は不適切です。あなたの主張の論法が外務省のものと似通っていることも認めますが。「疑義」よりかは当事者という意味で原文やIMADRと外務省の回答へリンクを張る程度が妥当だと思います(正式とかいう意味ではなく当局者のその時点での回答という意味で)。繰り返しの主張で無駄に容量が増えてきたのでご自身で自らの主張を簡潔にログ化してもらえませんか?johncapistrano 2006年5月18日 (木) 06:05 (UTC)

:johncapistranoさん

  • まず最初に。「回答する意味が感じられない」という言葉を三度翻された(ついでにその間、三週間議論を放置して、結果的に保護期間を延ばした)ことについて、私はともかく、他の人に向けて一言あるべきなのでは? ……いえ、私は怒ってませんがね。上に書いたとおり。
  • 質問には答えず、って……質問の前提が間違っているから、まずはその訂正をお願いしたのですが。
  • 「IMADR(反差別国際運動)が当事者団体組織」とは、NGO「反差別国際運動」が最初にディエン氏の来日を要請した、という意味ですか? でしたら(私が最初から申し上げている通り)Yesです。
  • NGO「反差別国際運動」が自らの目的を「差別の撤廃を目指す」としていることや、在日朝鮮人を「被差別マイノリティ」と位置づけていることなどに関しては、かのNGOのWebページその他の資料を見れば明らかでしょうから、その点については特に言及しませんでした。その部分の説明が足りなかったのではないか、というご指摘ならば確かにその通りです。
  • 「私の主張の論法が外務省のそれに近い」って……だからどうしたんですか? いったいjohncapistranoさんは何を仰りたいのでしょうか?
  • 私の主張は、別にログ化するほどの大きさでもありません。十行前後で済む話です。いい機会ですから、もう一度まとめてみましょう。
【主張の骨子】
 2005年7月に行われた、ドゥドゥ・ディエン国連特別報告者による調査は、以下の理由からその政治的中立性に疑問がある。彼の報告を記事内に記述するのなら、NPOVの観点から「疑問をもたれている」ことも記事内に明記すべきである。ただしあくまで「疑惑」であり、確定的な証拠は現在存在しない旨の記述も併せ付け加えることには反対しない。
【疑問を持つ理由】
  1. ドゥドゥ・ディエン氏の来日を最初に要請したのは、NGO「反差別国際運動」である
  2. この団体の日本支部の理事長は武者小路公秀氏であり、氏は主体思想研究所の理事でもある。マスコミには「北朝鮮が最も信頼する日本の知識人」と評価されており、自ら過去KGBに協力したことがあると語っている人物である
  3. 加えてディエン氏は以前から問題のNGOとの接触がある。
  4. さらに、ディエン氏の来日の際のスケジュールまでこのNGOが作成したとの情報がある
  5. ディエン氏の来日に関して、日本政府および外務省・法務省は関与していない
以上です。ただし斜体の部分に関しては、Sequitur氏のご指摘により現在は保留しています。

--Stranger non general person 2006年5月20日 (土) 00:49 (UTC)

主張を纏められたということなのででログ化しておきます。あなたの主張には既に他の方が反論済みであるにも拘らず同じ主張を繰返されるということで、反論する意義が感じられないことに変わりありません。一度も翻意していません。当事者団体というのはいうまでもないと思ったんですが、反差別団体の連合体という意味です。同じ主張の繰り返しは要らないと何度書けば理解して貰えるんでしょうか。johncapistrano 2006年5月20日 (土) 03:49 (UTC)

johncapistranoさん:

なぜなら、johncapistranoさんが、上記の私の纏めの【疑問を持つ理由】についての反論を一切なさらないからです。当然、私の【主張の骨子】が変わるわけもありません。Sequiturさん以前には、ソースを示して私の【疑問を持つ理由】に反論なさる方はいらっしゃいませんでした。まぁ、信頼性について疑問がある、という主張はなされていたのは承知していますが、それも【疑問を持つ理由】の一部で、かつ具体的なソースは何もありませんでしたよね?

あー、かったりぃ。おちおち死んでもいらんねぇや。っつーこって一部では有名らしい、ベルナドッド隊長(仮名)である。ちなみに前回とは違うネット喫茶からなのであしからず。どーせ「独自調査だ」とか言ってイチャモンつけんだろ? まぁいいよ、別にあんたらに認めてもらおうと思って書き込んでるわけじゃない。

てなことで、だ。Sequiturさんとやら。問題のページについて直接外務省に確認してみたんだがね。向こうから「来日したい」と要望があってそれを許可しただけ、という場合でも、外交儀礼上「招待した」と表現するそうな。先の電凸の報告どおり(来日を許可した、という以外に)ディエン氏の調査活動に日本政府(少なくとも外務省)は一切関与していないとのことだよ。

ちなみに確認したのは昨日(2005年5月22日)の16:20、IT広報課から人権人道課に回されて、最終的なお返事をもらったのは同人権人道課のナカノさんという方。一応、上記の事情をどこかに注釈として乗っけてもらえないかとお願いして「検討する」というお返事はもらってるが……まぁ、これは話半分に聞いといたほうがいいだろうな(苦笑)

以上、もしどーしても信じられなきゃ、会話の内容の録音を取り込んでどこかにアップロードしてもいいが……。まぁ、今はやめておこう。そうした挙句に「独自調査だ」とか言われちゃかなわない。まずはお疑いになられている諸氏にも「自分で調べる」ということをなされてはいかがかな? と言わせていただこう。 少なくとも、私の場合は(言わば)飛び込みでちゃんとここまでお返事を貰えたんだからね。電話一本の手間、何を惜しんでるの?

--219.119.62.102 2006年5月23日 (火) 08:16 (UTC)

