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ノート:日本暗殺秘録

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検証・訂正・加筆

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プロジェクト:映画/映画作品スタイルガイドに則り、訂正と加筆しました。

  • 導入部の作品の評論を評価節に移動。
  • 概要は作品の内容を読者が理解しやすいようにするためにも、主な配役は残したほうがいいでしょう。キャスティングの経緯はキャスティング節に移動。
  • 製作経緯節は内容の重複など、わかりにくいので整理。評価的な内容、残した本文は製作節に変え、キャスト節やスタッフ節の後ろへ。
  • 当該記事の「常務」「社長」など敬称の繰り返しを除去しました。特に大川博はスタッフ節に載ってるので、敬称を記す必要はないと思います(中島が「社長」と言ったのは残してますが」)。→Wikipedia:表記ガイド#人名
  • 検証しました。Wikipedia:原典のコピーはしないWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針に則り訂正しています。
    • 検証して合っていても、特筆性ないものは除去しました。→「圧力があって絞られた」は上司が部下を怒るのは当たり前なので。これだけでは特筆性ないと思います。
    • 「大抜擢」は出典には質問者の問いかけで載っており、抽象的な表現かつこの三文字では説明不足と思い除去しましたが、同じ出典で中島が具体的に回答してることから、そちらを載せるほうが適切と思い、別の出典も加えて執筆しました。
  • 明らかに本文と関係ない出典は除去しました。→Wikipedia:脚注過剰
  • 渡邊達人『私の東映30年』1991年11月25日、149頁。 は、非売品で個人出版の書籍です。
    • 自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、ほとんどの場合は適切な情報源としては認められません。→WP:SPS
    • 例外条件にも該当しないので、該当箇所と合わせて除去しました。他の出典でもこの内容が載ってないか探してみましたが、見当たらないので。
  • 準備で誰が始めたかが出典によって異なるので、それぞれ掲載しました。→Wikipedia:中立的な観点
  • 頁数の範囲が広いので、本文の出典となる範囲を1~2頁に限定して検証しやすくしました。
  • 内容的に本作と関連が薄く、明らかに蛇足なものは除去しました。
    • 笠原和夫と千葉真一発言の逐一。
  • 本文で改行コード(<br />)は避けてください。→Wikipedia:改行時の注意点
笠原、中島とも「本当に情念を描こうと思ったら、ヤクザじゃなくてテロリストのほうが描きやすい」という考えがあった[1]
  1. ^ 『私と東映』 x 中島貞夫監督 (第4回 / 全5回) - Facebook

前後のつながりからどこか適切な段落に入れる場所が見つからなかったので除去しました。「~描きやすい」ということより、なぜ情念を描こうと思ったのかを笠原、中島共に別の出典で説明してるのでそちらを加筆しました。

井上日召役の片岡千恵蔵は、岡田茂が菅原通済と親しい間柄で引っ張り出された[1]。菅原は「政界の黒幕から銀幕へ」と言っていたという[1]。中島の次作『戦後秘話 宝石強奪』は菅原の原作で片岡も出演した[1]
  1. ^ a b c  中島貞夫『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』ワイズ出版、2004年、140-142頁。ISBN 4-89830-173-8 

検証したのですが、『日本暗殺秘録』のキャスティングのことではないので除去しました。「岡田と菅原の親しい間柄で片岡が引っ張り出された」というのは、中島の次作『戦後秘話 宝石強奪』のキャスティングです。『遊撃の美学』を再確認してくださるよう、宜しくお願い致します。

テロリストの立場にたった危ない映画で[1]
  1. ^ 日本暗殺秘録 - 東京国立近代美術館

報告 上記の編集理由について、IP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんからノート:激突! 殺人拳#ご返事で疑義が提出されました。本来、当該ノートで話し合うべきことでしょうが、議論やコメントの分散を防ぐためにコメント依頼で、一律ノート:激突! 殺人拳#激突! 殺人拳と日本暗殺秘録でコメントを募集をしていますので、よろしくお願い致します。

注釈に記すことが企画軽視?

