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ノート:日蓮正宗

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初期の問題提起

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みなさん、「自分がどう思うか」という己儀を立てるよりも、「大聖人ならどうお考えになるか」という観点で議論致しましょう。 信仰者であるならば「中立」ではなく、「中道法性」の観点でこの問題を見て行きましょうという事です。

さて、問題の「御開扉を受ける事は功徳か?修行か?」と言う事です。

  • 大聖人は、功徳についてこのように御書を残されています。

「功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、六根清浄なり。されば妙法蓮華経の法の師と成って大なる徳(さいわい)有るなり。功は幸と云う事なり。又は悪を滅するを功(く)と云い、善を生ずるを徳と云うなり。功徳とは即身成仏なり、又六根清浄なり。」 (御義口伝下より)

  • 修行ではなく、ここは日蓮大聖人のお言葉を拝借して「精進行(しょうじんぎょう)」という言葉に置き換えてみませんか? 精進行に関しても、大聖人は御書を残されています。

「一念に億却の辛労を尽せば本来無作(むさ)の三身念念に起るなり。所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。」 (御義口伝下より) 御開扉に関して総別の二義から考えるに、御開扉を受けることが出来るという事は総じては功徳です
御開扉を受ける姿そのものが成仏の境涯であり、それは即身成仏と言えます。
しかし、別しては精進行です。大御本尊様に手を合わせ、南無妙法蓮華経と一心に唱える事は、一念に億却の辛労を尽す事であり、御義口伝では精進行と大聖人はおっしゃられています。

いずれにしても、御開扉を受けられる権利が無い方々は可哀想ですね。

御開扉を受ける事が「功徳の現証」ならば、受けられない事は「罰の現証」なのでしょうか?
その昔、「我が家の御本尊様は、戒壇の御本尊を書写したために、一閻浮提総与の御本尊である。したがって、わざわざ御開扉を受ける必要は無い。毎日朝夕に、一閻浮提総与の御本尊にご開扉を受けているのですから、改めて、登山する必要は無い」と言った学会員の方がいましたが、その方は一大秘法をわかっていない方でした。
我が家の御本尊というのは、あくまでも一機一縁の御本尊です。
一大秘法についてわからない方は、六巻抄を参照して下さいね。


学会員Sです やはり、宗教に関することは歴史と教義だけに止めておくべきではないのでしょうか? 霊友会天理教等 あまり詳しい内容は現状中立を欠きます

修行としての「登山」の意義について改訂がなされておりますが、「御供養」を持っていかないで手ぶらで「登山」したとしてそれは果たして本因修行と言えるのでしょうか?法華講員にとって、”御開扉を受ける”ということじたいは、あくまでも「功徳の現証」であって、「修行」などではないと思いますが如何でしょう。よろしくご教示お願いいたします Kane


わたしは修行だと思いますけど。勿論手ぶらで、というのは如何なものかと思いますが、少しでも信仰の根本に近づこう、と志す人は功徳も多いと思います。

ところで、「法律で禁止規定が無い行為はどのような手段を使っても良い”と指導する発言」というのは大変恣意的な感じがします。これではまるで創価学会のようではありませんか! 書いた人は速やかに根拠を示して下さい。そうでなければ首肯出来ません。日蓮正宗に対する悪意すら感じます。

「脱会工作や名指し批判を殆ど行なわない」ってあるけど、脱会っていうのはきっと創価学会を意図した文章ですね。自分で書いてておかしいと気がつきませんか? 「法律で禁止規定が無い行為」などと違法ではない行為をさも違法行為のように表現したり、対立する勢力に対し「脱会工作や名指し批判」するのが当たり前(なのに日蓮正宗ではしない)のように書いていることに。きっと書いた人は創価学会員でしょう。これらは全て自らが所属する組織では当然と認識されているからこそ、このような文章になるのだと思います。

Authorityさんと言う方が、創価学会ほか分派団体関係とその他の問題ある宗教団体に対する対応をごっちゃにして、創価学会主張が正しいと言う方向に持っていこうとしているようです。(貴方は日蓮正宗の方だと思いますが、外部から見たらどちらもゲホゲホ)--自治会 2005年3月27日 (日) 13:45 (UTC)--自治会 2005年3月27日 (日) 13:55 (UTC)[返信]

一般の利用者から見て、宗門間の争いを顕現する、極めて異様な記事になっているということを申し上げておきます。それの是正を悪戯だと判断されるなら、小生は一切手を引きましょう。宗門内の方と議論するのは、これまた百科事典的でないからですAuthority 2005年3月27日 (日) 14:00 (UTC)[返信]
現実に起きてる事を消してしまうも百科事典的でないと思います(創宗戦争なりなんなり適当な名前を付けて独立させるなり、現在進行形のテンプレートを貼らなかったのは自分も含めた執筆者の過失だと思います。)が、あと私の事を宗門内の方と断定されているようですが、何か根拠はございますか?--自治会 2005年3月27日 (日) 14:52 (UTC)[返信]

インデント元へ;私が日蓮正宗の門徒でないのと同様、誤解です。記事のあまりの懇ろさに、てっきり門徒の方と思い込みました。多謝。確かに仰るとおりかもしれません。テレビ番組の解説記事が林立する百科事典ですから、現在も収束しない宗門紛争を第三者的立場で記述するのも、ある面必要であることには同意します。ただ、この場合宗門にある人たちの論争の場になる可能性は常時チェックの必要はあると感じます。Authority 2005年3月27日 (日) 15:48 (UTC)[返信]

しばらく見てない内にとんでもない事になってたようで……--まるゆ 2005年4月11日 (月) 13:11 (UTC)[返信]



「百科事典」らしくない記述

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この記事にはいくつもの「百科事典」らしくない記述があるように感じます。事実を伝えるよりも、決め付けや悪意による「論評」であり、中立的ではないという指摘を免れないかと思われます。以下、幾つかを整理したいと思いますが、ご意見あれば知らしてください。

  • 「こうした現状が、内ゲバを繰り返す新左翼党派のありかたに酷似しているとの意見もある。」
こうした「結論」に読者を「誘導」するのはどうですかね。事実だけを上げてあとは任せていいのでは?

自分的に言いますが、同じ系統から様々に分派しやはり近親憎悪的に「内ゲバ」をしているという厳然たる事実はあるのでより思想色を排除しノンポリにも通じる一般名詞的に内ゲバを繰り返す「過激派」という表現でやってみてはどうでしょうか。防犯上、「同じ系統に属して、悪口を言い合っている」というのは折伏被害を抑止する上でも知識上「カード」になりますから。|--124.44.212.24 2008年2月16日 (土) 09:31 (UTC)[返信]