余計なお世話。つうか誰もあんたらの言ってることがウソだと言ってるわけじゃないんだよ。信頼できるソースに基づいてないことを問題にしてるの。一番重要なのは、正しいかどうかじゃなくて、信頼のおけるソースの裏付けがあるかどうかなの。いくらでもでっち上げられるような名無しIPの「独自調査」の結果はどうあがいたところで載せられないってこと。百科事典はチラシの裏や便所の壁じゃないんだよ。勘違いしないでね。--222.3.74.197 2006年5月23日 (火) 08:51 (UTC)
「国連大使が政府を代表し演説した内容」と「一職員が一個人に電話で語ったとされる内容」が相反する場合どちらを信用するか?考える必要も無いと思うが。--Sequitur 2006年5月25日 (木) 15:16 (UTC)
相変わらず隊長、一刀両断だなぁ……。ってなことはさておき。Sequiturさん。上記のIPユーザーは、別に国連大使の発言内容を否定しているわけではないと思いますが? 「向こうから『来日したい』と言われてそれを許可しただけでも、外交儀礼上は『日本政府が招待した』と表現する」という、新しい事実(と、IPユーザーが主張すること。とりあえず今はね)を提示しただけではありませんか?
で、ちょっとお聞きしたいんですが……。Sequiturさん、「○○という本のP○○~P○○にこれこれの記述があった。コピーも取ってあるので必要ならどこかにアップロードする」と、「○○省○○課の○○さんに電話で確認した。会話も録音してあるので必要ならどこかにアップロードする」の間には、その本質にどのような違いがあるのか、ご説明をお願いできませんか?
上記の件では、いつ、どこの、だれに、どうやって確認したかがちゃんと明記されています。これを検証するに必要なのは、(外務省の業務時間内に電話する)時間とわずかな電話代だけです。これは検証可能な情報ではないのですか?
独自調査は検証することが出来ないから(Wikipediaでは)禁止されているのですよね? では、検証可能な調査は(Wikipediaで禁止されている)「独自調査」には該当しないのではないのでしょうか?
以上、Sequiturさんのお返事を頂ければ幸いです。……まぁ、IPユーザー氏の「独自調査」の自称は、こんなコトは百も承知の上での厭味(というか、諧謔)だと思いますけどね(苦笑)
--Stranger non general person 2006年5月29日 (月) 07:54 (UTC)
この二つが相反しないとでも?
国連大使が政府を代表し演説した内容:「(ディエン氏の)訪問に際しては、我が国政府関係機関は、可能な限りの支援を行いました」
一職員が一個人に電話で語ったとされる内容:「ディエン氏の調査活動に日本政府は一切関与していない」
独自調査と検証可能性については
ウィキペディアは何でないか:「独自の調査結果の発表の場ではありません。」
Verifiability:「ある事柄が単に「検証可能」だからと言って、それをウィキペディアに書いてよいとは限りません。」
ウィキペディアはその場ではない、それだけの事。--Sequitur 2006年5月30日 (火) 03:06 (UTC)
はい。相反しません。「可能な限りの支援」とは具体的に何を指すのかが明らかにならない限りは。いったい日本政府(外務省でも法務省でも)は何を「支援」したんですか?
確かこの話題、johncapistranoさんが「報告書では日本の関係部局にも調査したことになっています」と、関与していないことを否定しようとなさいましたが、「問い合わせを受けて(断る理由がない限り)それに答えるのはお役所のお仕事。ましてや公的機関が公的機関の問い合わせに答えることに何の問題がある?」とお返事したところ、その後お返事はいただけませんでした。これを「支援」と称するならば、かえってIPユーザー氏の「国連大使の発言はあくまで儀礼上のもの」という主張を裏付けてしまいますまいか?(苦笑)
Sequiturさんが引用なされたのは、Wikipedia:検証可能性の「但し書き」の部分ですね。ここには『「独自の調査」は「信頼できる情報源」を持たないがゆえに、ウィキペディアでは受け入れられない』とも書いてあります。日本外務省は「信頼できる情報源」では無いと仰られるのでしょうか?
また「論点をずらして云々」と言われるのはイヤなので最後にまとめます。Sequiturさんは日本外務省がWebに掲載した情報は信じて、(上記の通り、現在はそれと相反しない)日本外務省が電話で答えた情報は信じないと仰られています。この違いは何なのでしょうか? と私は質問しているのです。 ただし一番最初に質問したとおり、「日本政府の支援」について具体的なソースをつけて提示していただければ、この質問は取り下げます。
--Stranger non general person 2006年5月30日 (火) 10:08 (UTC)
日本政府が具体的にどんな支援をしたのか個人的興味があるのなら電話して聞いたらどうですか?自分は「可能な限りの支援」をしたという事で十分なので。
外務省の一職員の電話における受け答えが「信頼できる情報源」とするのには賛成できないが、その事とウィキペディアが「独自の調査結果の発表の場ではない」という事は関係がない。Wikipedia:検証可能性にある例えにもある:
あなたは、ある著名な物理学者の「X理論」についてウィキペディアの記事を書いているとします。 X理論は査読審査を経て学術誌に掲載されており、したがってウィキペディアの記事として適しています。ところが、執筆中にあなたがその学者に連絡をとったところ「実を言うと、今ではX理論は完全に誤りだと考えています。」と言われてしまいます。あなたが原著者本人からこれを聴いたとしても、彼がそう言ったという事実をウィキペディアに書いてはいけません。
日本外務省がWebに掲載した情報は信じて」:信じたのは国連大使の演説(国連のページでも外務省のページでも内容を確認したので、この演説が実際の物である事を疑う理由はない)。
日本外務省が電話で答えた情報は信じない」:一職員は外務省を代表して発言する責任も権限もない。
「政府を代表した大使の発言」と「一職員の一個人との電話内容」の二つに違った反応をするのを疑問に思うという事の方が個人的には不思議だ。--Sequitur 2006年6月3日 (土) 03:49 (UTC)

お返事の前に、一つだけ訂正と確認を求めておきましょう。『(日本政府が)「可能な限りの支援」をした』は、事実とは確認されていません(Sequiturさんは、事実であるというソースを提示していません)。『国連大使が「ディエン氏を招待した」「可能な限りの支援をした」と発言した』というコトのみが、現在ソースによって裏付けられている「事実」です。その点はお認めになられますか? --Stranger non general person 2006年6月4日 (日) 08:26 (UTC)

ディエン氏の報告の政治的中立性についての疑問に関する記述の復活について2

[編集]

William Wetherallがディエン報告の客観性を疑問視する批判をしているようですので、この問題自体は言及するに値すると思われます(武者小路公秀がチュチェ思想国際研究所の理事云々についてはともかくも):

"The Diene Report on Discrimination and Racism in Japan": "Diene came to Japan, not to objectively study minority issues, but to follow the bidding of the activist organizations that have been lobbying the United Nations human rights committees for the past couple of decades -- mostly participants in the BLL/IMADR-led "minority solidarity" movement in Japan."
"UNCHR's misguided "Mission to Japan": The global politics of "racialization"": "While Diene was in Japan gathering data for his "Mission to Japan" report, IMADR organized a panel discussion between Serguei Lazarev, Doudou Diene, and Robert Husbands -- all UN human rights officials -- and members of select Japanese NGOs. The seminar was held in Matsumoto Jiichiro Memorial Hall, Minato-ku, Tokyo -- IMADR's (and BLL's) Tokyo headquarters. Its topic was "Renewing the Struggle Against Racism, Racial Discrimination, Xenophobia and Related Intolerance". Diene did not come to Japan to conduct objective research. He came as a result of years of lobbying by NGOs and other organizations with vested interests in the politics and business of human rights in Japan. And he came to do their bidding."

他に解同主導により行われた調査であるが為に全人連の主張が無視されているというような批判もあり、細かく吟味していくとなると国連人権委員会特別報告で独立した項目を設けた方がいいかもしれません。ただまぁ電凸みたいな独自調査は論外ですが。Hermeneus (user / talk) 2006年5月20日 (土) 11:04 (UTC)