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コメント ノート:激突! 殺人拳#ご返事の議論が長引いており、第三者コメントの分散を防ぐためにと当初は上記のように考えてました。しかしここまで長引くと当該ノートで議論すべきと思い、IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois(可変IPのため、IP:219.106.24.59会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisと同じ方)さんが、ノート:激突! 殺人拳#ご返事で日本暗殺秘録について反論してきた部分を、今後は当該ノートに記し、議論していくべきと思いました。そのためノート:激突! 殺人拳にも、これからは当該ノートで議論するように告知済みです。ただいま記しているこのコメント作成後に、ノート:激突!_殺人拳から誘導できるようリンクする予定です。

議論の概略は、日本暗殺秘録#準備の最初の出だしは下記のように最新版はなっています。

== 製作 ==

=== 準備 ===

もともとはテロリストセミ・ドキュメンタリーで描く予定だったという話と[注釈 1]東映京都撮影所の企画部長である渡邊達人二・二六事件などの資料をもとに暗殺をテーマにした映画を通してしまった話と[5][注釈 2]、始まりは二説ある。中島貞夫天尾完次笠原和夫[7]浅沼稲次郎暗殺事件を題材にしようと山口二矢赤尾敏へ訪問してヒアリングしたが[8][9]、一本の映画にできないと判断し、止めた[8]
  1. ^ 中島貞夫日本風俗をゲリラ的に撮影した「セックスドキュメンタリーシリーズ[1]」を5〜6人のスタッフみで製作し、ヒットさせていた[2][3]大川博は俳優の出演がなく、収益率の良い同シリーズを高く評価していた[2][3]テロドキュメンタリーは、中島が岡田茂へ「撮りたい」と言った話と[4][2]、岡田が「次はテロや」と中島に企画を練らせたという話[3]、の二つがある。
  2. ^ 笠原和夫は「渡邊達人さんがわりと反体制反乱とか好きで、二・二六事件満州事変をコツコツ自分で調べていた。会社としてアクションものの一環として軽く考えていたのだろう[6]」と証言している。
  1. ^ 「セックスドキュメント」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、271 - 272頁。
  2. ^ a b c 米田武朗 (2011年6月19日). “『私と東映』× 中島貞夫監督(第3回 / 全5回)”. facebook. 東映. 2015年6月30日閲覧。
  3. ^ a b c 「エロからテロへ」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、272 - 273頁。
  4. ^ 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、199頁。
  5. ^ 「撮影の中止要請があった!?」『ワケありな映画』、153頁。
  6. ^ 「テロのない戦後はアホらしい」『映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇』、224頁。
  7. ^ 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、200頁。
  8. ^ a b 「エロからテロへ」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、273頁。
  9. ^ 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、199 - 200頁。

上の文章がIP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんはご納得いかないようで、以下のように変えるべきと提案しています。

== 製作 ==

=== 企画 ===
監督の中島貞夫は日本の風俗をゲリラ的に撮影した前作『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』を5〜6人のスタッフみで製作しヒットさせた。大川博社長は俳優の出演がなく、収益率の良い同作を高く評価していた。本作『日本暗殺秘録』の始まりには中島が続いて「テロのドキュメンタリーを撮りたい」と岡田茂企画本部長へ企画を提出した、「エロの続ぎはテロや」という岡田の思いつきで企画が始まった、渡邊達人東映京都撮影所企画部長が「二・二六事件などの資料をもとに暗殺映画を企画したら通った」[注釈 6]など、幾つか説がある。
=== 準備 ===

まず、中島貞夫・天尾完次・笠原和夫は[15]、浅沼稲次郎暗殺事件を題材にしようと山口二矢・赤尾敏へ訪問してヒアリングしたが[16][17]、一本の映画にできないと判断し、止めた[16]。(映画作りの参考に)東大紛争を視察するものの[18]、モチーフ探しに困った中島と笠原は「テロといえば水戸だろう」という思いつきで、桜田門外の変や血盟団事件を生み出した当地へ赴く[16][19]。取材を重ねた結果、血盟団事件をテーマにしよう、小沼正へインタビューしよう、と二人は骨子を固める[20]。中島は「人殺しをする情念とは一体何か。本当に情念なのか狂気なのか[18]」、笠原は「実在のテロリストたちが持つ光芒を出したい。ある種、観念的な主題[21][22]」を描こうと、それぞれ決意していた。しかし大川博の意向により、本作はオールスターで撮ることとなる[注釈 7]。

IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんは上のように変えるべきという理由を、このようにコメントされてますのでご確認ください。

1. では私の考えを述べます。映画の企画を軽視してると私を決めつけられてますが、これも勘違いをされていて残念でなりません。IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの文案に「出だしがおかしいでしょ?」「ヒットしたから何?」と申し上げたのは、文章構成がおかしいという意味です。文案を読んでいて、「中島が『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』をヒットさせた。大川が同作を評価していた」と事実を記してるだけで、それが次の文章以降に繋がってないと思います。 だから「注釈を取っ払っただけじゃないですか?」と申し上げた次第です。中島貞夫が『にっぽん'69~』をヒットさせたから何?と指摘してるのではありません。誤解されないよう改めてお願い致します。219.106.32.152さんと議論してるのは、Wikipediaに載せる文章をどのようにすべきかということを話し合っているのであり、そこをお忘れなきよう。

2. 三つの説というIP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの主張には同意できませんね。当該映画の製作の始まりが「テロのドキュメンタリー」か「渡邊が企画を通した」か、現状ではこの二つの説しかないと申し上げました。「テロのドキュメンタリーを作る」というのを中島が岡田に具申したのか、岡田が「次はエロからテロ」と中島に伝えたのかが出典によって異なります。どちらが先に言い出したかわかりませんが、いずれにしても中島と岡田は「テロのドキュメンタリー」を考えていたことで一致しており、これをわざわざ二つに分けるのではなく、どちらが先に言ったかは注釈で細かくその状況を記せばいいことで、実際に岡田と中島の発言を載せてます。現状の文章を読まれる方々に注釈をポインティングすれば、その詳細を確認できるので伝わらないとは思えません。執筆する際にレイアウトや構成はいろいろあるでしょうけど、「企画を軽視してる」と問題視されるほどのことでしょうか?『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』は「テロのドキュメンタリー」を進める元になっているという中島の証言を注釈に載せることが中島の証言を軽視することになるのですか?

始まりは「テロのドキュメンタリー」と「渡邊が企画を通した」という二つの説を簡潔に執筆すべきであり、219.106.32.152さんの文案は冗長に文を並べているだけで、読者に何を伝えたいのかわかりにくい不親切な文章に読んでいて思います。製作の始まりの本質は岡田が言い出したことなのか、中島が言い出しことなのかではありません。どちらが言い出したにせよ「テロのドキュメンタリー」をやる、「渡邊が企画を通した」の二つしか無いのです。219.106.32.152さんは注釈を何かと拒絶されますが、今回の場合は文章の構成上、注釈を導入したほうが要旨を簡潔に伝える文章が作れ、効果的だと思います。219.106.32.152さんの主張はここまで、「当事者の発言だから本文に載せろ」と反論されてますが、注釈に載せている以上、読者は閲覧できます。閲覧できるのだから、どこに問題あるのか具体的にご説明をお願いします。紙媒体じゃなくWebでおまけにWikipediaではポインティングすれば、注釈を容易に閲覧できるのに…。ブラウザによっては閲覧環境が違うのかもしれませんが、それでもクリックすれば注釈の詳細は読めるのです。

3. IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの文案でわざわざ見出し「企画」を設ける必要もないでしょう。上で記した理由の他に、見出しはたった一つや二つの段落には用いないことが推奨されています(Wikipedia:スタイルマニュアル (見出し)#使用は適度に)。製作始まりである「テロのドキュメンタリー」、「渡邊が企画を通した」のほかに、新たな説が出てきて文章の増加により、注釈を外したり見出しを追加することが将来的に出てきたら、その時に校正し直せばいいのではありませんか?仁義なき戦い#映画』みたいに製作の始まりでいろいろな説があるようなわけでなく、少ない文章で見出し「企画」を設ける必要性は現状では無いと思いますよ。見出し「企画」を設けることが重要なのではなく、出典を用いて百科事典であるWikipediaにわかりやすい文章で、製作の流れを執筆していくことが第一義ではないのでしょうか?映画製作は多くの映画スタッフや俳優が関わってるのですから、企画だけを重要視するほうが編集者(219.106.32.152さん)の意思が入りすぎで、「そのような文章を書きたければ、Wikipediaでなくブログをするべき」とかつて忠告したはずですが?出典があって、かなりの文章を立案(企画)だけで執筆できるならともかく、今の文章量で見出し「企画」を設けたり、注釈を取っ払うことは、かえって製作の流れを無視して、バランスの悪い文章に感じます。そこには編集者の何かしらの意思を感じますし、Wikipedia:中立的な観点で執筆してるとは思えません。あなたの文案を読んでいてそれを感じないというのが不思議なんですが、『困った奴っちゃ』の読後の認識が違うから仕方ないのかもしれない…。

4. ウィキペディア日本語版に記事のない渡邊は肩書あったほうがいいでしょうが、それ以外の人物は何度も申し上げてるとおり、肩書は不要(Wikipedia:表記ガイド#人名)。

5. 二次資料の『ワケありな映画』を当該記事に出典として持ってきた、IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんが(編集時はIP:219.106.43.162会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)、その出典に載っていた渡邊説を必死に否定するのはどうしてしょうか?笠原の証言「~じゃないかなあ」を、「笠原は知らないんです」と理解されるのは219.106.32.152さんのご自由です。おまけに「~じゃないかなあ」は笠原の著書『昭和の劇』に掲載されていることで、だから『ワケありな映画』は信用できないというのもおかしな言い分です。あなたはまだ懲りずに出典の分析を続けてますが、編集者は出典を分析してはいけないんですよWikipedia:独自研究は載せない)。当該記事での議論では三回も忠告してますが、なぜそれを無視されるんですか?219.106.32.152さんはいつになったらこの習性を止めるのでしょう?IP:219.106.24.95会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisで『北の螢 (映画)2015年9月13日 (日) 01:38; 219.106.24.95による版』を新規作成されてますね。以前の新規記事よりはだいぶ改善されてるようですが、この習性を治してくれない限り、あなたが編集した記事は検証し続けることになりますね。これ以上は当該記事に関係ないので『北の螢』について何かあれば、ノート:北の螢 (映画)でコメントします。可変IPで編集を続けるのでなくアカウントを取れば、もう少し信頼性増すんですけどね。

6. 少なくとも私は出典を読み比べ、分析しません。『ワケありな映画』の渡邊説を分析するつもりもありません。出典の内容で明らかに時系列や数字が間違っていればともかく。

編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者(219.106.32.152さん)はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。以上、Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」より。

確認できただけでも2011年から活動されてるIP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんなら(可変IPなのでこちらは219.106.27.6で編集)、基本的な方針を理解した上で編集してほしいですね。219.106.32.152さんがすべきことは出典『ワケありな映画』に掲載されてる渡邊説を「間違いだ」と分析することではありません。自主出版(渡邊の著書『私の東映30年』)でなく、「渡邊説は違う、もしくは間違いである」ということが掲載されている信頼できる情報源を満たした出典を見つけるのが先じゃないでしょうか?

7. IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんは二次資料(『ワケありな映画』)を用いてこのような加筆をされています。

=== 評価 ===
~中略~。
当初の予定では明治天皇暗殺を狙った大逆事件も盛り込まれていたが削除された[1]このリンクはそのときの編集版。
  1. ^ 沢辺有司『ワケありな映画』彩図社、2014年、150-153頁。ISBN 978-4801300248 

