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ノート:日本聖公会

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各々目指すものは・・・?

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Xrjyr086さんの2005年4月18日 (月) 20:39の加筆で、

「たとえば、聖公会では恨みを抱く者は陪餐することを認められない。これはローマ・カトリック教会が”信じない者との交わり”をより重視するのに対し、聖公会が”信仰による交わり”をより重視するためである。しかし、それは他に対して排他的であるという意味ではなく、福音理解の中心の違いであり、各々の目指すものは同じである。」

というこの部分。・・・・いったいどういう意味なんでしょうか。文章同士の関連とか、何度読んでもよくわかりません。Xrjyr086さんは一時期だけ参加していた方のようでまだいらっしゃるかどうかわかりませんので、どなたでもわかる方説明していただけると幸いです。Gakuinryou 2005年8月20日 (土) 10:02 (UTC)[返信]

上記の文がそこまで難解だとは思いませんが、そしてだいぶ前のご質問ですが、ぼくにわかる範囲で説明します。
ローマ教会(カソリックのことを聖公会の人はこう呼ぶことが多いです)では、「キリスト教徒以外の人へのアクションを奨励する」みたいな傾向があり、聖公会では「外部の人も大事だけど、それよりも同じ信仰を持った人(キリスト教徒、聖公会教徒)と交流を持つことが大切」と言った傾向があります。
しかし、聖公会が仲間を大切にするからといって、別に聖公会以外の人と付き合わないとか、相互理解をしようとしないとか、極端に排他的なわけではありません。
両者の外部の人に対しての傾向が違うのは、聖書の文面の理解の仕方の差であって、ローマ教会も聖公会も、イエスの教えを伝えることが最大の教義なので、最終的に目指すところは同じである、とXrjyr086さんは言いたかったのではないでしょうか。
もうこの文章は削除されているようなので無駄かもしれませんが、一応説明しておきます。 milsan 2006年3月9日 (木) 02:27