そのWilliam Wetherall氏による批評文は既に採り上げたが(2006年5月15日 (月) 19:30 (UTC))、彼が批判をしたからといって客観性が疑問視されていると言及する必要は感じられない。William Wetherall氏について調べてみたが、その発言がそこまで重視される程の人物とは思えない。それに一つ目のリンクの記事では意見を述べている他の4名は報告書を高く評価している:
小田実「I believe the Diene Report accurately describes racial discrimination in Japan.」
朴慶南「I jumped for joy when I read this report’s conclusions about Japanese society and its recommendations about so-called zainichi Koreans —Korean-Japanese or Korean residents in Japan.」
田中浩「Finally, the report makes clear that Japan should formulate domestic legislation to ban racism and xenophobia. It remains to be seen whether the Japanese government will use the Diene’s report to start walking toward these goals in dialogue with NGOs, or whether it will be business as usual.」
本多勝一「As for the contents of Diene’s report, I think that nearly all is as he says. That the actual situation in Japan is introduced widely to the world through the United Nations can be considered a starting point for improving Japan’s situation, if only by a little. I would like to welcome this greatly.」
まぁ、それぞれがこれまた客観性に疑問をもたれて仕方が無い人物達なのだが、その記事は主に報告書に対しては好意的である。--Sequitur 2006年5月20日 (土) 15:44 (UTC)
批判の一つとして言及するだけのcredibilityはあると思われます。別にその4人の多数決で報告書の評価が決まるわけでもありませんし、意見の分かれる事柄に関しては両論併記が原則です。「妙 報告の陰に連携」(産経新聞朝刊文化面2005年11月13日):「近年、 日本に「悪意」をいだくグループが「人権」を武器に、国連を利用し日本に”言いがかり”をつけることがよくあるが、 今回もそうではなかったか。そもそもディエヌ氏とはどういった経歴の持ち主なのか。そして、日本のどこをどれほどの期間調査したのか。また、彼をアテンドしたのはどういった団体だったのか。疑問は次々とわいてきた。国連広報センターに問い合わせてみた。明らかになった事実を記す…ディエヌ氏の調査をアレンジしたのは、反差別国際運動というNGO。この団体の理事長は武者小路公秀氏。ピースおおさか(大阪市)の会長であり、金正日の思想を普及しようとするチュチェ思想国際研究所と関係の深い人物である。」保守系の言論では批判的に捉えられているようですし、探せば他にも出てくるでしょう。Hermeneus (user / talk) 2006年5月20日 (土) 16:21 (UTC)
単純に質問ですが、その欄は『産經新聞』中でどういう扱いですか? その投稿者は『正論』編集部の人ですよね? 産經新聞社の論説委員か記者か何なんですかね。だだ上のような「引用」だと引用の用件は満たさないと思いますが。も少し簡潔にしてリンク張る程度の方がいいでしょう。johncapistrano 2006年5月20日 (土) 17:01 (UTC)
「意見の分かれる事柄に関しては両論併記が原則です。」というのには同意するが、はたして意見は分かれているのか?William Wetherall氏以外に報告書の中身を批判している人が見あたらない。その産経新聞の記事も現在コメントアウトされているのと同じ論理を展開していて、Ad hominemであって報告書の評価ではない。
この報告書について調べている過程でCERDによる日本の人種問題に対する最終見解という物をみつけた。この2001年に発表された報告書(基になった日本政府による報告書議事概要-1443議事概要-1444)を読んでみると今回のディエン報告書と大きな違いは無い事に気付く。ディエン報告書の要旨は:
1. The recognition of the existence of racial discrimination in Japan, and the expression of the political will to combat it;
2. The adoption of a national law against discrimination;
3. The establishment of a national commission for equality and human rights, whose mandate should bring together the most important fields of contemporary discrimination: race, colour, gender, descent, nationality, ethnic origin, disability, age, religion and sexual orientation;
4. Focusing on the process of rewriting and teaching of history.
の4点だが、1)はCERD報告書のパラグラフ13と14と同じ物であり;2)はパラグラフ10と12;3)はパラグラフ7;4)はパラグラフ15だ。CERD報告書にディエン氏は関わっていないようなので、ディエン報告書が彼の政治的偏向の産物とするのは無理があると感じる。(蛇足だがCERD報告書に対して日本政府は反論したのに対しディエン報告書は素直に受け止めている事実は興味深い)。--Sequitur 2006年5月20日 (土) 23:08 (UTC)
別に「チュチェ思想国際研究所関係者が関与している、ゆえに報告書の内容は誤りである」と演繹しているわけではありませんので、Ad hominemには当たりません。また、ウィキペディアは社会的に定評のある学者や機関、メディアの発表している解釈や意見を引きつつ解説を書くのが基本であり、その評論自体をウィキペディア編集者自身が評論することは独自調査にあたります。Hermeneus (user / talk) 2006年5月20日 (土) 23:34 (UTC)
Ad hominem...an attempt to argue against an opponent's idea by discrediting the opponent himself.
報告書の中身でなくディエン氏やその背景を批判するのは明らかにAd hominemに当てはまる。また、ウィキペディア編集者は「社会的に定評のある学者や機関、メディアの発表している解釈や意見」が当記事に関係があるかを判断するのも役割の一つです。この記事で語られているのはディエン報告書であり、その人物への批判は無関係です。--Sequitur 2006年5月21日 (日) 11:37 (UTC)
Ad hominemで扱っているのはIf a=b & b=c, then a=cのような必然的・論理的な推論のことであって、上の産経の記事にはこれには相当しません。また、情報ソースの信頼度、偏向を問うのは正統な批評であり、Ad hominemはこれを否定するものでもありません。Ad hominem、形式論理学について少々誤解されているように思われます。Hermeneus (user / talk) 2006年5月21日 (日) 11:57 (UTC)
Ad hominemの定義を載せてもまだ解らないとは・・・。一応、最後にこれにリンクしておく。
「A Circumstantial ad Hominem is a fallacy because a person's interests and circumstances have no bearing on the truth or falsity of the claim being made. While a person's interests will provide them with motives to support certain claims, the claims stand or fall on their own. It is also the case that a person's circumstances (religion, political affiliation, etc.) do not affect the truth or falsity of the claim....There are times when it is prudent to suspicious of a person's claims, such as when it is evident that the claims are being biased by the person's interests. For example, if a tobacco company representative claims that tobacco does not cause cancer, it would be prudent to not simply accept the claim. This is because the person has a motivation to make the claim, whether it is true or not. However, the mere fact that the person has a motivation to make the claim does not make it false.」
これでも理解してもらえないのなら、違う辞書を持つ世界の人間という事で諦めよう。--Sequitur 2006年5月25日 (木) 15:08 (UTC)
国語辞書の短い定義を勝手に解釈してしたり顔で講釈されても困るんですが。Ad hominemというのは古典的形式論理学の用語です。形式論理学で妥当な推論というのは、例えば:
  • 前提1:すべての人間は死すべきものである。
  • 前提2:ソクラテスは人間である。
  • 結論:ゆえにソクラテスは死すべきものである。
のような、演繹により前提から結論が必然的に導き出されるもののことです。Ad hominemなどのlogical fallaciesは、見せかけ上は正しそうに見えても、実際にはこのような論理的推論の構造を持っていないがゆえにinvalidなもののことです。Ad hominemであれば、例えば:
  • 前提1:A氏はXという主張をしている。
  • 前提2:A氏は無教養なので言うことはあてにならない。
  • 結論:ゆえに主張Xは誤りである。
というような推論は、前提から必然的に結論を導き出さないが故にinvalidであるとされる。A氏の教養が如何様であれA氏が口にした主張自体の真偽には直接には関係ないからです。落第生が言おうと天才数学者が言おうと「1+1=2」が正しいことに変わりはないように。
逆に、この構造が厳密に当てはまらないものはAd hominemとは呼べません。古典的形式論理学で扱うのは100%真か偽の結論を導き出す論理的推論のみであるため、例えば「明日晴れる確率は80%である」というような蓋然的、確率的結論を出す推論は扱えず、そのような推論をAd hominem認定することもできません。上の無教養なX氏の例で言うなら、結論で「主張Xは高い確率でデタラメである」という言明を導き出していた場合には、古典的形式論理学においてはその推論の妥当性について如何なる判断も下しえません。
Ad hominemで問題としているのは、妥当な演繹論理的推論でないにもかかわらず妥当な演繹論理的推論であるかのように述べられている推論のことです。はなから演繹の体裁を偽っていない推論は対象外であり、また推論は演繹だけに限定されるわけではありません。例えば実験観察の結果から将来の現象を予測するような帰納的推論は妥当な推論ですが、古典的形式論理学で扱うことは出来ませんし、この種の推論がAd hominemであるかどうかを云々することもできません。
上述の産經新聞の記事の話に戻ると、この記事が「チュチェ思想国際研究所関係者が関与している。故に、ディエンの報告書に書いてあることは誤りである」というような乱暴な演繹による断定を行っていない限りは、Ad hominemに相当しません。Hermeneus (user / talk) 2006年5月25日 (木) 22:07 (UTC)
今更だが、もしかして英語は苦手?前述のリンクから:
Examples of Circumstantial Ad Hominem
"Bill claims that tax breaks for corporations increases development. Of course, Bill is the CEO of a corporation."
このAd Hominemの例えに「演繹による断定」が有るか?断定してなくともAd Hominemにはなるのだ。--Sequitur 2006年5月30日 (火) 03:17 (UTC)
インデント戻します。

Ad hominemは数学のように前提から結論を論理的に導き出す演繹という推論法が正しく行われているかを問うものであって、情報ソースの信憑性を問う行為を否定するような馬鹿げた代物ではありません。Ad hominemは、命題自体の真偽はその発話者の資質を問うような前提によっては演繹論理的にその真偽を決定できないということを言うものでしかありません。これは逆に言えば、演繹論理によって「必然的に誤りである」と明確に結論付けていない推論についてはAd hominemを云々することはできないということです。例えば、前提「落第生がAを主張した」と「これまで出会ってきた落第生の言うことはみんなあてにならなかった」という過去の統計データなり経験則から(「Aは偽である」の代わりに)「Aの真偽は疑わしい」という結論を導き出すような場合は、帰納による推論となり演繹的誤謬の一種であるAd hominem認定することはできません。