  • 「「異流義」に限らず他宗教は・・・」や「歴史的に見ても・・・というのが日興以来この宗派の伝統的戦術」
この二つの段落は全体的にマイナス・イメージを醸す、意図的な言葉選びに見えます。異流儀などを発生させがちなのは事実ですが、マイナス論評を読者に押し付けているのは問題。更に、なぜ異流儀を発生させるか、一切考察していないのもいかがかと思われます。正宗の伝統的な考え方から離れたいわゆる「教義逸脱」を起こしてやがて破門されるのが通常のなりゆきなので他宗教での分派とは大して変わらないのではないかと思われます。また、自己の存続に関わる事態の中で防衛的な姿勢と採るのを、まるで弱いものいじめしながら強いものに媚びるように描写して卑怯な行動が「伝統的な戦術」と記述するのも、客観性を欠きます。
  • 「正信会、創価学会との対立の時代を経て、法主への個人崇拝(いわゆる日顕宗化や法主本仏論)を指摘する声が、第三者的立場の側からも近年高まりつつある」
創価学会など正宗を敵視している団体の関係者以外の「第三者」が、こういう指摘をすることを見たことがありませんが、根拠になる資料を教えていただけませんか。創価学会が、自己の「個人崇拝」的な要素への指摘を交わすのに掲げる論難でもあります。
  • 「今もなお管長ただ一人に「権威」と「権力」の両方が集中する傾向を最もよく温存したままの宗派と言えるだろう。」
これも、主に創価学会がその「反宗門キャンペーン」で使う論難ですが、「権威」と「権力」とを管長一人に集中させているという論拠を示してもらえませんか。「権威」と「権力」とをいっても、それはどこまで影響を及ぶかわかりません。たとえば、信檀徒の個人的な生活にまでの口出しするどうかとか、選挙でどうのこう投票しろという思想統一的な動きがあるかどうか。
また宗教だから法主が、カトリックのローマ法王同様、教義等について権限を持つのはむしろ自然ではないかという見方、教義で妥協しない=世間に迎合しないという考えもありえます。「権威」「権力」という言葉には一種の、主観的な価値観を感じずにいられませんのでこの辺を削除しなくてももっと客観的な言葉遣いはできまいかと思われます。
  • 「また、勧誘時に勧誘手法や行動が問題視されている・・・」以下についても、かなり偏った見方をもとに書かれていると感じます。
「創価―宗門論争」等についての記述は項目を(この記事内でも)別に設けて、「日蓮正宗」についての項目では論評なしの事実に徹したほうが百科事典らしいのではないでしょうか。(「創価学会」や、その他の宗派・政党などの記事でも同じようなことも言えるだろうが、まだそこまで目を通してない。)

以上のような問題点を改めたいと思っていますが、「両陣営」の事後改竄で無に帰すかな・・・ JALockhart 2005年4月25日 (月) 10:42 (UTC)[返信]

「勧誘時に勧誘手法や行動が問題視されている宗教団体と同様の他の宗教を信じると不幸になる」についてですが、
  1. 公式HPの正しい宗教とはなにかの記載で(ココのルール上簡略化しますが)日蓮正宗以外の宗教団体を信じる人間は不幸になる。不幸に成りたくなかったら他の宗教を捨てて日蓮正宗の信者なれば良い。と言う記載が有ること。
  2. 他の宗教を信じると不幸になるの例として上げたURLで回答をしている人物(二名)がweb上の法華講員として超……言い過ぎとしてもそれなりに知れ渡っている人物である。
  3. 統一教会関連の裁判で、精神の不安定化による勧誘が違法行為であるとする、司法判断が下されている、参考資料:カルト被害を考える会・会報38号
上記三点を根拠として執筆いたしました。日蓮正宗が公式に日蓮正宗以外の宗教団体を信じる人間は不幸になる。不幸に成りたくなかったら他の宗教を捨てて日蓮正宗の信者なれば良い。と言う教義を公式に(国立戒壇の時と同じ様に)撤回しない限り消す必要なないと思います。--まるゆ 2005年4月26日 (火) 15:04 (UTC)[返信]
なるほど、記述の根拠自体は納得。ただし、正宗の教義では「不幸になる」というよりも「成仏叶わぬ」です。「一個人の信徒の暴走=全体の教義」という図式はやや短絡的。そんなヤツ、どんな宗教団体にいるように思う(私も、ゲロが出るほど経験済み)。「精神の不安定化による勧誘が違法行為であるとする司法判断」は多に参考になります。公式HPを後で見ておきます。コメント、感謝。JALockhart 2005年4月27日 (水) 01:58 (UTC)[返信]

宗門が「古来より女人成仏を認めていた」と肩入れする書き込みがありますが八歳の龍女の女人成仏なる部分も、「来世で男に生まれ変わってからでないと、成仏はかなわない」という変成男子説も上げないと事典としての公平性を欠きます。また最近は細木数子人気とかに由来する男尊女卑な気風も強く「~宗を信じると、男子が絶えて女系家族になる」とかの折伏での脅し文句も多いです。仏教とは古代のインド哲学。「男女平等。マッカーサー憲法準拠商品・日蓮正宗。安心してお召し上がりになれます」といった媚びは、要らないでしょう。--124.44.212.24 2008年2月16日 (土) 09:31 (UTC)[返信]

法華経の龍女成仏は来世で男に生まれ変わるのではなく「現世で瞬時に成仏する物語」だったと記憶しています。 「来世で男に生まれ変わって」云々の「変成男子」説を挙げるのであれば,そのような誤った説がいつどのような形で広まったのかも書かないと公平ではないです。--三千大千 2008年3月20日 (木) 09:24 (UTC)[返信]

…「記憶しています」はかなり無責任。「云々の『変成男子』説を~そのような『誤った説』が」という言い方自体、とてもハイエナ臭がして正常な信仰心ではなく醜悪な狂信に見えるので駄目ですね。--124.44.212.161 2008年3月26日 (水) 09:09 (UTC)[返信]

失礼しました。ソースを出すのが億劫で「記憶しています」と書いてしまいましたが,『法華経』の「龍女成仏」は間違いなく「現世で瞬時に成仏する物語」です。「龍女忽然之間變成男子,具菩薩行」(『大正』9巻,p. 35c17)とあるようにその場で男子となり菩薩行を具すことが『法華経』における「変成男子」です(龍女忽然之間變成男子)。この箇所はサンスクリット本でも同じ内容ですが,現在手元にありませんのでまた後日ソースを記載します。--三千大千 2008年3月26日 (水) 10:58 (UTC)[返信]

--- 女人の即身成仏についてですが、 「一切衆生の心の間に八葉の蓮華有り。男子は上に向かひ、女人は下に向かふ。成仏の期に至れば設ひ女人なりと雖も心の間の蓮華速やかに還りて上に向かふ。」(平成新編御書1515頁) とあるように、身体上女人と生まれたとしても、心(むね)の間の蓮華が速やかに上向き、男子となる旨の記述があります。 来世、男に生まれ変わってからの迂遠の成仏ではありません日蓮大聖人は今世においての女人の即身成仏を説かれていることをお知らせしておきます。--Unagire会話2012年4月10日 (火) 04:55 (UTC)[返信]


聖武帝の命により各国分尼寺に必ず法華経が納められ、の記述は同宗派と殆ど無関係で(時代的にずっと前でずれどころではない)しかも同宗派の教義は日興の離反、明治維新、敗戦などを経て法華経から結果とても離れてしまったので不要と見ます。--211.130.160.156 2008年2月19日 (火) 07:12 (UTC)[返信]

宗教を「哲学」としか見れない時点で論議する権利はないと思いますよ。 「日興の離反」などと言って、宗門を「法華経から離れてしまった」云々言うこと自体が破綻した理論だと思いますが。それに、日興上人は「離反」されたのでなく、大聖人の「地頭の不法ならんときは我も住むまじ」との御遺言に従い奉り、また日興上人は「二箇相承」によって定められた正当な後継者であるから、「地頭の不法」によって謗法の地となってしまった身延を、それこそ断腸の思いで離山されたのですよ。「原本が残ってないから『二箇相承』は後世の偽作だ」なんていうならば、なぜ広蔵院日辰は写本を残しているのでしょうか。のちに自らに不利なものとなるかもしれないのに、ですよ。--月野湊会話2013年5月7日 (火) 03:04 (UTC)[返信]

大石寺サイトからのコピペについて

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2005年7月10日 (日) 07:52 の版の歴史が明らかに大石寺サイトのコピペです。 大石寺案内