これに私が一次資料(『昭和の劇』)で、相反する内容を当該記事「日本暗殺秘録#論評」に加筆しました。

=== 論評 ===
~中略~。
明治天皇の暗殺を目論んだ大逆事件も映像化する予定だったが削除されたという指摘に対して[1]、笠原は「大逆事件は無実だったし、爆弾を持っていたけど行為はしてないわけで、それでも摂政宮だった昭和天皇を狙うという話はいくらなんでも映像にできない[2]」と否定した。リンクはそのときの編集版。
  1. ^ 「撮影の中止要請があった!?」『ワケありな映画』、153頁。
  2. ^ 「テロのない戦後はアホらしい」『映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇』、226 - 228頁。

渡邊説を否定するのなら、このような編集をしてください。どちらか一方に肩入れするのでなく、Wikipedia:中立的な観点に則って編集するべきで、時系列や数字が明らかに間違ってない限りは、二次資料による評価や評論を特定編集者の考えで載せないという意見には同意できません。企画が重要と仰るなら、どうして渡邊説を削ることにこだわるのでしょうか?岡田茂を前面に持ってきたいという意図にしか見えませんね。そういうことをいつまでも仰り続けるから、岡田に思い入れがあると私に指摘されてしまうのです。

8. IP:219.106.32.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんは「あなた、もしくは他のユーザーの方から、こういう文面にしたらいい、という提案があれば受け入れる準備もあります」とノート:激突! 殺人拳#ご返事で御発言されてますが、私のここまでの説明も同様に受け入れてほしいものですね。一部だけだから受け入れろというほうが暴論じゃないですか?前後の繋がりや流れを全く配慮してないのだから。

9. 注釈の現状を変えた案を提出します。文の構成を変えてるだけで、内容は全く変わっていません。こちらのほうがかつて私が執筆したものより、流れがわかりやすいでしょう。最新案です。

== 製作 ==

=== 準備 ===

もともとはテロリストセミ・ドキュメンタリーで描く予定だったという話と[注釈 1]東映京都撮影所の企画部長である渡邊達人二・二六事件などの資料をもとに暗殺をテーマにした映画を通してしまった話と[4][注釈 2]、始まりは二説ある。中島貞夫天尾完次笠原和夫[6]浅沼稲次郎暗殺事件を題材にしようと山口二矢赤尾敏へ訪問してヒアリングしたが[7][8]、一本の映画にできないと判断し、止めた[7]。以降省略。
  1. ^ 「テロのドキュメンタリー」のきっかけは、中島貞夫岡田茂へ「撮りたい」と言った[1][2]、岡田が「次はテロや」と中島に企画を練らせたと[3]、更に枝分かれしているが、中島は本作の前に日本風俗をゲリラ的に撮影したドキュメンタリー映画にっぽん'69 セックス猟奇地帯』を5〜6人のスタッフで製作してヒットさせており、俳優の出演も無いので収益率が良く、大川博から同作を高く評価されていた[2][3]
  2. ^ 笠原和夫は「渡邊達人さんがわりと反体制反乱とか好きで、二・二六事件満州事変をコツコツ自分で調べていた。会社としてアクションものの一環として軽く考えていたのだろう[5]」と証言している。
  1. ^ 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、199頁。
  2. ^ a b 米田武朗 (2011年6月19日). “『私と東映』× 中島貞夫監督(第3回 / 全5回)”. facebook. 東映. 2015年6月30日閲覧。
  3. ^ a b 「エロからテロへ」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、272 - 273頁。
  4. ^ 「撮影の中止要請があった!?」『ワケありな映画』、153頁。
  5. ^ 「テロのない戦後はアホらしい」『映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇』、224頁。
  6. ^ 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、200頁。
  7. ^ a b 「エロからテロへ」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、273頁。
  8. ^ 「テロをドキュメントで、しかもオールスターで」『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』、199 - 200頁。

注釈の「テロのドキュメンタリー」を岡田が言い出したというのを先に持ってきても構いませんよ。単純に『遊撃の美学』が『あかんやつら』より前に出版(単行本のほう)されてるので、中島発言を先にだしただけですから。私が『遊撃の美学』を検証したのは文庫本ですけど。--らーしお会話2015年9月13日 (日) 07:52 (UTC)[返信]