あなたがリンクしているサイトにもちゃんと「1. Person A makes claim X. 2. Person B asserts that A makes claim X because it is in A's interest to claim X. 3. Therefore claim X is false.」「a person's interests and circumstances have no bearing on the truth or falsity of the claim being made」と書いてあるでしょう。明示的にであれ、暗黙のうちにであれ、「Therefore claim X is false」の結論が導き出されていなければAd hominemは成立しないのです。「Bill claims that ...」の例についても、これを「Therefore, Bill's claim is false.」という結論を暗黙のうちに導き出しているものとして解釈するからこそAd hominemが相当するのです。斯様な結論を示唆しないものとして解釈するのであれば、つまり「1. Person A... 2. Person B... 3. Therefore...」という形式が当てはまらないのであれば、Ad hominemは相当しないのです。英語版ウィキペディアの記事(en:Ad hominem)にも「Ad hominem is fallacious when applied to deduction, and not the evidence (or premise) of an argument.」とちゃんと書いてあります。[4]にも「Ad Hominem - Circumstantial -- Classification: A Fallacy of Irrelevance (a deductive fallacy of soundness with a falsehood in the major premiss) in the Ad Hominem family.」とあります。

念仏のようにAd hominemだと唱え認定しさえすれば何でも気に喰わない主張を却下できるわけではありませんし、Ad hominemでないものをAd hominemだと強弁するようなのも詭弁の一種です。英語で書いてあるというだけで国語辞典に載ってる簡素な定義の類いが権威のある文献に変身するわけでもありません。Hermeneus (user / talk) 2006年5月30日 (火) 04:34 (UTC)

解り易いように簡潔に書いたにも拘らず質問に答えていないな。もう一度質問しよう:
"Bill claims that tax breaks for corporations increases development. Of course, Bill is the CEO of a corporation."
この例えに「演繹による断定」が有るか?
さらにAd Hominemの定義を云々する前に、元の文に戻って何故Ad Hominemなのかを説明をしないと解らない様なので:
1) Person A makes claim X.
「Doudou Diène charge there is racial discrimination and xenophobia in Japan」
2) Person B makes an attack on A's circumstances.
「Kinhide Mushanokouji, who has a close ties with 'International Institute of Juche Idea', is the president of NGO that arranged for Doudou Diène's visit.」
3) Therefore X is false.
「Doudou Diène's charge is false」
(英語でも問題なく理解できると思うが、もしもの為にいいがかり「a false charge」。)これがAd Hominemでないと?--Sequitur 2006年5月30日 (火) 08:33 (UTC)
[5]では、まず:
  • 前提1:Person A makes claim X.
  • 前提2:Person B asserts that A makes claim X because it is in A's interest to claim X.
  • 結論:Therefore claim X is false.
というad Hominemの論理構造を解説して、その例文として「Bill claims that tax breaks for corporations increases development. Of course, Bill is the CEO of a corporation.」を挙げているのです。
  • 前提1:Bill claims that tax breaks for corporations increases development.
  • 前提2:Bill is the CEO of a corporation.
  • 結論:(Therefore Bill's claim is false)
この例文では結論の「Therefore Bill's claim is false」は明記されていません。しかし、この例文において斯様な結論が暗黙のうちに示唆されていると解釈するのは当然のことです。なぜなら、そうしなければ上述のad Hominemの三段論法の構造がこの例文に当てはまらなくなり、Ad Hominemの例として用をなさなくなるからです。ad Hominemを「a fallacy because a person's interests and circumstances have no bearing on the truth or falsity of the claim being made」と定義しているのに、肝心の「the truth or falsity of the claim being made」を断言する箇所がなくては話になりません。
このページはad Hominemがいかなる構造を持つ誤謬であるかを解説するものであり、その解説を助ける為に例文が紹介されているのです。それを例文だけとりあげて「演繹による断定が有るか?」などとは下らない揚げ足取りでしかありません。メインは定義、論理構造の解説であって例文ではありません。日常言語の文章は必ずしも推論や結論を三段論法のように明確な形で書いたりしませんので、論理学のモデルが常にぴったり当てはまるとは限りません。[6]であげられている例文でも「Therefore claim X is false」を明言しているのは最初の"She asserts that..."のみです。しかし、明示的に書いてないからといって「the truth or falsity of the claim being made」を断言する箇所が無しでもいいというわけではないのです。
また、産經新聞の記事のどこにも「Doudou Diène's charge is false」などとは明記されていません。上のBillの例では「Therefore Bill's claim is false」と暗黙のうちに結論づけていると解釈しなければad Hominemの例として用をなさないからそう解釈しているだけのことであって、別にこの解釈がこの文章の唯一の解釈であるというわけではありません。産經新聞の記事の場合は、特にそのように解釈しなければならない必然性はまったくないのですから、ad Hominem認定して却下するのは無理があります。Hermeneus (user / talk) 2006年5月30日 (火) 11:24 (UTC)
「暗に匂わす表現」と「断言する」ことの違いが解っていないのか、解ろうとしないのか・・・。例文では「暗黙のうちに示唆されて」いて産經新聞の記事では示唆されていないとするのは無理があるはずなんだが。産經の記事にはこうある:
「近年、 日本に「悪意」をいだくグループが「人権」を武器に、国連を利用し日本に”言いがかり”をつけることがよくあるが、 今回もそうではなかったか。」
この後にディエヌ氏の「調査をアレンジ」したのは武者小路公秀氏という「金正日の思想を普及しようとするチュチェ思想国際研究所と関係の深い人物」が理事長を務める反差別国際運動というNGOだと記事は述べている。この記事における「暗黙のうちに示唆されていると解釈」されて当然の「斯様な結論」は何だ?「ディエヌ報告書は言いがかりである」だという事は明らかじゃないか?
言い掛かり」とは「false charge」の事。「charge」と「claim」はsynonymである。つまり結論は「Doudou Diène's claim is false」という事だ、これでもAd Hominemでないと?--Sequitur 2006年6月3日 (土) 03:09 (UTC)
あなたはそのページを読んでちゃんとad Hominemを理解しているんですか? そのページでもad Hominemがいかなる誤謬であるかを論理構造を示しつつ分かりやすく解説しているでしょう?「前提1:Person A makes claim X. 前提2:Person B asserts that A makes claim X because it is in A's interest to claim X. 結論:Therefore claim X is false.」であると。Person Aの「interests and circumstances」を理由にPerson Aの主張Xをfalseだとする結論を導き出す推論は誤りであると。この3段論法の構造が厳密に当てはまるものをad Hominemと言うのです。当てはまらないものはad Hominemとは言わないです。
この論理的誤謬は形式論理学の素養が無い人でも容易に理解できるシンプルなものであり、「ad Hominem」という横文字のこじゃれた専門用語を使うだけで何か大層な概念に変身するわけではありません。分かりやすく説明すれば小学生でも理解できます。それを、どこぞの英語ウェブサイトに書いてある単なる一例文をまるでキリスト教教条主義者が聖書を読むがごとく字面のまま解釈して屁理屈こねたところで、どうにもなりはしません。
ad Hominemで扱うtrue/falseは、演繹論理によって導き出される二値論的な真偽のことであって、確率・蓋然性を言う命題や帰納論理は対象ではありません。産經新聞の記事の場合、「ディエン報告の作成者に主体思想研究所の関係者がいる」という前提から、「ディエン報告は誤りである」と断言する結論を導きだしていない限りは、ad Hominemは成立しません。しかし、この記事は演繹により導き出した結論の類いは何も明示的に記していないし、「明言していなくともディエン報告は誤りであると間接的に断言している」と推察できるだけの根拠もありません。普通に読めば、よくて「ディエン報告は主体思想研究所の見解寄りに偏向している可能性が高い(ゆえに信憑性は疑わしい)」程度のことを言ってると解釈するのが妥当でしょう。いずれにしろ、「ディエン報告は誤りである」と明言しているか、あるいは他にそう間接的に主張していると必然的に解釈できる根拠でも無い以上は、ad Hominem認定することはできません。Hermeneus (user / talk) 2006年6月3日 (土) 04:46 (UTC)
産經新聞の記事
 国連人権委員会のディエヌ特別報告者(セネガル)が七日、国連総会第三委員会(人権)で、日本に存在する差別を指摘、それを受けて中国、韓国、北朝鮮の代表が日本を批判したという記事が目に留まった。「差別」の存在は厳粛に受け止め、解消に向けて努力するべきだが、あまりに見事な連携ではないか。「仕組まれた」という思いが拭いきれない。近年、 日本に「悪意」をいだくグループが「人権」を武器に、国連を利用し日本に”言いがかり”をつけることがよくあるが、今回もそうではなかったか
 そもそもディエヌ氏とはどういった経歴の持ち主なのか。そして、日本のどこをどれほどの期間調査したのか。また、彼をアテンドしたのはどういった団体だったのか。疑問は次々とわいてきた。
 国連広報センターに問い合わせてみた。明らかになった事実を記す。ディエヌ氏は1993年から2002年にかけて国連科学文化機関(ユネスコ)の文化間・宗教間対話部長を務め、02年に国連人権委員会により現代的形態の人種主義、人種差別、排外主義および関連する不寛容に関する特別報告者に任命された。今年の七月三日から十二日まで日本を訪れ、大阪、京都、北海道で被差別部落、在日韓国人・朝鮮人、アイヌ民族などのグループと面接調査した。訪問は初めてだった。
 ディエヌ氏の調査をアレンジしたのは、反差別国際運動というNGO。この団体の理事長は武者小路公秀氏。ピースおおさか(大阪市)の会長であり、金正日の思想を普及しようとするチュチェ思想国際研究所と関係の深い人物である。
この記事の論点が「ディエヌ報告書は言い掛かりだ」との事を読み取ることもできないのなら、議論にすらならない。それ程に読解力に欠けているのならAd Hominemの概念を理解できないのも仕方がない。懇切丁寧に説明を試みたがこれ以上は不毛なので終わる事にする。--Sequitur 2006年6月3日 (土) 11:47 (UTC)
この記事は「(言いがかり)ではなかったか」と報告の信憑性あるいは客観性に疑義を投げかけているだけであって、「ディエヌ報告は偽である」などと断言はしていません。何らかの命題が偽(false、論理的偽)であると演繹・断言していなければad Hominemは成立しませんし、他にこの記事が斯様な断言を間接的にしてると必然的に解釈できる根拠が無いのであれば、それこそあなたの恣意的解釈に基づく「言いがかり」でしかありません。[7]でもちゃんと注記しているように、主張の信憑性を疑うこと自体は正当な批判であり何の問題もありません:「There are times when it is prudent to (be) suspicious of a person's claims, such as when it is evident that the claims are being biased by the person's interests.... However, the mere fact that the person has a motivation to make the claim does not make it false.」疑うことと、偽である断定することは、まったく違います。
Ad Hominemは、唱えればどんな批判も退けられる魔法の呪文ではありません。論理的におかしい点があると批判したいのなら、ad Hominemなどという用語を使わずとも、具体的にその点を示せば済むことです。それも出来ずに「ad Hominemだから駄目だ」と強弁するだけなら、それこそが酷い詭弁と言うものです。何処ぞで聞きかじっただけでロクに知りもしない概念を調子に乗って濫用するからこういうことになる。Hermeneus (user / talk) 2006年6月3日 (土) 12:21 (UTC)