かなり偏向してますよ。

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この記事術はかなり偏向していますよ。

中立的な立場というのなら我々日蓮宗側の立場も尊重していただかないと困ります。 それに最近の研究で日興上人身延離山は堀師記述のものとはだいぶかけ離れていることが わかってきています。

神社参拝を謗法とするのなら、南条氏は北条氏の一族で、実際は吾妻鏡にもあるとおり、 三島大社の寄進・造営、そして富士宮浅間大社の五重塔寄進・造営をしているし、 熱原法難を出すと南条氏は福地神社の神官をその館に匿っています。

三島大社への参拝は、南条氏の進めもあったのですよ。当時の裁判所(門柱所)の御観念文 には三島大社の神様に対してうそ偽りは申しません、というのがあり、これを作ったのは、 南条さんや北条さん一族です。

大石寺側の主張通りだとすると、謗法を薦めたのは誰でもない南条さんということになります。


「南条氏は福地神社の神官をその館に匿っています」というのは誑惑の言辞であり、当を得ていません。 時光さんの師匠である大聖人が、それを了承し、かつ追っ手が厳しければ大聖人の下、身延の地に移すことも御書にある通りです。 それは何を意味するかと言えば、その人が、神主でありながら、大聖人の説かれる法華経を信じた、という意味であり、何の縁もない神官を時光さんが匿う謂れはない。匿わねばならなくなった、その理由は、その神官が大聖人の説かれる教えを信じたというその一点である。されば、神官を匿ったからといって、時光さんが、謗法だというには到底当たらないことを知るべきであります。

妙蓮寺の伝記に「當山草創大檀那南条又云上野七郎次郎修理大夫時光初云左衛門尉。」とある。修理を職とする以上、寺社修理に名を連ねていたとしても、おかしくはないし、大聖人も、

 「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(平成新編1220頁)

と示されている。謗法の主君に仕えるのが謗法とならば、主君に忠義あれと大聖人が示されるわけがない。要はそのような環境の中でも、大聖人の説かれる法華経の信仰態度を説いていけ、本当に主君に良かれと、法華経を勧めていけとの御意と拝すべきなのであります。  私たちは時光さんが進んで(今の神道組織のような邪宗色の強い)寺社を修理したとは思わない。 よって「謗法を薦めた」云云は恣意的指摘と思います。 --Unagire会話2012年4月10日 (火) 05:23 (UTC)[返信]

日亨上人の記述と違うという点があるのならば、そこを引用して、「ここがこう違う」とはっきり示してもらいたいものです。--月野湊会話2013年5月7日 (火) 03:09 (UTC)[返信]




事実ではなく好意的でもない

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『海外での布教において、現地政府が法律で極端な破折誹謗(例:公衆の面前での他宗教攻撃等)が禁止されている場合はそれを守るが、法律で禁止規定が無い行為はどのような手段を使っても良い』(宗務院海外部長・尾林日至妙光寺住職)

Tetralemma氏へ

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1.念のため確認ですが、あなた様の言う『好意的な立場』というのは、日蓮正宗の教義を(法華三部径の年代問題や本門戒壇の製作年代問題等を無視して)無条件で受け入れろ(帰依しろ)と言うものなんでしょうか?--まるゆ 2005年8月20日 (土) 15:45 (UTC)[返信]

違いますよ。わたしの言う「好意的な立場」というのは、ウィキペディアを編集する条件ですから基本方針をもう一度よく読んでから、編集されることを望みます。Tetralemma 2005年8月20日 (土) 23:28 (UTC)[返信]
あなたこそWikipedia:中立的な観点をお読みに慣れれてはいかがですか?--まるゆ 2005年8月21日 (日) 03:05 (UTC)[返信]
「どのような手段を使っても良い」と発言したように受け取ったのは、あなたの意見です客観的な事実ではない。この場合、客観的な事実なら「どのような手段を使っても良い」をキーに検索して見るとよい。ヒットすれば事実、ヒットしなければ、あなたの意見でしかないTetralemma 2005年8月22日 (月) 03:34 (UTC)[返信]

2.『海外での布教に(中略)書いた人間が、そのように受け取ったとしても、これは事実ではない。とお書きになりましたが、ではどのような意味なんでしょうか?私には顕正会とか煎餅とか反統一協会系改宗屋がやってる事を組織を上げて非合法すれすれのところまでやるよと言ってる様に思えるんですが?--まるゆ 2005年8月20日 (土) 15:45 (UTC)[返信]

あなたが「そう思っている」だけで、それは事実でありません。Tetralemma 2005年8月20日 (土) 23:28 (UTC)[返信]
事実ではないを繰り返すだけで意味を書いてませんね。まったく話になりません。--まるゆ 2005年8月21日 (日) 03:05 (UTC)[返信]
「事実ではないを繰り返すだけ」ではなく、あなたが「そう思っている」だけと指摘しています。Tetralemma 2005年8月22日 (月) 03:34 (UTC)[返信]

(3.ノート:国立戒壇の文面をめぐるやり取りは、当事者の同意によりノート:日蓮正宗へ移動。--Dalaibaatur 2005年9月4日 (日) 15:28 (UTC)[返信]

Tetralemma氏へ2

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2.『海外での布教に(中略)書いた人間が、そのように受け取ったとしても、これは事実ではない。関連

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「どのような手段を使っても良い」と発言したように受け取ったのは、あなたの意見です客観的な事実ではない。この場合、客観的な事実なら「どのような手段を使っても良い」をキーに検索して見るとよい。ヒットすれば事実、ヒットしなければ、あなたの意見でしかないTetralemma 2005年8月22日 (月) 03:34 (UTC)[返信]
「事実ではないを繰り返すだけ」ではなく、あなたが「そう思っている」だけと指摘しています。Tetralemma 2005年8月22日 (月) 03:34 (UTC)[返信]
  • ここのルールが判って頂けないようですので説明しますが、発言を全てココのルール上転載できない為、あのような表現になりました。あの表現が気に食わないと言うのなら貴方の責任で1.相手の信仰の種類や状況によって言われた側が不愉快な思いさせる布教を行う。2.現地の法律で禁止されなければ事実上の誹謗中傷に近い攻撃を行うの二つを盛り込むか、[1]から2番目と〜布教が進んでいる次第であります。まで全文転載してください。ただし但し警告しておきますが、全文転載したあとの管理者側の措置(無期限ブロックや削除等)までは私は責任持ちません。--まるゆ 2005年8月23日 (火) 14:30 (UTC)[返信]
あの表現が気に食わない理由は、事実ではない、主観である、と申し上げています。私が直しても、誰かが元に戻してしまうでしょうから、ここで意見を書くなと申し上げているのです。Tetralemma 2005年8月24日 (水) 03:43 (UTC)[返信]
こちらが修正案を出してるのにそれに返事せず、個人攻撃ですか?--まるゆ 2005年8月27日 (土) 14:53 (UTC)[返信]
違いますよ。あなた個人を攻撃しているのではなく「意見を書くな。事実を書け。」という話をしています。
それと題名の件ですが、あなたは第三者ではなく当事者ですから自分だけ意味がわかっているでしょうが、題名は第三者がみて意味のわかるものにしてくださいね。
修正案になってないと思いますが、第三者の方、調整をお願いします。Tetralemma 2005年8月27日 (土) 23:12 (UTC)[返信]


上記の件は、事実でしょう。だから謝罪すべきだ、というのであれば、それはあなたの意見です。「意見を書くな。事実を書け。」Tetralemma 2005年8月22日 (月) 03:34 (UTC)[返信]

国立戒壇関連

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国立戒壇の文面を巡る議論は、ノート:国立戒壇へ移動しました。--Dalaibaatur 2005年9月4日 (日) 15:36 (UTC)[返信]

