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ノート:日本の獣肉食の歴史

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地域差の取り扱い

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琉球地域の食肉文化はおそらく除外して書いておられるのではないかと思いますが、本土側でもばらつきがあることと思います。たとえば、個人サイトですが、薩摩の豚肉食について出典付きの詳しい情報があります。山川港滞在のジョルジュ・アルヴァレスは、ヤジロウをマラッカでフランシスコ・ザビエルに引き合わせ、ザビエルの求めで日本事情を書いた人物のようです。原文がどこで読めるかわかりません。--58.3.101.19 2009年5月2日 (土) 08:43 (UTC)[返信]

日文研のデータベースによると英訳がColeridge, Henry James (1822-1893) The life and letters of St. Francis Xavier.1872. 2 vols. の2巻pp216-221にあるようです。なお、上記サイト、次ページでは島津家の肉食献立等の情報あり。ただし、ゴンザの辞書については、ウシノミ、ウシヤ、フツジノミ、フツジヤ(羊小屋)といった訳語も見られますので根拠としては弱いです。むしろ「ニク」という語が出ないことが興味深い。ミクモン(身食うもの)で食肉獣です。--58.3.101.19 2009年5月2日 (土) 14:23 (UTC)追記--58.3.101.19 2009年5月2日 (土) 14:30 (UTC)[返信]
初版を書いた者です。情報、ありがとうございます。琉球とアイヌは意図的に省いたのですが(入れてもいいと思いますが、私には手に余ったので)、九州は見落としていました。時間があったら調べてみます。薩摩は別格としても、このブログが根拠に挙げている倭寇の話からすると、九州各地でまだまだ豚飼育の例はありそうですね。--Freetrashbox 2009年5月3日 (日) 02:14 (UTC)[返信]

佐藤信淵『経済要録』巻六の該当箇所(25/51)です。「近来世上に頗る多し」ですので1827年段階ではかなり普及していて、その中で江戸薩摩藩邸の白毛種が上品、という文脈です。この前は犬・羊で、どちらも漢土では食べるが皇国では少ない、となっていますが、犬のほうはやたら詳しいです。魚を餌にすると肉が不味いから小豆で飼え、とか。羊のほうは好事家が飼っているけれど、海の遠い地域に普及させよう、という論調です。(胎児が臭くなくてもっとも美味、なんて言ってますが。この人自身、きっと何でも食べていそうです。)--58.3.101.19 2009年5月3日 (日) 05:26 (UTC)[返信]

長崎も豚はOKだったらしいという情報(長崎)(平戸)。文献として古賀十二郎『長崎市史風俗編』が挙がっています。--58.3.101.19 2009年5月3日 (日) 09:21 (UTC)[返信]

佐藤信淵の話は本文に加筆させてもらいました。他の話も間違いなさそうですが、原典に近い出典がウェブ上に無いかもう少し探して見ます。『The life and letters of St. Francis Xavier.』がThe life and letters of St. Francis Xavier (1881)と同じものだとすると、私が見た限りでは残念ながらここには日本食についての記載は無さそうでした。--Freetrashbox 2009年5月4日 (月) 01:55 (UTC)[返信]
第二巻のほうです。アルヴァレスの報告は216-221ページ。218ページで「肉はほんの少し、家畜の肉(鶏含む?)は決して食べない」となっています。冒頭でも「家畜はほとんどいないが熱心に狩をする」。あとはヤジロウの発言で「インド人のように肉や魚と米を食べる」、ザビエル自身の観察で、「ボンズは堕落してこっそり肉を食べる」程度です。養豚の証拠にはならなそうです。--58.3.101.19 2009年5月4日 (月) 04:19 (UTC)[返信]
補足:この英訳は抄訳のようです。原文は、ザビエルがヤジロウからの日本情報をイグナチウス・ロヨラ宛に送った書簡とともにコインブラ大学に保存。豚に関する記述が全くない、とも断言できません。--58.3.101.19 2009年5月4日 (月) 06:51 (UTC)[返信]

時代が少し下りますが、1613年のイギリス商船の日本渡航記録(アーネスト・サトウ校訂)。平戸島に商館開設、大阪からは陸路で駿府を訪問したようですが、日本の食生活の描写の中で、p127に、「飼われた(tame)豚は豊富にいる」という記述。購入価格は、豚(肉?)が一片12ペンス、雄豚が5シリング、牛が16シリング、ヤギが3シリング(サトウ註:勘違いではないか。滅多に見ない。)、米は1ポンドで半ペニーとなっています。明らかに平戸と特定できるエピソードとしては、p81に平戸到着時の贈り物(鹿肉、野禽肉、猪肉)、p176にノブサネの贈り物としてyoung porke。イエズス会士の書簡のほうは上智大学、日文研などさまざまなものが閲覧できますが、ラテン語・イタリア語・ポルトガル語で、おまけに平戸に関係する「フェルナンデス」が複数いるようです。越中哲也『長崎学・食の文化史』『長崎学・続食の文化史』『長崎学・続続食の文化史』あたりに出典がないでしょうか。--58.3.101.19 2009年5月4日 (月) 13:29 (UTC)[返信]