逆差別問題

[編集]

在日コリアンに対し、特権とも言えるような優遇を与える事は、「逆差別」になっていると思うので、逆差別に関する情報も掲載すべきと思います。編集保護解除を望みます。--Melrose 2006年5月9日 (火) 11:56 (UTC)

ノート:在日コリアン#在日朝鮮人の特権が掲載されていない事についてにも同じ書込みがありますが、ソースがなければ話にならないでしょう。johncapistrano 2006年5月10日 (水) 09:23 (UTC)
在日特権に関しては課税に関する特例などソースがあるものがかなりありますよ。さらに、特別永住資格なども、それが事実上特例じゃなく、日韓基本条約の内容をこえて持続していることから、他の外国人と比べて特権といえます。Horiuchi36 2006年5月10日 (水) 21:32 (UTC)
在日特権は挙げたら限がありません・・・。 朝鮮総連関連の施設(施設の認定基準が無いので、あらゆる物(例えば民家)が総連施設として登録されるなどしていた)などに関して課税してこなかった問題などに付いては、各種メディアで報じられたのでソースなど無くてもご存知でしょう。
その他の特権問題もソースというより、証拠を提示できると思いますが、編集保護状態では何も書きもめませんね・・・ですから、早急な編集保護解除を望みます。Melrose 2006年5月11日 (木) 07:34 (UTC)

どうも反日サヨと在日は都合の悪い事実を隠蔽する性根が治らないねえ。困ったもんです。深夜の記事立ち上げ二分でJohncapistranoが「即時削除」貼り付けでご覧のありさまだよ。

  • 2006年5月11日 (木) 21:19 竹麦魚 "在日特権" を削除しました。 (SD定義未満(有為な場合は履歴統合をするというだけですから)2006年5月11日 (木) 18:33 ホイホイ)
  • 2006年5月11日 (木) 18:17 NiKe "在日特権" を削除しました。 (SD:履歴継承なきコピペ、かつ定義未満 2006年5月11日 (木) 18:03 by ホイホイ)

ホイホイ 2006年5月12日 (金) 06:27 (UTC) 

その「事実」とやらが、悪意ある捏造だったらいかがです?どれも日本に住む人であれば申請によって受けられるものだそうですよ。--220.157.194.163 2006年6月8日 (木) 11:43 (UTC)

特別永住者 の記事が出来てます。協力してやってください。--219.114.84.10 2006年9月9日 (土) 08:07 (UTC)

中立的な記述を行う為に提案

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 これらの記事の中には確かに事実もありますが、一方で行われている反論があまり掲載されていないか、或いは否定的な反論の掲載がなされていませんか?

 こういったデリケートな記事は、基本的に両論併記が望ましいのではないかと思います。そもそも思想的に正しいか否かを述べる場所ではありませんから、議論をする際には人権を護ることが正しいか否かすら、不要な訳です。念のために宣言しておきますが、私自身は人権を護る事を否定する意図を持っていません。あくまで中立的思考を心がけようと考えた上での結論として、何れに正義が所在するかを述べないだけです。

 「事実」を中心として記事を書き、一方の主張のみで確かたる証拠が無い場合は事実として書かずに「~と主張している。」と書く。反論は反論としてこちらも「事実」である限りは記載する。同様に証拠が無い場合は「主張」と書き、明らかに事実に反する場合は記載しない。そういったスタンスで行けば、中立性が維持できるのでは。

 また、今まで散々議論になっているディエン氏の報告については、招待したNGOがチェチェ思想で~とかは揉めるだけですし、それよりもむしろ、国連人権委員会が「強制力を持たないから、中立的立場を保つ必要がない」というスタンスでいる事が最大の問題ではないかと思います。

 中立性を半ば放棄する事を問題としていない組織が出した報告書に、一体どれくらいの中立性、正当性があるのですか?

 少なくとも、報告内容が事実か否かの確認ぐらいはとるべきでしょうし、取れないなら記載する必要が無いでしょう。もし仮に記載するのでしたら、両論併記が最良では?