この部分は、記事「国立戒壇」の文面をめぐるやり取りのようですから、ノート:国立戒壇への移植を提案します。--Dalaibaatur 2005年9月4日 (日) 08:34 (UTC)[返信]

国立戒壇の文面についての議論を、この場で行う必要性がなにかあるでしょうか?もしまるゆさんに了解いただけるのなら、関連箇所を分割して、ノート:国立戒壇に移植したく思います。--Dalaibaatur 2005年9月4日 (日) 14:44 (UTC)[返信]
移動に賛成いただきありがとうございます。早速移動します。--Dalaibaatur

定義の文章の一部移動について

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勝劣派という記事をたてました。「日蓮正宗」の記事には【勝劣派内には室町時代から宗祖本佛論争があり、八品派宗祖本佛くりこし本佛論、日蓮正宗の支持する単純な本佛論も存在する。当時の時代背景から天台宗や真言宗にも各宗派の宗祖本物論があることから、この影響が日蓮各派にも広まったものと思われる。】という、勝劣派の教義全般を描写した一文があります。この一文に関して

1. 勝劣派の教義の項に記載すること。
2-A. 「日蓮正宗」の記事では、「勝劣派」とある部分に[[勝劣派]]とリンクを貼り、上記の一文はこの記事から削除すること。
2-B. もしくは「日蓮正宗」の「教義」の項目に移転すること。

の1および2(A,Bのいずれか)について諸氏の了解をえたく思いますので、コメントをよろしくお願いします。--Dalaibaatur 2005年8月25日 (木) 02:24 (UTC)[返信]

内容からみて、勝劣派へ移動が順当だと思います。2-A.に賛成します。Tetralemma 2005年8月27日 (土) 23:30 (UTC)[返信]
賛成をいただきましたので、移動しました。お二方とも、勝劣派について詳しい研究をなさっている方とお見受けしました。基本的分野な項目がまだまだ不十分ですので、ぜひそのような項目の充実にも労力をお割きいただければ、と思います。--Dalaibaatur 2005年9月1日 (木) 06:28 (UTC)[返信]

「お会式」という項目の分割議論

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現在、お会式という項目の内、日蓮正宗に関する部分をお会式 (日蓮正宗)に分割する事に就いて現在ノート:お会式で議論中です。皆様のご意見をお待ちしております。尚、ノートへの投稿に際しては日蓮正宗に就いてシンパ(擁護)、アンチ(反対)、ミドル(中立)の立場を明確にしてください.Mikomaid 2006年6月1日 (木) 12:18 (UTC)[返信]

日蓮正宗シンパ、もとい、日蓮正宗僧侶です。日蓮正宗におけるお会式は、他門身延日蓮宗等などとは、そもそもの意義が違います。日蓮正宗においては、「御本仏日蓮大聖人の滅不滅、三世常住を寿ぐ」という非常に重要な意義を持っています。一方で、他門身延日蓮宗等における意義付けは、「高祖日蓮大菩薩の入滅された日」程度の意義付けでしかありません。よって、私は分割することに賛成です。月野湊 2013年4月25日 (木) 12:40 (UTC)[返信]


↑自らの職場、信仰への愛は買います。 しかし  ~程度の位置付けでしかありません。 という書きぶりは身延が適当な信仰だ。みたいに読み手に感じさせます。「同じ『お会式』と名乗っていても正宗のものにこそ正しい意義があり身延派のお会式などはまやかし」 と言わんばかりの姿勢には宗教者とか言う以前に一人間として疑問ですよ。--153.160.137.11 2013年11月14日 (木) 10:15 (UTC)[返信]

学会員Sさん/Kaneさんへ

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学会員Sさん/Kaneさんへ : 八王子在住の法華講員より 歴史と教義だけでは満足しないから皆さん関心を示しているのだと思います。現に教義をとっても余すところ無く伝授を受けるのは大変なことです。知らない、知りたいから始まった事柄に水を差すのはどのようなものかと考えます。 狭き門ですから無理解が生じ混乱、逸脱となるのでしょう。大願成就の暁には、中立など無用ですからね。

 ご供養はあくまで「させていただく」ものです。経済面でのご供養は、自分の収入の1/100からさせていただくという教示があります。なを、お登山費用にご供養も含まれているので、それ以上のご供養は余裕のある方のみになるのでしょう。私は強がって多くの経済的なご供養は慎みます。ご存知かと思いますが、動くことのご供養に際し費用も掛かりますから。  ご開扉は厳粛な儀式ですので、私には修行と感じます。 実際、ご戒壇様を拝する最に邪心を持ってはご不敬ですよね。悩みごとやいらぬ考えを取っ払って、「子供のような純粋な心」で望むわけですからかなり至難です。参詣している乳幼児は時に泣き出しますし、その際も心揺れます。猊下がため息を漏らされるときも、私の心構えに間違いが無いか心配します。安心できているときは、道中の疲労で眠気も差します。  もし貴殿が学会員であり、脱会前にご開扉を心配なく受けられたとしたら、それはちょっと心配です。お眼通りされているかどうかです。学会の方は口々に現証とおっしゃいますが(近所の方もそのように言います)三途に渡り因果を見定め判定しなければそれに関して語ることはできないと考えます。社会情勢や文化などの流れを金太郎飴のように切って見ても柄だけしか見えず彩は見て取れません。青少年犯罪など「事前になんで誰も注意しないの?」と思うことがあります。さかのぼりあらゆる視点で睨んでください。無理な関連付けは薦めませんが、仏法の視点から判断するとかなりショックな出来事であることが認識できると思います。さて、疑問や意見を持ちコミュニケーションを望んでおられるのならお近くの日蓮正宗寺院の門をくぐってご住職に打ち明けてみては如何ですか。度胸がいると思いますが一番の早道ですよ。一緒にお保ちしましょう。。--221.187.114.146 2006年6月11日 (日) 14:53

記載の誤り

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争いとはなりえない誤り、定義や事実の誤りを書いていきたいと思います。

法主の地位と権限の中で ①「ただし死後は、やはり法主の許可により、一般僧侶も、また在家信徒にも戒名中に日号がつけられる場合がある。」

とあるが、在家はともかく「一般僧侶」は教師資格を得ると同時に「日号」は授かっている。それを生前は「名乗れなくて隠し日号」になっているのである。ですから上記記載は誤りだと考えられる。-Urakusai-

僧侶は袈裟を免許される時点で「日号」は授かっています。Urakusai氏も少し間違っていますので、私から謹んで訂正をさせていただきます。--月野湊会話2013年5月7日 (火) 03:13 (UTC)[返信]

敬称

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法主の尊称として「御法主日○上人猊下」「日○上人」が用いられる。生前に退座して隠居した前法主は御隠尊猊下または御隠尊上人と敬称される。 なお「上人猊下」という尊称については二重敬語・二重敬称で日本語としては甚だ不自然なため「~先生」を「~先生様(ソンセンニム、선생님、seonsaengnim)」と表現する朝鮮文化の影響が一部で指摘されている。 これは「会長」を「会長先生」と呼称する「実践倫理宏正会(朝起き会)」とも発想としては共通しており両者の思想の類似性を示しているともいわれるが、いずれも敗戦直後の特権的な「三国人」たる朝鮮人の横暴と重ねることで宗派としてのイメージダウンを図る反対勢力の妄言とする見方も存在する。

日本の伝統仏教で、通常高僧への敬称としては名字またはフルネームの後に付けるため正宗の呼称法は明らかに誤用で、また二重敬称も変だという点はどなたか記載を願いたいです。--124.44.212.24 2008年2月16日 (土) 09:31 (UTC)[返信]