フェルナンデス: Gonçalo Fernandes, to a Brother of the Collegio in Coimbra, from Goa, Dec. 1, 1560. オンラインではたとえば上智大学キリシタン文庫 Folio 195r.「土地の人々は何でも食べる。ただしボンズは牛を食べない。」etc.--58.3.98.86 2009年5月17日 (日) 13:53 (UTC)[返信]

松浦清山『甲子夜話』に記録された豚料理に関するブログ記事です。小菜に「煎豚」があります。同名の料理が、小菅桂子『にっぽん台所文化史〈増補〉』,雄山閣(1998[1991]年)(の転載ページ)によれば、初期のラジオ放送の料理番組で「シナ料理」として紹介されたようですが、どういう料理かわかりません。この文献、明治10年代からの料理教室や料理本の引用が豊富にあるようです。--58.3.101.19 2009年5月5日 (火) 01:59 (UTC)[返信]

出島商館長ヘンドリック・ドーフの回顧録。34ページあたりで「食肉禁忌は宗教よりは家畜が少ないせいではないか、バタヴィアからの牛の屠殺は奉行以下見に来る。長崎住人は豚肉は日常的に食べるが屠殺は自分ではしない」てなことが書いてありそうですがオランダ語はわからんです。--58.3.101.19 2009年5月5日 (火) 06:51 (UTC)[返信]

いろいろ情報を頂いておきながら何もしておらず申し訳ありません。1613年の日本渡航記録については本文に書かせてもらいました。それ以後に関しても、高正晴子『朝鮮通信使の饗応』によると、朝鮮通信使の接待には家猪(ブタ)でもOKだったとあり、実際にも1655年の通信使を松浦氏壱岐で接待したときに豚料理が出されています(同書p.56)。数年おきに不定期に来る朝鮮通信使のためだけに豚を飼っていたとも思えませんので、日本人用の豚なのでしょう。しかし一方で1764年の接待記録によると、日本各地で出された肉料理には豚ではなく全て猪が使われており(同書p.178)、豚が飼われていたにしては不自然なようにも思います。なかなか難しいところです。別の件で時間をとられていることもあり、ゆっくり調べていきたいと思います。--Freetrashbox 2009年5月9日 (土) 12:42 (UTC)[返信]

自分で調べに行けない情報ばかりで恐縮です。日本養豚協会による養豚の歴史です。江戸時代、関東・北海道でも養豚の記録があるようです。現代の豚肉消費が東高西低なのと関係あるかどうかわかりませんが東日本の資料もほしいところですね。--58.3.101.19 2009年5月11日 (月) 16:23 (UTC)[返信]

業界団体としては「全国やきとり連絡協議会」も獣肉情報(全国消費江戸時代)が豊富です。--58.3.101.19 2009年5月12日 (火) 00:06 (UTC)[返信]

この数字はすごいですね。中国が日本から豚革を輸入してるのは中国人は皮まで食べるからなんだそうです。--58.3.101.19 2009年5月14日 (木) 02:53 (UTC)[返信]

福澤諭吉の豚の解剖を脚注に追記しました。同じく医学生の解剖練習に関する資料として、江戸の幕府医学所学生が、「豚肉屋ほどには盛んでなかった」牛肉屋から安く牛の頭を入手した、という千葉医療センターニュース記事(pdf.)。出典があるでしょうか。もう一つ気になるのが、主としてジンギスカンの歴史を追うサイト『現場主義のジンパ学』の中の先入観のない羊肉を売り込め。ここでは豚肉の売り込みについてもさまざまな資料から言及されていますが、「豚には寄生虫の旋毛虫がいるから危険と、明治10年代の農商務省は養豚奨励を控えた」という記述。明治初年には国家主導で天皇まで使って肉食を奨励したようですが、豚肉はこのプロパガンダから外れ、天皇試食会も大正天皇までオアズケとなるわけです。だとすれば、昭和初年に10倍まで開いた東京と大阪の豚肉(精肉)消費差は、明治初年からの傾向をそのまま反映しているとも思えてきます。--58.3.98.86 2009年5月17日 (日) 14:56 (UTC)[返信]

もう一件、江戸時代関係資料研究論文。松尾信一(1990)「江戸時代後期から明治時代中期までの畜産書の歴史 : 特にオランダのシヨメール『厚生新編』を中心として」『信州大学農学部紀要第27巻第2号』。百科事典の国策翻訳事業ですが、牛・豚については翻訳されていないものの、獣肉料理については訳出されているというのが面白いです。江戸時代の「ヤギ」理解についても言及があります。大槻玄沢は、長崎で使われる「ヤギ」が中国語エアンからの借用語である、と言っているようです。--58.3.98.86 2009年5月17日 (日) 15:11 (UTC)[返信]