 少なくとも事実を記しておけば、後は閲覧者が各自で判断する問題でしょうから。--Re-れな 2006年10月28日 (土) 00:24 (UTC)


病気でしばらくアクセスできなかったのを機会にしばらく様子を見ていましたが、結局お返事は頂けなかったようですね。彼らにとっては、同意を形成するより彼らの気に入らない記述を排除することの方が重要なのでしょう。 ということで、「疑念の『存在』だけは記述に含める」という条件で、Re:RENAさんの提案に同意します。こんなトコロではどうでしょうか?

ただしこの報告書に関しては、その中立性に対して産経新聞などの一部マスコミや保守層から疑いの声が上げられている。具体的に中立性が損なわれていると確認された事は無いが、そもそも(この報告書を含めて)国連人権委員会は「この委員会は強制力を持たないので中立的立場を保つ義務も無い」というスタンスであることには留意する必要がある。
ただし「疑念」の内容については記述しない事も合意事項とする。

以上、ご検討ください>各位

--Stranger non general person 2006年10月28日 (土) 01:54 (UTC)


私としては上記の改変案に賛成します。文章としても堅実に纏められてますし、詳しい記述を記したい場合は別記するか、国連人権委員会の項目に纏める方が良いかと思います。--Re-れな 2006年10月28日 (土) 11:45 (UTC)
同意ありがとうございます。では上記の文と共に
  1. これ以外の「疑念」の内容については、この記事では記述しない。
  2. ただし、関連記事へのwikipedia内部へのリンクおよび外部リンクの設置についてはこれを妨げない
の二つを合意事項として、各位の検討をお願いします。……週末も挟みましたし、72時間も待てばOKでしょうかね?--Stranger non general person 2006年10月29日 (日) 04:21 (UTC)
72時間が経ちました。この節が作られてから(週末を挟んで)一週間近く経っていますから、もう意見は出ないと見なしてもいいでしょう。保護解除を申請します。--Stranger non general person 2006年11月1日 (水) 10:16 (UTC)
ご苦労様です。一週間も待てば十分かと思います。何かあればまたノートで議論になるでしょうから。--Re-れな 2006年11月2日 (木) 02:15 (UTC)

すこし早い気もしますが、様子見をかねて解除しました。編集合戦や、peace系荒らしが再発した場合には対応をとります。KMT 2006年11月3日 (金) 02:59 (UTC)

保護解除、ありがとうございました。早速編集しておきました。--Stranger non general person 2006年11月3日 (金) 13:32 (UTC)