悪いのですが、ここの部分は全て改変しました。なぜなら文章自体が韓国に対する悪意も混じっており、また日蓮正宗自体が長い歴史の中で韓国との関わりが深いということも特にないからです。ただし二重敬語が変だという声については尊重してそういう声も存在するという形で残してあります。ここは2ちゃんねるではありません。たかぼん8160 2007年10月8日 (月) 14:56 (UTC)たかぼん8160[返信]

「大聖人様」も二重敬語・二重敬称だが、誰も変だとは言わないのに、「上人猊下」が変だというのは、その指摘自体が客観性、合理性に欠ける指摘であって、単に悪意の混じった中傷としか思えない。したがって、合理性のない指摘として削除するべきと考える。大石寺信徒 2007年11月5日 (月) 13:33 (UTC)[返信]

世間でも「校長先生」のような…という記述がありますがあくまで口語な表現で二重敬称の例にはなりませんね。文語として、文書とか正式な表記では「校長」、「学校長」でしょう。二重敬称でない、朝起き会とは違うんだ、朝鮮語の「ソンセンニム」といった用法とは無関係だ。という弁護にしても少々レベルが低すぎるので本文のこの部分は削除が良いかと。--124.44.212.24 2008年2月16日 (土) 09:31 (UTC)[返信]

削除いたしました。--たかぼん8160 2008年3月21日 (金) 18:38 (UTC)[返信]

二重尊称についてですが、「日蓮大聖人様」と言った場合「日蓮(固有名詞)」+「大聖人(尊称)」となりますので「日蓮大聖人様」と言うのは間違っています。

しかし、単独で「大聖人」と言った場合「大聖人」自体が普通名詞となりますので、そこに敬称の義はありません。 ですから「大聖人(普通名詞)」+「様(尊称)」となるのは問題有りません。

また「御法主上人猊下」と言う場合ですが、ここに「固有名詞」が無いので、御法主自体が「普通名詞」となり、上人は「尊称」です。

ではここで「猊下」について考察します。

陛下、猊下、閣下等とはどんな意味があるか?

そもそも尊き方に呼びかける場合、直答は許されません。 宮中では直答は三位以上に許され、それ以下は三位以上の公家(通称・公卿)に話しかけ、間接的にお話しした。その名残が「○○下」と言う言葉です。 天皇陛下と言った場合、「天皇様の御下」におられる方にお呼びもうしかけているのです。それを「陛下」と申します。

当宗の「御法主上人猊下」の場合の「猊下」も「御仲居」にお取り次ぎを頼んでいる意味があります。 つまり以下のようになります。

①御法主(普通名詞) ②上人(尊称) ③猊下(お取り次ぎ) ですので、二重敬称にはなりません。

ちなみに校長先生と言う用語はまちがっておりません。同じように校長は「普通名詞」としての用法だからです。 しかし、姓名+校長+先生と言う場合は二重敬称となります。--Urakusai 2008年12月9日 (火) 05:39 (UTC)[返信]

本尊写真の掲載に関して

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日蓮正宗では宗務院の許可なく信仰の対象である本尊の写真撮影および掲示をするを禁じています。 ウィキペディアにおいても、日蓮正宗の項目に本尊の写真を掲載することは、日蓮正宗からの許可がない限り控えるべきであると考えます。 なお現在、写真掲載されている「師資伝授の本尊」の正筆は、日蓮正宗総本山大石寺が所蔵しています。

厳密には写真を修正した絵です。師資伝授の本尊は、第82曼陀羅(所蔵不明)として掲載されています。つまり、この時点では許可されていると考えます。日本の法律では、出版されて50年以上たったものは、誰でも引用が自由ですから、著作権上は問題ないと思います。Tetralemma 2007年1月21日 (日) 14:31 (UTC)[返信]

本尊写真掲載について 本尊の撮影・掲載については日蓮正宗では厳しく禁じられています。写真の掲載を中止してください。また、データ元等も消去して下さい。日蓮正宗が所持しているものであり、撮影許可をしていない以上、これは盗撮ということになり、れっきとした犯罪です。著作権の問題ではないので「出版されて50年以上~」ということは関係ありません。即、掲載を中止してください。

Tetralemmaさんの言われる通りに、著作権の問題はないと思いますので、写真掲載に問題はないと思います。肖像権の問題となると権利を主張される当事者からウィキペディアと上記リンクの写真掲載サイトに対して、抗議などをされるのがよろしいかと思います。その前にウィキペディアのルールを理解していただきノートの文末へは署名をお願いします。--ななき 2008年7月14日 (月) 10:07 (UTC)[返信]
  • 現在は前法主の日顕を除く10名の僧侶が能化の位にある。

上記のような記述がありましたが、能化とは権僧正僧正権大僧正大僧正の全てを指します。従いまして、法主(大僧正)も能化であり、法主でもあります。日顕(上人)は隠居したとはいえ、大僧正の地位は保全されたままですので、能化に入ります。--古今無双 2008年12月5日 (金) 07:03 (UTC)[返信]

また、本門戒壇之大御本尊の項目には、本門戒壇の大御本尊の写真が掲載されていますが、大石寺が許可する筈がありません。となると、盗撮としか考えられないのですが、いかがでしょうか。--月野湊会話2013年5月7日 (火) 03:19 (UTC)[返信]

女人成仏をめぐって

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信徒Fより: 女人成仏の否定ですが、それを「宗派として公式に主張していた」とする出典を明らかにして下さい。あまりにも出鱈目すぎます。佐野広謙尼(女性)が「成仏之印文也」の脇書きの本尊が授与されているように、戦前に女人不成仏を「宗派として公式に主張していた」事実はありません。 「戦時中、翼賛体制への迎合から寺院で神札を祭った」も事実ではありません。徴用した軍の中部勤労訓練所の所長である上中甲堂さんが大石寺に無断で祭ったものです。しかも大石寺は神札を持ち去るよう何度も抗議しています。

法華講の役員のことで「他の寺院に所属する講員に対して指導することは指導教師(住職・主管)に対する越権行為に当たる」と書かれていますが、「他の寺院に所属する講員」に限らず講員に対する指導は御法主上人と指導教師に対する越権です。ご住職にも確認しましたが信徒が信徒を指導するのは許されない、大聖人→御法主上人→指導教師→檀徒信徒に信心の血脈が流れるのであり、信徒間で指導することは絶対に許されないと言われていました。

「厳密には写真を修正した絵です。師資伝授の本尊は、第82曼陀羅(所蔵不明)として掲載されています」と言われている方がいますが本尊集82(所蔵不詳)と「師資伝授の御本尊(紫宸殿御本尊)」とは別です。本尊集82を模刻したと思われる板本尊の写真を載せる必要があるのでしょうか? それからこの模刻板本尊の写真はどこから転載したものですか?「日本の法律では、出版されて50年以上たったものは、誰でも引用が自由ですから、著作権上は問題ないと思います」と書かれていますが、出版されて50年ではなく編著者が亡くなって50年ではないのですか?本尊集の編著者の片岡随喜さん山中喜八さんが亡くなられてまだ50年経っていないですよね?それに著作権法上、転載は問題なくても出所の不明示罪(非親告罪)には該当しませんか?この写真はどなたが撮影されて、どこから転載したことを表示し、師資伝授の本尊とどのように関係があるのか表記すべきではありませんか?

