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ノート:日連村勝瀬

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本記事の底本について

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内容を確認できていないため不確実な情報ですが、湖底への追憶という資料があるようです。--Amayus会話2018年9月29日 (土) 15:05 (UTC)[返信]

不明瞭な情報で恐縮ですが、こちらの外部サイトで引用されている「資料」が何らかの形で関連しているのではないかと考えています。Amayusさんが挙げている『湖底への追憶』に触れているブログの記事を見ると、前述の「資料」ともこの記事とも内容が近いように思います。--Yukidamari会話2018年9月30日 (日) 10:59 (UTC)[返信]

著作権問題調査依頼

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2018年9月に、海ボチャンさんにより著作権問題調査依頼が出されています。Wikipedia:著作権問題調査依頼#依頼の手順でも、議論は当該ページのノートで行うように規定されているものの、Wikipedia:著作権問題調査依頼でコメントが書かれていますので、こちらに転記します。


さて、上記によると―(1)お寺の過去帳を参照、(2)井上氏所蔵の文献を参照、(3)記念碑碑文からの引用、(4)旧住民からの聞き取り―の4種類に分けられることになります。
(1)著作権が保護されている可能性があります。過去帳は公開されていない可能性が高く、検証不能な出典かもしれません。念のため簡単に国会/神奈川県立/海老名市立/相模原市立図書館HPで検索しましたがヒットしませんでした。
(2)詳細不明で検証困難ですが、LudwigSKさんがご指摘の『湖底への追憶』はこちらに含まれるかもしれません。
(3)「引用」としていますが、出所とどの箇所かが示されていないため引用の要件を満たしておりません。なおこちらで紹介されている碑の文に思えます(例1. 当該項目:村内には造り酒屋…と記念碑:村内には荷続…、例2. 当該項目:明治15年集落中の…選択を行ったのである。と記念碑:明治十五年部落中の…移住を行ったのであります。)。引用というより現代語への翻案に見えます。ただし1944年の文であり、無名なのであれば公表後50年超経過で著作権消滅となりますが、確認できません。
(4)直接の聞き取りは出版などがなされていなければ出典にはできず、また検証は不可能でしょう。
ご本人が(1)(2)を「参照」としていることから、ご自身の言葉で組み立てなおしたのかもしれません。他の関連文献としては『丹沢を駆け抜けた戦争』(生命の環・むすびの衆 企画・編集)『相模ダムに隠された真実』(神奈川県立相模原高等学校 社会研究同好会)くらいでしょうか。これらも相模原・神奈川県立を中心に蔵書されていますので調査可能なかたについでにチェックしていただければ幸いです。 --Yizumin会話2019年2月16日 (土) 12:22 (UTC)[返信]

議論はこのまま継続をお願いいたします。--郊外生活会話2019年2月16日 (土) 12:38 (UTC)[返信]