反対です。少なくともご提案の文章では。「批判」として出たと確認し得るのは産経新聞のみだという点で提案文はおかしいと思います。また、当事者からあまりに遠い人間の背景にあるものを指摘することが「批判」と呼び得ると考えるのはおかしいとも思い続けています。武者小路なんとかの項目に書くならまだしも「民族問題」として取り扱われる事柄ではないと思います。ネガティブキャンペーンのやり口である、単なる悪口であるという認識は変わっていませんし、その認識に改変を迫る議論になったとは思いません(しかし、1週間と書いてあったとも思うのですが……)。--Iosif 2006年11月3日 (金) 20:27 (UTC)
ならばまず、ノートで議論をすべきでしょう。一応はノートで合意された結果の編集です。いきなりRevertするのは荒らしと取られかねない行為だとご忠告させていただきます。
  • (マスコミでは)『「批判」として出たと確認し得るのは産経新聞のみ』というのは、上記の通り文章にちゃんと盛り込まれています。
  • 『当事者からあまりに遠い人間の背景にあるものを指摘することが「批判」と呼び得る』か否か、については論評するまでもありません。事実(と、それに基づく論理的な推測)に基づいた批判ならYesですし、そうでないのなら、それを否定する事実(およびそれに基づく論理的な推測)を提示すればいいのです。この考え方が成り立たなければ、そもそもWikipediaが存在し得ないでしょう。少なくとも、今回の修正で付け加えられた文章は事実に基づいています。
  • 『「民族問題」として取り扱われる事柄ではない』か否かについては、ならばディエン氏の報告書に関する記述そのものを全て削除すべきでしょう。氏の報告書について触れるなら、当然彼の政治的中立性が疑われている点にも触れるべきです。その意味では今回の編集には正直不満ですが、「事実に関する記述に絞る」という観点で同意しました。
  • 『1週間と書いてあったとも思うのですが……』 どこにですか? 私は「72時間も待てばOKでしょうかね?」「この節が作られてから(週末を挟んで)一週間近く経っています」と書いただけです。その下でRe:RENAさんが「一週間も待てば十分」と書いていますが、これは当然私の「(週末を挟んで)一週間近く」という言葉を受けてのものでしょう。それに(編集するまでの時間まで入れれば)一週間には12時間弱足りないだけです。これは揚げ足取りレベルの疑問では?
  • そもそも貴方は、(この記事を『保護』にしたまま)四ヶ月の間なにをしていたのですか? 病気で一時アクセスできなかった私も、あまり人のことは言えませんが……。
--Stranger non general person 2006年11月4日 (土) 00:33 (UTC)
 今回の提案者としては、議論する事自体は反対致しませんが、今回の件に関して言えば事実の記述に留められています。また、姉小路氏に関する事は一言も触れていません。あくまで、一部マスコミ・保守系論壇で取り上げられているといった点だけですし、具体的に中立性が損なわれたと確認されていない、とも書いています。その上で、人権調査委員会が中立性を主張していない点が記述されています。人権委員会が自ら中立性を主張していないので、留意点として記述するのは必要なのではないでしょうか?
 Iosifさんの熱意はよく解りますが、私は始めてこのページを確認した際に四ヶ月間も放置されていることを見て、今回の提案をさせて頂きました。StrangerNonGeneralPersonさんの作成した記述は具体的擁護も非難も記されていないですし、かなり中立性が高い記述だと考えます。
 もし、Iosifさんにご不満点があるのでしたら、ノートで具体的文章を提案してみて下さいませんか? 良くない、反対、と言うだけでは平行線を辿ってしまいますので、可能な限り中立性の高い文章を提案してみて戴ければと思います。
--Re-れな 2006年11月17日 (金) 09:37 (UTC)
最近に出来た節が一番上にあるのがわかりにくいので(それもあって私は提起に気づきませんでした)勝手ながら位置を変えさせていただきました。どうぞ、ご了承ください。
まずは、StrangerNonGeneralPersonさんが体調を崩されていたとのこと。お見舞い申し上げます。▼もう4ヶ月になるとは思いませんでしたが、そのころこのノートで多くの人と対論していたStrangerNonGeneralPersonさんの物腰が、以前(保護されて以降)とはかなり違って感じるため、これはとても戸惑っています。
▼私はずっと、人権委報告への批判たり得ていないものはとりあげるべきではなかろう(武者小路氏について/私がイトコのハトコはアカだ論と呼んだもの)と主張しています。▼で、事実のみを述べたとのことなのですが、事実として確認できたのは産経新聞がコラムで言及したものでした(他にあるなら教わりたいのですがネット上でしか見ません)。しかもそのコラムでの言及がココでしばしば取り上げられている「イトコのハトコはアカだ」論でした。しかし、これ自体は事実なので、この事実をこれをどのように紹介し得るのかという議論はあり得るかもしれません。私は、内容が「中傷・悪口」の域であれば、武者小路氏や人権委の項目で取り上げるならまだしも「民族問題」で取り上げることとは思いませんが。▼で、事実だけを記述するとおっしゃっている点にも疑問というか、事実だけとおっしゃっていながら文案には(いま実際に保護中記事に入っている文)には大いに瑕疵があると思います。「中立性に対して産経新聞などの一部マスコミや保守層から疑いの声が上げられている」と書かれていますが、ここでは、いまだ産経新聞しか紹介されていませんでした。「探せばもっとあるでしょう」と言われたきりでした。もちろん、ネットのブログ・掲示板は無視ですよ。うっかり書いたとしか思えないこの種の「悪口」と同内容のことを追って書いた媒体があるのでしょうか?。ちょっと調べてみただけですが、たとえば新聞記事には、私は見つけられませんでした。だから、「~などの一部マスコミや保守層から疑いの声が上げられている」という点がおかしいと思っています(そんな小さいところかと驚かれるかもしれませんが、これを「保守層」という語一般に広げてはいけないと思っています/「左翼」でも同じ)。
▼「中立性」について。2ポイントあります。
▼第1に、ここまでの議論で「『電凸』は根拠として採用しない」ということでほぼ合意に至っていたと私は受け取っていました(例:記述復活を支持しつつも「電凸みたいな独自調査は論外ですが」とする発言があるなど[8])。「誰が中立性を疑っているのか」「その場合の中立性とは何か」を明らかにする必要があると思います。
▼第2は、以前の議論で言おう言おうとして、新議題として提出できないままだった事柄です。この項目で、人権委をめぐって言われている「政治的中立性」というのは何なのか?という疑問です。少なくともWikipediaで言われている「中立」とは違っていますし、違っていて当然です(まず、百科事典記述と実践における「中立」も、言葉がたまたま一緒なだけで、意味が違いますよね)。ここで「政治的中立」を要求するというのは、これは政府の言い分をきっちり聞けという意味なんでしょうか? どうも、どういう意味で「中立性」という言葉を使っているのかいろんなスタンダードが混在していてよくわからないのです。▼ここから先は想像ですが、デクラーク以前の南アや、現在の北朝鮮に対して人権委が「政治的に中立」であれば、その機能を果たさないように思います。「われわれは裁判所ではありませんから」というのは、特筆すべきでもない回答である可能性もあります。しかし、これについて、敢えていったん私の理解が間違っているとしてみます。→▼にもかかわらず、根拠が電凸であるかぎり、記述への反映に反対するのには変わりはありません。
そのようなわけで、私が首肯し得る記述は……
この報告書に関して産経新聞は2005年11月13日に、調査がどのようにして行われたかについて疑問を述べたコラムを掲載した。
ぐらいに限定されます。挙げられるのは産経新聞の5cm×15cmていどの記事ですから脚注として本文外に設けるのが適当だと思います。すべて「匂わせる」だけの悪口記事なので記述の価値がないと思っておりますが、それでも「事実のみ挙げる」ということであれば、これくらいしかないのではないでしょうか。そして、ここまで来ると国連人権委員会に書くか、ドゥドゥ・ディエン個人の項目を立てて書くかすべきことだろう、と思っています。--Iosif 2006年11月17日 (金) 23:40 (UTC)--Iosif 2006年11月18日 (土) 06:29 (UTC)
 1.まずひとつひとつ問題点を解決したいのですが、前提として、この報告書に関する以前に、国連人権委員会そのものが元から中立性を放棄しています。少なくとも、国連人権委員会の中立性は保障されたものではありません。電凸を抜きにしても、疑われる点こそあれ、正統性・中立性を保障する点が確認できません。もしIosifさんが、国連人権委員会が中立であると主張なされる以上は、中立を保障する証拠を提示すべきではないでしょうか。
 2.続いて「批判たり得るか否か」ですが、批判に対して内容の正当性を問う以上は、平等に、エディン氏の報告書への正当性も問うべきです。片方の正当性を疑い、もう片方の正当性を疑わないのでは、フェアーではありません。先程の主張を重ねますが、批判が正統であるか否かを疑うならば、同時にエディン氏の報告書が持つ正当性を確かに明示されるべきです。
 3.私の言う「政治的中立」とは、政府の公式見解ではありません。思想・心情を可能な限り排除し、理論的であるか否かです。従って、可能な限りWikiが提示する中立的な観点に沿って思考しています。その観点から言えば、私自身は今回のエディン氏の報告に関しては事実とは異なる点や法学的視点の欠如が見受けられますし、中立な視点・資料を欠いている可能性を考えます。しかしながらWikiは意見主張の場ではなく、ひとつの意見はひとつの意見として尊重すべきですから、「日本の民族問題」からのエディン氏の報告書を削除する事は主張していません。
 4.次にネット上での意見の正当性ですが、これを排除しなければならないとする理論的根拠がありません。Wikiの中立的観点のルールでも「立場Aからは意見Aが出ており、立場Bからは意見Bが提示されている」と記し、その上で「どちらがより広範な支持を得ているか(但し正しいか否かではなく)」という記述をするよう求められています。このルールに則る限りは、ネット上の主張であろうと問題は存在しません。また、ネットとは「発信手段」であり、今回の件でいえば「保守的意見を持つ人の一部が、ネットという発信手段を利用して意見を出した」という事になります。Wikiのルールで定められていない点をあえて明言なされる以上は、「ネットという通信手段を利用して発信された意見には問題がある」という理論的な理由を提示して下さい。まさかマイノリティ問題に関するこの議論で、少数の意見ならば無視して良いとか、ネットサーファーやブロガーは無責任な立場にあるから、とは言いませんよね…?
 5.更に彼方の言葉を借りて言うならば、エディン氏の報告書に関しては「特筆すべきでもない報告書である可能性もあります」。私から見て、あなたの主張の最大の問題点は、繰り返しになりますがダブルスタンダードであるという事です。反論には厳しい視点を要求する反面、エディン氏の意見に対する厳しい視点が欠けています。反論に対して「特筆すべきでない可能性」を疑うならばエディン氏の報告書に大しても「特筆すべきでない可能性」を疑うべきでしょう。私はその点に関しては、エディン氏の報告書に対する疑いを一切記述しないという点で譲歩していると考えます。あくまで、反論意見があると記しておき、中立性が保障されていない事実を述べる点に同意しているに留まっています。
 6.最後に「この報告書に関して産経新聞は2005年11月13日に、調査がどのようにして行われたかについて疑問を述べたコラムを掲載した。」についてです。反論意見の簡素化を望むのであれば、同様にエディン氏に関する記述も簡素化すべきではないでしょうか。疑問を述べた理由を詳しく記述しない以上は、エディン氏の報告に関しても、「2005年7月国連人権委員会特別報告者のドゥドゥ・ディエン及び国連人権高等弁務官事務所人権担当官が訪日し、各種勧告を発し、同年11月には、同ドゥドゥ・ディエン特別報告者が国連総会第3委員会(人権委員会)で日本における人種差別を問題にし、包括的な人種差別禁止法の制定を訴えた。」と、いう記述に抑えるべきです。両意見に関する優劣の理論的根拠が存在しない以上は、Wikiのルールに則り、両意見に対してフェアーでなくてはならないと考えます。
 以上6点、ご意見を頂ければ幸いです。
 また、記述内容の確認に移る前に、必ず「YES/NO」というハッキリとしたお返事を戴きたいのは、まず第一に「Wikipediaのルールである中立的な観点に則って同意を作る」事。第二に「如何なる意見であろうと常に平等(両者に対して同じ基準を要求する)である」(つまりダブルスタンダードを用いない)事の二点です。私の意見が以上2点にそっているかは別として、以上二点に御賛同戴けるかどうかは、ハッキリとお答え下さい。また、私は上記2点に賛成致します。
--Re-れな 2006年11月18日 (土) 16:34 (UTC)

Re-れなさん、はじめまして。最後段で他の事柄よりも優先してお尋ねですので(と理解しましたので)、取り急ぎで恐縮ですが、これについてのみしたためます。▼基本的な方針に賛同し従うというのはWikipdediaに「参加(=この場合は「編集する」ことに限定するとして)」するうえで当たり前の条件です。もちろん、Re-れなさんが言うようにそれが実現できているかどうかは別として…という留保が誰にでもつくはずですが、あくまで参加以前の前提条件です。そのような事柄について「必ず「YES/NO」というハッキリとしたお返事を戴きたい(Re-れな)」などと詰問されたり返答を強いられるのはたいへん屈辱的です。あなたが話しかけているのは、それなりの自尊心をもち、人並みに自分への不安をもつ、ごく当たり前の人間です。是非ご配慮ください。--Iosif 2006年11月18日 (土) 18:53 (UTC)