あまりにも出鱈目すぎて、ウィキペディアの記述が信用されない理由がよく分かります。 信徒F--119.111.163.54 2008年10月21日 (火) 19:05 (UTC)[返信]

破門の理由

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破門の理由として「創価学会が無断で本尊を作成、会員に下附したことにより、」を削除しました。この時はまだ「ニセ本尊」を発行していません。破門の正式な理由は池田大作の「法主への批判および教義逸脱」だったと思います。ニセ本尊 2009年1月17日 (土) 07:58 (UTC)[返信]

敬称について

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聖人・上人・猊下等の敬称は百科事典にはふさわしくないと思います。--Dalaibaatur 2010年8月17日 (火) 12:10 (UTC)[返信]

台湾では、阿部日顕が外省人主体のマスコミにより新聞、TVなど各種媒体で「花和尚」(好色僧)と紹介されたことがある。

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>台湾では、阿部日顕が外省人主体のマスコミにより新聞、TVなど各種媒体で「花和尚」(好色僧)と紹介されたことがある。

この記述がありますが、「外省人主体のマスコミ」ってどこですか?それにこの話題に本省人と外省人が関係ありますか?台湾への日蓮正宗の布教が本省人と外省人のどちらかに偏っていたというのなら関係あるかもしれませんが、そういう話は聞きませんし。南九州国際 2011年5月14日 (土) 05:07 (UTC)[返信]

正式な信徒団体?

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創価学会が正式な信徒団体でないというのなら、日蓮正宗は正式な信徒でないどこの馬の骨とも分からぬ奴らに法華講大講頭を任せるようなあきれた糞宗教ということになるが、それでいいのか。また、立正佼成会が所謂単称日蓮宗の「非正式な」信徒団体であるかのような記述は、端的に間違いである。立正佼成会と日蓮宗は仲は良いがまったくの別団体で、別に佼成会には身延の下にいる気持もないし、身延が佼成会を従えているという気持もない。「宗門では迷惑がられている」というのは、誰の感想だよ、wikipediaはそういう場所じゃないって何故今に至るまで分かってないのか。岸本捨吉--223.133.135.179 2012年3月12日 (月) 16:40 (UTC)[返信]

創価学会の幹部の中に法華講の総講頭や大講頭の役職を授けられていた人は確かに過去に存在しましたが、彼らは、日蓮正宗別団体である「創価学会」の会員としての立場においてそれらの役職を授けられていたのではなく、あくまでも、日蓮正宗唯一の信徒団体である「法華講」に所属した寺院の檀信徒としての立場において授けられていたのです。たとえば池田大作氏は、大願寺の信徒として法華講総講頭の役職を授けられました。かつて創価学会員は、創価学会と日蓮正宗寺院の法華講の、二重宗籍を持っておりました。創価学会は、日蓮正宗とは包括-被包括関係を有さない単立の宗教法人でしたし、日蓮正宗宗規にも創価学会については一言も規定がありません。日蓮正宗宗規に定められた唯一の正式な信徒団体は法華講のみです。また、創価学会は法華講の支部としての認証を受けたことも一度もありません。日蓮正宗と創価学会は、当事者の感情はさておき、実際には、いわゆる「三か条協定」にもとづいて過去に一定の協力関係を維持していたに過ぎません。今の身延と立正佼成会の関係と似ています。創価学会が日蓮正宗の正式の信徒団体であったかのような印象が世間において強いのは、他ならぬ創価学会が、組織的な宣伝によってそのようなイメージを広めてきた結果によるところが大きいのです。しかし、宣伝は事実とは異なっております。--Kane会話2013年1月15日 (火) 08:54 (UTC)[返信]

ほー、で、日蓮正宗の公式出版部門である大日蓮出版が「日蓮正宗の信徒団体として発足した創価学会」と明言しているのはどう説明するのかね。まさか「正式の信徒団体」でもないものをこんな風に言うはずないですよね。ほれhttp://www.dainichiren.com/index.php?id=23 岸本元--223.133.77.98 2013年4月24日 (水) 13:44 (UTC)[返信]

もともとは二代会長だった戸田城聖氏が、「必ず各寺院の法華講に所属させた上で創価学会に所属させます」と誓約した上で日蓮正宗の信徒団体として発足させた、いわば異例の措置だったのです。そのようなことも考えず、「日蓮正宗は信徒でないどこの馬の骨とも分からぬ奴ら」云々などと述べるのは早計だと思います。--月野湊会話2013年5月9日 (木) 03:26 (UTC)[返信]

あほらしい。論点をそらさないで欲しい。異例の措置かどうかなんて誰が問題にしてるというのか。正式かそうでないかが問題なのだ(異例の措置だったら正式なものではないという理屈はこの世にはない)。なお1991年11月7日付「創価学会解散勧告書」には「創価学会は、本来、唯授一人血脈付法の法主の指南、及び教導のもと、日蓮正宗を外護し、広宣流布へと挺身すべき本宗信徒団体であります」とある。また、同年11月28日付「創価学会破門通告書」には「創価学会は、初め創価教育学会として昭和五年に発足し、その後、日蓮正宗信徒の団体となり、昭和二十年、創価学会として再建したのであります」「創価学会は、現在、日蓮正宗を外護する信徒団体から、逆に日蓮正宗に敵対する大謗法団体へと変質・変貌してしまいました」「もはや日蓮正宗の信徒団体として認めることができません」とある。これは阿部日顕猊下と藤本日潤総監の連名によるものである。ここまで書いてありながら、正式の信徒団体でなかったというのか。では、正式の信徒団体でもないものを「破門」するような呆れた糞宗教だったということでいいのか(正式の信徒団体でもないものをどうやって破門できるのやらさっぱりわからんが)。或いは阿部さんと藤本氏が適当な嘘をぶっこいてるとでも言いたいのか。この阿部上人と藤本尊師による破門通告書の記述が間違いだというのなら、それこそこんなとこでグダグダ書いてないで両人に直接言うがいいのだ。大石寺に勤務しているのなら簡単なことであろう。岸本元--110.67.107.245 2013年6月13日 (木) 12:27 (UTC)[返信]

寺院数、信徒数、著名な信徒などの情報について

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表記の寺院数、信徒数、著名な信徒などの情報を「宣伝的記述」として削除されたが、これらを「宣伝」と受け取るのは全く個人の主観であり、百科事典としての「基礎的データ」である数字や関連人物名を削除するのはルール違反を超えた恣意的行為だと考える。
例えば「信徒が○○万人いる」という記述があった場合、「」を「宣伝的表現」として削除するなら分かるが、数字そのものを削除することは、明らかな瑕疵や誇張、または悪意を持った過小表記がない限り、一般利用者の知る権利を奪う、百科事典にとって致命的な蛮行である。
商品に喩えればスペックに当たるデータをどう判断するかは、当然の如く一般ユーザーの判断に任されるべきであって、「基礎データ」の削除は東京電力による不都合な情報の隠蔽と同義であると考えざるを得ない。
また、編集履歴の中に文化庁宗教年鑑に基づいて「信徒数100万人」を「40万人」に訂正されていたが、これには宗門公称の海外信徒が含まれていないので、「国内40万人プラス公称海外信徒数60万人」とするのが現時点で最も妥当な記述と思われる。 
上記の考え方に基づき、表記の「基礎的データ」を復活させ、変更や修正があった場合は出典明示の上訂正し、二度と削除されるべきではないことを訴える次第である。

--地涌の眷属会話2012年3月31日 (土) 03:14 (UTC)[返信]

敬称について 2

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例えばWikipediaの項目「カトリック」では、「キリスト教の高位聖職者の称号」として「ローマ教皇」「ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世」などの表記を何の注釈もなく使用している。「ローマ教皇」という言葉がカトリックにおける宗教上の意義を持った尊称であるにもかかわらず、である。

これをわざわざ百科事典だからという理由で「カトリックのグレゴリウスが~」などと表記すれば違和感を覚える方がほとんどではないだろうか?