朝鮮通信使の接待

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現在の本文には「江戸幕府は外交的配慮から、朝鮮通信使に対して道中はイノシシ肉でもてなすものの、江戸城の正餐では日本の本膳料理を出していた。」とありますが、佐々木道雄『焼肉の文化史』のp.59には、「1711年の文献『信使通筋覚書朝鮮人好物附之写』において、朝鮮通信使の好物として牛・豚・鹿の串焼きやカルピ焼についての記述がある」とあります。「イノシシ肉でもてなした」というのはいかなる文献に基づく記述なのでしょうか。--211.124.129.185 2009年5月4日 (月) 09:01 (UTC)[返信]

高正晴子『朝鮮通信使の饗応』ISBN 4-7503-1393-9 p.135によると、『享保四已亥信使記録八十八』に「次官以上には猪を出す、ただし代替として鹿、家猪でもよい」という主旨のことが書かれているそうです。つまり、猪と家猪(ブタ)の両方が出されたのだと思います。(この出典に基づいて書いたわけではないのですが、失念してしまったので、この回答でごかんべんを)--Freetrashbox 2009年5月9日 (土) 07:03 (UTC)[返信]
最近、本膳料理について調べていたのですが、『全集日本の食文化 日本料理の発展』に収録されている論文に拠れば、本膳料理は見るための料理で実際に食べられる部分が少なかったので、本当に食べる膳として別に「引替膳」が発明されたとあります。そしてこの引替膳は朝鮮通信使の饗応の際にも出されたようです。ということは、朝鮮通信使の饗応の際に出された獣肉というのはこの引替膳のことかな?とも思います。つまり本膳料理自体は儀式的なものですからきちんと出されて、実際に食べる引替として獣肉が出されたのではないかとも考えるのですが。さらに文献を探せば何かわかるかもしれませんが、取り敢えず「引替膳」について報告します。--でここ会話2015年3月30日 (月) 06:07 (UTC)[返信]

琉球食肉文化の文献

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  • 島袋正敏『沖縄の豚と山羊』(1989 絶版)
  • 下嶋哲朗『豚と沖縄独立』(1997)
  • 峰澤満「沖縄本島の在来動物遺伝資源」『動物遺伝資源探索調査報告』15号 [1] pp27-48 (2005)
  • 金城須美子『宮良殿内・石垣殿内の膳符日記』(1995)
  • 『琉球文化圏とは何か』(別冊『環』)(2006)
  • 県内最古の豚の骨/北谷後兼久原遺跡から出土『琉球新報』2001年3月1日付け

沖縄でも「牛馬屠畜禁止令」が出たようですね。奄美では牛も屠るようですが。本土との違いは、屠殺・解体に専門の職能集団が分化せず自家消費の文化が継承された、という点が大きいのではないかと思います。本土でも鶏や猟獣は自家消費でしょうが、豚はどうなんでしょうね。--58.3.101.19 2009年5月5日 (火) 02:47 (UTC)[返信]

復帰直前の零細だった沖縄養豚の近代化に関する論文ですが、中に歴史の話があります。17世紀後半以降、それまで那覇と首里の屠畜人にだけ許されていた屠畜を自由化することで養豚が農村部に普及した、という内容。

ところで食肉文化と屠畜が不可分である以上、「明治・大正期の食肉産業と被差別部落」を内臓食に関する出典としてだけ使うのはもったいない気がします。「神戸牛」は明治30年代までにブランド化しているようですし。--58.3.101.19 2009年5月5日 (火) 17:14 (UTC)[返信]

いい記事だと思いますが

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太地などの捕鯨とマタギについても多少なりとも書いておいた方が、より全体像を掴んだ記事になると思いますがいかがでしょう? --Mikkabie 2011年9月9日 (金) 12:26 (UTC)[返信]
それと、琉球に触れるならアイヌの狩猟文化についても書くべきでは。--Mikkabie 2011年9月9日 (金) 12:30 (UTC)[返信]

柏木遺跡(旧石器捏造事件)

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柏木遺跡にて発見された石器はすべて捏造品との結論がでています(旧石器捏造事件[2][3])。そのため、この遺跡に関わる記述は除去します。--Bellis会話2012年11月23日 (金) 14:18 (UTC)[返信]

修正、ありがとうございます。--Freetrashbox会話2012年11月23日 (金) 14:39 (UTC)[返信]

古代日本の宮中伝統で、乳製品が尊ばれた食品であった記事追加を、醍醐や軟蘇

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古代日本の宮中伝統、および仏教で、乳製品は尊ばれた食品であったことの追加をお願いします。よく知られている歴史書や文献とは内容が異なっている様子もありますから。例として醍醐味で有名な醍醐を参照ください。時代を下り江戸時代にも乳製品は白隠禅師の軟蘇の法で知られているようです。--Shun Zero会話2017年1月21日 (土) 03:19 (UTC)[返信]

乳製品は獣肉ではないので、ここで詳述するのではなく各項目に任せるべきです。- NEON会話2017年1月21日 (土) 05:08 (UTC)[返信]