お名前が赤リンクになってしまったので、修正を加えるついでに。ほぼ同じことに関して確認投票までやっているところを見たことがあるのを思い出しましたが、何を望んでこのようなことを問うたり答えたりしているのか、まったく理解できません。--Iosif 2006年11月18日 (土) 18:55 (UTC)
私は別に侮辱はしていません。ハッキリとしたお返事を戴きたい、という文体には何ら礼儀的失点があるとは考えません。優しい言葉を使っては居ませんが、あくまで私情を廃し、徹底的に問題を解決するスタンスを取っています。私がこの質問を行ったのは、他の質問で指摘したように、Iosifさんの意見があまりにダブルスタンダードであり、Wikipediaで定められた以外のルールを持ち出して反論する為です(ネット上での意見は無視等)。従って、こうした議論を根底から崩すスタンスを用いる事に対する確認です。この前提を再確認する事で自分の意見を完全に排除し、この議論をルールに沿って機械的に解決する事を考えています。尚、私はチマチョゴリの件は存じません。 それでは、引き続きその他の質問への返答を待ちます。--Re-れな 2006年11月19日 (日) 07:29 (UTC)

どうやらiosifさんには返答する意思が無いようですね[9]。議論は収束したとして、保護解除を申請してもいいのでしょうか? ……ここでまた四ヶ月間放置しておくのも面白いかもしれませんが(苦笑) --Stranger non general person 2006年11月25日 (土) 01:26 (UTC)

そうですね……私としては、ちゃんとお返事を戴きたかったので、残念です。ただ、今まで色々投稿しているにも関わらずここだけ放置となると、止むを得ないですしね。このまままた四ヶ月放置しても困りますし、保護解除を申請しましょうか。 一応保護解除後の話しですが、ここでの議論内容を統合して読み易くしませんか? あまりに膨大なログを読むにはよほどの気力が要ります。合意点を無視・或いは気付かずに足す方が居ても困りますし、既出の議題に関する大まかな合意内容を記しておくというような感じで。--Re-れな 2006年11月27日 (月) 11:45 (UTC)

▼急かし方にもいろいろありますが、こういう脅迫的なやりかたはおやめください。▼ちゃんとしたお返事も何も、1~6まで、読み返してみたらいずれに答えようにもすべて既述、またすでに複数の方が反論済みです。どうして何も読まないで(または聞いていないふりをして)同じことを繰り返すのでしょうか。
返事しようにも同じ内容だから書く意義を感じない、しかも相手が最初から敵意剥き出しである(保護解除のために合意にもっていこうという気があるんでしょうか?ノートは論争掲示板ではないことにご留意を)となると、少々後回しにして当然、非難されるいわれがないと感じています(のでお好きに言ってくださってかまいません)。……が、しかしまあ、1週間と2日しか経っていませんよ。1週間に少し足りないだけだと言った人は見逃すのに。急かすにもほどがある。実生活に支障をきたす。ブツブツブツ……。▼思いついたところからいきましょうか。繰り返しになるので4ヶ月前に保護されて以降のやりとりをご覧ください。絶対に、必ず、ご覧ください。参照ナシに言いたいほうだいするのは、もうこれきりにしてください。
>1.(略)この報告書に関する以前に、国連人権委員会そのものが元から中立性を放棄しています。(Re-れな
そう断言できる根拠があるなら私はそれを記述することに反対しません(過去ログ化されたはずですが私はそう述べたと思うんですよね。当初からそう思ってるし)。▼しかし、その根拠が電凸では問題があるでしょう。他に確認できるなら反対する余地はないですよ。なので、何かあるのか教えてくださいと申し上げております。▼さて今回は、一つ付け加えました。ここで言う「中立」とはどういう意味か?と、それを記述する必要を感じるという点です。たしかに国連人権委員会が裁判所がとるような意味での中立であっては機能しないと思いはじめたがゆえです(裁判所のような立場をとっていてはアパルトヘイトのような事例に対してモノを言えるのか疑問ですから/実例ではどうだったのか知りませんが)。で、裁判所的な中立的立場はとり得ないという意味で「われわれは中立ではない」と宣しているなら、そのこと自体は問題視するにあたらないと考えていますが、これは私の考えでしかありません。きちんとそのへんが記述されたうえで、読者に判断があずけられている形であれば良いと思います。なお、このノートでこれまで聞かされた話が本当ならば人権委が公式に「我々は政治的に中立であり得ない」と宣言していてもおかしくないくらいの話なので、それを引いてくれば文句の言いようなどありません。▼しかし、どうもココでは「政治的中立」という言葉がかなり便利に用いられている感じがします。どういう意味で使っているんですかと質問したわけですが、この点はRe-れなさんに無視され、個人的姿勢の問題に摩り替えられています。
>2.続いて「批判たり得るか否か」ですが、批判に対して内容の正当性を問う以上は、平等に、エディン氏の報告書への正当性も問うべきです。(Re-れなさん )
そのとおりです。これも何度も書いたことですが、ディエン報告への批判は記述されるべきで、内容の問題点(や調査の精度)は問題にされるべきです(ほんと、何度書いたことやら)。しかし、ここで挙げられているディエン報告への「批判」と、ディエン報告の諸問題点とはまったく次元が違います。だって「ガイドのイトコのハトコがアカだからディエンの言うことは全部疑わしい」という類の話ですから。こういうネガティブキャンペーン以下の「悪口」を除いて正面から批判したものを取り上げるべきです。「それには触れていません」とおっしゃるなら件の「悪口」を根拠にした批判を(根拠部分だけ隠して)引用・紹介するという方法ではなく、ちゃんとディエン報告そのものを批判したものを引用・紹介してください。例えば、ここで紹介されたWilliam Wetherallによる批判のようなものならば何ら疑問に思いません(それを直接引くのは内容からしてこの項目の役割ではないと思いますが)。
>3.私の言う「政治的中立」とは、政府の公式見解ではありません。思想・心情を可能な限り排除し、理論的であるか否かです。(Re-れな さん)
政府の見解? これはまったく意味がわかりません。私がお尋ねしたのは、国連人権委が放棄しているとして問題にされている「政治的中立」とはどういうものなのか?それは放棄してはいけない質のものなのか?一体どういう意味で使っておいでか?です。Re-れなさんの話は尋ねていません。なお、記述において価値判断を避けるのは当たり前です。
>4.次にネット上での意見の正当性ですが(Re-れな さん)
これはもう、さんざん話題に出たんですが、その諸「意見」の根拠が電凸でしょう? どうにもならないでしょう。受け売りで大変お恥ずかしいですが、この件にからんでこの議論が紹介されたことがあります。参照したのでしょうか?。Wikipediaで定められた以外のルールをもちだすと言われるのは心外で、むしろRe-れなさんの理解が私には疑わしく思えます。
>5.(略)あなたの主張の最大の問題点は、繰り返しになりますがダブルスタンダードであるという事です(Re-れな さん)
思い当たりません。
>6.最後に「この報告書に関して産経新聞は2005年11月13日に、調査がどのようにして行われたかについて疑問を述べたコラムを掲載した。」についてです。反論意見の簡素化を望むのであれば(Re-れな さん)
まったく違います。簡素化を望んでのものではなく「イトコのハトコはアカだ」論を除去しながら記述を残そうとした苦肉の策です。そうした結果、スカスカになっただけの話です。しかし、これはRe:RENAさんがやった「武者小路には触れていません」という方向にも沿っています。▼武者小路に触れても意味がないという点では合意されているということですよね?▼では、これ以外に「一部マスコミや保守層から疑いの声」ってなんですか? 電凸根拠のものを避けると「保守層からの疑いの声」って現時点では何にも紹介されていません。ほかにきちんとした批判が紹介されれば異論を述べる余地はありませんが、4ヶ月以上、それが出てこないでしょう。かつて「探せば他にも出てくるでしょう」と楽観論がありましたが、誰も探していないか実際には見当たらないかどちらかなのではありませんか?--Iosif 2006年11月28日 (火) 03:01 (UTC)