つまり、ある集団を百科事典として記述する時に、その集団内で慣例とされている尊称・敬称・呼称・肩書き・役職名などを故意に削除することが客観性を必ずしも保障する訳ではなく、逆に「中立」の概念にそぐわない、偏向した個人的見解を押し付ける危険性があると考える。

例えば世間一般では「創価学会の池田が」と記述しても何の違和感もないだろうが、創価学会員にとってみれば「池田名誉会長先生様」と書かなければ気が済まないかもしれない。百科事典としては「創価学会名誉会長の池田氏が」ぐらいの記述が中立的立場なのではないだろうか?

特に宗教団体などの場合、そこで慣例となっている敬称や肩書きは、その団体を知る貴重な一次情報でもある。

また創価学会は破門後、宗門の僧侶に対しわざと呼び捨てにする批判を展開している。出典は聖教新聞、創価新報など枚挙に暇がない。このような問題が一方に横たわっている以上、中立概念に基づく敬称や肩書きは逆に必要だと考える。

いずれにせよ、百科事典における敬称や肩書きは一刀両断で付加したり、削除されたりする性質のものではなく、扱う項目ごとに、内外の慣例なども踏まえた上で、社会通念上妥当なものを採用することが望ましいことは言うまでもないし、実際Wikipediaでは項目ごとに相違している。

結論としては記述者が「敬称は団体内で慣例とされているものを使用する」と一言注記すれば、その範囲内で記述されることに何の問題もないし、後はユーザー判断に任せるべきだと考える次第である。

--地涌の眷属会話2012年3月31日 (土) 03:15 (UTC)[返信]

「教学上の批判」の一部削除

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以下の記述は出典が全く示されておらず、ウィキペディアの記述ルールである検証可能性に背くので削除した。

「次に『日興の時代から謗法厳誡の教えを守ってきたと主張しそのことを「富士の清流七百年」と自ら称しているが、実際には浄土宗檀家である徳川将軍家の庇護を受けその見返りに他宗と合同で法要を行った記録があり、日蓮宗不受不施派本門仏立宗のような弾圧を受けていないことから、実際に謗法厳誡を強調するようになったのは明治維新以降と考えるのが妥当だ』という主張がある。」

--地涌の眷属会話2012年9月28日 (金) 01:23 (UTC)[返信]

一度削除したのでしょうけど、復活してますよ。--月野湊会話2013年5月9日 (木) 03:29 (UTC)[返信]

「日蓮正宗と仏教系新宗教との紛争」の一部削除

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以下の記述は出典が全く示されておらず、ウィキペディアの記述ルールである検証可能性に背くので削除した。

「また他教団の教義を十分理解していない状況で発言するため、折伏になっていないとする見方もある」

--地涌の眷属会話2012年9月30日 (日) 05:15 (UTC)[返信]

「他宗教批判」の削除

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以下の記述は出典が全く示されておらず、ウィキペディアの記述ルールである検証可能性に背くので削除した。

「他宗教批判 日蓮正宗は、他宗教を全面的に批判している。その為のウェブサイトを設けている。」

--地涌の眷属会話2012年9月30日 (日) 05:15 (UTC)[返信]

 Ryo-Kondo氏が削除した項目の復活について

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Ryo-Kondo氏は出典の明示されている論争を含む項目を丸ごと削除しているが、Wikipediaの主要な方針とガイドラインをよく読んで、論争は削除せず中立的観点に基づき明記し、出典明示を求めた上で編集によって対応すべきである旨を理解すべきだと考える。削除はWikipedia参加者・編集者・記述者にとって最後の手段であり、その場合でも、「ノート」に理由を記述して、削除してもよいかどうか議論を提起すべき旨が主要な方針に書かれており、Ryo-Kondo氏が削除した文面が元または別の参加者によって復活された場合は、Ryo-Kondo氏が出典を明示した意見を追加することがWikipediaの編集ルールであるはずである。
なお、「地涌の眷属」がウィキの編集ルールから大きく逸脱していると判断した文言について、議論を経ずに「ノート」に移管して、具体的理由を付した上で削除したが、別の参加者によって復活された場合は、上記のWikipediaの主要な方針とガイドラインに沿って、二度と削除することなく、編集で対応することを改めてここに明記しておく次第である。

--地涌の眷属会話2013年1月25日 (金) 20:39 (UTC)[返信]

創価教育学会とのかかわり

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池田氏による偽本尊の印刷が破門の原因という時系列で説明されているが、正しい時系列は、破門後に創価学会が独自に本尊印刷を手がけたんじゃない? --釈提摩伽会話2014年3月19日 (水) 13:31 (UTC)[返信]

 僧俗護法会議の「神嘗祭遥拝等の容認を条件」削除について 

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消したのは地涌の眷属さんかな?出典を提出しているのだから、議論せず勝手に削除しないでください。推測として議論されているのは神札の方です。神嘗祭遥拝は昭和17年10月の院達でも明記されている事実です。院達に「聖戦下愈々神嘗祭ノ真意義を周知徹底せしむる」と記載されているでしょう。当時、今まで宗派として行ってこなかった神嘗祭遥拝の真意義を周知徹底せしむる必要があったのは、単独認可の条件として神嘗祭遥拝を認めたからです。もし削除するならば、神嘗祭遥拝を起案する必要があった別要因を挙げてください。積極的事実は宗派の面子もあるだろうから伏せるのは仕方ないけれど、消極的事実の非掲載はただの隠蔽ですよ。当時の「単独認可」というのは、政府直轄になったという話。神道に対して何の条件も無しに単独認可が認められたと考える方がおかしいのでは?--釈提摩伽会話) 2014年6月14日 (土) 04:18 (UTC) (一部修正--釈提摩伽会話2014年6月17日 (火) 09:31 (UTC)[返信]

116.70.135.33氏の記述の削除と編集について

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116.70.135.33氏の 「現宗門(日顕日如の系統による破門〔僧侶ならびに信徒団体〕によって、分裂を繰り返し、教勢は最盛期の1500万(推定)人から今は50万人、30万人といわれるほど激減している)」
という記述について

第67世日顕上人によって破門された団体は創価学会のみであり、
第68世日如上人によって破門された団体はない。
創価学会は早くから正宗宗門とは別組織として宗教法人格を取得しており、創価学会の破門の前後に、正宗宗門と信徒団体の法華講の体制は不変に存続していて、「分裂を繰り返し」てはいない。

従って、前半の
「現宗門(日顕日如の系統による破門〔僧侶ならびに信徒団体〕によって、分裂を繰り返し」の記述は
1.出典がなく、
2.事実に反するか、あるいは、事実を適切に記述しておらず、
3.悪意があるとも受け取れ得る
ので、削除した。

また、後半の
「教勢は最盛期の1500万(推定)人から今は50万人、30万人といわれるほど激減している)」の部分は、
すでに創価学会破門後に規模を縮小させたことを数字も添えて「沿革」に記述済みであるので削除した。

なお、創価学会破門の経緯をここに時系列で要約しておく。

1.昭和21年1月  名称を「創価教育学会」から「創価学会」と改め、日蓮正宗の信徒団体として再出発
2.昭和27年8月  正宗とは別に「創価学会」として宗教法人を取得。
3.昭和52年  創価学会による教義逸脱事件、および、本尊模刻事件が発覚する。
4.昭和53年  上記事件を経て、創価学会脱会者が増加。
5.昭和53年11月 創価学会幹部2千名による本山参詣。池田氏による謝罪表明。
6.昭和54年4月 池田氏、創価学会会長、および法華講総講頭、辞任。
7.昭和59年  池田氏、宗門に200カ寺寄進。これにより法華講総講頭に再任される。
8.平成2年11月 宗門蔑視と受け取られる池田氏のスピーチが幹部会で行われる。
9.平成2年12月 正宗宗規の一部改正で、池田氏を始め全ての法華講役員が資格喪失。ただし、再任の可能性が残されていた。
10.平成3年初頭~ 創価学会によって聖教新聞紙上等で激しく宗門バッシングが行われる。
11.平成3年11月 宗門が創価学会に解散勧告を出す。
12.平成3年11月 宗門が創価学会を破門に付す。ただし、個々の創価学会員の正宗信徒資格は存続し、総本山参詣は可能だった。
13.平成9年9月 正宗宗規一部改正、創価学会員でありながら、正宗信徒資格は持てない規定を設け勧告。
14.平成9年11月 2ヶ月の猶予期間の後、創価学会員の正宗信徒資格喪失確定。正式に宗門と創価学会は無関係な団体となる。

出典追加のお願い

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このページは、一読すると日蓮正宗が認める事実を紹介しているようです(実際その通りなのでしょう)が、出典に乏しく、ウィキペディアンの知見なのか、信頼できる情報源があるのにも関わらず示されていないだけなのか、分からない状態です。ウィキペディアは演説台ではありませんし、個人的な経験に基づいた記述を記事に加えてはいけません。ウィキペディアで大事なのは、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。

口幅ったいことを申し上げ恐縮ですが、このままですと書いて下さったことを大幅に削除せざるを得ず、その苦労が水泡に帰すかと思うと、心苦しい限りです。誰だって自分が書いたことを消されるのは嫌なものです。むろん私自身もそうですから、できれば削除することなく、出典を明記して残したいと思っております。日蓮門下の高次資料を見つけられず苦労しているだけにお願いしにくいところもありますが、むしろそれ故に、願わくば出典を明記した編集を、せめて良書(日蓮正宗の主張を書いた本、もしくは同門他派が日蓮正宗を批判している本などの関連書籍、ことに前者)のご紹介を頂きたく、お願い申し上げます。例えば、創価学会が主張する教えは『教学の基礎』でわかりそうです(よりによって、ここで創価学会のことを持ち出さなくても良さそうですが、他に例示できることがなかったので、ご容赦下さい)。

なお、2014年11月19日 (水) 13:24の編集で、宗祖の御遺文を出典として明記しましたが、これによって即日蓮正宗の主張を裏付けることはできません。「日蓮正宗がそれを宗祖の御遺文と認定していること」が検証できても、「それを根拠として(例えば日蓮本仏論を)日蓮正宗が主張しているか否か」が検証できないからです(cf.Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成)。--1000dai会話2014年11月20日 (木) 01:14 (UTC)[返信]

報告ノート:日蓮正宗#2014年12月20日10:00(UTC)の編集のように、編集させて頂きました。--1000dai会話2014年12月20日 (土) 09:58 (UTC)[返信]

2014年12月20日10:00(UTC)の編集

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報告編集内容の要約欄に入りきらないので、こちらに書かせて頂きます。なお、ノートですから充分文字数に余裕がありますが、要約欄に書くつもりでいたため大分省略しております。リンクだけは変更しましたが、他はそのまま記載しますこと、ご容赦願います。

+一部転記,+出典明示,-剽窃部分,-重複する記述の一部,-大言壮語,-出典のない記述の一部,-日蓮正宗に直接関係の無いこと,-ヶ+か,see 冒頭の段落は明確で簡潔に,沿革 +要出典,太平洋戦争前 立花頁数訂正,他派からの批判と対応 +要出典,外国政府の評価 +要出典,参考文献 +有賀,+金岡,+木村,+斎藤,+折伏(略),+創価学会教学部,+日蓮宗現代宗教研究所,+日蓮宗事典刊行委員会,+日蓮正宗宗務院,+水島,+宮崎,+本間etc,+oclc,-無参照文献,外部リンク -内部へのリンク

なお、要出典タグを複数箇所に付けました。例えば、日蓮本仏論本仏#日蓮正宗の主張節の御義口伝ですが、これは、「日蓮正宗が御義口伝を真蹟としていること」の出典を求めているものです。日蓮正宗がそれを根拠としている出典が見つけられなかっただけで、他意はありません。すなわち、御義口伝などが真蹟であることの証明を求めるものではありません。たまたま同門他派から疑義のあるものばかりに出典がついてますが、記述に反対しているからではないことを、念のため記します。--1000dai会話2014年12月20日 (土) 09:58 (UTC)[返信]

報告ページの移動に伴い、リンクを変更しました。--1000dai会話2014年12月29日 (月) 05:23 (UTC)[返信]

一部転記提案

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提案 以下のように、本文から転記することを提案します。理由は、ウィキペディアは紙製の百科事典ではないから。

日蓮正宗#教義#本迹勝劣勝劣派へ。

日蓮正宗#教義#日蓮本仏論日蓮正宗#他派からの批判と対応#日蓮本仏論について本仏#日蓮本仏論へ。

日蓮正宗#教義#本尊日蓮正宗#他派からの批判と対応#本門戒壇の大御本尊について本尊 (日蓮正宗)へ。

日蓮正宗#教義#血脈血脈相承 (日蓮正宗)へ。

日蓮正宗#沿革#日興門流の成立富士門流へ。

日蓮正宗#沿革#近世における大石寺の展開大石寺へ。--1000dai会話2014年12月20日 (土) 09:58 (UTC)[返信]

報告提案から一週間経つも反対意見がありませんでしたので、移動しました。--1000dai会話2014年12月29日 (月) 04:37 (UTC)[返信]

主要寺院節に於ける塔中坊と末寺

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* 塔中坊――○○坊(総本山・本山塔中[たっちゅう])
  • 末寺(国内)
    • 寺院――△△山○○寺、△△山○○院
    • 教会――○○院、○○教会

  提案 本編集をrev。

理由

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本節の「主要寺院」とは、日蓮正宗の中心となる寺院を意味するものであり、個人的には高々本山までと考えております。すなわち、由緒寺院は含まれませんが異論もあることと思惟します。いずれにせよ、塔頭や末寺はそれに含まれないと思われるから[1]

脚注

  1. ^ 蛇足ですが、末寺が布教の最前線であり大事なところであることは論を俟ちません。しかしながら、本節の「主要」とは、その意味で用いられているのではないでしょう。

--1000dai会話2016年3月21日 (月) 23:42 (UTC)[返信]

報告提案から一週間経ちましたが特段の反対もないようですので、提案を実行させて頂きました。--1000dai会話2016年3月30日 (水) 14:39 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

日蓮正宗」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月6日 (金) 09:29 (UTC)[返信]

編集提案

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内容は変えずに項目の順番を下記のように入れ替えたいと思います。概要に関しては追加となります。

1概要

2沿革

3 教義

4 寺院・教会

4 宗門の体制

5 信徒団体

6 機関誌紙(教誌)

7 教育・研究機関

8 行事    9 脚注   --Tokinokawa会話2020年4月19日 (日) 23:09 (UTC)[返信]

賛成 内容を変えずに順番のみを変えることに特段の異議はありません( 保留概要は保留します)。--1000dai会話2020年4月20日 (月) 04:37 (UTC)[返信]
返信  回答ありがとうございます。概要の保留を受けて、今回の提案は保留にしたいと思います。--Tokinokawa会話2020年4月24日 (金) 08:16 (UTC)[返信]